第105話 ばあちゃんにあげたい(2015年2月)

御歳91になる祖母がいる。嫁の祖父母も私の祖父母もポツポツ逝って、この祖母が最後の要になってしまった。
以下、全力の親しみを込め「ばあちゃん」と呼ぶ。
年に数回ばあちゃんを見舞う。ばあちゃんは柿が好きで三食柿でもいいと言う。
仕事の繋がりで柿農家の友達(大先輩)ができた事もあって、年に数回規格外の柿をコンテナで貰い、その足でばあちゃんちへ行く。
縁側にばあちゃんを呼び出し、コンテナをぶちまけ一面柿色に染める。すると、
「はぁぁぁぁぁ!」
言葉にならぬ吐息と共に、キラキラキラキラ喜んでくれる。その時のばあちゃんの顔と言ったら思い出すだけで幸せが止まらない。ばあちゃんを光源とし、周囲数キロ輝くようで泣けるほど眩しい。私はそのキラキラがたまらなく好きで、柿を貰うたび、真っ先にばあちゃんちへゆく。
ばあちゃんの同居人である伯母は行くたびに「要らん」と言う。柿が好きじゃないらしく、たくさん貰っても配り歩くのが大変で、大半はグチュグチュになって食べ物じゃなく飲み物になるらしい。
申し訳ない。でも、それはこちらも分かっていて、分かってるけどあげたい。むろん他も探している。探してはいるけれど、この愛すべきばあちゃんに柿以外の何をあげればいいのか。何をあげればコンテナ柿同様キラキラがもらえるのか。
むろん何度も聞いた。
「ばあちゃん、なんが欲しいとね?」
「なんもいらん」
ばあちゃんはそれしか言わず、旅行へ連れて行こうにも足が悪く出歩く事が苦痛だそう。
分からん。分からんゆえにバカのいっちょおぼえで伯母を押し退け大量の柿を運んでいる。そして「はぁぁぁぁぁ!」というばあちゃんのキラキラを見、大満足で帰ってしまう。
ばあちゃんにあげたい。ばあちゃんは孫一同に与え続け、その孫は全員三十を越えた。越えて尚ばあちゃんは与えようとしている。
「ひもじゅうなか?」(空腹じゃないかと聞いている)
「小遣い銭は持っとるかい?」
要らんと言うのに悪い足を引きずって流しへ行き、肴をこしらえ、酒を呑ませようとする。帰り際には仏壇脇からガマグチを引っ張り出し小遣い銭までやろうとする。
「ばあちゃん俺いくつと思いよると?いらんばい!やめて!」

その日、柿農家さん宅で呑み会があり、真空パックで個包装された冷蔵柿をコンテナ一つ頂いた。最近の保存技術は大したもので、秋に収穫したそれを個包装し、0から-5度の冷暗所で保管すると春先まで出荷できると言う。むろん余計な手間や電気代がかかるので冷蔵柿は高い。
呑みながら、
「冷蔵柿を安く譲って欲しい」
農家さんにお願いした。すると農家さん、グイと呑み干し立ち上がり、
「呑み友から金は取れん」
赤い顔してそう言うと、
「またばあさんに持って行く気?」
ばあちゃんの柿好きを話していた事もあって瞬時に見透かされてしまった。
私は大きく頷いた。農家さんは酔った足で冷暗所へ向かうと柿を引っ張り出し、
「持ってけ!」
車に積んで席に戻った。有無を言わさぬ優しさが酔った男によく沁みた。酒の席で得た男気は同じく酒の席で返したい。私は深く一礼した。男気は男気でしか返せない。呑み友の約束であった。
何はともあれ今度の柿もきっと美味いに違いない。ばあちゃんも喜んでくれるだろう。すぐさま電話をかけ持って行く事を伝えた。が、最近のばあちゃんは耳が遠く「うんうん」言ってはいたけれど電話の内容を理解できなかったらしい。柿という単語は捉えたけれど、まさか真冬に柿が来るとは思わなかったそう。行ったら鍵が閉まっていた。ばあちゃんは寝る寸前であった。
「なんごとかい?」
「電話したでしょうが」
「あの電話は来るって言いよったと?」
「分からんのにウンて言うたらいかんたい」
珍しく玄関から上がった。秋口の大量搬入ならば縁側へバッと広げるが、今回は配分の問題で小箱一つしか持って行けなかった。ギューギューに詰めた冷蔵柿の詰め合わせをばあちゃんに差し出した。
「こりゃ柿かい?こぎゃん時期に食べらるっと?」
眠そうだったばあちゃんの目がキラキラキラキラ輝き始めた。
「はぁぁぁぁぁ!」
ばあちゃんは期待以上に喜んでくれた。急ぎ足で肥後守(小刀)を取り出すと、アッという間にそれを剥き、半分ぐらいをペロリと食べた。
「こらぁ甘か!太か!朝晩半分ずつ食べて丁度よか!」
そう言うと数を数え「一ヶ月ぐらいは食べらるる」そう言って「幸せ、幸せ」柿をなでた。
何とありがたいばあちゃんだろう。ばあちゃんは常に期待を裏切らない。孫のツボを知っていて大仰に喜んでくれ、もしかしたら満腹だったかもしれないのに夢中で食べてくれた。
何でもいい。目の前にいるばあちゃんの優しさがたまらなかった。熱くなった。カーッとなってばあちゃんをジッと眺めてしまった。
この日は伯母がいなかった。柿を見るたび開口一番「要らん」と言う伯母の話で盛り上がり、次いで年季の話になった。剥くスピードが鬼のように速いのは年季が違うそう。昭和前期、甘いものに飢えていた時代、柿はスイーツのトップスター。半世紀経った今でも乙女の反射が残っていて、柿を見た瞬間興奮してしまうらしい。
「柿だけは見らんちゃ剥くる、これは年季だけん」
ばあちゃんは冷えたビールを出してくれた。ばあちゃんの晩酌用ではなく「孫がいつ来てもいいように買ってある」らしく、何ともありがたい話であった。が、車で来てしまった。呑むに呑めない、その事を伝えると、
「そぎゃんな、じゃあビールは持って帰れ、ほらこれも、それも持って帰れ」
ばあちゃんはとにかく孫にあげたかった。凍ったカズノコとか、その辺に転がっていたお菓子とか、土産で貰ったナツメとか、色んなものをビニール袋に詰め込むと私に手渡した。
「いらんよ!もう帰るけん!いらんよばあちゃん!」
ばあちゃんは譲らなかった。
「孫ば手ぶらで帰すとがどこにおるかい?」
そう言って悪い足を引きずり、仏壇横からガマグチを取り出し、小遣い銭までやろうとした。
「こぎゃん事されたらばあちゃんちに来られんごつなるでしょうが!」
私は返した。渡された小遣い銭を額面も見ずに突き返した。当たり前田のクラッカー。この孫はもうやがて38になる。ばあちゃんに与えても与えられる道理はない。貰うのはばあちゃんのキラキラで十分。この日もそれを欲し、ワンパターンで柿を運び、ばあちゃんの対面に座り、ゆるり昔話を聞いた。それ以上は何も要らない。
ばあちゃんと孫は二人っきりで「貰え」「貰わん」「貰え」「貰わん」帰り際の応酬を続けた。次第にばあちゃんは無言になった。孫はこれで帰れると思った。
「じゃ、ばあちゃん、体には気を付けにゃんよ、帰るばい」
すると、ばあちゃんが泣き出した。
「頼むけん」
詰まった声で孫の手を握り「後生」と言った。
「頼むけん貰って、貰って下さい、貰って下さい、後生、後生だけん」
ばあちゃんの皺々の手が孫の両手に添えられ数枚の紙幣が強い力で渡された。ばあちゃんの強い目は片時も孫から離れなかった。
「貰わにゃいかん!断っちゃいかん!ばあちゃんと孫でしょうが!」
耐えられなかった。大きな体の孫は下っ腹に力を入れグッと我慢をするけれど、一度切れたが最後、もうどうにも止まらず昔みたいに肩を揺すって泣き出した。
「ほんと要らん、要らんよばあちゃん、もうすぐ38ばい、貰ってばかりでなーん返しとらんとこれ、この柿だって貰いもんばい、ばあちゃんに何ば返せばよか、分からん」
「なーん返さんちゃよか、後生だけん、黙って貰うとよか」
「じゃあ、この小遣い銭はばあちゃんに使うけん欲しいとば言うてよ」
「なーんもなか、ほんなこてなか、たまにこぎゃんして遊びに来てくるっとよか、ばあちゃんより長生きして、こぎゃんふうに柿ば、そう、今が一番幸せたい」
「うっ、ううっ」
「ありがと、ほんなこてありがと、はよ帰れ、さ、はよ、はよ帰れ」
ばあちゃんにあげたい。ばあちゃんもあげたい。
二人で泣いた不思議な夜。思い出してはまた泣いた。
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