悲喜爛々32「こういう時」
1、前段
ついていない時というのは何をしてもついていない。
今、俺はその時期にある。
以前、この波が訪れたのは社会人一年目の中盤だったであろう。
財布はなくすし、車はポルシェとドッキングするし、二人の女にふられた。
その前は高校二年の後半、古いところになると中学三年の前半、救いようがないほどに最悪だった事を記憶している。
だいたい三年に一度、半年くらいの期間で「こういう時期」が訪れる。
逆に…。
のっている時は何をやっても上手くゆく。
不思議なくらいに物事の巡り合わせが良くなるし、何をしても結末が良い方向へ向かってくれる。
「人生は山あり谷あり」と言うが、まさにその事だと思う。
疲労困憊となりつつも強烈な坂を登りきると、必ず爽快な下りが訪れてくれる。
現に、俺の場合、最悪の時期を過ぎた辺りに短くはあるが最高の時期が訪れている。
最高の時期が短い事は、下り坂ゆえ駆け足で過ぎ去ってしまう事に起因していると考えられるが、短くともあの爽快感を味わうためなら多少の坂は登りたいと思う。
つまり…。
今の俺は運を溜め込んでいる時期にあるようだ。
この時期の発端は例の病気・サルコイドーシスから始まった。
「埼玉から熊本に移った事がキッカケじゃないか?」
皆はそう言うが、多分どこにいたとしても結果は同じ、遅かれ早かれ「そういう時期」だったのであろう。
難病認定などという凄まじく威圧感のある認定を頂き、
「まいったまいった、一段とハクをつけちまった…」
呟いているところに安永という関東からの来客が訪れたのは手帳によると8月12日である。
この日…。
俺を含めた福山家は安永氏を空港に迎えに行くべく、車の少ない裏道を60キロという低速で走っていた。
すると、
「はいー、こっちこっちー!」
突然に現れた中年の警察官が俺達を路側帯に誘導するではないか。
そして、車窓から中を覗き、
「あっ、子供がおるねー、手短に済ませるから旦那さんだけ出てきてー」
極めて笑顔で俺のみを呼ぶ。
車から出ると、一人の見知らぬオッサンが、
「君もかい、まったく運が悪かねぇ」
頭をボリボリとかきつつ、すれ違い様に言う。
そう、ネズミ捕りに引っかかったのである。
警官は64キロという数値を見せると、
「はいっ、24キロオーバー」
宮尾すすむを彷彿とさせる口調で言い、続けて、
「罰金は15000円!」
などと、最高のお値段を提示してくれ、黙々と書類を書き始めた。
見たり聞いたりして得た情報によると、最近のパトカーは速度計測器をパトランプのところに装備しているらしく、今回はそれにやられたらしい。
また、
「ここを40キロで走る人はおらんよ。捕まる人は単に運が悪かだけ」
そういう事らしく、事実、パトカーの速度計測機器を動かすと確実に捕まるらしい。
どういうタイミングで測定するのかというと、前の人の書類を書き終わったら測定を開始するという具合。
つまり、捕まえる、書類を書く、違反者開放、次を捕まえる、これを繰り返しているというのである。
(あのオッサンの次が俺というわけか…)
自分の運の悪さに身悶えつつピカピカに光ったオッサンの頭を思い出した。
警官の横を見ると田舎道をブンブンと車が通過している。
どう見ても40キロではない。
警官の言う通り、40キロなどという低速で田舎道を走る車は老人が運転する軽トラックくらいのようである。
警官は、
「空港へ向かうところでした」
そう言った俺に、
「大津から空港へ上る坂は注意しなっせ。覆面がおるけんね」
そういう情報を与えてくれ、次いで素晴らしい名言を吐いてくれた。
「交通法ってのは、たまに誰かが捕まらんと守られんもんだけんねぇ」
つまり、俺が捕まったのは、
(スピードを出し過ぎると、あいつのように捕まるかも…)
市民にそう思わせるための「見せしめ」なのである。
確かに、その事は納得ができ、その必要性も感じるだけに、
「運が悪かった…」
諦めるより他はなく、現に空港へ登る坂で覆面がウーウーいわせながら他の車を追っかけているところを見ると、
(あの警官に悪意はない、仕事で仕方なく見せしめを捕まえているだけだ…)
そういう風に思ったのである。
ちなみに…。
俺の書類を書き終わると、もう一人、相方の警官がパトカーへ向かい、例の計測器を作動させた。
すると、すぐに赤いフィットが捕まり、中年のオバサンが、
「ちょっとしかスピードは出しとらんですよー」
と、項垂れながら俺の方へ歩いてきた。
開放された俺は、このオバサンとすれ違うかたちとなる。
「運が悪かったですね」
先ほどのオッサン同様、俺もフィットのオバサンに声を掛けるのであった。
2、門前払い
運が悪いといえば、先の日記で書いた脱糞しそうになった事件もその一例といえるだろう。
普段の俺であれば、このような事態に陥る事はありえない。
俺は石橋を叩いて渡る「長男気質」なのだ。
また、8月の末に、前の会社の先輩(51)が埼玉から遊びに来たのであるが、その際、写真を撮ろうと阿蘇山に登ったところ、濃い霧で一寸先も見えず、
「仕方ない、諦めよう!」
と、次の日、大分へ移動したら見事に晴れた。
昔から、俺は天気運が良いほうではないが、考えようによっては、
(これも悪運が発する悪戯ではなかろうか…?)
とも思える。
それから、この事が章の主題となるのであるが、NHK中途採用の願書を、
「駄目元で…」
という事で出した。
無論、
「記者志望で…」
という狭き門を狙ってのアクションではある。
どれくらい狭い門なのかというと、100人受けて1人受かる程度らしい。
それも、記者ともなれば文学部卒ばかりで、おまけに中途の募集となると経験者ばかり、どれもこれもが新聞記者あがりや雑誌編集者あがりだという。
そこへ理系高専卒で電機会社を辞めたプー太郎が挑む。
(むむむ…、何という男らしい挑戦…)
その事を思い、静かな炎を燃やさずにはいられない。
俺は、知人からこの挑戦の動機などを聞かれると、
「駄目元で受けるだけたい、話の種よ、話の種…」
それこそ偏差値40のハナタレが東大を受けるかのような反応を返した。
が…、この裏で、困難な環境に裏打ちされた「男の挑戦」という響きに燃える福山裕教がいる事を誰も知らない。
「男とは、かくあるべき…」
最近、武士ものの本ばかりを読んでるので、そういう事をすぐに言う。
「自分を曲げてはならぬ…、へつらってはならぬ…」
そう呟きながら一晩で願書を書き、8月26日に投函した。
願書に添付されていた説明書きによると、9月10日午後6時以降に書類選考を通過した者だけ電話で通知するという事で、一次試験は9月13日に福岡であるという事らしい。
この時、書類選考で落ちるなどとは微塵も思っていない。
ゆえに、
「13日は義母と義姉が来る日だったな、まいったー、俺は一次試験があるけん、空港に迎えに行けんぞ」
道子にはそう言い、実父の富夫とは、
「一次試験に英語の筆記試験があるけん、それで落ちるばい」
「お前は英語が馬鹿だけんなぁ」
そのような会話を交わしたのである。
そして、NHKから電話がある(あるはずの)日を迎えた。
この日…。
完全に電話の事を忘れていた福山家は、水曜で富夫が休みだった事もあり、祖父の入っている老人ホームを訪問したりと緩やかな休日を過ごした。
夕食を午後4時くらいに外で済ませ、それが妙にボリュームがあったため、一同は家に帰るやゴロンと横になり、午後7時くらいに何となく起き出した。
起きるや俺と富夫は最近マイブームの温泉焼酎(日本で唯一、アルカリ性の温泉で割ってある焼酎、体に良くて味も良い)を飲み、つまみにピーナッツなどを頬張った。
と…、ここで、富夫が思い出したように、
「あら…、お前、NHKは?」
それで電話がない事に気付いたのである。
説明書きでは「午後6時以降に電話する」とあり、現在は午後7時。
「落ちたんじゃにゃー」
別に落胆する事でもないので、俺自身がそう切り出すと、
「大丈夫だよー、6時以降だったら明日でもOKの範囲だよー」
道子が極端に前向きなフォローをした。
と、その時である。
電話がなった。
「福ちゃん、良かったねー」
言いながら道子が出ると、
「オバチャンたい!」
その声が受話器の脇から漏れてきた。
どうやら恵美子の姉、つまり伯母からの電話だったようだ。
「まったくもー、紛らわしい!」
皆はプンプン怒ったが、電話したくらいで怒られたのでは伯母もたまらない。
その後も二回ほどの電話がなった。
が…、どれも恵美子宛の電話で終始。
普通に午後9時を迎えた。
「落ちたな…」
道子は「明日もチャンスがある」などと戯けた事を言っているが、俺は落ちたと判断した。
そもそも、このNHKに関しては、
(はっきり言って無理だろう…)
その事は、俺も思っていた。
が…、まさか書類選考で落とされるとは夢にも思っていなかった。
(不思議だ…、俺ほどの逸材が…?)
思うので、今から俺が書いた願書に目を通し、なぜゆえに落ちたのかを検討してみたい。
願書は面接の前に何を書いたか確認しなければならないと思い、デジカメで撮っていたので辛うじて残っていた。
読者におかれても、決定的なミスを発見されたならば教えて欲しい。
以下、提出願書より抜粋。
1、NHKに転職したいと思う理由を書け。
「その時歴史は動いた」のファンで、ああいった多くの人を感動、または喜ばせるものをつくりたいと常々思っていた。その燃える思いのピークとNHKの募集がピッタリ合った。「これは運命だ」稲妻が走る思いがした。
今見るに決定的なミスを発見した。
「その時歴史は動いた」ではなく、「その時歴史が動いた」だった。
ファンと言ってるくせに題目を間違えるとは致命的。
2、記者を志望する理由と九州勤務を望む理由を書け。
毛も生えぬ子供の頃から雑文を書き続けている。また、取材といって良いものか分からぬが、遠出し、それを見て材料とする事が多く、自転車による日本縦断など意味の分からぬ事を好んでやっている。ゆえに記者向きかと勝手に想像した。勤務地九州は愛してやまないところだが、緑多きところ(田舎)であれば特に問わない。
3、キャリアを活かせると思う場所とその理由を書け。
見たものや聞いた事、体験した事を整理整頓する能力は長けていると思う。旅行記、取材文など、一度頭へ入れた事を文字にして吐き出す場でなら活躍できると思う。(一部、字が汚くて読解不能なので推測した)
これは全体的にいえる事だが、我字ながら汚くて読み辛い。
俺が書いた文字なのに読めないところもあった。
ワープロありか代筆ありという事にして欲しかったと今更ながらに思うが、どうしようもない事なので諦める。
ちなみに、俺の文字は友人(特に長さん)曰く、
「特徴があり過ぎる」
らしく、「し」という字を20人くらいに書いてもらった中にあっても俺の「し」が分かるという事で、現にそれを当てられた事がある。
4、NHKについて思う事と、あなたがこれからの放送について考えている事を書け。
やはり、NHKは「御堅い」というイメージが強いと思う。が…、堅いという事が悪いというわけではなく、信用性などの面において重厚な印象を与えているともいえる。これは、正確な情報をなるべく多く得たいという姿勢のものにはありがたい。しかし、放送を気軽に、それこそ空気のような存在で目に当てたいという者には重々しく感じられるだろう。難儀な事だとは思うが、必要な情報を、それこそ空気を吸うかのように万人に注入できたら素晴らしいと思う。
5、あなたが学生生活、社会生活で得た事
学生時代はほぼ飲み会という社会勉強と滑稽な挑戦に終始した気がする。ゆえに5年3ヶ月に渡るサラリーマン生活で得た事を述べたい。結論から言うに、溌剌とした熱を発散している事が生きていく上で肝要だと思った。何をするにも目が死んだ鈍物では当人において貴重な時を捨てるだけでなく、他へも害を及ぼす。組織の瓦解は、ほぼこれに起因すると考えても良いと思う。逆に、前述の理想人は組織を活性化させ、延いては社会に活力を生む。私の五年間は「熱をもて」その事を教えてくれた気がする。
あー…。
まだまだ設問が三つもあり、短くはあるが論文もある。
それをここへ写す事を思うと大変に億劫なので、この辺で止める事にしておくが、とりあえずこういう感じの願書を出した。
道子が言うには、
「パッと見た感じ、字が下手過ぎて馬鹿っぽいよー、これじゃ駄目だよー」
確かに本人が見ても馬鹿っぽいが、書いている時は文量が多いために手が震え、その状態で最も丁寧な字を書いたつもりだ。
とにかく…。
字で落ちたのか何で落ちたのか、それは定かではないが、とりあえず結論は書類選考の時点で落選。
つまり、門前払いだったわけである。
ちなみに、これを通過した場合、一次試験(筆記)が福岡であり、その後、二次試験(面接)も福岡、更に三次試験(面接)までもが福岡であるらしく、非常に長い道程のようだ。
「ま、どうせ落ちるなら、門前払いが最高よ」
誰かしらが言ったように、俺もそう思う。
が…、猛烈なエネルギーを投入して願書を書き上げ、それが理由も分からずに、
「駄目です」
そう言われては、なかなか浮かばれないものがある。
あの願書、どこの焼却炉で燃やされたのだろうか。
3、接触
9月13日から15日の三連休で義母と義姉が熊本へ来た。
無論、春を見るという目的のためである。
俺は、一次試験があるはずだった13日が前述の理由でポッカリと空いたため、義母達一行に運転手として同行し、空港では、
「さて、どこへ行きましょう?」
などと、下手に問うた。
皆、あーだこーだ話し合ったが、結局は暑がりの義母がいるという事で、
「クーラーが効いていて買い物ができる」
そういうところへ行こうという事になった。
熊本市街へゆくと、店と店の移動が暑く、多分、義母は汗だくになるであろう。
そういう事で、大型ショッピングモールである「ダイヤモンドシティー」というところへ行く事になった。
ここは、下益城郡小川町というところにあり、地図でいうと八代のちょっと上で、空港からは30キロほど離れていて遠い。
が…、熊本で最も広いショッピングモールであろう事からそこを選んだ。
高速をかっ飛ばして松橋というインターでおり、九州の背骨3号線を八代方面に下る。
すると、左手に馬鹿でかい駐車場を備えたダイヤモンドシティーが現れる。
俺達一行は車を停めるや、まず飯を食った。
時は、正午を回ったばかりである。
飯を食いながら話を聞いていると、女衆は、
「買い物するだわー、春ちゃんに買ってあげるだわー」
という事で、この後は買い物に精を出すという事である。
当然、俺が女だらけの買い物に付き合うわけがない。
自然な流れで別行動となった。
俺は、一匹狼で戦いに出た。
道子に、
「お願いします、5000円ください」
涙ながらに嘆願し、貴重なそれを借り受け、敷地内にあるパチンコ屋へと赴いた。
(不運期に勝負をしても勝てるはずはない…)
そう思っていた俺ではあったが、意外や意外500円で平台をかけ、その出玉(一箱)を持ってセブン機に向かうと、大連荘とまではいかないが歯切れ良くかかり、結局17000円の勝利に終わった。
大勝ではないが久々に勝ったため、俺は道子に借りた5000円を11000円にして返した。
(これは運が盛り返した兆しか?)
思ったものであるが、通常、不運期というのは半年くらい続く。
(が…、今回は短かったのかもしれない…)
そんな問答を繰り返しながら、実家に戻るべくダイヤモンドシティーの駐車場を出た。
が…。
ここでアクシデントが起こった。
駐車場から右折のかたちで道に出ようとした俺の車に、左方から右折してきた車が激突したのである。
一瞬の事であった。
愛車シビックの右前方に、相手の車レビンの後輪がめり込んだかと思うと、
ガゴン!
鈍い音を上げて、二つの車は離れた。
俺は右折するはずだったが直進し、道を挟んだところにある駐車場に乗り入れ、車を降りた。
(あーあー、まいったなぁー)
なぜか妙に冷静だった。
ただ、義母らを乗せていた事と、時間をとられる事が、
(まいったなぁー)
そう思った。
事故に慣れているわけではない。
俺の方が絶対有利という状況でもない。
が…、なぜかだか分からぬが、
(変だ…)
そう思うほどに俺は落ち着いていた。
こういう時期ゆえ、災難に慣れていたのであろうか。
相手さんは俺と同じ年くらいの青年である。
憤慨の態で車から降りて来、ズンズンと俺の元に歩み寄って来た。
助手席には彼女が乗っているようで、デート中だったようである。
俺は何かを言おうとした青年の口を押さえるかたちで、
「まずは」
強い語調でそう言い、次いで、
「警察を呼ぼう、うちらがワーワー言ったところで始まらんでしょう、保険も使う事になろうし」
と、青年を押さえながら110番をプッシュした。
初めて110を押したのではなかろうか、押した瞬間に向こうは出た。
その声は妙に冷静で、ゆっくりとマニュアルの問い掛けを投げてくる。
俺も、その問い掛けにゆっくりと答え、それが終わると、
「すぐ現場に駆けつけます」
そういう運びになった。
事故相手の青年は、電話口での問答が終わると、
「警察が来るんですね、分かりました、車をそちらへ寄せます」
と、白いレビンを俺のシビックの横に持ってきた。
被害の状況は、俺の車がバンパーに穴が開いてライトが曲がり、ついでに運転席のドアが開かなくなっているのに対し、相手は後輪の上が凹んでいるだけであった。
(むふふ…、被害状況、俺の勝ち…)
冷静な俺は、なぜかそのような事を思った。
俺と青年は事故現場である道路脇に立ち、軽い世間話をした。
住んでいるところや、今何をしていたところなのか…、そういった類の話である。
話しながら、青年の目は明らかに駐車場入口にある「進入禁止」の看板を捕らえているようだ。
本来ならば駐車場から出ようとした俺が相手にぶつかったため、俺の方が不利になるのであろうが、俺が出てきたのは出口専用、つまり相手にとっては進入禁止のところである。
つまり、どちらが悪いとも言えない状況なのであろう。
ゆえに、青年も、
(これは怒っている場合ではない…)
そう思ったに違いない。
怒り顔から、実に温和な表情に変貌し、
「赤ちゃん、大丈夫ですか?」
そのような気遣いまで見せてくれた。
10分ほどするとパトカーが現れた。
警官は二人から簡単に事情を聞くと、傷の状況を確認し、
「ちょっと書類を書くから時間がかかるよ」
と、パトカーの中にこもった。
道子を始めとする平山家一行は、この事態をまるで祭り事のように、
「凄い事になっただわー」
「これは旦那に電話しなきゃ」
「進入禁止なんだから、こっちは悪くないわよねー」
などと大声で騒ぎ、ついには春と事故車を交えて写真撮影などを始めた。
俺は、
「やめろ!」
と、一喝したかったが、それをする事により相手が気を使い、険悪な雰囲気になっても困るので、あえて放置した。
特に、道子が叫ぶ、
「こっちは悪くないよねー」
これは相手の神経を逆撫でするだろうから実に良くない。
温和に事を運ぼうとしている事故後の処理に、著しい障害を生む恐れがあった。
が…、相手の青年は実にできた人間で、その事に目くじら一つ立てず、警官が出てくるのをひたすらに待っていた。
警官は事故に関する書類を書き終えると、
「怪我もないようですので物損事故という事にします。後は双方の話し合いで示談してください。事故証明は近いうちに送ります」
そう言うや、
「質問は?」
にこやかに聞き、早々と帰る姿勢を見せた。
俺は慌てた。
ここで警官が責任割合を出すと思っていたのである。
「すいません、責任割合はどう判断するのでしょうか?」
控え目に問うてみた。
すると、警官は笑いながら、
「私達は民事不介入のため、そこは判断できません。大抵は保険会社同士が法律と照らし合わせながら判断すると思いますが…」
そう言うや、
「それでは失礼しますっ!」
と、実にキレ良く帰って行った。
俺は、これから先どうすれば良いのか、さっぱり分からなかったので、
「とりあえず、お互いの保険会社に連絡でも入れましょうか」
青年に言い、携帯を用いて連絡を入れた。
保険会社が言うに、
「今後の運びは次のようにしてくれ」
との事である。
まず、この場を一旦離れ、お互いが修理工場に車を出す。
この時点で、修理をする前に専門のチェックマンが傷の状況を見、修理会社が出す見積もりが適当であるか判断するらしい。
それから双方の見積もりが出たところで、保険会社が責任割合を法律に基づいて判断し、金を支払うという具合だという。
双方の保険会社が言うのは、
「当事者が責任割合を話し合うのは止めてくれ」
という事で、これが紛争を引き起こす原因になるという。
なるほど確かにそう思うし、俺も青年も、あーだこーだ言うつもりはない。
ゆえに、
「怪我もなかった事ですので、後は保険会社を通してという事で…」
そのように逃げ腰な挨拶を交わし、ダイヤモンドシティーを離れたのである。
ちなみに、俺の車の運転席ドアは開かない。
ゆえに、助手席から車に乗り込み、
「じゃ、そういう事で、また何かありましたら…、んっ、む…」
などと、窮屈そうに運転席に潜り込む俺の滑稽さは笑いものであったろう。
あ…。
後…、先ほど書いたが道子が現場で写真を撮っている。
事故後のシビック写真と現場の写真である。
忌まわしき写真なので早く葬りたいが、せっかくあるので載せる。
とにかく…。
遥々、埼玉から来てくれた義母と義姉には申し訳なかったが、これもプラスに考え、
(下手な観光地へ行くよりインパクトのある思い出ができた…)
そういう風に発想を転換してもらえたら幸いである。
ちなみに…。
この事故を振り返り、俺は思う。
もし、こういう最悪の時期に悪魔か何かが俺に憑いていると仮定するなら、パチンコ勝利ぐらいで、
「悪い波が去ったか?」
呟いた俺を、
「まだまだぁー! これくらいで終わるか、あほー!」
悪魔は、こういうかたちで見せ付けたに違いない。
俺の運気補充は、まだまだ終わりそうにない。
4、こういう時
話はガラリと変わる。
俺の目がサルコイドーシスに冒されているという事は前に述べた。
「目薬をキチンと注さないと失明するかもしれんぞ」
医者に脅された俺は、瞳孔が開くという難儀な目薬を一日に二回も注している。
これ、夜はいい。
夜はいいが、朝が大変で、注したら4時間近くのものが見えにくくなる。
パソコンのモニターなどは見えにくいものの最もたるもので、朝6時に注したとしても10時まではパソコンに向かえない。
また、文字を読む事が出来る事には出来るのであるが、すぐに目が疲れ、読み足が非常に鈍くなる。
(さて、どうしたものか?)
思っているところに、俺の弟・雅士が、
「兄ちゃん、このロールプレイングおもしれーばい」
と、スーパーファミコンの「新・桃太郎伝説」を持ってきたではないか。
ファミコンなどは、多少視界がぼやけても気にするところではない。
すぐにやってみた。
すると!
これがなかなか面白く、道子が、
「早く止めなよー、ファミコン片付けるよー」
文句を言ってきても、
「終わるまで待て」
エンディングを迎えるまでやらせてくれと返す運びになったのである。
ロールプレイングゲームをやるなど、俺の記憶を辿ってもドラゴンクエストW以来である。
既に、このゲームを始めて10日ほどになるが、毎日ちょっとづつやり、やっと最後のところに差し掛かったところである。
このゲームの概要を言うと、桃太郎が世界を掻き乱している悪者を倒すために幾多の困難を乗り越えていくというものなのだが、単に敵をやっつけるだけでなく、笑いあり感動ありと、実にシナリオのパンチが効いている。
最近、涙もろくなってきて大抵の感動映画で泣いてしまう(恋愛ものを除く)俺は、このゲームでも泣いた。
「もー、馬鹿みたいにゲームやって最悪ー」
道子は言うが、このゲームは下手な本を読むよりも勉強になる。
ていうか、何かをやろうとした際、目線を変えれば万物が勉強の対象になりうるのである。
道子はこの事故の後、俺に降りかかる災難の連続を、
(只事でない…)
そう思ったのであろう。
「神社で御祓い(おはらい)しようよー」
などと、本気で言い出した。
俺からすれば、それが幾ら掛かるかは知らぬが、
(その代金を車の修理代に充てた方がよかと思うんばってんが…)
そう思った。
が…、目線を変えて考えるに、
(それもいい勉強かもしれない…)
そうも思う。
やらない人間には分からない事がやった人間には分かる。
その事なのである。
経験は知識となり筆となり舌となり、後に身を立てる。
(だったら…)
思うが、俺の中にある固定観念に凝り固まった司令部は、
(神頼みは情けねーよー)
そうも言う。
この事は、今後どう転ぶか分からない。
とにかく…。
来週再来週にもなれば、心臓の検査が立て続けに入ってくるし、事故後の処理に展開もある事だろう。
これらの経験は「こういう時」でないとできない事だ。
普通の状態であれば普通に文章を書いて酒を飲み、普通に過ごしているところだろう。
が…、「こういう時」を迎えている俺の生活は一味も二味も違う。
「やったー、不運万歳!」
無理して言ってみる。
もし、道子がこれを聞いたならば、
「その前に金が尽きるよ!」
呆れながら突っ込むはずである。
が…、あえてもう一度言いたい。
「不運万歳!」
これがスーパー不運に伸びない事を祈り、また、この波が払拭された日には猛烈な幸運が訪れる事をただただ祈る。
こういう時、人は運を貯め込む。
(俺の運は、どれくらい貯まったろうか?)
チラリ…、覗きたくなった初秋の日なのである。
〜 終わり 〜