悲喜爛々17「思い出の台風」

 

 

思い出の台風 (02/10/1)

 

10月に入った今日…。

台風が関東を襲った。

いつもの様に、定時で会社をあがり、土砂降りの中、水溜りを懸命に避けつつ徒歩で帰り、帰るや、熱燗片手にニュースをつけると、

「今、伊豆半島は下田に来てます。あー、凄いです、立ってられません! キャー!」

ライブで、リポーターが茶番劇を見せてくれていた。

波は緩やかで、カメラのブレもないのに、リポーターだけが、

「すごーい、キャー!」

と、叫んでいる。

その映像に、俺は、

(うわぁー、茶番だなー)

開いた口がふさがらない状態で、そう思いながらも、いちおう、道子には、

「窓ガラスの鍵だけはかけとけよー」

と、言い聞かせた。

キャスターが言うには、

「関東に上陸すれば、戦後最大の台風です!」

らしい。

瞬間最大風速は、50メートル近く出ているそうだ。

上京し、4年半も経てば、関東の台風が九州の台風に比べて格段に弱い、という事は重々承知している。

毎度毎度、マスコミが大いに衆の不安を煽り、実際にそれを迎え、既に過ぎ去ったという報告をマスコミから聞くに、

「え、台風、いつ通ったと?」

それこそ、ソロリと、申し訳なさそうに去っていく台風に、必ず、そう言っている。

(今回も、大した事はないだろうなぁ…)

思うのだが、50メートルと聞くと、やはり、今回も身構えてしまう俺がいる。

窓を補強し、飛びそうな物をベランダから内へ入れ、非常食の購入は忘れない。

(思っている事とやっている事が矛盾してるな…)

そう思う。

が、しかし…、どうしても、『前に訪れた超大型台風』の記憶が鮮明に蘇り、俺は、今回も身構えてしまうのであった。

 

俺が中学二年の頃だったであろうか…。

季節も、今と同じ様な、秋の入り口だった様に記憶している。

その日の朝は、バケツをひっくり返したような大雨であった。

「ねー、送ってばい…」

あまりの雨に、ついつい、甘えてしまう俺だったが、

「これくらいで送ってとか言うな! この、馬鹿チンが!」

富夫が一喝したため、俺は、渋々自転車に跨り、合羽を装備し、学校へ向かった。

学校へ着くと、自転車小屋は『もぬけのから』であった。

あまりの雨の凄さに、その日、自転車で律儀に学校へ通ったのは、俺と、隣の岡崎という野球一筋少年と、他5名だけだったのだ。

その雨は、午前一杯、一度も止む事なく降り続き、午後になっては、更に勢いを増した。

学校も、

(これは…)

と、思ったのであろう。

午後から休校という触れを全校集会で発令し、全員帰宅する事になった。

さて…。

これで困ったのが、朝、勇猛果敢に自転車で通学した者達であった。

自転車というものは、ご存知の通り、横風に弱い。

そもそも、この豪雨の元は台風であり、その時、関東人では予想がしにくい程の『パンチの効いた風』が外では吹き荒れていた。

この台風、後に、『類稀に見ぬ、超大型』と叫ばれたやつで、こいつは、九州熊本を通過するや、本州沿いに突き進み、関東、東北、北海道、つまりは日本全土において、猛威を奮ったのである。

有名な話として、青森のりんごが、その台風で90%以上落ちてしまい、その落ちなかった10%のりんごが、『落ちないリンゴ』として、受験生に重宝され、驚異的な値がついた。

その話も、この台風の時である。

話を戻そう。

全員帰宅が指示されたその時、前述の様に『パンチの効いた風』が吹いており、学校としては、

「帰りに怪我でもされたら困る」

と、いう事で、

「親に迎えに来てもらいなさい。今日、自転車で帰るのは禁止」

そう言ってきたのである。

俺は、学校命令という強い看板を背負い、仕事中の富夫に迎えの催促をした。

富夫が言うには、

「お母さん(恵美子)も台風を怖がっているから、店を切り上げて帰る。その時に拾って帰るから少しばかり待ってろ」

との事であった。

富夫が迎えに来たのは、それから、一時間ほど経過してからである。

雨は、更に強くなっていた。

風も、確実に勢いを増している。

富夫は、いつもの道を、速度をたっぷり落とし、ワイパーを最速にし、ゆっくり走った。

全く、前が見えなかった。

国道三号線に出、右折し、それから500メートルほど走り、モービル石油を左折する。

すると、左手に消防署が見え、奥には一面の田んぼが見えるというルートを富夫はとった。

いつものルートであった。

が…。

その、消防署にかかる緩やかな坂を登った時、俺と富夫は目を疑う事になるのだった。

そこにあったのは、

「水…」

であった。

消防署から先、田んぼ地帯一面、茶色一色の広大な水溜りになっており、その中央を電信柱が等間隔をあけ、ポンポンと見える。

消防署の奥は下水処理場で、それもどっぷりと茶色に浸かっている。

大洪水であった。

「う、わ、わ、わ…」

俺は、ちゃんとした言葉が発せず、その光景をただただ凝視した。

吹き荒れる風のお陰で、大き過ぎる水溜りには、小さな波が奥へ向かって走っている。

「すげー…」

肌寒いはずなのに、俺の額に汗がドッと噴出してきた。

富夫は、

「チッ!」

隣で舌打ちをすると、

「八幡の方から回っていくぞ!」

言って、すぐさま、車を福岡方面へ走らせた。

福山邸は、菊池川脇の小高い丘の頂にあり、その丘は、この消防署から見て、今日だけはプカリと浮いた島の様に見える。

つまり、

「船でもなければ、家に帰れん…」

と、いう状況であった。

俺と富夫は、消防署側、つまりは正面側が駄目なら、裏側に回ろうという事で、車を走らせているわけだが、これも駄目だったら、

「恵美子と雅士は、二人っきりで家に残される…」

と、いう事になる。

この時、弟の雅士は小学校6年である。

はっきり言って、役にはたたないであろう。

これから、『超大型』と言われる台風が、本格的に、この熊本県山鹿市を襲うのである。

少年の雅士と、怖がり主婦・恵美子の二人っきりでは、

(家の中は、修羅場となる…)

それが、容易に想像できた。

富夫は焦ったのであろう。

鬼の形相で、車を走らせ、石村という丘の裏手に当たる地区に回った。

「家に帰られんかったら、どぎゃんしよう…」

俺は、車の中で、富夫にポツリとこぼすのだが、富夫は無言であった。

多分、

(恵美子、待ってろ…)

そう思っていたに違いない。

さて…。

石村の状況は、白か黒かと言われれば、どちらかと白よりであった。

消防署横は、1mほど水嵩があった様に思われたが、こちらは、溢れてはいたものの、まだ、30センチ程度であった。

「行けるかね?」

俺は、心配顔で問うたが、富夫は既に突き進んでいた。

その頃の福山家の愛車は、日産サニー(白)である。

その車が、コーヒーの中に投入されたミルクの様に、茶色を割って突き進んだ。

そして、なんとか、丘の入り口に乗り上げた。

丘の入り口は、西南戦争の激戦の地であり、急坂である。

その坂を、畑の土を多分に含んでいるのであろう、茶色い水が転げ落ちていた。

そのウォータースライダーを、富夫の愛車、日産サニーは臆する事なく、グングン登り、ついには、愛妻の待つ、赤屋根の我家に、俺と富夫を運んでくれた。

恵美子は、雨音と、ヒュルヒュルという乾いた風の音の中に、

「ビビビ!」

と、富夫を感じたのであろう。

それこそ、転げる様に、玄関から出て来、俺達を迎えてくれた。

富夫は、家に着くや、茶の一杯を飲む事もせず、

「今回の台風は只者じゃないぞ…」

そう言って、

「よし、家族総出で備えるぞ!」

言い放つや、すぐに庭に出、台風に備えるための作業を始めた。

俺も雅士も恵美子も、富夫のスタッフとして、言われるがまま、その作業に従事した。

主に、内からの窓ガラス補強であった。

福山家の窓は、大黒柱・富夫の意向であろう、とにかくでかい。

富夫は、直感的に、

(それがやばい…)

そう思ったのであろうし、それは確かに、

(当たっていた…)

と、後に、皆が思うことになるのであった。

台風は、すぐそこまで来ている…。

 

 

思い出の台風 (02/10/3)

 

《 10/1の続き 》

轟々と、風の音が一面に響いている。

俺達を含め、福山家、家族4人は、居間に、一塊となってニュースを見ていた。

ひまわりの映像では、台風は、有明海を真っ直ぐ北へ進んでいる。

「こら、最悪ばい…」

富夫がぽつりと洩らした。

台風は、熱帯低気圧であるから、右手の親指を下へ向けた『巻き』が、台風の『巻き』という事になる。

つまりは、北上している場合、ひまわりの映像で右側に当たる所が追い風となり、

「最も強烈!」

という事になる。

熊本県山鹿市は、富夫の言う様に、まさに『最悪』が予想される『台風の右側』であった。

福山邸は、富夫の指導の元、建築以来、最高の備えを以って、これに望んでいる。

「さぁ、台風、来るなら来い!」

という状況であった。

夕方…。

ついに、山鹿市が暴風域に入った。

今日は、昼から、厚い雲の影響で暗かったが、その闇が濃さを増した、その瞬間に変化は訪れた。

まず、風が与える轟音の中に、

『ガチャーン』

と、いった、破壊音が混じり始めた。

恵美子が、

「物干し台が倒れた音だろ…」

そう言ったが、そうではなく、隣の瓦が飛んできた音であった。

今でこそ、すぐ隣に家が建ったが、当時は、隣の家まで50メートルほどの距離があった。

その距離を、重い瓦が舞い飛んできたのである。

破壊音は、その瓦が、福山邸のどこかに当たり、割れた音であった。

今思えば、それが、始まりの合図だったのであろう。

それから、色々な音が、増す風の轟音に混じって『戦慄のハーモニー』を作り上げ、震える家族4人に届けられた。

『ガタガタガタガタ…ガタン…ガタガタ…』

窓やドアは、小刻みに揺れ、たまに大きな音を立てては、また、揺れた。

『ドン! グワッシャーン!』

家の隣に建てられている富夫の力作『手作り車庫』が大きな音を立てて倒壊した音である。

『ガン! ガン! ガシャーン!』

色々なものが、壁や窓に当たっては、吹き飛んでいった。

そして、ついには、福山邸の瓦も、例外ではなく、吹き飛んでいった。

強烈な雨漏りが始まった。

「キャー! 家が、家が!」

恵美子は狼狽しつつも、家中の洗面器やら、バケツを集め、ポトポトと垂れる水を凌いだ。

テレビに映っている台風は、どう見ても、

(山鹿市に来たばっかり…)

である。

(これから、どうなるんや?)

俺と雅士は、ただただ震え、富夫は、

(足りん、補強が足りん!)

そう思ったのだろう、補強の追加に勤しんでいた。

そんな中…。

ついに、電気も絶えた。

轟風による電線の切断によるものであろう。

家中が真っ暗になり、

「うわー! どぎゃんすっと!」

俺は、怯えつつ叫び、富夫は、

「ガタガタ言わんで、懐中電灯ばつけろ!」

焦る、俺や雅士や恵美子を一喝した。

「俺の手元を照らせ!」

俺は、トンカチを持った富夫の手元に光を当て、ただただ震えている。

窓の揺れも激しさを増し、その轟音は耳を劈くばかりに膨れあった。

と、その時であった。

富夫が最も恐れていた窓が、

『ガゴン!』

という、大きな音を出して外れたのだ。

「あ!」

家族が、感嘆詞を一つこぼした瞬間に、莫大な量の風と雨が、家の中に、もの凄い勢いで流れ込んできた。

「うわー!」

雅士も俺も恵美子も、叫ぶしかなかった。

窓は、補強の甲斐あって、内に打ち付けた板に引っかかり、落ちずに、罰点の補強木材に貼り付いている。

「裕教、梯子ば出せ!」

富夫は、俺に腹の底からの一喝を浴びせるや、続けて、

「登って、窓ば押させろ!」

そう叫んだ。

俺は、這う這うの体で、梯子を上り、雅士は梯子を押さえた。

窓がズレ落ちた事により生じた『隙間』は、未だ、大量の空気やら水やら杉の葉やらを吸い込んでおり、梯子を上ると、それこそ、

(吹き飛ばされる!)

そう思う、激しい風が吹いていた。

「しっかり押さえろ!」

富夫は、俺に言うや、自らも梯子を上り、その窓ガラスに更なる補強を与えた。

恵美子に至っては、雨漏りの処理どころではない。

『隙間』のせいで、畳も、家財も、一瞬にして濡れ尽くした。

居間に置かれていた雑品達も、その時、一気に吹き飛び、家中に散乱した。

「ああ、ああ…」

恵美子は、それらをオロオロと拾い集めている。

「窓が抜けたら、屋根が持ち上げられるぞ!」

俺の窓を押さえている腕は、ビリビリとしびれていたが、富夫の一喝を浴び、

(屋根が飛んだら、俺たちも飛ぶばい、死ぬー!)

そう思い、必死に押さえた。

富夫は、補強が終わると、

「代われ!」

と、俺を梯子から下ろし、自慢の腕力をフルに使い、窓をレールに押し込んだ。

家の中の風がピタリと止んだ。

「はぁ、はぁ…」

息荒く、ずぶ濡れになった俺は、家中を見回し、

(修羅場だ…)

そう思うに至った。

それから、30分ほどが経った…。

荒れていた風がピタリと止んだ。

外に出れる状態になった。

俺は濡れたまま外に出、空を眺めた。

綺麗な星が、あちらこちらに見える。

足元は、葉っぱやら、枝やら、瓦やらが散乱しており、車庫は完全に潰れて、車の屋根が陥没していた。

外も、中同様、修羅場であった。

「もう、台風、行ったんかね…」

潰れた車庫を見て、呆然と立ち尽くしている富夫に俺が聞くと、

「これは台風の目だ。すぐに、戻ってくるぞ…」

富夫は、そう返し、すぐに走って、家の中に戻った。

(感傷的になってる場合ではない、次に備えて陣を張らねば…)

富夫は、そう思ったに違いない。

(こんなに、星って明るかったんかー)

富夫の言う、『台風の目』という、一瞬の静寂の中、俺は庭で立ち尽くし、空をジッと眺め、そう思うのであった。

さて…。

台風は、確かに、30分もすれば舞い戻ってきた。

だが、富夫にしてみれば、

(次は、そうはいかんぞ…)

と、いう思いだったのだろう。

第二陣の風は、前にも劣らぬ勢いだったが、富夫が補強に補強を重ね築き上げた『堅固な陣』の前には無力であった。

俺達、家族4人は、安心して、水の拭き取りと雨漏り対策をし、台風が去るのを待った。

夜半になると、風は徐々に弱くなり、俺の張り詰めていた気も段々と緩んでいった。

富夫は、窓の前にドカリと座り込み、少しづつ見えてきた月の光を浴びて、ジッと外を眺めている。

俺の意識は、そこで切れた。

俺も雅士も恵美子も、今日だけは、居間に寄り添い、そのまま、深い眠りについた。

 

 

思い出の台風 (02/10/4)

 

《 10/3の続き 》

その翌朝…。

目覚めると、居間には眩いばかりの光が溢れていた。

台風一過である。

家の中は、恵美子が早朝から張り切って掃除したのであろう。

ピカピカに磨き上げてあり、昨晩まで散乱していた葉っぱやら雑品やらの姿もない。

富夫の姿も見えなかった。

俺は、すれ違った恵美子と、

「あ、おはよ、父ちゃんは?」

「外…」

という、愛情の欠片も感じられない『渇いた会話』を交わし、そのまま、顔も洗わずに外へ出た。

恵美子はまだ、ショック状態のようであった。

富夫自慢の300坪の庭には、杉の葉が一面に覆い被さっており、庭木も何本かなぎ倒されていた。

「あーあ…」

俺は、杉の葉を踏みしめながら溜息を一つ吐き、右手の車庫に回った。

そこに富夫はいた。

名曲・ドナドナの『荷馬車に運ばれる子牛』の様に、『悲しそうな瞳』で潰れた車庫を眺めている。

名曲が涙を伴い、富夫の中に流れているのであろう。

♪♪♪

あーるー、晴れたー、ひーるーさがりー、富夫がつくーる車庫ー

たーいーふぅーが、ひとーよーでー、愛車ーも、つぶーしてーいくー

かわいーい車庫ー、潰れていーくーよー

かなーしそーな、ひーとーみーで、見ているよー

車庫車庫車庫車庫ー、つぶれていーるーよー

車庫車庫車庫車庫ー、日の目もみーずーにー

♪♪♪(作詞:福山裕教)

富夫は、ピクリともせずに、ウンコスタイルで、車庫と白い日産サニーが呈す、見る方向によっては芸術作品ととれるかもしれない『モニュメント』をぼんやり眺めていた。

(ソッとしとこう…)

俺は、何も言えず、車庫を後にした。

さて…。

福山家の目の前が墓であることは前にも述べたが、その墓石に至っては、強風で倒れているものもあった。

「うっわー、ナンマイダブナンマイダブ…」

俺は、今もだが、『バチ』というのを大変恐れており、その倒れた墓石を起こしてあげよう、なんて気持ちはサラサラ無いのだが、とにかく、まずは合掌をした。

これは、小さい時から何かに付けて、

「バチが当たるばい!」

「山の神様が怒るばい!」

「この悪ガキは、バチかぶっぞ!」

と、多方面から言われ続けてきた『賜物』と呼んでも良かろう。

こんにちでも、何か、

(うっわー!)

という事があると、

「ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・」

そう唱える事にしている。

その言葉の意味も知らないのに、

(言えば救われる…)

都合の良いその『念』だけは、今も信じて疑わないのであった。

家の損害に目を向けてみる。

瓦157枚が行方不明となった様だ。

畳は全て水浸しで、家財の大半も濡れている。

窓枠損傷に至っては、大きい亀裂が一箇所。

以上である。

損害が幾らになったのかは、

「子供は、知らんで良い事!」

と、教えてもらえず、大人になった今も知らない。

さて…。

この早朝、雅士と富夫は、屋根に駆け上がり、瓦飛散の部分にブルーシートを貼る作業に当たった。

俺は、下から現場監督を行っている。(怖いから)

周りを見渡すと、どの家も、その作業に従事している。

富夫は、すぐ、瓦屋に発注をかけたのであったが、当然、込み合っており、一月ほど、ブルーシートで過ごす事になった。

山鹿市の航空写真を撮れば、その月は青一色に染まった街が撮れたであろう。

電気も、2日ほど戻らなかった様に記憶している。

以上が福山邸台風防衛の1〜10であるが、これを書きながら、今、思うに、

(あの時の富夫は凄い指揮官だったな…)

と、思う。

さながら、

(熊本城で、最強の薩兵を迎え撃った谷長官の様だ…)

とも思える。

明治10年2月22日、薩軍全部隊の一斉攻撃を『全軍篭城』の一点張りで何とか凌ぎ、段山という熊本城のアキレス部分を逸早く察知し、そこに守りの重点を置き、やられながらも何とか守り抜いた谷長官の様は、台風が暴風域に入り、重点的に補強をしていた窓が外れ、

「ここがやられたら、屋根が持ち上げられるぞ!」

鬼の剣幕でそう言った富夫と何だかダブる。

その翌日、薩軍が再度、総攻撃を仕掛けるのだが、その時には、前よりも強力な陣を張り、薩兵を寄せ付けない様もそうだろう。

(すげーなー、富夫ー)

今だから思えるし、

(俺は、今、一家の主だけど、うろたえて、どうしようもないだろうなー)

そうも思えて、何だか悲しくなったのであった。

が…、

(家族があれ程までに団結したのは、あれが最初で最後だった様に思われ、あれもあれで、良い思い出だったのかもしれない)

とも思う。

それぞれが持ち場を持ち、

(台風に、この福山邸が負けるか!)

の思いで臨んだ、あの瞬間、間違いなく家族は団結していたと思う。

あの傷跡の代償は大きかったが、残ったものは、

(結構、深かったんじゃ…)

自分が家族を持って思うに至る、痛切な一齣であった。

さて、話を戻し、その後…。

台風一過で学校へ行くと、誰も彼もが被害自慢に華を咲かせていた。

「うちは、瓦が150枚飛んで、車庫が潰れたんばーい!」

俺も、当然の如く、胸を張り張り、自慢した。

福山邸は前述の様に、丘の頂上にあり障害物がなく、その風の勢いは、市街地に住む連中には引けを取らない自信があった。

俺の自信通り、市街地に住む連中は、

「うわー、すげーねー、車庫が潰れたんやー」

目を丸くして、俺に羨望の眼差しを向けた。

無論、その車庫が『富夫の手作り』だとは言っていない。

「途中、窓がはずれて、死ぬ目を見た!」

俺が言うと、

「うわー、死に目やー、何か、丹波哲朗の話ば聞きよるごたー」

周りは、更にざわついた。

俺は、一躍、英雄(ヒーロー)であった。

だが…。

その翌日、傷だらけで現れた、一人の男のために、

「なんや、それくらいで偉そうに言うなよ…」

そう罵られることになろうとは、その日、俺は知る由もなかった。

その男の名誉のために、名は伏せて置くが、その男、学校に来るや、

「大変だったな…」

先生に慰められていた。

(なんだ、なんだ?)

当然、級友は皆食い付き、

「なんや、どうしたんや?」

と、その男を囲ったわけだが、その男は、顔も上げずに、死んだ様な声でこう言ったのである。

「家…、台風で潰れた…」

「え!」

取り囲んだ皆、その一文字だけの感嘆詞を揃えて言うと、その後、絶句した。

男は続けた。

「ばあちゃんが、うう…、ばあちゃんが下敷きになって、入院した…」

『何も言えない』が、更に、何も言えなくなった。

男は、更に続けた。

「うち、川沿いだろ…、二メートルも浸水してきて…、うう、何もかも、流された…」

囲った連中は、困り果てた連中となり、それはそれは静かに、その場を散った。

(上には上がいる…)

そう思わざるを得なかった。

男は、その日、一日中塞ぎ込み、一言も喋らなかった。

後に、学校主催で、被害のひどかった家への援助金を集めようという事になり、募金箱が廊下に設置された。

当然、俺のクラス近くに設置された募金箱が一番集まった事は言うまでもない。

皆、彼一人に当てた『情財』であった。

 

 

思い出の台風 (02/10/5)

 

《 10/4の続き 》

台風後の登校初日に話を戻す。

その日…。

部活の顧問の先生から、

「今日は、荒れたテニスコートを整備するぞ!」

そう言われた。

俺は軟式テニス部に所属しており、当時、一番燃えていたのが、その『軟式テニス』であった。

今でこそ、

「その体型でテニスー?」

そう読者は言いたくなるかもしれないが、前の日記でも述べた様に、その頃は、今より20キロは痩せており、スタミナもあり、その成績も結構なものを残していた。

当然、

「台風だろうが、何だろうが、部活だけは行くぜ!」

と、学校が終わるや、意気揚揚とコート整備に向かった。

靴箱を出、左に折れるとテニスコートが見える。

(うーん、さすがに荒れてる…)

その状態は最悪であり、

(一刻も早く、整備をせねば!)

俺は燃えた。

そのまま直進し、軽い坂を下ると、部室が見える。

俺は、その中に、ラケットも体操着も靴も置いていた。

右に折れ、テニスコートを巻くように、グランドへ出ると、そこが部室であった。

と…。

そこに、人だかりが出来ていた。

(何事…?)

俺は思い、そこにいた顔見知りの女子テニス部員に、

「なんや? 何の騒ぎや?」

そう聞いた。

「これ、見てよー」

女子テニス部員の指差したものは、部室の上、屋根のあった箇所を指していた。

俺は、言われるがままに、その方向を見、ふと、

(あれ?)

そう思い、そのまま、

「屋根がにゃーじゃにゃー」

そう叫んだ。

そう…。

屋根が、今回の台風で、飛んで行ったのである。

部室は、6部屋構成の長屋作りになっている。

その屋根が飛んだという事は、上から見れば、6個のエリアに区分けされた、シルバニアファミリーの家みたいな感じになっているわけだ。

「おお…」

俺は、その雄大な飛びっぷりに驚きを隠せず、そのまま、我が部室を目指した。

なぜか、その、男子テニス部部室の前が一番人だかりが多かった。

俺は、人を掻き分け、また掻き分け、そこへ辿り着いた。

「おや?」

やっとの思いで見る事が出来たその部室、ドアまでも飛んで行った様で、中が丸見えであった。

右を見ると、隣の女子テニス部のドアも、その隣、女子バレー部のドアも飛んでしまっている様である。

「うわー、これじゃ、俺の体操着とかも飛んでしまったかもしれんねー」

俺は、大きな独り言をこぼしつつ、中へ踏み込んだ。

と…。

その俺の肩を掴む者がいた。

「ん?」

振り返ると、女子テニス部の部長であった。

「なんや?」

同級生のその女に、俺は、訝しげな表情を作り、そう返した。

その女の表情が、何やら怒っている様な感じだったからである。

見渡すと、それを取り巻く女達も何やら怒っている様に見える。

「何や、お前ら…」

俺は、もう一度、その訝しげな表情を保ちつつ、そう言った。

「それ、何?」

女は、丸見えになった我が部室内の壁を指し、言った。

「何って…」

俺は、

(わけが分からん)

そう思いながら、首から上をクルリと、その壁の方向へ向けた。

(あ…)

俺は壁に、五つの穴を見付け、その目は、植木等の歌の様に泳ぎまくった。

反射的に、群集の中で同罪の人間を探した。

一人いたが、俺と目が合うや、振り向き、全力で逃げた。

「何、その穴?」

女の声に、どしりと『ドス』が乗ってきた。

確かに、その壁には、女子テニス部の方へ向け、無数の穴が開いていた。

「説明してよ!」

女が俺に一歩迫った。

(む、む、むむむむむ…)

返答に困っている内に、群集の中から男という男が、見事に消えた。

俺に、

「おい、お前もだろ!」

と、ふられる事を恐れたんだろうし、彼らも、一度や二度は、この穴のお世話になった者達であった。

右、左、背後、小さな穴こそ開いているが、屈強な壁に塞がれ、前には女だらけの集団がいる。

俺に逃げ道はなかった。

(開き直るしかない!)

俺は、自分自身にそう言い聞かせ、極めて明るく、

「あっれー、こんな所に穴があるなんて、俺、マジで知らんかったー!」

東京弁で、そう叫んだ。

女は無言であった。

「あー、俺のラケット、風で飛んどらんかねー」

俺は、20を超える目に見つめられながら、狭い部室を、冷や汗タップリ流しつつ、独り言絶好調で歩き回った。

と、その時!

俺の目に、言い訳しようのない『決定的なもの』が飛び込んできた。

それは、開いた五つの穴の中でも一番最高のポジション、床から140センチの小さな穴の脇に、

『福山専用』

でかでかと書かれていた、それであった。

俺の脳裏に、三ヶ月ほど前の、まだ新しい思い出がスッと流れた。

それは、男子テニス部に代々伝わる、『穴決め』という儀式の絵であった。

中体連が終わり、三年生が部を去る頃になると、二年生に部室が譲られる。

その際、女子テニス部からの微妙な死角をつき、絶妙に開けられた穴の引継ぎを行うのである。

穴は5つあり、俺の代は8人いたので、三人は割り当てが貰えず、覗く場合には、

「ちょっと、見せてください…」

と、穴持ちに頼む事になる。

俺は、全神経を集中し、単純ではあるが、伝統と平等性に長けた『じゃんけん』に燃えた。

そして、勝った。

最高のポジションをゲットし、俺は即日、『長戸』と薄く書かれた先輩の名の上に、『福山専用』と書いた。

(なんと、名誉な事だ…)

俺は、喜びに震えた。

女子部室の隣に部室を構えている男子部は『テニス部』だけだったのである。

従って、俺が、そのポジションをゲットした事を知った、野球部の友人や、バスケ部の友人は、こぞって、

「頼む、福山、見せて!」

と、俺に頼み込む事になる。

当然、俺も拘る事なく、皆に、この幸せのお裾分けをするため、男子の間では、

「あの穴の存在は、女子には絶対洩らすまい…」

そういった流れが、出来上がっていた。(代々)

(しまった…、偽名を書いとけば良かったー…)

悔やむのは、そのことであった。

「見せて、頼む!」

「ま、よかろう…」

俺は、穴決めの儀式から三ヶ月、多種多様な人々とそういった会話を交わしている。

気持ちが良かった。

「使え、使え、俺の穴を使え!」

その、『俺の』が優越感となり、見せてやってるという感じに、たっぷり浸っていたのである。

(それが仇となったー)

まさに、それであった。

まさか、台風が、部室の屋根とドアを飛ばすとは、誰も予想しなかった事であろう。

男は、今だに、誰一人としてこの息苦しいエリアに寄り付かない様で、ここから見える群集の中には伺えない。

(あ、あ、駄目だー、言い逃れが出来ない!)

汗がタラタラと全身を流れ、

(プライドを捨てよう…)

そう思った時、俺は、人生で初めての『土下座』をした。

「すまん!」

俺の頭は、お世話になった壁に、そして、男の深い煩悩に、それこそ、秋の稲穂の様に垂れるのであった。

 

(ああ、懐かしい…)

話が前後するが、今より三日前の10月1日、

「上陸すれば、戦後最大の台風です!」

という、台風に備えながら、その『超大型台風到来〜土下座』までを思い出した。

台風は、午後9時くらいに、強烈な雨と少々の風を引き連れて現れ、すぐに去って行った。

(はぁ…、また、こんなもんか…)

関東の台風に対し、またもや、『いつもの思い』を持った。

肩を落とした俺の横で、道子と春は、ぐっすりと眠っている。

俺は、それを台風から守るべく、読書などしながら起きて時間を送ったわけである。

(そろそろ寝るか…)

思った時に、

「むにゃー、ぶー」

春が何やら寝言を言った。

(どんどん可愛くなるなぁ…)

言葉(?)を次々に覚えていく愛娘に、我知らず顔が緩む。

寝返りも先月末にやったばっかりである。

(守らねば…)

でかい嫁と小さい娘、二人を前に思うのだが、

(しかし…、大黒柱として、まだまだ、修行が足りんな…)

そうも思うのだった。

『思い出の台風』は、俺の気をギュッと引き締め、今回の台風の様に、いつの間にか去っていった。

次はいつ現れるか?

分からぬが、

(その時には、胸を張れる様になっていたいものである)

そう思った。