悲喜爛々18「級友と伊豆」

 

 

1、道子の選択

 

10月の26日から27日にかけて、伊豆へ旅行に出かけた。

今回の名目は、高専時代の級友達と久しぶりに会おうという事で、埼玉、東京、神奈川、愛知から計8人が集まった。

場所は、伊豆の戸田(へだ)村という所で、道子が図書館から本を借りてき、一週間の熟考の末に選んだ所である。

旅行当日、道子は言う。

「もうー、超きたない宿だったらどうしよー!」

オロオロと、本を何度も見直しては、

「あー、やっぱり、別のところが良かったかなぁー?」

深い溜息と共に言うのである。

道子の脳裏には新婚旅行時の絵が鮮明に浮かんでいるのであろう。

俺も道子の焦りを見てると、

(来るか、また、来るかぁー!)

と、少しだけ期待してしまう。

そう…、それは二年前の新婚旅行における話であった…。

俺と道子の新婚旅行は『日本縦断』をテーマに掲げ、車や電車でそれを成すというものであった。

北九州からスタートし、大分へ流れ、中という同期のカップル(今は別れた)と四国へ渡り、瀬戸大橋をもって倉敷へ、それから中と別れ、義母の実家・出雲へ向かった。

この間の宿泊ポイントは、大分、高知、倉敷、出雲であり、それぞれ、大分は会社の保養所、出雲は前述の通り義母の実家、高知と倉敷が道子があらかじめ予約した宿であった。

倉敷は、見るからに倉敷らしい瓦作りの完全和式宿であり、これを予約するに当たって道子が、

「どう、福ちゃん、これー?」

と、聞いてきたので、俺としても倉敷らしいところが良いという事で承認していた。

が…、高知に関しては全くのノータッチで、現地で初めてその宿と遭遇した。

立地は高知の市街地ど真ん中で、日は休み前であった。

「こりゃ、きっと混んどるねぇ」

俺と、同行した中は客満載の宿を想像し、市街地へ車を回した。

駅前の大通りを真っ直ぐ進み、有名なナントカ橋を渡って右へ曲がるとアーケード街で、宿はその橋のたもとにあった。

その外観は、

「風化し放題の古びたビル」

簡潔に言えばそうまとめられる装いであった。

壁はコケのむすまで緑かかっており、何となく、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる砂かけババアが住んでいる家に似ていた。

「なんか、すげーね…」

中が困り顔でそうこぼし、道子は皆と目を合わせないようにしていた。

一行は宿の中に突入した。

玄関を開けると、そこには見るからに不幸そうな白髪のばあさんがいた。

「ようこしょ、ようこしょ…」

ばあさんは明らかに不安の色を隠しきれない俺達にネットリとした笑顔を振り撒くと、

「こちらでしゅ…」

ゆっくり、ゆっくり、俺達の先頭を歩いた。

本当にそくの速度は遅く、足元を見ると、摺り足で半歩づつ歩いている様だった。

おばさんは10畳くらいの部屋に俺達を案内すると、

「風呂も入ってごじゃんしぇー」

訳の分からない呪文を唱え、それはそれは静かに襖を閉め、去っていった。

「なんか、超、恐いよー」

道子と、中の彼女・美幸ちゃんが真顔で怯えた。

その後、俺と中は揃って風呂へ入ったのだが、そこでこの宿が市街地ど真ん中であるにも関わらず物音一つしない事に気付いた。

部屋においても、音という音はうちらの喋り声だけであった。

女衆が風呂に入る際、

「お願いだから、入り口で見張っといて、お願いだからー」

涙目で俺と中に哀願した事からもそのレベルが伺えるであろう。

一同は、なるべく宿にいない様にしようという事で、高知のアーケードへ出かけ、夕食もそこで食べた。

つまり、この宿にいた時間というのは寝る時だけという事になった。

しかし、しこたま外で酒を注入したにも関わらず、

「恐くて眠れないよー」

女衆はそうこぼし、俺と中にしても乾いた風の音が何だか白髪ばあさんの、

「しぇーしぇー」

という口癖に聞こえ、見張られている感じがし、30分くらい眠れなかった事を記憶している。

ちなみに、白髪ばあさんは、

「他にも客がおりまっしぇー」

そう言っていたが、宿のどこを歩いても人っ子一人見当たらず、それは、座敷わらしか地縛霊を指していたとしか思えないのであった。

とにかく、そんな宿であった。

話をその翌々日、出雲から先へ移す。

義母の実家・出雲で一泊した後、俺と道子は新幹線に乗り、マイホームのある埼玉を目指した。

途中、名古屋で下車し、当時、名古屋勤務だった同期・和哉に、その彼女である真理恵ちゃん(仮名)を紹介するための小さな酒宴を設けてもらった。

途中下車は三時間ほどだったであろうか、酒宴が終わると名古屋には泊まらず、俺達はそのまま埼玉に帰った。

当時、『和哉に彼女が出来るなんて、さすが世紀末』と、和哉を知る皆が口々に言っており、その奇特な対象物である『和哉の彼女』を誰かしらが一早く観察し、皆に報告する事が急務とされていた。

俺は、それをあえて新婚旅行中にする事で、出口の見えない『独り者樹海』に突入している和哉の『励まし』になればと思ったのである。

戻った俺は、

「どうだった、どうだった?」

聞く皆に、

「KANのボーカルにそっくりだった」

一言でそうレポーティングしたところ、

「うっわー、『愛は勝つ』かー」

予想外に皆が騒いだ。

が、当の和哉、三ヶ月も付き合わぬまま、

「俺の説教を聞けー!」

辞世の叫びとしてそれを残し、別れてしまったのである。

ちなみにあれから二年、彼はまだその樹海を抜けておらず、愛は勝つどころか負けっぱなしなのである。

さて…。

帰宅の翌日から、俺と道子は当時愛車のホンダライフに乗り込み北海道を目指した。

その日は大雨だったが、その後の予定の関係から、青森は陸奥地方まで行かねばならなかった。

その道は、東北道(高速道路)をひた走るわけだが、その距離700キロ強、休憩はするものの大雨のため視界が極めて悪く、更には初めての『ハイドロプレーニング現象』に見舞われたりとかなり気を使い、陸奥に着く頃にはヘトヘトであった。

宿は今回も道子が独断で予約していた。

道子の言葉に耳を傾けてみると、

「超リーズナブルな宿だよー。北海道で贅沢するために青森では節約節約!」

との事であった。

が、蓋を開けると、道子は金切り声で俺にあたった。

「何で、新婚旅行でこんな所に泊まらなきゃなんないんだよー!」

俺にすれば、

(知ったこっちゃない、お前が予約した宿だろ!)

その思いであったが、超本格的に新婚旅行にふさわしくない宿であったため、

「まーまー」

と、道子をなだめ、風呂は近くのグランドホテルへ連れて行った。

宿の風呂は男女共同で、女性が入る時は『女性入浴中』の札を表にかけておく仕組みだったからである。

更に、その浴槽は普通の家庭用樹脂浴槽で、もちろん温泉でもなかった。

更に更に、この宿に泊まっているのは男だけで、それも『ねじりハチマキ』と『ふんどし』の似合いそうな土方仕事上がりの男達しかいなかったのである。

受付においては、

「あら、女性は珍しい!」

柏手打ってまでそう言っていたほどで、道子が風呂を使えば、

「うわー、女がはいっとるとは思いませんでしたー!」

毛むくじゃらの男が裸で風呂を飛び出すアクシデントに見舞われる事は容易に想像が出来、多分そうなるだろうと鈍感な俺でも予測がついた。

そういったわけで、俺と道子はグランドホテルの広々とした温泉にゆるりと浸かり、夕食は駅前の居酒屋でとる事にした。

居酒屋は宿に反し、なかなかにお洒落で、更に、

「魚を食えー!」

という豪気な感じで俺も道子も大満足であった。

さて、グランドホテルに入った頃からすれば4時間は経過したであろうか…。

俺と道子は、

「あー、うまかったぁー」

心底、大満足で帰路へつき、

「あー…」

その宿を見る事によって現実へ叩き戻されるのであった。

道子に至っては、

「あんなとこ、戻りたくないよー! あれは新婚旅行じゃないよー!」

振り出しへ戻り、騒ぎ出す始末なのである。

今、思い出せば、あの時の道子の八つ当たり、本当に腹が立ってしょうがないのだが、新婚旅行という背景を踏まえ、あの宿を再度思い出すと『面白いネタ』と取る事もでき、結構楽しそうなので詳細に語ってみる事にする。

まず、玄関前に、

『団体様大歓迎、長期宿泊者大歓迎、どこよりもリーズナブル』

そう書いてある看板が掲げてあった。

外観は少し大き目の普通の民家である。

縁側のある農家系の作りを想像してもらえると良いかと思う。

玄関を開けると左手に受付があり、そこにおばさんがいた。

ここで、先ほどの言葉、

「あら、女性は珍しい!」

を言われ、『何とか土建』と銘打たれた見るからに、

「これは拾ってきたやつだろー!」

そう突っ込みたくなるスリッパを履かされた。

この辺から道子は現実逃避を始め出した。

「はぁーふぅー」

など言いながら、島倉千代子っぽい首の傾げを見せ、それから喋らなくなった。

俺と道子は受付のおばさんに連れられ、絨毯敷きの廊下をとぼりとぼりと歩き、部屋に案内された。

「はい、二人用の部屋ねー」

おばさんはそう言って、

「ごゆっくりー」

笑いながら去っていった。

廊下ですれ違う現場上がりの男達は、

(うーわー、女がいるー、どういうこっちゃ?)

そういう目で道子を眺め、ふと俺が横にいるのを見るや、

(すげー、カップルでこの宿かよー)

驚嘆の色を見せていた。

もし俺が、

「今、僕ら、新婚旅行中なんです」

なんて言おうものなら、

「どっしぇー!」

それだけ叫んで失神しそうな程の『訝しげな目』であった。

さて、勇気を出して部屋に入る事にしてみる。

「…」

はい。

何から述べれば良いか分からない、何とも掴み所のない風景がそこにあった。

部屋にある物を紹介する事から始めてみる事にする。

14型のテレビが一台、シングルのベットが一つ、ソファーが一つ、以上。

他は机すらなく、無駄なスペースすらも一切ない。

そこは、合理に合理を突き詰めた四角い空間であった。

「あああー…」

久々に道子が何かを喋ったかと思えばこの嘆きであった。

俺と道子はそれから無言で立ち尽くした。

(どうしよ…)

その思いのみである。

少しすると受付のおばさんが舞い戻ってきた。

『通りかかった』と言った方が適切かもしれない。

通りかかって、俺達がドアも閉めずに立ち尽くしていたから声を掛けざるを得なかったのである。

「どうしたの?」

青森なまりのその声に、俺は、

「ベットが一つしかないんですけど…」

消えそうな声で言った。

が…、

「一人はソファーで寝ればいいじゃない」

当たり前の事を聞くなとばかりに即答で返ってきた。

「鍵は?」

続けて聞くと、

「ないです!」

これも即時返答で、その後、

「安心してください、部屋にいる時は内鍵がありますから!」

極めて元気にそう付け足された。

これ以上、俺は何も聞く事が出来なくなった。

聞く気がなくなったと言う方が良いかもしれない。

最後に、道子が、

「風呂は…、お風呂はどうなってるんですか?」

涙声で聞いたが、前述の絶望的回答であった。

真っ白のコンクリ壁に剥き出しのパイプ、音は筒抜け、聞こえるのは勇ましい男達のアカペラ演歌延べ50曲、唯一の救いが小銭を取られない『見放題』と書かれた映り悪目の14型テレビ、これに『新婚旅行』のバックボーンを加味すれば、まさにこの場所が、

(刑務所?)

そう思われても仕方ない。

もう一度、道子の悲痛な呟きに耳を傾けてみる事にする。

「こんなの…、新婚旅行じゃない…」

そう、道子の溜息は深い。

その翌朝…。

俺と道子は早朝5時には『忌まわしき宿』を後にした。

その後、津軽海峡を渡り、北海道をリッチに一周し、フェリーで新潟へ行き、日本一の長岡花火を見て埼玉に帰ったのである。

(北海道での話は、以後、この様な形でパラパラと触れていきたい)

以上、計13泊14日の新婚旅行においての一齣であり、こういった背景を踏まえ、伊豆旅行当日の道子は、

「私の予約した宿、大丈夫かなー?」

これを何度も何度も宿に着く直前までこぼすに至るのである。

「なんで、その宿に決めたと?」

後藤という、つい最近、関東に出て来た級友が道子にそう聞いた。

「えー、だってー、電話したら店の人にサービスするって言われたからー」

道子のこの論に、

(それは誰でも言うだろ…)

皆、そう思ったろうがあえて誰も突っ込まなかった。

「それに安いんだよー」

ぐにゅんぐにゅんしながら騒ぎ回る道子を参加者一同は微笑と共に眺め、

(こうなったら『廃墟』って感じの宿よ来い! そっちの方が話的に面白い!)

そう思う風向きにまでなってきた。

が…。

実際、着いた宿は、見た目も普通の民宿で、料理も豪勢なものがどーんと出、立地も良く、おばちゃんも愉快で文句の付け所がない宿であった。

(むむむ…)

道子の選択、今回は大当たりだった様である。

そういう事で男衆、同時に『ガクリ…』と肩を落とした。

(ああ、つまらん…)

その思いで一杯なのであった。

序章の最後に…。

「前置きが長かった割には本題が極めて短く、本当に申し訳ない…」

大した反省はしてないが軽く謝し、次へ繋げる事にする。

 

 

2、笑いの神

 

太陽という男がいる。

『級友と伊豆』という話に出てくるくらいだから、当然、熊本時代の級友ではあるが、

(彼ほど笑いのセンスに長けた人間はいないだろう…)

そう思える。

出来事から悲喜爛々にかけ何度か彼については触れてきたが、その全ての話に彼の『天びん』を大なり小なり察して頂けると思う。

道子なんぞは初対面で、

「あー、太陽君は私より馬鹿だよー!」

涙交じりで爆笑し、義母に至っては、

「どうしようもない面白さだわさ!」

そう評している。

義母の評に関して少し触れる。

二年程前、太陽が学生時代の住処だった新潟・長岡から道子の実家である埼玉・春日部まで出て来た事があった。

太陽は着くや自転車を借り、

「買出しに行ってきまーす!」

元気に出て行ったものの、100メートルも離れていない所で豪快にこけ、軽い脳震盪を起こして病院に運ばれる事態に陥った。

太陽は急送された病院で、

「最近、体を壊した事などありますか?」

そう聞かれ、

「賞味期限切れの牛乳を飲んで腹をこわしました」

真顔で返したという。

まさに大物である。(笑いに関して)

そんな太陽が今回の伊豆旅行にも現れた。

現れたと言うより、彼がやらかすであろう何かしらの『愚挙』を見るために皆が集まったという方が適当であろう。

太陽は皆よりも3時間以上遅れて現地に現れた。

前述の様に、場所は伊豆の戸田という所で、集合時間としては午後3時という事になっていた。

つまり、彼は6時過ぎに現れた事になる。

「わりー、起きたのが2時だった…」

太陽は股間をボリボリとかきながら、

「おー、春ちゃんにはお土産を買ってきたぞ!」

言うや、プーさんの人形を春にくれた。

「30分も悩んで買ったんぞ!」

太陽が自慢げに春に言ったので、

「嘘つくなよー」

俺が突っ込むと、

「バレたか、店員に言われるがまま5秒で買った」

と、意味不明な嘘をいきなりついた。

時は飯時で、豪快な船盛を前に、まさに今、食い出そうとしていた時であった。

一同は太陽の登場で大いに盛り上がり、その後、彼の近況報告を聞き入った。

彼は新潟で院生の資格を得た後、伊勢の会社に就職し、この時期、やっと研修が終わり、愛知県の豊橋に配属が決まったところであった。

噂では、一度研修を終え、配属させられたものの、その出来の悪さに再度研修センターに戻されたという話で、太陽本人は、

「ああ、大学院卒の肩書きが重い。 こんなもの捨てて楽になりたい!」

そう嘆いているという話であった。

確認のため、本人にこの噂を話し、真実との対比を測るとそれはほぼ真実で、再度研修を受けたという事だけが偽りであった。

太陽は饒舌にそれからの近況を語り、皆も同様に近況を語った。

(級友達、皆、頑張ってるなぁー)

心底そう思われ、まさに身が引き締まる思いで一杯になった。

(この『引き締まり』こそ同窓生と飲む醍醐味だろう…)

そうも思われた。

夜となった…。

腹一杯で一歩も動けなかった連中が、そろそろ動ける時期に差し掛かった頃である。

この連中の中に後藤という筋金入りの熱血漢がいる。

彼の、

「よし、夜の街へ繰り出すぞ、うぉー!」

その自己完結型の一言で、大地に背中をべったりと貼り付けていた男衆が動き出した。

道子のみが、

「既婚者の福ちゃんはジッとしててよー」

何やら呪文を唱えているが、それこそ馬の耳に念仏であろう。

「よし、行くかー」

俺が言うと、太陽が、

「おー、これがにゃーと旅行に来た感じがせんばい」

鼻息荒く活動を始めた。

ちなみに、夜の街といってもここは漁村である。

村であるからには、夜らしい夜には期待出来ず、昼の内に先遣隊として調査へ出て行った後藤達が言うには、

「スナックしかにゃーけんが割り切って行くばい」

との事で、地味に飲まざるを得ない。

が、太陽が言う様に、旅行に来て宿でジッとしていては身も心も廃るというもの。

一同は宿に張ってあった『電話一本で迎えに来ます、スナック***』というチラシに目を付け、そこに記載されている番号に電話をかけた。

大津という喉仏がウリの男が、

「一人3000円以内でよろしく」

という事で交渉し、店側の了解を得た。

「おー、送り迎え付きで3000円で済んだ。言ってみるもんやねー」

一同は多いに盛り上がり、そのまま漆黒の闇夜へ吸い込まれていった。

後ろで一人の女と一人の0歳児が、

「ひとでなしー!」

叫んでいる様にも聞こえたが、多分、それは空耳だった様に思う。

さて…。

5分もしない内にワゴン車でお迎えが来、一同はそのままスナックへ運ばれた。

情けない話だが、俺、車中において、なんだか春に対して後ろめたい気持ちになり、

「11時にはスナックを後にして帰ろう」

そう提案し、皆もそれに賛同してくれた。

スナックは予想通り、地元年配者の巣窟と化しており、ママももちろん極めてお年をめされた方であった。

しかし、昔はよほど繁盛していたのであろう、広々としており、装飾物も煌びやかな本格的スナック作りであった。

俺達は最初の一時間半で焼酎をあおり、その後の一時間で歌を歌いまくった。

一つ気になったのは、地元の漁師らしい客がカラオケを独占し、カウンターで歌っていたのだが、その風貌は実に味のある頑固そうな爺さんであり、

(むぅ、なんと漁村に映える人物だ…)

そう思っていたら、歌う時、小指がピンと立っており、兄弟舟をなんとソプラノで歌われたのでかなりひいた。

さて…、気が付けば11時半になっていた。

「一人3000円に達したら言ってください」

店にはそう言ってあり、相当に飲んだ様に思われたが「待った」はかからず予定を30分オーバーしていた。

仕方がないので自発的に会を終息すべく、学生時代からの通例となっている締め歌、『サライ』を皆で歌うことにした。

男6人が横一列に並び、肩をガッシリと組み、ゆらゆらと揺れながら歌った。

「これからも友達でいよう!」

男達はその意を強く固め、そのまま解散の運びとなった。

なぜか、団結サライの輪の中に地元青年会議所の兄さんも混じっており、

「若者、良かったよー」

最後、涙目の称賛を浴びた。

さて…。

送迎の車中、俺は焦っていた。

「うわー、遅くなったー、道子も春も泣きよるばい!」

その事であった。

車が宿に着くや、部屋に息を切らして駆け込んだ。

「春ー、道子ー!」

襖を思いっきり開けた。

と…。

(なんや、こいつら…)

俺は愕然とした。

道子と春、電気までも消して完璧に熟睡中だったのである。

更に、道子に至っては、

「もうー、うるさいよー」

その反応であった。

俺はトボリトボリと次の宴会会場である男衆の部屋へ歩いていった。

「だけん、言ったろがー、そんなもんた現実なんて」

悔しがる俺を、彼女もいない連中が酒のつまみに囃し立て、

「さ、酒でも飲むぞ、独身に戻って」

優しく誘ってくれたりもした。

そんな中、中途半端だった『笑いの神』がアルコールという燃料を補給し、何やら怪しい動きを始めた。

ちょっと湿ったトランクスを尻に思いっきり食い込ませ、何やらラジオ体操みたいな動きをしている。

「ふぉー」

誰も見てない和室の端で、自らのトランクスを前後とも糸状にしているのだ。

現代風に言えばTバック風ともとれるかもしれない。

と…。

「うふぁぁー、でやっ!」

その男は一寸の前ぶりもなく、皆の前にその少しだけ紫がかった尻を突き出した。

そして、その中央の糸をずらし、尻の穴を皆に開示した。

「こめじるし!」

この男、自信満々で言い放ったが、皆、あまりにも突然の出来事に唖然としている。

その後、男はクルリと振り向き、自作のTバックを下げ、

「でやっ、ジャングル大帝レオ!」

この男、お分かりだと思うが名を太陽という。

「何がしたいんや、太陽…」

皆は冷たく突っ込んだ。

が…、

「でやっ、でやっ、とうっ!」

連発して夢中に尻や前を出しまくる太陽に、なぜか笑いの神が降臨した。

文章で書くと、彼の絶妙なタイミングが伝わり辛いが、この一瞬の後に静かな宿全体が爆笑の渦に包まれた。

ある者は起き上がる事も許されないほどに転げ回り、またある者は息を乱しつつデジカメでその像を連射していた。

(なぜだ…、なぜこんなモノが面白いんだ?)

俺はよじれる腹を精一杯押さえつつも、その江頭っぽい動きから目が離せず、何度も何度も自問を繰り返した。

(こんなモノが、なぜこんなモノがー?)

日頃、笑いを研究する俺にとって、この珍事が可笑しくもあり、腹立たしくもあり、そして、

(太陽、またもや最高…)

この思いも禁じ得ず、

「でやっ」

というその一言だけで会場を怒涛の波で押し潰した彼の神がかり的な何かに、

(くっそー、また負けた…)

そう思わざるを得ないのであった。

 

 

3、渋滞

 

その翌朝…。

一同はアジのタタキ付き朝食を腹一杯になるまで食べ干すと、

「富士山の五合目まで行こうや」

そう進路を決め、即時動いた。

昨日は一日中ぽつぽつと雨が降り続き、どこからも富士山などさっぱり見えなかったが、この日の朝は雲ひとつない青空で、宿から富士山がはっきりと見えた。

「うっわー、作り物みてー」

関東に出てきたばかりの熱血漢・後藤が声を潤ませて感動していた。

それで今日の行先が決まった。

太陽はメンバーの中で、唯一、中部地方(豊橋)から来ており、富士山は中部からすれば逆方向となるので、

「お前は帰ってええぞ」

皆、気を使ってそう言った。

が…、

「いやばい、どこまで付いていく」

太陽は恋人みたいな事を言い、更に本当に付いて来た。

宿を出たのは午前9時だった。

道中、晴れの日曜という事を受け、渋滞に巻き込まれた。

三島を抜け、御殿場を通り、河口湖の方面に向かったのだが、御殿場を過ぎた辺りの一車線地帯からノロノロが始まった。

予定では、正午には富士山五合目にいるはずだったが、正午の時点で河口湖にも達していなかった。

肥後もっこすは気が短い。

「ええい、いっちょん進まんけんが飯でも食うぞ!」

当然、そういう事になり、渋滞道から小道に逸れ、農家のやっている蕎麦屋に入った。

周りは本当に田園地帯で、『何もない』の感一杯の場所だったが、その蕎麦屋はなぜか大繁盛しており、行列さえも出来ていた。

一同は日頃は絶対に並ばない面々だったが、背に腹は変えられぬという事で今日だけは根気強く並び、それを食した。

この蕎麦屋、偶然に見つけたとは言え、有名な穴場なのであろう、隣の客が、

「やっぱ、ここの蕎麦は一味も二味も違う…」

そうこぼしていたが、並んでまで食べている7人の集団は、

(何が違うんや…)

揃いも揃ってそう思っていた。

残念な事に、この集団の中にグルメは一人もいなかった。

食後…。

太陽は満腹になり、やっと自分の住む所(愛知県)を認識するに至ったのであろう。

悔い改め、

「俺、やっぱ帰るわ。富士山いかん。これじゃ何時に帰り着くか分からんけんが…」

そう言うや、皆と別れた。

彼は午前の時間をフルに使って移動し、味の違いが分かりもしない噂の蕎麦を食し、又、同じ道を寂しく戻っていった。

全くもって、挙動不審の一言に尽きる、中川太陽その人であった。

太陽が去った後、一同は彼の車から目が離せず、揃いも揃い、首を伸ばして彼の車のテールランプを目で追った。

なぜなら一年前、彼は横浜で、

「じゃあ、俺、新潟に帰るけん」

言い残して去ったところ、一時して電話があり、

「なんでか千葉に着いた、なんで?」

そう言ってきた事があり、方向音痴に関しては自他共に認める人物であったからだと思われる。

話を戻す。

太陽が抜けた後の一行は、それから渋滞道に戻り、再び富士山五合目を目指した。

「もう、五合目は諦めて関東に帰るか?」

という案も挙がったが、

「それじゃ、太陽と変わらんじゃにゃー」

という何とも説得力のある意見が上がり、五合目へ向かう事となった。

河口湖へ向かう有料道路に入ると、それこそビュンビュン走れる様になった。

有料道路に有料道路を乗り継ぎ、富士山へ登るルートも有料の吉田口を選んだ。

「社会人が金に糸目をつけるかぁー!」

その勢いであった。

五号目に着いたのは午後3時である。

俺にとっては二度目となる。

以前は富士登山のためにここを訪れ、今回がその二度目となる。

何をしたというわけでもなく、

「うおー、河口湖丸見え!」

「うおー、さみー、気温5度!」

「うおー、富士山できゃー!」(できゃー:でかい)

という熱血漢・後藤の熱い叫び声を何度も聞いただけである。

ちなみに、彼はこの富士山五合目で、

「さみー」

という言葉を58回も使った。

余談になるが、後藤は学生時代からの熱血ライダーであり、その足は日本一周をしたりと幅広いが、寒さには前述の通り極めて弱い。

ライダー仲間が言うには、

「あいつは一緒にいくと、さみー、さみーとうるさい」

との事であり、今日、それを、

(なるほど…)

と、実感した。

いくら寒いからといっても、一時間で58回も「さみー」を言う人間はそういまい。

計算すると、62秒に一回言わねばならない頻度となるのだ。

さて…。

高速が混むといかんという事で、一同は五合目を一時間で後にした。

午後4時であった。

ノンストップで下山し、そのまま中央高速に乗り、一路、八王子インターを目指した。

八王子からは国道16号線で拝島、瑞穂を抜け、入間へ向かう。

混んでなければ2時間で帰れる道程であった。

車分けは俺の車に福山家と後藤が乗り込み、大津(喉仏がポイント)の車に他の男二人が乗り込んでいた。

「福山、6時には入間に着くかね?」

後藤が鼻息荒く聞いてきたので、

「混んどらんなら着くと思うばい」

河口湖インターから中央道に乗りこんですぐの頃だったので、俺はそう答えた。

道子は既に後ろで熟睡中であった。

さて…。

混むで有名な大月ジャンクションに差し掛かると全車線が停止している大渋滞となっていた。

「うおー!」

九州から出てきたばかりの後藤は『高速道路で停止』という九州では考えられない事態に驚きの声を上げた。

都会ぶって言うならば、俺は関東に出てきて早5年、盆の渋滞、正月の渋滞を知っている。

「甘いな後藤、俺は前、盆に仙台から帰る時に渋滞100キロを経験したぜ」

甘い吐息と共に言い放つと後藤は、

「す…、すげーな関東…」

気持ちよく驚いてくれた。

ただ、俺のこの余裕は、

(20分もすれば渋滞は抜けるだろう…)

そういう楽観的気分から来ている。

従って、一時間後にまだまだ渋滞していた『その時』には、

(勘弁してくれよ…)

先ほどとは打って変わって、まさに泣きが入った状態となっていた。

大月ジャンクションの渋滞開始から15キロしか進んでいないのである。

「高い速度で走れるから金払ってるのに何で時速15キロかー! 自転車の方が圧倒的に速いぞー!」

二人の九州人、俺と後藤はこの惨状を怒り爆発で迎えていた。

「後藤、大津に電話して今どこを走りよるか聞くばい」

暇つぶしに後藤に別車への連絡を取らせた。

別車は言う。

「大月ジャンクションで混んでたから高速を下りた。今、**のところ」

**という場所は、俺達が今いる所よりも20キロほど先に進んだところであった。

「うっわー、金払っていない連中よりも遅いー! 更にむかつくー!」

下道移動組より遅いという新事実は燃える車内に油を注いだ様なものであった。

「むかつくー、むかつくー!」

先ほどの「さみー」の後藤ではないが、今度は「むかつくー」が車内で繰り返された。

流行語大賞を取りそうな勢いであった。

道子はまだ寝ている。

渋滞もまだ続いている。

突入から二時間が経過していた。

ついに…。

後藤も寝た。

道の脇(路側帯)に目をやると、あちらこちらに立小便中男性の嵐であった。

中には高速道路から降り、どこかへ向かっている人もいた。

多分、降りてヒッチハイクにて駅まで向かい、電車で行こうという人であろう。

(無法地帯やなぁ…)

一人っきりで重たい影を背負いつつそう思ったりした。

人間観察に飽きると、尾崎豊の歌を熱唱したりした。

道子や後藤はまだ寝ている、まだまだ寝ている。

ちなみに、上の一文はこの書を読むであろう二人へ送る『あの時のあてつけ文』である。

渋滞を抜けたのは小仏トンネルを過ぎたくらいの所からであった。

3時間が経過していた。

目覚めた後藤に下道移動の別車に状況を聞かせると、俺達より3キロほど前におり、

「全然、動かんー」

そう言っていた。

渋滞を抜けた俺達の車は、今までの事が嘘の様に爽快に駆けた。

それからはビューンと八王子であり、一週間続いた便秘がどーんと日の目を見た様な爽快感さえ感じた。

もちろん、下道移動の別車をその勢いで余裕シャキシャキ追い越し、

「今まで降りずに我慢した甲斐があったなぁ…」

後藤と熱い握手を交わした事は言うまでもない。

入間(自宅)に着いたのは8時半である。

が…、家には着いたわけではない。

まずは後藤を隣町の入曽という駅まで送った。

道子はその道すがらで起きた。

「あー、春ちゃんはよく寝るなー」

寝るのが仕事の春を盾に意味不明な事を言いながら、寝癖までつけてやっと起きた。

多分、

「春ちゃんに付き合って一緒に寝なきゃいけなかったんだよー」

そう言いたかったのであろう。

口元にはカピカピに乾ききった寝ヨダレすら見える。(バックミラーで目視確認)

その後…。

九州から小林という同期が、今夜、うちに泊まりに来る事になっていたので彼を駅まで迎えに行き、それでやっと家へ着いた。

9時を回っていた。

5時間超しのノンストップドライブであった。

「あー、疲れたー」

俺は客人の小林には申し訳ないが、まずは同期の田邊という男に電話をし、

「小林の酒の相手をしてやってくれ、後、飯も持ってきてやって」

そう言い含め、続いて、

「俺は寝るけんね」

そう念を押した。

他にも、同期の和哉に、

「ビールを持って小林を歓迎してやって、俺は寝るけんね」

と、同様の電話を入れた。

田邊が飯を、和哉が酒を持って現れ、俺はそれを見届けると、

「じゃ、家主は寝る、今日は疲れたー」

その言葉を最後に布団に入った。

道子が、

「よくお客さんがいるのに寝れるよねー」

とってつけた様に皆に言っていた為、その時だけは布団を飛び出し、

「お前にだけは言われたくにゃー!」

睡眠タップリ道子ちゃんへ一喝するに至ったのである。

まとめる。

先週に続き、家計が厳しい状況にありながら断行した今回の旅行。

得たものは、友情の確認、それに伴う奮起の心、それを後押しする富士の雄大な景色、そして莫大な疲労感…。

週末の小さな一幕にさえ、山もありゃ谷もある事を痛感するに至った。

ふと、直属の上司である酒井氏が、前にボソリともらした『名台詞』を思い出した。

「生きてるって事の証は揺らいでるって事だ」

うん、実に深い一言である…。