悲喜爛々15「富山旅行」

 

 

1、早朝の東京

 

7月27、28日で富山へ行った。

課内旅行である。

通常は11月頃に行なわれるのだが、前の日記でも述べたように、いつ組織が解体してもおかしくない状況なので、

「早めにやろう」

となり、この時期に決行された。

俺は26日に休みを取り、嫁を実家である春日部に預け、翌27日は午前5時15分発の電車に乗り、空港へ向かった。

羽田を7時50分に出るのだ。

俺は眠い目を擦りつつ、東武伊勢崎線に揺られ、都心へ向かう。

さすがに始発なので電車もすいている。

乗り換えのポイントは二点である。

秋葉原と浜松町だ。

俺は携帯の目覚ましをセットするや、深い眠りにおち、秋葉原あたりでピシャリと目覚めた。

目覚めると、電車はすし詰め状態になっていた。

時は、まだ6時ジャストである。

(こいつら、朝っぱらからどこに行くんや?)

俺は思い、皆の顔を眺めた。

眠気にやられ、気付かなかったのだが、よくよく見れば、こいつら、

(酒臭い…)

のである。

皆、上野、秋葉原近辺で朝まで飲んでいた連中だと思われる。

ひどいのになると、

「う、う、う…」

嗚咽を洩らしたかと思うと、電車が止まった瞬間に外へ出、

「オゲオゲオゲー」

器用に、電車とホームの間にゲロを吐き、

「ふぅ」

なんて言いながら、スッキリと戻ってくる奴もいる。

(こいつ、慣れてるな…)

そう思わざるを得ない。

また、明らかに家庭をもってるであろう、立派なスーツ姿の中年が、ホームで、これまたキチンとカバンを枕に寝ていたりもする。

本当にスヤスヤ横向きで安らかに眠りについているのである。

その上を大量の鳩が飛び交い、見てると、その中の一羽がバードミサイル(糞)をサラリーマン目掛けて発射した。

ミサイルは見事、折り目がピシャリとついたスーツに命中し、

「うわぁ…」

すし詰めの民の溜息を誘った。

俺は心底思った。

(東京の朝って、全然、清清しくねーなぁ…、むしろ…)

思う途中で、金のネックレスを装備した中年のヤンキー兄ちゃんが、

「プリッ」

屁をふった。

皆、

(う…)

思ったろうが、目も合わさず、突っ込みもしなかった。

ヤンキー兄ちゃんは何事もなかった様に次の駅で電車をおり、その後、電車の中は、

「あの風貌でプリッはねーよな」

「金のネックレスでプリッだぜ」

「笑えるよー」

「ちょっと、温泉卵の臭いだし…」

と、盛り上がった。

日本人らしい、いない時に騒ぐ典型的現場である。

秋葉原のホームでは、どこかの大学生であろう、酔って校歌を歌いながら、万歳三唱をしている集団が見受けられる。

改札口では、別れを惜しんで、柱の陰で涙目になりながら、固い抱擁を続ける中年カップルがいた。

(こいつら、絶対に不倫だな)

そう思わざるを得ない絵だ。

電車の湿度は高い。

体もシットリと湿ってきた。

「はぁ…」

つい、溜息を洩らしてしまった。

俺の『思い』が中断されてしまったが、続けたいと思う。

『東京の朝』の俺なりの結論である。

「どんよりと、本当にどんよりとした朝であった」

田舎の朝しか知らぬ、もしくはそれを『朝』の基準にしている俺にはそう思われて仕方なかったのである。

 

 

2、金沢城〜白川郷

 

羽田から富山空港へは、約50分で着いた。

実に…、電車で羽田へ向かう半分の時間である。

それから、一同はレンタカーを借り、金沢城へ向かった。

一同というのは課内旅行であるから、当然、課員であるが、皆、俺より年上である。

前にも紹介した『潰瘍の鬼』酒井氏を始め、50代がゾロリとおり、他は40代、もしくは四捨五入したら40代という人間しかいない。

つまり、20代のヤングボーイは俺一人であった。

当然、旅行のコースもなんと言おうか、うーん…、言葉を濁しつつハッキリ言ってしまえば、

「オヤジコース」

が選択され、7月27日は金沢城、兼六園、白川郷が選択された。

誰も、

「海へ行って泳ごうぜ、ベイベー」

なぞ、言う人間はいない。

仮に俺がそれを言っても、嵐のブーイングを喰らうのは目に見えていた。

(民主主義だから…)

という事で諦めざるを得なかったのである。

 

北陸の歴史探索の第一歩、金沢城へ着いた。

言わずとも知れた、百万石、前田家の城である。

金沢城、今年は『利家とまつ』でブレイクしたのであろう、万博などを開き、なかなかの盛況ぶりだった。

車を駐車場に停め、石垣沿いの坂を上がり、本丸が見えると、そこには『ナントカ万博』と書かれた立て札が所狭しと並べられており、チケット売り場のところにはズラリと人が並んでいた。

当然、

(万博に行くのだろう)

俺はそう思い、チケット売り場の方へ向かう。

が…。

後ろを見ると、誰一人として、付いて来ておらず、万博会場を素通りしているではないか。

「お、お…、皆さん、万博は?」

俺はオジサマ衆にすがり付きつつ聞くと、

「混んでるし高い。兼六園はここよりも混んでないし安い」

そう返されるや、ズンズンと歩いて行ってしまった。

(こんな所まで来て、たまたまやっていた万博に行けないなんて…)

俺は思ったが、意見するのはやめた。

「お前、一人で行けば良かろう」

そう言われるのは目に見えているし、俺は極めて『寂しがりや』、そう認識しているからだ。

ちなみに、『ここまで来て行けなかった悔しい思い出』というと、俺は、嫁がまだ彼女だった頃、オホーツクでガリンコ号に乗れなかった事を思い出す。

「流氷を見よう」

という事で、2月だったろうか、枝幸というオホーツクの町へ二人で出かけ、友人宅に泊まった事がある。

その近く、紋別という町では『流氷祭り』なる、南から来た者なら誰もがグッとくる祭りが催されていた。

メインは『ガリンコ号』という流氷をバリバリ砕きながら進むという船であった。

俺と道子は当然、

「それに乗ろう」

と意気込み、ここへ来た事は言うまでもない。

(しかし、腹が減っては…)

という事で、路上で売っているホタテ焼きや蟹をむさぼり、

(さあ、行くか…)

ガリンコ号の乗り場に向かったのだが、これが予想以上に値が張ったのである。

二人は呆然とし、財布の中身を合計した。

「どう数えても一人分しかねーな…」

結論はそうだった。

「道子、お前、一人で乗って来いよ」

「いやよ、一人でなんて!」

「俺に構わず行けよ!」

「いや、あなたなしで行けるはずがないじゃない!」

「道子!」

「あなた!」

二人は船着場から出て行くガリンコ号を港から見送った。

吹雪だった。

ガリンコ号は一時間くらいで帰ってき、出てきた人達は、

「ああ、楽しかった」

満面の笑顔をこぼしていた。

と…。

その中のある家族が、

「おめでとうございます!」

という、けたたましい声と、激しい爆竹の音と共に、どこから出てきたのか『ガリンコ号Tシャツ』を来た連中から船脇に連れられ、

「あなた様がガリンコ号1万人目のお客様です」

そう言われながら、皆から大きい拍手を浴び、記念品が町長より授与されていた。

マスコミも来ていた様に思う。

それを俺と道子は瞬き一つせず、眺めながら、

「福ちゃん、あそこに立ってるの私達だったかもしれないね」

「まったくだ」

そんな会話を交わしたのである。

話が逸れてしまったが、今回の金沢でもその時と同じ様に、期間限定の『万博』に寄れず、

(あーあ)

遠い目で会場の人だかりを眺めたのであった。

さて…。

皆は兼六園に行ってしまったが、俺に至っては庭園に興味はない。

ピチピチの若者であるから当たり前である。

(こんなところで無駄金を使うより、夜に残しておこう)

そう思った俺は、ブラリと金沢市街地を歩き、時間を潰した。

途中、前田利家がかぶっていたものと同じデザインの『いくさ用帽子』が売ってあり、

(お…)

食いつき、試着してみたのだが、頭に入る気配も感じられず、

「すいません、入らないんで、大きいサイズのもの、ありますか?」

店員に聞いたところ、

「ごめんなさい、それ、フリーサイズなんです。入らないはずはないんですがねぇ」

そう言われた上に、俺の顔を見、

「ぷ…」

笑われてしまったのである。

 

昼飯は全員揃って、金沢の有名な市場街で魚を食った。

前の強烈な下痢の事もあり、俺は酒を控えた。

ビールをチョイと飲むと、それからは刺身を楽しむ事にした。

オジサマ衆は食べ終わるや、

「市場で魚を見てくる」

そう言って、去って行ったため、俺は一人でビールをチョビチョビと飲みながら、魚を突く事にした。

集合時間までは30分あった。

(一杯くらい、日本酒飲むか…)

そう思った俺は、女将に300円の日本酒を冷で一杯だけ頼んだ。

カウンターで飲んでいる常連さんと思われるオヤジが、湯飲みで美味そうに飲んでいたから飲みたくなったのだ。

「おやっさんにつられて頼んじゃいましたよ」

俺がカウンターのオヤジに言うと、

「ここのは辛口でうまいぞ」

ニヤリとし、その後、女将に、

「大盛りでやってくれ」

そう言った。

「普通で良いですよ!」

俺は壊れかけている内臓を気にし、女将に言ったが、言われた女将は、

「はいはい、遠慮しなさんな」

言いながら、一升瓶を傾けていた。

カウンターが邪魔になり、傾けた先は見えないが、妙に、

(傾けている時間がながくないか…)

そう思ったのも束の間、日本酒が中ジョッキになみなみと注がれて持ってこられた。

表面張力で酒が横から膨らんで見えた。

(うおー、これを昼から飲めってか?)

俺は目を細めつつ思い、カウンターのオヤジは、

「ひょー、兄ちゃん、飲むねー」

抜けた前歯を見せながらそう言った。

集合時間の頃…。

当たり前だが、俺は酔っている事になる。

待ち合わせ場所で俺を待っていてくれた皆は、直前まで、

「今回の旅行では酒を飲まないぞー! 飲んでもビール一本のみ!」

そう言っていた俺を、

「酒くせーなぁー」

言いながら、冷たい視線で迎えてくれた。

これにて、仕事同様、俺の信用はゼロとなった。

 

目覚めたら、白川郷に着いていた。

酒もなんとなく引いている。

「よし!」

俺は自らの頬にパシリと手を当て、眠気を強引に覚ました。

今日一日、オヤジコースであまり気乗りはしなかったが、白川郷だけは、

(一度、行ってみたいと思っていたのよぉー)

そう思える観光名所だったのである。

テレビで見る白川郷は実に趣があり、味があり、何とも言えない魅力に溢れている。

(現物はどうか?)

期待に胸を弾ませ、俺は車を降りた。

そこから見える景色は、観光地らしく土産屋が軒を連ね、道も舗装されており、お洒落な吊橋まであった。

(なんか、イメージと違うなぁ…)

そう思い、集落へと急いだ。

(霧雨の降る日や、雪の日だと、更に良かったんだろうけどなぁ)

そうも思うが、今日はカンカン照りの日本晴れであった。

集落までは駐車場から徒歩5分ほどを要す。

と…。

そこに広がっているのは、まさしくテレビのそれであった。

それ以上でもなければ、それ以下でもなかった。

(むぅ、こんなものか、世界遺産…)

思い、更に奥へ行こうとしたが、またもや皆がついて来ず、一人になりそうだったので引き返した。

(次は家族で来よう…)

そう思った。

ちなみに、下は白川郷の写真とメンバー(オジサマ衆の一部)の写真。

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ホテルに帰ると、時は6時を回っていた。

これより、『夜』である。

 

 

3、富山市桜木町

 

泊まるのは第一ホテルという普通のホテルだったが、

「飯くらいは…」

という事で、辺りで一番高そうな全日空ホテルへ向かった。

皆が皆、

「もう食えん…」

というくらいまで、飲み食い放題4000円バイキングを堪能した。

『潰瘍の鬼』の異名をとる酒井氏なんか、真っ青になりながら、

「ああ、食いすぎた…」

と、一寸前の自分を悔いているのである。

ちなみに、この酒井氏、課内では『突飛な格好』をする事で有名で、今回は伸びきったジャージに仕事中履く安全靴であった。

去年の課内旅行は北海道だったのだが、その時は登山用長靴にスウェットのパジャマで空港へ現れた。

御年55歳で、つい先月、孫が一人出来たばかりである。

ま…、酒井氏の話は後の日記で追々語るとして、うちらの行動に話を戻したい。

飯を食い終えた一同は、

「一歩も動けん…」

という事で、フラフラとホテルへ帰り、一時間ほど横になった。

ホテルは富山一の繁華街『桜木町』にある。

ホテルを一歩出れば、呼び込みの声にまみれる事になる。

つまり、

(外に出ずにはいられんなぁ…)

健康な男ならそうなるのだ。

 

やっと動けるようになった『健康な男達』はホテルをスルリと抜け出すと、立て看板に吸い込まれるように、小さなキャバクラに入った。

立て看板にはこう書いてあった。

『夏だ、花火だ、ミニ浴衣祭り』

ミニ浴衣というのは、単に浴衣がミニスカートになっただけなのだが、

「なるほどー」

男達は笑顔で頷かざるを得ない。

年配のおじ様方も珍しく、

「組織解散前だから付き合うか…」

言いながら、ミニ浴衣祭りに参加している。

さてさて…。

最初に言っておくが、キャバクラはイヤラシイ所ではない。

大抵、ナントカ・キャバクラと銘打たれ、その『ナントカ』で内容が推測でき、この店の場合、そのナントカの部分が『ミニ浴衣』という事になる。

例を挙げれば、普通のしゃぶしゃぶとノーパンしゃぶしゃぶみたいなもので、『ミニ浴衣』は前者の健全な部類に属す。

キャバクラとは基本的に若いギャルが店に居れば、キャバクラと呼んでも構わないと定義する。(俺は)

つまり、ここの場合、ミニ浴衣を着たギャルが酒をついでくれるだけ、つまり、健全度が極めて高い、ただの飲み屋なのだ。

従って、値段も時間当たり4000円と安く、もちろん、オサワリもいけない。

健康な男達は健全に、そして普通に酒を飲み、ミニ浴衣の富山ギャルが来る度に、

「おおー!」

声を上げた。

その浴衣は確かにミニで、日本の心はまるで感じさせない。

しかし、色気だけはある。

(日本の夏の伝統着衣もここまで来れば、違う衣装だな…)

そう思われた。

俺達はあくまでも冷静に、着衣の分析をしながら、酒を飲んだ。(一部のオジサマがギャルの電話番号を聞いてはいたが…)

当然、俺は飲めない体なので一滴も飲んではいない。

そんな中、富山のギャルが発した衝撃の一言があった。

「お客さん達、埼玉から来たにしては九州弁だよねー」

言う、富山ギャルに、35歳の先輩が、

「いや、九州弁なのはこいつだけ」

と、俺を指差した。

先輩は続けて、

「こいつ、幾つくらいに見える?」

俺を指したまま、富山ギャルに聞いた。

富山ギャルは間髪いれず、はっきりとこう言った。

「40前じゃない? 当たりでしょ!」

40前…、確かに当たりではある。

(しかし…)

俺はイヤーな汗をかきながら、ミニ浴衣ギャルを睨んだ。

(こん畜生、帯を引っ張って「あーれー」とでも言わしてやろうか!)

とも思った。

周囲は爆笑である。

「福山、お前、38歳かー! 初めて知ったぞー!」

「ぷほー、40前って言われよる! 最高ー!」

俺は無言でその場をしばし眺めた。

心中では、

(もう、絶対にミニ浴衣は行かんぞ!)

そう思い、帰り際、

「俺、25ぞ」

富山ギャルに真実を告げた。

富山ギャルは、

「うそっ!」

叫びつつ、無言で立ち尽くしたのであった。

(本当に、俺の事を40前と思ったのね…)

 

その後も、フラフラと回ったが、色々な人がこのページを見てるので止めておく。

ただ、俺のデスク隣の先輩が

「延長した」

それだけを伝えて、終わりにしておく。

富山のネオンはギラギラといつまでも光っていた。

しかし、俺は病体を午前1時には床へ横たえ、ちゃんと薬を飲んで寝た。

寝床では、いつまでもあの一言が頭を回った。

『あなたの歳、40前に見えます』

なんだか、目頭が熱くなってきた。

(俺って、そんなに老けとるかねぇ?)

思ったところで、記憶が途切れた。

初の『ちゃんと寝た課内旅行』であった。

 

 

4、高岡〜能登〜帰り

 

翌日、早朝から高岡へ移動した。

有名な寺があるらしいのである。

この寺、名をナントカ寺(忘れた)と言い、前田利家の長男、利長の菩提寺らしい。

素人目でも分かる見事なつくりで、本殿前の白い瓦は鉛がたっぷりと含まれる事が特徴だそうな。

裏手には嘘か本当かは分からないが、利家の分骨、信長の分骨と書いてある墓もある。

とにかく、写真を見て欲しい。(鉛の瓦)

toshinaga.jpg (22857 バイト)

 

見事なつくりに感動しつつ、場所を能登へ移した。

何をしに行ったわけでもない。

ただ、美味い魚を食いに、または海を見に行ったのだ。

続けて、富山の名産である『ますの寿司』の製造元へ、工場見学をしに出かけ、そのまま空港へ向かった。

空港ではオジサマ達、暇を持て余し、『銀盤』という富山の銘酒ワンカップを飲んでは、

「ぷはー、うまい」

そう言っていた。

俺はビールだけでやめた。

なんだか、下り気味の腹調子になってきたからだ。

とにかく…。

富山を7時過ぎに飛んだものだから、埼玉へ帰り着いたのは午後11時を回っていた。

感想を述べるなら、

「疲れたぁ…」

そう言わざるを得ない。

嫁と子は今も春日部に帰っており、その夜は一人っきりだった。

(このまま、泥の様に眠ってしまうだろう…)

思ったが、なんだか落ち着かず、

(久しぶりにスナックでも行こう…)

と、結局、2時くらいまで一人でスナックへ行ってしまったという、なんとも物寂しげな週末であった。

富山が俺に何を残してくれたのか?

『疲れ』か…。

『下痢の再発』か…。

『心への深い傷』か…。(40前と言われた事件)

『歴史の勉強』か…。

はたまた、『意志の弱さの再確認』か…。

よくは分からないが、

(むーん…)

そう、唸らざるを得ない何とも言えない旅行であったように思われた。