薩摩の光
【道化師F】
私とNは焼き鳥屋で刺身を食べた。二人っきりで呑むなど初めての経験に思えるが、こういうのもたまにはいい。ギャルがいれば猛烈なテンションとエネルギーが必要で、疲れた体には適さぬだろう。
静かに呑んだ。
Nは携帯を気にしている。携帯嫌いの私は時代遅れと知りつつも携帯メールを全く使わず契約すらしていないが、ナウいNは巧みに携帯メールを操っている。私と呑んでいても、気になる誰かがいるらしい。
「呑む時ぐらい携帯ば捨てんね!」
イラッとした私がNを責めたところ、
「Mちゃん、来れるかもしれんって言うから」
N、そのような事を言う。
「む!」
私は二の句が継げない。Nは喋りながら携帯を操っている。
Mちゃんはハンドボールをやっているらしい。試合で来れないと言われたが、突如打ち上げが中止になり、「行けそうだ」という一報が入ったそうな。
私は、ぼんやりとNの説明を聞いた。Nはニヤニヤ笑った。
「どうする? 断る?」
何というイヤらしい質問だろう。例えばキムタクの熱狂的ファンがいたとする。
「キムタク呼ぼうか」
目の前の友達が軽いノリで言った。
「えっ、いつ?」
「今日、今から十分後」
ファンは失神寸前で身悶えるに違いない。いつもの夕食会である。そう思ってファンは来た。普段着であろう。化粧も薄いし髪もボサボサであろう。大混乱に陥り、
「いやー! やめてー!」
叫び出すに違いない。友人は笑っている。笑いながら大ファンを見つめ、
「やめようか?」
嫌な笑顔を見せる。
これとN、何の違いがあるだろう。「断る?」と聞かれた私は絶句するしかない。
「う、うう、うーん!」
苦しみながら、
「せっかくだけん、呼ぼ」
そう返した。が、声が張れない。緊張の始まりであった。
Nはもちろんその反応が分かっていて、手元は連絡を取り続けている。
「来るんだって」
「後何分?」
「一時間くらいかな」
「うっ! 胃が痛い!」
私の苦しみはそれからピークを迎えた。私を笑うN、私を酒のつまみにするN、マジで憎らしい。
「何で口数が減るの?」
減るのは当たり前である。心が浮いてしまっている。変な空想の連続で、できる事なら草葉の陰から見守りたい。
「そんなにソワソワするなら断ろうか?」
「ムッ、ムカツクー!」
思えばNは不幸である。Nは容姿の問題からフラれた事がない、もしくは少ないだろう。ゆえ、こういった心が理解できないらしい。私はNの挙動に苦しまねばならなかった。
私の髪は十時間以上もヘルメットを装着した事でペチャンコになっていた。それはスキンヘッドの人が黒いマジックで髪を書いたかの如く、違和感の塊であった。相手がNならどうでもよろしい。が、Mちゃんだからそういう訳にはいかぬ。膨らませようと努力した。が、十時間のそれは頭皮に食い付いて、なかなか離れぬ。諦めた。
服はジーパンにナイロン製のジャンバーであった。紺と紺の組み合わせで、あまりに地味である。
「晴れの席に地味過ぎんかね? 蝶ネクタイいるかね?」
「は?」
何と男心の分からぬNだろう。Nの言葉は一々私を串刺しにしたが、私の言葉は流された。
「車をウチに停めたんだって、後五分です」
Nは業務連絡でもするが如く、携帯が発する情報を読み上げた。Nは鬼か悪魔か、それとも天使か。
私は、ますます挙動不審になった。私が恐れている事は二つあって、一つはMちゃんの目である。これは前述の応急処置以外どうしようもない。
例えば、
「変わり果ててしまったね」
Mちゃんにそう言われた瞬間、ガラスのような青春の光は壊れてしまうだろう。
容姿云々は小さい事である。あれから十一年、一年一キロ義務として太ってきたので、単純に十一キロ太っている。太ったと言われても痛くも痒くもない。それに関しては免疫最強で、「太った」と言われ腹を見せるのが快感になりつつある。恐れているのは雰囲気であって、発する熱の量が十一年前と明らかに違う。これは生きものの自然現象であるが、時と共に熱が減り、変わりに熟成された何かを持たねば人は「変わったね」と冷めた目で言われてしまう。
雰囲気は歩いた道がつくる。人生は人に迷惑をかけねば自由勝手こそ輝く方法であり、人にどやかく言われる筋合はないが、相手が青春の光ではそうもいかぬ。落ち込んでしまったが最後、鹿児島へ行けない体になるだろう
恐怖の二つ目はMちゃんの変貌である。私の中からMちゃんのカタチが消えている。しかしボンヤリとした十一年後の虚像はあって、真宗であれば阿弥陀如来のように、象徴的な像がそこにいる。多少の誤差は許すだろうが、例えば仏師に阿弥陀如来の製作を頼み、イエスキリストの木造が届けられたら当然怒る。そんな感じで、誤差の範疇を出ないで欲しいと願っている。できれば薬師如来、地蔵菩薩、それくらいの誤差であって欲しいと、勝手で申し訳ないが、光の再来を期待しているところに恐ろしさがある。
与える側と貰う側、二つの虚像に怯えながら私は焼酎をガブ飲みした。
吉報もあった。Mちゃんはジャージにスッピンで来るという。
「試合の後だからゴメンね」
そういう話だが、それでこそMちゃんである。出会いもジャージ姿にスッピンであった。変な事だけはバッチリ憶えていて、縦ジマが入ったジャージであった。
私とNは全く喋らなかった。黙々と酒を呑み、私だけ黙々と苦しんだ。
私は恐怖に対抗するため一手を講じた。眼鏡を取った。取れば視力は0.2になる。眼鏡の存在を完璧に消してしまえば失礼には当たるまい。ただし、その存在を消した以上、途中で装着する事は許されぬ。Mちゃんが私の前から消えるまで私の視力は0.2であった。アイドルや神様なんていうものは、ぼんやりしているくらいが丁度良いかもしれない。
Nの電話が鳴った。メールでなく電話は初めてだった。実に楽しそうで良い顔をしていた。
Nは現在フリーらしい。二枚目は晩婚、それも焦って変なのを引くというのは私の持論であるが、Nもそういうカタチになるのだろうか。
「変なのを引く前に気合を入れてMちゃんを落としたら?」
呑みながら私がそう言ったところ、Nは否定をしなかった。
「確かにMちゃんは性格がいいから」
「性格が」という表現に私はカチンと来、
「性格がとは何だ! 俺の青春に向かって!」
食って掛かったものであるが、Mちゃん来訪を目前に控え、
(まさか二人は良い関係なのでは?)
その事を疑い始めた。
Nはノリノリになって電話をしている。この相手がMちゃんであれば、ますます怪しい。電話が終わって聞いてみた。
「誰?」
まるでNの彼女のような言い草だが、疑っているという点、大して変わりがない。
「Mちゃんだよ」
勘の鈍さに定評のある私だが、さすがに何かがある事に気付いた。が、もし思った通りの展開だとすれば、私の道化師ぶりは極まったものがある。
「まさかと思うばってん、二人は既にフォーリンラブ?」
「まさか!」
笑うNがMちゃん待ちの恐怖を吹っ飛ばしてくれた。人間の感情は対極の感情を同時に抱えられないらしい。嫉妬に狂った女は純粋な愛を捨てているのかもしれない。愛ゆえに人は惑うが、惑っている間は愛を見失っているのかもしれない。北斗の拳のセリフみたいであるが、とにかく私は青春の光という超純粋な像をNへの疑惑に置き換える事で恐怖から解放された。
と!
Nの肩越しに小さなジャージが見えた。私とNは向かい合って座っている。Nの後ろが座敷の入口であって、そこにいるジャージが手を振っていた。眼鏡をかけていなかったから失明せずにすんだが、強烈な光であった。
「M! Mちゃん!」
「久しぶりだね! ちょっと太ったね!」
「はい、たくさん太りました」
忘れたはずの恐怖が舞い戻ってきた。が、一つの恐怖は克服された。Mちゃんの変貌に対する恐怖であるが、それは瞬時に消えた。0.2の視力で捕らえたMちゃんは私の虚像と合致した。
(何か喋らねば!)
思えば思うほど私は変な動きをした。録画しておけば良かった。これだけ変な動きをするのは後にも先にもないだろう。強烈な光の照射に苦しんだ。青春に笑われているようで悔しかった。
私は苦しんだ。猛烈に苦しんだ。少なくともNはそれが分かっているはずで、友として助ける責任がある。Nが場を盛り上げるべきだろう。
「なのに、そのニヤニヤした顔はなんだ!」
私が怒るのはもっともであって、Nはニヤニヤし、ゆっくり構えている。
「今日は久しぶりの再会だから二人に喋らせようと思って、僕はオマケ」
「む! むむぅん!」
それから何を話したか、私の記憶に残っていない。夢中という言葉があるが、そういう状態は夢の中みたいなもので、残るものではないらしい。Nから見れば滑稽で笑えたろう。逆の立場なら私も笑った。
私が冷静さを取り戻したのは何気ない一つの質問による。夢心地であったが、そういう中で、
「二人は付き合ってるんじゃないかと?」
そういう質問を発したと思われる。Mちゃんが来る前にNとの関係を疑ったが、そういうのはリセットされ、夢中という流れの中で自然に出た質問がこれであった。憶えていないが、こういうのが自然に出るあたり、よほど二人は良い感じだったと思われる。
二人は見つめ合った。Nが先に目を逸らした。Mちゃん、こっちを見た。笑顔であった。
「さぁ、どうだろ?」
ハニカミアイドルの爆発的笑顔が全てを語っていた。私は天下無敵のピエロになった。いや、私は5.5頭身、完全に和製だから道化師と呼んだ方がピッタリはまる。
泣けてきた。Nは私という道化師をここに置く事で、事態の進展を図ったのだろうか。そうだとすればNは二枚目らしく煮えきらぬが、私とすれば悪い話ではない。私はMちゃんという青春の光を確かめただけで、旅の結末としてはハッピーエンドであった。更にNとMちゃんが付き合えば楽しみは末広がりに続いてくれる。Mちゃんを青春の光と思っているのは私だけじゃない。I、O、IM、Mちゃんにフラれた者が集まって、Nのオゴリで青春パーティーをやれば大いに盛り上がるだろう。むろん、つまみはMちゃんの手製である。涙で塩っ辛くなるかもしれぬが、辛いものは米焼酎に合う。流行りの芋を禁止して、薩摩の光を涙ながらに食すというのは米焼酎の乙なイベントに思える。
さて・・・。
その後の私は徹底している。二人の口から吉報を引き出すべく大いに粘った。
二人が相思相愛である事は分かった。が、美男美女というものは、お互いにカタチをつくるのが下手らしい。見つめ合い、牽制し合うばかりで全く先に進まなかった。
二人は楽しかろう。が、その場に道化師がいる。道化師は息苦しい。何か言わずにはいられない。
「幸せにならにゃんたい」
「気が早いって」
「三十路を越えた良い大人がそぎゃんウジュウジュ言うてどぎゃんすんね?」
「でも、そういうのはちゃんと、ね?」
私は知らない世界を見た。私の恋愛は少しでも可能性を見つけたら、そこに恋愛建築用の陣を張り、人を集めて突貫工事で突き進む。が、余裕のある二人は城の完成を恐れているらしい。石ころを投げ合い石垣を組もうとしている感じで気が遠くなった。
午前二時を迎えた。アイドルが隣にいるため、先に寝るわけにはいかなかったが、この日は体も心も酷使した。酒も浴びるように呑んでしまい、次第に光が薄れ始めた。こうなると私は駄目で、呑みながら顔の重量が支えられなくなった。
Nはそんな私を見付けてくれ、「寝よう」と言ってくれた。Mちゃんの家は同じ国分だが、五キロくらい離れているらしい。日当山というところで、西郷隆盛お気に入りの温泉がある。
「私、代行で帰るね」
「帰らんでいいよ」
「じゃ、ソファーで寝るよ」
「こっちに来なよ」
「えっ、でも」
気になる道化師は溶ける寸前であった。
「気にせんで、おやすみ」
返した瞬間、私は本気で溶けてしまった。
三十路の道化師、見事な仕事であった。

【うわ言の街】
呑みながら夢を見過ぎた。ゆえ、布団の中で全く夢を見なかった。
何時か分からぬがムクリと起き、小用を済ませ、そこに転がっている茶を飲んだ。カーテン越しに外が明るくなっているのが分かった。が、気分は暗い。気持ち悪い。頭が痛い。二日酔いであった。二日酔いの朝は二度寝が辛い。気持ち悪くて寝れなかった。
誰かが起きてきた。Mちゃんであった。
「起きてる?」
優しい声が響いた。目覚ましの声に録音しようと思ったが、それを目覚ましにしては嫁子供への説明に苦しむ。青春の光は非日常であるべきだった。
「どぎゃんだった?」
私は布団から出れない。二日酔いの苦しみと戦いながらNとの進展を聞いた。が、
「わかんないよ」
簡単にいなされてしまった。
Mちゃんが青春の光である理由は、飾り気を削ぎ落とした正岡子規っぽいキャラクターにある。風貌、挙動、セリフまで、人間から徹底的に飾りを落とすとMちゃんになるらしい。女優に躍動感を与える脚本もいい。劇団四季も真っ青の優秀な脚本をMちゃんは持っていて、下地は鹿児島、歴史が培った薩摩おごじょにある。Mちゃんはシンプルに寄って、シンプルに引いていく。一定のリズムがあるようで複雑怪奇な面もある。さざ波のような女であり、十一年ぶりの再会も憎らしいほど女優であった。
「ハッキリさせにゃいかんばい」
「ふふふ」
Mちゃんは何か想っているようであった。Nの新たな一面を思い出しているのかもしれないし、私のだらしない姿を笑っているのかもしれない。何にせよジャージで笑うMちゃんがそこにいて、二日酔いの私が苦しんでいる。それはMちゃんが描いた脚本かもしれない。
「お気をつけて」
私は布団から出れず、苦しみながら手を振った。Mちゃんは何も言わない。少しの間を置き、
「ありがと」
言い残して去っていった。
憎い。Mちゃんの女優っぷりは憎過ぎる。何の「ありがと」なのか。道化師の仕事に「ありがと」なのか、再会に「ありがと」なのか、人生の揺るぎない一齣に「ありがと」なのか、生きとし生ける全てのものに「ありがと」なのか。
「深い! 深過ぎますぞ!」
私は二度寝を試みたが、ますます眠れなくなり、更に気持ち悪くなった。
二度寝から目覚めると午前八時であった。予定では七時に出るつもりだったが出遅れてしまった。ただ、最初に起きた時より気分が良かった。
Nは八時に出社と言っていた。当然起きてるはずだったが普通に寝ていた。
「起きれん、駄目、あきらめる」
Nと話すに、フレックスで九時に出社するらしい。見送ってくれるような雰囲気もないので、一人孤独に家を出る事を決めた。
靴を履きながら大事な事を思い出した。MちゃんはNとの関係を「わかんないよ」という天性のセリフで片付けた。Nはどうなのか。それだけ聞いて家を出ようと、もう一度Nを起こした。
「わかんない」
Mちゃんが言うと可愛いが、Nが言うと気持ち悪い。
「イエス、ノー、ハッキリせんか!」
朝からテンションが上がってきた。テンションが上がると牛丼が食いたくなった。この後、城山公園を散策した後、すき屋で牛丼を食った。
Nは日頃からテンションが低い。特に朝が際立っている。眠くて面倒臭かったに違いない。
「付き合ったという事にしといて」
投げやりにそう言ったが、まさかその事でこれだけ長い文章が贈られてくるとは思っていなかったに違いない。私は呑みながら約束した。
「二人が付き合ったら記念の文章を書くけんね!」
私は膨大な時間を費やし、これを書いた。記念の文章というより道化師の記録であるが、二人の関係は少なくともこの文章より熱くならねばならない。熱くなる責任がある。美男美女といえども、恋だ愛だというものは熱いにこした事はない。是非、ボーボー燃えて頂きたい。
とにかく良かった。私は重い体に鞭を打ち、Nの家を飛び出した。
昨日頑張ったアソカラ号には悪いが、正直バイクに乗りたくなかった。見るのも嫌だった。何が嫌って尻が痛かった。
すぐそばに城山公園があった。地図上では十ミリぐらいだったので気軽に向かったが、城山だけに山であった。いきなりの急坂にアソカラ号が泣いた。
城山は戦時に籠もる臨時の城らしい。1604年、関ヶ原の後、島津義久は隼人から国分に城を移した。現在の国分高校がその城跡で、城山の麓である。
城山に何かある事を期待した。が、公園と遊園地があるだけで歴史の遺産はなかった。ただ、国分の街を見下ろす事ができた。京セラとソニーの工場が街の中心にあって、それを住宅と田園が囲っていた。企業城下町とはよく言ったもので、天守閣や堀がなくとも人は石垣、人は城、立派な城下町になる。
街の先に錦江湾が広がっているはずであった。が、今日も桜島は見えなかった。白く霞んでいて海すら見えなかった。火山灰が舞っているのかもしれない。
城山の登り口に金剛寺という寺の跡があった。島津義久の墓もあったので、古くはそれなりの権を誇ったのだろうが、廃仏毀釈の手本として容赦なく打ち壊された。藩主の菩提寺がこれであるから、小寺に至っては跡形もなく叩き壊されたであろう。
この寺を歩きながら妙円寺参りの不思議を思った。妙円寺参りとは関ヶ原で島津が敗れた後、「この屈辱を忘れまい!」と、島津義弘の菩提寺・妙円寺に向け、甲冑を着た武者が練り歩くという薩摩の伝統行事である。普通、恨みというのは次世代で消えるものだが、こういう行事をやり続けたため、薩摩の恨みは数百年も温存された。結局それが元になり、同じような境遇の長州と組み、明治維新を成功させるに至るのだが、そこから生まれた明治政府は廃仏毀釈という爆弾政策を日本に落とした。特に鹿児島には見本として徹底的に落とした。
(妙円寺参りはどうなったのか?)
素朴な疑問が生まれたので調べてみると今も続いているらしい。ただ、妙円寺が潰されたので、その代わりとして徳重神社をあてたらしい。妙円寺参りは行事の名として今現在も妙円寺参りだが、参っているのは徳重神社、傍目に変だが、やってる人たちはどうでもいいらしく、そういう風に今も続いている。が、その裏で我慢ならぬ人もいるらしい。妙円寺である。たまたま寺のホームページと遭遇したが、猛烈に行政を叩いておられた。確かにその怒りも分かり、理屈も通るが、人というのは厳格に定義されると距離を置きたがる性質があるらしい。粘性高かった妙円寺参りも、今では観光客を呼ぶためのイベントになっているようで、全国津々浦々カネに均され、同じ顔になりつつある。
城山の麓はN宅のある地区で国分の中心である。そこから離れられなかった。ウロウロした。
大隅国分寺跡があった。跡といっても石の棒が突っ立ってるだけで何の面白味もないが遠景は面白かった。国分寺というのは浪費家で有名な聖武天皇の作である。当時の民衆をほとほと困らせたらしい。
史跡というのは残りっぷりに当時の政治が滲み出るらしく、善政であれば誰かが死守し、良いカタチで残る。が、悪政の場合、後世が気合を入れて潰すらしく、全国の国分寺跡はその名残を見つけるのが難しかった。
目の前の国分寺跡は住宅街の片隅にポツンとあり、実に物悲しい。近辺の人もこれが何なのかよく分かってないように思われた。現に国分寺跡をNに聞いたが分からず、探してみようと飛び出したら隣にあった。国分の名も国分寺、もしくは国府から出ているように思われるが、そこに住む住人は国分寺に興味がないらしい。守られている雰囲気がなかった。
そもそも企業城下町というのは歴史に乗っかるカタチで生まれるものかもしれない。企業城下町へ変貌するという事は、地域として生産のカタチを根本から変える事にある。歴史は変化の抑止力だけに、邪魔とは言わぬが、ほどほどで良かったに違いない。国分寺跡は国分を食わせぬが、ソニーや京セラは食わせてくれる。人は分かりやすい方へ流れるようになっている。
国分寺跡の斜め前に国分高校があった。前に触れたが、そこが城跡らしい。目に痛い朱門があったが、それは観光向けの若い建物で、見所は高校を支えている石垣にあった。なかなか良い石垣で、その点、この学校の若者は幸せ者であった。歴史に興味さえあれば殿様気分で勉強や恋愛ができる。格式高い青春は得ようと思っても、なかなか得られるものではない。
国分を離れた。離れる際、N宅の前を通った。まだ車があった。たぶん彼は会社を休むのだろう。道化師Fは夜にたっぷり眠ったぶん、国分の街を散策し、これから熊本へ帰ろうとしている。Nは眠れない夜を過ごしたはずだ。眠れなかったぶん、会社へ仮病の一報を入れ、朝から快眠をむさぼっているに違いない。
何かが生まれれば何かが消える。何かが消えれば何かが生まれる。国分という企業城下町も、色んなものを消しながら生まれてきたのだろう。
熊本までは遠い。時間はたっぷりある。ブツブツ、ブツブツ、うわ言の旅が続く。
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