第28話 道について(2008年5月)

手元に明治35年の地図がある。地元の教育委員会に頂いたもので、縮尺は1/50000、阿蘇南郷谷の地図である。
今、私のマイブームはこれに載っている古道を探す事で、現在の地図とこの地図を照らし合わせ、事前に検討を重ねた上で現地を走っている。走る手段はカブ50である。道路交通法に引っかかるかもしれないが、スピードメーターのところにバインダーを括り付け、地図を見ながら走り、地蔵や石碑、神社仏閣、風景などを書き込みながら超低速にて田舎道を疾駆している。首にはカメラをぶら下げて格好はジャージ、怪しい事は自ら分かっているが、地元の人から見ても怪しいらしく、すっかり痛い目線に慣れてしまった。昨日は清水峠という外輪山を越える峠を走ったのだが、その途中の山寺で、
「誰じゃっ! 動くなっ! 何もんだっ!」
棒を持った爺様に怒鳴られてしまった。それぐらい怪しく目立つらしい。
私が道に惹かれ始めたのは嫁と付き合い始めた頃だから約十年前である。当時、埼玉は入間というところに住んでおり、そこを中心に飯能秩父方面、狭山湖周辺をよく攻めた。その頃から「道の味」というものを考え始め、何となく旅のコースに古道を選ぶようになった。
旅は十八の頃から始めている。高校三年の時、熊本から大阪まで自転車の旅に出た。それから旅にハマり、九州一周、四国一周、日本縦断をした。いずれも自転車であるが、一般国道は危ない・汚れる・気分が悪い、おまけに思い出が残らないという事に気付き、何となくコースとして裏道を選び始めた。裏道には歴史が点在する。そうなると歴史に興味を持ち始めた。歴史に興味を持ち始めると古道を歩きたくなる。そういう運びで次女が生まれる時、肥後から江戸まで参勤交代の道を歩いた。以後、その嗜好を保ったまま今日に至り、冒頭のような事を趣味でやっている。
昨日、人通りが全くない清水峠の頂上で、
(なぜ、こんな事をしてるのか? 何が楽しいのか?)
その事を考えてみた。やらねばならない仕事もあり、翌日の出張、その準備もしなければならない。が、ムズムズし、何となく飛び出した。長い時間考えた。が、よく分からない。
「何となく」
その一言に尽きた。写真家であれば自然の変調を敏感に捉え、すぐさま山に登る。近所にプロの写真家が多いため、思わぬ場所で近所の人と出くわした事が何度かある。阿蘇には生物学者も多く、植物や鳥を見付けるために出て来られた方ともよく会う。林業や農業の方も目的を持って山を登られる。皆、人が寄らないそこへゆくためには何か目的を持っており、私だけが漠然としていた。
「古い道が好きで調べてます」
目的を問われそう応えたが、果たしてそれが本当の目的だろうか。
登山家は山へ登る理由を「そこに山があるから」と言う。更なる高見を目指す事が冒険家には必須らしいが、私にその匂いは薄い。現にバイクで登っており、基本的に辛い事が嫌いである。この証拠として、学生時代ホッピングによる九州横断を試みたが三日目で断念し、それからホッピングに触れていない。
(はて、なぜだろう?)
よく分からないうちに下山し、峠道は市下という神社へ出た。この辺りを南阿蘇村両併という。鳥居の中央・神額には「八面社」と書かれており、神社名(市下)と違う。地元の呼称と神社名が違うのはよくある事で、八面社とは地元の呼び名であろうが根子岳好きの私としては何となく気になる。
根子岳の別名は七面山で、どこから見ても同じに見えるというのがその由来で、この神社から根子岳はバッチリ見える。が、七面山という割には姿かたちを変えるのが根子岳であって、阿蘇谷の人と南郷谷の人が「どっちから見た根子岳がカッコいい」その事で喧嘩しているところを私は何度も見た。
で、この市下神社は周りに何もない。水田がこの神社を取り囲んでおり、四方八方どこからも良く見え、こんもりとした具合が何とも言えずカッコいい。その事を受け、「どこから見ても本当にカッコいい神社」という事で七面に一を足し、八面社と呼んだのではなかろうか。
そのような事を考えながら市下神社を眺めているとアッという間に時間が過ぎた。その時間の過ぎっぷりから、私はこういう考察が好きなのだと改めて感じたわけだが、この空想を得るためにはある程度リアルな考証がいる。見て感じるという手間暇のいる考証である。
古道には確かに人が歩いた歴史がある。そして確かな物語を長い時間展開した重みがある。この道が神社仏閣を繋ぎ、集落を繋ぎ、人間を繋ぎ、今を紡ぎ出している。
過去の空想は数学でいう証明みたいなもので、ある結論へ持ってゆくための数遊びである。やり方は無限にあるが結論が見えているという点、身近で面白く、短距離型の理数向きである。
ちなみに私はSFやファンタジーが書けない。文章学校時代SFにチャレンジした事があるが、小学生でも書かないような笑える駄作に仕上がった。SFには旺盛な空想力と長い目がいる。未来を想い、現状の材料から様々な結論を想定し、構想を進めねばならないが、先が見えないだけに話は突き進むだけ突き進んでどこかへ飛んでいってしまう可能性があり、私はモロにそうなった。
これは持論であるが、理系の人間は短期の目標を立て、それに邁進することによって、振り返れば大きな何かが成せるのではないか。従って見えるところに何かがないと動く気がせず、その点、過去のあれこれを模索するという作業は現在が見えているので動きやすく、すぐに実が出て飽きない。私の場合、田舎に引っ込むぐらい現社会に疑問を感じているのだが、その疑問に具体性はなく、行動指針すらぼんやりしている。「何となく」がここでもはびこっており、動いた後に考えるのが習慣となっていて、今は古道の分析に夢中という具合で先の事が見えていない。人生を何か宝探しのように使っていて、その事に全く疑問を抱いていないのだ。
文系はどうか。人間を二種に分けるというのはどうかと思うが、私の分類の中では、遥か先を語る人、語れる人、そして考古学をやれる人は文系と定義している。いずれもモヤモヤしていて先が長く、気が長い人でなければ大成しないであろう。また、文系理系のリトマス紙として、芸術、及び川端康成を提案したい。前者において抽象的な作風を好む人は文系の可能性が高い。後者においては寝転がってそれを読み、もしも眠らずに読み終えたなら間違いなく文系である。私は冒頭のページで寝た記録を持つ。
話が脱線したが、そういうわけで今の私は仕事そっちのけで古道の調査をしている。嫁は呆れ果てているが体がそれを求めているためやらねば病気になるだろう。そもそも仕事で得る「カネ」というものは良い社会や環境の上に乗っかっていて、土台が死ねば人は死ぬ。毎日のニュースがそれを証明していて、どうしてもカネの優先順位は低い。
更に脱線して考える。私は女性と付き合った経験が多くない。多くないにも関わらず「みちこ」と名が付く女性と三人も付き合った。美知子、美智子、道子と記憶しているが、最後に「道」と出会ったのは、何か大きな力が働いたのではなかろうか。
道子と結婚し、昨日で丸八年。道に惹かれた数年間と結婚生活がほぼ重なる。
今日から九年目、宝探しはまだまだ続く。見付かるかどうか、そもそも宝があるのかどうか、それすら分からぬが、宝があると信じ、掘り続けるところに生きる醍醐味があるのだろう。
固い道は掘れぬ。古い道は掘れる。何が出るやら大興奮である。
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清水峠中腹にある清水寺。秘仏があるらしい。




八面社と呼ばれている市下神社。




市下神社近くにあった津留年之神社。巨木がある。




竹崎水源が発するベラボウに清い田園の流れ。