第51話 ボリの温情(2009年6月)

だいぶ前の話だが、北九州の黒埼という場所でぼられた事がある。
「ぼる」という言葉を辞書で調べてみると、「法外な代価や賃銭を要求する、不当な利益をむさぼる」とあり、それには該当せぬが、確かにぼられた。ぼられようとした。
ぼられた知人や友人には事欠かない。若い頃、私が勤めていたY電機という会社には、そういう場所を愛して止まない人が多く、例えばKさんという善良な同期がいる。Kさんは美女の隣に座っただけで四万円取られた。
他にもいる。Sさんという遊びの達人がいる。前記のKさんは素人であり火傷で済んだが、Sさんの場合、燃え尽きるまでぼられた。場所は東京池袋であった。
「待ち時間にチョイと遊んでやれ」
Sさん、そう思ったらしい。いかにも玄人の所作であり、お天道様の高いうちから堂々と裏通りへ向かう様は同性として憧れるべき風景である。Sさんは北九州の人である。都会は値が張ると思っていたが、そう高くもなく、拍子抜けして適当な店に入ったらしい。すると提示の三倍取られた。Sさんは怒り狂い、これじゃ上京の思い出に傷が付くと思ったらしい。銀行へ走り、再び大枚を手にし、今度は違う場所に走った。やる事が男である。見事なまでの男っぷりである。そしてSさん、またぼられた。この結果、一ヵ月分の給料がほんの二時間で消えてしまった。Sさんは空を見上げた。雑居ビルの谷間に冷たい風が吹いていた。空が狭かった。Sさん、ただ笑うしかなく、故郷が恋しくなったという。
これら悲しき事例に比べ、私の体験は極めて微妙であるが、一つだけ特徴がある。ぼる集団から温情を受けた。これは極めて稀な事件であろう。
今から数年前、若い私は黒崎駅前で人を待っていた。が、待ち人が来なかった。電話してみると仕事が忙しくて遅れるという。私は極めて暇に弱い。待てないという特異な体質があり、怒ると同時に飲み屋へ走った。黒崎の街というのは駅を中心に放射状に広がっていて、左の方は何となくガラが悪い。今の私はそういう事を身をもって知っているが、当時の私は何も知らず、怒りに任せ適当に歩いた。
「飲み放題二時間三千円」
そう書かれたスナックがあった。看板を見ていると客引きの兄ちゃんが寄ってきた。明朗会計三千円、九時までのタイムサービスだと言う。
北九州の人はスナックをラウンジ・クラブと色々区分けしているが、そういうものが当時の私には分かっておらず、今もあんまり分かっていない。たぶん、その店はクラブと書いてあったように記憶している。女性の数や店の雰囲気でスナック<ラウンジ<クラブとなるはずだが、分かっていないから細かいところを見ていない。看板だけ見、店に入った。今思えばクラブで二時間三千円は如何にも怪しい。「ぼります」と言っているようなもので、その点、正直な経営者であった。
店内は暗かった。調度品が怪しく光っていて、棚に並んだウイスキーが「場違いです」と私に警鐘を鳴らしてくれた。逃げようと思ったが露出度抜群の綺麗な女性が現れ、私の手を握った。フカフカのソファーへ導いてくれた。
店内を見渡した。客がいない。私一人に二人の女性が付いた。さすがに鈍感な私も危険を察知した。が、危険を感じていたのは、ほんの数分だったろう。
焼酎を頼んだが置いてないという事だったので女性に任せた。立派なボトルのウイスキーが出てきた。飲まないので分からぬが高いものだろう。ロイヤルとかスペシャルとか、カタカナの「ル」で終わるものは大抵高い。この時点で私は逃げねばならなかったが、何となく二時間三千円にすがってしまった。若さゆえ信じる力が満ちていた。
「私たちも頂いていいですか?」
女性が問うてきた。飲み放題三千円なので、
「どうぞ遠慮なく飲みなさい」
そう言ったように記憶している。最初はビクビクしていたが、後は慣れぬウイスキーで気が大きくなった。気は大きいが懐には五千円しか入っていない。
「フルーツ盛り合わせでーす♪」
「華やかですなぁー♪」
「もう一杯、頂いていいですかー♪」
「どうぞ飲みなっせー♪」
何も知らぬ若い男は五千円払えば二千円のお釣りがくると信じていた。思いっきり楽しい時間を過ごしてしまった。
「ありがとー、また来るよー♪」
女性二人にそんな事を言いながら計算を待った。三千円ポッキリのはずだが時間がかかっていた。
五分ほど待っただろうか。黒服を着たボーイさんが重々しい茶色の二つ折りを持って現れた。スナックの会計は小さな紙で渡される。が、目の前に置かれたものは皮製の二つ折りであった。何から何まで何かが違っていた。血の気が引いた。開けてビックリ、卒倒しそうになった。
「ご、五万円ですか?」
「何か問題でも?」
店の方では既に私が払えない事を察知し、手を打っていたようであった。女性に目で合図した。女性が下がった。と、同時に奥から黒い服を着た男たちが現れた。薔薇色の楽園が一瞬にして男塾へ早変わりした。お客さんから塾生へ、一直線の大降下であった。
「払えるよな?」
「三千円じゃなかっですか?」
こういうやり取りは完璧にマニュアル化されているらしい。流れるように内訳表を見せられた。三千円は席料であり、店に嘘はないという。残り四万七千円はボトルの代金と氷、それに女性が飲んだ分、更にフルーツ盛り合わせを始めとする食い物であった。食い物を頼んだ覚えはない。なぜ果物嫌いの私が一万円も出してスイカやリンゴを食わねばならないのか。が、それを言っても始まらない。言えば事態は悪化する。打開策を模索したが密室にそういうものは転がっていなかった。とりあえず有り金を見せた。
「有り金を全部払います! それでよかでしょう!」
「幾らあるん?」
「五千円」
爆笑であった。爆笑の後、
「馬鹿にしとんのか!」
男衆、テーブルを叩いた。更に蹴った。まさか、これほど持ってないとは店側も思っていなかったらしい。これだけ遊んで五千円で帰るのは無銭飲食に等しいと誰かが叫んだ。確かにそう思うが持ってないものはしょうがない。
「財布出せ!」
当然そういう流れになり、奥へ連れて行かれた。私の記憶はこの連れて行かれる場面で最も盛り上がっている。映像が今も鮮明である。屈強な二人の男が私の両腕を掴んだ。私は浮いた。FBIに捕まった宇宙人と瓜二つであった。足が地から離れ、パタパタ揺れ動いた。駄々っ子は見事に担がれ拉致された。
男衆は私の財布を細かくチェックすると、様々な罵詈雑言を浴びせてきた。
「カードは持っとらんのか?」
「五千円でこういうところに入るか、普通?」
「ボトル一本空けたろう! 居酒屋でも五千円じゃ飲めんぞ! ふざけんな!」
北九州はキサマの事を「キサン」と言う。「キサン、キサン」言われ続け、ポケット、靴下、色々なところを調べられ、怒涛の如く軽い平手と罵声を浴びた。が、当の私は柳に風、事実として持ってないから払い様がない。沈黙を守った。ただし暴力を恐れた。それが始まったら多勢に無勢、逃げ場がない。死ぬだろう。
財布に肥後銀行のカードが入っていた。「おろして来い」と言われることも恐れたが、ぼるという行為は店の中で完結しなければならないものらしい。店を出てしまっては警察に逃げ込む可能性がある。ぼった後、客が警察を交え、文句を言ってきたととしても対応するマニュアルがあるが、後から取り立てるマニュアルはないらしく、男衆は今の私から最大限のモノを吸い上げようと頑張った。
「皿洗いじゃ駄目ですか?」
「キサン、黙っとれ!」
男衆は私の提案を蹴り飛ばすほど怒っていたが、だんだん疲れてきたらしい。そして諦めた。有り金の全て五千円と小銭を取る事で終わろうとした。が、なんと、若い私は食い下がった。
「小銭だけは勘弁して下さい。これがないと家に帰られんとです。」
嘆願したところ、小銭を取られなかったばかりでなく千円くれた。私の熊本弁を聞き、熊本に帰ると思ったらしく、思いがけず、ボリの温情を受けてしまった。
リーダーらしき人が財布を返してくれた。
「消えろ」
その言葉を聞いた瞬間、私は泣きたいほどに安堵した。と、同時に要らん事を言ってしまった。
「ありがとうございました、勉強になりました」
半ば反射であったが、無意識無想の一言は場を慰めたらしい。リーダーと思える男がニヤリと笑い、良い一言をくれた。
「世間を知らん奴が一番いかん」
あれから十年経っている。今と昔を照らし合わせ、我が身の違いを考えた。が、大して変わっていなかった。今も昔も世間の勉強が足りていない。
月夜の晩、ぼられた夜を思い出し、家族総出で蛍を追った。ネオンに酔った思い出を蛍で紛らわすのは不謹慎であるが、幾らか紛れた。
川に添う田舎のネオンが消えてゆく。ネオンが消えれば梅雨である。
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