悲喜爛々34「湯布院へ」

 

 

「湯布院に行きたいよぉ」

そう言いだしたのは道子だった。

湯布院というと、ものの本では全国温泉街ランキング二位に位置している、まさにブランドの温泉街だ。

一位は言わずと知れた黒川である。

どちらも山鹿からすれば射程圏内で、日帰りも可能だ。

ブランド志向・道子さんが「行きたい」と言わないわけがない。

「日帰りで行くか?」

ある日、俺は道子に問うた。

が…、道子に言わせると、

「こういうところはねぇ、ゆっくり街を散策してねぇ、旅館で美味しいものを食べてねぇ、ゆっくり温泉に浸かるの」

という事で、日帰りは論外らしい。

また、道子の論を満たすためには、愛娘・春も障害になる。

娘という存在に、道子(母という立場)からすれば「ゆっくり」の入る隙間がないのだ。

自然、この道子の欲望を満たすためには春を預けなければならなくなり、親と同居という環境が力を発揮する事になる。

率直にお願いし、快い了承を得た。

日は、11月5日と決まった。

これが一ヶ月ほど前の話である。

それから、道子はありとあらゆる雑誌を読み漁った。

奥様クラブ・トコトコでも雑誌を数冊借りてき、暇さえあれば読んでいたようだ。

むろんの事ながら、奥様クラブでの口コミ情報もある。

クラブから帰って来るや、その詳細をインターネットで調べていたが、薦められた処はどこも高級と称される類の旅館で、

「分相応のところに泊まるぞ」

そういう流れで幾つかの情報は聞かなかった事にした。

高ければ良いのは当たり前だ。

安くて良いところを探すのが、旅行前段、庶民の楽しみの一つなのだ。

道子はホームページで情報の提供を訴え、掲示板の書き込みから「湯布院・八千円の宿」その情報を得た。

高専の友人、その彼女からである。

宿の名を「ほたるの宿・仙洞」という。

結局は、ここに決まるのであるが、その情報得てからも、

「久住高原のこのホテルも捨て難いよぉ、こっちもいいしねぇ」

と、道子は二週間ほど迷った。

俺は道子の優柔不断な態度を見、大変に歯痒かったが口出しはしなかった。

(道子主導の旅行だ、口を出すところではない)

その我慢であった。

さて…。

当日は雨であった。

道子は雨女と有名な女なので予想された事ではあったが、やはり気は鬱した。

「最悪だよぉ」

「まったく」

肩を落としながら家を出た。

この時、春は起きていた。

置いて行くところを見られると泣かれるのは明らかだったので、親父(富夫)に頼んで春を連れ出してもらい、その隙に出た。

紅葉真っ盛りの菊池渓谷を通り、阿蘇へ抜けた。

幸い霧が出ていなかったので車はビュンビュン進み、大分との県境に達するのに二時間もかからなかった。

当然、

「この辺りでどこかへ立ち寄るぞ」

そういう流れになるのであるが、天気が悪くては景色を見る気にもならず、まず朝風呂に浸かろうという事になった。

近場には、筋湯温泉というところがある。

道子が財布から雑誌の切抜きを取り出した。

この切抜きは、貸し切り露天風呂が五百円になるというもので、「じゃらん」という雑誌のそれである。

湯煙が轟々と漂う温泉街、その最も奥まで突入し、急ぎ湯に飛び込んだ。

筋湯の湯は硫黄臭さは最高級だが、湯質は普通のサラサラであった。

景色は最高である。

真っ赤に染まった木々が湯に映っている。

赤や黄色の葉がプカプカと浮いているのも粋でいい。

「極楽よのぉ」

などと、じっくり浸かっていたら、少々のぼせた。

雨は小ぶりだったが、やむ事なく降り続いていた。

天気予報によると、午後から明日の朝にかけて降るという話だ。

まさに雨女・道子の仕業だろう。

さて…。

温もった体を冷やすために窓全開のシビックは、筋湯を出ると飯田高原を走る。

「お前、行きたいところはあるんだろ?」

汗だくの俺は道子に問うた。

筋湯の湯は思ったよりも力があるらしく、いつまでの熱が引かない。

(俺がデブ…、いや太り気味だからか…?)

少しだけそう思ったが、やはり癪なので湯質のせいにした。

汗をかいていない道子は、

「寄りたいところはないよぉ…」

そう言いつつ菓子を摘まんだ。

寄りたいところもなく、湯布院に急ぎたいわけでもない、

「福ちゃんに任せるよぉ」

だと言う。

「お前が雑誌を読みまくっていたのは何のためや?」

「あれは湯布院の街を見てたんだよぉ、他は見てない」

「そうや…」

道子が湯布院の街だけを数十時間も掛けて調べたという事実に、俺は少々驚いた。

時間は11時前であった。

そんなに早く湯布院に着いてもしょうがないので、道子に地図を渡し、

「どっか寄るぞ、見て」

そう言って、俺は快適な運転を続けた。

やまなみハイウェイから外れた山中の道路だけに対向車は少ない。

道子は地図上でこの道を追っていき、

「あ、この先に震動の滝っていうのがあるよ」

そう言った。

それで寄る場所が決まった。

震動の滝は有名な九酔渓の手前に位置し、日本百名爆の一つだという。

観光地らしく専用の駐車場があり、出店も出ていた。

ここからは整備された歩道を歩き、見晴台までゆく。

傘を差さねばならないのが億劫で、実際に歩くと結構な距離があった。

見晴台は滝の飛沫から程遠い向かいの山にある。

「マイナスイオーン!」

って叫んだ後に、

「えっ、何? 滝の音が大き過ぎて聞こえん」

ていう感じの、意味のない会話をしたかったが、滝の音は遠くから「ゴォー」って聞こえるくらいで迫力がなかった。

が…、色付いた絶壁から垂れ落ちる練り絹のような滝を見るのも悪くなかった。

「これはこれで…」

と、写真を撮った。

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ちなみに、この山から見える滝は二箇所あり、それぞれを別称として男滝、女滝と呼んでいるらしい。

この震動の滝が男滝で、もう一つ、下の写真が女滝だそうな。

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滝の力強さで男と女に分けられているのだろうが、今の世の中にあっては当て嵌まらない別称であろう。

むしろ、逆の方がピッタリはまるのではなかろうか。

ちなみに、この滝壷には黒い竜が住んでいたという伝説があり、見晴台の近くには竜を祀った小さな社があった。

社なので賽銭箱は当然あり、その横には、

「賽銭は100円玉が良いと黒竜様が言われております」

そう書いてあった。

道子が賽銭を入れようとしていたが、そういった人間臭い看板を見ると、どうもご利益がなさそうな気がして、

「よかよか、縁起が悪いけん行くぞ」

俺達は自然と場を離れるに至った。

さて…。

それからのシビックは、どこにも立ち寄る事なく、一路、湯布院を目指した。

普通はやまなみハイウェイを通るのだが、秋という事で九酔渓を通り、いやというほど色付いた山を見た。

色とりどりの車窓を横目に数年前走った「栃木・いろは坂」を思い出した。

あの時は走ったというよりも動かない箱に乗っていたという方が適当ではなかろうか。

その日、景色は色付いていたが凄まじい渋滞で、車の進む速度たるや、多分、春のハイハイに追い越されるほどであった。

強烈に眠くなり、

(寝ちゃいかん…)

自分の頬を叩くのだが、睡魔に勝てず寝た。

俺は運転手だった。

ガクンと落ちた顔がクラクション部に激突し、ブーッと鳴った。

「うわぁ、寝てしまったばい!」

俺は大袈裟に驚き、隣の友人(男)を見た。

すると、隣の友人はグッスリ寝ていた。

何だか強烈に腹がたった。

「お前が行きちゃーって言うけんが連れてきたんだろがー!」

口を尖らせて言ったが、友人はうんとすんとも言わず眠り続け、その代わり、寝っ屁をふっってくれた。

今、なぜだかその事が思い出され、不思議に微笑ましく思われた。

(関東に比べると、こちらの観光資源は裕福でゆとりがあるなぁ…)

しみじみそう思い、快適なスピードで湯布院に着いた。

道子は偶然にも寝なかった。

それどころか、少しの間違いだけで道案内をし、無事、旅館の駐車場に着いた。

「散策だよー、散策ー!」

道子は滝の時と違ってウキウキになり、軽い足取りで旅館に荷物を預けると、すぐさま踵を返して湯布院の街中を歩き始めた。

雨は降り続いていた。

が…、道子には関係ない。

「まずは飯を食うぞ」

俺が言うと、

「はいっはいっ」

実に調子よく、

「あそこのカレー屋が美味しいって書いてあった、あっ、あそこは本に載っていたパン屋だ」

などと、俺の前をスキップの調子で歩き始めた。

道子は湯布院という街を知り尽くしているかのようであった。

現に、凄まじいまでの時間をかけて本を読み漁っていたので、知っているのは当然で、俺は全てを道子に任せた。

道子の後ろに引っ付いて歩いた。

数キロ歩き、湯布院駅まで行った。

そして、ちょっと戻り、本が薦めているという定食屋に行った。

が…、定休日で、道子はまたその辺をウロウロした。

俺は要領を得ない道子の行動に、

「はよすっばい、腹が減ったぞ、どこに行くんや?」

問うと、道子もどこを行けばよいのか分からなくなってきたらしく、

「もぉー、知らないよー、福ちゃんが案内してよー」

パニックになり、そんな事を言い始めた。

「なんや、お前が主導で案内するって言ったろが!」

「知らないよー、知らないっ!」

「知らんてあるや! お前が調べた店に案内せんや!」

「もぉ、いいよ、その辺の店に適当に入ろうよぉー」

「なんでや!」

しまいにはヤケッパチになった道子と湯布院の街で喧嘩をした。

道子は雨の当たらない場所で持ってきた本を読み、

「じゃ、蕎麦屋に行く」

そう言って歩き始めた。

これが凄まじく遠かった。

風も強く、雨は横降りになった。

(くっそー、なんで蕎麦ごときのために、こんなに歩かんといかんとやー!)

道子の無計画さに憤りを覚えたが、それはA型とO型の違いであろうか。

30分ほど苛々したが、蕎麦を食ったら怒りは消えた。

「美味い!」

「はぁー、幸せー!」

観光地らしい値段の蕎麦だったが、実に美味く、そして豪勢だった。

昼間っから焼酎やビールを飲みながら、次から次に出てくる蕎麦コースを平らげた。

それから後は本格的に散策をした。

道子が言うカフェ、俺が言う喫茶店に入ったり、雑貨屋、土産物屋を回った。

道子は女物の雑貨屋へ入るたび、

「何で入らないんだよー!」

俺に問うてきたが、男が髪飾り屋などの類に入れるわけがない。

(少しは男心を考えろ!)

涙ながらにそう思いつつも、

(付き合ってやらねば!)

そうも思い、入ろうと試みたが、入口に張ってある「いらっしゃいませ」の字が妙に丸文字だったり、奥に見えたのがメルヘンチックな置き物だったりして、

(駄目だぁー!)

一歩入ったところで急旋回するに至った。

ただし、父親という立場でなら別。

最近の春は「わんわん」「にゃんにゃん」そう言いながら犬と猫に興味を示す。

なので、そういう類の人形は避けようと思わないのだ。

(これは春にいいかな?)

そんな事を思いつつ、女的場所であろうと立ち寄ってしまう。

恐ろしい話だが、これこそ親父たるが所以であろう。

さて…。

一通り散策を終え、旅館に入ったのは午後四時を回った頃であった。

友人の彼女が念を押すだけあって、なかなか粋なつくりで、ニワトリの糞、その香りが素敵に漂っていた。

構成は離れの部屋が二部屋あり、住居用の一棟に和室と洋室、それに受付と露天風呂と飯を食うところが含まれる別棟がある。

これらの中央に立派な日本庭園があり、ニワトリが放し飼いで飼われている。

俺達の部屋は洋室であった。

別に洋室が好きというわけではなく、単にそこが安いからであった。

俺と道子は、案内された部屋で30分ばかりゴロゴロし、それから露天風呂へ行った。

風呂入口の前にはビールサーバが常設されており、なんと風呂に持ち込んで良いナイスサービスだ。

なみなみ注いで湯船で飲んだ。

むろん、このような飲み方をすれば、知らぬ人との会話も弾む。

「どこから来られた? あー、あんたも熊本、それは奇遇ですなぁ」

60歳手前のオッサンと妙に仲良くなった。

オッサンは、この旅館に泊まるのが十数回というベテランらしく、

「湯布院に、これだけ安くてサービスのいい旅館はなか」

そう言い切った。

そして、

「泉質だけがねぇ…」

しきりと湯の臭いを嗅ぎながら、

「湯布院の湯は水道水と変わらんもんねぇ」

残念そうに言った。

オッサンは趣味が温泉で、全国の温泉に入りまくったと言う。

当然、泉質の話題にも詳しく、

「単純泉は普通の水とほとんど変わらん、これよ、このお湯」

目の前のお湯をバチャバチャと叩いた。

その代わり、俺が山鹿から来たと言うと、

「山鹿とか菊池のお湯はラジウム泉の中でも素晴らしい湯だけんねぇ、あそこから来たんだったら、このお湯は温泉っちゃあ言えんばい」

そう言って笑ってくれた。

事実、湯布院の湯は臭いこそ変な臭いがするものの、温泉って感じはしなかったし、後ろでボイラーの音がしているのが気になった。

また、湯船に吸い込み口があり、循環式っていうのも気になった。

「循環式が普通。垂れ流しが常識になっとる山鹿の湯は特別ばい」

オッサンの言う一言は、俺の地元愛を更に高めてくれた。

「山鹿よかとこ、また来てくださーい」

何だか観光組合から派遣されたような言葉を残し、オッサンと別れた。

さて…。

風呂から上がり、外でビールを飲んでいると道子が上がってきた。

道子の方でもオッサンの嫁さん、つまり俺から言えばオバサンが入ってきたらしく、長々と話をしていたようだ。

「どんな話をしたんや?」

聞くと、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに道子は話し始めた。

「それが凄い笑えるんだよー、あのオバサンー。男みたいにバサッバサッて服を脱ぐの。それでねー、私が先に上がってね、オバサンが脱いだものを見たら、籠からあふれてるんだよー。豪快だよー、ちょー笑えるー」

道子は一人爆笑し、手ぶりを交えてそう言った。

何が笑えるのか、俺にはサッパリ分からなかった。

それからすぐ、夕食に入った。

メインは地鶏鍋という事で、他にも、それだけで腹いっぱいになりそうな小皿が所狭しと並んでいた。

ここまで案内してきた男が料理の説明を始めた。

「秋の五種盛」という前菜、造りは鰻の焼霜造り、山女の塩焼き、その他諸々、詳しく説明してくれたが、見事な料理を前に説明を聞く気にはならなかった。

男がいなくなると同時に食い始めた。

大満足の量と味だった。

後から飯だのデザートだのが出てきたが、その時点で腹はいっぱいいっぱいであった。

道子などは、

「もぉー絶対に食べれないよー」

そのような事を言っていた割には、巨峰ジェラードなるデザートを二人前食った。

俺も「食えん食えん」言いながら、飯を鍋にぶち込み、雑炊にして食った。

当然、

「部屋に戻るか?」

「うん…」

言い合った時には、戻りたいが動けない事態となった。

這うように動きながら部屋に戻り、ベットにバタンキューで倒れた。

スナックだのバーだのに行くつもりであったが、とてもとても動けなかった。

三時間ほど休息した。

それだけの時間を横になって過ごし、やっと二足歩行が普通にできる状態となった。

「行くか? せっかくだし」

「うん…」

やる気満々という感じではなかったが、このまま寝てしまうには惜しい時間だったので、俺達は外へ出た。

午後10時前であった。

雨は緩む事なく降り続いている。

俺と道子の格好は浴衣に下駄、それで旅館の傘を差すという、実に温泉街にお似合いのそれであった。

が…、それを見てくれる人は誰一人としていない。

この辺は街の外れで街灯がなく、一寸先も見えぬほどに真っ暗な場所だったのだ。

足元には大きな水溜りが出来ているが、それも見えない。

足をびしょびしょに濡らしつつ道子の案内するバーまで歩いた。

道子が持つ本によると、そのバーは由布岳が一望できるバーで、水曜などはプロジェクターによる映画の上映があるという。

が…、訪れた時刻が閉店30分前で映画などはやっておらず、由布岳は夜で見えるはずもない。

普通のバーに成り下がっていた。

更に、あろう事か焼酎がなかった。

ゆえ、俺と道子は一杯ずつカクテルを飲むや逃げるように店を出た。

出発が遅いので時間はない。

「次行くぞ、次!」

と、汚れた足をまた水溜りに浸して急いだ。

この辺も湯布院にしてみれば街の外れである。

明かりといえば今行ったバーと前にあるスナックのみであった。

スナックは表を見た感じ、俺の好みでない。

多分、年増のママが営む11時閉店の場末スナックだろうと思われた。

時間は10時30分を回っていた。

普段の俺であったら、間違いなくココを素通りし、遠くとも街中へ行ったであろう。

が…、雨脚は強く、隣には道子もいた。

なので、

「一人2000円で飲ませてくれるなら入ろう」

そういう風に決め、スナックへ向かった。

と…。

ちょうどスナックから予想通りの年増ママが出てき、俺と目が合った。

「あら…、入られます…?」

「一人2000円なら」

「あなた、何か食べる?」

「いいや、飲むだけです」

「だったら大丈夫、どうぞ」

ママの服は真っ赤で、店内も赤が基調だった。

平日で、更には雨という事で客がおらず、閉めようとしていたところだったらしい。

俺は芋焼酎のお湯割を頼み、道子はカクテルを頼んだ。

俺達はカウンターに座り、ママと向かい合うかたちで飲んだ。

ママは猛烈に喋る人物であった。

閉店の12時までいたのだが、そのほとんどをママが喋った。

内容は湯布院町長が捕まった話から湯布院にヤクザがいない話へと流れ、なぜか菊池温泉の話、それに先日長崎から来たソープ嬢一行の話へ移り、どれもなかなか面白かった。

その中の一つ、ソープ嬢の話をここに書き出そう。

数日前、長崎のソープ嬢一行が慰安旅行という事で湯布院に来たらしい。

宿は一泊45000円からの高級旅館に泊まっているという事で羽振りはいいらしく、

「とにかく美味い酒を飲ませて」

そう言ってきたという。

ママの営むこのスナックには高い酒などはなかったので、今、俺が飲んでいる芋焼酎を出したらしい。

すると、

「あら、美味しい」

ソープ嬢はそう言い、あれよあれよという間に凄まじい量の焼酎が空いたそうな。

(よく飲むわねぇ…)

感心して見ていると、今度は、

「ママさーん、脱いでいいー?」

と、騒ぎ出し、ママの合否を待たずに脱ぎ出したのだという。

ソープ嬢は集団でスッポンポンになった。

「その場に男はいたんですか?」

当然ながら俺がその事を問うと、彼女達の引率として若い男がいたという。

多分、呼び込みの男か店主であろう。

が…、その男も女達が脱ぎ始めるや、

「僕は一足先に帰ります」

と、金を多めに払って帰ってしまったそうな。

スナック内は凄まじい状況となった。

女だらけの店内で服を着ているのはママだけという、俺に言わせれば、

「なぜ、呼んでくれないのですか?」

そう言いたくなる絵である。

彼女達は全裸で歌を歌い、酒を飲み、そして閉店の時間になると服を着て、

「ありがとうございました」

そう言って、まだ開いている店をママに紹介してもらい、次へ行ったという。

翌日、ママは紹介した店のマスターに電話を入れ、

「彼女達、脱いだ?」

その事を聞いたらしい。

すると、知り合いのマスターは大声で笑った後に、

「まいったよー」

そう言い、一呼吸置いて、

「脱ぐもなにも、脱いだ状態で入ってきた」

そう答えたそうな。

「変わった人が世の中にはいっぱいおるねぇ」

俺とママはそう言い合い、焼酎をグビリと飲んだ。

ちなみに、道子はカクテルを一杯だけ飲むと、それ以上は飲まなかった。

半ば眠りかけながらママの話を聞いており、俺が何かを話し掛けると、

「あ…、何?」

半分だけ開いた目でそう答えた。

意識は既にベットの中にあったようだ。

とりあえず、閉店の12時まで飲み、帰る事にした。

帰り際、

「4000円でしょ?」

ママに問うと、どういう計算かは分からないが、

「1600円」

という、素敵なプライスが返ってきた。

二時間スナックにいて一人800円だった経験は今までにない。

もしかしたら、俺と道子の風貌を見、

「明らかに持ってない」

察してくれての値段かもしれない。

翌朝…。

目覚めると7時であった。

ニワトリの声で目覚めた。

昨晩は帰るや風呂に入り、それから馬鹿番組を見て寝たので、2時過ぎの就寝になった。

道子を起こし、

「やっぱ、和室の方がええね」

そのような感想を述べつつ風呂へ行き、そのまま朝飯を食った。

朝飯も品数が多く、なかなか手が凝っていて8000円の宿にしては良かった。

隣で飯を食っていたのは、昨晩、風呂で知り合った夫婦で、

「あなた達、子供を預かってくれている親に感謝しなさい」

そのような話を永延とされた。

また、「食は大皿に盛る」がモットーの道子が、

「こういう小皿で出すのもいいですねぇ」

と、心にもない事を呟いたのに対し、

「旦那さんは飲まれるんでしょ。だったら、小皿でちょっとずつツマミを出してあげるの。栄養バランスも良くなるし、旦那さんにも喜んでもらえるわよ」

オバサンがそう突っ込んだ。

道子は無言になり、

「あー、この豆腐は美味しー」

などと、必死で話題を変えようとしているのが俺には笑えた。

さて…。

それからは、急ぎ山鹿に戻らねばならなかった。

母ちゃん(恵美子)が一人で春を預かっているからだ。

街中で土産物を買い、旅館の人が絶賛していた隣の高級旅館、その紅葉を見て(写真)、すぐに湯布院を離れた。

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母ちゃんには「午前中には帰る」そう言ってあった。

が…、やまなみハイウェイは凄まじい霧で覆われており、法定速度も出せない状態であった。

更に、先頭を走るのが紅葉マークを付けた軽トラックで、時速30キロ以下、長蛇の列をつくりながらノロノロと進んだ。

これにて午前中に帰れない事は決定した。

霧は阿蘇の入口・三愛交差点に入っても晴れなかった。

阿蘇へ入れば、更に霧が濃くなる事が予想される。

そういう事で、そこから右折し、黒川・小国を通って帰るルートを選択した。

はっきり言って遠回りで、途中、幾つも観光地があり、誘惑もされる。

地図を見ると、もう少しだけ遠回りすれば「鯛生金山」という東洋一の金山(現在は閉山し、博物館になっている)に寄れる。

「よし、遅れるついでだ。寄っていこう」

そういう流れで母ちゃんに電話を入れ、鯛生金山に寄り道をした。

500円くらいの入場料だろうと思っていたら、1000円も取られた。

が…、道子に言わせると、

「なかなか楽しかったよー」

との事で、1000円の価値はあったようだ。

ここは、何を展示しているところなのかというと、金山の採掘現場をロウ人形で再現してあるところだ。

坑道がそのまま残っているので、そこを歩きながら、発掘の方法、現場の雰囲気などを知る事ができる。

また、オバケ屋敷として楽しむ事もできる。

暗い坑道のあちこちに精巧なロウ人形が立っており、それがとても怖いのである。

ちなみに、ここの名物は二尾一億円もする純金製の鯛で、それがコースの最後に鎮座している。

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さすがに一億円と言われると、見入ってしまうものがあるが、そう長く見れるものでもないし、俺に言わせれば1000円という入場料は高過ぎると思う。

が…、道子が良いというのだから、金が好きな人には良いのだろう。

ちなみに、この外にはここ中津江村の土産品が売ってあり、その半分は金山に纏わるグッズ、もう半分はカメルーンに纏わるグッズであった。

ここ中津江はワールドカップの時、カメルーン合宿の地で、それを相当誇りにしているようだ。

歓迎の垂れ幕は未だ残ったままだし、至る所にカメルーンの国旗が見られた。

笑える点もあった。

「坂本村長(中津江の村長)のカメルーン奮闘記」なる本が土産物の中に並べられており、その脇に遠慮気味に「ベストセラー」と書かれていたのだ。

これにはつい、

「何冊くらい売れたのですか?」

店員に聞いてしまった。

店員は、

「売れてるところを見た事があります…」

そう言った後、しばし沈黙した。

それも笑った。

さて…。

長々と書いてきた湯布院の話もやっと終わりを迎える事になる。

右のスクロールバーを見ながら、

(ああ、やっと終わりそうな…)

そう思っている人も少なくあるまい。

鯛生金山を出ると凄まじい山道を抜け、山鹿の隣・鹿本町に下りた。

それから平坦な道を山鹿方面に向かうと終点・福山家実家で、着いた時刻は午後3時数分前であった。

約3時間の遅刻である。

車が家の前に着くと、母ちゃんは墓の砂利石で春を遊ばせており(福山家の前は集団墓地)、俺達を見るや安堵の笑顔を見せた。

「春ちゃーん、やっとパパママが帰って来たばーい」

そう言って春を離した。

母ちゃんの手元を離れた春は、俺と道子の元へ全力で走って来、俺達は、

「春ー、こっちー」

「春ちゃーん、こっちだよー」

それぞれが一日ぶりの春を求めた。

春は最初、道子の方を目指して走っていたが、俺の強い愛情を察してか、方向を変え、俺に飛びついて来た。

「ギューギュー」

そう言いながら、俺に抱きついてきた。

その時の道子の悔しそうな顔といったら、もぉー、写真に撮って、皆に見せてあげたいくらい凄まじい形相であった。

母ちゃんは「いかに私が春の面倒を見続けたのか」その事を父ちゃん(富夫)が何もしなかったという事を引き合いに出し、懇々と語り続けた。

「ありがとうございます、ありがとうございます」

道子は頭を下げながら、

「また、次もよろしくお願いします」

抜け目なくその事をお願いし、同時に自分を慰めるための問いかけも投げた。

「夜は春が泣いて大変だったでしょー?」

春が俺に抱きついたので、どこかに救いを見出したかったに違いない。

「寝るのは私でないと駄目なのよ」そう言わんばかりの道子の問いかけであった。

母ちゃんは、ちょっと迷った仕草を見せた。

が…、一瞬、開き直った顔を見せると、

「普段といっちょん変わらんかった」

そう言った。

更に、母ちゃんは道子に追い討ちをかけるかの如く、こうも言った。

「おばちゃんが電話してきてね、春ちゃんが普段と変わらん事を伝えたら、それは道子さんに言いなさんな、愚図ってしょうがなかったって言いなさいって言わすとたい。なんでって聞いたら、親の立場があるでしょうって。でもねぇ、嘘ばつくのもいかんけんねぇ…」

道子の顔色は明らかに優れなかった。

少しだけ時間を置いてから、

「それは…、ちょっとだけ寂しいですねぇ…」

そう言っていたが、明らかに「ちょっと」の顔ではなく、道子はむかついていた。

(うわぁ!)

道子のマジな顔は、はっきり言ってチビリそうなくらいに怖かった。

(この時、道子の中にどんな思いが蠢いていたのか…?)

それは俺の知るところでないが、多分、男という生きものの想像を絶する凄まじい怨念が蠢いていたのであろう。

今年の秋は色々な意味で何だか暑い。

 

〜 終わり 〜