悲喜爛々42「緑の世界」
午前七時に山鹿を出た福山家(三人)は、県南の人吉を目指し、九州道を南下した。
山鹿は県北にあたるので、ちょうど熊本県を縦走するかたちとなる。
一時間半で人吉インターに着き、それから球磨村でスタンプを押し、山江村に移った。
村から村へ、車窓の景色は当たり前のように緑色。
次いで、相良村へ移った。
標高が少しだけ高くなり、山の緑に白みが差した。
この日の天気は霧雨。
傘を差す必要はないが、外にいると肌が湿った。
三村を一時間強で回り終えた。
それから…。
球磨郡の中心地・人吉へ移る途中で、相良氏の菩提寺に立ち寄った。
相良氏は鎌倉時代から続いた、この辺りの豪族である。
菩提寺は大した事なかったが、その裏手に墓石がズラリと並んでおり、それが見事に苔むしてて、何となく不気味であった。
ていうか、鎌倉時代からの豪族で明治まで続いているという事が珍しいし、墓がまとまっているという事も珍しい。
県北の覇者・菊地氏の墓などは方々に散らばっており、追うとなると大変なのだ。
その点、この相良氏の墓は初代から三十数代までが一箇所に集まっており、その家族の墓までもが並んでいる。
不気味な絵になるのも当然といえば当然であった。
それから人吉城を左手に見つつ市街地を抜け、目的地の「峰の露酒蔵」へ移った。
この酒蔵の看板商品は誰もが知っている球磨焼酎「繊月」で、その名は人吉城の別名からとったのだそうな。
駐車場に車を停め、スタンプを押すべく事務所まで歩いた。
と…。
突然、得体の知れぬ突風が俺の前を通り抜けた。
日本酒の香り、その突風である。
よく見ると、
「酒蔵見学・試飲・無料」
このような看板もある。
当然、
「道子さん、ちょっと寄って行きまっしょい」
という流れで、スタンプだけでなく酒蔵見学もする事にした。
酒蔵見学は、正直言ってつまらなかった。
工場は小さく、設備は古く、案内する姉ちゃんもやる気があるようには見えなかった。
が…、
「好きなだけ試飲してください」
その姉ちゃんの「姿勢」だけは気に入った。
試飲の種類は二十ほどあった。
俺は、それらをくまなく試飲し、その点に関しては楽しめた。
さすがに一本くらいは買わないといけないような雰囲気になったが、ちょうど団体さんが後から入ってき、試飲場が混雑し始めたので、その隙を見計らって逃げるように去った。
酒蔵からは土産も貰った。
焼酎のボトルの形をしたストラップで、二個もくれた。
ちょうど春の鼻の穴に入るか入らないかのサイズで、春はしきりに鼻の穴に突っ込んで楽しんでいたようである。
その後…。
道子の運転で、国道219号線を宮崎方面へ向かって走った。
春は、俺が焼酎ストラップを簡単に鼻の穴に入れ、「ふんっ」と吹っ飛ばすのを見ると、
「すごいねぇ」(語尾が上がる)
そう言い、自分もやろうと燃えていたが、次第に飽き、ついには寝てしまった。
車はズンズン走り、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町とスタンプを押した時点で昼時を過ぎた。
春はそれでも起きず、結局、この日の宿泊場所である水上村まで来てしまった。
ここ、水上村は熊本の右下にあたり、人口三千人弱の小さな山村である。
日本中を渡り歩いている俺でも、
「ここは初めてばい」
というマニアックなところで、普通の熊本県民は、まず、その存在すら知らない。
ゆえ、何が有名かも普通の人は知らない。
「何があるのか?」
その事をネットで調べたところ、急流下りで有名な球磨川の源流があるとの事で、それに大きな吊橋が幾つか架かっているらしい。
また、ダム湖があり、そこに西日本最大の噴水もあるという。
「ふむふむ、なるほど」
水上村役場のホームページを読み進め、質の良い温泉が出ている事も知った。
それで、宿をこの村に決めたのだ。
時計を見ると、午後二時前になっていた。
「まずは食おう」
という事で、国道沿いの小さな食堂に入り、昼飯を食った。
店内にはオッサンが一人、ヘベレケの状態でくだを巻いていて、雰囲気こそ悪かったが味は良かった。
店を出る時、オバチャンが、
「ごめんねぇ」
酔っ払いがいた事を丁寧に謝り、
「また来てねぇ」
そう言ってくれた。
「いやいや気にせんでください。酔っ払いには慣れてますから」
俺は、笑顔でそう返したものだが、心の中では、
(もう、このオバチャンと会う事もあるまい…)
そう思っていたに違いない。
が…、数時間後に、このオバチャンと再会する事になる。
不思議な巡り会わせではあるが、当然、この時の俺は何も知らない。
さて…。
腹もいっぱいになった一行は、
「水上村を観光しよう」
という事で、まずはダム湖に架かっている吊橋に向かった。
ここは国道沿いにあたるので、食堂から数分で着く。
詳しい説明は省いて、下に写真を載せる。
この吊橋をビューポイントとして、湖の中央から噴水が噴出すらしいが、話を聞くと金がかかるらしく、暗黙のうちに見送られた。
次に、山の奥へ奥へと球磨川沿いに県道を登った。
登るほどに山深くなってゆき、人気もなくなり、緑ばかりが増していった。
川幅はどんどん細くなり、その勢いは荒々しくなっていき、
(どこまで行くんや?)
思っているところに、観光用の駐車場が現れた。
そこに車を停め、歩く事20分。
この村のメインともいうべき白龍王橋はそこにあった。
長さ164メートル、高さは何メートルか知らぬが、とにかく目の眩む高さで、今まで渡った吊橋の中で最も怖かった。
ちなみに、この橋からの景色は下の写真のようになっており、まさに緑一色で、何やら吸い込まれそうな感じがした。(俺が緑好きだからか?)
また、この橋から10分ほど歩くと、もう一本の吊橋・白龍妃橋があり、こちらは前の橋より短く、高さも低いが、目の前に滝を臨む絶好のロケーションで、床は透明仕立てになっていた。
当然、ちょっと怖かったのであるが、道子と春は平気なようで、
「こっちの橋のほうが揺れるよぉー!」
「わぁー!」
と、妙に盛り上がっていた。
とにかく、女衆が喜んでくれたようで、吊橋巡りは大成功だったといえるのだろうが、道子が妊婦であるという点、運動量が多過ぎたようにも思う。(反省)
さて…。
たっぷり緑を楽しんだ一行が、下山し、今日の宿泊場所である「みのさと」という民宿に着いたのは午後五時を回った頃であった。
宿選びの達人の俺が選んだだけあって、宿主夫婦の人柄も良く、つくりも立派であった。
民宿という響きに怯えていた道子も、部屋(座敷)に案内されるや、
「いいよぉー、当たりだねぇー」
そう漏らしているところに万人受けする感じが伝わろうかと思う。
夕食まではちょっと時間があったので、まずは荷物を置き、ここから歩いて二分の元湯温泉に向かった。
「元湯」というと、周囲に色々な温泉があり、その中で、
「元湯なんですよ」
と、アピールしている印象を受けるが、パッと見渡して温泉はここしかない。
温泉の名が「元湯」なのだ。(地名は水上村湯山)
綺麗な建物で、露天も広い。
湯に浸かりながら、地元の人に話を聞くと、
「昔から温泉があったとですよ。それば数年前に新しくしたとです」
という事で、湯の質も良く、弱アルカリ性単純硫黄泉(かけ流し)だという。
明るいところ(露天)で見ると、大量の湯の花が浮いており、その肌触りもヌルリとしていて俺好みの湯であった。
「ふぁー、最高ですなぁー」
地元の人と肩を並べ、実にのんびりとした時間を過ごした。
が…。
それも、そう長くは続かなかった。
酔っ払いの集団が入ってきたのだ。
まずは三人、足元の定まらぬ男どもが入ってき、大声で何かを叫び始めた。
年の頃は、下は四十代、上は七十代くらいであろうか。
地元(地区)の飲み会の後って感じの男どもであった。
また三人、酔っ払いが現れた。
これにて計六人。
その集団が大声で何かを叫び、更に歌い出すものだから、内湯は物凄い雑音の嵐となった。
「ちょっとオッサン、美声はええばってん、もうちょっとボリュームば落として」
年長者であろう、最も年上の老人にそう言ってやったが、
「ふぁい」
老人の返事は頼りなく、目は死人のそれであった。
老人は俺の目の前で何度も何度も倒れ、そして溺れそうになった。
目の前での事だから助けぬわけにはいかず、何度も何度も手を差し伸べてやったものだが、終いには回らない呂律で「やめろ」というような事を言われたので、
「もー、腹立つねぇ!」
と、聞こえよがしに舌打ちし、露天へ出た。
露天は酔ってない人でごった返していた。
膝を曲げて湯に浸かりつつ、人の話に耳を澄ました。
「酔っ払いを通す店が悪かとですよ」
「まったくですなぁ」
「ばってん、受付は女性だけん、止められんでしょーなぁー」
「まったく、まったく」
「それにしても、あの酔っ払いの中でも特に酔っ払ってた老人、ありゃ死んでもおかしくなかと思いますよ」
「ほんなこて、洗い場の椅子に座って、何回も後ろに転げよりましたからなぁ」
「床は石ですしなぁ」
酔ってない男たちは、終始そのような話をし、酔っ払いが出ていったような気配を察すると、
「お、静かになったごたる、出ましょか」
と、皆が内湯へ流れた。
俺もその流れに乗り、その流れで脱衣所へ出た。
脱衣所には数人の酔っ払いがいたが、どれもグッタリしており、下を向いて椅子に座っていた。
「たく…」
イライラしたが、その怒りを抑えつつ、体を拭こうとバスタオルを探した。
が…、ない。
見ると、床にバスタオルが幾つも転がっている。
この店はタオルを無料で貸し出してくれるので、転がっているのはどれも同じ、ピンク色のタオルである。
(ちっ、酔っ払いのオッサンが棚をあせくったな)
ぶん殴ってやりたい衝動に駆られながら、濡れたタオルをよくしぼり、体を拭いた。
新しいパンツを履き、Tシャツを着た。
一刻も早く、この場を出たいと思った。
が…、またしても足止めを食らった。
「ない!」
ズボンがない事に気付いたのだ。
(くっそー、どこにやりやがった!)
と、他の棚を見ていると、俺の目の前に最も酔っ払っていた老人がフラリと現れた。
(ちっ、目障りな!)
その老人との接触を避けようとしたのであるが、
「あ!」
その老人の服装に、俺は瞠目せざるを得なかった。
「おっさーん! その服は俺のだろー!」
そう、フラフラヨボヨボのオッサンが着ていたのは俺のTシャツ、それに俺の半ズボンであった。
「勘弁してばーい!」
言っても無駄だという事は分かっているが、言わずにはいられない。
「酔い過ぎぞ、おっさーん!」
と、服を脱ぐように指示した。
オッサンは虚ろな目で頷くと、
「脱ぐ…」
そう言ったが、脱げる状態ではなく、モゴモゴしていたので、俺が肩を貸してやり、そして脱がしてやった。
すると、その脱いだズボンの下に、俺の使用済みパンツがドーンと現れた。
つまり、オッサンは俺の使用済みTシャツ、ズボン、パンツを履いていたという事になる。
「はぁー、勘弁してばい」
溜息と共に、
(パンツはいらん…)
言い知れぬ脱力感が俺を襲った。
とりあえず、Tシャツとズボンを取り返した。
「オッサン、いい歳なんだけん、しっかりせにゃん」
怒り露わにそう言って、老人を椅子に座らせてやると、その友人であろう酔っ払いの中年が現れた。
「あ、その服はあんたのだったんかい!」
中年は俺にそう言うや、謝りもせず、
「じゃあ、あんたの服はどれかい?」
と、老人に言い、
「分からん」
「分からんてあるかい」
そのような問答を始めた。
これが他人事なら俺も相当に笑ったであろうが、被害者になっているものだから笑えず、
「だいたい、この老人がこぎゃんハイカラな服を着とるわけにゃーでしょーが。周りが気付いてやらにゃん」
と、友達の中年を叱った。
すると、中年は悪びれる事なく、
「いっちょん分からんかった」
俺の服を「老人が着てても違和感のない服」だと言い張り、最後には、
「わたしゃ、この人と一緒に飲んだというだけであって、他はなんも知らん!」
赤子のように、
「知らん、知らん!」
と、暴れ始めた。
(酔っ払いには付き合っとられん)
まさにその事で、
「もうよか、もうよかけん、酔って風呂に入るといかんばい!」
そう言って、脱衣所を後にした。
外に出ると、道子と春が待っていた。
女風呂にも酔っ払いの叫び声はビンビン響いていたらしく、
「男風呂、大変そうだったね」
それが道子の第一声だった。
俺は、道子に事の顛末を語りながら、パンツを老人にあげた事を説明すると、
「そんなパンツいらないよぉー」
さすがの道子もそう言い、次いで、
「それよりも、福ちゃんに渡した四百円は?」
そう聞いてきた。
そう言われると、確かに四百円を預かり、ズボンのポケットに入れていた。
ポケットに手を入れてみた。
ない。
なくなっている事を道子に伝えた。
すると、道子の形相が一変した。
パンツの時は笑っていたくせに、四百円の事になると鬼の形相となった。
「何だよー、むかつくー、返してもらいなよー!」
叫び、そして暴れ始めた。
俺も、これにはちょっと腹が立ったので、受付の女の子に脱衣所での事を説明し、
「故意ではないと思うばってん、明らかな窃盗だけん、支配人でも呼んで対応して」
そうお願いした。
そもそも、温泉側が泥酔者を入れた事が良くない。
女は、
「はい、今すぐ支配人を」
そう言うと、電話をかけ、
「しばらく、お待ちください」
と、頭を下げた。
待っている間に、老人の友達・中年の酔っ払いが、
「服が見付からんけん電話ばしてやって!」
と、受付に現れた。
結局、友達の服が見付からないので、俺があげたパンツだけを履き、知り合いに迎えに来てもらうというのである。
中年は、俺の姿を見付けると、
「まだおったんかい」
そう言った。
当然、
「カチン!」
と、きた。
(もう、こいつを年上と思うのはやめよう)
そう思い、
「ズボンの中にあった金がなくなっとるんて」
喧嘩腰でそう言ってやると、
「幾らかい?」
中年は高圧的にそう聞いてきた。
「四百円」
俺がビシリとそう言ってやると、老人はちょっと笑いながら、
「なんや、たった四百円や」
そう言った。
これで我慢できなくなった俺は、中年ににじり寄り、
「なんてや、オッサン! もういっぺん言うてみ!」
と、胸元を押した。
(殴っちゃいかん、殴っちゃいかん…)
そう思いつつも怒りで手が震えた。
と…。
その後ろで、もっともっと怒っている女がいた。
道子である。
「一円でもお金はお金なんだからねー!」
「一万円だったら、あんたが払ってくれるって言うのー!」
「何だよ、この酔っ払いー!」
凄まじい形相で叫び続けている。
これを見て、俺の怒りがスゥーッと引いた。
(酔っ払いに何を言ってもしょうがない…)
冷静にその事を思い、
「とにかく時間がにゃーけん、警察でも何でも呼んで、サッと片付けて」
と、受付の女に言った。
道子は中年に様々な罵声を浴びせ続けている。
終いには、中年が、
「なんか、あの口の悪か女は!」
と、逆ギレする始末で、これはちょっと可笑しかった。
(ふふふ…、怒った道子は飽く事なく叫び続けるんだけんね…)
俺の日頃の苦労を、
(中年が今、目の前で味わっている…)
その可笑しさであった。
ところで、これも後に気付いた事だが、ズボンに血が付いていた。
むろん、酔って転んだ老人の血であるが、道子はそれを、
「汚らわしい!」
と、叫びたて、中年への攻撃材料とした。
が…、それは良くない。
「血が汚いという言い方をしちゃいかん」
その点、道子を諌めたが興奮状態の道子が聞くものではない。
ふと、
(誰かに似ている…)
そう思った。
「そうだ!」
と、すぐに気付いた。
それは、イチゴ飴がもらえずに泣いている春。
その姿であった。
さて…。
事態は温泉の支配人が現れた事で一気に解決した。
「四百円は、こちらで立て替えさせてください」
と、支配人は俺に四百円を握らせ、血の付いたズボンは、
「洗濯し、お泊りの民宿へ持っていきます」
そう言って俺達を民宿へ運び、ズボンを持っていった。
動けない酔っ払いは保護者である食堂のママが迎えにくるのだという。
これが、先ほど立ち寄った食堂のオバチャンであった。
オバチャンは、
「あらぁ、あんた達!」
俺達を見つけるや目を丸くし、事の顛末を聞くと、
「ごめんねぇ、うちのお得意さんなの」
と、頭を下げた。
「何か、言い知れぬ縁を感じますね」
「まったく…」
オバチャンは項垂れながら、軽自動車に運び込まれる常連の酔っ払いに何かを叫び続けた。
酔っ払いを車に運んだのは、愛媛から来ていた有名そば屋の若者達であった。
なぜ、彼らの事を知る事になったのか…。
それは後に書く。
とにかく、こうして事態は収束した。
民宿に帰り、用意されていた豪華な食卓の前に座り、この話を宿の女将さんに話すと、
「ああ、あそこのオバチャンね…、あそこの食堂は客柄が悪いで有名とよ…」
溜息と共にそう言った。
水上村で問題を起こした酔っ払いや暴れ者は、
「大抵、あそこの食堂に繋がっている」
との事で、
「みんな、オバチャンに甘え過ぎだし、オバチャンも優し過ぎる」
村の色端会議では、そのように囁かれているらしい。
「奇特な人もいるものですねぇ」
まさにその事であった。
さて…。
怒りは冷たいビールと共に飲み干した。
食卓のメインは山村らしく鹿刺であった。
それも冷凍ものでなく、今日の昼に獲れた新鮮極まる鹿刺だという。
「美味い、美味すぎる!」
一泊二食付き6500円とは思えない質に大満足。
「さすが俺の選んだ宿! どうだ、道子!」
「そうだね」
冷めた反応ではあったが、道子も大満足だったようだ。
また、民宿といえば、他人同士が近い距離で箸を突つけるというところに醍醐味がある。
まずは、モロ隣にいる父娘二人組に話し掛けた。
辛うじて会話にはなったが、酒や話が好きな方ではないらしく、あまり盛り上がらなかった。
奥のテーブルにいる男ばかりの四人組にも声を掛けてみた。
こちらはノリノリで、
「こっちに来て、飲みなはらんですか?」
と、俺を誘ってくれた。
ちょうど福山家のテーブルは食いものが尽きた頃で、道子と春は、
「部屋に引き上げる」
そう言っていたので、俺だけが誘いに乗った。
男だらけのテーブルは、中年の男が二人に、俺よりも若いと思われる男が二人。
計四人なのだが、一人を除いて関西弁に近い喋り方だ。
「恐れ入りますが、どういったご関係なんでしょうか?」
尋ねてみると、関西弁の三人は愛媛の西条市で蕎麦屋を営んでいるらしく、水上村へは蕎麦粉の仕入れにきたのだという。
二十代の男二人は、三食付き月収五万円という条件で、働きながら料理の修業をしているらしく、
「大将の運転手として水上村に付いてきました」
のだという。
話の中で歳を聞くと、若手二人の歳は23歳と20歳。
俺より若かった。
「なぜ、わざわざ水上村の蕎麦粉を?」
問うと、大将と呼ばれている中年が、
「そこよ」
待ってましたと言わんばかりに、その風土的条件、それを育てる人、
「それらが水上村は最高」
そう説明してくれた。
もう一人の中年は、水上村から蕎麦粉を送っている人で、大将の言葉を借りるに、
「日本一美味い蕎麦粉をつくる人」
だという。
なんだか、「どっちの料理ショー」みたいな話になってきた。
滅多に聞ける話ではないので、興味深く聞き、大いに焼酎をご馳走になった。
途中、
「風呂に酔っ払いがいたでしょ」
と、いう話になり、若い二人が、
「うちら、あの酔っ払いを車に運んだんですよぉ」
そういう流れで、
「俺も大変だったが、あんたも大変だったねぇ」
痛みを分かち合い、親交は益々深まった。
ところで…。
このテーブル、何気なく飛び込んだものであるが、なかなかどうして今時にない関係の四人組であった。
まず、師弟の関係が昔染みてて、見ていて実に清々しかった。
二人の若者は、
「大将にどこまでも付いていきます!」
という姿勢で、全幅の信頼を寄せいているが傍目でも分かる。
また、大将の弟子を扱う態度が実にいい。
弟子の頭をポーンと叩き、
「だから、てめぇは駄目なんだ!」
叱るかと思えば、
「ちょっと来い!」
呼んだ後に、
「てめぇのそういうところがいい」
褒めたりもする。
一番下の弟子などは、
「僕、米焼酎を初めて飲んだんですが…、はぁ…、美味いですねぇ…」
ぐでんぐでんの状態となり、何度も茶碗などを引っくり返し、
「てめぇは上で寝てろ!」
部屋に返されたものであるが、数分後に戻ってき、
「もう飲みませんので、話に加えてください」
訴える。
これに、師匠は、
「しょうがねぇなぁー、ここに座ってろ」
優しい声でそう言って、うちらには、
「こいつはドジでノロマで使えねぇんだが、真っ直ぐなもんだから、どんなミスをしても最後まで見てやろうって思っちまう」
そんな事を言う。
全ての会話に「味」というものがあった。
また、この水上村への「訪問の理由」も素晴らしいと言わざるを得ない。
「美味い蕎麦粉を送ってくれている人がどんな人か、それを弟子に見せたかったんですよ」
なかなか出来る事ではない。
これに対し、蕎麦粉を送っている水上村の中年も熱い。
蕎麦というものにかける思いを熱く熱く弟子達に吐露していたかと思えば、
「顔が見える…、そう顔が見えるけん笑顔が浮かぶ、笑顔が浮かぶけん、最高のものを送らんといかんって思う」
そのような事を言う。
これに蕎麦屋の大将が相槌を打ちながら、
「料理の世界の心意気ってのはこういうもんだよ。てめぇら、今日はいいものを見たなぁ」
しみじみと言う。
何か、映画でも見ているような四人組であった。
宴は、午後11時くらいまで続いたろうか…。
その頃には一番年下の弟子が足腰も立たぬようになっており、俺に、
「兄貴ぃー、人吉で飲み直しましょうよぉー、自分、女の匂いを嗅がないと眠れないんですよぉー、タクシー代は俺が持ちますからぁー」
そう言って、俺の袖を掴んできた。
「む…」
初対面とはいえ、後輩にせがまれて断るわけにもいかないので、
「人吉まで、タクシーで幾ら掛かりますか?」
宿の女将に聞いてみた。
八千円強だという。
ま…、それはいいとして、
「平日は大抵の店が午前0時に閉まりますからねぇ」
この事が絶望的であった。
「駄目だ、今から行っても閉まっとる。目の前の居酒屋で飲むぞ、奢ってやるけん」
腕を掴んで放さない若者に言うと、若者は首を振り振り、
「だったら熊本市まで行きましょう! 中洲でもいいです! 俺がタクシー代を持ちますから! 僕は女が欲しいんです!」
と、暴れ始めた。
この若者の師匠が言っていたように、
(本当に真っ直ぐな若者だ…)
何だか高校野球を見ているような錯覚に陥り、
(若さの真髄がそこにある…)
そう思った。
結局は「大将」と呼ばれている例の師匠が現れて、
「てめぇ、早く寝ろ!」
と、若者を強引に部屋に引っ張っていった事で事態は収束した。
さて…。
翌朝であるが、朝食の会場に例の若者が現れなかった。
「まだ寝とると?」
同僚の若者に聞いたところ、
「便所で吐きよるんですよ」
と、言う。
聞けば、若者は朝の五時くらいから便所に籠もり、吐き続けているらしい。
「それは、それは…」
心中お察しするとしか言い様がなく、彼らが愛媛まで帰る事を思えば、
「あいつ、死ぬな…」
その姿が容易に想像でき、ちょっと笑えるのであった。
ちなみに…。
後々の事になるが、彼らの蕎麦屋をネットで調べたところ、
「美味いと評判の、行列ができる蕎麦屋」
と、出てき、営業時間は午前11時オープンで、閉まるのは「蕎麦がなくなるまで」という事で、
「大抵は午後1時過ぎに閉まります」
そう書いてある。
ビックリ…。
超人気店だったようだ。
ま…、「それもそのはず」ともいえる。
「弟子の修業は卵焼きからよぉ。一年間、毎日、こいつの卵焼きに付き合って、やっと出せる味になってきやがった。今じゃ蕎麦の前に、こいつの卵焼きを食いたがる客が多くて困っちまう」
と、卵焼きに一年間の修業をする店である。
また、ここの大将の履歴(ネットに書いてあった)にもビックリ。
「日本料理の達人として京都で名を馳せていたが、ある時、蕎麦の魅力に取り付かれる。その後、紆余曲折を経、蕎麦屋の主として愛媛へ」
そう書いてあり、
「伝説の蕎麦職人○○、その数少ない弟子の一人」
とも書いてある。(グルメ人の評)
「一度、行かねば…」
その事であった。
さて…。
この日であるが、山を越え谷を越え、高速を用いずに熊本を縦断しなければならない。
スタンプのチェックポイントに五木村というところがあり、その村はどこを通っても凄まじい道を通らねばならないからだ。
幸い、昨日と違って天気はいい。
明るい緑をかき分けて、午前10時には五木村でスタンプを押した。
ところで、この五木村。
「税金の無駄使い」を知るには打ってつけの場所といえる。
そもそも、この村はダムの底に沈むという事で相当な優遇があったようだ。
谷底の集落は、ほとんどが国道沿いの上に引き上げられてあり、そこには山奥とは思えない煌びやかな街並が広がっている。
また、道路も素晴らしく綺麗で、歩道もばっちり整備されている。
(この歩道を誰が歩くというのか?)
いい時間だというのに人っ子一人通らぬ道は、
(税とは何なのか? 助け合いとは何なのか?)
その事を、否応なしに考えさせてくれる。
更に、いつの間にか立派な温泉施設もオープンしており、「子守唄の里」という道の駅までオープンしている。
(この金が、どういった過程を経、どこへ転がりこんでいるのか…?)
それは分からぬが、これを見れば、
「はぁー…」
と、誰もが溜息を吐きたくなる事は間違いない。
ちなみに…。
ダムの建設は、時代の風を受けて中止の方向で動いているような感じだ。(マスコミの報道より)
「もう、これだけ金をかけたんだから造りましょー!」
「しかし…、使う側の下流の自治体がいらんと言ってるんですから…」
「あんたー、それじゃ色々な予定が狂うじゃないですかー!」
「だって、やるとなったら、今までかけた額の数倍はかかるんですよ」
「やると言ったらやるのー! やりたいのー!」
「でも、中止を求める声が多いですし…、世論も気になりますよ…」
「やだー! やだー!」
裏では、このような問答が繰り広げられているのではなかろうか。
よく分からない。
さて…。
五木の道が素晴らしかった分、この隣村・泉村の道の悪さは只事ではなかった。
国道なのに車一台がやっと通れる道幅だし、ゴロゴロと岩が落ちてるし、
(あ、犬が死んでる!)
そう思ったら、鹿だったし…。
とにかく、道が険しかった。
この辺りを「五家荘」(ごかのしょう)という。
五家荘は、
「険しいからこそ味がある土地」
とも言える場所で、壇ノ浦で負けた平家が落ち武者として、秘境を求めて逃げ込んできたところである。
「秘境」
つまりは「人が住めるような環境でない」「前人未踏である」というのが、この地に求められる条件で、現代にもその名残がたっぷりと残っている。
そういった道をゆるりゆるりと北上し、
「せっかく、ここまで来たから」
という事で、「平家の里」という山の奥の奥にある観光地へ立ち寄った。
藁屋根の家が幾つかあり、奥には能の舞台や五家荘を説明するための博物館のようなものがある。
また、更に奥へゆくと鹿園があり、そこから近辺の山をドーンと見渡す事ができる。
視界の九割が緑色だったように思う。
また、平家の里より二キロほど奥へゆくと「樅木の吊橋」という親子橋が架かっている。
小学生の通学路として現在も使われているという吊橋で、なかなか趣のある吊橋であった。
それにしても緑が濃い。
目に痛い濃さというか何というか…、三方から「緑」という奴が迫ってくるという感じで、
「凄いところに来た」
まさに、その事を痛感させてくれるところであった。
これを表すために、もう一例。
下の写真は、上の吊橋から見た春と道子である。
その秘境ぶりが、多少なりとも伝わろうかと思う。
山道は、それからも永延と続いた。
「緑の中を、走り抜けてく、シルバーシビック♪」
てな感じで、砥用へ下る険しい峠道をゆき、それから矢部町のスタンプ場所である通潤酒蔵で酒蔵見学をした。
こちらの案内役は実にプリティーな人で(峰の露酒蔵に対して)、つい、日本酒と日本酒ゼリーを買ってしまった。
それから清和村、蘇陽町とスタンプを押し、同町にある「そよ風パーク」という大規模な公園で春と遊び、夕方を迎えた。
思えばこの日、何キロ走ったであろうか…。
よく分からぬが、地図で見ると下のようになっており、かなり長い間、山道を走り続けている事が分かる。
「疲れた…、帰りに温泉でも…」
という事で、菊池出身の友人が薦める後藤温泉に立ち寄った。
ここは「大名風呂」という総大理石造りの家族湯が名物らしく、友人もそれを薦めていたので、迷う事なくそれに入った。
感想は…。
「暑過ぎる」の一言に尽きた。
泉質がどうこうという問題ではない。
総大理石ゆえ、建物も大理石で、
「全く換気ができない」
という事が問題なのだ。(小窓はあるが効き目なし)
ゆえ、サウナの中に温泉があるような状態で、家族揃って失神しそうになった。
道子と春は、ものの10分で外に出る始末で、俺もその後すぐに逃げ出した。
「おばちゃん、あれはいかんよ」
受付のオバチャンに文句を言うと、申し訳なく思ったのであろう、冷たいメロンをくれ、
「ま、サウナと家族風呂が楽しめたと思えばよかたい」
そう言って笑っていた。
さ…。
これで最後になる。
最後に、
「この旅行の金がどこから出ているのか?」
そこに触れて終わりにしたい。
この金は、元手500円から始まった、俺のパチンコ。
そこから出ている。
八万円くらい勝ち、その内の六万円で、道子や両親、実弟の雅士やその彼女に食い物などを振る舞った。
日頃、「無職、無職」と蔑まれているので、「奢る」という事が最高の娯楽なのだ。
できれば、現在手元にある二万円を更に増やし、もう一発くらい旅行を奢ってあげたい気分でもある。
そもそも、俺に物欲はない。
「ものより思い出」を地で行こうと思っているので、
(金は、酒や旅行というかたちで昇華させたい…)
そう思ってしまう。
今回の旅行で、俺は道子と春に「緑の世界」を振る舞った事になるが、この余波として、
「山鹿が都会だという事に気付いたよぉー」
道子はそう言うようになった。
春日部で育ち、住宅街で育った道子には、最も何かが沁みる世界だったのではなかろうか。(春にも)
温泉での「酔っ払い事件」は、あの時こそ腹が立ったが、今となっては、
(今回の旅行の「決定的なしおり」となるに違いない)
そう思っている。
次は天草。
それでスタンプラリーが終了となる。
道子の腹は日に日に大きくなっている。
急がねばならないだろう。
多分、再来週に富夫と恵美子も交え、天草を攻める事になるのではなかろうか。(道子が里帰りする前、最後の旅行として)
春がこの旅行で覚えた言葉が一つ。
「バナナオンセン」
意味はよく分からないが、響きはいい。
〜 終わり 〜