悲喜爛々27「退職」

 

 

1、出社

 

その日を迎えた。

退職の日である。

前日、上司が開いてくれた送別会を早々に終えた俺は、たっぷりの睡眠をとり、いつもより早い時間に目を覚ました。

午前6時であった。

(スーツを着らんといかんけんね…)

顔を洗い、歯を磨くと普段は触れもしない長タンスを開けた。

おもむろに、一番手前のズボンを手にした。

紺色の、ゆったりとしたズボンである。

はいてみた。

すると…。

(む…、むむ…、むむむ…)

なんと…。

入らないではないか。

いや、無理をすれば入るには入る。

が…、それを辛うじて繋ぎ留めてくれているボタン君が、

「や、やめてよぉー、ちぎれそうだよぉー」

痛々しい叫び声を上げるのである。

「ぷ、ぷはぁっ!」

俺は、ボタン君を開放するとズボンを脱ぎ、まじまじとそれを眺めた。

吐き捨てるような呟きが、無意識無想の中に漏れた。

「駄目だ…、スーツで出勤は諦めよう…」

よくよく考えれば、今日の定時後に行われる『セルフ送別会』を終えれば、その飲み会数というものは25回を数える。

体型が変わらないはずがなかった。

ちょっと前から道子は、鼻の穴を思いっきり膨らましつつ、

「体重計に乗りなよー」

そのように言ってき、俺は、

「乗っても、いつもと変わらんけん同じ事た!」

などと喧嘩腰に返してはいるが、つい先日、健康診断で体重計には乗っている。

俺は、その体重計が映し出した何とも不思議な数値を、

(壊れてる…)

そういう事にし、闇に投げ捨てる事にした。

そう、あの体重計は壊れていたのである。

が…、もしも、もしもである。

あの数値が真実であるとすれば、そこらへんにあるズボンというズボンが、

(入るわけにゃーばい…)

そういう事になり、ボタン君の叫びは本人も納得の事態といえる。

思えば…。

8年前の俺は、50キロ後半という信じられぬウェイトであった。

この年は、普通高校に通っていれば高校卒業時という事になる。

この春に、俺は10キロ太った。

この日記に何度も出ている法明という男が、

「もう卒業だけん」

という事で、毎日のように俺を飲みに誘ったからである。

春休みは日数換算でゆくと20日ある。

その全てを法明に費やし、その全てを『思い出』と『肉』で受け取った。

これにて俺は、60キロ後半になった。

その2年後…。

この時期は、俺の高専卒業時となる。

俺は、卒業前に与えられる長い休みの前半を四国自転車一周旅行に費やし、見事な体で熊本へ帰還すると、

「さぁ、飲むばい!」

それからは、気合を入れて飲みに入った。

多分、ほとんど自宅には帰っていまい。

『学生さようなら・20連荘飲み会』と題し、出社日の前日まで飲んでいたと思う。

その結果、5キロくらい太った。

これにて俺は、70キロ前半になった。

それから、社会人になり、記憶に新しい『悪鬼羅刹のダイエット宣言』等、凄まじいまでの食事制限を行い、最も軽い時期には65まで身を削った。

が…、その後すぐに結婚した。

嫁いできたのは、

「台所に立たせたら、その腕前たるや社宅でも群を抜く…」

と、噂の道子である。

太らないわけがなかった。

すぐさま10キロ太った。

結果、75キロ手前くらいで落ち着いた。

結構、飲み食いしているし、痩せるための運動を続けているわけでもないが、それよりは太りもしないし、痩せもしない。

(俺の体というものは、この辺で落ち着く体なのだ…)

俺は、そういう風に結論付け、ある意味4つに別れた腹を両手で掴み、

「春ー、これくらいあった方がお前も楽しいよなぁー、ゆくぞっ、お腹パクパク攻撃!」

「だぁだぁっ、だだだー!」

などと、子をあやす道具に用いたものである。

が…、さすがに短期間での25回は境界線を超える力があったようである。

今までは、ゆるゆるとはいかぬまでも確実に入っていたズボンが入らないのである。

この前日…。

バトミントン後の飲み会で、

「退社日は、スーツに蝶ネクタイで挨拶に伺います!」

先輩達に言った言葉が、出だしから実行できなくなった。

スーツが着れないでは、

(仕方がない…)

と、諦めるより他はなかったのである。

俺は、泣く泣く作業着で回ることに決め、いつも通り、ジーパンにTシャツで社宅を出た。

ちなみに…。

最後の出社という事で、

(朝食はどのようなものが出るのだろう?)

思っていたが、普通に飯と味噌汁で、

(道子は玄関で泣くかもしれんな…)

最後となる社宅での見送りにその事を思ったが、

「はい、いってらっしゃいー!」

普通の道子であった。

ただし、春だけは、

「ダウィンダブゥンダー」

最近めっきりと達者になってきた喉を思う存分震わせた後、その顔を寄せ、力いっぱい俺の顔を舐めてくれた。

「うんうん、春、そして道子、行ってくるぞ!」

意気揚々と社宅を出る俺に、仕事をする気は全くない。

(今日は、挨拶回りのみ!)

そう決めているのだ。

入社5年と3ヶ月…。

その最終日に歩く俺の胸は、多分、力いっぱい張られていた事であろう。

梅雨時には珍しく、社宅の空は明るい。

会社までは、徒歩5分である。

 

 

2、定時内

 

定刻に出社した俺は、朝礼を終えるとすぐさま席を立った。

前日、設備が壊れた際、

「飲み会があるけん…」

という理由で、やり残した仕事があったからである。

が…、さして時間がかかるものではない。

(手早く終え、すぐさま挨拶回りに出ねば…)

思いはそこにあり、気は急いでいる。

すぐさま現場に腰を据え、普段では考えられないほどの迅速さで仕事を終えた。

終えるや事務所に戻り、席に着く事もせず、行先表に『工場など』と書き記した。

手には、一枚の紙切れが握り締められている。

その紙の上方には『セルフ送別会』その文字が刻まれており、左部分には、

・ 5時〜7時

・ 7時〜9時

・ 9時〜

たっぷりと縦方向に空欄を設け、そのように書き込まれている。

これが何を示すのか…。

これは、定時後に自らが計画している送別会の参加者表であった。

(かなりの人が来るだろう…)

その限りなくプラス思考な思いを胸に、最高12人しか入らない行き付けの『かずさ』を時間毎に区切り、なるべく多くの人と飲もうという試みである。

この時の俺に、

(誰も人が来なかったら…)

などという考えは微塵もない。

既に、店は貸切にしてあるのだ。

今現在、右手に握り締められた紙には一人の名も書き込まれていない。

これが挨拶回りを終える頃には、いっぱいになっているはずであった。

と…、その時…。

道子からしか掛かってこない携帯電話が俺の胸で踊った。

無論、道子からである。

「お、なんや?」

問うと、

「今日、どうすればいいんだよぉ?」

との問い掛けであった。

これは、俺が道子に、

「挨拶回りを一緒にやるぞ、春は社宅の奥様衆に預けとけ」

そう言った後、

「お前が会社に来るタイミングは電話で指示する」

と、玄関を出る時に言い放った事に起因する。

俺は、すっかりその事を忘れていたのであるが、とりあえず、

「よし! じゃあ、昼休みの3分前に正門に来い!」

そう告げた。

道子は、

「やだよぉー、行けないよー、行けるわけないじゃん!」

社宅では、そのように言っていたのに、

「えー、でもー、何を着ていったらいいか迷っちゃうよー」

そのような事を言い、この後も、

「OLっぽい服がないよぉー、もぉー、スーツっぽい服装でもいいよね?」

などと、たかが服装の事を何度も何度も電話し、俺に確認している。

つまり…。

道子は、いつの間にかノリノリになっていたのである。

昼休みには、五味川という嘱託勤務の先輩が自慢のカメラで集合写真を撮ってくれるという。

その事を伝えると、

「えー、お化粧しなきゃー!」

道子は噛みつかんばかりに電話越しで興奮し、そこに、

「恥ずかしくて行けない…」

などと、頬を赤らめていた道子は消え失せたのであった。

さて…。

広大な敷地である工場を回ると、あっという間に昼前になっていた。

敷地内には、工場の他にも管理棟という事務所があるところと、ソリューションセンターという8階建てのビルがある。

(予想以上に挨拶回りは時間を食う…)

その事を痛感せぬにはいられない。

予定では午前中に管理棟も回ってしまうつもりであったが、全く時間が足りず、急ぎ道子を正門に迎えにゆかねばならなかった。

道子は、12時ポッキリに現れた。

俺としては、少し前に道子を食堂に連れ、ゆっくりと食べたいものを選ばせ、それから何食わぬ顔で道子と最後の社食を楽しむつもりであったが、遅れてポッキリに現れたがゆえに、頃合はラッシュ時となった。

道子は小走りに駆けながら言う。

「あー、もぉー、ストッキングがデンセンしてるんだよぉー」

「知るか! 急げ、人込みにもまれるぞ!」

「あー、何がいいか迷っちゃうよー」

「後ろが詰まるぞ、急げ、もう、どれでもいいけんが取れ!」

道子は社食というものを知らな過ぎる。

社員が波のように押し寄せて来る中を、ゆるりゆるりと動くのだ。

完璧に流れを阻害し、また、それでいて大き目だからよく目立つ。

波の中には、道子を知るものも少なくない。

「あ!」

などと指差しながら、顔見知りの者は、自らの眼を疑う。

次第に…。

道子は、それを楽しみ始めた。

「え…、えぇー! みっちゃん!」

など叫びながら、次から次に現れる顔見知りの者に、

「てへっ、来ちゃいました!」

と、自らの歳を省みず、お茶目に言い放つ道子。

その横で、俺はラーメンを静かにすする。

道子に気付かず通り過ぎた和哉などには、

「おーい、和哉君! 私がいるよぉー!」

絶好調の道子は、自ら、その存在をアピールし始める始末であった。

そう…。

道子のノリノリは、ここへきて最高潮を迎えた。

皆に、

「もぉー、福ちゃんが強引に連れてきたんだよぉー」

体全体で説明する道子の横で、俺が、

(は…? お前、ノリノリで来たじゃにゃー…)

と、歯痒い思いに震えている真実を道子は知らない。

飯食った後、敷地内の芝生で写真撮影をしたのであるが、そこでも道子は俺の飲み友達の柴山氏にジュースなどを奢ってもらいつつ、

「福ちゃんが強引にねー、福ちゃんが強引にねー」

その事のみを唱え続けている。

(ノリノリで来ましたって言えー!)

思うが、会社最後の日に、社員の前で夫婦喧嘩をしても見苦しいだけなので、にこやかに写真に写った。

その後…。

俺の予定では、同期衆に道子を会わせ、じっくり工場案内でもしてあげるつもりであったが、急遽それを変更し、ソリューションセンタービル8階からの絶景を見せ、同期と茶を飲んだ後、道子を帰した。

別れ際の道子の目は、

(もの足りない…)

その事を切々と語っていたが、俺は、

「さっさと帰ってやらんと、春が寂しがるぞ!」

そう言って、道子を会社から追い出したのであった。

多分、この書き物を見られる前の会社関係者は、道子の言葉を鵜呑みにし、

「福山が強引に連れてきたんだろー」

そう思っておられたはずである。

現に、道子を正門で送り出した後、馴染みの守衛が、

「まったく、福山君も最後だからって強引にやるねぇー、挨拶回りに嫁を連れてくる人を初めて見たよぉー、まったく、嫁さんもよくついてきたよぉー」

笑いながら言ってきたものであるが、事実は述べてきた通り、

「道子がノリノリ」

だったのである。

正しく、ご理解頂きたい。

さて…。

道子を帰した俺は、

「昼過ぎに返却品一式を返します」

という、総務との約束を思い出し、作業服、消防服、社員証、保険証、バッチを一つの袋に集め、手持ちにてビルの最上階に駆け込んだ。

さすがに社員証を財布から出し、いざ返却という場面になると、五年間の思い出が熱波のように内を流れ、

(む…、むむむ…)

体が熱くなるのを禁じ得なかったが、それを面へ出す事なく、

「これで全部ですよね」

と、極めて普通に返却品を返すに至った。

途中、エレベータで総務へ上る時、顔見知りの人々と会ったので、

「この社員証も見納めですよ…」

しみじみ社員証を見せたところ、

「うわぁー…」

4人ほどいた顔見知りは、もの凄い奇声を発しつつ項垂れてくれた。

俺は、当然、皆が感動してくれたものと思い、

「皆さんと出会えて本当に良かったです」

そう言おうとし、「み…」と言いかけたものであったが、群集は、

「お前…、本当に太ったねぇ…」

社員証に映る『5年前の俺』を見ながら吐き捨てるように言い放ったのである。

俺の「み…」に続く言葉が、

「皆、俺の前から去れ!」

そのように変換された事は言うまでもない。

さて…。

諸々を返却した俺は、その後、午前中に回れなかった部署へ挨拶回りを行った。

さすがに、挨拶回りも後半になると、

「なんで辞めるん?」

その問いかけに答える事が面倒臭くなってくる。

最初はその一々に細かく返していた俺であったが、百近くも同じ事を説明するほど暇ではない。

段々適当になっていき、最後の方などは、

「何となく…」

とか、

「悟りを開いたから」

とか、

「金があり過ぎて、手におえなくなってきたから」

などと、やけっぱちに答えている。

とにかく…。

(回り尽くした!)

という感は得られなかったが、一通り回ったので、

(もう、このへんでいいや…)

と妥協し、事務所に戻った。

時刻は、午後4時前であった。

それからパソコンに向かい、午前中に送ったメールの返事が山ほど来ていたので、それを読んだ。

俺が送ったメールは「世話になりました」という内容のもので、宛先は会社の漢字アドレス帳で何となく名前を聞いた事がある人々という事にした。

この中には社長もおれば工場長もおり、もちろん同僚もいる。

中には俺が聞いた事があると思っている人でも、実物は全く知らぬ人で、

「ごめんなさい、私は貴方の事を知りません」

などと返って来ているメールもあった。

が…、その辺は気にしない事にし、50近い返信メールを読み耽った。

馬鹿にしているようなものから、グッとくるものまで様々であるが、とにかく、

(けっ…、泣かせやがる…)

などと、久々に男泣きしてしまう素晴らしい読み物であった。

定時前5分になった。

まさに、サラリーマン最後の時を迎えようとしている俺ではあるが、ここでお決まりの『最後の挨拶の場』を課が設けてくれている。

俺は、いつもの朝礼などであれば、言う事を即席で考えるのであるが、さすがに最後なので、

(事前に用意しないわけにはいかんだろう…)

そう思い、前日から、仕事中にその内容を練っている。

(俺の5年間を語ろうか…?)

当然、その事を思ったが、俺を抜かすと全員30以上で、その平均は50近いというベテラン揃いの課のため、

(5年間じゃ薄っぺらいよなぁ…)

その思いから却下。

熟考の末、理想の上司とサラリーマン像を語る事にし、その原稿を『置き土産』とする事にした。

初めて朗読なるものをしたのではなかろうか…。

書き上げた文を淡々と読み、俺が語る辛口の理想像に痛々しげな顔を見せる皆(柴山氏を始めとする)をニヤリ見回す俺であったが、読み上げる内に体が芯から熱くなってきた。

熱く湿ったものが、とめどなく込み上げてくるのだ。

この場所で語る事が最後、あの席に座る事が最後…、それら色々な最後を思うと、それが別に大した事でもないのに大した事に思えてくる。

原稿を読み上げた俺は、それを40代後半の上司に渡し、

「俺がいなくて大変だろうけど頑張ってね…」

などと、卑屈な締めを言い放ち、場を下がった。

気を緩めると、今にも大量の塩水が顔面を流れ落ちそうになる。

課から最後のプレゼントは色紙と図書券であった。

幹事を俺から引き継いだ中西氏が、気の利いた言葉を添える事もなく、

「はい」

と、それを俺に渡す。

普段ならある花束もない。

もちろん俺が、

「いらんばい花束なんかー、役にたたんもんー!」

そう言ったから…、という事情は理解している。

が…、本当は貰えなかった事がちょっぴり寂しかった事を、今だからこそ告白する。

とりあえず…。

これにて、俺の定時内は終了し、俺のサラリーマン生活は幕を閉じた。

この後、定時後はセルフ送別会である。

挨拶回りの際に持って歩いた紙は、既に予定の人数を上回っている。

皆、

「行く行く、行くに決まってるだろー!」

と、快く返してくれた面々ばかりである。

(今日は飲まずにはおられんな…)

見慣れた景色の中を、いつもよりゆっくりと歩みつつ、5年3ヶ月も通い続けた東京工場を、俺は後にしたのである。

胸は…。

未だ、熱い。

 

 

3、定時後

 

17時を10分ほど回った頃に、俺は居酒屋・かずさへ着いた。

先着組は既におり、キンキンに冷えたビールで、その喉を潤しているようだ。

「遅いぞ、福山!」

「すんません、名残を惜しんでたもので…」

先着組は、工場で働く先輩らである。

間髪入れずに第一回目の乾杯を行った。

この後、次から次に人が流れてき、10を超える乾杯を行う事になるのであるが、その1回目は、細々と5人程度で行ったように記憶している。

5時半を回ると、その数は10人になり、6時になると15人、6時半になると20人近くまでその数は膨れ上がった。

かずさの大将は、なぜか、忙しいと機嫌が悪くなる。

「12人までって言ったろうが!」

語調荒く、ギュウギュウ詰めの店内を走り回り、

「あー、くそっ!」

舌打ちを打ちつつ料理を出す。

「すんませんねぇ」

いちおう謝ったが、よくよく考えると、これは俺のミスではない。

俺は、12人を越えないよう、時間を区切って人を呼び、

「ちょっと顔出して帰るわ」

などと言ってきた人には、

「じゃ、1時間で帰ってばい」

と、念を押し、次の時間帯が12人を越えないよう配慮したのだ。

が…、蓋を開けてみれば…。

呼んでもいない人が、

「おー、来てやったぞー」

どこからか情報を仕入れて足を運んできているし、すぐに帰ると言っていた面々も飲んでいる内にノリノリになってき、

「こりゃ1時間では帰れませんな…」

などと、居座り始めたのである。

彼らは完全に予定外のカウントではあったが、皆、俺を送別するために集まってくれた面々ゆえ、

「大将の機嫌が悪くなるから帰れ」

などとは言えるはずがない。

かずさは、4人掛けのテーブルが2つと、5人掛けのカウンターという構成である。

が…、会ゆえに、カウンターは用いないという方向で、テーブル2つに6人づつ座らせ、

「12人まで!」

大将は、そう言ったのである。

「狭いよぉー、座るとろこがねーよぉー」

皆は愚痴り、大将の機嫌は忙しいゆえ悪くなる。

更に、愚痴る連中の顔を覗いてみると、呼んでいなかった連中や、言った時間より早く来た連中である。

「文句を言うな、こんちくしょー!」

最も年下で主賓の俺が怒鳴るのも分かってもらえるであろう。

また、大将が、

「これは店から福山君への餞別」

と、出してくれた最高級の日本酒は、酔っ払いの面々に、

「お! 飲ませろ飲ませろー!」

すぐに取られ、運動後の麦茶の如く、猛烈なスピードで飲み干されてしまった。

もちろん、

「やめろー!」

抗議する俺ではあったが、

「俺は、お前のために、たっぷり残った仕事を置いてきたんだぞ…」

しみじみと返されたり、

「今までお前には、たっぷりと奢ってやったろ…、ん…、違うか?」

そう言われては、俺としても返す言葉がない。

「飲んでください…、でも、ちょっとだけは残して…」

先輩達から貰った恩が普通でないだけに、どうしても腰が低くなるのである。

さて…。

人が落ち着いたのは、8時前くらいであろうか…。

「早めに帰る」と言っていた連中が7時半頃にまとめて帰り出し、急に店はガラリとした。

こうなると、大将の機嫌は良くなるが、飲む方としては、

(ちょっとねぇー…)

愚痴ってはいても、妙に虚しい気持ちになる。

俺が思うに…。

飲み会好き(飲む事が好きとは違う)に最も必要なスキルは『寂しがる心』だと思う。

これは、俺が関東に出、外から九州を見るにつけ発見した事であるが、熊本人には寂しがり屋が極めて多いと思う。(九州でも特に)

無論、熊本人の俺は、そのスキルに満ち溢れている『逸材』だと自負する。

これに対し、関東の人間というものは、心が自立していて他への依存を求めないタイプが多い。

もちろん、これは多い少ないの話であり、後の事例が示すように例外もあるし、どちらが良いとも悪いとも言えない。

が…、県民性というものは確実にあり、自分は前者のため、飲む時には同類の寂しがり屋を求めるのである。

ていうか、寂しがり屋でないと、誘っても来ない確率の方が高い。

ここに、関東出身の安永という男がいる。

これが前に書いた『後の事例』であるが、彼は35を越えた身であるにも関わらず、猛烈な寂しがり屋で非常に涙もろい。

つまり、血が無駄に熱いという事であるが、事、飲むに関しては、これほど付き合いやすい人種はない。

これを裏付けるかのように、今、手帳を見、3週間で安永氏と飲んだ回数をカウントすると、8回に及ぶ。

8回も、俺の送別会に参加しているのである。

また、この安永氏は、俺が入間から熊本へ向かって車で出発する際、雨の中をチャリンコで見送りに来てくれ、

「俺は、お前が熊本へ行ったら痩せてみせるぞ!」

などと、93キロの巨体を震わせながら言ってくれたものであるが、

「じゃ、最後に飯でも食う?」

尋ねたところ、二つ返事で返し、普通に『掻揚げ丼定食』なる、油全開コレステロールたっぷりのものを頼んでいた。

その辺も、実に好感が持てる。

また、

「近々、福山の親族になるのではないか…?」

そう言われている井上和哉も、寂しがり屋という点では引けをとらない。

俺の従姉妹・真理と付き合い出して早4ヶ月、デートに仕事に多忙な身であるにも関わらず、相当な回数、俺の送別会に顔を出してくれたこの男は、名古屋に転勤の際、

「ぶえっぶえっ、びんな…、あでぃがと…」

などと、大衆の面前で涙を見せたところなど、安永氏と何ら変わるところはない。

寂しがり屋が昂じて血が騒ぎ、理性を飲み込むのである。

ちなみに、全く関係ないが、この和哉について、熊本で得た新たな情報があるので報告したい。

情報元は、いちおう隠し、和哉の彼女と深い血の繋がりのある『福山家の広告塔』と呼ばれている女史と述べておこう。

あー、でも、これだとヒントも何もないので、更に言うと、

「和哉の彼女が掲示板に携帯から書き込んで文字化けした際、それを和哉へ宛てた暗号文だと勘違いし、夫婦で謎解きに奮闘した嫁の方」

そう付け加えておく。

この女史が言うに、和哉は高専時代、先輩後輩を問わずモテモテで、現彼女の妹の友人などは、

「井上先輩の写真を真理ちゃん(現・和哉の彼女)に言って貰ってよ」

などと、妹に攻め寄ってきたという話である。

ちなみに、その頃の和哉彼女・真理は彼女でなく、和哉の同級生である。

その時の真理は、こう言ったという。

「和哉君の写真を焼き増しして売れば、絶対に金になるよぉー!」

何と腹が立つ青春時代を和哉は送っていたのであろうか…。

俺が40人近くのギャルから、

「貴方には心底付き合えない…」

そう言われている時に、和哉はプロマイドが発行されるほどにモテモテだったのである。

が…、今思えば、入社して以降の和哉は完全に三枚目キャラに成り下がり、現在に至っては、

「プロマイドの発行なんて、夢のまた夢だよねぇー!」

明るく突っ込まずにはいられない彼の現状に、何ともいえぬ爽快感、もしくは同情を覚えるのである。

さて…。

いつも通り、余談が長くなってしまったが、そろそろ話を戻したいと思う。

人数が激減し、少しだけ寂しくなったセルフ送別会に次の人間が補充されたのは午後10時前であった。

同期衆が現れたのである。

無論、その中には和哉もいる。

彼は、現れた瞬間、

「おー、福山和哉君、元気かね?」

皆に、そう言われていた。

7時に来ると言っていたのに5時半くらいに現れ、それから飲みっぱなしの安永氏などは、既にヘベレケの状態である。

呂律が回っておらず、特にサ行が言えない。

『かずや』が『かふや』になっており、『のむぞ』は『のむほ』になっている。

安永氏が和哉へ絡み出す、その一言目に耳を傾けてみる。

「おー、福山かふやぁー、福山のしんほく(親族)になったらひいはぁー」

入れ歯の抜けた爺さまのようである。

ちなみに、これを書いていて思い出したが、最近の春も何やら意味の分からぬ言葉を喋りだした。

が…、中には意味の分かる言葉もある。

例えば『だーい好き』、これを春は『だーいとぅき』と言う。

そう…、春もサ行が喋れないのである。

安永氏の言語能力は、この日、1歳児の春並だったと考えてよい。

さて、この事を書く事により何が言いたいのか…。

それは、俺も、安永氏と同じように酔ってしまっているという事を言いたいのである。

俺は、安永氏より20分早く飲み始めている。

空いた焼酎は7本に及ぶ。

前の日記に書いたように、人の酔い方というものはそれぞれで、便所を壊すものもいれば、救急車で運ばれるものもいる。

俺は、酔うと頭の回転が鈍くなり、その影響で寡黙になり、ひどい内臓痛(ムカムカ)を覚える。

同期が駆けつけてくれた午後10時…。

俺の思考能力は停止寸前だったと思われる。

その後、結局は12時前まで飲むのであるが、多分、10時以降の俺が喋った言葉を活字にすれば、原稿用紙20枚以内に収まるのではなかろうか…、とも思う。

時間換算でいけば、絶好調時の10分ぶんくらいではなかろうか。

とにかく喋ってない。

もし、誰かしらが今、

「5時から12時の間に誰が来たかを全部言え」

など、問うてきたとすれば、申し訳ないが、後半のメンバーは非常に印象が薄く、多分、誰かしらが抜ける事になるであろう。

それくらい酔っていたのだ。

当然、お愛想は、凄まじいものがあった。

後に聞いた話であるが、ビール70杯、焼酎8本が空き、餃子は30人前ほどが食されていたらしい。

が…、値段は納得の安さである。

それが、常連が毎夜通うゆえんなのである。

俺は、かずさの大将に深々と頭を下げ、課から貰った色紙の空いた部分に寄せ書きを書いてもらうと、

「大将…、もぉ来る事はないと思います、お元気で」

そう言い、慣れ親しんだこの店を後にしたのである。

ただ…、この時の俺は知る由もない。

この後、引越しの準備などをしながら飯を食ってくる時に、

「福山、奢ってやるから来い!」

先輩から電話がかかり、またもや『かずさ』に顔を出す事を。

また…。

次の章で書くが、道子誕生日会、その2次会で、

「福山、かずさに行くぞ、やっぱ、かずさが安い!」

そういう運びで、更にもう一度、顔を出してしまうという事を…。

「二度と会う事はない」とまで言われた大将は、その後、短期間に2度も現れた俺をどういう目で見たのか…。

最後だからという事で、2本も高級日本酒を出してくれた大将は、どういう思いで、

「すんません…、また来ちゃいました…」

恥ずかしそうに戸を開ける俺を眺めていたのか。

寄せ書きには、かずさから、

『近くに来た時は、是非寄ってくださいね』

そう書かれている。

多分、

「あ、福山君、また会ったねぇ」

威勢よく俺を迎えてくれながらも、一瞬だけ目を逸らした大将の中には、

(幾らなんでも早過ぎだろ!)

そういう『突っ込み』が為されたはずである。

(ああ…、何という格好悪さ…)

今思えば、その思いが尽きない。

(かずさは今日も変わらずに賑わってるんだろうなぁ…)

あの狭い空間が、不思議にいとおしく思える。

これが、『離れる』という事の不思議なのであろう。

 

 

4、その後

 

退職日、かずさでの飲み会を終えた翌朝…。

俺は、何とも言えぬ頭痛に苦しんでいる。

無論、病名は『二日酔い』である。

午前8時に春日部から社宅に現れた義母が、

「さぁ、やるだわよ、やるだわよ!」

道子を従えて引越しの荷詰めに奮闘する中、俺は、

「誠に申し訳ありませんが、もう少し静かにやってもらえませんか…」

昨晩に続き、とてもとても腰が低い。

絶不調であった。

俺は、二人の邪魔にならぬよう、端の方で横になり、

「うぅー、うぅー、死ぬぅー」

悶えるわけだが、義母も道子も容赦がない。

「あー、邪魔だわさー!」

「もぉー、春ちゃんを連れてどこかへ行ってよー!」

二人とも、二日酔いの扱いというものをまるで知らない。

仕方なく、現金3000円を握りしめ、

「ちょっと、そこまで…」

と、パチンコ屋へ逃げた。

社宅へ戻ったのは昼前である。

無論、この時間に戻ってきたという事は、結果が芳しくなかったという事である。

無言で、皆と昼食を食べに行った。

その後の予定であるが…。

近藤という会社の同僚が、

「新宿に夜景が綺麗な居酒屋があるんだよー、そこに福ちゃん夫婦を招待するからおいでよー、ビルの53階だよー」

そう言ってくれたので、春を義母に預け、夕刻より新宿へ行く事になっている。

無論、馬鹿と煙は高いところが好きという事で、福山夫婦は、

「えっ、53階、行くー!」

二つ返事で参加表明をしている。

また、これにはなぜか和哉カップルも参加する事になっており、近藤の言葉を借りれば、

「今夜は3カップルでムーディーにいくわよぉー」

との事である。

さて、その新宿であるが…。

場所は、近藤の言葉通り、都庁前ビルの53階で、台湾料理屋である。

7時半に入ったという事もあり、最初は明る過ぎて夜景を見るというよりも、煙った都会の景色を見るという感じであったが、時が進むにつれ夜景に変わってきた。

「ムーディーでしょー?」

近藤は、どうしてもムードに拘りたいらしい。

が…、俺が何よりも瞠目した点は、この店の味の良さであった。

どれをとっても、

(む、むむむ…)

初めての味で、それも美味い。

奢りだから尚更である。

「いいところに連れて来てくれてありがとな、近藤ー」

「夜景も見てよー」

「おお、おお、忘れとった」

皆で、チラリと見る。

「おおー、綺麗やねー」

すぐに視線を料理に戻す。

最初の1時間強をそんな感じで過ごした。

が…、それを越えると、誰も夜景を見なくなった。

そうなると、地べたに腰をおろした普通の居酒屋と何ら変わるところはない。

「ムード、ムード」と言っていた近藤でさえ、男の股間の話を熱く語り出し、彼氏から冷たい視線を浴びせ掛けられる始末だし、他も、ムードの欠片すら感じられない低俗な話で大いに盛り上がった。

が…、そこは「ジゲン」と呼ばれている近藤の彼氏が粋な計らいを見せてくれる。

不意に…。

大ボリュームで猪木のテーマソングが流れ始めたのだ。

(お…、なんだなんだ…?)

これは、俺の結婚式の入場ソングなだけに、興味を隠さずにはいられない。

(一体、何が始まるのか?)

入口付近を食い入るように見つめた。

すると、ちょうど「てーーてーてー♪」のところで何者かが現れたではないか。

(猪木か?)

思ったが、普通を絵で書いたような華奢男で、体型は江頭に似ている。

顔は、なんだか槙原ノリユキを更に貧素にしたようなつくりである。

格好も横縞のポロシャツで、どうみても一般人としか思えない。

男は、普通にどこかへ消えていった。

と…。

これと時を同じくして、厨房から花火の点いた特大プリンを持った店員が現れた。

(あやつがこのイベントの主か…!)

思っていると、店員は、このテーブルの前で立ち尽くしたではないか。

そして、その特大プリンを机に置き、一礼して去って行ったのである。

(は?)

俺達は意味が分からない。

分かっているのは、近藤カップルと目の前のプリンだけである。

近藤が、ニヤニヤしながら言う。

「元気ですかって言いなよ、福ちゃん」

周りは、こちらに注目し、気がない拍手を送っている。

「元気ですかって言われても…、何や、このプリン…、俺にや?」

「そうだよぉー、退職のお祝いだよぉー」

言われて、この慌しさが俺に向けられているという事に気付いた。

「そういう事なんやー!」

気付いた俺は、まずお約束として、プリンの上でバチバチと燃えている2本の花火を吹き消そうとした。

すると、火は消えず、火の粉のみが俺の吐息の先にいた和哉彼女・真理の元へ飛んだ。

「やっ、やめてよぉー!」

そのような事をやっていると、猪木のテーマは小さくなり、場は前と同様の静けさを取り戻した。

「あら?」

特別に用意されたイベントは、なんとも不完全燃焼なまま終わりを告げてしまった。

「近藤ー、音が流れた時点で、福ちゃんのために用意しましたとか言わにゃー分からんじゃにゃー、俺はてっきりポロシャツの男が何かするかと思って期待したばい!」

俺の、この言葉も一利あるだろうし、また、プリンを持った店員が声高々に、

「会社を辞め、今より困難な船出に出ようとしている福山様に幸あれ!」

などと叫びながら現れていたら、内容が素早く理解でき、もっともっと盛り上がれたはずである。

(主旨を理解し辛かった…)

その事に悔いが残り、

(ああ、素敵なイベントだったのにもったいない事をした…)

と、歯噛みした事は言うまでもない。

が…、近藤カップルの気持ちは確かに受け取った。

「よし、日頃は甘いものを食わない俺だが、今日はプリンを食う!」

気合を入れ、その特大プリンに食いついた。

もちろん、全員で食いつく。

が…、並の量ではない。

大きさは直径20センチくらいあり、それに生クリームなど、たっぷりのトッピングが施してある。

すぐに、俺は吐き気をもよおした。

「あぁー駄目だ…」

項垂れている俺の横で、和哉が、

「うん…、これは美味い美味い…」

猛烈な勢いで、プリンや生クリームをむさぼっている。

多分、道子と真理と近藤、3人の食い分を足しても足りないほどに和哉は食ったのではなかろうか。

見ている俺が気持ち悪くなるほど、見事な食いっぷりであった。

さて…。

近藤カップルの甘いプレゼントにハートまで甘くした福山夫婦であったが、次は和哉カップルに泣かされる事になる。

なんと、和哉カップルは、3日後に控えた道子の誕生日を覚えており、

「はい、誕生日プレゼント…」

と、道子に小さな箱を手渡したのである。

中身は、もの凄くゴージャスな扇子であった。

和哉は言う。

「小説家の嫁になったら、着物を着にゃいかんど」

嫁経由とはいえ、なかなかパンチのあるプレッシャーのかけ方ではある。

しかしながら、今、思うに…。

今回、入間を去るに当たって、かなりの送別品を貰ったのであるが、そのどれもが、

「文豪になった時に必要なもの」

とか、

「文豪として、こういうものを身に付けた方が見た目にいい」

とかいうものばかりで、関係ないものといえば、長さんから貰った『猫バス筆箱』くらいである。

俺としては、どちらかと言えば、そういうものの方がいい。

何となく、ものにかけられた念が、

「頑張って」

とかいう優しいものではなく、

「文豪なれんで、これらのものが宙ぶらりんになったら承知せんぞ!」

そういう厳しいものに感じられるからである。

確かに、俺は不退転の決意ではある。

だが、こういう分野というものは実力も然る事ながら、運という絶対に外せない要素がいるわけで、当たるも八卦、当たらぬも八卦的な風向きはどうしても拭えない。

無論、

(多分、何とかなる…)

そういう強気な姿勢ではあるが、もしも、もしも方向転換をやむを得ずした時に、

「あーあ、あの時にあげたものが宙ぶらりーん!」

などと言われると、まぁ、それも無きにしも非ずと思うが、かなり寂しい。

ゆえに、今回の和哉カップルから貰った扇子も、

(これはいいっ!)

そう思うが、

(こらぁ頑張らんといかんなぁ…)

重い重いプレッシャーにもなるのである。

さて…。

その翌日22日であるが、この日は丸一日、引越しの荷詰めであった。

無論、俺が何かをやろうとすると、

「邪魔だよー、春ちゃんと遊んでてよー」

前日同様そう言われたため、俺は春を連れ、公園や行き付けの料亭(東屋)などに足を運び日中を過ごした。

(多分、これほどに春と遊んだ日はなかろう…)

そう思える一日で、その翌日も春と親交を深める事になる。

また、この日、大津と淵上という熊本出身の二人組が引越しの手伝いをするでもなく、

「遊びに来たぞー」

と、現れ、パチンコをして帰っていったという話も付け足して報告しておく。

気付けば…。

関東も、残り3日になっている。

 

 

5、道子誕生日会

 

6月24日…。

この日は、引越しの前日でもあり、俺と道子が付き合いだした日でもあり、道子の誕生日でもある。

丸々4年前になるが、道子と付き合い出した俺は、その日が道子の誕生日とは全くもって知らず、午後に入ってから、

「今日はみっちゃんの誕生日じゃなかったや?」

和哉に、そう教えられた。

和哉は当時、

「福山のバッファ(一時記憶装置)」

そう呼ばれており、その事を覚えていてくれていたのである。

夕方から、川原さんという、今は台湾に行ってしまった同期の家(埼玉県和光市)で道子と会う約束だった俺は、

「や…、やびゃーじゃにゃー!」(やばいという意)

顔面蒼白で叫び、その日の午後、何と言われようとも一切仕事をせず、プレゼントの指輪作りに没頭した。

ステンレスの丸棒(SUS303CG)を旋盤で加工してもらい、それを徹底的にヤスリ、バフ、歯磨き粉で磨き上げ、裏には記念すべき今日の日付を刻印した。

指輪を入れる箱は、パートさんに聞いて回り、不用の指輪入れを貰い受けた。

当時の俺は、際限なく貧乏だったのだ。

財布には4円しか入っていない。

よって、プレゼントは作らねばしょうがなかったのである。

俺は、他にも仕事があるにも関わらず協力してくれた加工のプロ達に深々と頭を下げ、ダッシュで川原宅のある和光市へ向かった。

そこで、俺と道子は正式に付き合うという約束を交わした。

あの時、和哉が誕生日を教えてくれなければ…。

加工者達が協力してくれなければ…。

歴史は偶然が生み出すものゆえ、「もし」という言葉は禁句であるが、

(もし…)

その事を思うと、俺の人生も大きく変わっていたかもしれないのだ。

とにかく、今も道子の左手にはステンレスの指輪がちょこなんと引っ付いている。

それから4年後の今日を迎えた。

「福ちゃん、誕生日プレゼント、期待してるよぉー」

道子は、何日か前から執拗にプレゼントの催促を始め、そこに、

「何にもいらないよ…」

奥ゆかしく、プレゼントの辞退を申し出ていた『あの頃の道子』は見る影もない。

また、こやつは、少し前(5/15)に迎えた俺の誕生日を、それこそ何もない平凡な一日として通過させた前科持ちである。

「何もやるか、アホ!」

俺は、道子の甘えを寄せ付けなかった。

が…、そこは優しさを極めた男の弱さ…、内では、

(入間最後の日に道子の誕生日がきたっていうのも何かの巡り合わせかもしれんなぁ…)

そのような事を思い、裏で、誕生日会の準備を着々と進めた。

まず、

(道子に縁のある友人を一斉に呼び、盛大にやらねば…、そう…、人数が肝要だ)

その思いから、

「道子に内緒で事を進めよる。来れる人は、俺にこそっと返事をくれ」

と、水面下で人集めを始めた。

これと同じくして、道子がいない隙を見計らい、義母に電話を入れ、

「道子に花束をあげたいけど、小遣い制で、更に来月分も前借しているから金が一円もないんです。必ず返しますから、義母さんと共同という事で出資してください」

悲しいが、そのような事をお願いした。

人の数は、ど平日の火曜ではあったが、子供を入れて25名になった。

道子は、気付いているのか気付いていないのか、それは分からぬが、

「何をやろうとしてるんだよぉー?」

などと言ってこないので、

(バレてないという事にしよう!)

そういう事にし、当日24日を迎えた。

途中、後藤という熊本の男が、普通に家のメールへ返事を返してき、

「夫婦で参加します。何人くらい来るんや?」

などと、その内容が実にきわどかったりした事もあったが、何とかバレずにこの日を迎える事ができた。

この日の朝…。

一度、春日部へ帰った義母が、早朝8時には社宅へ戻ってき、道子と共にジャスコのプレオープンに1時間も並んで乗り込んでいる。

この日は地域限定の実験的オープンらしく、福山家が会社の隣にできたジャスコと触れ合える時というものは、この日しかないゆえ、二人の張り切り様は並でない。

「行くだわよぉー、んがっ!」

「もぉー、ドキドキするよぉー」

並んでいる二人の『荒々しい息使い』が聞こえてきそうではないか。

とにかく…。

荷詰めも終わり、社宅の状態は、

「後は業者を待つのみ…」

そういう完璧なものであったため、引越し前日ではあるが余裕シャキシャキの福山家であった。

俺は、夕刻からジャスコをフラリと見て歩き、そしてプレゼントの花束を買い、歩いて今日の会場である東屋に向かった。

東屋には、開始時刻6時より1時間早い5時に着いた。

何をするのかというと会場作りである。

例えば、主賓席を整えたり、『道子誕生日会』の看板を作ったりである。

俺の仕事にそつはない。

主賓席上に看板と道子一族の似顔絵を書き、後ろには『27歳、肌の曲がり角を2つ越えました』の名文句を書きしたためた。

幹事の席は、末席も末席、廊下側の寂しい場所に設けた。

無論、俺の席である。

それから、道子を感動させるための脚本を考えた。

多分、社宅奥様衆からメッセージ付きのプレゼントが飛び出すはずである。

それは、かなり効くに違いない。

それを軸として、俺の花束が前座になれば、道子の涙腺はダウンするはずである。

プレゼントを渡すタイミングは、開始2時間後の8時とする。

その後、間髪入れずに挨拶をさせ、道子が泣きながら、

「あでぃがど、あでぃがど…」

そのような事を言い、道子を、

「和哉の二の舞…」

にさせるシナリオである。

(イケル、イケルぞぉー!)

俺は、その確信を深めた。

定刻6時になると、人がポツポツ集まってきた。

最初に来たのは、飲み友達の柴山氏や安永氏の一派で、なんと、あろう事か道子へプレゼントを持ってきてくれているではないか。

俺は、すぐさま、

(このプレゼントが一発目だな…)

そのように決めた。

道子との繋がりから推測するに、

(ここじゃ絶対に泣かない…)

その確信があったからである。

道子は、6時半過ぎに現れた。

皆が遅れた理由は、ジャスコのプレオープンによる渋滞であった。

道子は、この大それた人数を見ると、

「えー、聞いてないよぉー、凄いー、何だよー」

予想通りのわざとらしい反応を見せ、

「凄いー、凄いー」

と、はしゃぎながら席に着いた。

まずは、予定通りに乾杯を行った。

そして、これも予定通りに、

「柴山、安永、田中、白根さんよりプレゼントがあります!」

そういう風に流し、前座ともいえる男衆からのプレゼントを道子に渡した。

中身は、柴山氏の嫁が前々からやっている凍結フラワーの詰め合わせであった。

何やら話を聞くと、これはヨーロッパが特許をもっている生花保存方で、その花束たるや小型のものでも2万円を越えるという話である。

「うれしいよぉー、ありがとうございますぅー」

道子は、普通にそれを受け取った。

予想通りである。

が…。

ここで予定外のアクシデントが起こった。

それも、取り返しのつかない大失敗である。

柴山氏がプレゼントを渡したのを見た社宅の奥様衆が、

「だったら、私達も渡しちゃおう」

と、俺がコアに考えていたプレゼントを渡してしまったのである。

もし、それを俺が見ていたならば、

「ちょ、ちょっと待ったー!」

迅速に、体を張って止める事ができたかもしれない。

が…、俺はその時、刺身を食う事に夢中だったゆえ、見てもいない。

「あ!」

気付いた時には奥様衆が渡し終わった後で、更に、道子は奥様達が書いた手紙を見て、

「ふぇん、ふぇん…」

泣いているのである。

(し、しまったぁー!)

この時の俺の衝撃を何と書き記せばよいのであろう、とにかく、口にも筆にも現し難い落胆を覚えた。

その後の俺は、はっきりいって普通の幹事に成り下がったと言っても過言ではあるまい。

自信満々の脚本が、俺の不注意により破り捨てられたのである。

(既に山場は終わってしまった…)

完全に、捨てっぱちとなった。

初めて買った花束も、渡すタイミングを見失い、後半、ぽっと空いた時間に、

「ほら…」

と、渡した。

「えー、嬉しいー、凄いよー」

言う道子ではあるが、結局はそこまでの反応である。

俺の中では、道子と縁の深かった社宅奥様衆のプレゼントと調和して、

「ドーン!」

道子の涙腺に大きな穴を開けるシナリオだったのである。

「ちぇっ」

俺は、完全に拗ねた。

さて…。

予定通りではなかったが、ほどほどに盛り上がった誕生日会は、突然の参加者も含め、総勢28名の参加となった。

遠くは愛知県豊橋市から馴染みの長さんが駆けつけてくれ、彼は翌日の引越しまで手伝ってくれるという。

男の一部は、この後、前々章で述べた『かずさ』へ流れて軽く飲み、0時前には散会の流れとなった。

これが、本当に関東最後の飲み会である。

俺が社宅へ帰ると、既に春は寝ており、義母と道子は起きていた。

道子も義母も、少しは感動してくれたらしく、

「良かっただわさぁー」

「なかなか良かったよぉー」

俺は不満であったが、2人はそう言ってくれた。

多くの人を半ば強引に誘いこみ、強行した感があるだけに、

(うん…、道子が満足なら良かった…)

俺も、その時、初めて納得する事になった。

明日は…。

ついに引越しの日。

3年も住んだ社宅から荷物を熊本へ送り、俺と道子は春日部へゆく。

それから俺のみは26日夕刻に車で春日部を発ち、道子と春は27日正午に羽田を発つ。

目的地は、火の国・熊本である。

今…。

その火の国・熊本にあってこの章を書きつつ、

(本当に皆、よくぞ集まってくれたよなぁ…)

その思いが沸々と湧いてきた。

(俺だったら人様の嫁さんのために集まるかどうか…?)

それは呼ばれてみないと分からないが、微妙なところであったろう。

その事を思えば、礼も言わずに去った俺の無礼さを、今更ながら、ただただ恥じ入るのである。

遅れて申し訳ないが、

「我嫁・道子のために集まっていただき、真に感謝!」

その事を、かたちを改め書き記し、これをもって章の締めとしたい。

道子は多分、感動していたと思う。

 

 

6、熊本へ

 

6月25日を迎えている。

この日の社宅には、福山家の他に義母と長さんがいる。

ダンボールが山積みにされた中、僅かなスペースで朝食をとり、テレビなどを見ながら業者を待った。

業者とは、無論、引越し業者である。

昨晩の誕生会で、自慢の豪腕を腕相撲に揮った長さんは、

「なんか…、腕がいちゃー…」

頼りなげな事を言っているが、腕が痛くとも5人分の働きを見せてくれる事であろう。

業者は、午前8時30分にきた。

2トントラックと、JRコンテナを積んだ4トントラックが現れ、その中から3名の男が出てきた。

道子は、引越しの男というと、筋肉モリモリの屈強な青年を想像していたらしい。

が…、出てきた3人は、どれも、

(シルバー人材センターから来たのですか…?)

そういう風にもとれる、年季の入った人々であった。

「ねぇー、福ちゃん、ヨボヨボだよぉー」

道子は、心配そうな目で失礼極まりない発言をし、

「あ、あの人なんか、見積もりに来てた人だよぉー」

一人の野球帽をかぶった爺さんを指差した。

野球帽の爺さんは、社宅に上がってくるや、

「さぁー、やりますわいの!」

豪快に言い放つと、玄関に毛布を引き、ダンボールだらけの部屋をぐるり見回し、相方に指示を与え始めた。

どうやら、この野球帽が責任者のようである。

ここ数日、緩む事なく降り続いている雨は、一瞬、止んでいたのであるが、引越しの業者が来た途端に豪雨と変わった。

「あちゃー、こりゃトラックを付けんとしょうがないねぇ」

野球帽の相方は、見事なハンドル操作でトラックを社宅の階段入口にビタ付けし、

「さぁ、ドンドン積み込んでくださーい」

3階となる俺の部屋に、荷物を下ろすよう指示を与えた。

それからは、ただひたすらにダンボールを3階から1階に運ぶ作業である。

かなりの重労働であった。

俺も長さんも汗だくになり、野球帽もこれに加わっていたため例外ではない。

「福山さん、ランニングになっていいですかいのぉ?」

作業着を脱いでいいかと聞いてき、承諾するや、野球帽は上半身ランニング一枚になった。

「やっぱ、これがいいですけんのぉ」

野球帽の爺さん、どこの出身かは分からぬが、このような喋り方で声も実にでかい。

独り言も凄まじいものがある。

「む…、このダンボールはなかなかどうして…、むふふ、歯ごたえがあるのぉ…」

そのような事を呟き続けながら、黙々と階段の上り下りをするのである。

が…、さすがは自ら、

「私は引越し30年のベテランですけんのぉ」

そう言うだけあって、手際は実に素晴らしい。

重量物は、持つのではなく背負うのである。

「これは持つところがにゃーばい。重いし、二人で持って行こうか?」

俺と長さんがそのような事を言っていると、野球帽が横から現れ、それをヒョイと背負って持っていくのである。

さすが、熟練の技である。

最初、露骨に不安を抱いていた道子も、これにて安心したはずである。

社宅の中では野球帽の相方が、大物家具を梱包しつつ道子や義母に指示を与えている。

もう一人の相方は、トラックの受け入れ口で俺達が荷を持ってくるのを待ち、整頓しながら積み重ねていく。

実に、無駄なく引越しは進んだ。

ただ、雨は緩む事を知らない。

ゆえに、階段にビタ付けされたトラックは、引越しの間中その位置を変える事なくそこにあり、その長さゆえ、道を完全に寸断している。

途中、何人か通ろうとした車があったが、多分、用件は買い物か何かだったのであろう、

(もういいや…、後で行こう…)

そういう感じで引き返していった。

引越しが終わったのは何時くらいであったろうか…、多分、11時くらいだったのではなかろうか。

営業マンの若い男が金を受け取りに現れ、福山家は、18万という大金を現金で支払った。

この18万という金額に落ち着くまでには相当の紆余曲折があり、33万から25万、それから粘りに粘り10社相見積もりをとり、この値になったのだ。

あまり、強い事は言えない。

野球帽達ベテランの皆様にジュースなどを飲んでいただき、

「それでは熊本まで、どうぞ、よろしくお願い致します」

俺は、深々と頭を下げた。

雨は、引越しが終わった瞬間にピタリと止んだ。

全て、雨女・道子の仕業だと思われる。

さて…。

これにて、社宅には手持ちする荷物のみが残ったわけだが、荷物が出てしまうと、

(こんなにも広かったのか…)

そう思わずにはいられない絵が広がっている。

「ここ、タンスの裏だけんがペンキは塗らんでええばい」

「そうだね、見えないところは塗らなくていいよ、ペンキの節約にもなるし」

など道子と言い合いながら、社宅のリフォームをしたのが3年前だと思うと、

(光陰矢の如しやねぇ…)

その事を思わずにはいられない。

その塗らなかった部分は、タンスをどかしてみるとカビだらけになっていた。

長さんにしてみても、この社宅は何十泊もした場所ゆえ、感慨深い場所に違いない。

うつ伏せになり、畳に顔を押し当てつつ、

「みゅー」

変な声を上げている。

道子は、最後となる隣の山本家へ、春と共に足を運んでいる。

戻ってくると、他の母子も引き連れて現れ、ガラリとした社宅が実に賑やかな場所となった。

俺は、何度ともなく見続けてきたベランダからの景色を楽しみ、そこから賑やかな室内を眺めた。

道子が社宅へ入ってきた時に叫んだ言葉を、ふと、思い出した。

「もぉー何だよーこのボロさー、ぜんぜん落ち着かないよー」

が…、今となっては、旅行から帰って来た時など、

「やっぱ、社宅が落ち着くよー」

道子は、このように言っている。

やはり、住めば都なのだ。

俺の会社、いや、もう前の会社になってしまったが、前の会社には『社宅離婚』という言葉があり、

「嫁いできた嫁が、あまりの社宅のボロさに出て行ってしまう」

そう語り継がれており、それを恐れる者は、安い社宅を見合わせ、近場のアパートに入るものも少なくない。

また、イメージから、社宅での付き合いが非常に困難に見られがちで、

「家に帰ってまで、会社の連中に囲まれたくはない」

そのように嘆いて外へ出る連中も少なくないと聞く。

なんとも嘆かわしい話であり、今、社宅の奥様に見送られ、皆で泣き合っている景色に、

(それが人というものだ…)

胸を撫で下ろす思いがする。

思い出の築40年社宅は、俺にもそうだが、特に道子に『様々な熱い思い出』を与えてくれたのではなかろうか。

さて…。

社宅を出た福山家と義母は、長さんを入れて飯を食い、その後、川越に住む会社先輩宅に立ち寄った。

この先輩の名を『岡島さん』という。

日記に何度も登場しているし、節目節目で春の写真を撮ってくれている先輩ゆえ、読者におかれても聞いた事がある名であろう。

この先輩、実に多趣味で、山登り、パラグライダー、庭いじり、陶芸、カメラ、蕎麦など、その範囲は実に広く、そのどれもが熟練のレベルまで上り詰めている。

特に、陶芸と蕎麦は、人に教えるため、家に教室を作るほど本格的に打ち込んでおられ、今回、義母に蕎麦打ちを教えてくれるという事であった。

ちなみに言っておくと、岡島さんは会社で加工の仕事をやっており、道子の指輪を旋盤で削ってくれたのも他ならぬ岡島さんである。

とにかく今回は、材料費だけで10人前の蕎麦を打たせてくれるとの事だったので、春日部に帰る途中に寄らせてもらったのである。

また、蕎麦打ち後、最高級カメラで春や義母を連写して貰い、

「はい、これは土産な」

岡島さんは、そのフィルムを道子に手渡してくれた。

会社を午後から上がってもらい、更に、土産まで貰っては心苦しいものがあるが、ずうずうしいが信条の福山家ゆえ、

「感謝、感謝…」

福山家は、ほくほくで川越を去ったのである。

さて…。

その後であるが、この日、春日部へ場所を移した福山家は、義母が用意した『凄まじいご馳走』をペロリ平らげると、泥のような眠りについた。

翌日は、11時頃から義父の墓参りへ行き、近くの美味いラーメン屋で大盛味噌とビールを腹一杯になるまで楽しんだ。

それから、3時間程度、昼寝をむさぼった。

日は、26日になっている。

この日の予定は、午後8時に、後輩の今本と2人のギャルを拾い、徹夜で熊本を目指さねばならない。

無論、移動手段は車である。

午後4時に起きた俺は風呂へ入り、義母と道子、それに春の見送りを受け、4時30分に春日部を出た。

今本達が待つ入間に着いたのは午後7時である。

この日も土砂降りの雨が降っており、その中を、見送りに来ていた安永氏と飯を食いに行った。

入間を出たのは、予定より10分ほど早い午後7時50分である。

今本、それに何やら今本と関係のありそうな2人のギャルが福山家のシビックに乗り込み、すぐさま暗くなった入間を出発した。

安永さん一人が、ミラー越しに手を振っているのが見える。

本当は、バトミントンクラブの主将・岩井氏も駆けつけてくれるという事であったが、直前に体調を壊して入院してしまい、結局は安永さん一人になった。

が…、安永氏は93キロもあるので、痩せた女2人分と考え、見送りのボリュームは満たされたと思う事にしたい。

ジャスコができた事により、これから混むであろう安川新道という道を右手に曲がり、会社をバックミラー越しに見る。

何となく、ミラー越しに見る方が、

(かっこいい…)

のである。

それから、慣れ親しんだ道を進み、関東外環道である16号線を神奈川方面へ進む。

今本は、すぐに寝た。

俺は昼寝をし、エネルギーを蓄えているがゆえ、

(できるなら、大阪くらいまで一気に運転したい…)

そう考えている。

今本には、今のうちに寝ておいて貰わねばならない。

俺は、ギャル2人に恋愛の相談のようなものを受け、それに答えたりしつつ、ひたすらに運転をする。

会話の内容は、くだらないと言えばくだらないが、語るギャルに興味がある人間が車内にいるとすれば、

(む、むむむ…、眠れませんぞ…)

その神経は休まるところがなかろう。

とにかく、俺はギャルと雑談しながら、後ろで寝ている今本にも気を配りつつ厚木を目指した。

厚木インターから東名高速に乗ったのは、午後10時くらいではなかったろうか。

俺の狙い通りノンストップで突き進み、途中、今本が、

「すいません…、便所に行きたいんですが…」

などと、たわけた事を言ってきたが、

「静岡に入るまで我慢しろ!」

と、富士山の麓まで一気に走った。

ノリノリの時に距離を稼がなければ、長距離の運転は非常に辛いものになるのだ。

(前半に、行けるところまで行く!)

その気持ちなのである。

その後もトイレ休憩に2度ほど立ち寄ったものの、それ以外は『リポビタンD』のみで、なんと岡山県の入口まで走りきった。

俺、絶好調であった。

ギャルは、ほとんど寝ている。

特に、北九州出身のちょっと艶っぽいギャルなどは、大阪辺りで初めて声を聞いたのではなかろうか。

だが、道子よりは断然起きている方だろう。

前に、道子と九州へ帰った時は、こやつ、高速へ入って眠りにつき、なんと起きたのは本州の最後・下関であった。

「え、もう九州の入口…、凄いよぉー、だって空が明るいもん、寝てたらすぐに着くもんだね」

このような事を言い、皆の怒りをかったものである。

今本は、熟睡できたのであろうか…。

多分、寝れなかったであろう。

その辺の詳細は、本人より関係者へ、正式に報告が為されると思うので、そちらを待っていて欲しい。

さて…。

それから今本に運転を交替し、広島を抜け、山口へゆくわけだが、これからは見所の連続であった。

まず、一瞬前に事故ったのではなかろうか、凄まじい見た目になってしまっている『車とも思えぬ車』が左車線に横たわっており、そこへ駆けつけたばかりの救急車が慌しく何かをやっているではないか。

「こえぇーなぁー…」

間違いなく死亡事故であろう、その惨状に思わず手を合わせずにはいられなかったのである。

また、広島と山口の県境では、前を走っていたトラックから鉄板のような荷物が零れ落ち、何台かの車はそれを踏んでパンク、またはバンパー損傷したようで、左に寄って何やら問答を繰り広げているところであった。

俺の車は辛うじてそれをかわす事に成功し、難を逃れたのであるが、落下物は道いっぱいに広がっていたゆえ、本当に危機一髪であった。

また、山口の峠に入ると視界に著しく影響を与える豪雨に襲われた。

「こりゃ寝れんな…」

「まったく…」

そんな事を話しつつ、男衆は後半を乗り切ったのである。

これに対し…。

後部座席のギャル達は完全に夢の中におり、起きる気配さえ感じられないのであった。

さて…。

下関(壇ノ浦)に着いた。

前半のノンストップが良かったからか、午前8時という、俺の中では最速のタイムで到着した。

12時間しかかかっていない。

とりあえず時間もあることゆえ、ギャルを起こし、

「家まで送ってやるけん、家の場所を言いなさい」

と、場所を説明させ、それから北九州都市高速に乗り、家の前まで2人を送った。

それから俺と今本は高速へ戻り、熊本まで一気に駆け下ると、俺の実家に立ち寄り、それからラーメンを食って熊本空港へ向かった。

空港では、1時間ほど仮眠をとり、悠々と空を飛んできた道子と春を迎えている。

今本は、この日、福山家に泊まり、翌日は両親と家族水入らずの時を過ごすという。

夜は、眠過ぎるところではあったが、親父・富夫の酒に馬刺しをツマミに付き合い、静かに盛り上がっている。

「井上さんの実家にも行きたいっすね」

「どっちの実家や?」

「無論、福山さんの方っす」

和哉を兄と慕っている今本とそのような冗談を交えつつ、夜は、まったりと更けてゆく。

さて…。

熊本の庭は、田舎だけに300坪近くある。

家も、平屋だが広く、書斎として10畳の個室を宛がってもらった。

春はその後、230cm×230cm(滑り台付き)という集合住宅では考えられない広さのビニールプールをジジババに買ってもらう事になる。

また、俺は、嫁にねだって最高の座り心地の椅子を買ってもらう事にもなる。

が…、道子の話によると、これよりの福山家は、小遣いなし、パチンコなし、酒も量り飲みという話で、まさに、仙人の如き生活が予想される。

春は、広大な自然の中、蚊に刺されまくりながら、

「ばばばばばばー!」

元気に走り回っている。

今日で、熊本8日目になるのだが、既に目に見えて体力がついたように思う。

道子は言う。

「子供を育てるには最高の環境だよー」

だが、友達がいない事と虫が多い事が難点らしく、前者の問題に関しては、現在、山鹿の奥様クラブに顔を出すべく手を打っているらしい。

道子なら、友達の件は問題あるまい。

だが、

「熊本弁で喋る女の人は、みんな松野明美みたいで話に入っていけないよぉー」

その問題だけは、自分でどうにかして欲しいと思う。

さてさて…。

新生福山家は、現在、週休二日制のシステムを採用しており、基本的には水曜と土曜を執筆休暇日と定め、皆様のお越しを待ち侘びているところである。

無論、休暇日の融通は効く。

アポなどは直前で構わんので、遠慮なく遊びに来て欲しいと願うところである。

福山家が送別の際に受けた恩は、忘れようにも忘れられない。

窓から見える緑色の景色は、連日の雨でその明るさを増している。

きっと、都会に疲れた関係諸氏の魂を根本から癒してくれるものと確信する。

熊本は、今日も雨である。

 

(終わり)