第104話 老若男女髪雑記(2015年1月)

幼少より我慢できない笑いがある。ハゲである。
「ハゲデアル」と書いた時点で喉元まで熱い何かが込み上げてくる。活字の時点でイエローカード。声に出したらレッドカード。隠そうものなら即終了。ハゲは反則極まりない。
私のハゲ初見は祖父であった。本田宗一郎そっくりで二十代からハゲていたらしい。祖父は技術屋で、その取り巻きも技術屋、みんな揃ってハゲていた。技術屋はハゲ、プラモ屋の実父だけがハゲておらず、ハゲこそ技術屋の象徴だと勘違いしていた。
勘違いだと気付いたのはブン殴られた経験による。ハゲを露骨な作りもので覆い隠そうとする先生がいて、それを指摘したらブン殴られた。私は咄嗟に作りものを掴んだ。私と一緒に作りものが吹っ飛んだ。顔を上げると先生の鼻息が荒かった。文系の先生が技術屋になっていた。長い沈黙があった。次いで爆笑の渦が訪れた。死ぬほど笑った。死ぬほどブン殴られた。
低学年の記憶ゆえ色んな事がうろ覚えだけれど、兎にも角にも可笑しかった。以来、色んなシチュエーションで死ぬほど笑わせてもらった。権威、隠蔽、ハゲ、マジメ、四つの内の三つが揃うと爆発的におもしろい事を知った。四つが揃うと呼吸困難に陥る事も知った。逆に堂々としたハゲがハゲを武器に立ち上がると最強戦士になる事も知った。
ある偉人の言を引く。
「ジロジロ見るな!抜け落ちたコレは頭を酷使した証拠!天より授かりこの頭脳、春の芽生えを終えたなら、夏の日差しで大きく育ち、秋は刈り入れ、きっと御役に立て申す、冬は枯れ野となりまして後は天寿を待つばかり!見よ、夕日を浴びて真っ赤に染まったこの大地!これを男の、いや人間の誇りと言わずして、さぁ何を誇ろう?」
「なんと凄まじいニッポンの言葉!」
欲しい。僕も頂に煌々と輝く男の大地が欲しい。が、望めば逃げるのが万物の理であって、私の毛は太く、そして密で、未だ減る事がなかった。
試しに伸ばしてみた。伸ばしてガッカリ、真っ直ぐ横へ伸び、サリーちゃんのパパっぽい尖った男が出来上がった。全然おもしろくなかった。
身内と技術屋の話を更に続けたい。
祖父は六十で亡くなった。その後を継いだ伯父も同じ歳で亡くなった。伯父も若ハゲであった。堂々とハゲていて常に光っていた。通夜の晩、伯父の顔をジッと見ていたら波平、もしくは奇跡の一本松の如き凛とした一本を発見した。私はその毛を抜いた。技術屋の御守りにしようと思った。が、従姉妹に叱られた。伯父は密かにハゲを気にしていたらしい。私にハゲの美を語りつつ、その一方で草原の復活を祈っていたらしい。従姉妹曰く、起床の度に育毛剤を塗布し念入りに頭皮を刺激、次いで物悲しげに鏡を見つめていたという。
「毛髪とは何か?」
結局のところよく分からぬ。分からぬけれど、ここ最近、毛髪に関する出来事が多く、毛髪で他人の人生を垣間見る機会が多かった。
思いつくまま書いているが、更に思いつくまま雑に書きたい。
先日うちの三姉妹が髪を切った。私は泥酔中という事もあって一人車に待機、娘たちの帰りを静かに待った。
髪を切るという行為は男にとって日常の一コマに過ぎない。が、女にとってはお祭みたいなものらしい。切らない嫁もハイテンションでギャーギャー叫び、四人揃って大興奮。何が楽しいのだろう。よく分からぬが、この疎外感はハンパない。
嫁と娘が戻ってきた。それから先もカーニバルに次ぐカーニバル。自宅に着いても乱痴気騒ぎ。切り過ぎたとか、もうちょっとこうしたかったとか、こうすれば良かったとか、次の日も、また次の日も盛り上がった。
「毛髪とは何か?」
分からない。
老若男女、色んな人を思い出し、まずは自分を分析した。
「毛髪への関心が薄い、それは異常じゃないか?」
「人間は本来毛髪に敏感、それが普通で、やはり自分は異常?」
自問自答を繰り返し、私がバカだと思うようになった。言い換えれば、なぜこれほどまでにハゲがストライクなのか、それは毛髪に対する人間の執着を私が先天的に持ち合わせておらず、ゆえ、未知の世界を楽しむ感覚で常に新鮮な笑いを得てしまうのではないか。
良くない。それは良くない。分かっている。当たり前を笑っちゃいけない。それは混乱や障害の元凶。相手の気持ちをむりやり察し、適当な言葉で受け流す必要がある。が、「おもしろい」という腹の底から湧きあがる衝動を私自身止めようがない。止められない。
カーニバルの娘たちがキラキラ光って聞いてきた。
「どう?切り過ぎ?ねえ?何か言って?ねえ?ねえ?」
「森昌子?」
「ふん!嫌い!」
分かってる。そういうのがいけない。でもダメ。受け流せない。
「チョーかわいー!キャー!」
「ホントかわいー!キャー!」って、一緒にバタバタできない。だって毛髪、毛髪ですよアナタ。毛の話題でどんだけ盛り上がれと言うのか。その代わり、一喜一憂、毛髪ごときに揺れる心は見てみたい。
「こういう感じにセットしたら可愛いかな?」
「どんぐりみたい、それパカッと外れる?」
「キー!おっとーに聞いた私がバカだった!キー!」
女たちは「切り過ぎ?」「大丈夫?」「ま、いいか」これらをベースに不毛な時間を延々費やし、三日目にしてようやく飽きた。
「毛髪とは何か?」
正月の実父もおもしろかった。
娘の運動会や発表会を一枚のDVDにまとめ正月の宴席で流した。孫の映像は楽しいらしい。実父も実母も身を乗り出し、食い入るように見た。が、自分の映像を見た瞬間、二人は目をそむけ、目を細め、深い溜息をついた。
「薄くなったなぁ」
孫の映像は流れ続けていた。が、不意に自分を見てしまった。見てしまった以上、孫の映像は眩しくて見てられなくなった。二人は薄くなった事を何度も何度も嘆いた。特に実父の落胆は激しく、自分の鳥瞰映像に心奪われてしまった。斜め上からの映像は実父の知らない世界であった。
屋外の撮影だった事も激しく実父を傷付けた。日光は蛍光灯より強かった。細い黒を意に介さず頭皮の白を際立たせた。いつも見ている自分は日陰の洗面所。白日のそれとは大違い。鏡で見るより数段薄い映像は筆舌に尽くしがたい衝撃映像であった。
実父の口数は極端に減り、明らかに落ち込んだ。
「老けたなぁ」
毛髪に人生を照らし、抜けゆくそれに先の時間を想う。毛髪とはそれほどまでに人間をかき立てるものだろうか。分からん。色んな場面を知れば知るほど毛髪が分からなくなってきた。
「毛髪とは何か?」
明るいシチュエーションも書きたい。
前段に書いたようにハゲで戦う人もいた。このタイプはハゲ絡みの何かを見付けると水を得た魚のように最前列へ飛び出した。私はこういうタイプが心底うらやましい。
呑み会で会ったその人は帽子でハゲを隠していた。ここぞという時、帽子を取った。
「甘いキミにハーゲンダッツ」
ペロンと出した。爆発的に盛り上がった。どんな会話もハゲには勝てぬ。ズルい。ズル過ぎる。核弾頭の如き破壊力。
彼は名刺もズルかった。肩書きのところに「ハゲ」と書いてあり、余白のところに「ハゲしく愛して、ハゲまして」そう書いてあった。これじゃ忘れるはずがない。それどころかハゲを見るたび彼を思い出し、電話するかもしれない。
「うらやましー!」
嫉妬、及び羨望はハゲに向けるべき感情であり、私はフサフサを呪った。
最後に古い話を一つ。
社会人一年目(21)、羽田から熊本へ帰省の航路、隣に凄い人がいた。今は亡きパンチョ伊藤であった。むろん頭部はあの感じ、見た瞬間これは無理だと思った。
(見るな!笑うな!我慢だ!我慢!)
羽田から熊本まで一時間半、絶対に笑わない事を誓い、目線も窓に釘付け、隣を見ないよう努めた。が、一度だけ反射で見てしまった。パンチョがクシャミをした。パンチョの横顔が揺れた。黒い塊が固まったまま浮いた。そして同じ位置に戻った。
「無理ー!」
私は死ぬほど笑った。呼吸困難に陥った。咳してるフリで誤魔化そうと努めた。が、パンチョが優しく覗き込んできた。
「キミ大丈夫?」
あの甲高い声とズレた頭部が下からやってきた。もうどうにも止まらなかった。
「ダイジョウブヒヒヒヒヒヒ!ヒー!」
無理なものは無理、見るなと言われても見ちゃう、人間「おもしろい」には逆らえない、それが唯一無二の真実。
「毛髪とは何か?」
私は今日もその答えを探している。権威、隠蔽、ハゲ、マジメ。自分自身の笑いどころは心得ていて、特にマジメを語るハゲは見逃せない。
新年早々こういう話で申し訳ない。
ハゲが好きだ。本当に好きで、もうどうにも止まらない。
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