第68話 十年〜古都大津〜(2011年2月)

私は電車に揺られていた。1リットルのポカリで口を潤し、緊急事態に備えドア脇に立っていた。二日酔いは昼を過ぎても抜けず、視界に広がる靄は依然消えなかった。出すものは全て出したつもりであるが、毛穴からアルコールが噴き出しているらしく、周りに人がいなかった。嫁は遠くに座っていた。結婚十年という節目の旅行も何のその、完全に他人となって昼寝中であった。
電車は大阪から滋賀県大津市へ向かっていた。大阪から動きたくなかったが、この日は大津に宿をとっており、無理を押しての大阪脱出であった。
「大津」
この街は言わずと知れた滋賀県の県庁所在地であるが、古くは都になった事もある。と、いっても気持ち奈良から出ただけで、平安京のような本格的引越しではなく、衝動的な家出に等しい。
天智天皇の時代、新羅と唐の連合軍が百済に攻め入り、日本も百済側で参戦した。これを「白村江の戦い」というが、日本はコテンパンに負けた。逃げ帰った日本人と逃げてきた百済人は新羅と唐の軍勢がそのまま攻め込んでくると思い、九州・山口に山城や水城を構築、防人を大量投入して防衛線を張った。この流れで都を大津へ逃がした。日本という国が外敵に最も震えた数年である。が、人は震えてばかりいられない。数年経ち、徐々に恐怖があせてくると、
「あれ? 敵さん攻めて来んね?」
正気に返った。
そういう感じで都も避難場所・大津から元の場所へ戻したように思われる。むろん壬申の乱という身内のゴタゴタもお戻りの理由だが、何と言っても遷都というより避難に近かった事が大津京短命の理由であろう。
ちなみに白村江の影響が最も大きかったのは九州地方だと勝手に思っている。防衛線の中心は百済から逃げてきた人だと思われるが、彼らは唐の軍勢が攻めてこないのを見定めた後、山城を出、どこかでムラを造ったに違いない。地元に帰りたくない、もしくは帰れない防人もいただろう。つまり広い範囲の人間が九州でゴッチャになった。基本的に移動を嫌う古代民衆が百済人も交えゴッチャになるというのは日本にとって極めて貴重な瞬間ではなかったか。それは山城(鞠智城)周辺で育った私のルーツかもしれず、百済だけにくだらない想像が広がった。
ところで嫁は大津という街を知らなかった。
「おおつ? おおづ? どこ?」
唖然としたが、嫁は滋賀県というものを全体的に知らなかった。草津、長浜、彦根、米原、色々言ってもピンと来ず、琵琶湖と比叡山だけは辛うじて知っていた。今まで知る必要がなかったという。しかし大津駅で降りた嫁は大津という街を気に入ったらしい。
「落ちつくー!」
そう叫んだ。
私も同様だが、大阪駅から大津駅に移動すると人口密度が雲泥の差であり、思いっきり息を吸う事ができた。やはり人間はある程度の空間がなければ息すら窮屈になるようで、琵琶湖の風は大阪とは異質であった。
泊まる場所は琵琶湖畔にとっていた。大津駅から歩いて30分ほどかかるようだが、この雰囲気なら歩けそうで、二人ぼちぼち歩いた。嫁は真っ直ぐホテルを目指した。が、私はどうもいけない。裏路地、裏路地を歩く癖があり、少しだけ逸れた。逸れて分かったがこの街は型が古い。二日酔いだが血がたぎってきた。好きなタイプの街であった。ホテルに荷物を置き、中心部らしきアーケードへ走った。嫁は街に興味ないが、街を構成する小さな店に興味がある。私の後ろを付いてきた。
「ちょっと待って!」
嫁が私を止め、何かを買い求めた。コロッケであった。何と20円のコロッケらしい。冷凍で売ってる20円のコロッケ5個を買い求め、店頭で揚げてもらった。合計100円では人件費にもならんだろう。他に何か買ってあげればいいのだが嫁は気にしなかった。
嫁は散策に金を使わなかった。しかし立ち止まり続けた。
「ちょっと待って!」
アーケードには閑古鳥が鳴いている。嫁の声だけが木霊し、止まった嫁は片っ端から試食を続けた。嫁にとって大津という街は巨大なデパ地下であり、「待って」の号令を受けるたび、私は嫁と距離をとった。とらざるを得なかった。恥ずかしかった。旅の恥はかき捨てだが、嫁の日常に同調するつもりはなかった。
「福ちゃーん、お酒のつまみに合いそうだよー、これ食べなよー」
漬物屋の前で嫁が叫んだ。店員も出てきた。ここで私が試食を食べたとする。店員はその商品を推すだろう。しかし嫁は買わない。買う気もない。目的はあくまで試食である。
「買った方がいいんじゃ?」
私は嫁に提案するだろう。
「何言ってんの?」
真顔で返され、黙ってしまうのがオチであった。
私は小さい。何と小さく弱いのだろう。嫁は閑古鳥の大道で、民衆の差し出す試食を片っ端から食べまくり大手を振って歩いている。民衆にはビタ一文落とさない。落としたとしても赤字覚悟の呼び込み商品のみを買い、
「いい街ね」
高い位置で微笑んでいる。私にはできない。私は道端の地蔵と見つめ合いジャリ銭を置く。そして古い蔵に挟まれ大興奮。細路地をジャリ銭投げて突っ走る。大道に出てしまうと端に寄る。むろん試食には手を出さず、コソコソ歩く。
私は根っからの庶民だったに違いない。嫁には殿様の血が混じっているのではなかろうか。嫁の大きな背中を見ながら十年目の夫は肩を落とさずにはいられなかった。
アーケードを離れた。裏路地の脇に小さな饅頭屋があった。歴史ある饅頭屋らしく、墨書された屋号が霞んでいた。ショーケースに饅頭が並び、その先には腰の曲がったおばあさんがいた。如何にも絵になる光景で私はその雰囲気に吸い寄せられた。嫁も吸い寄せられた。むろん嫁は饅頭が目的である。が、ここで試食と言われちゃかなわない。先手を打って饅頭を買い与えた。安くて美味かった。
いい時間が過ぎていた。私と嫁はコロッケや饅頭を食いながら、ふらりふらりと歩いた。映える街並み、美味いもの、ゆるり流れる時間、何となくステキな旅に思えた。
街中を路面電車が走っていた。その先に夕日が見えた。この辺りを浜大津というらしい。「津」とは港の事であり、「大津」とは大きな港という意味である。かつて、この津を拠点に琵琶湖、瀬田川、宇治川、淀川と物流の大動脈があった。しかしアスファルトの道に取って代わられた。水の道は全国的に火が消えて久しい。水の都、また然り。大津は歴史と行政のみを残し、寂れつつあった。
琵琶湖畔に出た。豪華客船が係留されていた。その脇に巨大なショッピングモールもあった。どの街もそうだが再起を巨大資本に賭け、大きな光を呼んでしまうと小さな光は急速に萎んでしまう。むろん賭けに転じた以上、失敗は考えない。しかし巨大資本が何かに敗れ、立ち去ったらどうするのか。街は小さな光もないゴーストタウンになってしまう。「それでもいい」というのがアメリカの資本主義的発想だが、日本は国土が狭い。歴史も長い。どう考えても合わんように思え、循環の可能性が見えてこない。が、アメリカ的消費活動は日本という国に馴染んでしまった。こうなった以上、民主主義は多数決ゆえ行くところまで行くだろう。どこかの文明みたいに忽然と消えるのが定めなのかもしれない。
さて、琵琶湖畔は遊歩道が整備されていた。夕暮れ時という事もあり、カップルに最高のシチュエーションであるが、結婚十年目には無意味であった。しかし何か造ると更に借金したくなるのが観光行政であり、夕日が落ちると色鮮やかな噴水ショーが始まるらしい。華々しい。実に華々しく、付き合いたてのカップルにはたまらないだろう。しかし十年の賜物として饅頭屋を支持する私には何とも悲しい光であった。
日が落ちた。友人に電話を入れると既に新幹線に乗ったという。前話で書いたが、この日は叡山へゆく予定だった。が、体調不良で明日に延ばした。一緒に登るはずだった友人も私と同じ体調不良で、夜にホテル集合という事で申し合わせた。
互いに酒が呑める状況ではなかった。しかし日暮れというのは不思議なもので、何やら力が湧き出てきた。
「少しやるか?」
「やりますか」
そういう雰囲気になってきた。
友人は中川太陽という。高専時代の友人で15年以上の付き合いになる。今は愛知県豊橋市に住んでおり、独身生活を謳歌している。
「胃が痛くて何も食えん」
彼はそう言っていた。嫁も、
「食べ過ぎて食えそうにない」
そう言っていた。しかし二人は普通に中華料理を食った。更に締めとして普通の量の坦々麺を追加した。おまけに帰り際、ロッテリアでチキンを買い、ローソンでおでんも買った。二人は痩せている。大して運動もしない。脳味噌も自称あんまり使わない。どこでカロリーを消費しているのか不思議であった。
ホテルに戻った。嫁はベットに座った瞬間寝た。私と太陽はチビチビやりながら無駄話を続けた。太陽は口癖として「もう食えん」そう言い続けた。言い続けながら目の前にあるものを全て食い尽くした。残っていた饅頭もビール片手に食べ尽くした。
そうそう、うちの娘たちは太陽のマネが得意である。「もう食えん」と言って菓子を犬食いするという芸だが、さすがは子供、見事な観察眼であり、それだけ太陽の食いっぷりが強烈とも言える。動物的であった。
太陽は熱く語る。しかし見詰められると目が泳ぐ。色んな事に自信がないらしい。たった今「好きだ」と言っていたモノを次の瞬間「嫌い」と言い、それを指摘すると必ず笑い飛ばした。
「俺のポリシーは適当〜!」
太陽が笑ってそう言った瞬間、隣で寝ている嫁とダブった。
「私は何も考えない、適当だもん」
嫁も胸を張ってそう言った。二人の凄さは一切の言霊を否定しているところにある。
「口から飛び出す言葉と私には何の関係もない、適当ですから」
二人の宣言に変な汗が出た。二人はどういう手法を用い社会的信用を得ているのか。信用なくとも社会というものはやり過ごせるのか。
「明日の比叡山は丸一日かかるぞ、ちゃんと調べて準備したや?」
太陽が私に投げかけてきた。
「うそ? 地図で見たら2時間くらいで登れそうだったぞ!」
「へぇ、そんなもんや」
「お前、調べたんだろ?」
「調べとらん、適当に言った」
唖然とする私を置いて太陽は最後の饅頭を食った。
「もう食えん、ビールに甘いものは合わん」
「お前、饅頭食いよるぞ」
「なんば言いよっと! ビールと饅頭は合うとぞ! ブランデーとチョコレートの例がある!」
「は?」
「俺、辛いの苦手、ばってん辛いの好き」
「・・・」
よく分からない。言葉のみを拾えば、この二人は理解できない。異国の人と話すつもりで雰囲気から理解する必要があった。
二人は両親共に末っ子で本人も末っ子という「末っ子サラブレッド」である。私は長男だが、この二人とダブるところがないと思っている。末っ子、そして長男、そういうものがタイプとして分けられるのか、よく分からない。分かっているのは長男の私が末っ子二人に本気で困り、そして興味を持ち、なぜか本気で楽しんでいる。だからそういうカタチで縁を成し今に至っている。
(長男の嗜好か、単なる偶然か、いずれにしても不思議だ・・・)
太陽が部屋に戻った後、嫁が飛び起きた。何をするかと思ったら饅頭を探した。お探しの饅頭は太陽が食い尽くしてしまった。嫁は無言で布団に戻り、何事もなく眠りについた。
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