悲喜爛々37「場違い」
悲喜爛々や掲示板で何度も書いているが、懸賞で高級ホテルの宿泊券が当たった。
12月23日、ホテルオークラ福岡。
部屋はスウィートルーム。
夕食はフルコース高級ディナー、朝食はデラックス和洋バイキングというもので、147000円相当(二名分)らしい。
これには、俺よりも道子が身を震わせて喜び、
「凄いよー、絶対に行くからねー!」
風邪をひいて熱が引かない身の上のくせ、ノリノリの状態となった。
同居の恩恵という事で、春を富夫と恵美子に預け(道子の案)、23日の夕刻に山鹿を出た。
バスに乗って…、である。
うちらが住む山鹿という町は、最寄の駅が田原坂、もしくは大牟田というところで、その距離はどちらも20キロ強。
電車を移動手段として使う習慣はなく、近くの菊水インターから高速バスに乗った。
戻りは翌24日の朝。
とんぼ返りの予定である。
クリスマスというシーズンゆえ、プラモ屋を営んでいる富夫と恵美子が忙しく、春をいつまでも預けているわけにはいかなかったのだ。
つまり、高級ホテルに泊まるという目的だけのために、俺と道子は、はるばる福岡まで出向いた事になる。
ちなみに、最初は自家用車で行く予定だったのだが、
「クリスマス前の天神(福岡の中心街)は渋滞がすげーばい」
そういった実弟の助言を受け、急遽、バス移動に切り替えている。
福山家は渋滞を何よりも嫌う家柄なのだ。
高速バスは福岡空港まで順調に進み、そこからは混んでいるであろう天神・博多地区を地下鉄で移動した。
さて…。
着いたホテルオークラ福岡、そのホテルであるが、ロビーの時点で庶民の匂いが薄い、まさに異空間と呼ぶに相応しいところであった。
ロビー中央に馬鹿でかいクリスマスツリーが立てられていて、その周りを直径2メートルくらいの柱が高い天井へ向かってニューンと伸びている。
床も壁もツルツルで、従業員の髪も艶のある薬剤でビッチリ固められている。
ちなみに、隣は「ビバレイン」とかいうお洒落なデパートになっており、そこにはシャネルだのグッチだの超高級小売店が軒を連ねている。
「場違いなところに来たなー」
道子に言うと、
「そう?」
道子は物怖じする事なく、受付に向かって突き進み、
「懸賞で当たった福山です」
あたかも自分が当たったかように堂々と、その事を告げていた。
この辺はさすがに埼玉育ち、田舎に住んでいても田舎ものではないようだ。
俺達が泊まる部屋は、最上階の端っこであった。
係員はエレベーターで12階のボタンを押しながら、
「本日は、誠にありがとうございます」
そのような事を言いつつ、俺達の(特に俺の)姿を訝しげに眺め、諸々の説明を始めた。
(変な目で見られてる…)
そう思ったが、
(それはそうだろう)
とも思った。
俺の格好はヨレヨレのジーパンにトレーナー、居酒屋やパチンコ屋が最も似合う格好なのだ。
それが途中下車する事なく、最上階まで突き進む。
それも一泊10万円以上するスウィートルームに向かっているのだ。
この場違い感は、皇室グラフィティーに江頭2:50が載っているような感じであろう。
「俺達、懸賞で当たったんです」
耐え切れなくなってその事を言うと、係員は、
「あー、そうですかー、そうだったんですかー、おめでとうございますー」
やっと謎が解けたように、満面の笑みを見せてくれた。
エレベーターをおり、長い絨毯敷きの廊下を突き当りまで歩くと、その部屋があった。
係員がカードキーでドアを開け、
「どうぞ」
そう言い終わった後、俺達は恐る恐る中へ入った。
二畳ほどの空間があり、奥にもう一つドアがあった。
「ここは何ですか?」
係員に問うたところ、
「玄関のようなものです」
そういう返答が返ってきた。
壁に姿見の鏡が掛けられているだけで、他には何もない空間だった。
(無駄な空間ばい…)
そう思いつつ、奥のドアを開けた。
すると…。
そこには更に無駄な空間が、
「これでもか!」
そう言わんばかりに広がっていた。
そこは縦長で20畳弱くらいあろうか、四人掛けのテーブルがあり、隣にはファックス付き電話を備えた大き目の机があり、奥には二人掛けのソファー、その前にはワイドテレビ、それにMDコンポが備えられている。
端の方には流しと簡単なバーカウンターがあり、その下に冷蔵庫、壁際にはグラスとウイスキー(小瓶)が並んでいる。
窓ガラスは大きめで、玄界灘や福岡ドーム、それに天神の街並が見下ろせる。
「これはこれは…」
何度も何度も頷きながら前へ進むと、左手にベッドルームがあった。
ダブルベットが二つ並んでいて、足元には長さ延長のためのソファーが置いてある。
身長が2メートルを越える外国人用であろう。
ベットルーム用のテレビもある。
係員が室内設備の説明を熱心にしてくれていたが、俺と道子はまったく耳を貸さず、ただそれらの設備を見て触って、
「はぁー」
その声を何度も何度も上げた。
係員が去ると、
「このベット、寝返りが何回うてるかね?」
道子に問いながら、実際に転がってみた。
七回半もうてた。
「すげー!」
感動していると、風呂場の方から道子の声が聞こえてきた。
「ちょっと来てー!」
行くと、道子は便所を指差しながら、
「見てよ、これー! 壁がガラス張りだよー!」
そう言って地団太を踏んでいた。
小便をしたいのだが、モロ見え過ぎて、
「これじゃ落ち着かないよー!」
だそうな。
バスルームは六畳ほどの広さがあり、そこに洗面所、風呂、シャワールーム、便所が入っている。
その中で、便所とシャワールームだけがガラスの囲いで覆われており、何ともいやらしい雰囲気を醸し出している。
「もー、絶対に見ないでよねー」
道子はそう言って俺を追い出したが、「見ないで」と言われるほど見たくなるのは、鶴の恩返しから分かる日本人の心理。
ちょっとだけ見た。
が…、見慣れた嫁の、あまりの格好悪さにすぐ目を逸らしてしまった。
囲いがあるのにスケスケ、それが楽しめるのは付き合い出して数ヶ月、
「あっ、手が触れたよ!」
「あふー!」
そういう初々しい時期までであろう。
円熟期のカップルには不要を通り越して、不快感を覚えるだけであった。
さて…。
それから道子と二人、巨大なベットに寝転がりながら、しばしテレビを見た。
「紅白歌合戦の歴史」みたいなやつがやっていて、歌詞も出ていたので、二人で歌って時間を潰した。
隣の高級デパート街に行く事も思ったが、道子が風邪をひいていて歩ける状態じゃなかったし、ディナーまでは1時間しかなかった。
午後8時にディナーは始まった。
場所は一階。
通行人が足繁く行き交っている大通りに面した洒落たレストランである。
そこに、道子は普段着、俺はジーパンで乗り込んだ。
迎えてくれたのは、蝶ネクタイをビシリと装着した七三分けのナイスガイであった。
「いらっしゃいませ」
実に落ち着いた挨拶を見せてくれ、
「予約してある福山です」
名を言うと、
「伺っております」
深々と頭を下げた後、テーブルまで案内してくれた。
「普段着で構わんよ、普段着で!」
直前までそう言っていた俺であったが、奥へ進むにつれ、
(場違いな臭いがプンプンしてきた…)
と、不安になってきた。
が…、不安になったところで、着替えも持ってきてないし、こういうところで着るような服は家にも持ち合わせていない。
隣のテーブルを見ると、茶色の洒落たジャケットを着た中年が、
(なんだ、こいつは?)
そういう目で俺の姿を見た。
蝶ネクタイの案内人は俺と道子の椅子を引き、二人が座るのを見届けると、ワケの分からぬ横文字の言葉を発し、ペコリと頭を下げて去って行った。
「この雰囲気、いやだー!」
道子に言うと、
「それよりも福ちゃん、前が開いてるよー」
道子は、俺のジーパンのウエスト部、前ボタンが外れている事を指摘した。
「飯食う前はボタンば外さんと腹がふくれて飯が食えん。臨戦態勢に入ってるという事た」
外している理由を説明すると、
「もー、やめてよぉー」
そう言って、道子は他人のふりをした。
一発目の料理が出てくるまでに、まったりとした時間があった。
暇だったので、目の前に置いてある「クリスマスディナー」という冊子を読んだ。
今から出てくるコース料理のお品書きのようだ。
熟読してみたが、どんな料理が出て来るのかさっぱり分からなかった。
今、手元にそのメニューがあるので、ここに書き出してみる。
フレッシュフォアグラのパートフィロ茶巾包み
パルサミコビネガーとクルミオイル
天然真鯛の昆布じめカルパッチョキャビア添え
香草入り粒マスタードのソース
ポルト酒風味のオニオンスープ
ロックフォールチーズ入り
活オマールエビのロースト
ノワゼットオイル、トリュフの香り
佐賀牛ヒレ肉の網焼き リードヴォー添え
エシャロットのピューレと赤ワインソース
聖夜のサラダ
リンゴのムースとカスタードクリームのクレープ包み
カルバドス酒風味シナモンアイス添え
コーヒー、または紅茶
小菓子
このように、えらく長々としたメニューなのだが全くイメージが湧かない。
とりあえず、
「クリスマス定食」
今回のメニューをそういう風に解釈する事にした。
料理が運ばれてきた。
それと同時に飲み物も運ばれてきた。
一杯だけサービスなのだそうな。
俺にはビール、道子はフレッシュジュースが運ばれてきた。
「うそー、ビールなのにワイングラスに入っとるー!」
「ビールはジョッキだろー!」と、悶えている俺の横で、道子は器用にナイフとフォークを使い、一品目を食した。
一品目は、
フレッシュフォアグラのパートフィロ茶巾包み
パルサミコビネガーとクルミオイル
これであった。
名前は長いくせに出てきた食物は一口サイズであった。
小さいイソギンチャクみたいなやつが、ビックな皿の中央にちょこんと乗り、見た事もない色のソースがかかっている。
「おっ、こりゃ、ウスターソースとは違うようだ」
道子に話し掛けたが、
「静かに食べなよ」
冷たく叱られた。
道子を見ると、一口サイズのそれをナイフで切って食べていた。
「意味が分からん、それを切るんや?」
問うと、
「そういうもんなの」
またも冷たく返された。
そういうもんなら仕方がないという事で、ナイフを入れてみた。
まわりの部分がバリバリバリと割れ、中からフォアグラだと思われる黒い物が飛び出し、ソースと混じって一瞬にして真っ白い皿が汚れた。
「うわー、ぎゃんなったぞー!」
道子に見せると、
「もー、好きに食いなよー」
投げやりに言われたので一口で食った。
どのへんが「バルサミコビネガー」なのか「パートフィロ」なのか「クルミオイル」なのか、食ってもサッパリ分からなかった。
が…、
(こういうものがフォアグラなんだな…)
と、強引に理解した。
一品目が一瞬で終わった。
暇だったので耳を澄ますと隣のテーブルの声が聞こえてきた。
中年の男女で、どうやら俺達と同じコース料理を食べているようだ。
「うん、ちょうどいいバランスだね」
「このソースとフォアグラが合うのよ」
そんな声の後に、フォアグラの種類が何だ、ビネガーが何だ、などなど…、横文字をふんだんに交えた会話が聞こえてきた。
(こういう人達は、どういう風に笑うのだろう?)
そう思ってみていると、
「うふふふ…」
「あははは…」
本当に漫画みたいに、口元にハンカチを添えて笑っていた。
「おー、本当にこういう人間がおった!」
変なところで感動した。
さて…。
ビールが空きそうになった時、ソムリエが登場した。
「お飲み物は?」
そう聞いてきたくせに、
「今日は特別に」
と、いきなりオススメ商品を出してきた。
「この幻のシャンパンを格安でお出ししております」
だそうな。
価格はボトル二万円だという。
(二万円ですとな!)
目を丸くしていると、
「グラスでもお出ししております」
そう言ってメニュー表を見せてくれた。
グラス一杯3000円だそうな。
ソムリエが言うには、普段は35000円のボトルで、有名なドンペリよりも価値が高いとされるシャンパンだという。
「二人の記念に是非どうぞ」
甘い声を発しつつ、ソムリエは俺達の顔を覗き込んできた。
ポマードで光った髪と、脂で光ったデコが異様に眩しく、吐息はヤニ臭かった。
「いやぁ、遠慮しときます。俺はビールでよかです」
そう言って、ソムリエを追い返した。
ビールの値段は800円だった。
「道子、見ろっ、ワイングラスのビールが800円ぞ」
「ぼったくりだよねー」
「お前がさっき飲んだジュースも800円ぞ」
「薦められたシャンパンだって、グラス一杯3000円じゃ飲む人いないよねー」
そんな話をしつつ両隣のテーブルを見ると、両方とも二万円シャンパンを飲んでいた。
「おい…、本当に飲みよるぞ…」
「おかしいよねぇ」
場違いを実感する要素はありとあらゆるところにあった。
そもそも格好の時点で俺達は浮きに浮いている。
葬式に白いブリーフ一枚で参列しているようなものだ。
(今更どうしようもない!)
開き直ると気が楽になった。
「道子、窓の外を見てみろ、魚民(チェーン居酒屋)の看板が見えるぞ」
「あ、ほんとだ」
「落ち着くよなぁー、庶民の臭いがプンプンする」
「だってー、さっきのシャンパンを一杯飲んだら、魚民で飲んで食べれるよ」
「その通り」
場違いな方向に盛り上がってきた。
二品目がきた。
ものは、
天然真鯛の昆布じめカルパッチョキャビア添え
香草入り粒マスタードのソース
こういったものであるが、これは美味かった。
「この鯛、コリコリして美味いねぇ」
「最高だよー」
キャビアだの特殊ソースだのかけてあるようだが、そんなもの全く気にする事なく、普通の刺身として食った。
食った後に、
「おい、どれがキャビアや?」
「その黒いツブツブだよー」
それで気付いた。
個別にキャビアだけ食ったが、よく味が分からなかった。
ビールは追加で2杯頼んだが、それ以上は頼まなかった。
ディナーの後、高専時代の友人・浦部と外で飲む約束をしていたからだ。
ちなみに、
「焼酎、ありますか?」
メニューに載ってなかったので聞いてみたが、
「そういったものは…」
と、断られた。
表には出さなかったが腹が立った。
(俺が愛飲して止まない焼酎を「そういったもの」扱いするとは!)
その事であった。
続々と料理がきた。
三品目は、
ポルト酒風味のオニオンスープ
ロックフォールチーズ入り
これである。
どこにタマネギが入っているのか、ポルド酒がどんな味なのか、チーズが本当に入っているのか、どれもこれも分からないだらけであったが、とりあえず味は良かった。
ところで…。
知らない人のために説明しておくが、こういったところで出るスープはグビリと飲んではいけない。
スプーンでチョビチョビ飲まねばならないのだ。
それもカレーを食う時に用いる大き目スプーンでなく、ヨーグルトなどを食う時に用いる小さ目のスプーンで飲む。
スープが盛られている皿には取っ手が付いているのだが「持ってはいけない」というところに最初の疑問が浮かぶ。
(何のための取っ手や?)
まず、その事である。
更に、スプーンやフォークは外側から使うのが約束事らしく、道子に、
「違うよー、そっちの小さいほうで飲むんだよー」
そう指摘された。
不効率でしょうがない。
(高いスープだから、チョビチョビ飲むためのマナーであろうか?)
そうも思えるが、金持ちが食うフランス料理なのでそれはないだろう。
が…、テレビの話を思い出すに、どっかの金持ち関西人が、
「ケチだから金持ちなんや!」
そう言っていたのを聞いた事もある。
(こういったチョビチョビこそ、金持ちの基本なのだろうか?)
そんな事を考えつつ飲んでいたのだが、結局は我慢できずに大き目スプーンで一気に飲んだ。
本来ならば、取っ手を持ち、牛乳を飲むみたいに一気に流し込んでやりたかったところだが、そこは店の雰囲気からあまりにもかけ離れるので遠慮した。
とりあえず、これも味は良く、道子などは絶賛の一品であった。
四品目は、
活オマールエビのロースト
ノワゼットオイル、トリュフの香り
こういったもので、要はエビの姿焼き(半身)である。
付属で餃子のタレみたいな液体が付いてきたが、二人とも使い方が分からず、結局は食い終わった後、係員に下げられるのを見て、
「やっぱりアレ、エビにかけるタレだったんぞー」
「もー、説明して欲しかったよねー」
二人で悶えた。
エビはボリューム満点で味も良かった。
ただ、殻を上品にむしるのが非常に困難で、後ろで蝶ネクタイの男が見張っている環境ではあったが、
(ええい構わん!)
と、手でむしった。
ところで…。
これは今日のディナーを総じて言えることだが、後ろで俺達を見張っている連中(蝶ネクタイ)が非常に邪魔。
サービスを行うタイミングが重要なのは分かるが、ちょくちょく俺達をチェックしにくるのが気になってしょうがない。
向こうはさり気なくチェックしているつもりかもしれないが、こっちからしてみれば痛いほどに視線を感じる。
「用がある時は呼ぶけん、向こうに行ってくれ!」
そういう感じである。
道子にこの事を言うと、
「確かに、見ないで欲しいよねー」
同意見のようだ。
「すんまっせーん、そこの兄ちゃーん!」
そう呼ばれて店の雰囲気を壊すのがいやなら、チェーン居酒屋のように呼び出しボタンでも設置したらどうだろうか。
ま…、それがフランス料理の文化で、その文化で食う以上は俺達が従わねばならないのであろうが(無料で食ってるし)、それでも言いたくなるのは庶民の常であろう。
さて…。
五品目、ついにメインに入る。
佐賀牛ヒレ肉の網焼き リードヴォー添え
エシャロットのピューレと赤ワインソース
ものはこれで、登場の仕方もさすがにメインらしい。
テレビで見るように銀色の蓋が乗っかった状態でテーブルに現れ、俺達の前でそれが「えいや」と取られる。
もちろん、俺と道子は、
「おー!」
歓声でメインを迎えた。
肉の添え物として、変わった形のポテトチップスや、ウンコ風に盛り付けてあるポテトサラダがあった。
「なんでウンコ風(ソフトクリーム風)に盛り付けるんかね?」
道子に問うと、排泄ネタが大好きな道子だけに、
「超笑えるよー、やめてよー、プヒー!」
過ぎるほどに喜んでくれた。
また、道子はこの時点で、
「食えないよー」
そう言い出し、明らかに食う速度が落ちてきた。
風邪のせいで食欲が湧かないらしい。
「お肉、残しちゃおうかなー」
そんな事まで言い始めた。
この肉、今までに味わった事がない柔らかさで、味付けも最高に良かった。
更に、あらかじめ切ってあったので、慣れないナイフを用いなくてよく、豪快にフォーク一本でモリモリ食えた。
その肉を、道子は「残す」と言う。
「残すならくれよー」
小声で言うと、
「あげたいけど…、後ろがねぇ…」
道子は後ろの蝶ネクタイをチラリと見た。
確かに、お裾分けをするには適さない環境であった。
ていうか、フランス料理は「金持ちが食う」という事が前提なので「お裾分け禁止」というマナーがあるのかもしれない。
が…、食べたい。
道子も俺に食べさせたい。
「しょうがない、そっと俺の皿に乗せてくれ」
道子に囁き、ゆっくりと俺の皿を寄せた。
「分かった」
道子はそう囁き返すと、後ろを気にしながら、
「ほいっ」
最もマヌケな掛け声を上げ、肉を俺の皿に転がした。
肉は俺の皿で転がり、俺も思わず、
「むほー」
変な声を上げてしまった。
これだったら、普通に皿ごと渡すか、もしくはフォークに乗せ、堂々と渡せば良かったのだ。
最悪のキャッチボールになってしまい、俺達は大いにうろたえた。
恐る恐る後ろをチェックすると、蝶ネクタイの男と目が合った。
男は見るからに「笑いを堪えている」その顔をしていたが、俺と目が合うや後ろを向いた。
多分、堪えられなかったのであろう。
「もうっ、お前のせいで!」
耳を赤くして道子を叱ると、
「福ちゃんが欲しいって言うからじゃん!」
小さなケンカに発展した。
六品目は「聖夜のサラダ」という意味不明なサラダであった。
が…、出るやビックリ。
何て事ない普通のサラダであった。
「どのへんが聖夜っぽいんや?」
都会出身の道子に聞くと、
「今日(23日)食べるから聖夜のサラダじゃない」
そう返され、
(そういうもんなのか…)
納得するより他はなかった。
七品目から九品目は一気に出た。
リンゴのムースとカスタードクリームのクレープ包み
カルバドス酒風味シナモンアイス添え
コーヒー、または紅茶
小菓子
ものはこれらで、デザートは凄まじいボリュームであった。
俺は甘い物が苦手だ。
当然、それらを食い尽くすのには苦労したが、
(とりあえず食っとかねば)
と、義務的に食った。
フランス料理という響きには、
「有無を言わず食え!」
なぜか、そういう威圧感がある。
現に、飾りで出てきた草花の全てまで、俺は食い尽くしている。
ちなみに…。
甘いものを完食するため、コーヒーを二度もおかわりしている。
「すんませーん、おかわりー」
蝶ネクタイを呼び止めたところ、両隣の中年が、
(おいおい、おかわりしてるよー、ここはジョイフルじゃないんだぜー!)
そういう目で俺を見た。
が…、蝶ネクタイは観察を続けてきただけあって、俺と道子がどういう客質か理解したらしく、最初はカップの半分しかコーヒーを入れてなかったのに、二杯目はなみなみと注いでくれた。
また、「小菓子」というメニューで、二人に一皿、小さいケーキだのクッキーだの置いてあったが、腹いっぱいで食えなかった。
「詰めてもらえば」
冗談で言ってみたら、道子は蝶ネクタイを捕まえ、
「部屋に持って帰るんで、このお菓子、詰めてください」
本当に言った。
最初は人の目を気にしていた道子だが、時々刻々と大胆不敵になっていき、ついには俺を越えた瞬間であった。
(多分、手元に爪楊枝があったら、道子は「しーはーしーはー」するだろう…)
そう思われた道子の素振りであった。
時計を見ると二時間が経過していた。
浦部との待ち合わせは10時で、その時間ピッタリである。
フランス料理の食べ方は、チョロンと出ては空き時間があり、またチョロンと出ては空き時間の繰り返しなので、最低でもこれくらいの時間はかかるようだ。
多分、この意図は会話を弾ませるためであろう。
現に、俺と道子の会話は久しぶりに弾んだ。
それも内容は、
「もう手で食ってやる!」
「凄いー!」
「おしぼりで顔を拭いてやる!」
「凄いー!」
「屁もふってやる!」
「凄いー!」
確かに、これらはフランス料理が与えてくれた会話でもある。
「ま…、こういうのも、たまには良いもんよ…」
そう言って、俺達は席を立った。
帰り際、土産としてドライフラワーのクリスマスツリー(30センチ)を貰った。
(いらねー!)
そう思ったが、
「すいませんねぇ、まったく…」
と、オバサンっぽく蝶ネクタイに頭を下げてみた。
レストランを出ると、コース料理のメニュー表があった。
うちらはタダなので、見る必要はないのだが、
(幾らのコースを食ったのか?)
気になるので見た。
多分、同じものだろうと思われるコースが「15000円〜」と書いてあった。
メニューなのに「〜」を付ける意味がよく分からないが、とりあえず二人で「30000円〜」という事なのだろう。
店から道子が出てきたので率直に次の質問をぶつけてみた。
「金払って今の料理を食いたいと思うや?」
「思わないよー」
即答であった。
その後、部屋に戻り、
「腹いっぱいで動けんぞー!」
道子と共に巨大ベットに寝転がった。
浦部とはホテルのロビーで落ち合う事になっていたが、そこまで行くのが面倒臭かったので、
「部屋まで来て」
と、部屋番号を教えた。
「浦部もこういう部屋に来る事は当分なかろけんねぇ」
そう言うと、
「確かにない」
庶民・浦部は一発で食いついてきた。
浦部が部屋に着くまでの俺は実に多忙であった。
なるべくリッチに見せねばならなかったので、急遽、裸にガウンという格好に着替え、ワイングラスに紅茶(無料だから)を注いだ。
靴も脱ぎ、備え付けの高級スリッパに履き替えた。
髪も水で濡らし、何となく高級感を出した。
「よーし!」
そう言いながら鏡で我姿をチェックしていると、
「何やってんだよ、もー」
横で道子が呆れていた。
(俺、馬鹿かな?)
そう思った時に、浦部が来た。
玄関を開けるや、
「何や、お前?」
眉間に深い皺を寄せ、明らかに不快の色を示した。
浦部は隣に彼女を連れていた。
その初対面の彼女までもが、
「何やってるんですか?」
唖然とした顔で俺を見た。
全然、喜んでくれなかった。
「いや…、高級感を出そうかと思って…」
俺が弁解していると、
「おー、久しぶり、みっちゃーん!」
「あっ、浦部君、久しぶりー」
「うわー、この部屋、すげぇーねぇー」
「凄い、凄いー」
アッという間に、俺以外の人達は盛り上がった。
(何やってんだ、俺…)
ちょっぴり悲しくなった。
その後、浦部とその彼女は「凄い」を連発して部屋を見て回り、四人掛けのテーブルでビールを飲んだ。
冷蔵庫に備え付けの缶ビールである。
350ミリリットル缶で600円だった。
「さすがにスウィートやねぇ」
そう呟かずにはいられない重い一杯であった。
30分ほど部屋で戯れた後、先ほどレストランから見えていた魚民(チェーン居酒屋)に向かった。
道子は風邪をひいていたので部屋で留守番。
俺と浦部カップル、計三人で午前2時くらいまで飲んだ。
浦部の彼女は漁師の娘という事で実にハキハキしており、
「何やってんの、あんた!」
だらしない浦部をよく叱り、浦部は、
「そんな言うなよぉ」
ワカメっぽいフニャンフニャンの受け応えを見せていた。
(何だかこの二人、所帯染みてる…)
正直、そう思った。
が…、浦部の性格を熟知している俺に言わせれば、
(浦部の彼女になるべくしてなった女だ…)
そうも思われた。
ちなみに、馴れ初めなどを聞いたが、
「お前が言えよー」
「やだっ、私は言わないっ」
「大した話じゃないだろー」
「だったら、あんたが言いなよ」
「お前に言わせたいんだよー」
「うるさいっ」
ケンカになりそうだったので、「今度聞く」と遠慮した。
部屋に帰ると、道子は赤い顔をして布団で寝ていた。
部屋の温度が高く、そのせいで発熱したのであろう。
すぐに部屋の温度を下げ、
「いるものがあるや?」
聞くと、
「アイスノン」
消えそうな声でそう言った。
(かわいそうに、道子…)
思っていると、道子は意外に敏速な動きで時計を見、
「こんな時間まで飲んでたの?」
ハッキリと、そして凛とした声でそうも言った。
(女は怖い)
と、今日も思った。
とりあえずフロントに電話を入れ、アイスノンを頼み、わざわざセッティングまでしてやった。
それから風呂に入って寝たので、就寝時刻は午前3時近くになった。
さて…。
翌朝になると道子の熱も引いており、
「さ、気合を入れて高級バイキングを食べるよー!」
そういった元気な声も聞かれた。
朝食は洋食と和食が選べ、どちらも御一人様2500円のものであった。
「朝で2500円は高いなぁ」
「でも高ければ高いほど期待感があるよー、今日はタダなんだからねー」
道子とそのような言葉を交わしつつ洋食のバイキング会場に乗り込んだのだが、特色のない普通のバイキングであった。
ただ、係員が各テーブルを丁寧に見回っており、フォークなどを落とすと稲妻のような速度で拾ってくれ、代えのものを用意してくれた。
また、変わった客もいた。
「バイキングというシステムが嫌いなんだよ」
隣のテーブルに金持ちそうな家族がおり、その中の主人らしい男が係員に難癖をつけ、メニュー表を用意させていた。
係員は、
「バイキングにあるものと同じものしか作れません…」
そう説明していたが、
「かまわんよ」
そう言って、わざわざ単品で頼んでいるのである。
横を通るふりをし、そのメニュー表を覗いてみたのだが、なんとスクランブルエッグが900円であった。
どう考えてもバイキングの方が安くつく。
「あの家族おかしいぞ、ちょっと見てみ」
道子に言うと、道子はその男の母であろうか、そっちの方が気になったらしく、
「私は、あのオバサンの格好のほうが気になるよ」
そう言った。
確かに、チンドン屋っぽい格好をしている。
「金持ちってのは、変わった奴が多いよなぁ」
俺達の結論はこれであった。
それから部屋へ戻り、サッサと帰り支度をして、10時にはホテルを出た。
無論、部屋を出る時、シャンプーだの歯ブラシだの、ありとあらゆる消耗備品を持ち帰った。(いつも)
また、ご丁寧にホテルから土産物まで頂き、中身はエルメスのシャンプー、ボディーローションであった。
「凄いよー、エルメスだよー」
エルメスというメーカーを知らない俺からしてみれば、シャンプー如きで喜ぶ道子が不思議でしょうがなかったが、聞けばエルメスはリーバイスにも勝る高級メーカーらしい。
とにかく…。
今回、俺達はひょんな事から高貴な場所に足を踏み入れた。
今、これを書きながら、
(何が最も思い出に残ったか?)
考えるに、
(魚民かなぁ…)
それが一番に浮かび、他はあまりにも夢物語過ぎてハッキリと浮かんでこない。
また、この一泊を終えた後、友人や親族衆に、
「料理はどうだった?」
「部屋はどうだった?」
聞かれたが、それら全てに、
「場違いでした」
それしか答えられていない。
「場」は現在の価値観の集大成で、それらは一年もすれば大いに変わる余地はあるのだが、今の俺の場には「無駄」と受け取られたのであろう。
が…、いい経験をさせてもらった。
「楽しかったか?」
そう聞かれるなら、胸を張って、
「楽しかった。勉強にもなった」
そう言える。
ちなみに道子も、
「本当に楽しかったよー!」
そう言っている。
別に何かをしたわけではない。
福岡まで行ってホテルに泊まり、フランス料理を食っただけなのだ。
これが慣れているために新たなる発見を覚えない高い層の連中であったなら、
「行って帰っただけ、まじ疲れた」
そうなるであろう。
(層が低いという事は細部まで楽しめるという事ではなかろうか?)
ふと、その事を思った。
そう考えると、俺達には見えないところが更に低い層には見えているのかもしれない。
だから、
「一度やると止められん」
ルンペンなどはそう言うのであろうか。
(金持ちと貧乏、どっちが幸せか分からん)
まさに、その事なのであった。
ちなみに…。
新聞で、
『ホテルオークラ福岡が大赤字で大変』
その事実を知った。
何やら借金を返せなくなってしまったらしく、銀行も諦めているだの、グループで建て直しを頑張るだの、値段設定を下げるだの…。
ま…、頑張って立て直して欲しいものである。
窓を開けてみた。
冬なのに暖かい風が吹き込んできた。
今日も、春と道子は奥様会でいない。
〜 終わり 〜