悲喜爛々36「古巣にて」

 

 

1、その違い

 

前回の悲喜爛々「長州など」が長過ぎるという批判を山のように頂いた。

それもそのはず、活字に慣れていない人が読めば、優に1時間以上かかる文量なのだ。

反省し、今回は小出しに載せる事にする。

また、今回の悲喜爛々は、史跡などを紹介した前回と違い、比較的「感想」にウェートを置いている。

ゆえ、多少は読み易いかと思う。

何かしら感想をいただければありがたい。

さて…。

久々に関東へゆく事となった。

予定では来年早々にゆく予定であったが、

・ 義姉と義母の春を求める声が並々ならぬもの(執拗)であった事

・ 二月に義母実家の出雲で法事がある事

・ 航空券が格安であった事

これらにより、旅立ちが一ヶ月ほど早くなった。

航空券は新参者の「スカイネットアジア」で買い求めたため片道8500円で買えた。

年末年始に片道25000かかる事を思えば、まさに破格といえよう。

俺は出発の二ヶ月前の時点で航空券を買い、関東での予定も立てた。

思い立った時に予定を立てねば気がすまないのだ。

それから、関東行きの事を綺麗に忘れた。

二ヶ月間を前の悲喜爛々にも書いたように旅行へ行ったり執筆活動・読書で過ごし、出発の二日前には友人の結婚式に出た。

(まだまだ先の話…)

そう思われた二ヵ月後も、色々な事をやってるとアッという間にくるもので、実に慌しく出発の日(12月8日)を迎えた。

空港までは富夫に送ってもらった。

その日、富夫は何か用事があるそうで、

「早く出るぞ、時間は空港で潰せ」

との事で、俺達は出発の2時間以上前に空港へ着いた。

たっぷりの時間を空港という小さい世界で潰す事は子連れにとって容易でない。

が…、新参者のスカイネットアジアは、俺達のチケットが8500円であるにも関わらず、前の便に乗せてくれるというではないか。

「素晴らしい会社ばい」

俺が言うと、道子は、

「でも、スチュワーデスはブスだよー」

意味は分からないが、そのような事を言った。

が…、実際に乗ると、ブスでもない普通のスチュワーデスで、対応も良かった。

また、このスカイネットアジアは大手航空会社と違い、茶菓子も出す。

それも熊本の名産品を月替わりで出すのだ。

先月(11月)は七城メロンゼリーで150円もするものだったが、今月は天草の黒糖ドーナツであった。

「ハズレ月ばい…」

そう言いながら食ったが、なかなかどうして黒糖ドーナツ、美味く、春などは泣き叫んで欲するほどであった。

また、子連れの人にはスカイネットアジア航空のシールもくれる。

これは大手航空会社と比べると格段に落ちるが(大手は玩具をくれる)、まぁ、8500円という値段ゆえ、しょうがない事だろう。

が…、空港での待遇には憤りを感じた。

「空港に!」

である。

熊本ではいいのだが、羽田においては滑走路の奥深く、

(どこまで行くのか…?)

そういうところで降ろされ、そういうところから乗せられる。

バスで移動するのであるが、まさに滑走路の果ての果てまでゆくのである。

それに羽田でのブースが、それこそ縁日の屋台みたいな感じで、思わず、

「焼き鳥ちょうだい」

そう言いたくなる惨めさだ。

ちなみに、この屋台の前に、一時期日本を沸かせた「エアドゥー」(北海道と羽田を結んでいる)のブースがある。

これは屋台っぽくない。

きちんとカウンターの列に並んでいる。

それを見ると、何だか「エアドゥー」も笑っている気がして寂しさに拍車がかかるのである。

現在、スカイネットアジアは宮崎と熊本を羽田と結んでいる。

乗車率は70パーセントで、他の航空会社に比べると断然いい。

が…、値段設定が格安なのを受け、利益の出るラインが65パーセントと非常に厳しい。

是非、熊本や宮崎へ行かれる方はスカイネットアジアを使って欲しいと思う。

なぜ、俺がこれほどまでにスカイネットアジアを推すのか。

それは、

(いじめられている人を守りたい…)

その気持ちに似ているような似てないような…、そんな感じである。

さて…。

快適なフライトで羽田におりたわけだが、それからが実に大変であった。

飛行機が下りる時、耳に違和感を覚えた春は泣き出し、そして暴れ始めた。

それを必死で押さえる事20分。

やっと着いたかと思えば、今度は電車で春日部までの移動、それが丸々2時間である。

昼間の比較的すいている時間とはいえ、そこは首都東京。

久々の人込みに俺はグッタリ人酔い。

春も何やらグッタリし、俺が抱いていないとグズる(道子じゃだめ)。

普通なのは道子のみである。

ちなみに人酔いというもののメカニズムは他人への興味から起こるものらしい。

つい通行人を見てしまい、視線が定まらない事によって起こる。

つまり、日頃他人を見慣れていない田舎者にこそ顕著に現れる症状なのだ。

関東での5年以上の生活で完璧に都会化した俺の体は、半年足らずの熊本生活で元に戻ってしまったようだ。

通り過ぎる人々を、

(畳の淵みたいな服やねぇ…)

(おっ、内股の男を発見!)

と、つい見てしまうのだ。

それに、聞きなれているはずの関東弁が妙に耳につく。

「それでさぁー」の「さぁー」に、いちいち、

(さぁー?)

反応している俺がいるのだ。

この症状は九州から関東へ出てきたばかり「21歳の頃の俺」と同じである。

そういうわけで、凄まじい数の情報は、俺の目から耳から否応なしに入ってき、春日部へ着く頃には俺も春もヘトヘトになったわけである。

何もしていない。

ただ電車に揺られていただけなのに疲れた。

これは田舎というところの時間が、

(いかに静かに流れているか…)

その事なのであろう。

 

 

2、義父の言葉

 

その日…。

道子実家に最も近い一ノ割駅をおり、

「昼飯ば食べとらんけん、ラーメン食ってから行くぞ」

と、春日部を中心に展開しているラーメン屋を目指していると、偶然に義母と会った。

義母は見慣れた赤いダウンジャケットを着ており、手には林家パー子が愛用してそうな明るいピンクの手袋をしていた。

それで手を振っていたので、パントマイムをしている人かと思ったら義母であった。

はっきり言って、遠目にも目立った。

義母は今日の準備という事で、買い物の途中らしく、

「ラーメンに付き合いませんか?」

問うたところ、

「いいだわぁ」

即答で断り、

「昨日、窓を開けて寝ちゃったから風邪ひいただわぁ」

「今、病院で喉薬を塗ってもらってきたところだわぁ」

「熱が38度あるだわぁ」

それらを関東風の出雲弁で一気に説明してくれた。

義母は前日までタイ旅行へ行っており、昨晩帰ってきたのだ。

タイは暖かかったのであろう。

同じ感覚で窓を開けて寝たのではなかろうか。

「もぉー、春ちゃんと会う日に…、まいっただわぁ…」

義母はそう言って項垂れ、

「風邪がうつるといけないから、春ちゃんに近寄らないだわぁ」

悲しそうにそうも言ったが、俺達がラーメンを食い、実家へゆくと、

「春ちゃーん!」

叫びながら春を抱き締めていた。

「近寄らない」と言いながら近寄らずにはいられない、その義母の抑えきれない感情が実に微笑ましかった。

ちなみに余談となるが、ミスチルの「オーバー」という歌で、

『風邪がうつるとー、いけないからキスはしないどこって言ってたー♪』

この歌詞の次に、

『考えてみるとー、あの頃から君の態度は違ってたー♪』

そういう歌詞が続く。

これは萎え始めた相手の心情を見事にとらえた素晴らしい歌詞だと思う。(俺は特にそういった方面に関しては敏感)

感情が燃えている時に、

「僕、風邪ひいているからキスしない」

そんな冷めた事が言えるはずないのだ。

燃えているならば、風邪をひいていようとも雪の降る校庭で裸になり、

「ウォンチュー、キスー!」

そう叫ぶのが普通であろう。

何が言いたのか?

つまり、義母が「近寄らない」と言いながら迷わず春を抱き締めた。

それは気持ちが冷めていない証拠なのだ。

(うんうん…)

俺はオカマっぽく大袈裟に頷きながら、その光景をしんみり眺めた。

ところで話はまたも変わるが、義母の趣味は旅行で、その頻度は半端でない。

義母の実家へ行くと、まず目に付くのはテレビの上に並べられた置き物である。

ズラリと横一列に並んでおり、もう置くスペースがない。

義母は、

「海外旅行へ行ったら置き物を買ってくるだわ!」

そう決めているらしく、並べられた個数が義母の海外旅行数なのだ。

義父が亡くなる前の義母は、

「海外旅行なんて考えられないだわさ!」

道子と義姉の話を聞くに、そういう人だったらしい。

が…、変わった。

不思議に思っていると、NHKで次のような統計を話していた。

パートナーがなくなった場合、男は家にこもりやすいらしい。

が…、女は数週間、長くて三ヶ月も経てば全てを忘れるらしく(あくまで統計)、それからは、

(こんなにイキイキした奥様を見たのは初めて…)

周囲にそう思わせるほど活力あふれる人に変貌するのだという。

義母実家での夕食の際、

「俺が死んだら、お前は旅行に行きまくるんだろねぇ」

道子にそう言ったところ、

「福ちゃんがそれなりの遺産を残さないと、それができないんだよぉー!」

凄まじい剣幕で怒鳴られ、義母にも、

「そうだわー、その通りだわぁー」

激しい相槌をうたれ、その後、食卓の話題をかっさらった。

無職の俺が急に無言になり、

(言わなきゃ良かった…)

強烈な舌打ちを見せたのは言うまでもない。

さて…。

この日は道子の友人の猪狩という女史が義母宅を訪れている。

めったに女性を敬称で呼ばない俺が「女史」と書くだけあって、この猪狩嬢はそういう感じの格式高い性格の人で、俺と道子を引っ付けた張本人でもある。

前にも書いたように、大阪で前会社同期にコンパを開いてもらい、偶然に現れた埼玉人が猪狩嬢である。

その猪狩嬢、道子の友人にしては珍しい一人身で、それとなく好みの男性像を聞いたところ、

「む!」

思うところがあった。

高専時代の友人・大崎氏がそれにピッタリはまるのだ。

キューピット役をこよなく愛している俺としては動かずにいられない。

すかさずコンパを催すべく段取りし、その余波で他の連中にも「お裾分け」ができるよう幅広い手配をした。

ちなみに猪狩嬢、何やら体が薄くなっており、その原因を問うたところ、

「三ヶ月で12キロ痩せたんだよぉー」

との事で、マイクロダイエットというハイテクで高価な方法を用いたそうな。

義母は、

「羨ましいだわぁ」

そのような事を言った後、

「福ちゃんもやらないとねぇ、がっはっはっは、ウガッ」

特有の笑い声(最後に鼻が鳴る)を発し、二階に引き上げていった。

熱は引いたようだが、用心のために早く寝るという事であった。

さて…。

猪狩を交えての酒宴は午後11時まで続いた。

久々の飛行機、電車で俺達も体が重くなっていたし、猪狩も、

「明日は普通に仕事だから」

という、意味深なメッセージを残して去って行った。

「普通に」の部分は俺へ宛てた皮肉であろう。(確信)

道子が先に寝、俺は最後に寝た。

一人焼酎をチビチビやりながら、義父の遺影に杯を向けた。

「義父さん…」

呟きながら心の中で、

「乾杯」

そう言った。

その瞬間、義父の薄く笑っている遺影が、苦笑に変わった気がした。

「はい」

俺はそう言って頷いた。

「お前も頑張れ」

義父が、しみじみそう言っている気がしてならなかったからだ。

春日部の夜は熊本の夜よりも暖かく、お湯割よりも水割りの焼酎が似合いであった。

俺はそれの氷をカラカラ鳴らし、部屋をグルリと見回した。

テレビの上に並べられた置き物が目に付いた。

「義父さんは頑張ったなぁ…」

そう呟き、一気に焼酎を飲み干した後、

「福ちゃんが遺産をたっぷり残してくれたおかげでエンジョイ、エンジョイ!」

そう言いながらハワイのビーチを縦横無尽に走り回る道子の絵を思い描いた。

(むかつく…)

瞬時にそう思った。

この事は、

(俺がまだまだ若い…)

多分、その事なのであろう。

一人の夜ほど俺のハートはよく燃える。

(まだ、死ねない…)

冬なのに、今日の俺は何やら熱い。

 

 

3、ニワトリ小屋

 

日は一日経って12月9日になっている。

この日の正午くらいに義姉が来た。

「春ちゃんに会うために休み取ったよー」

との事で、今日は丸一日、福山家と行動を共にするらしい。

まずは、

「これを先に…」

という事で、義父の墓参りに行った。

それから、春日部のランドマークであるロビンソン百貨店に行き、義姉と共に昼食をとった。

義姉は俺が言うのも何だが口が悪い。

物事をズバリと言いたい性格なのだろう。

同じくズバリと言いたい俺とよく衝突する。

また、義母、義姉、道子、どれをとっても排便の話が大好きで、この3人はその類の話が飛び出すと妙にイキイキする。

俺はその手の話がどうも苦手だ。

食事中に排便の話を露骨にしながら、

「美味いだわぁ、これ」

「美味しいよぉー」

「うん、いけるね」

そう言い合っている三人を見、

(その話をしながら、よくカレーが食えたもんだ…)

感心した事、一度や二度ではない。

中でも、義姉が最もその話題を愛している。

ゆえ、食卓に義姉がいると、

(心の準備をせねば…)

身構えてしまう俺がいる。

また、義姉から見ると、無職の俺は突っ込みどころ満載なのであろう。

しきりと、

「就職、どうするの福ちゃんー?」

「駄目だよー、みっちゃんと春ちゃん泣かせたらー」

「どこに住んでもいいんだから春日部に住みなよぉー」

そういう言葉を遠慮なしに放ってくる。

が…、それは覚悟の上だ。

「頑張ります」

その一言で、俺は場を乗り切った。

ところで…。

ロビンソン百貨店に行っても俺はやる事がない。

女の中に男が一人で子供服売り場などを歩けるものでもないし、興味もない。

道子らにしても俺がいては邪魔だろう。

と、いう事で、

「小遣い…、ちょうだい…」

道子にせがみ、4000円という大金を受け取り、パチンコ屋へ向かった。

金を貰う時、

「もったーいなーい」

横から義姉の声が聞こえたが、聞こえないように努めた。

結果は…。

「もったーいなーい」

またも義姉に言われる最悪の結果に終わった。

「早過ぎるよぉー、信じられないー、4000円で1時間だよぉー」

けちょんけちょんに罵られたが、4000円で1時間というのはもった方だと思う。

これはパチンコをやる者しか分からない感覚だろう。

それから、道子達は女性服売り場へ向かうとの事だったので、俺はロビンソン横の古本屋で時間を潰した。

時間を潰すだけのつもりが、

「おっ、これも100円、あれも100円!」

その品揃えと価格の安さに、つい23冊も文庫本を買ってしまった。

やはり人口の違いなのであろう。

品揃えが極端に違ったのだ。

ロビンソンを出てきた道子に金を払ってもらい、それから道子実家へ行くと、時計は午後5時を回っていた。

この日の夜は、俺のみが高専時代の友人・後藤の家に泊まる事になっている。

前の悲喜爛々でも書いたが、後藤という男は極端に熱い奴で、まだ結婚半年の新婚さんでもある。

(無駄に熱い奴が、どういった新婚生活を送っているのか…?)

気になるところでもあった。

道子実家で風呂だけ入り、道子らに見送られて6時前には家を出た。

最寄の駅は新座だという。

それから5分で後藤の家に着くそうな。

俺はてっきり「駅から徒歩5分で家に着く」そういう風に思っていたのだが、後藤はバイクで駅に現れるや、

「乗れ」

そう言って、俺にヘルメットを渡した。

それから5分とはいわないだろう、10分くらいバイクの後ろで凍えた。

バイクで10分といえば結構な距離である。

手袋をはめていないので、手が寒いを通り越して痛くなった。

この事を、

(懐かしい…)

俺はそう思った。

学生の頃は、後藤や長さんのバイク、その後ろに何度も何度も乗ったものだ。

ふと、このバイクがらみの思い出として「後藤に捨てられた事件」を思い出した。

それは高専4年の時だったから、俺が19歳の時である。

授業をサボり、

「パチンコ行くぞ」

「いいねぇ」

と、俺と後藤はそれぞれ原付に乗り、学校を飛び出した。

俺が先頭を走り、後藤がその後ろを走った。

そして、俺は後藤が見ている目の前で左折してきた車に巻き込まれ、救急車で近くの病院へ運ばれた。

「おぉー!」

後藤は実に楽しそうな顔で事故った俺の顔を覗き、

「俺、先に帰るけん」

去ってしまったのだ。

結局、病院で検査を受けたが脳への損傷もなく、かすり傷と軽い打撲程度で大した事はなかったのだが、精神的ショックは大きかった。

後に聞いた後藤の足取りがその精神的ショックを更に大きくした。

(友情とは何ぞや?)

軽い人間不信に陥った。

後藤は俺が事故った後、急ぎ教室へ戻ったらしい。

そして、

「みんな聞けー!」

と、皆を集め、その一部始終を誇らしげに語った。

それから、

「よし、パチンコ行ってくる!」

と、俺ではなく、他の奴と一緒にパチンコへ行ったのである。

病院から戻ってきた俺を、級友達は、

「お疲れ!」

そういう風に意味深な笑顔で迎えてくれ、一切、俺に説明の場を与えてくれなかった。

事故れば、その事を話したくなるのは人の常であろう。

が…、後藤が事細かに話していたため、それを皆が知っているのである。

後藤には三つの罪がある。

1、事故った俺を置き去った罪

2、それからパチンコへ行った罪

3、全てを俺が話す前に話した罪

(今も後藤はそれを憶えているだろうか…)

そんな事を思いながら、久しぶりの後部座席を楽しんだのである。

さて…。

後藤の家であるが、本人が、

「ニワトリ小屋にいるような錯覚を覚える」

そう呟くように、凄まじい数の世帯が住める、上にビューンと伸びたマンションであった。

駐車場はそれらのマンションに囲まれた真ん中にあり、そこから視線を上に移すと、異様に狭い空が見える。

後藤の部屋は、会社の人がマンションを買い、転勤により空けざるを得なくなったところを会社が借り受け、格安で貸し出したものだという。

「子供なんか出来たら、こういう環境じゃ辛かろねぇ…」

「まったく…」

そんな事を言い合いながら中に入った。

と…、そこには真っ白いファッショナブルな世界が広がっていた。

周囲の景観も建物も近代的なだけあって、中も近代的で、且つ広い。

「部屋、使いきらんで余っとるんたいね」

後藤がそう言うように、幾つもの部屋が物置として使われていた。

また、ベランダからは都心を遠望でき、その夜景は部屋にいながらにして数千ドルの価値がある。

「よかとこに住んどるじゃにゃー」

そう言うと、後藤は、

「駅から遠いのがねぇ」

そう言って笑った。

ニワトリ小屋はニワトリ小屋でも、一級のニワトリ小屋のようだ。

後藤の嫁は俺をエプロン姿で迎えてくれ、すぐにビールを出してくれた。

「久しぶりぃー」

そう言いながら、エプロンがヒラヒラする後藤嫁を見ながら、

(うん…、道子にもこういう時期があった…)

俺は昔を思い起こした。

が…、昔過ぎて、濃い霧の中にボンヤリと何かが浮かぶのみで、その姿は浮かばない。

どうやら風化してしまったようだ。

ふと、後藤の家なのに、部屋が片付いている事にも気付いた。

後藤の実家へ行くと、まさに足の踏み場もないほど散らかっていたものだが、そこはさすがに新婚、家具などもお洒落なものが揃えられており、

「塵一つない」

そういっても過言でないほど美しく整頓された部屋であった。

後藤嫁は牡蠣鍋を用意してくれた。

更に、厚揚げまで出してくれた。

俺は無類の牡蠣と厚揚げ好きで、鍋の具はその二つだけでもよいと思っているほどだ。

「満足、満足…」

まさにその極みであった。

ちなみに、鍋を食いながら出てきた話であるが、高専時代の友人に梢という女がいる。

クラスで5人しか女がいなかったため貴重な存在なのであるが、その一人が後藤の家に泊まりに来たという。

その梢、しきりと、

「居心地んよかねぇー!」

そう言いながら、後藤が寝た後もズゥーッと酒を飲んでいたらしく、翌日の昼までいたという。

昔から凄い女だったが、今も変わっていないようだ。

競馬場にいるオヤジのような女である。

とにかく、後藤家というのはそれほどに居心地がいいのだ。

ちなみに…。

その後藤嫁、恐ろしく美人なのであるが、だからであろうか、後藤の嫁に対する態度はどう見ても亭主関白とはいえない。

日頃、その熱さを遺憾なく発揮し、

「俺は九州男児だ! どーん!」

そんな姿を見せ付けているくせに、嫁の前ではミューンとなる後藤。

彼を見てると、

(少しだけ…、俺に似ている…)

と、悲しくなってくる。

ところで…。

鍋を囲んでの酒宴の中で、後藤夫婦は、

「九州に帰りたい」

その言葉を頻繁に発した。

俺もそうだった。

上京一年目は暇さえあれば「帰りてー、帰りてー」そう言っていたものだ。

が…、一年後には、その事を忘れたように口にしなくなった。

この夫婦の都会歴は半年。

もう半年もすれば、あの頃の俺同様、何も言わなくなるであろう。

そして、一年二年と経つうちに、価値観が徐々に徐々に変わってゆき、

「この素敵なマンションをニワトリ小屋って言ったのは誰だー!」

怒る後藤に、俺が、

「お前だよ」

突っ込む日がくるかもしれない。

価値観とは固定的なものではない。

流動的なものなのだ。

(何が正しいか?)

それがなかなか分からないから、ふにゃんふにゃんにならないよう、ドーンと太い筋を持っとくべきだと思う。

俺は、嫁に弱い九州男児だが、「筋」に関してはちょっとうるさい。

明日は古巣の入間へゆく。

 

 

4、安永な日

 

新座から武蔵野線で二駅、新秋津という駅に着く。

ここで春日部から来る道子と午前9時に待ち合わせ、古巣の入間へ向かった。

新秋津から西武線の秋津駅までは徒歩5分。

そこから所沢方面に進めば入間へ着く。

家族3人が揃って入間の地を踏むのは6月25日以来になる。

別に大した時間が空いているわけではないが、なんとなく、

「帰ってきたぞー」

っていう感じがする。

木が、そこに転がっている石が、最近できたジャスコが、

「おかえり福山家ー!」

そう言ってくれているような気がする。

これは明らかに勘違いであるが、馴染みの深かった地に久々訪れた時、人はこういった気持ちになりやすい。

俺は基本姿勢として、

(プラス方向の勘違いならドンドンしなさい…)

そういう風に決めているので、そこは屈託がない。

思いっきり、

「ただいまー!」

安永氏との待ち合わせ場所である入間市駅にその声を投げた。

待ち合わせ時間は9時40分である。

安永氏が来たのは9時50分を回った時であった。

福山家はちょっと早めに着いたので20分ほど待った事になる。

道子などは、

「何してるんだろね、まったく!」

と、人を待たせるのは屁とも思っていないくせ、激しい怒気を発した。

安永氏は今日、職長という立場であるにも関わらず、会社を休んで福山家の相手をしてくれるようになっており、その上、うちらを泊めてもくれる。

その安永氏がちょっと遅れたぐらい、どうでもよい事のように思うが、道子の中には、

(あの時、世話した恩がある)

その思いがあるのであろう。

今だから明かせるが、前の悲喜爛々で「駄目人間」という長文を書いた。

あれは安永氏の事なのだ。

埼玉から熊本へ遊びに来た安永氏が堕落の限りを尽くし、5キロも太って帰っていった話である。

あの時、道子は「これでもか!」というほどに食わせて飲ませている。

ゆえ、

「多少のワガママは黙って聞きなさい!」

そういう強気でいる。

現に、事前に「泊まりに行く」という旨を安永氏に告げたところ、

「布団がない」

そういう返事が返ってきた。

これに対し、道子は、

「買え」

そういう指示を出し、事実、安永氏は布団を買った。

我嫁ながら恐ろしいとは思うが、まぁ、付き合いというものはなるだけストレートの方がいいとも思うので、あえて突っ込みもしなかった。

そういうわけで、今日の安永氏の立場は非常に悪い。

安永氏は俺達を駅で拾うや、

「どこへ行きましょう?」

タクシー調に問うてきた。

今日の自分の立場を過ぎるほど知っているようである。

俺は前々から、

「この日の予定は道子が決めろ」

そう言っていたので、

「どこに決めたんや?」

聞くと、道子は、

「ズウラシア」

そう言った。

聞けば、珍しい動物がたっぷりいるところらしく、場所は横浜にあるのだという。

「横浜や…、でも…、遊ぶ時間はあるんかね?」

動物園という点では異論はないのだが、現在、午前10時過ぎ、午後6時までに帰らねばならないとして、向こうで遊ぶ時間はあるのか。

そこが疑問に思われたので問うてみた。

午後6時過ぎからは入間時代に世話になったバトミントンクラブに出席する予定だったのだ。

道子は、しばし沈思していたが、

「わかんないよー」

そう言って悶え始め、

「福ちゃんが決めてよー」

お決まりの文句を吐き始めた。

「お前が決めてよかてぇー」

「えー、でも間に合わなかったらアレじゃーん」

「決めろよー」

そんなやり取りを続けていたところ、安永氏が、

「とりあえず、高速へ乗っていいでしょうか?」

横槍を入れた事により、高速を走りながら地図を見、行先を決める事となった。

行先はコロコロ変わった。

「伊香保の牧場で遊んで、帰りに温泉入るってのはどうや?」

俺がそう言った事により、道が混まないであろう群馬方面へ進む事が何となく決まった。

が…、進みながら地図を見ていると、高速脇に「こども自然動物公園」というものがあった。

「これ、動物園かね?」

安永氏に問うたところ、

「そうだろ」

そういう応えが返ってきた。

やはり子供中心になるのは子持ちの常で、何となく動物好きな春に合わせ、

「ここへ行くか?」

「そうだね、春も喜ぶよ」

と、急遽、動物園行きが決定した。

何といっても近いのがよい。

すぐさま高速を下り、そこへ向かった。

着いた時間は午前11時前。

「平日だけん、ガラガラじゃにゃー?」

「いや、動物園は幼稚園とかが利用するから、平日でも混んでるんじゃ?」

そんな事を言いながら駐車場に入ると、広大な駐車場に5台しか車が停まっていなかった。

「休みじゃ?」

そんな事を口走ってはみたが、駐車場入口で700円の駐車料金を取られている。

これで休みだった場合、間違いなく詐欺であろう。

動物園は開いていた。

9時半開園なので、既に開園して1時間が経過しているのだが、人っ気がまるでなかった。

「おいおい、これ、人、おっとや?」

そう言いながら、奥まで進むとチラホラ客が見え出した。

ほとんど貸切状態であった。

この動物園のメインはコアラという事で、まずはそこへ向かった。

檻の前には、

『混雑します。立ち止まらず歩いてください』

そうった看板が立てられていたが、俺達の他に通ったのは冷たい北風くらいのもので、むしろ立ち止まらない方が悪いくらいであった。

また、

「ちょっとコーヒー飲むか?」

という事で、レストランに立ち寄ったのだが、俺達が来た事で音楽をつけ、暖房を入れていた。

平日は、よほどに人が来ないのであろう。

ところでこの動物園、来園者の健康に配慮してか、動物と動物の間が異様に離れている。

俺達は貰った地図を右回りに回ったのだが、歩いた距離は優に5キロを超えた。

看板も凄まじい。

『コアラまで、左折1500メートル』

園内において、普通に1キロ以上を示す看板など、なかなかお目にかかれるものではない。

ちなみに、春が最も好きな動物はゾウである。

熊本動植物園でゾウを見て以来、写真を見せると、

「どーおさん、どーおさん」

と、ゾウさんの歌を歌い出す。

が…、そこにゾウはいなかった。

春にしてみれば、大好きなショートケーキにイチゴがのっていなかったようなものであろう。

その代わり、大人は安永氏のおかげでいいものが見れた。

春は、動物好きなくせに臆病で、動物を見ると、

「おいで、おいで」

そう言いながら手招きをするくせに、実際に動物が寄ってくると泣き出す。

これは、完璧に俺の血を引いている。

ゆえ、俺もでかい動物の近くには好んで行かない。

が…、安永氏は怖いくせに近寄り、触りたがる。

一匹の大きいペリカンがいたのだが、安永氏は近寄り、その顔を撫でようと手を出した。

すると、ペリカンの口が開いた。

それを見て叫んだものが二人。

安永氏と春である。

二人が同時に、

「ぎゃぁっ!」

断末魔の叫び声を上げたのは笑えた。

また、安永氏は「温もり」というものに芯から飢えているのであろう。

牛の乳搾りコーナーがあり、そこは子供だけがズラリと並んでいるのだが、大人の安永氏も、

「おーおー、乳搾りができる!」

と、並んだ。

並びながら、俺達に向かって、

「何で並ばないの?」

聞く様も実に素朴な味があって良かった。

この人が35歳だと思うと、更に笑えた。

安永氏がいなかったら、俺達はウォーキングと春の笑顔観察で終わっただろう。

安永氏は見事に接待という役目を全うしてくれたといえる。

ちなみに…。

福山家が入間にいた時、安永氏と春は仲が悪かった。

人見知りというものではなく、酒に酔った安永氏がしつこいものだから、

「うっとうしい!」

って感じで、春が寄り付かなかったのだ。

が…、今日の二人は違った。

二人で手を繋いで歩いたほどである。

まぁ、この要因として、安永氏がシラフだったという事もあろうが、それよりも安永氏の顔立ちが妙に優しくなった事が挙げられるのではなかろうか。

この人の人生も色々ある。

色々あるゆえに、人は大人になるし、体型も顔立ちも色々と変わるのであろう。

ちなみに福山家で太りに太り、90を超えた体型は、今やっと80台に戻したらしい。

「もの凄いダイエットをしてんだからなぁ」

と、いう事であったが、この日の昼飯で、

「おかわり」

そう言って、ライスの追加を頼んだのには笑った。

「おかわり自由でおかわりしないのは店に失礼だんべぇ」

そういった意志の弱さも安永氏の魅力であろう。

さて…。

その晩、入間時代に通っていたバトミントンクラブに出席した。

道子も久々に羽を打ち、

「やだー、下手糞になったよー」

そんな事を言っていたが、昔から下手糞だったので、その変化は傍目にはまったく分からなかった。

ただ、春の変化は如実に分かる。

入間にいた時は歩けなかったのだ。

まったく歩けず、ここの監督の岩井という人に抱かれたり、ここのご意見番の鹿内という人の膝に座ったりしながら、

「まんま」

それを言うのが関の山だったのだが、今、春は広い体育館を縦横無尽に走り回っているのである。

親ながら、

(うんうん…、成長したなぁ…)

そう思わずにはいられない。

また、バトミントンが終わった後、昔のコースになぞらえて吾平というチェーン居酒屋へ流れたのだが、その時などは、春の有無を言わさぬ食欲に皆が目を丸くした。

モズクを手ですくって食べる一歳児。

軟骨の唐揚げを好んで食べる一歳児。

ビール、焼酎を心から欲する一歳児。

二時間も食べ続け、なお衰えをしらない一歳児。

監督の岩井氏は春を見、しみじみと言った。

「お前のところは教育がいいなぁ」

その一言、

(どのあたりを捕らえて言ったのか?)

心底、俺には謎であった。

ちなみに、この晩…。

俺は、あれよあれよという間に焼酎を飲み過ぎ、気が付くと直線歩行が困難な状態になっていた。

着座中、酔ってるつもりはないのだが、立った時に、

(あれ…、俺、酔ってる?)

と、気付く。

これは昔々の話になるが、盛り上がったコンパの時などに見られた症状だ。

最近はコンパへ行く事もなく、姉ちゃんのいるところへ金を使いに行くわけでもないので、そういった無我夢中のうちに酔うという事が全くない。

(懐かしいなぁ…)

久々の入間は、内側までも温かくしてくれた。

その後…。

俺は安永氏の家に着いた瞬間、崩れるように眠った。

家に着いてからの記憶がほとんどない。

ただ、安永氏が、

「なんだよぉ、だらしない」

俺にそう言った事だけはハッキリ憶えている。

なぜなら、その瞬間、

(あんたにだけは言われたくない!)

眠くて口にこそ出なかったが、内側ではその反論が反射的に起こったからだ。

心地よい入間の初日は泥のように更けていった。

 

 

5、男の慟哭

 

12月11日…。

目覚めるや、

(しまったぁ!)

そう思った。

軽い二日酔いになっていたのだ。

それに寝坊気味でもあった。

宿泊場所を提供してくれている安永氏の立場は職長という重々しいもので、皆よりも早く出勤せねばならず、

「7時半には出るぞ」

そう言っていたのに、俺が起きたのは7時20分。

その上、道子は、

「春ちゃん、風呂にいれてねー」

と、大急ぎで風呂へ入っている俺に春を持ってきた。

安永氏にしてみれば、

「7時半に出るって言ってるだろっ!」

と、道子に突っ込んでもよさそうなものだが、何か弱みでも握られているのであろうか、

「じゃ、7時50分まで待ちます…」

えらく弱気に折れてくれた。

ところで…。

安永氏の家は去年建てたばかりの一戸建てで、風呂にはテレビが付いている。

「無駄な設備やねぇ」

そう言って馬鹿にしてきたものだが、実際に入ってみると、

(これはいい!)

感心した。

ぬるめで長湯を好む俺にしてみれば、まさに感動ものの設備であった。

それに子供も退屈しなくていい。

ちょうど教育テレビで「英語で遊ぼ」をやっている時間だったので見せてやると、

「じぇびっ、じぇびっ!」

と、芯から喜んでいるようだった。(JB:番組内に出てくる緑色のバケモノキャラ)

それから、イソイソと安永邸を出、そのまま社宅まで送ってもらい、

「早朝に、いきなり現れます」

そう予告していた山本家に転がりこんだ。

山本家は福山家が入間に住んでいた時のお隣さんだ。

つまり、会社の社宅に住んでいる。

「お久しー!」

そう言いながら上がり込むと、ちょうど旦那が出勤するところで、その嫁はメガネをクイッと上げながら、

「三日目おでんができあがってるよぉ」

と、大き目の鍋を見せてくれた。

が…、二日酔いの俺からすれば、今はそういうものを見る気にもならない。

「それは後でもらうけん、まず寝させて…」

と、横になった。

ちなみに、この家にトウル坊(正式名:桃瑠)という一歳児の子供がいる。

春と同学年で、その生まれも一ヶ月しか違わないだけあって、春とは気があっているのだが、どうしても俺とは気が合わないらしい。

絶対に俺と目を合わせないし、俺がいる間はズゥーッと下を向き、黙り込んでいる。

「なんでかなぁ?」

山本嫁は言うが、その事を聞きたいのは俺の方である。

その後、山本嫁が布団を敷いてくれ、

「横になるなら隣の部屋で寝れば?」

そう言ってくれたので隣へ行って襖を締めたところ、急にトウル坊のエンジンがかかった。

ちょっと前では考えられぬほど元気に春と遊び始めたのだ。

その後…。

俺が襖を開けて登場すると、またトウル坊のエンジンはきれ、下を向いて動かなくなった。

「不思議」としか言いようがない。

俺はハートが子供向けだと自負しているだけあって、いつも子供にだけはモテモテなのだ。

相性が悪いのは、根性が据わったヤンキーと俺が気に入っている女、それに超真面目に会社や人生の事を考えている人々、その三つかと思っていたらここにもいた。

これは新たなる発見であった。

さて…。

この日の予定は本来ならば「歴史散策」であった。

今日、俺に付き合ってくれるのは今本という男である。

一つ下の後輩で、この日は俺のために休みをとり、

「付き合いますよー」

快くそう言ってくれたのだ。

その今本、9時過ぎに山本家に現れ、

「さっ、福山さん、どこへ行きますか?」

テカテカに光った顔を近付けつつ、元気一杯に問うてきた。

「うーん、まずはおでんを食おうや」

俺はそう言いながら、山本家特製のおでんを摘まんだ。

ストーブの上で三日煮込んだというだけあって、大根や厚揚げなど、汁がジワァッと染みていて実に美味かった。

いつもの俺なら10個くらいは食ったであろう。

が…、そこは二日酔いの体、どうしても食えず、また、外へ出て歴史散策をする気も消え失せていた。

なので、今本に小声でこう言ってみた。

「最近、この辺で最も出てるパンチコ屋はどこや?」

すると今本は、素晴らしく通る声で、

「目の前のゴールデンプラザだと思います!」

そう言ってくれた。

これにて、こっそりパチンコ屋へ行こうと企んでいた俺の蜜謀が道子にばれた。

「なんだよー、関東に来てまで何でパチンコへ行くんだよー」

道子という母なる海は途端に荒れ狂った。

俺と今本はその大きな波から逃げるように席を立った。

「パチンコに行ったら駄目だからねー」

「行かん、行かん、ていうか、行けんけん金をくれー」

そう言いながら、俺と今本は社宅外へと流されていったのである。

それから…。

俺と今本は迷う事なくパチンコ屋へ行った。

今本が「最も出ている」と言ったパチンコ屋は、俺が入間にいた時、けっこう通ったパチンコ屋でもある。

手持ちは5000円だった。

この金は、

「長野の上田へ歴史散策へ行く」

そう言ってもらった金である。

この額はハッキリ言って過少と言わざるを得ないであろう。

多分、高速代にも満たない。

「なっ、今本、今の道子は凄いだろ?」

財布を見せながら5000円という金を貰うまでの顛末を語ると、今本は、

「いやぁ、本当に凄いですねぇ、道子さんが怒った時、僕、怖かったですもん」

と、苦々しい笑顔を見せた。

「女ってのは変わってゆく生き物よ」

「まさに、そうですね…」

そんな事を話しつつ、車は社宅を出、まずは今本が金をおろすという事だったので銀行へ行った。

聞けば、ボーナスを貰ったばかりだという。

俺にしてみれば、21歳を越え、初めてボーナスが貰えなかった事になる。

「ボーナスがあるってのは豪気な事よなぁ」

銀行から戻ってき、ホクホクになった今本へそう言うと、今本は申し訳なさそうな顔をした。

そして、

「そういえば福山さん、さっき道子さんに5000円分のクオカードを売りつけてましたね、あれ、僕が買ってもいいですよ」

そんな事を言い出した。

ここで、

(あ、今の俺、後輩の今本に憐れみの目で見られてる…)

その事に気付いた。

「あ…、じゃあ、この5000円を打ち尽くしたら頼もうかな…」

そんな事を言いつつ、俺達はパチンコ屋へ向かった。

何だか言いようのない虚無感に襲われた。

「恋愛の相談は俺にしろ!」

「今日は俺が奢ってやる!」

半年前まで威勢よくそんな事を言っていた俺が後輩に気をつかわせているのである。

(いかん! いかん、俺! 頑張れっ!)

まさに、その事であった。

さて…。

パチンコの結果であるが、俺は珍しく15000円ほど勝った。

その代わり、今本は3万も負けた。

俺は今本に昼飯を奢りつつ、

「駄目っすねー、最近の俺、金を使いまくりですよー」

そういう話を聞いた。

聞くと、最近の今本は高級クラブにはまっているらしく、そこは飲むだけでお触りなしなのに一晩2万円取られるらしい。

「まーじーかーよぉー?」

驚く俺の前で、

「今、メールが入って、そこの店のクリスマスパーティーに誘われてるんですよー、会費は25000円です」

と、まんざらでもない今本を見るに、やはり、それだけの価値があるのであろう。

「お前、クリスマスくらい素人と遊ばにゃん…」

「はい、そう思って、今週末はコンパを入れてるんですよ」

「コンパか…、いいよなぁ…、俺は久しく行ってないぞ…」

「福山さんは行かなくていいんですよ、既婚者ですから。あ…、そうそう…、そのコンパの時に就職祝いを渡したい人がいるんですよ、買い物に付き合ってもらえませんか?」

話はそういう風にながれ、俺と今本は場所をパチンコ屋から入間の中心街へ移した。

今本がプレゼントを贈る相手は狙いの子ではないが、その友人だという。

「なんで、そんな脇役にプレゼントをやる必要があるんや?」

問うたが、そこは今本なりの作戦があるのであろう。

とりあえず、

「何を買うんや?」

問うと、名刺入れにする予定だという。

「関係が浅い奴へのプレゼントとしては重くないや? それよりも笑える玩具とか、雑貨とか…、そうだ、駄菓子の詰め合わせっていうのはどうや?」

横から色々言ったが今本の反応は芳しくない。

が…、花屋の前で、

「花束ってのは枯れるけんいかんけど、鉢植えってのはどうや? お、そこにサボテンの鉢植えがある、それなんか滅多な事では枯れんけんええぞ」

指差すと、今本の目がキラリと光った。

それから便所へ行き、戻ってくると、今本はサボテンを購入していた。

クリスマス風にラッピングされたサボテンであった。

「ふふふ…、これで二人は枯れない恋愛を続けるというわけか…」

「やめてください、これをプレゼントするのは狙ってる子の友達って言ってるじゃないですか」

「いや、恋ってのは赤い心と書くだけに、どこから生まれるか分からんぞ」

「そうですかねぇ…?」

「そうだとも…、しかし…、サボテンだからといって安心してはいかん。うちの道子は枯れない事で有名な幸福の木を枯らしたし、当たり前のようにサボテンも枯らした」

「それは凄いですねぇ」

こうして前会社の先輩後輩は、入間の市街地を後にしたのである。

さて…。

社宅に戻ると山本家はもぬけの殻で、道子達は別の家(同じ社宅だが)で奥様会をやっているところであった。

この「別の家」を中野家という。

山本家と同じく、俺からすれば前会社の同期の家に当たる。

入社一年目、皆が揃って寮に入っていた頃は、この中野さん、「コーヒー中野」と異名をとるほどコーヒーを愛しており、毎晩ご馳走になったものだ。

今日、俺がそこへ行った時も例外なく熱いコーヒーが出た。

旦那は仕事に出てるのでいない。

嫁が煎れてくれたのだ。

「うーん、やっぱり中野コーヒーの味やねぇ」

これは俺に言わせれば、まさに「同期の味」といえる。

ちなみに、この会場では奥様会が開かれていたのだから、当然、山ほどの奥様と子供達がいる。

目の回るような光景であった。

その中で、山本家の子・トウル坊は俺を見るやまたも下を向き、山本嫁の影に隠れた。

ここまで嫌われれば何だかどうでもよくなり、

「待てー、トウル坊、待てー!」

追っかけてみたが、逃げもせず、それこそ背筋の凍るような冷たい目で、

「あんっ!」

物憂げな奇声と共に顔を叩かれた。

この悲しさといったら、

(俺、トウル坊に何かしたか…?)

と、滅多に落ち込まない俺が体育座りをしたほどであった。

さて…。

この晩は、和哉主宰の同期忘年会に参加した。

仕事から帰ってきた山本さんやコーヒー中野氏を始め、恋に悩む今本、恵美子を口説いたオガサンなどなど…、前の日記に書きまくってきた入間の面々がズラリ集まった。

出てきた話題も多く、幾つか印象的なものもあるのだが、それらは全て、

「俺にとって男にとって悲しい話…」

だったので今日は触れない事とする。

今、これを書いている時、窓の外では雪が降り続いている。

灰色の空から雪が降るなんてのは、熊本ではなかなかお目にかかれない。

こういう時に、暗い話など書きたくないではないか。

とにかく…。

この忘年会に熊本からグラム350円の馬刺しを1キロ送っている。

俺も富夫もグラム400円を送れと言ったのに、道子はあえて350円を送った。

「無職だからいいんだよー」

これは道子の言である。

やべ…。

どんどん悲しくなってきた。

悲しくなったついでに、触れないはずだった話にちょっと触れようと思う。

それは、道子が久しぶりにスカートをはいていたので、

「おいおい、珍しいじゃにゃー」

と、そこから伸びた足を旦那である俺が触ろうとした、という話が発端であった。

道子は俺の手を厳しく打ち払い、

「やめてよ、毛虫!」

なぜ毛虫か分からぬが、確かに、

「毛虫」

そう言ったのだ。

俺は茫然自失の態となり、去りゆく道子の後姿をしばし眺めた。

この話を皆にし、

「俺、なんで毛虫て言われにゃんと?」

その事を問うと、一人の既婚者がこう言った。

「いや、毛虫と言ってくれるだけマシだ」

皆、その既婚者に釘付けとなった。

そして、その既婚者は悲し過ぎる嘆きをボソリと吐いた。

「そこには会話がある。夫婦の会話がある…、うちなんか…」

それから、結婚とは、夫婦とは、人生とは…、話は無限の広がりを見せた。

さて…。

悲しい流れになって申し訳ないと思うが、書きたくなったものはしょうがなく、つい触りの部分だけ書いてしまった。

この話はもっともっと深い。

が…、二度と触れないようにする。

ちなみに…。

あれから一週間ほど経つが、今本からコンパの報告が届いてない。

(あのサボテンが今本にどういう顛末をもたらしたのか…)

知りたいので、是非、掲示板にでも書き込んで欲しいと思う。

 

 

6、胸つまる

 

12月12日、早朝…。

山本家の大黒柱が仕事へ行くのを、

「いってらっしゃーい」

あたかも家人であるかの如く見送った福山家は、三日目おでんを頂いた後、同期・中野家の嫁に最寄の駅まで送ってもらった。

今日の行先はディズニーランドの隣・イクスピアリというところで、お相手は俺の従姉妹の誉枝子(よしこ)ちゃんである。

俺の足取りは重い。

イクスピアリに行きたくないというわけではなく、のんびりとした田舎が恋しくなったのだ。

が…、関東滞在は、まだ予定の半分を過ぎたばかり。

今日は五日目で、帰るのは八日目なのだ。

通勤ラッシュが引いたであろう午前10時に電車へ乗り込み、それからたっぷり一時間半、千葉の舞浜駅まで、ひたすら揺られ続けた。

誉枝子ちゃんは千葉に住んでいる。

俺の親父(富夫)の姉、その長女にあたり、大阪出身なのであるが、数年前に結婚し、千葉へ移り住んでいる。

ゆえ、誉枝子ちゃんにしてみれば、

「舞浜は私の庭よ!」

そういう感じなのであろう、颯爽と待ち合わせ場所に現れるや、

「レストランは予約しておいたから」

「ここが写真のポイントよ」

と、及び腰の福山家に手際よく説明してくれた。

ちなみに、俺の印象として、

(誉枝子ちゃんは面倒見がよく都会的な姉さん…)

そういうイメージがある。

歳は俺よりも五つか六つ上なのであるが、熊本が拠点の親族衆の中で、唯一、大都会・大阪に住んでいただけあり、ず抜けて垢抜けていた。

俺が小学校くらいの時であるが、大阪梅田の街を、

「ヒロ、マサシ、ビクビクせんで付いといで」

そう言いながら俺達兄弟の先頭を歩き、ひるむ事なく電車に乗り、

「こういうのも大阪にはあるよ」

と、1500円もするジャンボパフェを奢ってくれた姿は、

「うわー、都会の人だー、堂々としてるー」

少年の心に、一歩先ゆく凛とした文化人を想わせた。

また俺が18の時、熊本から大阪まで自転車で行ったのだが、その時、

「ヒロも大人になったんだから飲みに行こうか?」

そう言ってバーへ連れて行こうとしてくれたのであるが、ジャージ姿の俺を見、

「あんた…、まさかその格好で行く気? 駄目よ、駄目、絶対に駄目!」

と、有無を言わさず家にあったジーパンを履かされた思い出は忘れようにも忘れられない。

とにかく、面倒見のいい従姉妹なのだ。

そんな誉枝子ちゃんにも子が生まれた。

名を「サトシ君」といい、ちょうど一歳になったばかりで、学年でいえば春の一つ下にあたる。

綺麗に分けられた七三分けの髪型が、その育ちの良さを物語っている。

人見知りはせず、俺を物珍しそうにジィーッと見ては小さな笑みを見せてくれた。

(俺と血が繋がっているとは思えんなぁ…)

その気品を訝しげに眺めていると、横から誉枝子ちゃんが、

「珍しい生きものがいるねぇ、ヒロおじさんっていうんだよぉー」

子に向かって、そう囁いた。

俺は、その言葉を無言で受け止めつつ、

(ふふふ…、俺が変な生きものなら、それと血の繋がった誉枝子ちゃん、そして、その子は何なのさ…)

微笑を返したのである。

ちなみに、うちの娘・春はこの関東滞在中に「酔っ払いのマネ」という新芸を覚えた。

それは、酔ってフラフラになるところから吐いてしまうまで、つまりは酔っ払いにおける一連の動作をするという芸であるが、宴会の時にやらせたら相当ウケた。

が…、さすがに高級な街・イクスピアリでやらせたのはよくなかった。

誉枝子ちゃんの反応も芳しくなかったし、それを横目で見ていったマダムも、

(そんな芸、教えんじゃないわよ!)

そういう目で俺を見ていった。

また、春は暇さえあれば鼻の穴をほじくった。

そして、それにより得たものを遠慮なしに食った。

多分、塩味がして美味かったのであろう。

飯を食う時などは、皿に付いたソースなどを皿ごと舐め尽くした。

その横で、誉枝子ちゃんの子・サトシ君は、暴れる事も泣く事もなく、ちょこなんと椅子に座り、行儀よく離乳食を食べている。

この差は如何ともし難いものがあり、それはジャイアンとスネオ、それくらいの違いにも見えた。

かと言って、

「こらっ、春っ、ちょっとは上品にしなさい!」

そんな事を俺達が言えるはずがない。

言う資格がないのだ。

かたや排泄物の話をこよなく愛す平山家に育った道子。

かたや「落ちたものは30分以内だったら食え」という30分ルールで育った俺。

育つべくして育った娘なのであった。

ちなみに、これは風習として、俺は人様の子を「ぼうず」もしくは「嬢ちゃん」と呼んでいる。

ゆえ、サトシ君の事を、

「よっ、ぼうず!」

最初、そういう風に呼んだ。

すると、

「何よ、失礼な!」

すぐに突っ込まれた。

文化が人を作る。

それは、こういう風習めいたところからも如実に窺い知る事ができるのであった。

ところで…、このイクスピアリ…。

道子から言わせれば、

「もう一度、ゆっくりと行きたいよー」

との事であったが、俺から言わせればディズニーランド同様、

「もういい…」

その部類に属す。

人が多いのは関東の常だからしょうがないとして、その人々の大半が子連れであるため、皆が皆、殺気立っているのだ。

子持ちの本能として、

「うちの子を守りたい」

「うちの子が一番かわいい」

その思いはあろうが、それが表に出過ぎていると、ちょっとのアクシデントで、

「何よ、あんた! 危ないわねー!」

その言葉が飛び出す事になる。

従って人と人、ていうか家族と家族がピリピリした空気を持って密集している環境というものは非常にデンジャラスな環境といえ、現に俺は「くだらない揉め事」を幾つも目撃した。

前の章でも書いたように、つい他人を見過ぎてしまう田舎人にとって、こういう状況は、

(まさに息苦しい苦しい環境…)

そういえるのである。

さて…。

悪い事ばかり書いたが、誉枝子ちゃんが予約してくれたレストランは、

「これは田舎にはない」

断言できる珍しいところであった。

レストラン全体がジャングル調に彩られており、あちこちにゾウだのゴリラだの精巧な動物の模型がいる。

それが定期的に声を発し、動くのだ。

予想通り、春はそれらに怯え、

「かぁい、かぁい」(怖い、怖い)

そう言いながら俺にしがみ付いてきたが、俺に言わせれば、中央に円柱型の大型水槽もあるので、

「こりゃあ、動物園と水族館とレストランがいっしょになったようなもんだ!」

と、大満足であった。

俺はステーキにビールという何ともいえない最高の組み合わせを楽しみながら、

「もー、昼からビールなんて贅沢だよー、無職のくせにー」

どこからともなく聞こえてくる道子の声を、

「春ー、サトシ坊ー、遊ぶぞー」

子供達を使って流すのであった。

さて…。

それからは、道子と誉枝子ちゃんによる買い物、そしてお茶の時間であった。

無論の事、俺はそれに付き合えるはずもない。

「男が子供服売り場へ行って、あーだこーだ言えるわけにゃーじゃにゃー」

そう言って、女衆との別行動を願った。

が…、誉枝子ちゃんが、

「私の旦那は丸一日でも買い物に付き合ってくれるよ」

そう言ったものだから、

「ほらー!」

道子は胸を張る始末で、俺の立場はグングン悪くなり、結局は女衆の後を金魚の糞みたいに付いていく事となった。

仕方がないので道子らが買い物をしている間、俺は春と追いかけっこなどをして遊んだ。

その後、世に言う、

「ちょっとお茶しよ」

という「不思議の世界」も経験した。

無論、都会暮らしを五年間もしていた俺なので、コーヒーを飲むために喫茶店に入った事はあるが、ドラマなどであるようにお洒落な雰囲気の中で、

「ケーキを添えて、つい長話をしちゃいました」

という世にも恐ろしいシチュエーションが初めてという事である。

道子と誉枝子ちゃんは、

「ここのモンブランは美味しいって噂なんだよー」

「あ、ほんとだ、美味しいー」

「見て見て、このモンブランのかたちなんてミッキーマウスのかたちをしてるんだよー」

「ほんとだ、かわいいー」

そういった不思議の世界…。

その端っこで、俺は置き物と化し、ひたすら高いコーヒーをすする。

ジョイフルの三倍もするコーヒーなのに、おかわりはできない。

「うふ、うふ、うふふふふふ…」

何だか口元に手を添え、上品に笑いたくなった。

春だけがマイペースに、

「まんまぁ、まんまぁ!」

と、噂のモンブランを、いつもの安い菓子同様にエイヤとむさぼっていた。

さて…。

俺はこの日、5時過ぎには入間へ戻り、6時からは前会社の忘年会に出る予定だったので一足先に道子らと別れた。

道子は最初、

「福ちゃんと一緒に帰るよー」

そう言っていたが、よほどイクスピアリが気に入ったのか、それとも誉枝子ちゃんと気が合ったのか…、それは定かでないが、俺と別れた後、2時間もいたのだそうな。

とにかく皆を残し、俺だけは先に帰った。

来た時と同じ路線を、またもたっぷり2時間弱、本などを読みながらゆっくり帰った。

道子はこの日、入間へ行くのではなく、春日部へ戻る事になっている。

ゆえ、

(今日は一人で飲める…)

まさに、無茶してもよい状況であった。

ちなみに、今日の飲み会は前に勤めていた会社の忘年会である。

俺が事前に、

「この日に忘年会をやろう」

課の幹事と打ち合わせていたのだ。

久々に馴染みのところで酒を飲み、馴染みの居酒屋へ流れ、

(それからは…!)

期待は大きく膨らんだ。

が…、その席上で話を聞くに、皆が皆、課の旅行を明日に控えた身という事で、

「無茶はできない…」

そういう話であった。

課の旅行には5年連続参加した俺であるが、今は会社に籍を置いていない立場ゆえ、見送りという事になる。

「どこに行くとですか?」

聞いたところ、一泊二日・強行沖縄の旅だそうな。

「それは、それは…」

明日のため無理ができないというのも何となく分かる話である。

肩を落とし、会社前にある馴染みの居酒屋へ行った。

そこで飲み友達の柴山氏と焼酎のお湯割などを飲みながら、会社帰りの先輩らを捕まえ、ちんたら飲んだ。

ところで…。

この日の宿泊は一昨日も世話になった安永邸である。

安永氏も一緒に飲んでいたので、

「送ってー」

と、たまたま飲んでいなかった同期・和哉を呼び出し、安永邸に送ってもらい、そのまま布団へ直行した。

酔いが浅かったので、眠りながら物事を考える余裕があった。

(俺が会社からいなくなって、うちの課は何か変わったのか?)

今日の忘年会からその片鱗でも窺えないか、考えてみた。

(ない…)

全く普通、今までの生産技術課であった。

少しくらい、

「お前がいなくて、会社が死んだようだぜー」

とか、

「お前がいなくて、仕事が滞ってしょうがないぜー」

そんな事を言われるかと期待したが、まったく言われなかった。

(この事は何を意味するのか?)

思考は、そちらの方へ傾いてきた。

そして、

(俺の5年間は何だったのだろう?)

ふと、その事を思った。

俺の直属上司を務め続けたM山という中年男性がいる。

この上司は俺の顔を見るや、

「うっ、胃が痛くなった…」

開口一番、そう言った。

また、T城という庶務の女性がいる。

この人は、

「福ちゃんがいなくなって課の会費に余裕が出てきたわぁ」

そう言った。

また、胸毛がチャームポイントの林という先輩は、

「お前がいなくなったから、旅行の時、夜を先導する奴がいないぞー」

そう言って悲しんでくれた。

(俺が残したものは何だったのか?)

それを考えると、

(よく俺を雇ってたなぁ…)

会社の優しさが際立って見えた。

5年間、俺の年収が250万として1250万。

会社はそれだけを支払い、得たものは、

・ 他社員へのストレス(胃痛)

・ 課費の切迫(飲み会の過多)

・ 夜の街の先導役(課員の散財)

無駄も無駄。

俺にしてみれば、

「これは笑える」

そうとしか言いようがない。

まどろみかけた俺は、

(いいサラリーマン生活だった…)

笑顔のまま夢の中へ引きずり込まれていったのであった。

 

 

7、鼾にまつわる話

 

12月13日…。

午前7時に目を覚ました俺は、安永邸が誇るテレビ付き風呂にゆったりと入り、それから和哉が住む寮へと場を移した。

家主・安永氏が出勤のため、立ち退かねばならなかったからだ。

俺が辞める時、250円くらいだった前会社の株価は、俺が辞めるのを待っていたかのようにズンズンズゥーンと上がり、一時800円を超えた。

それから現在は700円弱まで下がってはいるものの、その内々の忙しさは、俺がいた頃とは比較にならないようだ。

今日という日は土曜なのに、安永氏は当たり前のように出勤するし、聞けば、来年一月末まで正月休み(それも短いそうな)以外は日曜も出勤だという。

昨晩の続きではないが、

(この忙しさに俺が一役買ったような…)

そんな気にならないでもない。

さて…。

寮へ着いた時刻は午前8時前であった。

当然、まだ何をやるにも早過ぎる時刻だ。

なので、

「今本の部屋に行くぞ」

と、和哉と共に突入すると、今本は床で眠っていた。

暖房をガンガン効かせ、薄いタオルケット一枚で寝ている。

聞けば、昨晩は今本も忘年会で、二次会へは馴染みの高級クラブへ行ったのだという。

今本のポリシーとして、

「風呂へ入ってからでないとベットで寝ない」

そういう誓いを立てているので、床で寝たのだそうな。

つまり、

「ベットは汚すべきでない神聖な場所」

そういう風に決めているらしいのだ。

この事からも分かるように、こやつは潔癖の気があるほどに綺麗好きで、昔、俺が寮に住み暮らしていた時などは、

「なんですかー、この散らかりようは!」

そう言いながら、無意識無想のうちに俺の靴下などを畳んでくれていたものだ。(和哉も)

また、今でこそ丸くなったが、こやつが車を買ったばかりの頃は、

「散らかるものを車中で食べないで下さい」

そう言って、スナック系などの車内持込を禁じていたほどだ。

「だったら、何を食えっていうんやー?」

今本に問うたところ、

「魚肉ソーセージ」

そう言われた事もある。

ネッチョリしていて口から飛び出さないものだったらいいのだそうな。

そんな今本が「最も清潔であるべき場所」と定義付けているベットだからこそ、俺は迷う事なく飛び込んだ。

「安永さんの家で風呂に入ってきたけんね」

そう言いながら神聖な場所で三度ほど寝返りを打ち、

「いいですよ、どうぞ寝てください」

投げやりにそう言ってくる今本を横目に、俺はグッスリと眠った。

起きると、午前10時数分前であった。

「おー!」

我ながら素晴らしい時間に起きたものだと感心しつつ、

「行くぞ!」

と、床に寝ている今本を起こし、目の前にあるパチンコ屋へ徒歩で向かった。

「自分、今月は金を使いまくりですよー。まだ後2回、高級クラブに行かなきゃならないんですからねー。前回はパチンコも負けたし…」

今本はそう言いながら、

「パチンコで、その飲み代を稼ぎます」

ヤクザ的に息巻いた。

が…、駄目人間のオーラを養いつつある今本は、またも負けた。

ついでに、俺も負けた。

それはそれは見事な負けっぷりで、二人で一時間も打てば、普通はどちらかが一回くらい大当たり(ビック)を引くものであるが、二人とも水の流るるか如く自然さで負けた。

「駄目駄目ですね」

「まさに…、ね…」

俺と今本は脱力感だけを土産に、寮へ帰ったのである。

それからの俺は、

(無呼吸症候群なのではないか?)

そう疑われる「変な鼾」を発している和哉を起こし、一路、春日部へ向かった。

この日は道子実家で飲み会があり、和哉と共に参加する予定なのだ。

和哉の他にもう一人、以前、道子実家の便所を破壊した大津も呼んである。

これに長さんが加われば、何となく春日部レギュラーが揃うのであるが、長さんは今、愛知の豊橋に住んでいるので、そうそう呼ぶわけにもいかない。

ちなみに、なぜ俺がこうも友人を嫁の実家である春日部に呼びたがるのか…。

それは前にも書いたが、女の中に男が一人、そのシチュエーションを避けるためである。

俺と和哉は午後2時くらいに春日部に着くと、豪勢な義母手作りの昼食を食べ、それからフラリと春日部の散策をし、午後5時前には酒宴に突入した。

途中、道子の従姉妹夫婦も現れ、その後には義姉の義父が、その次には大津が…、と、居間は人でいっぱいになった。

大津は、

「便所ば壊してすんませんでしたぁー!」

と、義母にお歳暮を持って現れた。

中身を見てみると普通のギフトセットで面白みも何もなかったのであるが、そこは基本的に真面目な大津、律儀が詰め込まれているみたいで笑えた。

ところで…。

道子の従姉妹は子連れで来ている。

まだ、首が据わったばかりの小さな子で、極めておとなしく、俺が抱こうとも和哉が抱こうとも泣かなかった。

(春はこれくらいの時、どうしていたものか…?)

そう思って懐かしげに愛娘を見ると、得意の酔っ払いのマネをやったり、から揚げの一気食いをやったりしていた。

(忘れた…、何も思いだせん…)

子というものは、新鮮で衝撃的な情報を次から次に投げ付けてくるため、その情報を納める場所をつくるのが間に合わず、それは古い記憶の上に重ね塗りされるのであろう。

春と何をやったかは思い出せても、

(どんな娘だったか?)

その事になると、

(ウンコして、道子の乳をよく飲んでいた…)

そんな分かりきった事しか思い出せないのである。

飲み会はダラダラと続いた。

道子の従姉妹一家、姉の義父が帰ると、それと入れ違いに道子友人の小柏という女性が現れた。

この小柏嬢は以前、大津と色恋沙汰の悶着があった人物なだけに、俺にしてみれば突っ込みどころ満載なのであったが、いかんせん、その時にはもう眠くなっていた。

昼から飲んでいる身ゆえ、抗い難い自然現象なのだ。

芸能情報や人様の話が三度の飯より好きな義母が、

「和哉君、真理ちゃんとはどうなんだわさー?」

その事を聞き、小柏嬢や道子、それに大津までもが、

「どうなのよー?」

問うており、和哉が、

「むぅーん…」

その返答に困っているのは何となく分かったが、それに便乗できないほど眠かった。

自然、居間で眠る事となり、起きると、

「さ、寝るか…」

皆がそう言って散り散りになっている時間だった。

俺と和哉と大津が寝る場所として、二階の一室が宛がわれている。

そこで三人が横一線となり、修学旅行の時みたいに何やら雑談を交わした。

交わしながら、

「しまった!」

その事に気付いた。

和哉は前述したように無呼吸症候群っぽい不規則な鼾を放つ。

大津は地響きのするような低い声を持っているのだが、それが寝てからは厚い唇の震える音まで加味されるものだから、ヘリコプターのような鼾を放つ。

(早く寝なければ!)

その事なのである。

寝るように勤めた。

その甲斐あって、その晩は何も雑音を聞く事もなく、すんなりと一番に眠れた。

が…。

午前5時くらいであろうか、小便をしたくなって目が覚めたのであるが、それからが「こやつらとの格闘の始まり」であった。

隣に和哉、奥に大津がいるのであるが、その二人が奏でる音色といったら凄まじいものがある。

低音の部分をビブラート大津が担い、高音の部分をテノール和哉が担っている。

大津の「ブルブルブー」というヘリコプター音がリズミカルに大音量で続く中、和哉の「ガボッ、ガッ、ガボッ、ガー」これがノイズのように走る。

俺は人様の鼾の音に自分の呼吸音を合わせることにより雑音を誤魔化すという荒技を持っているのだが、この楽曲には使用不能であった。

一時間ほど格闘した末、腹が立ち、和哉の足を蹴った。

すると、和哉の鼾がピタリと止まった。

(よし、大津の鼾だけなら何とか合わせる事ができる!)

そう思い、低音のそれに呼吸を合わせ、何とかまどろんできたところを、

「アガッ、プピッ!」

超高音の和哉鼾が遮ってくれた。

「ああっ、うるしゃー!」

仕方がないのでプンプンしながら布団を飛び出し、腹いせに大津の足を踏ん付けてやった。

大津は鼾を止めると、低い声で、

「むぅーん」

そう言いながら寝返りを打ち、ピンポン玉クラスの喉仏を上下にウニンウニン動かした。

そして、自慢の厚い唇を下でベロベロ舐め、俺を馬鹿にしたかのように、

「なんやぁー?」

そう言うと、また「ブルブルブー」のヘリコプター鼾を続けた。

お陰で、妙に健康的な時間に起きるハメになった。

下へ下りると、女衆は既に起きており、食卓には昨日の残り物がズラリと並んでいた。

それを頂きつつ上の惨状を話すと、義母は、

「普通は太っている人が鼾をかくのにねぇ…」

そう言いながら、俺の顔を覗き込んで笑った。

確かに、大津と和哉は痩せている。

が…、義母さん…、

(なぜ、俺の顔をそうも覗くのですか…?)

そう思っていると、義母、義姉、道子は遠慮なしにこんな話を始めた。

「福ちゃんが鼾をかかないって凄いね」

「うん、酔った時にちょっとかくけどねぇ」

「痩せている大津君達が鼾をかいて、福ちゃんがかかないってどういう事かしら?」

「不思議だよねー」

ちなみに…。

義母と義姉は鼾をかくが、道子は(ちょっとしか)かかない。

「それって不思議だよねー」

イヤミっぽく返してやろうと思ったが、口論になった場合、多勢に無勢なのでやめた。

まさか、義母と義姉は、こういうところで反撃されるとは思ってもいなかった事であろう。

「皮肉だけど不思議だよねー」

こういうところでなら堂々と言える自分がちょっと悲しい。

もう一度、

「本当に不思議だよねー」

寂しいが、これにて気分スッキリなのであった。

 

 

8、その不思議

 

こんなに長く書くつもりはなかった。

現に、この関東滞在の話を書くにあたり、

(何を書こうか…)

考えたところ、

(特に書く事はないなぁ…)

そう思ったほどだ。

思いながらも義務的な何かに追われ、何となく書き始めた。

書き出すと、書く事は山ほどあった。

幾つかの話は削ったが、それでも無駄な話を幾つも幾つも書いたと思う。

俺がまだ、六本木の文章学校に通っていた頃、

「長く書けるようになれ! 長く書ける奴は短くも書ける!」

恩師にそう言われ、心掛けてきたものだから、ダラダラと書く習慣が身に付いてしまったのかもしれない。

一つの事を書こうとすると、それに色々な枝葉が付加され、つい長々と、老人のションベンのようになってしまうのだ。

気が付くと、やらねばならない事は山ほどあるのに、関東から帰ってからの二週間弱、読書と簡単な取材、それにこの文章の執筆しかしてない。

(いかん…)

誠にいかん事である。

来年は、HPの文章書きは道子に任せ(基本的に)、俺は長文の小説書きに専念しようと思っている。

道子の文章も、最初から読まれている方はお気付きかと思うが、だいぶ読める文章になってきた。

最初が最初だっただけに、これからもグングン伸びると思われる。

期待して欲しい。

さて…。

12月14日であるが…。

この日は東武動物公園へ出かけた。

道子実家に最も近い駅は一ノ割というところで、そこから15分ほど電車に揺られれば東武動物公園へ着く。

最も手軽で大きいテーマパークがそこであった。

動物公園と称しているが、実際は動物園よりも遊園地の方がメインのテーマパークで、代表的乗り物は「レジーナ」という木製ジェットコースターである。

同行者は、義母と義姉、それに昨晩から泊まっている大津である。

和哉と小柏嬢も泊まったのだが、さすがに翌日の動物公園までは付いて来てくれなかった。

その点、さすがは大津であろう。

暮れから正月にかけ、五泊六日を春日部で過ごした経歴(三年前)はダテでない。

「来いよ」

「ええぞ」

即答であった。

ちなみに、

「いつも週末は何をして過ごしてるんや?」

問うたところ、ウィークデーに録画した馬鹿番組のビデオを消化しているらしい。

誰か遊んでくれる奴がいたら、是非、付き合ってやって欲しいものである。

頑固だが、気立てはいい奴なので…。(現在、横浜在住)

さっ…。

そういうわけで、5名の大人と1名の子供が東武動物公園のゲートをくぐった。

「まずは動物園に行くぞ!」

そう言いながら、俺が先頭を歩いた。

ハッキリ言って、ジェットコースターだのフリーホールだの、ああいった股間がむずがゆくなる類の乗り物が苦手なのである。

できるなら、そういった乗り物はなるべく後回しにし、あわよくば、

「時間が足りなかったねぇー」

そうなってくれれば良いと思っていたのだが、道子、大津、義姉が、

「そういうの大好き!」

という変わり者で、足取り軽く俺を追い越し、あれよあれよという間に「G−MAX」というフリーホールの前に立った。

「G−MAX」という名称は、無論の事、Gが凄いという意を含んでいる。

つまり、

「吐き気がし、男にしてみれば股間が潰されたような錯覚に陥る」

その事を意味する。

フリーパスのチケットは二枚買った。

道子は体調が悪く、義母は子供用ジェットコースターでも、

「失神する」

そう言っている。

ゆえ、二枚で、それを「使いまわそう」という庶民の談合である。

「G−MAX」には大津と義姉が乗った。

「乗りなよー」

道子が俺の背も押してきたが、

「ジェットコースターは余裕ばってん、これはいかん!」

そう言って突っぱねた。

この一言が、後々、俺に悲劇を招く事になるのだが、この時点で、俺がその事に気付くはずもない。

大津と義姉が天高く舞い上がっていくのを見届け、それが雷のような速度で落下してくるのを見ていると、正直、吐き気を覚えた。

ちなみに義母は、乗ってもいないのに手に汗を握り、それが落ちる瞬間、

「ギャー!」

断末魔の声をあげた。

「簡単なジェットコースターで失神する」そう言った義母の言葉は嘘でないようだ。

ところで…。

こういったフリーホール系の乗り物といえば、修学旅行の時、東京ドーム横の遊園地、そのフリーホールに乗った。

宮村という暴れん坊がそういうの大好きで、比較的すいていたのをいい事に、

「もう一回、もう一回!」

と、連続5回も乗った。

俺はその内2回も付き合った。

2回も乗ると三半規管が完全におかしくなり、静止している床を歩いていても床が揺れているような錯覚を覚えた。

宮村に最後まで付き合ったのは前にも書いた梢という女、それ、ただ一人だったと記憶している。

ちなみに、大津と義姉は、この感動が忘れられなかったらしく、この後、3回も「G−MAX」に乗った。

(こやつらは絶対におかしい…)

首を捻らずに入られない。

(なぜ気持ち悪い事を金を払ってまでやろうと言うのか…?)

後々の話になるが、義姉は「G−MAX」に乗りすぎた影響で、その晩、眠れなくなったらしい。

大津は、連続でそれに乗った直後、

「うわっ、変な感じがする」

そう言って「G−MAX」の後遺症を感じている。

「あんた達は理解に苦しむ」

俺からすれば、そう言わざるを得ない。

「度胸がある」というのを誇示するためか、それとも内々にマゾティックな要素があり、そこを刺激されているのか。

考え込んでいると、

「福ちゃんも乗りなよー、臆病者」

道子がそう言って暴れ出した。

あまりにも乗らないと男の沽券に関わってくると思い、小さなジェットコースターや、バイキングなどに乗った。

グルグル回る系で、大津は、

「吐きそう…」

まいっていたが、俺は何ともなかった。

どうやら人それぞれに得手不得手のツボがあるらしい。

それから俺と春のみが待ち望んでいた動物園に流れた。

数日前、こども自然動物公園なるところへ行ったが、そこよりも確実に動物の数は多く、そして密集していた。

福山家は、本当に動物好きである。

義母、義姉、大津が暇そうにしているのに、俺達三人だけは妙に足取りが軽かった。

「どんな動物が好きー?」

そういう質問が飛び出した時、大津は、

「サル山が好き」

わけの分からぬ回答をした。

サル単体だと愛せないのだけど、サル社会は愛せるのだそうな。

大津はその言葉に偽りなく、サル山を愛しそうにジィーッと眺め続けた。

(毎日テレビばっかり見てる人間は見るところが違うな…)

そう思うと、大津の厚い唇が何やら意味深に思われた。

また、道子のチンパンジーへの興味は筆舌に尽くし難いものがあった。

ここのチンパンジーはよほどストレスが溜まっているのであろう。

狭い檻の中を木の棒を持って暴れ、叫びながら、あらゆる場所を棒で叩きまくった。

当然、凄まじい音が園内に響き渡り、その檻の前だけは黒山の人だかりができていた。

「すげーなぁー」

確かに、人だかりができてもおかしくない見事な暴れっぷりで、春などは泣き叫んでそこへ近寄ろうとしなかったほどだ。

が…、道子は檻の前、アリーナの部分を固持しながら、ピクリとも動かずチンパンジーの動向を見守っていた。

チンパンジーが暴れると、嬉しそうにその奇行を眺め、終わるや俺達の方を向き、満足そうに頷く。

それで、その場所を離れるかと思いきや、またチンパンジーの観察に入る。

(何が道子をそこまで引き付けるのか…?)

思っていると、隣で若いカップルがこんな話をしていた。

「あのチンパンジー、あなたを見てるみたい」

「やめろよー、俺、あんな風に暴れないだろー」

「そっくりよ、うふふ…」

「勘弁してくれよー、あはは…」

それを聞き、

(もしや?)

冷や汗が出た。

(道子はまさか…、あのチンパンジーに俺を重ねてはいまいか…?)

チンパンジーは鼻をほじり、唾を吐き、耳や頭を忙しく触りながら、上下左右に体を動かしている。

ハッキリ言って、落ち着きがない。

その前にあり、目をギラつかせ、まじまじと観察する道子。

(道子は何を考えているのか…?)

定かでない。

その後…。

動物園を出、遊園地ゾーンに戻ると、既に午後4時近くになっていた。

何となく、足がここの名物・レジーナ(木製ジェットコースター)の方へ向かっていたので、俺はその方向を修正するべく、

「観覧車に乗ろう! 義母さんと春、それに道子で乗ってくればいい!」

提案した。

が…、道子はその発言が気に食わなかったらしく、俺の肩をバチコーンと叩き、同時に怒声を発した。

「福ちゃん! まだレジーナに乗ってないでしょ!」

道子が言うに、俺が「ジェットコースターは乗れる」そう言ったにも関わらず、レジーナに乗ってないのが気に食わないらしいのだ。

「ジェットコースターには乗ったじゃにゃー」

小さいのに乗ったので、そう言ってみると、

「男らしくない!」

道子は更にムキになり、

「九州男児て言ってるくせに! 軟弱男、駄目男、馬鹿、アホ、デブ!」

ありとあらゆる罵声を吐き始めた。

(なんや…、ジェットコースターに乗らんぐらいで…?)

その道子の言を不思議に思ったが、義母と義姉も道子の剣幕に圧され、

「乗ってやんなよー、男でしょー」

同調し始めた。

大津は無言を通している。

こやつはいつでも平和主義なのだ。

「む…、む…、むぅん…」

ウンとは言ってないが、何となくレジーナの方へレジーナの方へ、圧され圧されていった。

道子の罵声は永延と続いた。

「いつもデカい態度のくせに! ちゃんと乗ってよねー!」

俺がレジーナに乗った事で道子にどんな利益がもたらされるのか、それは分からない。

が…、この時の道子の執拗さは半端でなかった。

多分、俺が「乗らない」と突っぱねていたら、道子はその場所に座り込み、泣き叫んでいただろう。

それほどに執拗であった。

「諦めが肝心やな」

大津が横から小声で言い、俺をレジーナの入場口へ連れて行った。

レジーナは東武動物公園のメインだけあって、長蛇の列ができていた。(俺にとって)

何が怖いって、この待っている間が一番怖かった。

轟音と共にギャルの叫び声が聞こえてくるし、まっさかさまに落ちている蛇状の乗り物もすぐそこに見える。

「漏らしそうだったぜー」

そう言っている経験者の声も聞こえる。

想像力は膨らむばかり、

(あんな風に、こんな風になるんばい…)

思っていると、つい無言になってしまった。

道子の意図はここにあったのであろう。

俺を恐怖のどん底に叩き落したかったのだ。

多分、

「全然平気、余裕で乗れる」

俺がそういった自然な態度でいたならば、道子もああまで執拗に攻めてこなかっただろう。

(俺がレジーナの話題を露骨に避け、露骨に近寄らなかったから…)

そこに原因はある。

(くっそー! 不器用な俺の馬鹿ー!)

まさに、その事であった。

順番が回ってきた。

俺の隣に大津が座り、すぐ蛇状の乗り物は出発した。

急坂をチェーン駆動でキリキリキリと登り、俺の胃もキリキリキリと痛くなった。

頂上に着き、「さ、落ちる」というところで、グルリ遊園地を一望した。

夕日により、景色がオレンジ色に染まっていた。

横で大津が、

「手を上げろ、手をあげろ!」

そう言って万歳の格好をした。

(お前、本物のマゾだろ?)

思った瞬間、俺達はまっさかさまに落ちた。

内臓を置き忘れたような錯覚に陥った。

頭だけは何とか落ち着いており、

「内臓がないぞう」

そんな事を言う余裕があった。

BGMとして、中森明菜の「デザイア」が流れ続けた。

『まっさかさーまーにー、落ちてデザイア♪』

乗り物は複雑に入り組んだところへ、ズンズンズンズン…突き進んでゆく。

『恋はダンスダンスダンスダンス、ほどっ♪』

そして、またもや落ちるポイントを迎える。

『夢中になれなーい、なーんーてねっ♪』

まさに「なんてねっ」と言いたくなる見事な連続技であった。

終わるのが、

『さーびーしいー♪』

脱力の俺はエンドランに入る。

『ゲラッゲラッゲラッゲラッ、バーニハー♪』

乗り物を降りた時、俺のハートはまさに「バーニングハート」が終わった後の「燃えかす」であった。

大津と共に出口へ行くと道子がいた。

道子はさっきまでの怒りはどこへやら、

「はい、こっち向いてー!」

カメラを持って、俺の疲れた表情を激写していた。

道子は俺に対し、よほど腹に据えかねた事があったのだろう。

「お前、俺の何が気に食わんとや?」

道子の笑顔は、そう聞かずにはいられないほど小憎たらしかった。

大津は義姉と共に、もう一回レジーナに乗り込んだ。

それから、前述したように「G−MAX」に連続3回も乗った。

(人間というものは、まだまだ分からないところだらけだなぁ…)

色々な人を眺めていると、心底そう思えた。

それはレジーナ骨格のように複雑で、「G−MAX」のように単純明快な要素が入り組んだ、何とも理解し難い生命体。

そう…。

理解しようとするほうがおかしいのかもしれない。

池波正太郎も人間という生きものの事を、

「決して理屈で解決できない生きもの」

そういう風に言っている。

まさに、その事なのであろう。

その後、俺達一行は道子が春を産む時に破水した「とり田」という思い出の居酒屋へ流れ、しこたま食い、大津とはそこで別れた。

義姉も、その足で自宅のあるさいたま市へ帰って行った。

そして、その晩は何事もなく、すんなりと寝た。

春を真ん中に、家族川の字である。

静かな夜だった。

大津のヘリコプター鼾と和哉の不規則な鼾がないものだから、壁越しに義母の鼾が聞こえてきた。

こんなものは昨晩に比べれば気にするべくもない。

まさにこの日は安眠であった。

翌朝…。

「空港まで送る」

そう言っていた義母であったが、風邪がぶり返してきたらしく、近場の駅まで送ってもらい、俺達は家族水入らずで空港までの電車に揺られた。

「長かったなぁ…」

俺が八日間の関東滞在を振り返ると、道子は、

「後2、3日は居てもよかったよー、アッという間だったもん」

そう言った。

意見の相違はある。

が…、

「関東に長く居過ぎると社会復帰ができなくなる」

そこは同意見であった。

サラリーマンが休み過ぎると社会復帰できないように、無職にもそれなりの社会があり、復帰が困難にもなる。

冒頭で、二週間弱も小説を書かずに過ごした事を書いた。

それは、この余波ではなかろうか。

また、現在、春と道子が風邪を引いており、どうした事か、最も病弱な俺だけが元気でいる。

(不思議だ…)

俺自身がそう思うし、この関東旅行から熊本へ帰ってき、パソコンを立ち上げたところ、

『豪華ホテル宿泊旅行の当選』

そういう通知メールがきていた。

12月23日、クリスマスディナー付き、ホテルオークラ福岡スウィートルーム、価格はなんと147000円相当という事で、半端でない。

また、こっちは半端ものであるが、何気なくインターネットで応募していた目覚し時計も当たっていた。

懸賞で当たった経験といえば、小学校の時、少年ジャンプで「男塾・腕時計」が当たっただけなのに、短期間で二つも当たるとは、何かが変わったとしか思えない。

「のってきた」

そういう感じだ。

この波に乗り、来年頭からは気合を入れて(病気をしない程度に)仕事に励もうと思う。

年末は何かと(主に飲み会)忙しい。

だから、

「来年から」

なのである。

古巣を巡った事は、いい意味で、何かが変わるキッカケだったのかもしれない。

最後に…。

関東で世話になった多くの方々に礼を言い、終わりとしたい。

「あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、蟻が十」

素直でないのは俺の筋。

笑って見逃して欲しい。

 

〜 終わり 〜