悲喜爛々41「道子の舞台」

 

 

5月1日から、北九州にある若松競艇でナイターレースが始まった。

西日本初のナイターレースで、その名を「パイナップルレース」という。

名付け親は、作詞家(神田川の作詩が有名)の喜多城忠さん。

その原案となったものは、

「パインナイトレース」

これで、道子が考え出したネーミングである。

旦那としては、

「凄い…」

これしか言いようがない。

応募総数は12000弱、そこから選ばれているのである。

また、賞品はラスベガス旅行とナイター初日の観戦ツアー、金額にするなら25万円相当となる。

道子に「パインナイトレース」と付けた理由を聞いてみた。

「若松の松が、英語になおすとパインなんだよー」

なるほど、シンプルではあるが目の付け所がいい。

「パイナップルレース」と名付けた喜多城忠さんの説明を読んでみた。

「南国を連想させる」

「ジューシーで新鮮」

「夏らしい」

そのような事が書いてあった。

が…、そんな事はどうでもいい。

「道子が賞をとった」という事が重要で、その事が凄い事なのだ。

賞品のラスベガス旅行は義母と恵美子にやった。(道子が)

その事は前の日記で触れたし、旅行の詳細も書いた。

残りの賞品は、

「パイナップルナイター観戦ツアー」

これで、場所が北九州だから身重の道子も行ける。

「ラスベガスに行けなかったんだから、これには行くからねー」

本人はやる気満々。

「勝負(賭け事)もするんだからねー」

そうも言っている。

出発の前日には主催者側から電話があり、

「さとう玉緒ちゃんや喜多城忠さんとイルミネーション点灯式に参加してもらいます」

そう言われ、

「どうしよー、オシャレしなくちゃー」

と、サンダルを買いに付き合わされたりもした。

とにかく道子はノリノリ。

それもそのはず、招待されたパイナップルナイター、その初日は道子にとって「晴れの舞台」となる事は間違いないのだから。

さて…。

日は、5月1日に移る。

この日がパイナップルナイターの初日で、観戦ツアーの日である。

家族三人、朝から旅行会社が指定した高速バスに乗って北九州へ向かった。

昼前に小倉へ着き、ホテルに荷物を預けて昼飯を食い、それから黒崎へと場所を移した。

小倉から競艇場までタクシーで行けばよかったのであるが、春が電車に乗りたがっているのと、黒崎に美味い餃子屋があるのと、無料バスが黒崎から出ているというのを理由に、わざわざ場所を黒崎に移した。

ちなみに、主催者側からはタクシー代として一万円が出ている。

わざわざ無料バスに乗る事もないのだが、そこは庶民の考える事。

「この一万円はレースに使うぞー!」

暗黙のうちに、そういう流れとなった。

電車は混んでいた。

滅多に乗れない電車というものを春に楽しんでもらうつもりであったが、いかんせん混んでいては自由度がない。

失敗であった。

また、黒崎に着くや美味い餃子屋へ向かったのであるが、閉まっており、

「なんだよー、最悪ー」

これも失敗であった。

それから、無料のバス乗り場へ向かった。

バス乗り場には、見るからに「賭け事が好きそうな人」がたっぷりと並んでおり、誰もがスポーツ新聞を握っていた。

皆が皆、鬼気迫る表情で新聞に赤いマークを入れている。

二歳の子連れ夫婦には間違いなく場違いな雰囲気であった。

「タクシーで行くや?」

道子に問うたが、いい顔はしてくれない。

「お金が大事だよー♪」(アフラックの歌より)

その顔であった。

が…、バスが来て乗り込み、その中で身動きがとれなくなった時、

「やっぱり、タクシーに乗る?」

道子はそう言ってきた。

遅い…、遅過ぎる。

鮨詰状態という事は退路も塞がれており、身動きとれぬ状態なのだ。

ましてや、鬼気迫る顔をしたオッサンやオバサンに、

「どいてくれ」

そんな事を言ったら、

「うるさいっちゃ、なんかきさん!」

と、噛まれそうな雰囲気もある。

仮に雰囲気が良かったとしても、出るためには何人もの人にバスから出てもらわねばならず、「出る」という事が「迷惑千万な状況」という事は間違いない。

バスは身悶える福山一家を乗せ、すぐに出発した。

黒崎から若松競艇上までは20分強。

曲がるポイントも多く、頻繁に揺れる。

地獄であった。

右手に春(12キロ)を抱え、左手で吊輪に捕まった状態、これを永延と保たねばならないのだ。

腕が悲鳴をあげた。

「タクシーで行けばよかったねぇ」

道子が今更ながらにそう言うが、本当に「今更」で、

「うるせぇ、こんちくしょー!」

俺から言わせればそういう感じである。

目の前のシートはシルバーシートで、

「お年寄りやお子様連れの方に譲ってください」

そう書いてあるが、九割が年寄りという環境においては効果がない。

ひたすら耐えた。

途中、誰かの携帯電話がなった。

着信音は「きよしのズンドコ節」で、道子が、

「笑えるよー、ズンドコ節だよー、やっぱ老人だよー」

そう言っていたのをよく憶えている。

とにかく、このバスも失敗であった。

ところで…。

競艇というと、俺も道子もド素人である。

競艇場に足を運んだ事もないし、テレビで見た事もない。

選手の名も、誰一人知らない。

イメージだけがある。

赤鉛筆を右の耳に差したオッサンが、野次を飛ばしながらスポーツ新聞を振り回す絵。

その前を小さなエンジンボートが頼りなくブーンと走る絵。

道子は競馬も競輪もやった事がない。

モロにそのイメージであったろう。

そして、そのイメージを確かにしたのは、バスの中で見た多くのオッサンやオバサンであったに違いない。

俺は学生時代(8年くらい前)に競馬と競輪を嗜んでいる。

熊本競輪場や荒尾競馬場がそのステージであったが、イメージは道子と何ら変わりがない。

ただ、「競艇は第一コーナーが勝負」という基本だけは得ていた。

若松競艇場に着いた。

意外にも建物は新しく、そしてモダンであった。

正面玄関から入り、周囲を見渡し、人を見渡した。

膨らんでいたイメージを裏切らない世界がそこにあった。

広大なホールは煙草の煙で白くなっており、あちらこちらで新聞を広げ、赤マークを書き込んでいる人を見かける。

人も見るからに「やってそうな人」ばかりで、予想屋がバナナの叩き売りみたいに濁声を上げてもいる。

(昔、通い慣れた熊本競輪場と大して変わらん…)

そう思った。

そして、

(こうも露骨に「人間の欲」というものが感じられる世界はなかろう…)

そうも思った。

欲望というものが内々で渦巻きがちな外世界とは対照的に、ここでは欲望がフルスロットルで発散されている。

ある種の清々しささえ感じた。

俺達はバスを降りると、バッチリ髪型をキメた中年係員に案内され、レストランへ移動した。

「ちょっと、ここで待機して頂きます」

そう言われ、

「この空き時間に」

と、場内の説明やイルミネーション点灯式の説明を受けた。

係員の対応は異様に親切であった。

「飲み物をどうぞ」

と、座るやビールが出たし、舟券の買い方なども懇切丁寧に説明してくれた。

それから場所をレストランから「A指定席」に移ったのであるが、この時、土産までくれた。

A指定席はジュース飲み放題で、手元に個人用のオッズモニターまである素晴らしい席であったが、これでも二番目のグレードという説明であった。

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本当は「ロイヤル」という最上級の席を用意してくれたらしいが、春がいるという事で、

「子供が駄目なんです」

と、二番目に格下げとなった。

が…、それでも素晴らしい席という事には変わりない。

道子は着座するや即座に土産物の袋を開け、中身を確認していた。

中身はタオルとキーホルダーとペンライト、それに三連単予想用のオリジナル電卓が入っており、いずれも二個ずつ入っていた。

「競艇場は気前がええねぇ」

感心しつつ、すぐさまレースに没頭した。

ま…、没頭とはいっても、予想ができるはずもなく、

「適当に買うぞ」

「うん、好きな数字を買うよ」

「よし、俺は春に選んでもらおう」

「私も」

などと、超適当に買うのであったが、買わぬよりは買った方が盛り上がれる。

事実、大いに盛り上がれた。

時間はぶんぶん過ぎた。

第一レースから第七レースまで、全レースにちょっとずつ投資。

計四千円ちょいを賭け、130円戻ってきた。

ビギナーズラックも素通りの悲しき結末ではあったが、楽しめた事を思えば結果オーライといえるだろう。

春に至っても大満足。

ジュース飲み放題なものだから、道子の「だめっ」がなく、飲む飲む。

レースが終わるたびに新しいジュースを飲んでいたようだ。

第七レースが終わると、イルミネーション点灯式のため場外の広場に場所を移した。

さ、これからが道子の晴れの舞台である。

広場には若松競艇のマスコットなのであろう、二匹のカッパがいた。

子供達の大半はこれらに群がり、

「かわいー、かわいー」

そう言って触っていたが、春だけが、

「こわいー」

と、カッパを押し退け、号泣した。

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どんなに見た目が可愛くとも、人以外の動くものが苦手なようだ。

その代わり、大人が逃げたくなる強面のオッサンには好んで寄り付き、「やれ」と言ったわけでもないのに五木ひろしのモノマネを披露していた。

春の行動と思考、親でさえよく分からない。

午後6時が点灯式で、その30分前には人が集まり始めた。

集まってくる人々、その風貌は実に変わっていた。

皆、似たようなジャンバーを着ており、何か似た雰囲気もある。

手に持っているカメラも上等なもので、どう見ても競艇をやっているオッサンとは臭いが違う。

多分、さとう玉緒のファンなのであろう。

以前、熊本空港でモーニング娘の熱狂的ファンと会ったが、それと同じ臭いがした。

ステージ最前部は、アッという間にそういう類の男どもに占領された。

6時5分前になると、スタッフが道子のところに現れ、

「あなたのネーミングを選ばれた喜多城忠さんです」

そう言って、一人の中年男性を紹介してきた。

「喜多城です、よろしく」

喜多城忠は実に気の良い中年で、実に爽やかな笑顔で道子に握手を求めてきた。

道子は、

「ふぁ」

素っ頓狂な返事をし、「あんたには興味がない」と言わんばかりのダラリとした反応を見せ、普通に握手をした。

俺は名曲・神田川を作詩した男が目の前にいると思うだけで、

(すげぇー!)

と、震えるほどに感動し、一緒に飲みたいとも思い、なぜ「小さな石鹸カタカタ鳴った」(神田川の中で)と書いたのか、そこを聞きたくてしょうがなかったが、脇役という立場ゆえ発言権はない。

中学生の恋愛のように、一歩だけ距離を置き、憧れの人を見つめ続けた。

頭の中では神田川が流れ続けている。

何度、歌っても素晴らしい歌詞だ。

特に、「小さな石鹸カタカタ鳴った」というフレーズがたまらない。

この部分に関し、俺の推測はこうだ。

寒空の下で震える様を書くなら「小さな石鹸」でなく、「普通の石鹸」でもいい。

それを「小さな石鹸」にしたのは、「この二人が銭湯へ通ったのは一度や二度の事ではない」それを聞き手に悟らせるため。

そして、女は震えてはいるが、その小さくなった石鹸を幸せそうに眺めているのだ。

洗い髪が芯まで冷える、その待ち時間を彼女は楽しんでさえいる。

「待たせたな」

そう言って出てくる男を、

「今、出たばかりだから…」

と、小さな笑顔で迎える女。

二人はこの問答を、石鹸が小さくなっては消え、小さくなっては消え…、何度も何度も続けてゆくのだ。

俺は喜多城先生に聞きたかった。

「あの小さな石鹸は、寒空の下で燃えている二人の愛でしょう?」

が…、道子は、

(何だ、このオッサン?)

という目で、この偉大な人・喜多城先生を見ている。

(代わりたい! お前と代わって喜多城先生と話がしたい!)

求めているところに人は来ず、不要なところに人は来る。

皮肉な話であった。

道子はスタッフに案内され、ステージ横の椅子に座った。

喜多城忠先生も座り、さとう玉緒もスタッフに囲まれながら登場した。

道子、さとう玉緒、喜多城先生と三人が横一線に座った時点でイルミネーション点灯式が始まった。

スタッフの案内で手袋をした道子は、どう見ても落ち着きがなかった。

さとう玉緒をチラチラ見つつ、

「キンチョウ、シテル」

と、目で俺に言ってくる。

(それで、俺にどうしろと言うのだ?)

そう思ったが、「写真を撮ってくれ」と言っているのかもしれないとも思い、数枚撮ってやった。

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さとう玉緒の登場で、会場は一気にヒートアップした。

周りを見渡すに、喜多城忠で燃えているのは俺一人だったように思う。

さとう玉緒はテレビで見るのと何ら変わりなかった。

いつものようにブリブリで、いつものように鼻声だった。

ステージ最前列の熱狂的ファンが、

「たっまおちゃーん!」

一糸乱れぬ声援を上げ、それに手を振る玉緒(呼び捨て)は俺が今まで見てきたブリッコの中でも最上級のブリッコで、

(さすがに「キング・オブ・ブリッコ」と呼ばれるだけあるな…)

その徹底ぶりにだけは、心底感心せざるを得なかった。

司会者が三人をステージに呼んだ。

玉緒と喜多城先生はゆっくりと落ちついた物腰でステージに上った。

これに対し、道子の上り方はどこかぎこちなく、姿勢が猫背でETのようで、キョロキョロしながら上っていった。

前二人が落ち着いているぶん、道子のETっぽさはよく目立った。

司会者は三人を中央に立たせ、慣れた調子で一人一人紹介すると、次いで、打ち合わせ通り、三人にマイクを向けていった。

喜多城先生がパイナップルナイターというネーミングについて簡潔に語り、次いで、ブリブリの玉緒が、

「競艇って初めてなんですぅー♪」

みたいな事を喋った。

(けっ、くっだらねぇ)

あまりのブリブリ振りに、ムナヤケを覚えた。

(中村玉緒のほうが数倍良かった)

とも思った。

が…、最前列のファン達は拍手喝采。

「玉緒ちゃーん、かわいー!」

「たまんねぇー!」

そんな事を連発した。

最前列だけ、明らかに空気の色も熱気も違っていた。

(ま…、こんだけ熱くなれるってのは幸せな事よ…)

そう思いつつステージを見ていると、司会者は、

「熊本から来た名付け親にも一言」

そう言って、マイクをET姿勢で固まっている道子に向けた。

この瞬間、最前列の玉緒ファンが一気にクールダウンした。

俺は前から七列目くらいにいたのであるが、こいつらの冷えっぷりには心底腹が立った。

「俺の嫁が晴れの舞台で面白い事を言おうとしているのに、その反応は何だー! 静かな会場では面白い事が言い辛いんだからな!」

後方で、カメラを持つ俺の手が震えた。

むろん、怒りによる震えである。

(よし、道子が何かを言ったら、俺だけでもドーンと盛り上がってやる!)

爪先立ちになり、盛り上がる姿勢をとった。

が…。

真っ赤な顔の道子が喋った内容は、

「普通」

それであった。

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道子は、

「スピーチをしてもらう」

そう言われてから、何かをズゥーッと考えていた。

明らかに何か狙っている様子であった。

このステージの直前には、

「緊張するよぉー、ああ、緊張するよぉー」

そう言って、何度もションベンに行っている。

緊張するという事は、

「何かをやろうとしている事だ」

俺は当然のようにそう思っていた。

その道子が、まるで教科書でも読むかのように、何の波風も立たない普通の話、いや話とも呼べない、命のない無機質な呪文を唱えたのだ。

当然、涼やかな風が吹き抜けるかのように道子の舞台は流れた。

俺は混乱した。

道子を助ける気持ちで燃えていたからだ。

「道子がハズしたら、俺だけでも盛り上がってやらねば!」

と、爪先立ちで待機している、この俺の燃える思いはどこへゆけばいいのか。

行き場をなくした熱は、虚しく空に霧散した。

ふと、春を見た。

「ふんっ」

とでも言うが如く、鼻をほじくっていた。

春も納得がいかなかったのであろう。

この後、ステージ上の三人は一斉にイルミネーションのスイッチを押した。

海をバックに三万個のライトが城のかたち(?)を映し出したが、6時という明るい時間だったため、中途半端に光った。

これにて道子の晴れ舞台は終わった。

喜多城先生はスタコラサッサとステージを下り、玉緒は観客に手を振りながら例のブリブリスマイルで下り、道子は相変わらずのET姿勢でヘラヘラしながら下りてきた。

歩み寄ってきた道子は、胸を押さえながら、

「緊張したよぉー」

そう言ってきた。

「あれを言うのに、何で緊張せにゃならんとや?」

「何だよー、面白い事なんか言えるわけないじゃーん、期待しないでよー」

「せっかくの晴れの舞台を…、もったいない…」

「それよりも玉緒ちゃん、顔がちっちゃくて、かわいかったよー」

道子は、

「いかに玉緒が可愛かったか」

その事を永延と喋り始めた。

「もったいない…」

俺は何度も何度もそう呟いた。

晴れの舞台でスピーチするに当たり、考えに考えた(であろう)道子の言葉が毒にも薬にもならない、空気のようなそれであった事。

そして、その晴れの舞台を楽しむ事もせず、ひたすら玉緒研究をしていたという道子の言。

そもそもETの姿勢がよくない。

道子には凛とした姿勢でステージに立って欲しかった。

そして、向けられたマイクに向かって、

「玉緒ちゃんもいいけど私も見て! 名前を付けたのは私なんだから! 私は道子、福山道子! あそこにいるのが私の旦那と娘、私はやったわよ!」

そこまで言わなくてもいいが、

「晴れの舞台に立っている」

その雰囲気を出して欲しかった。

堂々と喋ってさえいれば、会場を盛り上げる事はできたはずだ。

道子は天然ボケの女だから、一生懸命にやればやるほど、意図しないところから笑いが漏れる可能性が高い。

「一生懸命でさえあれば…」

何かが起こったはずなのだ。

が…、それは天然モノに求めてはいけない事なのかもしれない。

天然モノの悲しい性、それは爆弾の火の点け方を知らないという事。

破壊力抜群のそれを幾つも持っているのに、いかんせん、その爆弾には導火線がない。

不意の爆発を待つしかないのだ。

この、いい例がいる。

俺の友人で、天然モノの頂点を極めた「太陽」という男である。

彼は強力な核爆弾を常時幾つも備えている。

備えているが、

「そこだ!」

という時に限って投げない。

そして、不意に、皆が思いもしない時にそれを投げ、

「笑えるけど、遅いよぉー」

ってな具合になる。

それが天然の天然たる所以であろうが、養殖モノの俺としては、

「もったいない」

そう言いたくもなるわけである。

ま…、それはいい。

とにかく、舞台に上った本人・道子が、

「いい思い出になった」

そう言っているのだから、風が過ぎ去ったような舞台でも結果オーライなのであろう。

さて…。

これにてメインの事を書き終わった。

書き終わったので、後は余談という事になってしまうが、貴重な体験もしたので順を追って書いていきたい。

この後、第九レースまで競艇を楽しんだ俺達一行は、それからタクシーで黒崎へ移動し、先ほど食えなかった美味い餃子屋へ入った。

夜飯は前田さんという前会社の先輩と食う予定であったが、

「どうしても」

という道子の言を受け、わざわざ食べに行った。

それから電車で小倉へ移動し、前田さんと会い、寿司屋でご馳走になった。

寿司屋はクルクル回っている寿司屋でなく、値段の書いてない、見るからに高そうな寿司屋で、心底美味かったが、やはり高かった。

寿司屋を出たのは午後11時くらいだったろうか。

春と道子をホテルに帰し、俺と前田さんは二人で夜の小倉へ向かった。

むろん、ギャルを交えて飲むためである。

数件の店をハシゴし、午前3時くらいまで飲んだ。

ちなみに…。

こんなにも堂々と「ギャルを交えて飲む」と書いているのには理由がある。

道子にバレたからだ。

本来ならば、

「居酒屋で飲み、スナックへ流れた」

そう説明するつもりであったが、道子の目は不用意に投げ捨てていた俺のズボン、そのポケットに向いていた。

この辺は、さすがに女であろう。

翌朝、俺が起きると、道子はそのポケットから、角が取れた四枚の名刺を取り出しており、ご丁寧に並べて俺に突き出してくれた。

「まゆちゃん、りなちゃん、みそらちゃん…、ふーん、昨日は楽しんだみたいね?」

ちょっぴり二日酔いの俺には痛過ぎる尋問であったが、悪い事をしたわけでもないので、

「たっぷり楽しんだ」

笑顔で頷いた。

道子は財布の中身を確認し、あまり減っていない(前田さんのご好意により)事を見届けると、

「ま、いいけどね」

と、別に突っかかりもしなかったが、これがもし、財布が空にでもなっていようものなら、

「無職のくせに! 使い過ぎだよ、馬鹿ー!」

散々言われたに違いない。

道子にとって女遊びがどうこうではなく、

「もったいない!」

その事が問題なのだ。

と…。

こういった事を書き出すと、長くなるので止める。

とりあえず、余談の一つとして書きたかったのが「この事件」で、その後の余波や問答に関しては伏せておく。

もう少し続ける。

朝食のホテルバイキングを、

「もう食えん」

という状態まで楽しんだ三人は、ホテルを出ると小倉城周辺に向かって歩いた。

ここに紫川という小さな川が流れているのであるが、その沿いに「リバーウォーク」という最近できたショッピングスポット(?)がある。

そこへ行った。

午前中、そのリバーウォーク内でウインドーショッピングなどをし、午後には小倉城へ移動した。

リバーウォークは、はっきり言って最先端の洋風施設で、有名なデザイナーが設計したというだけあってモダンな臭いがプンプンする。

これに対し、小倉城は純和風。

これが隣り合わせに建っているというは実に不思議な絵で、豊臣秀吉の隣にパリのモデルがいるようなものである。

とりあえず、俺はモダンな建物より純和風を好むので、二つの調和の中にあっても意識は小倉城の方へ向く。

日本庭園をふらふら歩き、濠に沿って小倉城をグルリと回り、いつの間にか神社へ辿り着いた。

神社には山伏の格好をした人々が二十人ばかりおり、それを取り囲むように藁の紐で結界が張られていた。

その周りを普通の格好をした人が取り囲んでおり、何かイベントをやっている事は間違いない。

「なんだ?」

という事で、俺達も寄ってみると、中央では火が轟々と燃えており、その火の先に神棚のようなものが設けられていた。

「何をやるんかね?」

「分からないよぉー」

家族三人で山伏の動きを見ていると、山伏の一人が変な呪文を唱えながら日本刀を抜いた。

そして、結界の藁紐を斬ってゆき、炎の前に立った。

他の山伏は、炎が火へと変わるように水をかけつつ、燃えカスを鉄の熊手で端に寄せた。

これにて火の中央に道ができた。

「おいおい、あの中を歩くつもりばい」

「うそーん」

俺達は、その過激な見物に興奮し、食い入るように眺めた。

日本刀を持った男は、素晴らしい声量で呪文を唱えながら火の中へ飛び込んだ。

そして、「あちっ」とも言わずに歩ききり、神殿の前で何かを叫んだ。

これを合図に他の山伏達も火の中を歩き始めた。

火は段々と弱くなっていったが、それでも熱かろう。

おばちゃん山伏などは、唱える呪文の間に、

「あちゃっ、おほっ」

そう言っていた。

ところどころに立っている幟には「英彦山」と書かれていた。

英彦山は「ひこさん」と読み、福岡県にある山で、昔の修験道場である。

つまり、この火の中を歩くという行為は荒行の一つで、やれば何らかのご利益がある事は間違いない。

(一般の人はやっちゃいかんのか?)

そう思っていると、山伏全員が歩き終わった時点で、

「一般の方もどうぞー」

その声が聞こえた。

当然、ご利益は妊婦の道子に欲しかったので、

「お前、行け」

そう言ったが、道子はいい顔をしない。

「じゃあ」

という事で、俺が行った。

春は熱波のためにギャーギャー泣いたが、強引に抱いてサッサと歩いた。

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足は熱くなく、それよりも手や顔が熱かった。

道子は俺と春が歩き終わり、足を洗っている時に、

「私もやろうかなぁ」

そんな事を言い出したが、時既に遅し。

既に火は消えており、山伏は後片付けに入っていた。

今回の旅行、総じて言える事だが、道子は色々なものが遅い。

決断も遅ければ、行動も遅い。

道子を見て、スピードというものの大切さをヒシヒシと感じるのであった。

ちなみに…。

二度だけ、道子の決断が速かった事がある。

一つは、この荒行の後、お供え物の果物を子供に配っていたのだが、それを見た時の道子の速さ。

アッという間に春を連れ、山伏の隣へゆき、

「春ちゃん、ちょうだいって言っておいで」

そう言っていた。

この時の収穫はリンゴと「英彦山」と書かれた手拭である。

もう一つは、この後、高速バスで熊本に帰るのであるが、ちょっと時間があったので駅前のデパート・伊勢丹に寄った。

地下へゆき、

「ちょっと食料品を見てくる」

そう言って二人は消えたのであるが、アッという間に幾つかの試食をし、団子を買ってきた。

こういった決断は早いらしい。

熊本へは午後6時に着いた。

春の抱き過ぎで、左腕は強烈な筋肉痛になっていた。

道子は色々なものを土産として持って帰っていたが、俺の土産はまさにこれ、筋肉痛だったように思う。

さて…。

道子の舞台はこうして幕を閉じた。

道子はこの舞台の感想を、恵美子や富夫にこう語っている。

「玉緒ちゃん、顔がちっちゃかったんですよぉー」

もしくは、

「緊張しましたぁー」

(他に言う事はないのか…?)

俺にしてみればそう思うが、道子にしてみれば「思い出に残る舞台」となったようだ。

はしゃぐ道子を遠めに見、俺はこう思っている。

(次は…、俺がこういった舞台を提供せねば…)

先を越された事は、ちょっとだけ悔しかったりもする。

 

〜 終わり 〜