第127話 信じられない寂しがり(2017年3月) 自分の適性を知る事が人生を有意義に過ごす要諦だと思っている。従って自分に対する研究はそれなりにやったつもりでいるし、そうやって今を作った自負もある。が、寂しがりという点において少々認識が甘かった。分かっちゃいたが、信じられない結果を叩き付けられ自分が一番驚いた。 二月の頭ぐらいであろうか「三月四月は金がかかる」と嫁や友が言うのを聞いた。卒業入学はとにかく金がかかるらしい。 私は娘の教育に無頓着で、どれくらいかかるのか全く想像つかずザッとたずねた。友の話によると二十万ぐらいはペロッとなくなるらしい。 「お前のところは中学高校ダブル入学だろ、大変だなぁ」 「ちょっと待て、四十万ぐらい現ナマがいるという事か?」 「学校によっても違うけど最低それぐらいは」 「ない!うちにはない!ない袖は振れん!」 急に言われても本当にない袖は振れない。嫁はお気楽の極みなので「何とかなるさ」の一点張り。考えるという人間の基本性能はとうの前に捨て去り、川の流れに身をまかすという大乗仏教の悟り人みたいになっていた。 「危うい、危ういぞ!うちの嫁の事だ、ないなら実家に借りればいいじゃんとか言うに違いない!男のプライドに危機到来!」 そんな折、出張仕事の打診があった。17年前に作った機械を新しい電用品で全面リニューアルするらしい。機械と電気は装置メーカーでやるからソフトウェアの作成と立ち上げをやって欲しいと言われた。 電用品は年々リニューアルされ、ちょっと触らないと取り残され感ハンパなく、やるには資料を読み込む必要があった。正直それが面倒臭いし、ソフトウェアという作業が年々辛くなる昨今でもあった。極め付けは立ち上げ出張二週間、果たしてこの寂しがりに耐えられるのか、それが最も危惧された。 悩んだ。が、娘の入学は待ってくれない。男のプライドを死守する必要もあった。嫁に相談しても「断るな」と言うに違いなく、事実「絶対断るな」と言われた。 「やります!やらせて下さい!」 請けた。 電話を切った後、その辺にいた近所の子供が「カラクリさんも働くんですね」と言った。その事はツイッターに書いた。 三月は勉強と出張に費やした。 数日あれば終わると思った勉強も想像以上に意味不明で倍の時間を要した。 焦った。出張前日なのにソフトウェアの叩き台が終わらず久しぶりに徹夜を覚悟。が、私の意志の弱さは筋金入りで、中学生からテニスに誘われると喜び勇んで付いてった。 結局、疲れて眠ってしまい、やりかけの状態で出張に出た。 ちなみにその日は長女の高校受験合格発表だった。長女は近所の公立高校を受けた。最初は受かって欲しいと人並に思っていたが途中改心した。 「名前書きゃ受かる学校だから、ま、余裕でしょ」 全く勉強しない長女の物言い腹立たしく、言ってはいけないと思いつつ「お前の人生のために落ちた方がいい!落ちろ!落ちて皆から笑われろ!」言って嫁に叱られた。 出張先は新門司だった。大都会小倉の裏側に位置し、フェリー乗り場を囲むように工業団地があり、それ以外は何もなかった。よって普通の出張者は小倉駅前に泊まった。が、私は駅前を避け、合宿所のような郊外のホテルを選んだ。 ツイッターの貼り付けが便利なのでそのままペタペタ貼る。 びっくり。11平米の独房シングルに一人でいると気が狂いそうになった。いつもは酔って寝るだけだから気にならないが素面の独房はいけない。即座にコンビニへ走り、缶ビールとワンカップを買った。 事前に「ホテルでの過ごし方」を色んな大人にリサーチしていた。それによると誰にも邪魔されずテレビを見、静かに酔って寝落ちするらしい。家ではありえない充実した一人の時間を満喫するそう。 マネした。テレビもつけた。 酒を呑むゴクッゴクッという音が独房に響き、テレビの音がガヤガヤ鳴った。ゴクッゴクッ、ガヤガヤ、私が動くとベットのスプリングがギーギー鳴り、外から救急車の音が聞こえた。 隣から物音がした。誰かいる。誰だろう。耳を澄ますも聞こえなかった。 酒を飲み干した。テレビのガヤガヤが人間の気配を吸い取っているような気がしてテレビを消した。 「このガヤガヤはニセモノ、ニセモノは苦しい、本物のガヤガヤが欲しい」 テレビはいけない。テレビが怖くなった。酒も変な感じで回った。頭ばかりが痛くなった。近所に呑み屋はなかった。それを確認してこの宿をとった。 「もうちょっと呑もう」 とりあえず部屋から出た。しっかり酔わねば独房で孤独死する可能性があった。ロビーに野球少年が三人いたので話しかけた。長崎から来たらしい。前述のように「パンをおごる」と言ったら更に五人増えた。八人の少年を引き連れコンビニへ行った。1200円分のパンと冷酒を買って宿の前で呑んだ。 少年達と野球や恋の話をした。もっと話したいのに少年たちはサッと食ってサッと帰った。 「もっとご馳走するから付き合って下さい」 言いたい。言えない。言えなかった。それ以上言ったら変態じゃないか。黙って恐怖の独房へ戻り、テレビをつけず、むりやり寝た。 出張先の仕事もなかなか辛かった。案の定、ナウい部分が先に進まずうろたえた。 最初のブレイクスルーはメールで送られてきたマニュアルを全部紙で出力する事から始まった。中年は思い切ってペーパレス時代に反旗を翻した。するとどうだろう。拒み続けた脳味噌がブ厚い観音開きを思いっきり開けた。 「この不思議は何?」 モニター閲覧を諦め、紙で読み始めるとスイスイ入った。 笑ったのは落ちついて現場を見渡すとペーパー派が意外といた。私より年上はそもそもモニター閲覧を放棄。全数印刷、製本し、私と同じように赤ペン構えて読んでいた。 「やっぱ紙ですよね紙」 「むろん紙です」 何だか凄く安心した。 次なるブレイクスルーは電話。一通り色々やってダメならば作った人間に聞くしかない。 今時の若い技術者は電話が苦手らしい。私も苦手だけれど、壁を突破しないと家に帰れないから勇気を持って受話器を握った。 先日、同じ感じの立ち上げ現場で私のノウハウを若手に教えた。これがとても感謝された。 「その電話じゃダメだ!お前には理系特有の俺は知ってるぞ的プライドがある!まずはそれを捨てよ!電話する時点で俺たちは既にバカなのだ!バカになれ!今から俺はコールセンターに電話する!俺の電話を隣で聞け!」 若者を隣に置いて商品のコールセンターに電話した。 「すいません、全く動きません、僕はバカです、バカに分かるよう簡単な言葉で、簡単な方法を、ゆっくり教えて下さい」 感動する若者にドヤ顔を見せつつバカでも分かる対処法を口頭そしてファックスで聞き出した。更に「明日まで回答を待て」と言われた際のすがり文句も実地で教えた。 「終わらないと帰れません(これは事実)、突破口を下さい、突破口がないと僕は機械を前に夜通し立ち尽くすのです」 我々立ち上げ技術者にとって商品窓口の使い方というのは極めて重要。理系の技術者は得てしてプライドばかり高いから聞く方も受ける方もすぐ分かったふりをする。それが立ち上げ時間に跳ね返り遅々として進まなくなる。最初に「僕はバカです」と告げる。その事で相談を受けた人は完全に上位に立つ。そうなると理系のプライドにかけ絶対に分からせようとしてくれる。 この若者は吸収力に富んでいて、次に会った時、胸を張ってこう言った。 「今では土下座もいといません、立ち上げは時間が命です」 立ち上げ技術者はせっかちでなければならない。「早く帰りたい」その一心に燃え、すがってすがってすがるのだ。 とにかく今回もつまずきの連続ではあったけれど、色んな人にすがり付き「帰っていいよ」という運びになった。 尚、昼飯にもドラマがあって、余計なプライドが障害を生む事をしみじみ学んだ。 向こうの席に座っているガテン系がずっと私を見ていて、食えずにオエッてなった瞬間「増えた増えた」とゲラゲラ笑った。 話を戻す。 やっぱりムリだと諦めたのが独房暮らしだった。場末の合宿ホテルから駅前に移り、繁華街で呑むようになった。 居酒屋のカウンターで数日呑むと顔見知りもできた。 「よっカラクリ君!席あっためてるよ!」 常連に迎えられ「これなら大丈夫、生きていける」と思ったけれど同じ話にうんざりしだすとやっぱり苦痛になった。 次は知り合いに片っ端から電話した。が、その知り合いも中島みゆきの歌じゃないがそうそう付き合わせてもいられず、ついには嫁を出張先に呼んだ。 このままでは悪女ならぬ悪男になれないと思った。 酒場で聴いた中島みゆきがよく沁みた。 悪女になるなら月夜はおよしよ素直になりすぎる 隠しておいた言葉がほろり、こぼれてしまう「いかないで」 ビルの谷間で月は見えない。見えないけれど私は素直になりすぎた。隠しておいた言葉がほろり「出張先に来ておくれ」 悪女になるなら裸足で夜明けの電車で泣いてから 涙ぽろぽろぽろぽろ流れて涸れてから 着替えも尽きた。洗濯したいけど洗濯する気が起こらなかった。靴が臭いのでサンダルを買った。裸足のサンダル履きで夜明けの小倉に立った。ホテルの窓から新幹線が見えた。涙がぽろぽろぽろぽろ流れて涸れて独房生活の終焉を喜んだ。 「悪男になんかなれなくていい、嫁と子が来る」 嫁だけ呼んだのに子も付いてきた。まぁいい。今日の仕事が終わったら独房に灯りがある。寂しがりの面目躍如。時間がキラキラ輝いた。 その日の仕事は覇気が違った。午前中で仕事を終わらせ例の食堂へリベンジに走った。前のガテン系が大盛りを頼んだ。が、今日の私は調子にのらなかった。冷静に自分を見つめ、 「皿うどん普通盛で」 背伸びせず「普通盛」が言えた。 午後から装置メーカーのチェックを追え、足早に新門司を後にした。後にする際、新門司の顔・フェリー乗り場を写真に撮った。 唐招提寺を二階建てにしたみたいな中国建築は、たぶん偉い人が酔っ払って決めたのだろう。開業年を見たら1991年となっているからちょうどバブルの建築で、時代の雰囲気を知るには打って付け。国を挙げて大フィーバーの余韻があった。 「フィーバー、そう今夜はフィーバー」 私は興奮していた。何しろ家族に会ってない。だいぶ会ってない家族が小倉のホテルにいる。 車を停めてチェックイン。嫁と子は既にチェックインを終えていた。部屋にいるらしい。 「灯りのついた部屋がある」 エレベーターが待てず、階段で指定の部屋へ走った。 ノックした。出なかった。 ノックした。出なかった。 「おーい」と叫んだ。出なかった。 嫁の名を叫んだ。出なかった。 仕方がないので電話した。買い物に出てるらしい。感動の再開は小倉の駅ビルに持ち越された。私は走った。今度は駅ビルの少女服売り場を目指した。 娘発見。 「おーい!」 父は手を振り、娘も気付いた。こっちへ来た。走って来た。 「おいおい、こんな場所で熱い抱擁か?」 違った。叱られた。 「恥ずかしいけん静かにして」 嫁は更に酷かった。近付かず距離を置き、冷たい声でこう言った。 「汚い格好」 余談になるが、その晩、先輩一家と一緒に呑んだ。先輩の奥様が酔っ払って「夫は早く死ねばいい」と真顔で言った。早く死んで早く保険金を渡すのが最高の夫婦愛と言い切った。 「立ち向かえ嫁、その論に真っ向から反対せよ」 嫁はうなずいた。笑って何度もうなずいて残念そうな顔をした。 「うちの人、過去に難病指定を受けたから生命保険入れないんです、働いて働いて貯めてもらわなきゃ、ねぇもっと働いて、ねぇ」 今日だけはそれを言っちゃおしまいだと思った。出稼ぎを削って嫁を呼ぶ夫の心を察して欲しい。が、ダメ、うちの嫁には察すという機能がなかった。 「そうだ!」 私は体に発した出張病を見せた。首から鎖骨が赤くただれ、血が滲んでいた。嫁なら分かる。絶対分かる。期待した。 「何これ?キモッ!」 全く分かってくれなかった。 夜中にかきむしったらしい。 常日頃、私は左に嫁を置き腕枕をして眠る。私の左に来る者には男女問わず容赦なく左腕が忍び寄り、気持ち悪いと有名。が、出張の独房には忍び寄る相手がいない。左は意志を持って右往左往。そして行き場をなくし首や鎖骨を傷付けた。 「僕を殺すには一人にすればいい、この左が目を抜き舌を抜き僕自身を殺す」 私は自分の事を知ってるつもりでいた。ひどい寂しがりだと知っていた。が、今回の出張で新たな発見を得た。 「自分でも信じられない寂しがりがいる」 左に寄生獣がいる事を知った。 |
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