悲喜爛々13「名付け」

 

 

1、鉄平

 

俺の実父、福山富夫が俺に付けたかった名は「鉄平」だったと耳にタコが出来るほどに聞かされた。

一世を風靡した「俺は鉄平」に影響された、との親父の話である。

しかし、どういうわけか俺の名は「裕教」に落ち着いている。

「なんで?」

当然の疑問だった。

親父は少年だった俺にこう答えた。

「吉田のおじさんが付けた…」

更に、こう続けた。

「鉄平なんて名を付けたら手の付けられん悪ゴロになるばいってオジサンから言われたけんなぁ…」(悪ゴロ:悪ガキ)

と、親父の第一志望「鉄平」はおじさんから強烈な批判を受けたらしい。

そして。

「裕教がよか。画数も最高たい」

おじさんのこの言葉で俺の名は決まった。

裕教、つまり裕な教えを与える子、親族の願いは実に深いテーマを帯びている。

これを踏まえ、少年時代を振り返ってみる。

うんこに爆竹を突っ込んで級友に投げつけたり、プールに緑の絵の具を入れ「バスクリン」と言ったり、ランドセル一杯のミミズを女の頭からかけたり… と、そういった絵しか思い描く事が出来ない。

(いかん、いかん…)

いくら考えても、裕な悪戯しか浮かばず、裕な教えと言われてもろくな絵が浮かばないのである。

これらの事実をまとめ、考え、結論付けた福山的名付け論を公表する。

『名前は関係ない、それに込められた思いで子は育つ』

親父は俺を鉄平と思って俺を育てた。

名は裕教だったが「手の付けられん悪ゴロになるばい」と言われてしまった鉄平の思いで親父は俺を育てたのだ。

思いが子を育てる。

俺は道子にきつく言った。

「字画は見るな、名は思いで付けるぞ」

 

 

2、名前の提案

 

道子の妊娠が分かってから、同僚の諸先輩方は思うがままに俺の子の名を考え、都度言い放った。

「ギャン」

俺が使う熊本弁とガンダムの登場キャラから取ったらしい。

「マキ」

言わずと知れた俺の失恋した女である。

結論、先輩達に頼った俺が馬鹿だった。

 

熊本の級友に案を求めた。

「鹿子」

長嶺氏が「最高傑作」と言い放ち、この名を挙げてきた。

「なぜゆえに?」

問う俺に長嶺氏はこう言った。

「お前は山鹿出身だろ、福山鹿子、つまり福がある山鹿の子」

(うまい!)

思ったが、これは、道子が強烈に却下した。

長嶺氏はこれに負けじと次から次に案を上げた。

「超道子」(きみこ)

ものすごい道子という意味であろうが、福山家の電波塔と言われているオバサンと同じ名という事と強烈な道子からの反対により却下。

「優道子」(ゆみこ)

俺的には道子と子供の顔が似ていた場合でも普通の道子と優しい道子で差別化でき、(いい…)と思ったのだが、これまた道子より却下要求。

他にも20くらい挙げてもらったが道子がことごとく却下した。

「結局、何がいいんや!」

一度も「うん」と言わない道子に俺は怒鳴った。

道子は男に乞う女郎の様な上目遣いでこう言った。

「えーと、何も考えてないんだけど…ナナちゃんなんてどう?」

「ぐえっ、気持ち悪い! スナックの女か?」

俺は毛虫の様にクネりまくる道子に一喝し、チラシの裏に思い付く名を書きなぐった。

(これは人に頼るわけにはいかん、俺が決めねば)

心からそう思った。

 

 

3、俺 VS 道子

 

3月17日、予定より9日も早く子供が生まれた。

名前はまだない…

と、夏目漱石的な出だしではあるが、この一文ほど悠長な事態ではない。

お七夜まで、つまりは七日で名を決めねばならないのだ。

俺は道子のいる春日部を離れ、2、3日は祝酒に明け暮れたが、それからは(やばい!)、本気でそう思い、チラシ裏3枚に名を100ほど書き上げた。

そして、その中から選りすぐりの10選を心のメモ帳に移し、子供と共に退院した道子へ持って行った。

道子は実家で養生しているため、義母さんの同席は免れなかった。

厄介な敵二人を正面に迎え、名付け会議が始まった。

お七夜前日であった。

「名前だけど、お姉ちゃんはハナって呼んでたよ。 どう?」

道子が姉ちゃんを盾に軽いジャブを放った。

(ハナぁ?鼻が特徴的だからハナか?)

そう思ったが、聞けば「花」という。

(風俗嬢じゃあるまいし、ましてや山田花子みたいになったらどうする?)

思ったが、義母さんが「かわいい名ねぇ」と言っていたので口にするのは止めた。

「気に食わんな」

それだけ言った。

そして、心の10選より下位にランキングするモノを言ってみる事にした。

「俺は日本的な名が良いと思っている。日本の心が宿った名だ」

「ふぅん」

道子が軽く頭を横に振った。

意味が分からないらしい。

義母さんはテレビに爆笑しながら、煎餅を食べている。

「ユカタ、もしくは囲炉裏はどうだろう? ウナジでもいいが…」

「囲炉裏」が本命だったが、あえてそれより少しだけ劣るオマケを付ける事で「囲炉裏」の輝きを増す作戦だった。

しかし。

「やだよぉ、そんなの」

俺が悩みに悩んだ傑作「囲炉裏」を道子は一秒も待たずして叩き斬った。

「そんなのとは何や!」

俺は思わず怒鳴ってしまったが、

「そんなの、私も嫌だわさ」

横から義母さんまでもが出雲弁で否定してきたため、それ以上突っかかるのは止めた。

「じゃあ、道子は何がいいんや? ナナなんてお水っぽい名はやめろよ」

もし、ナナという名の人がこれを読んでいたら申し訳ないが、ノンフィクションなのでお許しいただきたい。

とにかく、そう聞いた。

「ナナのどこがお水なのぉ… じゃあ、桃香は? 春奈は? さくらは?」

「うえっ」

俺は堪えられず嗚咽を洩らしてしまった。

寒イボが体中を占拠した。

俺も嫁から離れて3日間、飲んでばかりいたわけではない。

会社でインターネットを用いて調べたり、本屋で立ち読みしたりして、世の中の名付け動向を調査したつもりだ。

道子がいう名は全てが動向どおり、つまりはナウい名前なわけである。

俺は我慢出来ずに嫌面最高潮で道子に言った。

「お前はシャネルか、グッチか、リーバイスか! このブランド志向めが!」

「どういう意味?」

道子も嫌面で返した。

「お前は皆が付ける流行の名がいいんや? お前が言うのはどれも最近の名付けランキング上位の名ばかりた。 そんなん名簿を開けたら必ず同じ名がおって、福山の方のさくらちゃんとか言われるんぞ。 みんなブルマーに名前だけ書いているのに、俺の娘だけは『(福)さくら』とか書かれるんぞ。 かわいそうと思わんとや!」

「だって、かわいいじゃん」

「馬鹿たれ! かわいいとかじゃなくて思いで付けろって言っただろが! そんな、かわいい、かわいい、かわいいって言うなら『福山カワイイ』って付けろ! 大体、お前が一番付けたい名はどれや?」

「春奈」

「かーっ!! 太陽の元彼女と同じ名や! あー、ナウいナウい。 それでお前はその名にどういった思いを込めてるんや?」(太陽:俺の級友)

「なんにも… でも、かわいいじゃん」

「アホたれ、馬鹿たれ、マヌケたれ! 気持ちが無い! そんな名はスカスカの紺屋豆腐と一緒た」

「じゃあ、福ちゃんはどういうのがいいの?」

(よし来た)とばかりに俺は袖をまくった。

額には汗が滲み出ていた。

横では義母さんが「あら、春奈、かわいいじゃない」と言っていたが、触れずに流した。

(道子以外の話は聞かない)

前の反省でそう思っていたからだ。

「まず、さっきの囲炉裏」

俺はチラシ裏に囲炉裏と書いた。

「それは本当に嫌だ」

道子が項垂れて言ったが無視した。

「次に、百恵」

「え、なんで?」

「言わずと知れた大ファンの山口百恵だ」

「やっぱり… それしか連想出来ないもん…」

これもあまり、乗り気ではないらしい。

しかし、これこそが俺の10選トップに君臨する名だった。

食い下がらずにはいられない。

「何でや、千恵だと欲張りすぎだし、十恵だと足りない、百恵で100年生きたら丁度良い塩梅に幸せが来るだろうが!」

俺は道子に食い下がった。

「やだよ、もろに山口百恵じゃん」

またもや一刀両断である。

横で「そうねぇ、本当に山口百恵しか連想出来ないだわさ」と義母さんが言っている。

(ああ、くそっ! このコンビ、腹立つ!)

俺は必死に怒りを抑え続けた。

「じゃあ、シンプルに春、これはどうだ。 やっぱ、春香とか桃花とか春を連想させるものがあるが、これにかなう春らしさは無いだろう。 シンプルイズベスト」

「うーん、春ちゃんかぁ、呼びはかわいいけどねぇ…」

「春ちゃん。 あら、かわいいじゃない」

初めて、義母さんも食いついた。

道子にしてもこれ然りである。

「な、よかろう? 福山春。 活字で書くとこれがまた更に美しいんた! ほらほら!」

俺はチラシの裏に一番でかく書いた「福山春」これを見せた。

「春は盲点ぞ。灯台下暗し、春に菜とか花とか付けてる奴がしまったと悔しがる最高の名前た。 春といえば、一期一会を大切にする子になりそうだし、桜も咲くから見た目もよくなりそうだし、なんと言っても一番テンションが高い時期だ。 更に福山春、福の山から春が降りてくるなんてカモがネギしょって来る様なもんぞ!」

俺は「んー」を繰り返す道子に一気にまくし立てた。

「更に、更にな。 春ちゃん、春さん、春ばあちゃん、どの年代にもベストマッチ。 こんな全天候型の名前は無いぞ」

「どうだ」とばかりに俺は締めた。

自信があった。

百恵が却下され、囲炉裏が却下され、その他細々した名も却下された以上、俺が名付けする為には「春」これを推すしかなかった。

それに実際に目から鱗の素晴らしい名だ。

道子は顔を上げた。

「うんっ」

言うと、チラシ端に書かれた名を指差してこう言った。

「やっぱり、春奈がいいよ」

 

ギャフンッ!!

 

話は振り出しに戻るのであった。

 

 

4、結論

 

「お前と話すと話が進まんぞ! もう、お前が付けろ! 俺は次の子で付ける」

俺はそう言うと、文章学校に出かけた。

道子は

「二人で決めなきゃ!」

と、足早に去っていく俺に叫んでいたが、前述の様に「春奈」しか挙げて来ず、「思いも無い、ただかわいい名がいい」としか言わないので俺は怒り爆発で家を出た。

(くそっ、話にならん!)

何度も叫びながら、電車に乗った。

 

春日部に帰ったのは深夜も深夜、午前様の時間だった。

当然、アルコールも入り、怒りはすっかりどこへやら、極めてご機嫌だった。

「ただいまー」

帰ると、道子も義母さんも起きていた。

夜泣きする子供をあやしている。

と。

義母さんが子供に向かってこう言った。

「春ちゃん、パパが帰って来まちたよぉー」

「義母さん、子供喋りは止めて下さいよ」

俺は咄嗟にそう言ってしまい、肝心な呼び名を聞き流したが、微かに違和感は感じた。

「福ちゃん、子供の名前、春にしよう」

前ぶれもなく、道子がそう言った。

真顔だった。

俺は怒鳴った事をこれで思い出し、

(これには何か裏がある)

そう思った。

「な、なんや、どういう風の吹き回しや?」

「だって、呼んでたらなかなか良い名だと思ったんだもん」

言う道子の裏では義母さんが

「春ちゃん、パパも帰ってきたし、ばあちゃんは寝まちゅねー」

と言い、部屋を出た。

(なんだ? とことん怪しい…)

思ったが、春と呼ばれてバタバタ応える赤子を見ると、つい笑顔が洩れてしまった。

「やっぱよか名前だろ」

「うん」

「しかし、春奈はもうええんや?」

「うーん、言われると付けたくなる」

「じゃあ、言わん」

道子が笑った。

俺も笑った。

思えば、今週末、道子の実家に来て、始めて二人が笑った瞬間であった。

と。

「ウンギャァアアアアアアアア!!」

痛々しい程の泣声が部屋中に突き刺さった。

「ミルクやらなきゃ、春に」

「おう!! なんちゅう顔してるんや、春」

俺と道子は子供の下に駆け寄った。

「次の子は私が決めさせてね」

道子がミルクをやりながら言ったが、

「春くらい良い名前だったらな」

俺は春のホッペを突付きながらそう流した。

 

平成14年3月17日、観測至上最も早い桜前線と時期を同じくしての長女誕生だった。

「春」

まさに、ぴったりの名と確信している。

薄紅色に染まりながら泣き喚く春を見、つくづくそう思った。