第2話 学ぶといふ事(2006年5月)

柳川に越してき、五ヶ月が経った。
蚊が多い事と水の不味さには辟易するものがあるが、こと「学び」というものに関しては、
(他の土地の追随を許さないのではないか?)
柳川に関し、そういう感想を抱いている。図書館の充実ぶり、講習会の多さ、古文書館の設置などなど。暇そうな役人の「学」へのばら撒きぶりに柳川という町の力点が見てとれた。
先日、柳川市の広報を何気なく眺めていたところ古文書講座なるものを発見した。昔の崩し字が読めるようになるための講座らしく、無料と書いてあった。歴史好きにとって古文書は情報の源、それと直に触れ合えるならばという事で、すぐさま応募葉書を投函した。
古文書講座は四月から始まり月一回のペースで日曜に開講される。コースは入門、初級、応用と別れていて、早い人なら各コース一年、計三年で読めるようになるらしい。
久しぶりの学校、踊る気持ちを抑えに抑えてカブにまたがり、意気揚々と第一回講座に乗り込んだ。大きな挙動でドアを開け、大きく一歩を踏み出した。そして、
「のっ!」
我目を疑った。
(ここは老人ホームですか?)
その事であった。
四十人くらいの講座なのであるが、その半数は七十を超えているように思え、また残りの九割は六十を超えているように思われた。部屋には何とも言えない昭和のかほりが漂っていて、思わず平成という年号を忘れてしまいそうになった。
講座の時間は一時間。たった一時間であったが、どの老人も特徴的で、私は全く講座に集中できなかった。
どうやら人間というものは円熟期を迎えると、その人生が垂れ流しに表へ出てくるものらしい。立派な着物を着ておられ、物腰に異様な風格をお持ちの方もおれば、アル中にしか見えない挙動不審な方もいる。また、窓際に目をやると、寝ているのか起きているのか、はたまた死んでいるのか分からない、置物のような爺様もいる。
強烈に新鮮な世界であった。
ただ、その歳での学びであるから皆に熱意はある。異様な熱に包まれたまま、実りある時間はあっという間に過ぎていった。
はっきり言って、私は昭和人の熱に圧倒された。圧倒されながらも、
(平成には昭和熱が足りない。昭和には平成のクールさが足りない)
そのような事を思ったりした。
感動もした。
足腰が弱りきった老人の事である。老人は一人で立つ事もままならない。プルプルと震える手で原稿用紙に崩し字を書き写している。たぶん、崩し字を書く気がなくとも、この老人であれば崩し字になってしまうであろう。受講コースは入門コース。卒業までには早くとも三年かかる。こう言っちゃ何だが、老人はその頃生きていまい。
(なぜ?)
私の好奇心が火を噴いた。
受講後、我慢できず老人のもとへ行き、歩行に手を差し伸べつつ聞いてみた。
「失礼ですが、お幾つですか?」
老人は私の知りたい事などお見通しなのだろう。
ニヤリ笑い、静かにこう言った。
「幾つになっても勉強が好きとです、ただ、それだけです」
久々に震えた。
学びというものの原点に触れた気がした。学びとは、まさにそういう事だろう。人間、それが尽きた時、生きながらにして死んでいる、学ぶ姿勢こそ、生きる姿勢ではなかろうか。
その点、老人は強く生きていた。
心が亡いと書いて忙しい、その忙しいが口癖の現代人はこの老人をどう見たらいいのか。
私は老人を抱きしめたいと思った。だが、抱きしめてしまえば骨と皮だけの細い体は粉々に壊れてしまうだろう。
別れ際、老人の残した言葉が今でも忘れられない。
「幾つになっても楽しかねぇ」
生きるも一秒、死ぬも一秒、
(私も死ぬまで学びたい)
老人の細い背中に有意義な一生が滲み出ていた。
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