第129話 時間を守らぬ人を考察す(2017年5月)

嫁がまったく時間を守らぬ。知り合って19年になるけれど守ったためしがない。
「ちゃんと急いでるの!急いでるけどなぜか間に合わないの!」
判で押した言い訳を聞きつつ、ふと守らぬ人の共通点に気付いた。
「言い訳が一緒だ」
身内じゃないから名前は出せぬがコンスタントに遅れる人が数名いる。毎回必ず同じ言い訳を発し、慌てた様子で遅れて来る。ホントは慌ててないくせに慌てた様子を見せるのも共通のルーチンで、それを指摘すると全員決まって開き直る。
「だったら諦めて!私だよ!私だからしょうがないじゃん!」
なんだろう、時間を守らぬ人には何か独特の凛とした感覚があるように思える。私はそれを知りたいと思い、守らぬ数名を黙って半年観察した。そして一つの違いに気付いた。
「時間に対する認識が全く違う!」
我々守る人々は時間を活用しようと試みる。それは無限にあふるるものではなく、今生という器に入った有限のもので、だから計画という名の面倒臭い時間割を引き、なるべく活かそうとする。
守らぬ人の感覚は違う。湧いてくる時間を絶対無限と信じている。
例えば嫁。嫁は今をやり過ごす事に夢中で、これを使って将来何かやろうなんて気は毛頭ない。押し寄せる時間を受け流しつつ今のみを全力で生きている。が、時にはやり過ごせない事もあって、例えば子育て、例えば約束、例えば嗜好にドンピシャ野球観戦。流し続けると自分の立場が苦しくなる、もしくは目の前の楽しみが消えてしまう、そういう事に関しては急に時間を受け止める。ただ、その感覚として時間は無限と認識してるからタイミングが遅い。完全に手遅れとなって、いきなり気付く。
「えー間に合わないよー!」
私は見た。嫁は余裕を持って2時間前に起きた。が、守らぬ人の余裕は無用の産物で、
「受ケ流シ廃棄セヨ」
脳味噌が即刻指令を出すらしい。
嫁は押し寄せる時間の波を受け流し、まずはテレビを見た。次いで台所に立った。が、全くやる気が起きない。ボーッと口を開けたまま茶の間をぐるぐる歩き始めた。
(何をしたいのか?)
嫁も分かってないに違いない。とりあえず座った。またテレビを見た。完全に目が死んでいた。早起きで生じたムダな時間を精一杯やり過ごし、定刻を迎え、やっと気付いた。
「間に合わないよー!」
スイッチは必ず遅刻の時間に発動する。なぜ間に合う時間に発動しないのか。それは時間を守らぬ人の凛とした美学に違いない。
「私たちは守っちゃいけない!ちょっと遅れなきゃ!」
倍の時間を死んだ瞳で捨てたくせにスイッチが入ってからの暴れ方も凄い。
「あー!もー!忙しいよー!どうしてくれるのー!」
これを言いがかり、もしくは反動、自業自得という。
隙間から嫁を観察していた私は何食わぬ顔で茶の間へ出た。
「間に合わないよー!ほら子供起きろー!ギャーこんな時間!ギャー!」
いつもこのへんから嫁を見てるけど、その日はそこへ至る経過をじっくり見た。見て分かった。時間を守らぬ人が発する慌ててないくせに慌てた感じのルーチンは、いちおう本当に慌ててて、だからこそ「ホントは慌ててないくせに」と言われるとマジギレするのだ。
嫁以外にも同様の観察を試みた。
農作業を理由にいつも遅れてくる老人がいた。その老人を遠くから観察した。
老人は時間になっても全く慌てなかった。それどころか暇そうにアクビをし、農具を持ったままウトウトした。が、急にスイッチが入った。
「あ!約束の時間だ!」
慌て始めたのが約束の10分後だった。
話を嫁に戻す。
嫁は人生の目標をこう定めた。
「波風立てず人生を終える」
ムダな抵抗をせず、時の流れに身をまかせ、流れ流れて一生を終えたいと言う。
「お前はテレサテンか」
突っ込みたくもなるが、もう一つ注文があるらしい。
「私がやりたい事は全部やらせて、全部やるけどね」
煩悩前面押しと無の共存は意味不明だが目標は勝手気ままが良く、これだけ態度で示せたらわがままを通り越し素直に属す。素直は考えないから死なない。考え過ぎの私は早く死ぬだろう。
兎にも角にも波風求めて先手を打つ私は嫁から見れば愚の骨頂。が、色んな考え方はあろうとも時間は有限、それは事実、事実ゆえ万人等しく揺るぎない。
「約束は人の時間を奪わんためにするもんぞ、そこだけは想いを馳せてくれまいか」
何を言っても嫁には届かぬ。人の心を想像した事ないから人の時間など知ったこっちゃない。
「たまには嫁を待たせよう」
遅れてみるも心が痛くて五分前に着いた。
今回の考察で分かった。
待つ人は死ぬまで待つ。待たせる人は死ぬまで待たせる。それが世の摂理だった。



死ぬまで待つ人のイメージ




死ぬまで待たせる人のイメージ

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