悲喜爛々20「取材の旅」

 

 

1、弁解

 

取材と言ってしまえば、単なる旅行がプロっぽく聞こえてしまい、何やらうさん臭くなるが、事実、

(小説に出てくる場所を把握するために行く!)

と、いう思いで鹿児島へ向かった。

この思いを裏付けるかのように、常であれば、

「○月○日に、そっちへ行くけんがコンパして!」

と、現地の方々にお願いするところであるが、そんなもの、今回は全くもってしていない。

本当にしていない。

さて、初日の2月8日…。

俺は、午前3時に起きるや、飯を食らい、茶を飲み、4時半には所沢から高速バスに乗った。

重い体に鞭を打ち、7時には羽田を飛び立ち、鹿児島空港には9時に着いた。

新聞配達員並のスケジュールと言えよう。

着くや、中という会社同期の友人が迎えに来てくれており、その足で、すぐに鹿児島市へ向かった。

目的は、今、書いている小説の中心人物、西郷隆盛の足跡を追う、これである。

不埒な思いは微塵もない。

道子は、

「私がいない隙を見計らって、大好きな鹿児島にコンパに行こうと企んでいるんでしょー! 間違いないよー!」

と、俺を疑い、罵るが、冒頭から語る通り、目的は、史跡探索のためである。

ちなみに道子は、同日より、母方の実家である島根県は出雲に飛んでいる。

法事らしい。

さて…。

話は俺らしく、どんどん飛躍していくのだが、道子の疑いの発端に『真紀ちゃん事件』というものがある。

出来事シリーズの後半『初恋』等でも書いているが、道子と出会う、その、だいぶ前に鹿児島でコンパをした。

その時、俺のハートを鷲掴みにした薩摩おごじょが事件名となっている真紀ちゃんである。

結果は、例の如くフラれたわけだが、その後にヒョッと現れた『金魚の糞達』が事件の背骨を成してくれている。

俺が、

「好きだ!」「待って」

「鹿児島に行くぞー!」「都合が悪い」

「早く、俺のところへ来い!」「消えて」

などという問答を繰り返している時、様々な俺の友人達も彼女と知り合っている。

俺が「消えて」の最後通告を受けた後、俺の志は、なぜか、『様々な友人達』の一人である井上和哉へと渡された。

『恋のバトンリレー』の始まりであった。

井上和哉は、その思いをぶつけるべく、

「俺は鹿児島へ行くぞー!」

と、燃えた。

が…、俺同様にいなされ、結果、ふられた。

次に、大津という熊本人が彼女に惚れた。

俺は、池袋の喫茶店で、この大津に恋の相談を受け、俺の失敗談を懇々と聞かせた。

「同じ過ちは犯すな…」

和哉の失敗例も伝え、大津の成功に、あの時の思いを託した。

この時、真紀ちゃんは関東に出てきており、俺には嫁がいた。

大津は、

「ありがとう! お前達の後押しを受け、俺は、燃える!」

そう言ってくれ、3人目にバトンは渡された。

が…、唇の厚い、通称・白い黒人顔と呼ばれるこやつも、彼女にかかっては一刀両断であった。

こうなると後へは引けない。

「ようし…、ここまできたら、誰かしらが真紀ちゃんと付き合うまでバトンを渡し続ける!」

俺達は、そう誓うと、次の生贄を探し始めた。

が…、俺達の思いを察したかのように、彼女は関東を出、故郷・鹿児島に帰った。

(何だよー、盛り上がったところだったのにー)

俺達は地団太を踏み、

(面白いネタを逃したー)

泣く泣く、そのネタを諦めた。

と…、この時期であった。

恋のランナー二番手・井上和哉が裏で動き始めていたのだ。

この動きに俺達が気付くのは、事も押し迫ってきた時である。

「和哉が、もう一度、真紀ちゃんにアタックしているらしい」

この噂は、俺を、大津を、はたまた野次馬大将・道子までもを喜ばせた。

「恋のバトンは繋がっていた!」

俺達は、仕事も手に付かないほどに和哉の動向に注目した。

「2度目だし、真紀ちゃんの勝手も分かっている。 期待感はあるぞ」

和哉の吉報を待った。

が…、蓋を開ければ玉砕した。

一人の薩摩おごじょが、俺を発端に、4回も男を斬り倒した。

それも、どれもこれもが一騎当千の九州男児である。(あえて自分で言う)

これを事件と呼ばずして、何を事件と呼ぼうか。

ちなみに…。

真紀ちゃん事件は、次のバトンを今本という男に手渡したまま、現在、保留中である。

さて…。

余談が長くなってしまったが、そういう流れで、鹿児島一人旅は最も疑われる旅なのだ。

俺にその意志がなくても、

「あんた! 既婚者のくせに、五人目のランナーになる気?」

言いはしないが、道子の目は、そう言っている。

が…、実際に小説のため、この取材旅行をやろうとすれば、道子が出雲に発った『この週末』を除いて他はない。

そういう事で断行した。

宿泊施設は同期・中のアパートにし、航空券はHISの格安航空券を利用した。

ちなみに、中という男は、同期でありながら同じ会社ではない。

一昨年に会社を辞め、鹿児島県の国分に再就職をしている。

この中と2人、鹿児島市の史跡を回った。

あいにく、この日は土砂降りの雨で、外を歩くには辛すぎる模様であった。

が…、そのお陰で、人は少ない。

同行する中は、日頃の挙動から察するに、歴史に興味を持つ人間ではない。

従って、

(つき合わせて悪いなぁ…)

いかな俺でも、その思いを持たずにはいられなかった。

が…、史跡を回るにつれ、

「いやぁ、鹿児島がこんなにも凄いとは思わなかったぁ!」

中は、声を上げて感動し、

「次はどこへ?」

と、俺よりもやる気になる始末であった。

俺にしてみれば、本当にありがたい。

が…、生粋の鹿児島人である中が、鹿児島の事を全く知らない事には驚いた。

「西郷が何をした人か、まったく知らん」

そう言うし、

「桐野利秋、東郷平八郎、大久保利通、聞いた事あるけど、知らんねぇ」

とも言うのだ。

だが、中にしてみれば、ゼロからだったから史跡巡りが実に楽しかったのであろう。

吸収しっぱなし、スポンジ状態である。

しきりに、

「鹿児島って凄かったんだねぇ」

鹿児島訛りで呟きながら、説明文を読み漁っていた。

その夜の飲み会では、子供の様に、

「鹿児島の事、知っとるけぇ?」

と、自らの彼女に問いかけ、詰め込んだ知識を披露していた。

(意外に、地元の人間の方が地元を知らないものか…)

そう思うと、ふと、

「雪国の人間より、関東人の方がスキーがうまい」

皆が言う、この言葉を、あまり関係ないけど思い出した。

さて…。

以下、観光の話は、書けば退屈なので、行った順番に列記し、簡単な説明を付加するだけに留めておく。

鹿児島へ行かれた際の参考にして頂きたい。

 

@ 西郷・大久保の生地

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記念碑がたっているだけ。

 

A 維新ふるさと館

生地の中央に立つ。

300円で華やかなロボットショーも見れ、展示物も極めて豊か。

西郷の縁者が語る西郷像(肉声の録音)は、極めて貴重でファン必聴。

 

B 城山

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西郷終焉の地、西郷洞窟がある。

完全に住宅地になっており、昔の面影はない。

ただ、洞窟から終焉の地にかけて、緩やかな傾斜が続いている事は分かる。

私学校本部跡が麓にある。

 

C 南洲神社

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南洲とは西郷の事で、その墓地や、西郷南洲顕彰館がある。

顕彰館は100円で、資料も豊かだが、何となく暗い。

普通の観光であれば、資料館は、維新ふるさと館だけで良いと思う。

墓地は、西南戦争の名将達が横一列に並んでおり、見た目に力強い。

 

D ラーメン「くろいわ」 ← 観光地ではない

鹿児島一の繁華街で遅い昼飯を食べた。

この『くろいわ』は、鹿児島では有名なラーメン屋らしい。(観光案内ブックによる)

野菜風味が溶け込んでおり、上品な豚骨味である。

しっかり汁まで飲み干したが、どうしても濃い味好きなため、コッテリ感が足りないように思われた。

値段は700円と高く、鹿児島ラーメンの相場がこんなもの。

 

E 示現流兵法所

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薩摩藩門外不出の剣法・示現流の道場。

一子相伝で、北斗神拳のように引き継がれてきており、今は道場が資料館も兼ねている。

500円と入館料が高い割には、見るところは5分以内に終わる。

が…、道場を見せてくれ、基本的なカタも教えてくれる。

人斬り半次郎を始め、維新の原動力だった薩摩人が使っていた剣法だと思えば、感慨深いものがある。

 

F 多賀山公園

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日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎の像が錦江湾を見下ろしている。

公園内に小さな城跡があるが、見る価値はない。

 

と…。

これで、観光三昧の一日が終わっている。

維新に関して追おうと思えば、鹿児島市には他にも続々とあり、ここはその宝庫といえるが、重複している部分も多いので、ここまでとした。

さて…。

中が住む国分市は、鹿児島市から車で一時間ほどのところである。

桜島を中心に、地図で確認すると、右上になる。

この国分へ帰り着いた俺と中は、荷物を家におろし、すぐに居酒屋へと向かった。

中が言うには、

「300円で芋焼酎飲み放題の店がある!」

との事である。

旅行という豪気な時、そこへ食い付くのもおかしな話であるが、貧乏性の俺は、

「嘘っ、300円、それは凄い!」

と、強烈に食い付き、即決した。

メンバーは、俺と中の他に、中の彼女とその友達、それに中の会社の先輩(男)である。

重ねて言うが、全くコンパの装いはない。

強いて怪しいところを探すなら、中彼女の友達となるのだろうが、彼女達は俺を見るや、

「子供の写真を見せてくださいよー!」

そう言い出す始末である。

俺は、携帯電話の写真などを見せつけ、

「どうだー! 可愛かろがー!」

と、返す。

そこに色事の余地はうかがえない。

はい、心の底から、うかがえない。

そう…、うかがえないのである。

最後になるが…。

今回の日記は三話に分けて書き上げ、『悲喜爛々20』としたい。

この『弁解』の他に、『通じない熊本弁』、『竜馬汁が食いたい』を予定している。

インフォメーションには、鹿児島での写真も掲載している。

さて…。

焼酎飲み放題300円の居酒屋では、男3人女3人、向かい合って座っている。

が…、何度も言うようだが、これは、コンパではない。

ただの飲み会である。

夜は、始まったばかり。

霧島から吹き降ろされる風は、冬を馬鹿にしているかのように温いのであった。

 

 

2、通じない熊本弁

 

鹿児島と呼ばれる前、そこは薩摩と呼ばれていた。

薩摩は、関所(藩境)に屈強な武士団を配備し、よそ者をばったばったと斬り倒していた事は有名で、飛脚すら楽には通さなかったという。

国内鎖国をしていた唯一の藩といえる。

それで、この藩が何をしていたのかといえば密貿易である。

また、きたるべき事態に備え、他藩と比べると圧倒的に多い武士達の教育にも力を注いでいる。

これが後の明治維新の原動力となり、また、その薩摩独自の教育が、西郷隆盛、大久保利通ら、英雄を生む事になる。

さて…。

そういった歴史的背景もあり、ここ、鹿児島で話されている言葉が、元は、

『隠密のための言葉だった…』

そう言われている事を読者にお知らせしたい。

隠密のための言葉…、つまり、他県人に会話を悟られないよう、意図して特殊な言語を薩摩人がつくりあげたのである。

実際、鹿児島で爺さん婆さんの話を聞いても、何を喋っているのか、隣県・熊本の俺でさえ、さっぱり分からない。

口元すら動かないのだ。

前の章で書いた『維新ふるさと館』に、西郷と縁の人物が西郷像を語るテープがあったのだが、これも、何を言っているのか分からなかった。

画面に字幕スーパーが出るため、内容を把握する事が出来るのだが、テープが字幕スーパーのどこを読んでいるのか、見当もつかないのである。

が…、テープの中では、縁の人物と地元のリポーターが普通に会話をしている。

『念力』を飛ばしているとしか思えない。

丁度、この維新ふるさと館で、テープの内容を鹿児島弁と標準語、その両方書いてある紙を貰ってきたので、それをそのまま事例として載せる事にする。

鹿児島弁を読んだ後、何を言っているのか考えてもらい、下の回答を見てもらいたい。

 

ハイト、カンマツイヤラ、ホゼヤラ、ヨウ、ヨイヲメス、トコイゴザシタ。

ソストマタ、キョデンノシノ、トッドッノ、ノボイクダイガゴザッテ、ノボイクダイニ、マタ、チョイチョイマカイオシタガオ。

 

下、日本語訳である。

 

よく、神祭りや、秋祭りなど、よく、集まりをなさるところでございました。

するとまた、兄弟の人たちの、折々の、上京や帰郷がございまして、上京や帰郷の時に、また、ちょいちょい伺いましたよ。

 

と…。

書いても凄まじいが、喋られると、これに特殊なアクセントも付加され、念力を発しているとしか思えなかった俺の気持ちが分かってもらえると思う。

ちなみに…。

現代の若者が喋る鹿児島弁は、非常に分かり易くなっている。

(これでは外に通じない…)

と、誰かが思ったのであろう。

強い訛りがあるものの、その言葉自体は熊本弁よりも標準的で、何となく東北弁に似ている。

また、

「なんしよっとー!」

熊本弁で言えば、軽快なリズムで発されるこの言葉も、現代風鹿児島弁になれば、

「なにしてんのぉ♪」(語尾が上がる)

と、実にやわらか、豪快なはずの薩摩隼人も何となくノッペリとした感じに見えてき、女性は優しい素朴な感じにとれる。

さて…。

前置きが長くなったが、俺は今、国分の居酒屋で、この現代風鹿児島弁に囲まれている。

右を向いても左を向いても、

「のぉ♪」「けぇ♪」

の、やわらかボイスばかりで、普通語は一切見られない。

(ああ、何だか、鹿児島アクセントがうつりそうだぞ、やばい!)

そう思った俺は、鹿児島弁と相反する事になる、エッジだらけの熊本弁で小話の一つでも話してみる事にした。

すると…。

「はぁ?」

正対する女性達はそう言い、怪訝な表情をつくりつつ、

(言ってる事が分からない)

そういう感じで頭を振った。

同期の中(人の名)だけは、うんうんと頷きながら、目で、

(俺には通じるが、この場では通じんぞ、さあ、どうする?)

と、俺を試している。

俺にしてみれば何だか腹がたった。

(くっそー! 隠密言葉のくせに、標準語アクセントで発される熊本弁が分からんとはどういう事だー!)

思ったが、ここは鹿児島である。

「分かれー、こんちくしょー!」

と、言うのは、明らかに俺に分が悪い。

仕方なく、短い言葉を細切れに散りばめ、皆の会話の要所要所に置いていき、慣れてもらう方法をとった。

が…、鹿児島弁と熊本弁では、そのリズムも丸っきり違うらしい。

俺の言葉の置き所がどうもオカシイらしく、

「え?」

とか言われて、自慢の爆笑トークが普通に流された。

(くぅ…、どうしたら?)

思っているところに、目の前の女がピーターアーツっぽいベストを脱いだ。

そして、

「今、中君を巡って、彼女と三角関係なんだよねぇ」

とか言いだした。

当然、

(む! 三角関係とな!)

と、食い付いた。

バファリンの半分が優しさでできているなら、俺の半分は好奇心でできている。

すぐに、ピーターアーツっぽいベストに着目し、爆笑ツッコミを入れた。

熊本ならドーンと足腰吹っ飛ばすほどの、超爆笑ツッコミである。(内容は極秘)

が…、ここは鹿児島、俺の予想に反し、時間が止まったかの様に静まり返った。

(あれ?)

思った後に、ドッと場が弾けた。

この瞬間に俺は悟った。

リズムの微妙な違いを、である。

熊本の言葉運びのリズムというものは、その言葉通り、テンポを重要とする。

どんな爆笑ギャグも、テンポが悪ければ台無しである。

が…、鹿児島は違う。

いちいち、喋り手が何を言っているのか、聞き手が考えてくれるのである。

そりゃ、個人差もあれば、その日の調子もあるだろうが、明らかに鹿児島の会話法は、糸電話的である。

ちゃんと話が終わった後に返答が返ってくる。

熊本では、それはありえない。

特に、40代〜50代後半の女性に多いのだが、人の話など上の空で聞き、その間、自分が言う事を考えている。

それが皆が皆なものだから、場は雑音の嵐となり、席に実はない。

話し終わった後に、

「何を話しよったと?」

彼女達に聞くと、普通に、

「忘れた…」

そう返される。

(なるほど、分かったぞー!)

俺は、言語研究家にでもなったつもりで熊本の異常なリズムを理解し、ついでに鹿児島弁を理解する事に成功した。

実験的に二発三発、テンポに呼吸を置いて喋ってみると、これがよく伝わった。

同じ日本でありながら、『伝わった』という表現も変だが、確かに、一呼吸により、熊本弁が伝わりだした。

言葉自体は、同じ九州という事もあり、苦にはならないようだ。

内容が伝わり出すと、俺の爆笑ギャグも結構いけた。

思えば…。

西郷隆盛は、じっくり人の話を聞き、たっぷり熟考し、金鉄の返答を返していたという。

(なるほど、脈々と受け継がれているなぁ…)

そう思われる。

これに対し、熊本は、

(加藤清正だろー…)

と、なるが、どうも清正のイメージは湧きにくい。

と…。

一人だけ、鮮明にイメージが浮かぶ大物を思いついた。

「んにゃっ!」で有名な、水前寺清子である。

西郷隆盛と比較するのもどうかと思うが、あえて比較すると、その10倍は喋りそうで、確かに人の話もあまり聞きそうにない。

鹿児島派の中(人の名)は言う。

「鹿児島からは『はしのえみ』が出たんだからねぇ♪」

うむ、これも、喋る事に飢えている印象は受けない。

むしろ、あのウエディングドレスにつつまれてショッピングをする様は、知性の高さすら感じられる。

早速、負けじと熊本出身の若いギャルを思い描いてみた。

すると、

(は!)

俺の中に、一瞬、ホクロまではっきりと見えるくらいに鮮明な像が浮かんだ。

が…、誰だか分からない。

いや…、分からないように自分自身を誤魔化した。

(はしのえみに対抗するのに、それはないだろー…)

そう思ったのである。

が…、浮かんだものはしょうがない。

言おう。

それは、『松野明美』であった。

俺の生地、熊本県は山鹿の隣町、植木の出で、マラソンランナー上がりなのだが、今はモロにバラエティータレントになってしまっている。

完璧に故郷を臭わせる鹿本郡訛りで、彼女の故郷を捨てない心には脱帽だが、その落ち着きのない言葉に知性を感じとる事はできない。

あれが、客観的に見た『俺の言葉』なのであろう。

そう思うと、今、俺の前で、

「ああ、福山君、超おもしろいねぇ♪」

と、知的な鹿児島弁で爆笑しているギャルも、心の中では、

(絶対に馬鹿だよぉ♪ こいつぅ♪)

そう思っているのかもしれない。

テンポ重視の熊本弁、愛して止まないのであるが、今日だけは、

(ちょっと複雑な気分…)

そう思えたのであった。

 

 

3、竜馬汁が食いたい

 

酒宴を終えた一同は、中の友人(男)宅へと向かった。

聞けば、

「夜を徹して、ウノ大会だー」

との事である。

これを読まれている一部の熟年層は、この『ウノ』というものをご存じない事であろう。

(ウノってなんだ? 『神田うの』の事?)

そう思われたはずだ。

ゆえに説明する。

ウノとは、トランプに毛が生えたような、紙製のカードゲームである。

これをやるために、場を、中の友人宅へ移し、夜を徹すというのだ。

「冗談じゃにゃーばい…」

思わず呟いてしまう、今の時刻は午前1時である。

俺は、この誘いを断りはしなかったが、

(場を移した瞬間に寝るぞ!)

そう心に決めた。

この日の俺は、朝3時起きで鹿児島に駆けつけている。

前の日は飲み会で、早く寝たわけでもない。

当然、睡眠は不足状態にある。

中の友人宅に転がり上がると、俺はダッシュで部屋の角位置に滑り込み、マッハで横になった。

さて、翌朝…。

目覚めると、午前7時であった。

部屋を見渡すと、連中が雑魚寝しており、空いたワインの瓶やら何やらが転がっている。

(まだ、7時か…、もうちょい寝よう…)

俺はまどろみながら、丸まっていたタオルケットを腹上にかけた。

この時期にありながら、タオルケット一枚で眠れる鹿児島を、

(すげーなー、南国…)

思いながら、昨晩のようにマッハで眠る予定だったが、どうもいけない。

同期・中のイビキがうるさ過ぎるのである。

雑魚寝の構成は、中を中心に左がその彼女、右が酒宴の際、ピーターアーツ・ベストを着ていた『中を狙っている女』である。

(寝る時まで三つ巴かよ…)

俺は、ピーターアーツの度胸に感心しつつ、

(よく、あのイビキを間近にして眠れるな…)

深々と、そうも思った。

恋は盲目というが、多分、中を挟んだ女二人は、この耳障りなイビキを、

(なんて、素敵な音色…)

そういう感じで、子守唄にしたのであろう。

が…、俺にしてみれば、このイビキは雑音でしかない。

「ああっ、もうっ!」

と、起き上がり、何か、時間を潰すための漫画でもないか探した。

この家、男の仕業とは思えぬほどに小奇麗に片付けられており、家具がほとんどない。

読み物も、旅行のチラシしかなかった。

(なんだよー!)

思いながら、「暇、暇、暇」と、うねっていると、中の彼女が起きた。

聞けば、4時過ぎまでウノをしていたらしい。

「起こして悪かったね」

俺は申し訳なさそうな素振りを見せつつも、実は皆を起こす気満々でいる。

だって、俺だけは6時間睡眠なのだ。

わざと大きな声で中の彼女と喋ったり、今の時刻を9時過ぎと偽ったりしてみた。

すると、家主が起きた。

中とピーターアーツだけは、なかなか起きない。

「俺、今日で鹿児島とおさらばだけんが、どこか連れて行ってばい!」

俺は、サラリーマンの妻が、週末、旦那にねだるような言い草で、寝ている中に甘えてみた。

「ふぁん…」

中は、目も開けずに、わけの分からぬ呪文を唱えている。

俺は、負けじと「連れてって、連れてって」と食らい付く。

ついに、中は目を覚まさなかったが、周りが折れた。

寝ている中を車に運び入れ、その彼女が運転し、一同は午前8時過ぎには国分を発った。

さて…。

国分の隣に隼人という町がある。

この町をちょっと熊本方面に上ると、西郷が愛してやまなかった『日当山温泉』、炭酸泉で有名な『ラムネ温泉』、坂本竜馬が愛妻・お竜と立ち寄った『塩浸温泉』などの温泉群がある。

どれも、活火山・霧島流れのものである。

一同はまず、無料の足湯があるという『妙見温泉』に立ち寄り、眠気を払うという事になった。

無論、俺だけは全く眠くない。

一同は、熱く、硫黄系のトロリとした湯に足をつけ、

「はぁ、極楽、極楽…」

など、年寄り臭い息を吐きながら、その場に座り込んだ。

座りながら眠る者までいる。

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この温泉群は、全てが川沿いにあり、この足湯も例外ではない。

浸かりながら手付かずの上流河川が見渡せ、そこから上がる靄が実に幻想的である。

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朝日と水面がかもし出す『流動的な7色の光』がそれに拍車をかけてくれる。

川の名が、天降川(あもりがわ)というのも粋だ。

他人の事はいざ知らず、俺は、心底癒された。

次に…。

一同は『轟木の滝』という、地元民しか知らない山深い滝へ向かった。

国道から右手に逸れ、車一台がやっとこさ通る道を進むと、赤土の駐車スペースがある。

そこから、徒歩で山を下る。

中は、足湯の効能なのか、車中で本気寝(マジネ)に突入し、

「さ、行くぞ!」

と、言っても、

「みゅぅー…」

わけの分からぬ呪文を返すばかりで話にならない。

彼だけを車に残し、一同は山を下った。

道は濡れた赤土で細く、そこを10分ほどかけて下るのだが、行き着いた先に現れた滝は、それはそれは見事なものだった。

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何が見事って、豪快な水の落ち方もさる事ながら、地元民しか知らないマイナーな滝ゆえ、人の手が一切付いていないのである。

「ほぉー…」

俺は夢中で滝に近寄り、その飛沫を受けた。

「マイナスイオンで癒されますなぁ」

俺が、中の友人に言うと、

「そうだねぇ♪」

こちらは、笑顔付き鹿児島弁で返してきてくれた。

何だか、茶飲み友達を得たような気分になった。

次に…。

ここいらは、坂本竜馬が日本人初の新婚旅行をした、そのコースであるがゆえ、

「足跡を辿りたい!」

俺の希望は、そういう方向へと向いた。

塩浸温泉へ行き(下写真)、犬飼の滝(下写真)へ向かう。

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坂本竜馬は、この辺りへ立ち寄った感想を、土佐に住んでいた実姉・乙女に、こう手紙で書きしたためている。

 

げに、この世の外かと思われ候ほどの珍しきところなり。

ここは、10日ばかりもとどまり遊び、谷川の流れにて魚をとり、短銃をもって鳥をうつなど、真におもしろかりし。

 

この手紙通り、ここなら魚も釣れ、狩りもできよう。

景観も、あれから140年以上経った今にあって、手紙通りのものを留めてくれている。

(いいところだなぁ…)

思っていると、賑やかな行列が目の前を通り過ぎた。

皆、『通行証』と書かれたバッチを付けている。

当然、前章に記載したように好奇心がその半分を占めている俺は、この行列の後を追った。

行列は、滝へ続く徒歩道入り口から、滝とは逆方向へ登っている。

登りつめたところには、神社があり、その前では大鍋で何かを煮ている。

出店も2、3出ており、どうも、今から小祭りが開かれるらしい。

(何の祭りだ?)

こんな山深くで開かれる祭りに、俺の好奇心はグングンと勢いを増した。

「すんません、ちょっといいですか」

俺は、いかにも地元の農民らしい、その人を捕まえ、事の詳細を聞いた。

農民が言うには、今日は、坂本竜馬の新婚旅行に因んだ『町の企画』で、ひたすら竜馬の足跡を追い、行列を成しながら歩く祭りだという。

その歩いた終点がこの神社で、今は、その賄い準備の最中だという。

「はー、そんな企画があっとですかぁー」

俺は何度も頷きながら、ふと、テントに貼られた一枚の看板が目に留まった。

『竜馬汁、無料』

これであった。

(なんと、無料!)

俺は、これを見つけるや、一段下にいる連中に、

「竜馬汁、無料てったーい!」

と、叫び、その受け取り場に走った。

が…、準備が終わっておらず、奔走している人々はしきりと俺の胸元を見る。

つまり、先ほど皆が付けていた『通行証』をチェックしているのである。

俺は、瞬時に、

(通行証がないと、竜馬汁は食えない)

その事に気付いた。

が…、竜馬汁がどんなものなのか、それを確かめなければ場を去るわけにはいかない。

好奇心に満たされた『内なる俺』は、

(もう! 金払ってでも竜馬汁が食いたい!)

そうまで言っている。

下の連中は、上がってくると、

「無料って書いてあるけど貰い辛いね…」

と、あからさまに難色を示した。

一同は、神社を見物し、山の神・愛ちゃんと銘打たれた白い猪など見ながら、竜馬汁の様子をうかがった。

俺にしてみれば、遠目で見るだけではおさまらない。

つい、裏手の料理場まで足を運んでしまった。

そこで見たのは…。

市販されている普通の味噌を鍋に入れ、それに大根、芋、にんじん、ゴボウ、豚肉、コンニャクを切っているところであった。

(何が、竜馬汁の背骨を成すのだろう?)

思いながら、注意深く、婦人会の動きに目を向けた。

が…、婦人会のおばさん達は、それだけを馬鹿でかい鍋にぶち込むと、

「はいっ!」

と、言いながら、蓋をした。

俺にしてみれば、

(さあ、これから、どういった『竜馬らしさ』が出てくるのか?)

その思いで鍋を凝視しているわけだが、おばさんは蓋を開けると、それをどんぶりにつぎ始めた。

「はいはい、どんどん出してー」

婦人会の若手に、なみなみと満たされたどんぶりを流している。

「嘘だろー! これじゃ、ただの豚汁じゃにゃー!」

俺のほとばしっていた好奇心は一気に冷めた。

丁度、俺の前を婦人会の人が通り過ぎたので、

「すいません」

と、捕まえ、遠慮なしに尋ねた。

「どの辺が竜馬汁なのでしょうか?」

この人、30くらいに見え、婦人会では若手に属する使いっパシリであろう。

困った顔を見せ、しばし思案にくれると、は!と思い出した顔を見せ、こう答えてくれた。

「竜馬さんは、ここいらで、毎日のように鍋を食べたと伝えられています。それで竜馬汁」

「なるほどー!」

俺は合わせてはみたものの、内では、

(だったら、竜馬が愛した豚汁って書けよー!)

そう思った。

(『嘘、大袈裟、紛らわしい』でジャロに訴えるぞー!)

とも思ったが、婦人会も休日に無償で働いている事は分かっているので、

「お疲れ様です」

と、頭を下げた。

俺の観光はこれで終わった。

それから…。

中に空港まで送ってもらい、時間があったので、土産物を物色し、鹿児島らしいものを探し求めた。

鹿児島といえば、初日から思っていたのだが、シャレを交えたネーミングが多い。

例えば、鹿児島市の観光案内マップは『はい、地い図』だし、通り道には『西郷どんは最高どん』という看板を見かけた。

そういう事で、土産物は『かすたどん』にした。

カスタードが入った蒸しケーキで、最も有名な鹿児島土産の一つだが、ネーミングも実に鹿児島的である。

その後、土産物を下げ、スカイマークカウンターへ搭乗手続きに向かった。

と…、そこには、

『整備不良により欠航』

驚く事に、そう書いてあった。

(嘘だろー…)

俺は、無気力にそう思い、

「俺は、明日から仕事なんだぞー!」

と、カウンターに怒鳴り込んだ。

スカイマークは、すぐに代わりの他社便を用意した。

が…、あいにく、その他社便も満席であった。

「一本ずらしていただけませんか?」

カウンターのギャルは言うが、俺は頑として聞かない。

一本遅らせると、家に帰り着く時間が午前様になるのである。

すると、

「それでは、スーパーシートに空きがございますので、そちらへ…」

という流れになったのである。

(え! 嘘! スーパーシート! 棚からぼた餅、イェイ、イェイ!)

内では当然、カーニバル状態となったわけだが、外では、

「うむ!」

なぞと静かに返し、チケットを取り乱す事なく受け取った。

スーパーシートに乗る事は今までもなかったが、今後もありえないであろう。

ゆったりと広いスペースでくつろぎ、スチュワーデスの丁重な扱いを受け、飛行機を降りるのも最初。

しかし、払った金額は1万円。

(最初っから最後まで、いい旅行だった…)

深々と、そう思わないわけにはいかない。

が…、一つだけ、『わだかまり』として残っているのが竜馬汁である。

あれだけは、埼玉に帰っても、

(ただの豚汁とはいえ食っておくべきだった、竜馬の愛した豚汁だったのにー!)

そう思われたのである。

(嘘、大袈裟、紛らわしい…)

そう思い、竜馬汁を食わなかった『あの時の俺』が憎い。

時として(特に旅行の時などは)、骨の髄まで騙されるべきなのであろう。

『西郷どん、最高どん』『はい、地い図!』『かすたどん』…。

俺は鹿児島県に心底騙された。

が…、竜馬汁だけは素を見破った。

ゆえに…。

どうも、後味が悪く、それだけが心残りなのである。

(ああ…、竜馬汁が食いたい…)

その思いは、今も尽きない。