第48話 集落の雑談(2009年3月)

つい先日、96歳の爺様が失踪した。自営消防隊に入り、初めての人探しがそれであったが、この日は凄い雨であった。
爺様の集落は阿蘇五岳の中腹にあり、足腰も弱っておられるという事で、早く見付けねば命に関わる。ご近所、親族、総出で探されたらしいが見付からず、村の消防団が出動する運びとなった。
この日、消防団は午前中に大きなイベントがあって、早朝から全員顔を合わせていた。昼からはどの分団も「打ち上げ」という名の飲み会を計画していて、店も予約してありコンパニオンも呼んである。解散し、風呂に入り、
「さあ、飲みにいくべ!」
立ち上がった瞬間、出動のサイレンが鳴った。
しぶしぶ集まった団員の髪はガチガチに固まっていた。コンパニオンと向かい合うためキマっていて、その頭にヘルメットを装着し、雨に濡れ山に入らねばならない。全ての準備が台無しであった。
雨は止まない。強くなるばかりで、山に登ると濃い霧が発生していて視界も覚束なかった。標高は800メートル。春なのに寒かった。かなり着込んだつもりであったが濡れた団服は重くなるばかりで水を弾かず、すぐに肌が冷たくなった。
右を見ても左を見ても震えながら人を探していた。キメた髪は大きく乱れ、楽しい酒宴は遠い彼方に去った。
道案内として地元の集落から各分団へ人が宛てられた。
「こういう時に、本当にすんません」
地元の分団も飲み会だったに違いない。最悪のタイミングを平謝りしていたが、それに対し各分団が熱く反論していた。何となく喧嘩腰であり、たぶん自らに言い聞かせていたのだろう。
「なんば言よっとや! うちの集落もいずれ世話にならにゃんとだけん!」
「それば言うな! それば言うたら消防団は成り立たん!」
「助け合いだろが! 言うな、絶対言うな!」
「俺も96歳んなったら徘徊して消防団ば呼ぶ! 何も言うちゃいかん! これは助け合いた!」
地元消防団の謝辞は厳禁であった。言えば「言うな」と蓋をされ、打ち消された。あちらこちらでその光景が見えた。
ちなみに96歳の爺様は元気に見付かった。山の中からヒョッコリ出てきたらしい。
「あたたちゃ何ば探しよっとな?」
そういう感じで現れたに違いない。何とも穏やかな風景で、その報告に数百人が安堵した。
それからであるが、消防団というものは出動した後、整列し、儀式をせねばならない。濡れ鼠を早く返せば良かろうに、それを捕まえ訓示を垂れねば消防団は治まらないらしい。寒さに震えながら「かしらーなかっ!」とかやってると、老人の息子と名乗る人が前に立った。早く謝りたくて口をパクパクさせながら前へ前へ出られていたが、儀式の順番があるらしく、何度も制され戻された。村長の挨拶があり、区長の挨拶があり、やっと息子の番が回ってきた。
まどろっこしい。このまどろっこしさは何とも言えぬ。消防団は確かに行政に組み込まれたものではあるが、火を消す、人を探す、そういった前線で、このまどろっこしさを適応するのは如何であろう。前線においては、もっと簡素化してもいいのではないか。でなければ、意味のないところで風邪をひく。集落同士の善意も霞む。人探しは確かに公金の補助もあるが、基本は集落同士の善意・助け合いである。その事は前の会話に滲み出ている。
飲み会はこのアクシデントで中止になると思われた。が、どうしてもやるのが消防団であって、コンパニオンもやってきた。なんと待機させていたらしい。
団員の数名は飲みながら「熱っぽい」と言っていた。さもあろう。ズブ濡れの山中で何時間彷徨ったか。
飲み会は一次会で終わると思われた。が、二次会が詰所で始まり、続いて三次会が年長者の家で開かれた。「熱っぽい」と言っていた団員が最も遅くまで付き合い、最も盛り上がっていた。集落の底力であろう。
ところで阿蘇の三月は野焼きである。週末二回、山に登って野を焼かねばならない。今年は結婚式で一度休んでしまったが、欠席は罰金であり、今も集落の重いイベントとなっている。
野を焼きながら集落の会話が弾んでいた。普段は踏み込めぬ牧野の中にいるものだから景色が素晴らしく良い。右も左も手は休み、とりとめのない会話が弾んでいる。大半の人は暇でやる事がない。段取りが悪いというより、段取りというものがない。焼けたら終了だが、遅々として進まない。余所者は私とKさん二人だけである。Kさんは福岡出身・慶応ボーイであり、一人農業をされながら実りある人生を模索されている。つまり変わった哲学者である。
そのKさんがイライラしている。
「このが空気たまらんですっ! 段取りはどうなってるんですかっ!」
農業は忙しい。天気がいい日は溜まった仕事もあるのだろう。緩い時間をガリガリ引っ掻いておられたが、これに対し、離れた場所で別の会話がある。こちらは緩い空気を楽しんでおられる。
「野焼きの時しか会いませんな」
「次は弁当でも持ってきますか?」
「それにしても良い天気ですな」
「まったくです」
集落のイベントが寂れていく中、野焼きと初寄りは強制力(罰金)を伴う顔合わせのイベントである。田舎といえど人を繋ぐ糸は細くなりつつあるが、辛うじて「集落皆知り合い」を保っているのは、こういうものの恩恵による。
それにしても時間が緩い。私の感覚もKさんに寄っている。ちょっとイライラし始めている。
山の野焼きは午前で終わるが、川の野焼きが午後にある。川の野焼きはここ数年の区役らしい。古くは誰かがやっていたのだろうが、やらず荒れ果て集落でやると決まったのだろう。すぐに終わるという事だったので昼飯食わずに突入したが、延々続き、午後四時に終わった。
集落も高齢化が進んでいる。今までは誰かがやったが、その誰かが老いた。人は減っている。後継ぎはいない。
「だけん、皆でやらにゃしょうがなかとです」
それは理屈で納得できる。が、段取りは必要な気がする。山で手余りの人を川に向ければ午前で終わる。が、「強制力を持った集落の顔合わせ」ができなくなる。どちらが良いか、何とも言えない。
昨日いつもの温泉に行った。普段は午後八時くらいに行くが、子供が春休みで実家(山鹿)に泊まっているため、気分を変えて午後四時に行った。
猛烈に混んでいた。洗い場が四つしかない小さな温泉に八人も爺様がいて、その大半が歩く事に難渋されていた。色々なところに補助を必要とし、その補助を少しだけ若い爺様がやっていた。むろん私も手伝ったが、何とも危ない。景色が危険なため、頭も体も落ちつかない。耳も目も爺様のやり取りに吸い寄せられ続けた。
「すまんのぉ」
「なんの、じきに私も歩む道、助け合いですたい」
「ありがたい」
「ほら、この手に捕まって」
やり取りが何とも言えず美しかった。少しだけ若い爺様が歩けない爺様の体を拭いていた。歩けない爺様は深々と頭を下げ、感謝しておられる。歩けない爺様は一挙一動が辛いのだろう。一つ一つが痛々しい。が、止まってしまえば寝たきりになってしまう。爺様の明日を繋いでいるのは、この温泉と集落の雰囲気ではないか。この温泉でなければ爺様は湯に浸かれないし上がれない。
爺様に囲まれ私がいる。私は黙って湯に浸かり、かすれた声に耳を澄ましている。政治家の話で盛り上がっていた。次の衆議院議員選挙で誰に入れるか、その事である。
「わたしたちゃよかたい。でも次の世代はどぎゃんなるこつかい。あやつが足し算引き算ばしきるかい。足し算引き算ばマトモにしきる政治家がおるなら、あぎゃん借金にゃなっとらん。国債の額ば見てん。わたしゃ恐ろしくて生きとられん。普通の感覚で足し算引き算ばしきらす政治家がおるなら、地元が赤字になろうが一票入れようたい。そぎゃんせにゃ孫は生きられん」
実に考え深い雑談で、何だか嬉しくなった。爺様が先を憂えてくれている。
さて・・・。
集落の雑談を色々書いた。どれもこれも何ともいえぬ余韻があり、文明人が昭和に捨てた何ものかが匂っていた。良いか悪いか何も分からぬ。ただ、私は好きである。好きだからこうして書いた。
南阿蘇に越して一年半を迎えた。そろそろ私の声も集落の声になるかもしれない。
ウグイスの声が響いている。これも集落の声である。
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