第109話 消化試合の鬼(2015年7月)

ソフトテニスで中学生のコーチをしている。
その日は中体連の県大会。空き時間があったので、何か面白いものはないかと、フラフラフラフラ歩いていると聞き捨てならぬ日本語が聞こえてきた。
「頼んだぞ!消化試合の鬼!」
少年たちは泣いていた。送り出す二人に頭を下げて祈ってた。
よく分からん。分からんけれど感動の匂いがした。一部、保護者も祈ってた。
「頼む!せめて一勝!」
私は保護者に紛れ、応援席の集団中央に座った。座ってその試合を眺めつつ、耳と心を保護者と学生に向けた。
(なるほど!やっぱりそうか!)
それは感動の名場面であった。
テニスの団体戦は3試合戦う。2勝した方の勝ちで、1戦目と2戦目が連勝、もしくは連敗した場合、3試合目は消化試合となる。
泣きながら送り出されたそのペアは連敗後の3戦目で既にチームの負けが決まっていた。彼らは予選を勝ち抜き地区の代表として県大会に出た。それなのに1勝どころから1ゲームも取れてないらしい。
「頼む!お前たちだけでも勝ってくれ!」
送りの涙はそういう涙だそう。
このペアの持つ歴史も面白かった。1勝1敗でやらせると必ず負けると言う。その代わり2勝や2敗で回ってくると必ず勝つらしい。で、付いたあだ名が消化試合の鬼だそう。
「こりゃ見応えじゅうぶん」
腰を据え、じっくり見た。試合前の練習を見る限り圧倒的に向こうの方が強いけれど消化試合の鬼ゆえに何が起こるか分からない。
「お前たちならやれる!絶対勝てー!」
叫ぶ保護者に乗っかって私も気合を入れて応援した。が、負けた。ぜんぜん歯が立たず、完璧に負けた。
消化試合の鬼は泣きながらベンチに戻ってきた。しゃくりあげながら皆に謝った。何を言っているのかよく分からなかったけれど、途切れ途切れに聞えてくる少年の真っ直ぐな日本語が保護者と私を震わせた。
彼はこの試合を消化試合じゃないと言った。最後の、ホントに最後の大事な試合と言った。
「みんな、ごめん、終われん、こんなんじゃ終われんばい」
そう、中体連の敗退は三年生にとって部活の終わりを意味する。チームの負けは決まったけれど、このゲームが終わるまで中学生活の大半を注いできた部活動は終わらない。それが分かっているから全員身を乗り出し本気で応援した。そして常ならぬ声援を受け、消化試合の鬼は猛烈に緊張・発奮した。が、届かなかった。鬼は四つん這いで泣いた。
「消化試合じゃないっ!この試合は消化試合じゃないっ!」
少年たちは泣いた。保護者も泣いた。私も泣いた。一番泣いた。
隣の奥様がタオルを貸してくれた。
「すいません!ありがとう!いい試合でした!」
ずぶ濡れの私に奥様が言った。
「あんた誰?」
私は窮した。夢から覚めた。
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