第19話 年始に考えるべき事(2008年2月)

ぼんやりと事業計画について考えている。
私は「管理」という言葉は嫌いだが、「計画」は好きである。
どれくらい好きかというと、豆腐一つを買いに行くにしても緻密なタイムスケジュールを立てる。それくらい好きである。
計画というものは小説を書く上での構成に似ている。
長い物語がアッチへ飛んだり、コッチへ飛んだりしないように大筋の流れを走り書きした上で執筆に入る。が…、私の場合、構成通りに進んだ事は一度もない。全て書きながら別の方向へ突っ走り、別の道から走り書きの結論へ達するのが常である。
計画もまさに同じ事で、計画通りに運ばれる事はまずない。ズレて修正して、そのうちに全く違う事を始めてしまうのであるが、計画のおかげで行きたい場所だけは見えている。
(だったら目標だけ立てれば良いではないか…)
そう思ったが、どうもそうではないようだ。プロセスまで書き加える計画の方がより身近で現実感がある。そして何よりも計画通りにならない現実を確かなかたちで認識でき、いい刺激を受ける。
計画を立てていなければ何気なく過ぎてしまう一現象も、計画を立てていれば、
「ありゃ、狂ってしまった」
と、アクシデントになりうる。
それが心地いいから、守る可能性が極めて低い計画を貴重な時間を使って立てるのではないかと邪推している。
で…。
阿蘇カラクリ研究所を立ち上げる前、お役所に提出した事業計画書が手元にある。
当時は「夢挑戦プラザ」という県の補助機関に数年はお世話になるつもりだったので、綿密な計画を立て、事業可能性評価委員会という公の場所でプレゼンもした。
その計画によると事業名は「一人貫徹型設計製作事業」となっている。
内容は大手の設計事務所が面倒臭くて手を出さない小規模な領域にメカトロ技術で踏み込んでいこうというもので、今読み返すとなかなか気の利いた事を書いている。
ものづくりを依頼する場合、普通は製作仕様書というのを客先が書くのであるが、個人の発明家や町工場は大抵それらを書いた事がない。それで大手の設計事務所は「こりゃ手がかかる」と引いてしまうのだが、「そこにビジネスチャンスがある」と手元の事業計画書は言っている。そこに一人ならではの小回りで食い込み、一つ一つ問題を解決していく。そうしていく事で永続的に事業が営め、且つ小幅な拡大が見込めると…。
「うーん」
自分で書いたものに感心してしまうのも何だが、言い得て妙だと思っている。更に、この計画を事業可能性評価委員会という経営のスペシャリストが審査する場でプレゼンしたところB評価をもらった。B評価というものは「事業可能性あり」という位置付けで、すぐさま金を貸してもいいというA評価ではないから大した事はないのであるが、優れた特許もないのに製造業でBを貰ったのは稀らしい。
更にプレゼンの最中、保証組合の人が、
「私を訪ねて来なさい、すぐにでも貸してあげるから」
こう発したのであるが、それは前例がなく、歴史的快挙らしい。(お役所の談)
しかしながら私の頭の中を公の場で発表し、それを評価してもらうというのは人生初の経験だっただけに、送られてきた通知表は心底勉強になった。
評価項目は新規性、実現性、市場性、成長性、人物・理念の五項目であるが、成長性と市場性が低く、人物・理念、新規性が高い。それは予想していた通りだったが、その通知表に添付されていた「評価委員コメント一覧」は腹が痛くなるほど笑い、そして胸に沁みた。
幾つか傑作を抜粋する。

計画はともかくとして、個人的に相談したい人である。

福山氏が個人でできる範囲の規模に終わる可能性が高く、成長性は見込めない。

若いながら冷静さと遊び心を兼ね備えた楽しみな人物。しかし、経営力は決定的に不足している。

こんなにもロマン溢れるプレゼンは初めて。

便利屋として上手く利用されてしまう可能性があるので、事業の核を確立する必要がある。

小説家になりたいと言っておられたが、本委員会の主旨と異なる。

ちなみにこの委員会でプレゼンする人たちの主たる目的は金を借りる事である。従って私のように金を借りる必要がない人間が出てしまうと場違いな感じになってしまうが、なかなかどうして痛いところをついてこられる。
で…、今…、これらを見ながら計画と実績の確認をしているところであるが、売上ベースでいけば計画通り、赤字にならず黒字にならずの線である。しかし、やっている事が事業計画通りかというと、そうではない。
計画は「ものづくり事業」と「クリエイティブ事業」、その二本柱から成っており、ものづくり事業の規模をある程度まで高めたらそこで維持停滞させ、そこから徐々にクリエイティブ事業のウェイトを上げる。将来的にはものづくりとクリエイティブの比率を半々にもっていきたいというのが長期計画であり理想である。
そのためにも「二ヶ月に一本は小説を書く」という計画を立てているし、ポスターや簡易動画も事業の一つとして掲げている。しかし、注文を受けたものづくりを中途半端にやるわけにはいかんので、そちらに情熱を傾けていると多くの時間がそれに流れてしまう。そして、四ヶ月を総括すれば小説が一本も書けておらず、ものづくりとクリエイティブの事業比は160:1という結果になってしまっている。(計画では25:1)
(さて…、今後どうしようか…?)
冒頭で書いたように計画はアクシデントを認識するためにある。早速、両天秤の難しさを認識するに至ったのだが、理想なくては時間が死ぬし、ものづくり一本では集中力が持続しない。それは目に見えている。
(むーん、ちょいとクリエイティブの躍進を遅らせてコッチの方を頑張るか、いや、そうすると目標達成四十歳、それは辛い、この時期には子供も金がいるだろうし、しかし飽きて挫折よりは…、ねぇ…)
事業計画はそのまま私の人生設計であり、家族の計画にも繋がる。
「それなりの収入を持ってきてよ!」(嫁の圧力)
「おっとーの輝く姿が一番です!」(子供の欲するところ)
「人生、飽きなくて面白いのが一番!」(夫の思い)
頭を抱えながら、半年に一度は計画の修正を試みる。
計画を立てねば、それは惰性の人生であり、成り行き任せの一生になってしまうであろう。
(さて、どうするか?)
無駄かもしれぬが大いなる成り行きに逆らいながら計画を修正する。
(ええい! こういう目標を立ててやる! どうだ、こんちくしょー!)
鼻息荒いこの時期こそ、計画好き至福の瞬間である。
気付けば年明けて四十日が過ぎている。
時間の早さ一つを取っても「生きる」とは予想外の連続である。
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