第126話 八恵とふたりで(2017年2月) 三歳七ヶ月の娘と二人旅に出るサンナナ旅行を三人娘全員とやった。自慢じゃないが私は一度もオムツを替えた事がなく、この旅が父親への登竜門で、この旅を経て何となく父親になった気がする。 それから娘たちは勝手に成長し、飯さえ食わせりゃそれなりに大きくなった。 三年前、長女が小学校を卒業した。中学生は四捨五入すれば大人。親と子って感じより年上と年下って感じが望ましい。 「よし!チャイルド卒業記念に大人の旅をさせよう!」 小学生までは体力の問題で一緒の旅を控えていたが中学直前となれば行けるだろう。私の旅はよく歩く。卒業旅行として「ばあちゃんちまで古い道を歩こう」と提案した。凡そ60キロを一泊二日で歩く。ちょうどいい距離だと思った。長女は乗った。「行く」と言った。が、直前でゴネ始め南阿蘇一周旅行になった。 次女は先手を打った。 「吉本新喜劇に連れてってくれるなら歩く」 六年ぐらい「連れてって」と言い続けているそれを交換条件に出してきた。 「よし分かった!」 七回忌を迎える従兄弟の墓参りもあったので、卒業にはちょっと早いけれど2月11日から13日を次女卒業旅行の日と決めた。 「文句言わず絶対歩け」 「はーい」 次女は人一倍根性がない。更に超テキトーで約束を守らない。念を押して旅に出た。 次女の名は八恵(やえ)という。 産まれて三日目にヒルシュスプルング病という腸の病気が見付かり、生後一週間で人工肛門が付いた。8月8日8時産まれ。末広がりの人生を祈って八恵と名付けた。 人工肛門は一年で取れた。異常な腸を切り取って繋げ、普通の生活ができるようになった。が、人より腸が短いため吸収が悪いらしい。それが分かるまで数年かかった。八恵は人より多く飯を食った。食ったらすぐにトイレに行った。倍かけた食費は八恵の体を上から下へ真っ直ぐ流れた。絵に描いたようなムダだった。 「こいつアメ車か?燃費悪過ぎ!」 親は慌てた。医者に聞いた。 「手術の影響でしょう」 食っても食っても八恵だけ太らず、何だか残念な感じにひょろひょろ縦ばかり育った。 さて2月11日、二人旅に出た。 行きは飛行機、帰りは新幹線で移動した。理由はない。予算の都合でそうなった。 行きの飛行機はプロペラ機だった。 父は喜び娘はゴネた。 「ケチったろ?」 「小さいモノがケチならば今のスマホはどうだ?昔の電話はでかいぞ!今プロペラ機に乗れるなんてリッチだ!」 そういう事を叫んでいたら初老のおばさんに褒められた。 「大事な事よ、もっと言いなさい」 幸先よいスタートになった。せっかく二人で出るのだから色んな事を伝えたい。八恵は「食い倒れ、お笑い、USJ」と浮かれているが、むろんそういうのはちょとしか触れるつもりはない。父はテーマパークと観光施設が大嫌い。観光クソ喰らえ大使を自任している。 「人にテーマを与えてもらうから人間の遊びがバカになる!テーマは自分で探せ!探すために歩け!体を使って探すのだ!」 「ハイハイ」 「ハイは一回!」 全く沁みない。沁みなくて当然。言葉は無意味。こういうのは父の背中で気付いてもらわなくちゃいけない。だから歩く。二人で歩く。 飛行機は定刻伊丹空港に着いた。着いた瞬間、歩き始めた。 「さあ旅の始まりだ」 この旅の一番の目的は卒業旅行だが、二番目の目的は従兄弟の墓参りにあった。四年前一度、出張ついでに寄った。それ以来の訪問だから記憶の場所が怪しいけれど何とかなるだろう、そういう感じで歩き始めた。 八恵は空港からタクシーもしくは電車で行くと思っていたらしい。少しゴネた。 「甘い!道中おもしろい事を探せ!」 住宅街と豊中駅を突っ切って記憶の墓を目指した。 八恵はゴネつつ諦め、黙って私の後ろを付いてきた。 何度か道を間違えた。長女と三女は道を間違えるとやたら不安になってギャーギャー騒ぐ。次女の八恵はそれがなかった。 「多少遠回りになっても引き返さない」 父の美学を伝えると「やるじゃん」と言い、ほんの数歩戻ったら「戻るのか?戻っていいのか?」真顔で父に問うてきた。意味の分からぬところがマジメで、そういう面倒臭いところが嫁似だと思った。 墓地に着いた。着いた瞬間、雪が舞い始めた。 雪の墓地をぐるぐる回った。回って回って無理だと知った。 丘全体が墓地で、この中からお目当ての一つを探すのは極めて困難。二人がかりで記憶のエリアをしらみつぶしに歩いたけれど全く見付からなかった。 雪はやまなかった。私も八恵も疲れて飽きた。この辺りに七回忌の従兄弟がいるのは間違いないので座って一緒に酒を呑み、墓参り終了にしようと思った。 手頃な階段に座った。焼酎を開けた。雪がやんだ。 「ん?」 従兄弟の姓が焼酎の先に見えた。 柵を越えてダッシュした。墓石の裏を見た。従兄弟の名が彫ってあった。メチャクチャ興奮した。 「八恵!こんな事ってあるかー?」 八恵がいてくれてよかった。この興奮を伝える人間がいた。 「あきらめる、焼酎開けたら雪がやむ、スッと見えるは従兄弟の墓石!こんな事ってあるかー?ない!絶対ない!ドラマみたいだ!」 最初は八恵も興奮した。が、すぐに面倒臭くなった。 「はいはい分かったけん、焼酎呑んで写真撮るんでしょ」 手際よくカメラを構えた。 私は八恵の言うがまま焼酎を呑んだ。そして少しだけ墓にかけ、ちびちび一緒に呑んだ。 それにしても八恵の態度は冷たかった。歩きながら興奮が蘇り、 「こんな事ってあるか?ドラマだ、ドラマ!」 はしゃぎ回る父を黙ってカウントしたらしい。その日、寝る直前、警告を受けた。 「もうその話6回目!聞き飽きた!やめて!」 舌打ちしながら突き放し、サッサと寝た。10回ぐらいは黙って興奮させるのも人間の優しさだと教えた。 その日の夜は奈良に泊まった。 桃山台という駅から電車で移動し、平城京近くのビジネスホテルに泊まった。そこで級友と落ち合い一緒に呑んだ。 この級友は大食漢、酒はほどほど肴を食いまくった。それを見ていた八恵も火が点いた。タガを外して食いまくった。私は返事の薄い二人に手頃な話題を投げ続けた。二人は食った。食い続けた。私は話した。話し続けた。やがて疲れた。ホテルに戻った。 翌朝7時、ホテルを出た。 級友も同じホテルに泊まった。「一緒に歩く」と付いてきた。 平城京の周りは史跡の宝庫で出発前に地図を見てたら「ちょっと歩こう」が「ギリギリまで歩こう」そういう気分になってしまった。 ギリギリというのは吉本新喜劇の事で、難波で12時開場だから10時半までには電車に乗りたかった。それまでに平城京、西大寺、唐招提寺、薬師寺、郡山城まで歩きたいと思った。が、郡山城には時間の都合で行けなかった。 何にせよ新喜劇だけは遅れるわけにはいかない。八恵にとって六年越しの宿願で、更にチケットが取れない事もあってオークションで最前列を買った。むろん安くなかった。 八恵は吉本付きの約束だから黙って私に付き従った。が、歴史散策には全く興味が湧かんらしい。平城京の事を「眠たい空き地」と呼び、薬師寺も唐招提寺も、 「世界遺産?知らん!入場料もったいない!そのお金で私にタコ焼き買って!」 凄い剣幕で迫ってきた。予想はしていたが歴史散策のおもしろさを小学生に伝えるのは極めて困難。黙って歩かせ、歩いた事を評価した。 個人的に平城京はよかった。 何がいいって上手く言えないが、これだけ広大な土地を「昔は都でした」それを言いたいがために保存する文化の心が素晴らしいと思った。 文明は平らな土地を一瞬で喰い尽くし、勢い余って急傾斜地も駆け上がろうとする。大阪から奈良へ向かう近鉄線に乗っていたら生駒辺りで「あー!」ってなる。 「このエリアは平城京」 叫んで囲んで駄々こねて、老若男女が「平城京だからダメなもんはダメ」って言わなきゃ守れない。 文化を残すという作業は文明・資本主義との戦いだから、ぽやっとした気持ちじゃ務まらない。近隣の頑固な心に感動した。 そうそう、平城京は文明の許し方もいい。鉄道がピュッと横切るのを許した。 許した以上、文明が絵になるようダイヤも狙ったに違いない。有名な朱雀門の前で何度も列車がすれ違った。 平城京を出ると大和西大寺駅前の繁華街に入った。朝飯を食ってなかったのでここで食おうと探したが見付からず八恵の機嫌がだんだん悪くなってきた。が、ヤマハの看板が不機嫌を救ってくれた。急に八恵が笑い始めた。 「あの子モデルじゃないね、きっと社長の娘だね」 「そんな事」ないとは言えず、妙に説得力があった。 結局朝飯を食うところがなかった。八恵も級友もちょいちょい「腹が減った」とゴネるので「昨日二人で五人分は食っとる!朝飯ぐらい我慢せい!」と言ったら反論がなかった。二人とも納得したらしい。 それにしても奈良の路地裏はいい。西大寺の外塀なんて肉厚の地肌がボロボロ剥げて歴史がそのまま楽しめた。味のあるスッピンばあちゃんを見ているようで、年齢化粧品を使ってないところが「さすが奈良」と唸った。 これに対し表通りの人がいるところは全国の史跡と一緒で化粧していた。小奇麗で看板もあって大しておもしろくなかった。が、同行者がいるとそういう化粧も稀におもしろくなった。緑色の新しい仏像があった。 「おい見ろ」 「何?」 「自由の女神と同じ色」 「嘘?自由の女神は白だろ?」 「いや緑」 調べたら自由の女神は緑。ジーッと見てたら自由の女神っぽく見えてきた。奈良でアメリカを得る奇跡が起きた。 西大寺から南へ下り、垂仁天皇陵の脇を抜け、唐招提寺の裏手に抜けた。 私があまりに細い道をゆくので友が心配し「地図を見せろ」と言うてきた。私の地図はザッとしていて細路地など載ってない。 「なぜこれで行ける?」 答えは簡単。旅に出る前、詳細な地図を使って何度も何度もシミュレーションしていた。等高線付きの地図を使うから起伏も何となくイメージ済みで、今はグーグルマップがあるから気になったところは写真を見て雰囲気を味わう事もできる。 私はこのシミュレーションがたまらなく好きで、実際に歩く作業はイメージとの照合。ピッタリ合うとたまらなく嬉しかった。 唐招提寺に着いた。鑑真の余韻に触れたいと思い「中に入りたい」と言った。が、八恵は入場料がもったいないと暴れ、入口の雰囲気も世界遺産の影響でモロ観光地だった。時間もなかったので入口からチラッと見て退散し、裏通りへ行った。 やはり奈良は観光の裏側がいい。 線路を越えて唐招提寺奥の院という場所に行ったら悶絶の外塀に会った。 「ここは何だろう?」 観光の裏側だから看板なくて人っ子一人いなかった。仕方がないので唐招提寺へ戻り、役場職員と思われる観光案内人に聞いた。すると「なんでっしゃろ?」って聞き返された。いい。そういうのがいい。ネットで調べた。正しくは西方院という場所で唐招提寺の歴代住職の墓があるらしい。仏師快慶が作った阿弥陀様もあるそうな。見たいと思った。が、入っちゃいけない雰囲気だった。叱られたくないので友に突撃させた。留守だった。 唐招提寺と薬師寺は一本の寺道で繋がっていた。世界遺産を繋ぐ道ゆえ観光道路になっていて、蕎麦屋と雑貨屋が数軒あった。占い屋もあった。笑った。 「明るく前向き占いやさん」 悪いお告げは出しませんと言ってるようなもので、それを書いちゃおしまいだと思った。 午前10時を回った。腹が減った。二人が我慢ならんと暴れるので薬師寺手前で記念写真を撮り、その先の郡山城は諦めた。 駅前の茶店に入った。「餅・団子」と書いてあった。何でもいいから食おうとなった。団子と肉うどんを頼んだ。頼んだ後よく見ると生ビールも日本酒も置いてあった。 「ここって朝から呑めるんですか?」 「呑めるよ」 3時間歩きっ放しで喉カラカラ。ビールを入れたら火が点いた。店主も呑む系の人で「肴もあるよ」と提案してくれた。片っ端から頼み、本腰入れて日本酒も頼んだ。 「八恵ちゃんの卒業旅行だろ?父親それでいいのか?」 「いい!本気の大人を見せつけよう!」 友と二人、本気で呑み始めた。 「朝呑みが美味い!」 吉本新喜劇が段々どうでもよくなった。電車を一本遅らせた。 「このまま夜まで呑むか?」 そういう気分になってきた。むろん八恵はキレ始めた。6年も新喜劇を念じ続けた事もあり「遅れたら一生恨む」と言った。仕方なく重い腰を上げ電車に乗った。 級友とはこれでお別れのはずだった。彼は愛知県在住だからここで別れて京都へゆく。が、大阪へ付いてきた。酒を入れたついでに難波で二次会やって帰るらしい。 友はグランド花月の入口まで付いて来た。劇場前のタコ焼屋で酒とタコ焼とホルモンを買い、どっしり座って一人二次会の態勢に入った。そこで別れた。 「八恵、見たか?」 「うん見た」 「あれが独身本厄の週末だ」 「さみしいね」 「そう、ほんとにさみしい」 娘が一つ勉強した。 それから念願の吉本新喜劇を観た。この事はツイッターに書いた。 八恵は壊れた。狂ったように笑い続け、 「夢が叶った」 そう言って泣いた。 夢といえばもう一つ。 「食い倒れてみたい」 大阪難波は食い倒れの街。八恵を食わせ倒すには街を知ってる必要があった。が、田舎者の父は不勉強で右も左も分からなかった。よって旅に出る前、大阪在住のお客様に電話した。すると「任せて下さい」ノリノリでそう言ってくれた。 新喜劇の後、劇場前でお客様と待ち合わせた。お客様は奥様連れだった。助っ人で呼んだらしい。 「女性の気持ちは女性の方が分かります」 奥様そう言われたが人見知りの八恵は果たしてどうか。すぐ懐いた。一軒目の串揚げ屋を出た後、奥様と八恵はチョコレートの詰め放題に走った。確かにこういう事は逆立ちしても父にはできない。 二軒目は鉄板焼き。私とお客様は呑んだくれ、八恵と奥様は途中で店を出た。 「ほら予想通りでしょ、酔っ払いの長尻には付き合えません」 奥様、八恵を連れ出し街へ出ると言ってくれた。八恵、大喜び。が、こやつの財布には数百円しか入ってなかった。八恵は大阪へ来るのに二千円しか調達せず、嫁が貸すと言うのを、 「足りるからいらない」 そう言って振り切った。 父との退屈二人旅なら金は使わんと思ったのだろう。が、想定外の街ブラに八恵は激しくときめいた。そっと手を出し、無言で私にこう言った。 「金ヲ貸セ」 父も無言。無言で一万円持たせた。 大阪の二人に申し訳なかった。数年に一回しか会わないお客様なのに、お金と気と時間をたっぷり使わせてしまった。 「もう食えんってなるまでやりましょう、食い倒れですから」 メインの八恵は街に消えたが男二人は差し向かいで延々呑んだ。三軒目は回らない寿司屋へ行くらしい。動かないとお腹に隙間ができないので「包丁一本さらしに巻いて」の法善寺横町をぶらついた。 寿司屋はカウンターだけの人気店で四人一緒に入らねば並んで座れなかった。お客様が奥様に電話を入れ入店のタイミングを打診するも向こうは買い物の真っ最中。 「こっちはこっちで盛り上がってるから先に入って」 そう言われた。結局お客さんと二人、16時から22時まで、6時間も二人で呑んだ。 八恵は大はしゃぎで寿司屋に来た。服装がパーカーからダッフルコートに変わっていた。一緒に座れないから離れて食った。一言だけ大興奮の日本語を聞いた。 「衝動買いしちゃったよー!」 よほど楽しかったらしい。ホテルへの道すがらショッピングの内容を事細かに二人で語ってくれた。 「デカいケーキを食べたと!」 「八恵ちゃん私のぶんも食べてくれたのよねー」 「食べちゃった、おかげで寿司がちょっとしか食えんかった」 「買い物も楽しかったねー」 「もー都会って楽しー!アレもコレも楽しー!アッチもコッチもいいなぁってなっちゃって、コレとアレとソレを買っちゃった!そうそう奥様にコレ買ってもらった!」 八恵と奥様、大興奮の女性二人を男性二人は黙って眺め、ぽてぽて歩いた。 道頓堀に差し掛かった。 「あ!グリコの前で写真撮らなきゃ!」 スマホのない私のためにお客様が記念写真を撮ってくれた。 ホテルの前でお客様夫婦と別れた。 二人には本当にお世話になった。二人のおかげで八恵の卒業旅行がパーッと花咲いた。その花はバラかヒマワリか、父が墓参りと史跡巡りで咲かせようとした花は明らかに菊、若い娘は前者がお好み、まるで態度が違った。 ちなみに八恵は奥様の事を「おくさま」と呼び続けた。父が最初にそう呼んだという事もあるが、そう呼ばなきゃいけない理由もあるらしい。 「ねぇ聞いてよ、奥様とお茶した時ね、奥様紅茶頼んだの!奥様紅茶の事を何て言ったと思う?お紅茶!お紅茶よ!育ちが違うわー!なんで私はこの家に生まれたんだろうって思った!」 熊本に帰って八恵が放った土産話はそれ。それが一番印象的だったらしく、そればかり繰り返した。 父と母は大人だ。八恵の土産を黙って聞いた。 急がず大人になって欲しい。 |
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