第136話 赤ちゃんのいる家(2018年3月) 2月9日「肉の日」に産まれた四女は2月14日「チョコの日」に我家へ来た。記念日はデブっぽいのに体は小さく、身長48センチ体重2キロちょいしかなかった。 病院へ迎えに行きながら搬送手段を考えた。抱っこは危険だし、チャイルドシートは未熟児寸前だから固定できない。手頃なダンボールはないかと探しながら収穫コンテナがドンピシャはまる事に気付いた。 「最高だ」 四女が収穫コンテナに乗って我家に来た。 それにしても赤ちゃんのいる家がどんな感じか、すっかり忘れた。嫁も忘れたらしい。十年さかのぼっても三女が二歳だから全く思い出せなかった。 とりあえず収穫コンテナのまま茶の間に置いて数日暮らした。 うーん、暮らしても記憶は戻らなかった。 私に関して言えば赤ちゃんはそこにいるけど接する機会が薄いというのがその理由に思えた。埼玉から義母さんが来てくれてたし、最初は珍しいから姉三人が大興奮。父親の寄る隙間がなかった。 そうそう、弟の家にも赤ちゃんが産まれた。 弟のところは12月産まれ。小さな甥っ子を連れて遊びに来た。が、小さいと言っても5キロあるらしく、並べてみると2キロと5キロだからサルとゴリラぐらい違った。 義母さんは二週間の予定で埼玉から来てくれたけど風邪ひいて一週間で帰った。 「自分の布団で寝たい」 涙目で語る義母さんを誰も止める事ができなかった。 義母さんが帰る日、実母が来た。 昔から義母と実母は噛み合わず、噛み合わないのにやたら喋ろうとした。それがおもしろく、今回も隣で聞いた。 笑った。何年経っても全く会話にならなかった。 二人ともテキトーに相槌を打ち、勝手気ままに喋りまくった。内容はどうでもいいらしい。喋ったという事が重要で、何一つ残らなくともそれが七十手前のスキンシップと知った。 さて、義母という大きな戦力が欠け、なくてはならない存在に伸し上がったのが三女。自らの事を「チーママ」と呼び、ままごとの延長、リアルままごと突入で唯一オムツ替えを覚えた。 長女と次女は可愛がっても世話する気は毛頭なかった。抱っこはするけど泣いたら即三女を呼んでサッサと逃げた。(自分を見てるようで腹立つ)嫁も三女しか使えないもんだから三女に依存した。それが三女を刺激した。 「私の赤ちゃん」 三女はそういう気分になり、その気分を信じた。 三女は昨日までやってたリカちゃん遊びを卒業し、リカちゃんを倉庫へ仕舞った。そしてそのままリアルままごとに移行した。 名付けも三女の気分に貢献した。 名前は紆余曲折の末「菜穂」と決まった。私が出した案の中から嫁が決めた名前で、そういう意味じゃないのに、 「菜穂の菜は美菜(三女の名前)の菜をとったのよ〜」 赤ちゃんに歌って聴かせ、周囲にも吹聴し、ナホの字を聞かれると、 「美菜の菜に稲穂の穂って書きます」 誰も分からぬ説明を繰り返した。 菜穂は完全に三女のおもちゃになった。 ひと月経って宮参りになった。 近所の神社は無住ゆえ祖父に祝詞を上げてもらい神具も手作りで作った。段取りは三女に任せた。すると鈴を鳴らす三女の先導で全員ムーンウォークをさせられた。更に儀式が終わると神社三周ダッシュが命じられ祖母は死にそうになった。 結果として独創的で素晴らしい宮参りになった。祖父と私は「美菜に任せてよかった」と褒めたけれど、嫁と祖母は新手の宗教団体に間違えられないか人目ばかりを気にして終わった。 赤ちゃんのいる生活も一ヶ月を過ぎると落ち着いてきた。未だ昔の記憶は蘇らぬけれど「こんなもんだっけ?」そういう感じになってきた。 嫁はさすがの四人目で何があろうと慌てなかった。ぬりかべのようにのっそり動き、赤ちゃんが泣き疲れた頃おっぱい出して現れた。で、チューチュー飲ませながら一緒に寝た。クビの据わってない赤ちゃんは毎晩イナバウアーの格好で誰かに発見され、慌てて姿勢を修正された。 「あー危ない!死ぬとこだった!」 思ってないくせに慌てたフリをする嫁が公務員みたいでカワイイと思った。 私の父親感も何だかヘンな感じになってきた。四姉妹唯一の自営業中に産まれた子供ってのもあって昼夜問わず抱っこするから接する時間が長くなり、前の三姉妹より早い段階で父親になった。そこに節介焼きの三女がグイグイ割って入るから半ばじいちゃんの気分もあって新鮮な感じがした。 「四十路の子育て、これはこれでなかなか楽しい」 二十代の記憶だろうか、過去のそれがぼんやり浮かんで比較した。赤ちゃんのいる家ってもっともっと戦場だった気がした。嫁は常にヒステリーで、荒れ狂う海をエンジン全開で突き進んだような…。それが今、共に四十路になってしまうと何だか変な感じに落ち着いて気味の悪い余裕があった。余裕があるから二人で四姉妹を観察し、ヘラヘラ笑ったりした。 上三人と四女とのふれあいが三者三様でおもしろかった。 長女は気が触れたように「なぁちゃーん」と叫び、スマホで写真を撮りまくり、お気に入りのジャニーズ音楽をむりやり聴かせる事に熱中した。ハッキリ言って迷惑で気持ち悪かった。 次女はクールを装った。「赤ちゃんに興味がない」と言いながら誰も見てないところで静かにスクワット抱っこをしてた。優しさを人に見せない田舎ヤンキーの美学を見た。 三女は前述の通り「チーママよーん」って言いながらお節介を続けた。四女を「私のおもちゃ」と語る通り、扱いが雑で飽きたら放り投げた。が、誰より世話をするので嫁をして「私の右腕」と言わせる存在になった。 私は焼酎呑みながら賑やか一家の端っこにいる。 「うーん平和だ」 赤ちゃんのいる家を私は少し恐れていた。荒れてなんぼだと思っていたし、事実そういう感じでスタートしたように思うけど、五十日の時が過ぎ、今そういう感じになって赤ちゃんのいない家が分からなくなった。 赤ちゃんのいる家は確実に笑い声を増やし、何だか時間に照りが出た。が、一つだけ問題もあって、預金通帳が泣き始めた。 恥ずかしいけど正直に書いて自戒としたい。 今年に入って私はほとんど仕事をしてない。嫁も仕事しろって言わない。これは「赤ちゃんと積極的に遊べ」っていうメッセージに違いないと判断し、朝も昼も納期前も遊べる時は遊ぶようにした。 何だろう。この遊びを優先する強い気持ち。これは赤ちゃんの隣に高校生や中学生の娘がいて、赤ちゃんという時期が一瞬の煌きだと教えてくれるからだろう。 同じ子供とはいえスマホに夢中の無表情ガールとウンコぶりぶり百面相赤ちゃんでは雲泥の差があり、その差が「今遊ばなきゃ」って今への思いを強くした。 呑み会も以前は「仕事の一環」と言いながら誘われたら全部行ってたけど今は楽しいのしか行かなくなった。そんなの行くより娘の白目を見てた方が百倍楽しいと思った。 ジーッと見る。ズーッと見る。仕事放り投げ、しみじみ見る。 「赤ちゃんの顔ってホントすごい!」 この豊かな変化は何だろう。赤ちゃん百面相を延々見てると人間が無表情になる事は大罪だと思えてきた。 仕事柄、頭のいい人と付き合う機会が多いけど、そういう人やパソコン詳しい人にやたら無表情の人が多く、生きものと向き合ってる気がしなかった。そういう人たちを思い浮かべながら愛娘に叫んだ。 「バカでもいい!表情豊かな生きた人間になれ!」 そんなこと叫ぶ暇あったら仕事すりゃいいのにって思うけど、赤ちゃんのいる家はどうしようもなくそういう気分にさせてくれた。 四月になった。 長女は高2、次女は中2、三女は小6、何と今年度は三人揃って修学旅行らしく、まとまった金がいるらしい。 「四月から本気で働くぞー!」 やる気満々その初日、私は出鼻をくじかれた。二度寝の嫁を見てしまった。 「この絵はムリ!仕事やる気起きーん!」 出勤前ジーッと見てたら昼になって、一緒にギャーギャー遊んでたら夜になった。 深呼吸して考えた。 「うん、間違いなく身の破滅だ」 勤め人ならまだいいが自宅自営業で赤ちゃんのいる家はホント苦しい。働かなきゃ食えないけれど、朝昼晩、労働意欲を吸い取られる仕組がてんこ盛りだった。 「ほら菜穂ちゃん笑ってるよー」 「おー!」 「そろそろ仕事した方がいいんじゃなーい」 「ムリー」 「じゃーそのまま抱っこしといてー」 「オーケー」 私は自宅仕事をあきらめ最も苦手な出張仕事を請ける事に決めた。 ちなみに赤ちゃんがいる家では食えないものを発見した。 「鳥の丸焼き」 嫁が「オムツ替えみたい」って言ったら家族全員無言になり「ごめんね」って謝った。赤ちゃんのいる家は何となく優しい。 |
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