第29話 陰と陽(2008年6月)

私のいる場所を河陽という。明治12年まで河陽村という一つの行政区だったが、長野村、下野村と合併し、長陽村になり、その後、南阿蘇村になった。河陽は南郷谷の西側になる。白川を境に河陽村、河陰村と分けられている。中国地方と同じく、日照時間の関係からそのように分けられていると思うが真相はよく分からない。陰陽五行説や陰陽説との関係も疑わしい。古い時代に流行し、今また風水や占いとして流行の兆しがあるそれは陰と陽の関係にうるさい。これらも加味すれば、陰は女性的、陽は男性的であり、様々な仮説をそこから展開する事はできる。が、こじつけになってしまう感は否めない。よって日照時間による区分けと決めつける。現に河陰は外輪山によって日光が遮断され、早い時間から日陰になる。中国地方の山陰、山陽においても日照時間の差は歴然である。
陰と陽、どちらがどうだという事はない。ないが、時間の経過を遠目に見るだけで、その傾向は否応なしに見えてくる。
人間の質にも陰と陽は影響するらしい。陽は楽天家を育て上げ、陰は厭世家を育てるそうな。
明治維新という悲壮な革命を支えたのは陰によるところが大きい。吉田松陰は「陰」の字を好んで付けているが、つまりはそういう人が陰を愛し、ああいう人が陽を愛すのだろう。どちらもいる。
阿蘇における河陰と河陽についても陽が栄えた。鉄道は陽を通り、道も陽を通った。だが近年、俵山トンネルが開通し、河陰も賑わいを見せ始めた。何もなかった河陰に洒落た飲食店が出没し、地価は飛ぶ鳥を落とす勢いで跳ね上がり、ついには河陽を抜きそうな感じである。この傾向は今後も続くと思われ、山中は別荘地、道沿いは商業地になり、河陰の風景は一変するだろうと思われる。
陰と陽、つまりはコントラストである。陽の存在を認識するために陰があり、陰そのものも陽あってこそ目に触れる機会を持つ。
阿蘇谷と南郷谷も同じようなコントラストを持つ。古くから阿蘇谷は陽、南郷谷は陰であった。南郷谷は阿蘇谷に従いながら生きてきた歴史があり、その点、何も変わる事はなかったが、近年、南郷谷の観光地としての価値は上がる一方で、それのみにおいては阿蘇谷を超えそうな感がある。
地元の古老や民俗学者に言わせると阿蘇谷の景色は男性的らしい。雄大だが優しさに欠けるところがあるそうで、南郷谷は盆地こそ狭いが、その牧歌的風景には優しさが見られるそうな。
私は阿蘇谷から見た根子岳の具合に惚れ込んでいる。それを会社のロゴにしているくらいなので、男性的な荒々しい景色が好きなのだろうが、最近になって夜峰山のペロンとした具合も愛着が湧いてきた。つまり私は見れば見るほど好きになるタイプで、単に惚れっぽいのかもしれない。
陰と陽について何となく考えている。
人間はモノの価値を把握するために必ず対照物を置く必要があるようだ。「これが良い」と言ったところで比較するモノがなければその良さを量る事はできない。価値の把握ができなければ人様に紹介する事ができないし、ましてや売る事はできない。
河陰と河陽、山陰と山陽、何を考えたのか知らぬが、そういった人間的意図もあったのではないか。
世の中にある、ありとあらゆるモノに対し人間は比較、検討、評価を繰り返す。モノだけじゃなく、人間に対しても自らの知る平均と比較し、一定の評価をしてしまう。
つい先日、私は一風変わった人物と会った。歳は私の一つ上で、同じ部落に住んでいるのだが、一匹狼で農業をされている。福岡出身で大学は東京に出、慶応を卒業したらしい。卒業後、色々なところをフラフラし、「地に足がつく商売をしたい」と南阿蘇へ越してきたそうな。
軽く経歴を聞くだけでも、その変わりっぷりは半端じゃない。ある歴史散策会へ出席した時、その人の話を聞き、会いたいと思ったが、会って話を聞くと、なるほど変わっていた。まず農家というものは農協を通して物販を行うのが普通であるが、彼はそのルートを全く利用していない。契約してくれた人へ野菜の詰め合わせを定期的に送るのだそうな。
生産に関するポリシーも固い。少量多品種栽培がモットーだそうで、一種類をたくさん作ってしまうと土が泣いてしまうらしい。その理屈は野菜が吸い上げる養分というのは決まっていて、色々植えてさえいれば偏りなく適度な養分を吸い上げるから土のバランスが崩れず、土に与える肥料も鶏糞などの「当たり前のもの」で済むらしい。当たり前じゃない肥料が化学肥料で、それを必要とする土には養分の偏りがあるのだそうな。
彼の食生活も凄い。月の食費が調味料込み三千円。肉は全く買わないらしく、完全無欠のベジタリアン。そのボディーは、いかにもそういう生活をしている人らしく、脂肪のカケラもない。先日ウチに来てもらったが、子供たちが付けた名前は「キンニクマン」であった。
で、その変わっている彼に私は衝撃的な指摘を受けた。
「福山さん、ほんっとに、変わっとりますな」
人間はモノの価値を判断するため、モノの変化に気付くため、自らが作り上げた陰と陽と中間点を持っている。自分を陰とするか陽とするかは人の勝手だが、大抵は自分をその中間とし、物事を陰と陽に分類する。彼はその中間点をどこに据えているのか。
「変わってる」という認識の後、彼の心の裁判所において、私という人間が陰に分類されたのか、陽に分類されたのか、それを知る術はないが、とにかく彼の中間値から大きく外れてしまった事は間違いない。冷静に考えれば、私も彼の事を「変わった人物」だと思っており、中間値が合うはずもなく、彼の指摘は私の指摘でもある。
南阿蘇へ来て思ったのだが、本当に変わっている人が多い。特に芸術家と呼ばれる人は余人の常識を凌駕するのが仕事であって、変人である事は必須項目である。で、それを職業とされている方は、なるほど変人である。
文明の大半を占めている組織活動において変人は無用の長物とされる。この組織という厄介な代物においてはコントラストを固定しておく必要がある。中間値は元より陰と陽の方向性も示す必要があり、それよって得る結末も権力、もしくは俸給としてハッキリ示す必要がある。
「普通って何だ、俺は俺!」
声高に言い、自らの道を模索し、組織を離れ行動している人が阿蘇には何と多い事か。ただ、淘汰される人が多い事も事実である。文明から離れた場所に憧れを抱き、文明から逃げてきた人は間違いなく文明に戻される。
文明から離れた場所でそれなりの人生を送るためには「好き」に勝るものはない。それも並大抵の好きではなく、邪念のない愛へ昇華する必要がある。文化というものは入口で動機を問い、その後、多くの熱量を吸い上げる事で成り立っている。極めて厄介ではあるが人生の伴侶と同じようなもので、それなしでは生きてゆけなくなる。
文明、つまりはカネであるが、これを完全に切り離すのは不可能に近い。これから離れるという事は、電気、通信、流通、全てから隔離される事に他ならない。もしもそういう人がいるのなら是非とも会いたいと思っているが、そういう人は孤独を愛し、山から下りて来ないだろう。また、話したとしても根本のズレは如何ともし難く、「あなたの知らない世界」を見るだけで、得るところなく終わってしまうに違いない。つまり感性というモノの形状は球体をしていて、ズレていれば見えるが、裏側は見えない。そういうものだろう。
陰陽の考察は地名から心を辿り、今に達した。
先人は太陽に憧れた。無邪気に太陽に憧れ、その地名に陰と陽を付けた。人々も太陽に憧れ、陰と陽はそれぞれの個性を持って、それぞれにそれぞれの道を辿った。どっちがいい、どっちが悪いは誰も知らぬ。それは人それぞれが判断すべきであって、人を見るべきではない。
近所の彼が私の事を「変わってる」と言った。私も彼を「変わってる」と思った。あそこも、あそこも変わってると思い、それぞれが勝手な方向に突き進めば、それぞれの価値観で幸せな一生を送れるはずだ。人を見るから人の陰陽を真似るから、「比べて不幸」という不幸の連鎖に陥ってしまう。
大衆の陰陽は時代に合わせて引っくり返る。しかし、それに合わせていては短い人生楽しめまい。
人生の要諦は好きな事を本気でやる、人を見ない、邪魔しない、後世を汚さない、これに尽きる。
ゆき過ぎる風のように颯爽と生き、朽ちては土を肥やしたい。
陰陽繰り返し消えてゆく身を次代の子が見ている。
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