悲喜爛々31「駄目人間」
かつて、これほどまでに他人の事を、
(駄目人間だ…)
と、思った事があったろうか。
多分、なかろう。
いや、絶対になかろうと思う。
問題の彼(35)は、8月12日から16日まで、
「心身共にリフレッシュする」
そういう名目で熊本に出て来、89キロだった巨体を、見事94キロに育て上げ、悠々と帰って行った。
彼は、俺の古巣・埼玉県入間市から来ている。
12日に羽田空港から熊本空港に飛び、夕刻、日が暮れる前には山鹿に入っている。
俺は、二ヶ月ぶりに会う事となった彼を見、
(変わらんなぁ…)
そう思った。
が…、彼に言わせれば、俺が埼玉を去った後、意図的に飲む事を控え、また、あろう事かスポーツジムに通い始めたらしい。
「その効果で」
と、彼は言う。
「お前がいない間に4キロも痩せて80キロ台になった」
その顔は、まさに笑顔であり、
(どうだ!)
そういった「勝ち誇る内側」が少しも隠される事なく露出していた。
が…、この時期、俺は不健康に6キロも痩せてしまっていた。
意図したものではないが、4年ぶりとなる60キロ台に突入していた。
ゆえに、普段であれば猛烈に悔しがるところを何食わぬ顔で受け止め、
「どうせ熊本を帰る時には元の体重に戻っとるてぇ」
などと、軽く笑い飛ばしたのであった。
福山家は、彼の来訪のために生サーバーを用意していた。
無論、客人にゆるりと過ごしてもらうため、無理をして用意した接待道具ではある。
彼は、この接待道具を見ると、
「飲む前に少しばかり歩こう」
と、生唾を飲み込みながら、俺をウォーキングに誘った。
彼は言う。
「俺は熊本で1キロも太るわけにはいかん。最悪でも現状維持だ」
これを聞いた俺は、
(無理ばい…)
そう思ったが、あえて突っ込む事はせず、
「頑張って」
とだけ無機質に言った。
とりあえず、この日のウォーキングは、病中の俺を彼が気遣ってくれ、3キロほどの短距離にとどめている。
ウォーキング中、彼が行った宣言に触れる。
「昼や夜に食う分を、早朝や夕方のウォーキングで消費する」
彼の目にはこの時、まだ光が宿っており、この言葉に信憑性を見出そうとすれば、クズほどではあるものの、
「見えるかも…」
そういう状態ではあった。
が…、蓋を開ければ、この翌日の早朝、もう一回歩いたきりでウォーキングは終わってしまい、それからは動く事もせず、ましてや、
「なるべく大地にへばり付いていたい…」
と、寝てばかりいる惨状へと移行してゆく。
それはそれは見事な移りっぷりで、
(この状態は書き留めておかねば…)
そう思った事が、これを書く背骨となっている。
彼が熊本へ来て初日の夕食である。
彼は、この直前のウォーキングで、
「俺は本当に控え目に食って飲むからな」
そう言っていた割に、
「我慢ができん」
と、8時からの夕食を大幅にフライングし、ビールを1リットルばかり飲み、馬刺しを食い、ゴーヤチャンプルを大皿一杯食べた。
つまり、富夫が気を利かし、早めに帰って来た7時半には、
「そうだんべ、そうだんべ、俺がいなくて寂しかっただんべー!」
などと、埼玉弁爆発、酔い潰れる寸前にあった。
が…、富夫がビアサーバーの氷をセットし、
「さ、飲み直しましょうか?」
言うと、
「ぷいー、いただきます」
赤い顔に似合い過ぎる大ジョッキを掲げ、生ビールをグイグイ飲み干した。
また、ゴーヤチャンプル二杯目(大盛)も平気な顔で平らげ、他にもブイブイ出された色とりどりの食材を、
「まかせなさい」
この言葉とビールで食べ尽くしてしまった。
どれほどの量を彼は食べたのであろうか。
それは分からぬが、ビールは大ジョッキ4杯、瓶ビールは2本、それに缶ビールを何本か飲んだ。
夜も10時になると、彼はパンパンに膨れた腹を触りながら、片方では焼酎を大ジョッキで飲みつつ、
「ふぁー、もう食えん」
そう言いつつ立ち上がり、椅子に座った。
多分、腹がつかえて胡座を組んでいられなくなったのであろう。
俺は、久しぶりに会う彼をまじまじと見、
(凄い…、健康を絵に書いたような人だ…)
病中だっただけに妙に感心した。
また、実父である富夫は彼の事を、
「たまらない野性味に溢れ過ぎるほどに豪快な人だ」
そういう風に評し、
「男として見習わんといかん」
そこまで言ったものであるが、妻・恵美子に、
「見習わんでいい!」
火が付いたように突っ込まれ、寂しく自我を殺していたようだ。
この日の彼の「酔い」にもう少し触れる。
彼は椅子に座るや、モゴモゴと何かを言ってはいたが(多分、寝言だろう)、目を離した隙に寝た。
そこに、奇妙な絵ができあがった。
全身を紅色に染めた巨体が何とも器用に椅子の上で寝ているのである。
顔は天井を向き、右手には大ジョッキが握られている。
口は全開に開けられ、そこからは鼾のような寝言のような雑音が漏れている。
彼が動く毎に椅子は痛々しく軋み、この日は寒いくらいの夜であったのに、彼の肌だけがニスを塗っているかのように艶めいている。
汗によるものである。
道子は、彼のこの姿を絶妙な喩えでもって表現した。
「紅の豚」
日頃からストレートに生きている道子らしい剛速球の喩えであり、実に的を得ている。
俺ならば曲げ過ぎてしまい、このように直な表現はできない。
また、こう表現された当人も、
「ぐうの音も出ない」
その適切さに参ってしまい、怒るどころか感心してしまったほどだ。
怒りの導火線に火が点く時というものは、得てして遠慮気味に放たれた「ちょろ火」による事が多い。(同じ事を言われた場合)
この一例でも、人と人との付き合いというものが、
「胸元に飛び込まねばならない」
その事を教えてくれているような気がした。
ピッチを上げる。
この悲喜爛々31「駄目人間」では、前の悲喜爛々30「突然」のように猛烈なエネルギーを要すつもりはない。
サラリと駄目人間の駄目生活を述べ、サラリと終えたい。
ゆえに、箇条書きに毛が生えた程度にポンポンと進めてゆく。
彼の二日目、13日に移る。
昨夜、たっぷりの水分と食料をとった彼は、たっぷりの睡眠をとり、午前6時に目を覚ましたらしい。
二日酔いも少なく、適度な倦怠感を抱えたまま、誰も起きていない福山家から抜け出して宣言通りウォーキングに出かけたという事である。
が…、道に迷ったらしく、1時間半あまり彷徨い、7時過ぎに戻ってきた。
これは、不幸中の幸いといえるだろう。
1時間で戻るつもりが30分も余計に歩いたのだ。
この余計分をカロリー換算すると、多分、ビール2杯分くらいには相当するであろうし、おにぎり一個分にはなるであろう。
さて…。
この日の俺達は、
「阿蘇に行きたい」
という彼の希望を受け、阿蘇方面へ向かう事になった。
が…、その前に、盆の時期という事もあり、友人の中川太陽が帰省していたので、
「阿蘇よりも素晴らしいところへ連れて行こう」
そういう運びで、砥用町という石橋の町へ向かった。
太陽には事前に連絡を入れ、
「昼飯はお前のところで食べさせて」
ぶしつけながらそういったお願いをし、外でBBQをする事になった。
彼は、念仏のように繰り返す。
「控え目に食い、そして控え目に飲む」
が…、この台詞が何の意味ももたない事は初日の時点で分かり過ぎるほどに分かっている。
事実、太陽宅に着いた5分後にはウォーキング余計分のカロリーを蓄え、30分後にはウォーキング分のカロリーを取得した。
美味い空気に最高の景色、彼に言わせると、
「こんなところに人が住んでいる事が奇跡だんべー」
との事で、そういうところで新鮮な野菜や肉が炭火で焼かれるのを、
「食わんわけにはいかんだろう」
そういう名目で食い始めた。
彼は相当に食った。
太陽の実父が、
「ぶわー、あたはよか体格ばしとるですなぁー」
つまり、関東弁で、
「デブですね」
そう突っ込んだのにも関わらず、しこたま食った。
(意に介せず!)
そういう感じであった。
また、飲み物に関しては、なぜか飲み干したビールの空き缶を、自分を取り巻くように並べ始め、
「これが一周グルリと回るまでは飲みますぞ」
その事を暗に示唆し、実際、よく飲んだ。
また、焼き上がる肉のほとんどを彼は食った。
太陽も相当に食う事で有名であるが、彼と比べればまだまだ小者であり、
「食うですねぇー」
呆れたのか惚れ惚れしたのか、食い入るように、そのネットリとした脂顔を眺めた。
「いやぁ、それほどでも…」
彼は、なぜか照れた。
とにかく…。
彼はここで3時間強も食い続け、そして飲み続けたのである。
太陽宅を出たのは午後2時であった。
問題の彼は、車が動き出した瞬間に寝た。
あの道子や1歳児の春でさえ寝てないのに、鼾と寝汗を同時にかき、芯から熟睡しているようであった。
次の目的地は、寝ている彼が望んだ阿蘇である。
途中、零台橋(写真)という町の看板になっている石橋に立ち寄り、そこでだけ、彼は起き上がった。(強引に起こした)
はしゃぐかと思えば、のろーりのろんと橋を歩き、写真を撮って、
「さ、行こう、腹いっぱいで辛い」
そう言いながら戻って来、車が動き出すとすぐに寝た。
この辺から俺の中に、
(食っちゃ寝、食っちゃ寝、これじゃ予想以上に太るぞ…)
そういった笑いというよりも心配が芽生えつつあり、これが後々、
(こういう人を駄目人間というのだろう)
この手厳しい診断に発展させてゆく事になる。
彼が駄目だと思われる節は運にもある。
太陽宅から2時間弱をかけて阿蘇へ向かうわけだが、その道は、清和村という文楽の里を抜け、蘇陽という九州のへそを通り、森高千里の出身地・高森の峠を越える。
そこからが阿蘇と呼ばれるエリアとなる。
が…、この高森の峠を越えた瞬間に雨が降り始めた。
それも土砂降りである。
(運が悪いな、やーさん…)
思いつつ、阿蘇へ入った事を知らせるために起こすが、
「ふぅー、むにゃむにゃ…」
寝言ばかりを返し、彼は起きない。
結局、日本一綺麗な水の里といわれている白水村も通り抜け、他の小さな観光地も普通に通り抜けた。
(いいのか?)
思うが、起こしても起きないのではどうしようもない。
とりあえず、豪雨の中、阿蘇山頂を目指した。
彼が起きたのは、この登山道、その中腹においてである。
「お…、阿蘇か…」
目を擦り、のそり起き上がると、
「雨で見えねーな…」
そう言うや否や、また寝ようとしたため、
「阿蘇を見るって言うけん来たんじゃにゃー、見らんね、もぉー」
と、強引に起こした。
俺は彼のために病院をキャンセルしてまで阿蘇へ来たのだ。
その阿蘇を寝て過ごされたのでは堪らないし、ましてや阿蘇観光のメインの一つは広大な草原地帯にある。
確かに…。
彼の言う通り、雨で景色は鮮明でこそない。
が…、見える事は見える。
「もー、見てばいー」
俺は彼を執拗に起こすに至るのである。
阿蘇山が誇る世界一のカルデラに着いたのは午後4時である。
ここは、有毒な火山ガスにより、全てが開放(観光可)されているのは稀なのであるが、この日は運がよく全開放であった。
駐車場からカルデラまでは300メートルほどの距離を要す。
外は豪雨で、傘は一本しかない。
ゆえに、俺と道子は何度か来ているので、
「やーさん、行って来てええよ」
と、傘を渡し、俺達は車中で待つ事にした。
カルデラは駐車場付近で見るだけなら5分で終わるが、見晴らしのよいところまで歩くなら20分、カルデラ沿いを回るなら1時間強の時間を要す。
今日は全開放という事なので、
(30分は戻るまい…)
そう思っていたら、なんと、彼は5分くらいで戻って来た。
「はやーね…」
当然、俺は目を丸くする事になる。
関東からわざわざ熊本まで出て来、どうしても行きたいという事で雨の中をカルデラまで来たのだ。
(何か急いで戻って来なければならない理由でもあったのか?)
思っていると、
「雨が降ってるから奥まで歩く気はしねぇなぁ」
彼はそう答えた。
(駄目だ…、瞳の火が完全に消えている…)
俺は呆れて彼の顔を眺めた。
いつもにも増して脂ぎっており、そして丸かった。
そして、ふと、彼が太陽宅で食った食料、その量を思い出した。
次第に、俺の中で一つの結論が生まれた。
(彼はやる気がなかったのではない…、体が重くて動けなかったのだ…)
彼の腹は、確かにその膨らみを増しているようであった。
一向はカルデラを後にすると、この山の麓にある阿蘇ファームランドに立ち寄った。
病中、まるで食欲がなかった俺は、今では完璧に復活しており、
「ラーメンでも食おう」
皆に投げかけ、熊本といえばの「味千ラーメン」を食べた。
「おー、熊本ラーメンも美味い!」
彼は普通盛のラーメンを汁まで飲み干すと、春用に買った握り飯をつまみ、ついでに道子が残したラーメンの汁にも手を出していた。
ものを大切にするという点では、彼ほど素晴らしい人はおるまい。
ところで…。
阿蘇ファームランドというところは、横一線に長々と土産物屋が並び、その数は半端でなく、見て回るのに1時間強を要す。
当然、店同士はライバル意識を持ち、陳列された商品のほとんどに客寄せのための試食を並べている。
試食といえば道子であろう。
どこぞの空港でも飯代わりに試食で腹を満たすし、
(食べ辛い…)
と、皆が手を出しかねている試食でも店員など気にせず食い尽くすし、困った事に「マイ爪楊枝」などまで用意する始末である。
(こんな奴は10人とおらんだろう…)
思っていた俺であったが、案外すぐそばにいた。
問題の彼である。
彼は、一軒目の試食で手にした爪楊枝を道子同様、
「マイ爪楊枝」
そう名付けるや、右手と同化しているかのように吸い付かせ、選り取りみどりに並べられた試食品に手を出してゆく。
ケーキ、煎餅、竹輪、漬物…、とにかく試食とあらばジャンルを問わず食い付き、その箱を枯らしてゆく。
「あの二人が通った後には草一本も残っちゃいない…」
見る人が見れば、そういう感じであったろう。
特に、ファームランドで大人気と書いてあった「レアチーズケーキ」の前では、実力を遺憾なく発揮し、暴れに暴れまくってくれた。
三種類のケーキが試食として並んでいるのだが、
「うわー、いっぱいあるねー」
「ほんとだな」
爪楊枝を構えると、その後、見事な手さばきで、
「これ、美味い」
「こっちのほうが美味いよー」
「どれどれ…、いや、やっぱりこっちのほうが…」
などと、縦横無尽に動きつつ、箱の底が見えるほどに楊枝をふるった。
ちなみに…。
この時の俺は、春が乗ったベビーカーを押しつつ土産物の陰に隠れている。
あの二人と同じ類の人間と思われては腹が立つし、うっかり、
「福ちゃーん、食べないのー?」
などと、声を掛けられてはたまったものでないからだ。
また、春にあのような人間ギリギリの姿を見せるのは教育にも悪い。
「美味しいし、得した気分だよねー」
「うん、タダというところが素晴らしい」
二人はそんな事を言いながら、永延食べ続けた。
話を戻し、ラーメンを食った後、彼が放った言葉に触れたい。
「もう食えん…」
この、短いが重要な一言にである。
彼はこの言葉を発した後、前述の猛烈極まる試食を始めた。
(もう食えん…?)
当然、その発言に疑問を持ち、俺は彼に問うわけだが、彼はその事を、
「別腹、別腹…」
道子同様の台詞で払い除け、
「おっ、肉発見!」
と、爪楊枝を振り上げつつ走って行った。
彼の「もう食えん」の後に食った量というのは凄まじいものがある。
試食数十種(100に近い)、シュークリーム、ソフトクリーム…。
「甘いものに目がなくてねぇ、それに甘いものが入るところは別だんべー」
これが男の吐くセリフとはとても思えず、
(熊本で相当に太って帰る事になるな…)
俺も彼も間違いないその事を確信したのであった。
家(山鹿)に帰ったのは午後9時を回った頃である。
当然、生サーバが用意されているし、酒を飲む事になる。
が…、この日はそれほどには飲まず、晩酌程度に控えた。
彼は、
「家に帰ったら何も口にしない」
そう言っていたが、酒を飲む時には何かを口に入れないといけない性分らしく、
「もう太ってもいいや!」
やけっぱちになって食っていた。
ちなみにこの日、彼の測定を行った。
無論、体重の測定である。
「太ってんべー、太ってんべー」
悶えながら体重計に乗る彼であったが、確かに太っており、二日で3キロ増えていた。
この期に及んでもズボンを脱ぎ、財布などの小物を外し、なるべく軽い数値を叩き出そうとしている彼の「あがき」が俺にしてみれば、
「だったら食わんとええたい」
その一言に尽きた事は言うまでもない。
この翌日14日、俺の一日は病院ラッシュであった。
朝9時から病院で、夕方も病院である。
当然、彼の相手ができないので、申し訳ないが個人行動をお願いし、熊本市街へ行ってもらった。
病院での詳細は悲喜爛々30で述べた。
彼は、夕方4時くらいに熊本市街からバスで帰って来、それから温泉へ行った。
丁度、俺の病院の時間と重なったため、行く時に温泉で下ろし、帰りに拾って帰った。
彼は言う。
「いいねぇ、山鹿温泉、トロトロしてていいよぉー」
また、山鹿が一望できるという事で有名な風呂だったため、
「展望はどうだったね?」
そう聞いたところ、
「地元の爺さん達がいい場所をキープしてて、その脇からチラッと見たもんだから、ほとんど見えてない」
試食では遠慮しないくせに、その辺は妙に小心なようだ。
とにかく、この日の彼の一日は暴飲暴食する事なく、ゆるやかに暮れていったようだ。
ところで、話題が前の会社の同期・和哉に移るが、この日の晩は和哉の実家で宴会に参加する事となっていた。
なぜゆえに、飲み会といわず宴会というか、その事を語るには一人の登場人物を迎えねばならない。
和哉の彼女・真理である。
和哉と真理の馴れ初めについては、悲喜爛々23「いとこ喰い」で書いた。
その真理と和哉は、バレンタイン辺りから付き合っているから、もう付き合って半年になろうか。
俺と道子の段階であったら、
「娘さんをください」
丁度、その挨拶を道子の実家でしている頃である。
(そろそろ何かアクションがあるのでは…?)
思っていたら、この盆、二人で帰省して来、なんと、
「お互いの家に挨拶に行きます」
などと言う。
「挨拶とな!」
驚きを隠せない俺であったが、二人が言うには、
「重々しい挨拶でなく、単にお互いの家に顔を見せるだけの挨拶」
そういう事らしい。
が…、何となく、色事マックス的な臭いはプンプンとするし、首筋辺りが、
「んー、にゃっ!」
ていう、こそばゆい感じは拭えない。
この日、俺が和哉の家に呼ばれたのは、その真理が始めて和哉の実家へ訪れる日だという。
和哉実家においての気構えは、単に俺達が遊びに来るという感じの気軽なものではあるまい。
ゆえに、飲み会でなく宴会なのだ。
ちょっと主役の彼を忘れ、一時、二人を主役に置きたい。
が…、問題の彼も和哉実家へは同行している。
ゆえに、今から書く場にいる事はいるし、テーマの「駄目人間」に外れず、実に気持ちよく飲み食いし寝てくれた。
だが、それ以上にピリピリした話題だけに、推して、和哉一家と真理の挙動に触れたいと思う。
真理は、和哉実家のある黒木に車で現れたらしい。
和哉に、真理が言ったところによると、
「妹に車で送ってもらう」
そういう事だったらしい。
妹はミワといい、偶然、和哉の妹と同じ名なのであるが、これもなかなかの美人で、この時は鹿児島から帰省している状況にある。
その妹が姉の真理を遠路・黒木に送るとあれば、そのまま飲み会に参加し、
(妹は飲まず、夜に車で帰るのだろう…)
そういう推測がつく。
が…。
蓋を開けると、真理を送ってきた車の中から大勢の野次馬が噴き出してきたという。
話はこうだ。
和哉は黒木のどこかしらの場所で真理と待ち合わせをし、聞かされたピンク色の車に手を振った。
中には愛しの真理と、その妹のミワのみが乗っていると和哉は思っている。
「お疲れー」
和哉の事だから白い歯を厭味なほどに光らせつつピンク色の車に走り寄ったであろう。
すると、どうした事であろうか、そのピンク色の車から、次から次に人が飛び出してくるではないか。
それも、出てきた人物が全て、和哉にとっては、
(な、なにー!)
そういった衝撃の人物なのであった。
真理の父、はじめ。
真理の母、紀美子。
真理の伯母、めいこ。
それに妹のミワ。
ピンク色の車に収容できる限りの人間を乗せ、この車は走ってきた事になる。
俺にとっては残念な事に、ここに真理の祖母、つまりは俺のばあちゃんがいない事が寂しくはあるが、車のキャパから考えるとこれが限界であろう。
とにかく、乗せれる限りの野次馬を乗せ、ピンク色の小型車は峠を越えて黒木に来たのである。
和哉の動揺は相当なものであったろう。
「あ、あ、こ、こ、こ、こ、こんにちは…」
などと、ロボチックな動きで挨拶を交わし、明日の午前中に控えているという「真理実家への顔見せ」を想い、
「明日は、よ、よ、よ、よろしくお願い致します」
その黒々としたエロスマイルを無理に発揮した事は間違いあるまい。
また、この場に野次馬として居合わせた真理の伯母は、偶然にも同窓会で大阪から実家(三加和)に帰って来ていたのであるが、和哉と会うのはこれで二度目であった。
一度目は、俺と和哉が大阪まで出張コンパに出た際、俺が伯母の家に連れて行ったのだ。
和哉は、この伯母の家でヘロヘロになるまで酒を飲み、その後、小笠原という友人の家に移動したのであるが、とりあえず電車を降りるや吐いた。
伯母は、この時の事を回想し、
「あの時、真理ちゃんと和哉君が付き合ったら面白いと言ってたけど、現実になるとは驚きやわぁ」
そのような事を言った。
とにかく、一昔前までは「チキン和哉」という呼び声も高かった和哉だけに、その動揺は凄まじいものだったに違いない。
また、これは福山家の血であろうが、明日会えるというのに待ちきれず、わざわざ遠路・黒木町まで見に行く野次馬根性も素晴らしいと言わざるを得ない。
さて…。
この事を俺が知ったのは、和哉宅に俺達が着き、宴会が始まってからである。
俺達の中には、道子と春、それに主役を外れている彼が含まれる。
盆の時期における和哉宅での酒宴はこれで三度目で、前の二度はいずれもBBQであった。
ゆえに、今回も同様であろうと思っていたのであるが、どういう事か、今回は座敷に豪勢な料理が用意されていた。
また、特筆すべき点は和哉の親族にある。
仏壇側の上座に和哉の祖父がおり、また下座には和哉の祖母まで座っているではないか。
普段は、ちょっと顔を出しに来る事はあっても参加はしなかった和哉祖父母が同席している事は間違いなく尋常でない。
また、和哉の伯父と説明された人が祝いの品らしきものを持って現れ、
「ここに置いとくよ」
和哉にネチョーンとした笑顔を見せると、普通に去って行った。
(む、むむむ…、いつもの和哉実家と雰囲気がまるで違う…)
その事を感じずにはいられない俺なのである。
真理は和哉の隣にしおらしく座っている。
いつも同様、のほほんとした普通の娘さんの真理が和哉実家に与えている影響というものを、
(おいー、すげーな、おいー!)
俺は、鼻を全開に膨らませて眺めた。
ところで、この場に居合わせているのは祖父母の他に和哉の妹夫婦、和哉の母、それに和哉の地元友人である役場(あだ名、本名は知らない)という者である。
和哉の父、ハウスミカン組合会長・一夫氏は昼に飲み過ぎたらしく、隣の部屋で寝ている。
役場は面相が駄目人間の彼と似ており、大いに彼と通ずるところがあったらしく、しきりに杯を交わしては、
「他人とは思えんにゃー」
意気投合していた。
俺は病み上がりであったため、そう飲めはしなかったが、面白いやり取りを目の前に発見したため、それをツマミに焼酎を飲んだ。
真理と和哉の母・八千代さんのやり取りである。
八千代さんは非常に気さくな人で、自らの事を、
「黒木町の山口百恵」
などと言い切る人なのであるが、今日はどうした事か、その明るさにキレがない。
見ていると、真理の傍をキープし、あれやこれやの情報収集をしたり、真理に気を使ったりしている。
また、対する真理に目を移すと、いつもは日本酒を一升くらいペロリと飲み干し、叔父となる富夫に、
「真理ちゃんは凄い」
その声を上げさせた女なのであるが、こちらもどうした事か、ビールをチビチビ飲んでいる。
(むふふ…、この時期というのは人が過敏になり過ぎていて面白い…)
俺は、それをマジマジと眺めては焼酎をのんびり飲むのである。
ちなみにこの時、
(一気に場のモンワリを打破しようか…)
それを成すための武器(情報)をたっぷりと持っていたため、その事を思ったのであるが、皆の真剣な目を見るにつけ、
(こういった時間も両家にとって必要だ…)
と、その武器を人知れず退けたのであった。
俺達が和哉宅から戻ったのは、午後11時を回った時刻であった。
さすがに春がいたし、豪快な鼾を放つ問題の彼もいたため、
(泊まるのは悪い…)
そう思って帰った。
真理は和哉宅に泊まり、明日は早朝に黒木を出、今度は熊本県三加和町、真理の実家を訪ねるという算段のようだ。
問題の彼は和哉宅を出ると、前日の太陽宅と同様に速攻で寝、家に着くまで全く起きなかった。
完全に「飲む・食う・寝る」のリズムが出来上がっており、それに反しようなどという気持ちは一切浮かばないようだ。
真理実家における和哉の様子は、同日、福山家で飲み会を行う事になっており、それに和哉カップル、及び真理の妹・ミワを呼んでいたため、そこで聞く運びとなった。
また、聞かずとも福山家の広告塔と呼ばれている伯母の様子から、事前にその片鱗を掴む事ができた。
どういう事かというと、和哉宅での宴が行われている時点で、伯母は真理にメールを打ち、
「そちらの料理を教えて」
ダブらないように下調べをしたらしい。
また、当日早朝、うちに電話をかけて来るや、
「もぉー、なんば用意するとよかか想像がつかん、えみちゃん(恵美子の事)教えてー」
そうも嘆いたらしい。
これらにより、凡そ想像がつく。
つまり、真理実家は和哉宅など相手にならぬほど動揺していたのだ。
俺から言わせれば、
「たかが和哉じゃにゃー」
そうなるのだが、真理実家からすれば、
(長女が家に連れてくる初めての彼氏…)
そういう事になる。
確かに、和哉宅では妹の結婚を済ませているだけに、こういった事は経験済みであるといえる。
だが、真理実家にすれば未経験なのだ。
(ああ、どれほど動揺しているか見たい…)
身悶えるほどにそう思ったが、それでは雰囲気を壊す事になろうから控えた。
とにかく、この状況は真理の妹・ミワより聞く事となった。
ミワは言う。
「もー、うちのお父さんが喋りっぱなしで井上さんは聞くばっかり。お父さんの一人舞台だったよー」
これに和哉が、
「いや…、そんな事は…」
などと、弱々しいフォローを入れる。
ほわーんとした両家の気持ちが緩やかに交錯する、実に微笑ましい説明であった。
ちなみに、真実を突き詰めると、実際、伯父・はじめおっちゃんが喋り倒した事は事実らしい。
伯母も祖母も認めた。
喋る内容は技術系の話で、俺も何度か身に覚えがあるため、
(ああいった類の話だろう…)
それは想像がつき、和哉が正座で、
「はぁー、なるほどー」
深々と頷く絵がありありと浮かぶ。
ところで話は前後するが、盆の帰省を終え、関東に帰った和哉は腰に激痛を覚えて病院に行ったらしい。
すると、
「ヘルニアですね」
そう診断されたそうな。
多分、あやつの事だから原因は正座のし過ぎであろう。
ヘルニアはキャッチャーや正座をする人に多いのだ。
(もしかしたら、実家の挨拶に原因があるのではないか?)
一瞬そうも思ったが、年がら年中正座をしている男ゆえ、十中八九それはないであろう。
が…、可能性として、ある事はある。
その事も、面白いと思った。
とりあえず…。
和哉と真理の両家挨拶を「駄目人間」の隙間にザザッと書いたが、伝えたい事は、
「いかに両家実家というものが身構えるものか」
その事である。
この事を俺自身に置き換え、春が彼氏を連れてきた事を想像すれば、上記のたわいない絵が実に身近なものに感じられてくる。
(俺も、おっちゃん同様に喋りたくるだろう…)
沈黙を恐ろしく思うがあまり、俺もそのようになる事は想像がつく。
また、道子も伯母同様に張り切り、
「福ちゃーん、何を作ったらいいと思うー」
そう言いつつ、結局は得意の餃子をつくる事になるであろう。
とにかく、この瞬間というものは両家にとって記憶に残るものであり、貴重な瞬間なのだ。
ちなみに、俺の両親は道子が来た「その時」を次のように語っている。
「居間でテレビを見よったら、道子さんがぐぅぐぅ寝らしたもんだから、肝の据わった人ねーと感心した」
つまり、俺の両親も伯母らと同様に緊張しまくっていたのである。
ところが、道子は居間で大の字になって寝た。
腫れ物に触るようにビクビクしていた両親は、道子の大物ぶりが目に焼きついて今も離れないのである。
主役を問題の彼に戻し、時も8月15日に戻す。
この日、福山家では夕方より行われる宴会の準備に勤しんでいた。
客は前日まで10人強の予定であったが、当日に来ると言ってきた人や、前日、和哉宅で、
「お前も来いよー」
誘った連中を含めると計20人になった。
最初に、道子実家の便所を壊した事で有名になった大津が現れ、次いで鹿児島より後輩の今本が現れた。
この二人が来たのは午後1時くらいであろうか。
それから次が現れるまで相当に空き時間があった。
当然、問題の彼を筆頭に、
「先に飲もうや」
そういう話となり、家の中で生ビールを飲み始めた。
次に現れた客人は山本家であった。
ここは、春と同学年の子がおり、比較的、人柄も普通であったため、道子にしてみれば、
(やっと普通のお客さんが来た!)
そういう感じであったのだろう。
「待ってたよー!」
大津や今本には「いらっしゃい」も言わなかったくせに、山本家だけは玄関まで走って出迎え、次いで庭に出してあるプールで子供達を遊ばせ始めた。
道子にあまり歓迎されていない客三人に目を移す。
「やっぱ、生は美味いよなぁ」
「最高ですよ」
「素敵やね」
お日様が高いというのに、問題の彼、今本、大津、この三人は揃ってピーナッツをツマミに生ビールをあおっている。
山本家が現れ、子供達の声が場に充満し、次いで庭にプールが出されると、
「僕、車にブルーシートを積んでます、外でやりませんか?」
今本がそう提案し、
「よし、場所を外に移そう」
そういう運びで三人の男達は庭に出た。
問題の彼は、生ビールを大ジョッキで何杯飲んだであろうか?
餌を食らい、それを大量のビールで流し、フラリフラリと外に出た。
庭を眺める俺の目には滑稽な絵が飛び込んできている。
子供達がビニールプールで無邪気に遊んでいる、その背後でビニールシートに寝転びながら酔っ払う大人が三人…。
(大人になるって堕落する事なのか?)
まさに、そう思わせる絵である。
が…、今本や大津はまだいい。
いちおう、起きて子供達を眺め、
「平和よなぁ…」
などと、緩やかに流れる田舎の時間を楽しんでいる。
が…、問題の彼は最悪である。
寝転がった瞬間に熟睡し、次いで、鼾をかき始めたではないか。
「ああ、うるせー」
平和な時間は彼の雑音でかき乱され、今本や大津も苦笑をこぼす次第となる。
時間を戻して考えると、彼が飲み始めたのは正午である。
それから入るだけのビールと食料を体に蓄え、庭で大の字になって寝、現在に至っている。
つまり、それだけ大量の餌が、彼を寝せるためだけに消滅したわけである。
俺は、この三日間で彼の燃費の悪さをつくづく実感した。
(またか…)
思いながら、彼の元へ歩み寄った。(観察のため)
今本などは、焦り屋の常で、
「駄目人間の典型ですね」
などと、端的な結論を吐いた。
俺もその事を否定はしなかったが、
(それは言い過ぎだろ…)
とも思った。
が…、ふと、彼の体を見るに、
「な、なんと!」
驚愕し、彼が駄目人間である事と同時に、彼に与える液体の無駄を悟った。
彼の体中を汗による水玉が覆い尽くしていたのである。
生ビールは、彼が滞在した4泊5日で35リットル消費された。
その金額は21000円で、水分の値段としては破格の値段である。
その、破格の液体の大部分が彼の体に吸い込まれ、次いで、瞬く間に上のような形で蒸発してしまっているのだ。
「もったいねー!」
俺を含め、彼を観察している一団はこの無駄に身悶え、
「写真だ、写真を撮れ! この無駄をやーさんに画像で伝えるぞ!」
と、証拠写真を撮った。
ところで、彼が起きたのは夕方である。
たっぷり二時間あまり熟睡し、皆が庭から去った後に起きた。
この時、既に過半数のメンバーが福山家に現れており、昨晩、和哉宅で「彼そっくり」と言われた役場も素敵なヘルメットを装備し、バイクで現れた。(写真)
福山家飲み会は午後5時過ぎに始まる事となった。
この日、うちの地元・山鹿市は年に一度の山鹿灯篭祭りの日で、街全体が熱気に満ち溢れている。
3万人の街に、数十万の観光客が押し寄せるのである。
これは、うちの家に20人の客が押し寄せてくる事と同様の事であろう。
長テーブルを二つ用意したのであるが足りず、輪から離れて飲まねばならぬ人達も現れた。
「すまんねぇ…」
俺は謝りつつ、皆が早く灯篭祭りに出掛けてくれる事を切望した。
全員が料理にありつけるようにするには、人を回転させるしか方法がなかったのである。
そもそも、この宴会で集まる人間が予想以上に膨れ上がったのには俺の落ち度もあるが、早めに連絡をくれなかった客にもある。
一月前にメールで案内状を出した俺は、返事のあった連中のみをカウントした。
まさか、直前に、
「行くから」
などと言ってくる連中がこうも多いとは思わなかったのだ。
地べたで飲むなら話は別だが、テーブルに料理を乗せる関係上、輪にならざるを得ない。
そうなると、これだけの人数に対応できるテーブルがない。
つまり、誰かしらが輪から溢れる事となる。
(反省、反省…)
まさに、その事であった。
ところで、昼寝から目覚めた彼であるが、起きるや、
「ビール、ビール」
呪文のようにそれを唱え、エネルギーの補給を始めた。
当然、
「もったいないけん、止めてくれー」
止める俺ではあるが、
「いいではないか、いいではないか」
客人の彼は似合い過ぎる大ジョッキで遠慮なしにガブリガブリと液体を補給する。
それから、祭りに出、花火を見るために皆と出かけたのであるが、そこでも液体の補充は忘れなかったらしい。
が…、彼に言わせれば、
「まだまだ序の口だんべー」
そのレベルであった事だろう。
俺も富夫もどちらかというと焼酎党で、俺の友人もどちらかというとビールばかりをガブガブ飲む類ではない。
彼と張り合えるビール党がいれば、彼は更に飲めるはずであった。
(そんな奴が現れませんように!)
思っていたら、丁度そういう人が現れた。
北九州の南、田川というところに住んでいる前田という先輩で、俺の元上司である。
つまり、一昔前まで埼玉に住んでいた人で、彼との面識もある。
前田さんは北九州育ちで、この地域はビール党が多いところで有名でもある。
前田さんも例外でなく無類のビール好きで、ビールばかりをとことん飲む。
前に祭りで一緒に飲んだ際、
(どれくらい飲むのだろう?)
と、前田さんをチェックしたのであるが、4リットルから先は数えるのが馬鹿馬鹿しくなった事を記憶している。
その前田さん…。
問題の彼を見つけると、
「おー、なんで、お前がおるんかぁー!」
金のネックレスを震わせて叫んだ。
前田さんにしてみれば、まさかに埼玉出身の彼がいるとは思ってもいなかったのだ。
これを機に、前田さんのエンジンはフルパワーで回り始めた。
二人は上座に寄り添い、そして共振した。
永延、ビールを飲み続けたのである。
さて…。
彼は一体、バケツ何杯分、高級な液体をむさぼったのであろうか。
俺は病後であり、妙に疲れたので、先に戦線を離脱したのであるが、絶えず彼が言い放つ、
「前田さん、酔っ払い過ぎだよー!」
そういう声は聞こえていた。
また、その声に対し、千鳥足になりながら壁にぶつかる彼も見ている。
完全に、この二人は潰し合うかたちとなった。
現に、皆が活きている翌朝において、この二人だけが二日酔いであった。
また、前田さんの発案により、
「風呂に行くぞ」
と、朝風呂に行ったのであるが、彼のみ、まさしく浜に打ち上げられたトドのように、丸々とした裸体を湯に漂わせていた。
多分、浴槽に座る気力もなかったのであろう。
彼は、気が極端に萎えたまま、熊本最終日を迎える事となった。
さて…。
長々と書き続けた彼の四泊五日熊本の旅であるが、そろそろ終わりの時を迎えようとしている。
温泉を出た俺達は、前田さんの奢りで昼飯を食べた。
皆、ビールを飲むものだからツマミっぽいものを頼んだのに、彼だけがカツ丼を頼んだ。
二日酔いの体にカツ丼とは、さすがに彼ではある。
家に戻り、
「あー、この旅行で太ったぞー」
嘆き散らす彼。
だが、それだけ食えば太るのも当たり前で、この期間中、彼は言っている事と行動が真逆であったと断定するより他はないであろう。
帰りの飛行機は午後3時。
ついに、空港へ向かわねばならぬ時刻となった。
最後に体重を測って福山家を去ろうという事で、彼は恐る恐る体重計に乗った。
彼の体重は、二ヶ月前に94キロであった。
それをジムに通うなどの涙ぐましい努力で89キロに戻した。
(それが熊本へ来て何キロになっているのか…?)
固唾を飲んで体重計を見つめていると、それは94キロを示した。
「あー!」
頭を抱えて嘆く彼であるが、俺から言わせると、
「もー、ここまでくれば誇るべき記録じゃないっすかー!」
となる。
ちなみに彼に宿便の気はない。
それどころか、まるで金魚のように食っちゃ出、食っちゃ出しており、俺達家族内では、
「彼は胃から肛門に直結しているんではなかろうか!」
それほどまでに感心したものである。
が…、それでも彼は4日で5キロ太った。
つまり、一日に1.25キロ太った計算になる。
純粋に、脂肪のみが日に1.25キロ増え続けて行ったのだ。
(どうやったら?)
思うが、そこは今まで書き続けてきた駄目人間のみが弾き出せる結果であろう。
彼は、体重測定の後、
「最後に、お前が誇る山鹿ラーメン・天琴で食いたい」
そう言うや、カツ丼を食った後にも関わらずラーメン大盛を平らげていった。
また、土産に大量の辛子レンコン、甘い土産などを購入し、最後には、
「馬刺しを1キロ、埼玉に送ってくれ」
道子に、そう言付けていった。
馬刺し1キロは、普通の人の10人前である。
「皆で食う」
彼はそう言っていたが怪しいものではある。
それから、
「富夫と恵美子に挨拶をしたいから模型店に寄ってくれ」
彼はそう嘆願するや店に寄り、俺の両親に深々と頭を下げ、
「熊本はとても気に入りました。また、秋くらいに来ます」
そういう言葉を残していった。
彼が福山家に泊まった4日間、福山家は台風が停滞していたようなものであった。
彼が去った後、福山家の食料は綺麗になくなっており、大黒柱の富夫などは、彼の豪快な生き方に胸を打たれ、
「そうだ…、男はああいう風に豪快でなくてはいかん…」
そのような言葉を放ち、妻・恵美子に、
「マネをしなくていいのっ!」
厳しい一喝を放たれていた。
その恵美子…。
福山家では料理長という立場ゆえ、彼に餌を与え続けなければならない立場にあったからか、
「秋に来るって言ってたけど…、本当かしら…?」
それこそ、台風の到来に備えねばならないといった感じで囁いたのである。
彼は、熊本空港で車を降りる時、
「本当に楽しかった」
そう言うや、俺に握手を求めた。
これは嘘偽りない彼の感想であろう。
これが嘘であれば、彼が土産として持ち帰っている5キロの脂肪は何だというのだ。
「秋に来る」
そう言い残した彼のセリフも嘘ではあるまい。
(よかった…)
客を迎える身として、これほど光栄な事はないであろう。
ただ、彼が吐くように呟く愚痴に一抹の不安を覚えずにはいられないのである。
「社会復帰できねーよ…」
俺も、その事を心配する。
あれほどの駄目人間ぶりを見せ付けてくれた人は、
(後にも先にもおるまい…)
そう思えたからである。
明後日から、彼は俺の古巣となる東京工場で勤務を再開する。
立場は現場の職長という重大なポストで、いい加減にやれるところではない。
俺は、我知らず彼の背中に言葉を投げていた。
「安永さん、目を覚ましなっせよ!」
その言葉が届いたかどうか、それは分からぬが、彼は無言で空港に吸い込まれていった。
(投げた言葉はどこへ…?)
その事は風のみぞ知る事ではあるが、多分、空港のそばで霧散し、儚くも消えたように思われた。
〜 終わり 〜