第114話 島原城下四つの靴(2016年2月)

次女が「船に乗りたい」と言った。2月10日の朝だった。
父は考えた。久しく旅に出ていない。そろそろ子供たちに旅の醍醐味を教えてもいい頃だろう。が、歩くと言うたら付いて来ないに違いない。「父の歩くは危険」それは嫁子の口癖で、何度か一緒に歩いたら全力で逃げるようになった。楽しいところだけを見せ、歩くという表現を極力避け、散策と言わねばならぬ。
次女は更にこう言った。
「泊まりで行きたい!温泉にも入りたい!」
これで勢いをつけようと思った。
「よし!父の全力を見せよう!」
ネットで子供が好きそうな高級旅館のページを探し、いいところだけ見せた。豪華朝食バイキング、オーシャンビューの洋室、広い温泉、子供向けのイベント多数。
「すっごーい!」
「ここに泊まるか?」
「え!ここ?いつ?今日?泊まる!絶対行くー!」
「よし!次の日は街中を散策するか?」
「散策するー!遊ぶー!」
即決で決まった。次女も三女も大喜び。長女は地元のイケメンを見学するツアーがあるとの事で行かんと言った。長女は中学二年生。親といるよりイケメンの尻を追っかけ、友達とキャーキャー言う方が楽しい年頃らしい。
ちなみに、このやり取りは平日の朝。次女と三女は浮かれポンチで小学校へ行った。学校は15時過ぎに終わるそう。明日は建国記念日でお休み。子供たちが帰り次第、熊本港へ直行し、島原へ渡る段取りとした。
そうと決まれば父は旅の準備に忙しかった。嫁と相談し、旅館に予約を入れた。娘たちには高級旅館の高級なところばかり見せたが貧乏カラクリ研究所にそんな予算あるはずない。並の旅館の平日激安パックを予約した。それから1/25000の地図と、島原城下の縄張り図を用意し、歩行ルートの検討に入った。
父はいつ死ぬか分からない。父の愉楽を言葉じゃなく行動で伝えておく必要があった。旅は観光とは違う。普遍的な感動を求め与えられるのではなく、街をつぶさに歩き、文化的感動を探すのだ。
今回は半日散策ゆえ歩きたいけど歩けない。二里三里が関の山だろう。本当なら家族で島原半島を一周したいけど、それは三日以上かかる。後のお楽しみとした。
過去にはリュックを背負って熊本城から江戸城まで歩いた。自転車で日本縦断もやった。初めての旅は、そう17歳。ふと思い付き、自転車で大阪へ行った。阪神淡路大震災の直後で、高速の橋桁が軒並みぶっ倒れている横を自転車で走った。
嫁は今更無理だけど、三人娘の一人ぐらい旅人にならないか。
「ねぇおっとう、歩いて北海道行かない?」
不意に言われたらたぶん行く。貧乏カラクリ研究所は半年休んだって誰も困らない。
自由な旅人を父は靴と呼ぶ。靴は浮世を離れた旅人。クツは旅人の足音。
四つの靴は思い付きで一泊二日の日帰り旅行に出た。

島原は意外と近い。父も初めてこのルートでゆくが、自宅(南阿蘇)から熊本港まで車で1時間半。熊本港から島原港までフェリーで1時間。乗り換えその他含めても3時間あれば島原城下へゆける。
港へ向かう途中、三女に笑わせてもらった。
「怖い!やっぱり乗れない!」
急に怯えて暴れ始めた。小さい船で海を渡るのが怖いと言う。確かに遠距離用の大型フェリーに比べれば小さいけれど、どれぐらい小さい船を想像してるのだろう。聞いて笑った。
「寅さんが乗る船でしょ」
「寅さん?」
つまり江戸川を渡る手漕ぎ船、矢切の渡しをイメージをしているらしい。
「お前アレで有明海を渡ると思いよったんか?お前は小野妹子か!遣隋使か!」
これは最高。聖徳太子の国書を握り、命がけで海と闘う気分だそう。が、船を見た瞬間、落ちついた。笑顔が戻った。
「デカい!ちゃんとしてる!安心じゃーん!」

船が出た。
三女の興奮は止まらなかった。群れをなしてカモメが寄ってきた。寄って来る事は分かってたので、嫁にかっぱえびせんを用意しとくよう伝えておいた。
「はい、どうぞ」
笑った。小袋かと思ったらパーティーサイズだった。どれだけ長い時間カモメと戯れるつもりだろう。
三女がノリノリで放り始めた。アッという間にカモメに囲まれた。動物嫌いの次女は一個も投げず逃げ回った。嫁も同じ。ギャーギャー叫んで逃げ惑い、飽きた時点で部屋に入った。



それにしても夕陽が良かった。三女が隣でえびせんを投げまくるからカモメが隣を飛び回った。海の方へ身を乗り出すと夕陽に向かって飛んでるようでカモメの気分になった。カモメになった父は三女に語り続けた。海への憧れ、重工業の結晶・船というものの進化、落ちる夕陽の美しさ、なぜ密集したカモメは衝突せずにハイスピードで飛び回れるのか。カモメが減ってきた。隣を見た。三女がいなかった。その代わり知らないおじさんがいた。僕はいつから独りで喋っていたのだろう。おじさんニコリと笑った。



日が落ち、島原の街や港に明かりが灯った。船が着いた。三日月が見えた。嫁も子も船を楽しみにしてた割にはずっと部屋の中にいた。父だけがずっと船外にいて海と夕陽、それにカモメと戯れた。えびせんがパーティーサイズで良かったと思った。
船を降りると宿の人が看板を持って待っていた。車に乗ると「寒かったでしょ」そう言って温かいおしぼりを出してくれた。これに娘が感動した。
「ビップだよ!ビップ!」
今日学校で「高級旅館へ行く」と話したそう。そして誰かに「VIP」という言葉を習ったのだろう。ビップを連発し、このおもてなしを喜んだ。
「ビップエレキバン」
父のダジャレが流れるほどに子供たちは小躍りして喜んだ。運転手も気分が良かったに違いない。名乗りを上げて熱烈サービスに努めてくれた。

宿に着いた。子供が更に興奮した。凄い数の従業員が出迎えてくれた。
「ビップだよー!」
子供は胸を張った。が、父と母は恐縮した。高級旅館と娘に言うたけれど本当は違う。並の宿(平日激安パック)でこれは凄い。ニッポンのサービス業、その進化に驚愕した。
ちなみにこの宿は家族連れの誘致に燃えてるらしく子供向けのイベントが多かった。指定の時間にロビーに出ると、ロビーがお祭仕様になっていて、色んなゲームが楽しめるらしい。宝探しゲームもあって、全ての宝を集めるとプレゼントが貰えるそう。三女ムキになり、夢中で探した。風呂にも入らず飯も食わず、血眼で探し続けた。そして、
「やったー!揃ったー!」
その苦労ついに実りプレゼントをゲット。が、そのプレゼント、風船とうまい棒だった。三女は叫んだ。
「私の時間を返せー!」

次に次女の時間を追いたい。
彼女はホテルに着くや漫画棚を見付けた。宝探しを三女に任せ、ロビーのソファーを陣取ると延々漫画を読み続けた。イベントの時間になって色んなゲームが並んでもひたすら漫画を読み続けた。たまに動いたかと思ったらジュースのおかわりで、1時間後に様子を見ても同じ場所で同じ姿勢で漫画を読んでた。こいつの前世はナマケモノ、もしくはカピバラだと思った。

嫁はどうか。嫁はひたすら食い続けた。
「食い過ぎたよぉ」
この言葉を何十回聞いただろう。言わなきゃいいのにこの呪文を唱えないと落ち着かないらしい。唱え続け食い続けた。食い飽きたら風呂に入った。
「見てよぉ、デブになったよぉ」
何が言いたいのだろう。何がしたいのだろう。よく分からぬが嫁は凛としたルーティンを持っていた。
「食い過ぎたよぉ!見てよぉ!太ったよぉ!ええい食っちゃえ!食い過ぎたよぉ!見てよぉ!ええい…!」
この不毛なルーティンを延々回し、嫁の一日は終わった。ゴールがどこか分からぬところに嫁の偉大な思想があった。

さて、この宿は昇る朝日がウリらしい。部屋は全室オーシャンビューと書いてあったが、四つの靴が泊まった部屋は窓から顔を出し全力で体を捻らないと海が見えなかった。文句は言えない。微妙だけれど確かにオーシャンビューだった。
ウリの朝日は見たいので、みんなで早い時間に風呂へ行き、露天のアリーナを陣取った。ウリと言われりゃ見にゃならぬ。ましてや海に縁遠い山暮らし、水平線から浮かぶ朝日を何が何でも見たかった。
じっと待った。人がぽつぽつ増えてきた。気付けば中国人に囲まれた。インバウンドブームを全裸で知った。肌で知るとはこの事だと思った。何を言っているのか分からぬが中国人はうるさかった。せめて昇る瞬間ぐらい静かにして欲しいと思った。
空が明るくなった。完全に明るくなったが海の彼方に雲があり、日輪らしきものは見えなかった。私は待った。が、後ろの中国人は待てなかった。ギャーギャー言いつつ皆で帰った。残されたのは私と子連れの家族のみ。話し掛けたら日本人だった。福岡から来たと言う。少年と話していたら「あ!」少年の瞳が輝いた。黄身色の日輪が見えた。見事に昇った。山陰に隠れ、チョイと遅れたらしい。ナイス時間差。中国人が慌てて戻ってきた。が、遅かった。
「お前の旅は死んでいる」
ケンシロウのマネをしたら少年の父親が笑ってくれた。更に聞いてもないのに好きなキャラクターを教えてくれた。
「僕は南斗紅鶴拳のユダが好きです」
マニアックだと思った。
朝日の一件で、ある欧州人の言葉を思い出した。バブルの頃の日本人はとにかくせっかちだったと言う。世界中どこへ行ってもせっかちな黄色人種の集団がいて、それは間違いなく日本人だったそう。
「日本人はとにかく品がなかった、でも爆買いしてくれるから、表向きはちゃんとしたよ、最近の日本人は落ちついてきたね、血の流れ、つまり経済が正常な状態に戻ったんでしょ」
団塊の世代がリゲイン飲んでバリバリ働いていた頃の残影が今の中国人に違いない。ニッポンに来て、たくさんお金を落とすのに肝心の朝日が見れないのは運だけの問題じゃないような気がした。バブルの残影はリゲインの代わりに何を飲んでるのだろう。くだらぬ事が気になった。



さて、朝食バイキングでしこたま飯を食い、記念写真も撮り終えた一行は、スタッフに見送られ、刻限ギリギリに宿を出た。宿を出るまでは家族サービスであって、それから先は父に付き合うとなっていた。
「さて散策の時間だ!」
「どこ歩くのー?歩き過ぎはやめてよねー!お茶しよ!お茶!」
娘たちが早速ゴネ始めた。隠してもしょうがないのでザッと練り上げた散策プランを発表した。
「題して島原城下ぶらり練り歩き!」
地図を見せた。



女は地図が読めない。誰かがそういう本を出していたが確かにそう思った。縮尺を見ても、どれぐらい歩くか想像つかないらしい。
「何でもいいけど、コレちょろっと歩くの?たくさん歩くの?」
見て分からねば聞いても分からん。四つの靴はとりあえず歩き始めた。急ぐ旅ではない。夕方フェリーに乗ればいい。歩きながら気になる所に寄ればいい。美味そうなものがあれば寄って食べりゃいい。車は熊本港にある。嫁は呑まない。僕呑める。後は知らん。旅は自由。自由ゆえ旅。いざ歩こう。

旅はなかなか進まなかった。娘たちはいちいち遊具に食い付いた。



一つの靴なら絶対寄らぬが四つの靴ゆえ嗜好が違う。島原で一番有名な神社に寄ったのに神社は打ち捨て境内の遊具で遊び始めた。いい。気になるモノは全部寄ればいい。父は待つと決めた。待つゆえに最後まで歩け。隣に神社仏閣や古いSLがあろうとも嫁子が嫌なら寄らぬ。オールスルー、子供の嗜好重視で行こう。ただし「歩かん」とだけは言うてくれるな。歩けば何かがある。父は旅人としてそれを教えたい。



線路を越えた。
島原半島には島鉄と呼ばれる鉄道が走っているがそれには乗らない。聞いた話だと島鉄よりも自転車の方が速いらしい。父も学生時代、菊池電鉄というローカル線に自転車で挑んだ事があり、始発から終点までの時間差で30秒勝った。田舎の列車はそれぐらい遅い。そして本数がない。待つ時間で三つ先の駅まで歩ける。

「おっとーは歩けば色々見えるって言うけど何が見えるとよ?」
隣を歩く次女が問うてきた。いい質問だ。良い回答はないか。探しながら歩いた。これはどうだろう。



「例えばこの選挙看板!オレンジと黄色の蛍光色!この組み合わせってあるか?車や電車で移動してたらコレは発見できんぞ!歩いた妙だ!歩いた妙!」
次女はキョトーンとした。分かり辛かった。もっと分かり易い事例はないか。向こうからカモがネギ背負いやって来た。



国旗を振る大行列であった。何の行列だろう。意味不明がいい。何かの行事だろうか。そういう組織だろうか。これこそ歩いたゆえの文化発見であって、怪しかろうが危険だろうがむりやり突っ込み触れねばならぬ。
行列の中で一番温厚そうな人をつかまえて何の行列か聞いた。
「建国記念の行進です」
なるほど。島原では建国記念日に国旗を持って街中を練り歩くらしい。
「目的地はどこですか?」
「霊丘神社」
先ほど遊具で遊んだ神社が目的地だそう。
「ほらほら、あんたがたも歩きなさい」
紙製の国旗をくれた。
「歩いた先で何があるんですか?」
「儀式とお話」
それは嫌だと思った。思ったゆえに国旗を振って行列を見送った。思わず同期の桜を歌ってしまった。実父のカラオケ十八番が同期の桜で血がそうさせた。行列の一人に「やめて下さい」と言われた。

行列を見送った四つの靴はアーケード街にぶつかった。



江戸期の縄張り図を見る限り城へと続く本道がこのアーケードで、城下設計時の本道にドガンと屋根を乗っけたらしい。よって敵の雪崩れ込みを防ぐクランクもそのまま残っていて、クランク商店街になっていた。

商店街を脇に抜けた。抜けたところにお寺があって涅槃像がいた。涅槃像は釈迦が入滅する時の様子だから、どちらかと言うと悲しげであって欲しかった。が、この像は様子が違っていた。吊り目、半目、鯰髭。何だか胡散臭かった。



嫁と子に、
「このお釈迦様は何と言ってるでしょうか?」
個別に尋ねたところ、二人とも同じ回答をした。
「起こさんでちょーだい!」
たぶん「ピアノ売ってちょーだい!」の感じで言いたかったのだろう。意外なところで血を感じた。

ところで旅の醍醐味は自由ゆえ迷い道が楽しい。涅槃像は巨大な墓地群の中にあって道が複雑、同じ道を通らないようにしたら迷った。戻りたがる娘に逆走禁止を命じ、前に前に進んだら老人ホームのベランダに出た。仕方がないのでベランダを突っ切った。入居老人と介護師が四つの靴をガン見し、指差した。赤面の子が叫んだ。
「何でこぎゃんとこ行くと!つかまるよバカー!」
侵入罪も旅の味。ありがたく頂けと言って先に進んだ。

それにしても島原は想像よりも栄えていた。アーケードが長かった。父好みの呑み屋も多く、脇へ逸れたら「みちこ」というスナックがあった。



父は「みちこ」という名に縁深く、
「おっかー含め合計三人もミチコという名と付き合った」
歩きながら実績報告をした。疲れ始めた子供たちが振り向いた。怒りあらわにこう言った。
「どうでもいい話をすんな!」
父は落ち込んだ。

四つの靴、その嗜好は一つも合致しなかった。
嫁は買わないのにショッピングという行動が好きだった。値札の付いてるモノを全て見たがった。途中、鯉の泳ぐ街があって恐ろしく立派な鯉をたくさん見た。鯉に詳しい学芸員みたいな人が声をかけてくれた。私は鯉の生態を聞き、嫁は値段を聞いた。
娘二人は公園と顔ハメ看板に夢中で片っ端から寄った。花柄の顔ハメは何を言いたいのだろう。花柄には乙女を寄せる力があって即吸い込まれた。



父もオカマっぽい絵を撮りたく顔ハメに挑戦した。顔が入らなかった。むりやり撮るも口から上、眉から下が穴の奥、暗いところで辛うじて映り、最高に気持ち悪い写真になった。

アーケードが終わると島原城が見えた。



まだ1/4程度しか歩いてないのに娘二人がゴネ始めた。キツい、ダルいは許せたが、三女に至っては「もう歩かん」と座り込み、あろう事か島原城に八つ当たりを始めた。
「だから言ったでしょ!こんな旅行イヤだったの!城なんて白いだけじゃない!イオンがいい!イオンに行きたい!」
「城にあたるな!お前みたいな奴は一人で行け!イオンだって単なるピンクの看板じゃないか!」
「ふぇーん!やだー!」
遠くにイオンのピンクが見えた。そこで待てと突き放し、置いて歩いた。三女は泣いて付いてきた。

堀に沿って歩いた。次女は機嫌を直したが三女は泣き続けた。イライラした。
酒蔵の看板が見えた。これは呑むしかないと思った。駆け足で寄った。が、既に酒蔵の機能はなく、観光案内所兼喫茶店になっていた。
嫁と次女がジュースを飲んだ。三女はいじけて入らなかった。
蔵の脇で弓を引いてる人がいた。四半的弓道という歴史ある武術だそうで、畳の上に座って的を狙うそう。三百円でやれるという事だったので嫁にやってもらった。
「的に当たったらステキな景品もあります」



景品の話を聞いて嫁は俄然やる気になった。
弓道は無になる事が重要らしい。その点、嫁の頭は無この上ない。そういう事を係員と話していたら勝手に矢が放たれた。ギャラリー及び係員のタイミングを丸無視するところも嫁の強さで、なんと真ん中に突き刺さった。
「一発で当てる人を初めて見ましたー!」
若いスタッフが跳んで喜んだ。隣にいた弓道担当職員と当てた女の夫だけが見逃した。
「もう一回見せてくれ!」
「よし!当たった数だけ景品もらえるんだよね!」
矢は五本あるから後四回やれる。一回ぐらいは当たるだろう。が、そういう時こそ当たらんもんで、やはり当たらなかった。
ちなみに景品はマドレーヌならぬ的(マト)レーヌ。ダジャレであった。



さて、次女と三女は道中喧嘩ばかりした。が、泣いて遅れる妹を置いていけぬは姉の性分であって、父と母が立ち止まると二人でこっそり遊び始めた。石垣の上から二人を探すと、お堀の底で遊んでた。同じ歩調で、同じ姿勢で駆けていた。



三女の機嫌はなかなか直らなかった。父と母が近くに寄ると、またいじけアピールを始めた。何がそうさせるのかサッパリ分からぬが、小さいには小さいなりのプライドがあるらしい。



石垣に寄り添って「もう動けん」と言うので置いて行ったら走って追いかけてきた。

ちなみに島原城も他の城と変わらず観光武将隊がいて箱物があった。子供たちも特に寄りたいと言わないので天守周辺はスルーして城下へ下った。
島原は何と言っても城下がいい。道も縄張り図とほぼ一致していて、有名な水の流れる通りも昔のままだそう。



通りの脇には当時の武家屋敷が保存・開放されていて、足元が全面的に土というのがありがたい。ニッポンのありとあらゆる景色が四輪移動と機能重視で硬くなる昨今、土、石、水、空、緑、それだけの風景は旅人を喜ばせ、地の心にも寄与するに違いない。うらやましいと思った。

城を離れ、南に下った。
歩きつつ三女の機嫌は直った。今度は次女が暴れ始めた。「腹が減った」と言う。確かに昼は回った。食うところがあれば寄りたいが、城下を離れるにつれ街の気配が消えた。

寺町に達した。凡そ城下は町の外れに寺町を持っていて城下めぐりの外せないポイントだった。右手に斜面と石段が見えた。石段の先に巨大な銅像が見えた。
「寄っていいかな?」
反応は人それぞれ。次女は「先に進め」と言って暴れた。嫁は「寄ってもいいけど坂と石段は登らない」体力温存宣言。機嫌が直った三女は「石段で競争したい」と言い出した。
分からん。分からんけれど女心と秋の空。三つの心は目まぐるしく変わり続けた。
父は登った。丘を二つ見付け、二つとも登った。これは病気で、こんもりした自然林の丘を見ると登らずにはいられなかった。
この時代、手付かずの地球を残すには先程の土道同様、政治的もしくは宗教的な何かがいる。でなければすぐに文明が目を付け均してしまう。文明は一種の木を植え、コンクリートで固め、同じ景色にしてしまう。
登った丘は寺町ゆえ寺によって守られた。片方の丘には御堂があって、もう片方には巨大な銅像があった。登って何を得たのか。眼下に見下ろす島原の景色以外何もなかったけれど、バカと煙は登らずにいられなかった。幸い三女が付いて来たので、



「おい!ハゲの頭にハトがいる!」
「うひょー!写真!写真!」
小さな盛り上がりを得た。

昼飯はラーメン屋で食った。
「せっかく海に来たから海鮮以外は認めない!」
そう言ってた次女も空腹に負けた。そこしかなかった。しかも島原に来て薩摩ラーメンを食った。
食後に発した娘の疑問が良かった。
「普通に注文して普通に食べるとコレぐらいでお腹いっぱい幸せなのに、なんでバイキングだと無理して動けなくなるまで食っちゃうんだろう?」
娘と話しつつバイキングという仕組は貧乏人を殺すと思った。元を取ろうとするから大して好きでもない高級食材を中心に攻めてしまう。それ即ち美味くない。元を取ろうとするから限界だと思っていても更に押し込んでしまう。これ即ち楽しくない。元を取ろうとするからその後しばらく動けない。それ即ち旅の破綻。むろん健康にも凄く悪い。貧乏人を殺すにゃ刃物はいらぬ。週に数回バイキングを与えりゃ勝手に死ぬと思った。

飯を食って娘二人の足取りが軽くなった。これにて初期状態にリセットされたかと思いきや今度は大人二人の足取りが重くなった。嫁は運動不足が効いて尻から下が痛いそう。父は三女とやった階段ダッシュが効いて膝が痛くなった。
「はやくしてよー!」
立場逆転、終盤は娘二人が引っ張っるかたちになった。

更に南へ下った。城下の匂いが薄くなった。海の匂いが濃くなり始めた。
土産を買いたいと言うので通りがかりのお菓子屋さんに入った。
女という生きものはなぜこれほどまでに買い物が好きなのだろう。カステラ一つ買うのに大興奮。三人揃ってギャーギャー鳴いて買い求めた。
少し先にまたカステラ屋があった。嫁が「お買い得」の走り書きを発見した。
「え!嘘!賞味期限が近いから安いんだって!350円!半額じゃん!」
財布の紐が固いで有名な嫁がカステラを3本も買った。隣で三女が暴れ始めた。
「さっきの店で買わなきゃよかった!もー!何で言わんかったと?損したじゃーん!」
「私だって知るわけないでしょ!恥ずかしいから大声出さんで!」
「もー損した!もー損した!もー損したー!」
父は逃げた。これの身内と思われてはいけない。見付からぬようソッと離れた。
「ん?」
離れた先で実に気になる看板を発見した。



「ラッキーチェリー豆?」
何と意味不明な看板だろう。全く想像できないところに凄味があった。
窓越しに店内を覗いた。おばちゃんが一人いて優しい笑顔をくれた。入った。単刀直入に聞いた。
「ラッキーチェリー豆って何です?」
「そら豆です」
元々汽船のおやつで島原では超有名らしい。
「ラッキーチェリー」名前の由来を聞いた。大正10年、通りがかりの英語教師が横文字のナウい名前を付けたそう。それがラッキーチェリー。笑った。確かに楽しげで初々しい。そしてラッキーもチェリーも商品に一切関係ないのが良かった。どうでもいい名付けの由来も最高。
「これは反則です!名前に釣られて寄っちゃいました!」
「そういう人ばかりです」
うちもカラクリ研究所なんて普通の名前にせず、ラッキー童貞研究所にして、名前の由来を聞かれたら「思い付き」って言えばよかったと思った。が、後から来た嫁子の顔を見、思い改めた。父は一人じゃない。「普通にしろ」って叱られるのが関の山であった。
ちなみにこのお店、色んな事が面白く、全種買い求めた。ラッキーチェリーは生姜っぽい味で、他にもカレー、海苔、ウニがあった。
「味のこだわりってあるんですか?」
「ありません」
それも良かった。

さて、フェリー乗り場は目の前だけど、もう一つ、道中発見し、買いたいものがあった。「島原名物わかめ焼酎」と書かれた看板を見た。昼食のラーメン屋で聞いたら、
「わかめ焼酎!あれ確かに名物だけど、わかめの味は全くしねぇ!」
わかめの味がしないわかめ焼酎。気になった。どこのスーパーでも売ってるらしい。港近くのスーパーで買い求め、併せてビールと日本酒も買った。昼も呑んだが船の上でも思いっきり呑みたいと思った。
「酔って候」
旅の終わりはスッと消えてはならぬ。まどろみつつフェードアウトしていくのが正しいカタチだと思った。酔って眠って目が覚める。嗚呼そこに旅が終わった日常がある。
船に乗った。ビールも日本酒も空いた。
「おっとー呑み過ぎー!」
娘の声が遠かった。
前方大海原にカモメの群れ。右手の三女は銭形平次の如く、えびせんを様々なフォームで投げ分け、カモメの困るポイントを探している。左の次女は瓶に残った数滴の酒に怒っている。
「酒の一滴、血の一滴でしょー!」
嫁はいない。
「寒い!」
そう言い残し、サッサと部屋に入った。
そうそう、長女はどうしているだろう。長女は家で待っていた。反抗期で一人がいいと言ったけど、さすがに一人の夜は寂しかろう。
帰った。帰った途端、女四人の喧嘩が始まった。長女が舌打ちし、こう言った。
「帰ってこなきゃいいのに」
「何ー!」
三女は土産を投げた。次女も参戦した。嫁は止めるフリして火に油。
「おんどりゃー!三人とも黙れー!」
毎度おなじみ修羅場になった。
家族はありがたい。ありがたいけど気付かぬもので日常を知るには非日常がいる。非日常は旅。この旅がずっとずっと後に振り返った時、思い出の付箋になればいい。
ちなみに建国記念日の行列から頂いた国旗は持ち帰った。
「巨大なお子様ランチを作って」
嫁に頼んだ。
「できたよー」
五合のケチャップライスに卵を乗せて旗をブッ刺した。豪快ではあるがお子様っぽくないので「卵に絵を描いて」と頼んだ。
「ハートを描くね」
ケチャップが切れてるらしく、お好み焼きソースでハートを描いた。描いたそばからハートが流れた。



わかめ焼酎を片手にこれを食った。ラーメン屋が言うように、わかめの味は全くしなかった。
旅の余韻はどこにあるのだろう。長女の感想が素晴らしかった。
「どのへんが島原?意味分からん!」
家族という文化を肴にわかめ焼酎を呑み干した。
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