第124話 寂しがりシンパシー(2016年12月)

知らぬ老婆から電話があった。自分の心音がうるさくて眠れないと言う。
「それはカラクリ屋じゃなく、かかり付けの病院に言われた方がいいのでは?」
「病院はうち合っちゃくれん」
「何かこうやったら良さそうってアイデアをお持ちですか?」
「体に電気を流して心音が聞こえんようにして欲しい」
「え!電気ショック!それは医療器になるんで、うちが勝手にやったら捕まっちゃいますよ!」
「死んでいいんよ、誰にも言わんから実験して作っちゃくれん?」
「えー」
「心音に合わせて電気をビリッて与えてくれたらいいんよ、腹から響く心音をとにかく消したいんよ、試しにやって、駄目元でやって、文句は絶対言わんから」
「えー捕まりたくなーい、そもそもウチの会社をどうやって見付けたんですか?」
「昨日テレビで見た」
「テレビ!」
年末、全国ネットの番組にチョイ役で出た。それを見てピーンときたらしい。
「この人なら私を殺してくれる」
老婆と小一時間話した。体は日に日に弱るけど頭がしっかりしていて、それが呪わしいと言う。
「ボケてりゃこんなに苦しまんでいいのに!」
「そう言わんと・・・、ねぇ」
「早く死にたい!眠りたい!」
何の解決もなく電話を切った。眠れない苦しみは分かる。力になってあげたいけれど電気ショックはいけない。それを与えた瞬間アソカラは潰れる。一家は路頭に迷う。申し訳ないがスルーしようと思った。が、その数分後、役場から電話があった。インターネットを使えない老婆はアソカラの番号を調べるため公的機関に電話をかけまくったらしい。
老婆の切羽詰った苦しみが沁みた。断っちゃいかんと思った。
「お役に立たんと思うけど、とりあえず行って話を聞こう」
遠くで嫁がぼんやり見ていた。すっごい嫌面で「マジで行くの?」て聞いた。
「マジで行く!旅行がてら行こうじゃないか!話を聞くだけでも役に立つかもしれん!暇人はそのためにある!」
「またヤクザの親分だったらどうすんの?」
「むっ!」
それは私も考えた。数年前、東北の老人に同じパターンで呼ばれた。すると、そういう会合の上座を与えられ、終始「客人」と呼ばれた。嫁は同じ流れを危惧し「念のため調べろ」と言った。電話帳で調べた。ちゃんと載ってた。インターネットも調べた。その名前がニュースになってる気配はなかった。
「よし!一緒に行くぞ!」
「一緒?えーマジ?うー、うーん、うー?」
老婆の所在は鹿児島。地震の被害で遠回りを加味しても片道四時間。ギリギリ日帰りできるから「子供が理由で付いていけない」は言わせなかった。何を隠そう私は無類の寂しがり。道中寂しかった。
嫁と二人で訪ねる事を決め、
「とにかく行きます!」
老婆に電話をかけた。
老婆は喜んでくれた。「まずは話を聞いてもらうだけでいい」と言った。が、行って何もしないのは悲しいので低周波治療器を買った。手軽な電気ショックといえば低周波治療器、それしか思い付かなかった。
「試した事あります?」
「ない」
「買って持って行きますんで、機械の実費だけ負担頂けますか?」
「払う払う、交通費も日当も払うから安心してお越し」
気前のいい感じが東北のそれと一緒でちょっとビビった。
「このパターン大丈夫?」
「たぶん大丈夫、大丈夫じゃない時は全力で逃げる」
とりあえず行った。

老婆の家は小ぶりな平屋だった。「お城みたいな家だったら黙って引き返そう」って嫁と話していたけれど、まずは見た目で安心した。
出てきた老婆も人の良さそうな感じで間違いなくカタギと信じた。足が悪いらしく、びっこを引いておられ、隣には一歩下がった好々爺が老婆に寄り添い立っていた。
「この人は耳が悪いから気にせんで、空気と思っていい、どうせ喋りもしないから」
老婆の雑過ぎる紹介に私はうろたえた。が、嫁はサラッとこう返した。
「かかあ天下の家ですね」
僕が亭主なら泣いて逃げ出すところだが耳の悪い好々爺には届かなかった。
老婆は電話口の説明を繰り返し、亭主の悪口を亭主の前でしこたま言った。
「この人に私の苦しみは分からない!生きてるのか死んでるのか、まったく幸せな爺様、なーんも考えない、見ていてイライラする!」
老婆にとって日常のやり取りかもしれぬが私はハラハラした。好々爺は終始笑い続け、嫁はテーブルの茶菓子とミカンを黙って食い続けた。
「とにかく実験しましょう」
話題を変えなければ老婆の悪態やまず心臓に悪かった。
低周波治療器を老婆の腹に付けた。男性の私が亭主の前で付けるわけにはいかないので嫁が付けた。
「ババアの腹は臭いよぉ、覚悟しな」
老婆の事がだんだん分かってきた。とにかく口が悪かった。何をやるにも悪態発さねば動く気力が湧かないらしい。
しわしわの腹に電極が付き、取説を読みながら出力を全開にした。
「ほっ!ほっ!これは効くかもしれない!」
「寝れそうですか?」
「寝てみなきゃ分からない」
私は実験好きなのでこういう時間がたまらなかった。
低周波治療器も初めて扱うので楽しかった。色んなモードがあって全部試したかった。が、老婆は調整を嫌った。
「そこ!そこで固定!出力全開ちょっと手前!固定よ固定!」
そう言うと調整できるところを全て記録。「もう絶対触らない」と宣言した。なるほど。老人は始動と停止、二つのボタン以外を認めず調整代を欲さない事が分かった。
「始まりはどれ?終わりはどこ?」
その二つを何度も何度も聞いた。「このボタン」と教えると「小さ過ぎて押す気にならん」と言って、もしも使えると分かったら大きいスイッチに改造せよと指示を受けた。
勉強になった。老人に愛されるには押し応えのある二つのスイッチ、それが重要で、他は全てケースにしまえ、その事を学んだ。
実験はそれで終わった。
切羽詰ってどうしようもない状況を想像していたので、実際に寝て、あれやこれや実験するだろうと思っていたけれど老婆がそれを求めなかった。
「後はこっちで色々試してみる、ハイ終わり」
そう言うと後は雑談になった。
老婆はホントによく喋った。オチは必ず亭主の愚痴で若い頃から筋金入りの無口だそう。隣の夫を指差しちゃ、
「おい、なんか喋れ」
凄い剣幕で怒鳴った。
好々爺も一言だけ喋った。
「おら、なーんも聞こえん」
「ほらコレ!腹立つー!」
ウケた。ナイスコンビだと思った。
帰り際、お金をくれた。機械代と交通費の実費を請求したら「これは募金」と一万円多めにくれた。更に近所の人がお歳暮で持って来たウニ瓶をくれた。嬉しかったけれど好々爺の顔色が曇るのを私は見逃さなかった。
「おじいさんの肴でしょう、もらえません」
それがいけなかった。老婆は瞬時に亭主の変化を察し、キッと睨んだ。
「もらいなさい!とっておきの焼酎もやる!」
そう言うと奥から芋焼酎を持って来た。丸に十、薩摩の旗印が付いた地元の焼酎だった。
好々爺は泣きそうな顔で私を見た。もらえない。もらえるはずがない。が、もらわなきゃ老婆の気が鎮まらない。
「一本じゃ足りん?もう二三本持って帰る?」
ほら老婆に火が点いた。私は慌てた。隣の嫁は茶菓子の残りを掻き集め、
「ほんとにいいんですかぁー、ありがとうございますぅー」
能天気のパッパラパー。もらえる物は全てもらえと食いかけのミカンまでビニール袋に詰めていた。
とにかく場を収集し屋外へ出ねば「爺さんも持って帰れ」と言われかねない。
「焼酎一本で大満足です!本当に本当にありがとうございました!」
泣きっ面の爺様を後にして家を飛び出した。
「さあ帰ろう」
帰れなかった。外へ出た老婆は私の手を引き裏の畑へ案内した。巨大な文旦(ザボン)がたわわに実っていた。
「好きなだけ持って帰りなさい」
文旦を収穫しながら雑談が続いた。たわいない話だった。人が持ってるシニアカーは押したくない、そういう話。
「世界に一つの頑丈なヤツを作ってくれる?」
「いいですよ、ごついゴムタイヤ、ベアリング入りでLEDも付けますか?」
「いいねぇ、目立つ?」
「目立ちますよ」
たわいない話。たわいないけど歳をとるという事はその話し相手がいなくなるという事で、気付けば心音ばかりが聞こえるようになって、無口な亭主に当たり散らし自己嫌悪に陥って、挙句の果てに熊本のカラクリ屋を呼び付けてしまった。老婆は寂しい。寂し過ぎて少々ヤケになったのだろう。
「文旦、幾つ千切っていいですか?」
「好きなだけいいよ」
「好きなだけって全部はいかんでしょう」
「全部いいよ」
話しつつ老婆の寂しさが沁みた。無性に悲しくなった。千切り終えたらカラクリ屋は去って日常が戻ってしまう。
(分かります、分かりますけど僕にはどうにもできません)
ぼんやりしてたら目の前の老婆が転んだ。膝と肩をすりむいた。危うく頭を打つところだった。嫁と二人で肩を貸し、家の中へ戻そうとした。が、突っぱねられた。
「大丈夫、見送る、また死に損ねた」
老婆、笑ってそう言った。

帰路、寂しがり、私の心は暗かった。老婆はテレビでカラクリ屋を見つけたんじゃない、その事が分かった。寂しがりを見付け、たまらず電話したに違いない。
「僕に何ができるだろう?」
嫁に相談した。が、全く要領を得なかった。寂しがりには寂しがりの阿吽があって、この感覚は言葉にできない伝わらない。そもそも嫁は骨の髄まで唯物論者で、人の心を想像する習慣を持ち合わせていなかった。
「いっぱいもらえてよかったね、いい人だったね」
くれる人は素晴らしいの一点張りで老婆の寂しさなど微塵も感じるはずはなく、それはある意味健康な事で、捻れて死にたくなる危険がなかった。
嫁は喜んだ。いっぱいもらってホクホクで帰った。
私は沈んだ。沈みっ放しで一週間、思いきって老婆に電話をかけた。低周波治療器のその後を聞いた。が、案の定、治療器には触れず馬鹿話ばかりをされた。
寂しいSOSは寂しがりしか届かない。家族も病院もうち合っちゃくれない。
「このウニ瓶おいしー!」
隣の嫁を見ながら「俺が何とかしなきゃ!」と思うけど何もできない。
自分も心音に怯える日が来るだろう。来る道に備え救わねばならぬ。
「何やる?電話?会いに行く?」
「きりがない」
ただただ無力。それが悲しい。
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