第36話 夢のつづき(2008年8月)

田舎の要諦は保守的思想にある。
万物は諸行無常であるから理屈としては変化に順応していかねばならないが、こと田舎にあって、変化は大いなる事件でしかない。それは田舎の営みが自然に拠っていて、自然は同じ循環を繰り返しながら時として大いに暴れる。人間はそれを如何ともし難く、結果としてなるようにしかならない。人間も動物も変わらない。結局は自然に生かされている存在であって、明治までの谷人、その美徳は自然に拠った静かな循環にあった。
自然は神様・仏様というかたちで祀られる。なるようにしかならない世界でそれは絶対的存在であり、成功も失敗もそれは神のみぞ知るところで、人々は熱心に祈った。しかし技術の発達は水害を押さえ込み、農作業に余裕を与え、トンネルをも通した。谷人たちは保守的な思想を抱えつつも文明の力を認めざるを得ず、ついには現代文明を受け入れた。この点、アフリカや中国の少数民族が消滅しつつあるのと何ら変わりはない。文明の拡大は、いとも簡単に文化を飲み込む。
私は地元の消防団に入っている。引っ越した直後、団長自らが軽トラで現れ、有無を言わさぬ勧誘の嵐に飲み込まれた。谷にあって、どの集落も若者が少なく定員の確保に四苦八苦している状況らしく、そのスピードは電光石火であった。私としても田舎に住む者の義務として、いずれ入団するつもりであったがあまりに早い。創業して一ヶ月足らずという事もあって、
「せめて半年待って下さい!」
嘆願したが無視された。そういう事で引越し直後すぐに消防団員となってしまったが、入ってしまえばなかなか居心地がよく、地元へ溶け込むには、これ以上の方法が見当たらない。
消防団に入るのはこれが二度目である。前回、私の年齢は低く、それに対し団の平均年齢は高かった。人の内訳も農業関係と役所関係ばかりで、結局は馴染めないまま引っ越してしまったが、今度の消防団は何と言っても若い。そして雑種である。同年代・年下がたくさんいるし、職業も農業関係を筆頭にサラリーマン、自営業、建設業、お寺さんと幅が広い。
消防の活動は火を消すのは当然だが、その他もろもろ多岐に渡る。まず野焼きがある。各集落に広大な担当が割り振られるのだが、消防は延焼を防ぐため森林と草原の間に立ち、消火活動に励まねばならない。他にも神輿を担いだり、地域のイベントに出たりするが、まぁ、それは余興であって、本番は夜半繰り広げられる親睦会にある。必ず飲む。そして長い。私も好きな方であるが、この消防団の好きっぷりは私を遥かに凌駕しており、手製のピリ辛ホルモンをツマミにとことん飲む。そして詰所で寝る。起きたらスナックへ出動する。
団員はとにかく仲がいい。皆が皆、青年までの過程を共有しており、興に乗ると小中学校の校歌が飛び出し、思い出話に花が咲く。当然、私は付いていけない。また集落には同姓が多いため下の名を愛称で呼ぶ。下の名を知らぬ私は誰の事を言ってるのかサッパリ分からず、その点も苦労している。私だけが「ふくやまさん」「ふくやまくん」と呼ばれていて、私や嫁は死ぬまでヨソモノであろう。集落に地元の者として認知されるためには幼少期の共有が不可欠なように思え、その点、娘たちは地元の者として認知されるに違いない。
で…。
この輪に入って飲んでる時、ふと飛び出した話が「市をやろう」という事であった。市とは辞書で調べるに「物品の交換や売買を行なう所」となっているが、つまりは出店の連なりである。
下田という集落は一昔前までは村の中心だったらしく、古くは阿蘇家の支城・下田城の城下町として栄え、新しくは南郷谷のメインルート、その宿場として栄えたようだ。明治の大水害、その後には人夫を慰めるための遊郭まで出来たらしく、その名残からか昭和四十年くらいまで立派な市が立っていたらしい。老人の証言によると、夏のある数日、詰所から駅くらい(約一キロ)まで出店が立ち並んでいて、南郷谷全体から人が集まっていたらしい。
団員で下田の市を経験したのは僅かである。僅かであるが、四十年しか経っていないので話として生々しく、それを蘇らせようとする動きがあったとしても不思議ではない。
「市ばすっばい!」
「よかねぇ、すっばい、すっばい!」
誰が言いだしっぺか知らぬがすぐに決まり、「打ち合わせ」という名の飲み会が何度か開かれた。
私は間違いなく出遅れている。団員は私以外、全員地元で育っている。皆の頭には鮮やかな市の姿が浮かんでいるに違いない。
「子供が喜ぶ賑やかな市にすっばい!」
「金は一切取らん! 団費と志で何とかしよう!」
「生ビールはいらん、ばってん金魚すくいは要るばい、綿菓子もいるばい、あっ、そうそう、クジ引きもすっばい、意味はなくともクジ引きすっだけで子供は燃えるけん、少なくとも俺は燃えよった」
「うっひょー! 楽しそー!」
「あいつら、喜ぶばぁーい!」
消防団の集まりとして月一回の設備点検日がある。それとは別に祭の打ち合わせで何度も集まり、何をするか考えたり、テントのレイアウトを考えたり、昔の事を語り合ったり、小さな集落の青年たちがキラキラした目で子供の事、集落の事を語り合う姿は何となく美しかった。私は唯一のヨソモノであるが、客観的に感動した。が、帰宅時間は誰よりも早かった。飲み会は永延と続き、昔話は止む事がなかった。申し訳ないが少々退屈であった。
市の決行日は八月二十三日と決まった。この日を決めるため、ビールが何本消費されたか分からないが、間違いなく地域の結束は高まっている。
「晴れてくれ!」
団員総出で願ったが、その前日は凄まじい雷雨、そして当日朝も豪雨であった。モノは全て揃っているので、とりあえず準備をしようと昼から集まり、テントなどを張りながら天気の回復を待った。
消防団幹部衆のヤル気は並々ならぬものがあった。酒を愛して止まない数人が一滴も飲まず準備に走り、あれやこれや私たちに指示を出し、脇目も振らず働いた。そこには邪念というものが全く見当たらなかった。
夕方、小雨になってきたので「決行」という事に決まり、消防車で夜市決行のアナウンスを行い、ぼちぼち人が集まり出すと豪雨が舞い戻ってきた。全くもってタイミングが悪いが、団員のハートは消防車の如く真っ赤に燃えている。
私は金魚すくいの担当になった。申し訳ないが一滴も飲まず夜市の成功を祈る気分ではなかったため、飲みながら食いながら適当に子供の相手をした。隣では何も食わず鬼の形相で氷を削るSさんがいる。クジ引き会場では飲まず食わずでハイテンション、全身全霊を夜市に捧げているHさんがいる。この二人と幹部衆数人が夜市を支えた枢軸であって、ロマン溢れる熱量を会場全体に振り撒いていた。
その効果あってか人は予想以上に集まった。年配衆(消防OBらしい)は詰所の一階、焼肉場を陣取って気炎を揚げ、口々に昔の下田を語り合った。奥様衆は子連れで寄り添い、他愛ない茶話で盛り上がり、よい歳の子供は狭い会場を縦横無尽に走り回った。
一人の老人が目を細め、隣の甚平を着た中年に何かを語っているのが遠目に見えた。老人は泣いていた。中年は老人に頭を下げた。なぜか分からぬが、この光景に不思議な感動を覚えた。
客が帰った後、消防OBと現役消防による長い長い打ち上げが始まった。先ほど見た甚平の中年は団員の父親で私の隣に座っていた。この人が隣の人と雑談をしていて、私はその内容に寒イボが立つほどの感動を覚えた。
泣いていた老人は夜市の賑わいに昔の下田を思い出し、甚平を着た中年に頭を下げたのだと言う。甚平を着た中年は本来なら途切れさせるべきでなかった市を途切れさせたのは世代の大罪であり、芯から詫びたと言う。が、老人は市が途切れたのは時代の力、時代の要請であったと言い切ったそうな。目まぐるしい変化に誰も付いていけず、混乱の中、集落というものが何かに飲み込まれ、そして気が付けば心身共に寂れていた。
「それは誰の責任でもない。世代の責任でもない。あの時代、何が何だか分からなかった。この集落に一人でも何か分かっていた人間がいたろうか?」
そういった事を告白し、老人は静かに落涙したそうな。
「が…、嬉しい」
老人は涙を拭いて続ける。こうして孫の世代になって市が蘇ったのは、心が繋がれていた結果であり、世代の懺悔が次世代へ響いていた結果であり、集落がまだまだ続いていく事を意味していて、久しぶりに胸を張りたくなったと言う。
「わしゃ下田の人間じゃ!」
老人の叫びは文化の叫びであろう。
「孫たちがどこに飛び出して行ったっちゃよかったい。ばってん、あの爺さんのごつ大きくなった時に下田に生まれて良かったてだけは思わせてやらにゃいかん。俺は息子から夜市の話ば聞いた時、何があったっちゃ協力するって思った。あやつらは俺らがやらにゃいかんかった事ば俺らに代わってしよるとだけん」
甚平の中年が放つ熱い語りを聞きながら、私は不覚にも涙ぐんでしまった。
文明は全てをごちゃ混ぜにしてしまう。文明の中にあって、この感動は生まれようがない。三世代が芯から地元を愛し、大いなる変化の中、必死になって昔というものにしがみ付き、何かに抗っている。このように熟された感動は使い捨ての文明からは生まれようがない。
「おっとー、たのしいねぇ、おいしいねぇ」
カキ氷を持った子供の声がよく沁みる。
もうすぐ夏も終わる。
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