悲喜爛々43「節目の色々」

 

 

実に憂鬱だった。

猛烈な雨の中、俺の車は隣町である三加和町を抜け、菊池川沿いの小さな集落へと移動し、そこから山道に入った。

小高い丘の上に、試験会場のE社がある。

山を切り開いて作ったのであろう「○○工業団地」と銘打たれた広大な敷地に三社の工場があり、その敷地のほとんどが大草原と化している。

E社の工場は、その中で最も大きく、最も綺麗なように思われた。

そもそも…。

俺はこの会社の事を、何も知らない。

昔から登録している「リクナビ」という転職希望者用のネットサービスに、その会社の名を見付けた時も、

(お、家から近いところに求人がある!)

そう思っただけで、その会社の存在すら知らなかった。

「おいおい、これ知っとるや?」

知るわけないと分かっていながらも、嫁の道子に聞いてみると、

「焼肉のタレの会社じゃない?」

俺が思っていた事と全く同じ回答を得た。

だが、求人の内容は「半導体製造装置のエンジニア」である。

会社の名は焼肉のタレっぽい名前だが、それとは全く関係がない。

「むぅん?」

ネットで調べようと思っていると、偶然にも実父の富夫がこの会社を知っていた。

「ポンプで有名な超有名企業ぞ」

と、富夫は言う。

それでいて工場は新しく、素晴らしい立地で、数年前に工場を建てた時、地元の人をちょっとしか採用しなかった会社だとも言う。

「何で、そぎゃん知っとっと?」

訝しげに聞いてみると、この工場が立つ前、その広大な敷地でラジコンヘリを飛ばしていた事があるのだそうな。

「なるほど」

頷く俺に、富夫は、

「受けろ、受けろ、受けたがええぞ」

と、その会社を勧めてきた。

「受けろ」

富夫のこの言葉を、俺は過去に何度聞いた事か…。

思えば、高専へ進んだのも、

「大学受験をせんでええけん高専のほうが得ぞ。受けろ、受けろ」

その勧めによるもので、前の会社を選んだのも、

「Y社は雰囲気がいい。ものもいい。よくは知らんがいいと聞いている。受けてみろ」

その言葉による。

別に何がやりたいというわけでもなかったので、富夫の勧めるがまま受け、合格し、現在に至った俺だが、今回も、

「ま、いいや、環境も良さそうだし受けてみよ」

そういう気分になってきた。

この流れで正直な願書を小説調で書き、出してみた。

すると、

「あなたの履歴に大変興味があります。手書きの履歴書を郵送してください」

E社から、そのような返事がきた。

ビックリした。

「正直な願書」というのは、

「前会社を辞めてから小説を書いているのですが、そろそろ貯金が尽きてきて、更に第二子が生まれるので働かざるを得なくなり、山鹿近辺で就職先を探していたところ、お宅の会社に出会いました」

「受ける動機」としてそれを書いており、更に「希望条件」として、

「第二子が生まれるまで働きたくないし、それに無職期間の総まとめとして、熊本から東京まで歩くという行事を控えているので、働き始める日を八月中旬以降にしてください」

また、

「月一回は飲み会のある環境を希望します」

そう書いた。

つまり、本当に正直に書いたのだ。

書きながら、

(こりゃ落ちるな…)

笑いながらそう思った。

が…、E社は「あなたの履歴に興味がある」という。

(こいつは凄い会社だ…)

ニヤニヤしつつ、求められた履歴書を書き上げ、道子に郵送してもらった。

道子はその履歴書を眺めるや、

「何だよ、この写真ー! 笑ってる写真じゃーん! 何だよ、これー! これじゃ私が無理矢理働かせてるみたいじゃーん! 変だよ、これー!」

色々と文句を言い始めたが、

「書き直す気はない!」

と、そのまま出すよう指示した。

郵送して数日後にE社から連絡がきた。

「面接の日をお知らせします」

という事で、5月13日だという。

十日ほど間があった。

その一日一日を、俺は何気ない普通の日として過ごしたわけだが、当然、E社に受かってからの事を考えないでもない。

住所を元に、地図でE社の場所を探してみた。

富夫の実家が隣町の三加和町にあり、E社もその町と、その隣・南関町との境にある事から、周辺の風景が何となく浮かんできた。

「何もないやん…」

その風景であった。

渋滞がない、自然がたくさん、その事で「立地がよい」と決め付け、富夫の勧めるがままに願書を出した俺であったが、よくよく考えれば、

「ちょっと帰りに一杯ができないのは寂しい…」

その事で、地図上に浮かぶ工場ではそれが叶わない。

田舎者がいう「何もない」は、都会人がいうそれとは比較にならないレベルで、本当に何もないのだ。

最寄の飲食店は「みっちゃん食堂」という三加和町の食堂で、凡そ十キロはあろう。

また、二軒以上飲み屋が連なっているところを探すならば、荒尾、もしくは山鹿まで出ねばならず、その距離は軽く二十キロを超える。

更に、こういう時代なので、飲むためには車の問題もある。

と、すれば、何らかの公共交通手段に頼らねばならないわけだが、ホームページで見ると、

「最寄の駅:なし、最寄のバス停:なし」

そう書かれており、下に小さな文字で、

「タクシーを利用して下さい」

と、ある。

何だか泣けてきた。

(この会社は酒を飲むのか…?)

その事を思い、

(俺の歓迎会はどうなるのか…?)

と、不安になってきた。

求人案内に載っている「会社のウリ」のところには、

「空気が美味い」

「食堂が美味い」

そう書いてあり、事実、俺はそれに惹かれ、

「美味い尽くしの会社に惹かれました」

願書にそう書いたものであるが、よくよく考えるに、

(まさか…、自慢の食堂で歓迎会、という流れになるのかも…?)

と、不安にならざるを得ない。

考えれば考えるほど憂鬱になってきた。

ついには就職試験の前日、

「行きたくない! やっぱ受けん!」

駄々をこねたものであるが、家族が揃って、

「それは失礼だ! ちゃんと受けなさい!」

スーツなどを用意し始めたものだから、肩を落として受験会場に行くハメとなった。

冒頭で書いたように、受験当日は凄い雨で、菊池川は増水しており、その川沿いの道からE社へ続く坂道を登るわけだが、その坂を凄まじい勢いで水が流れ落ちているのを見た時、

「落ちるな」

その予感がした。

そして、新しくモダンな工場がドーンと草原の中にある変な景色を目の当たりにした時、

「富夫に騙された…」

そう呟いている俺がいた。

今思えば、富夫は騙してなどいない。

騙してはいないが、あの時の俺は騙されたと思いたかったのだ。

「素晴らしい環境だ、この辺にない大企業だ」

その富夫の言葉に嘘はない。

確かに素晴らしい環境で、大企業だ。

間違いなく狸や鹿、それに猪がいる環境でもあろう。

これは後に総務の人から聞いた話であるが、工場内に狸が入り込んでき、社員皆で追い払ったという話もあるそうな。

が、しかし…、男の環境としてはどうだろう。

後輩に恋愛の相談をされる事もあろう、先輩に子育ての悩みを打ち明ける事もあろう。

そんな時、鹿や狸はいらない。

必要なのは語るための水、酒とその雰囲気だ。

「ちょっと、そこの店で」

その移動が最寄の食堂まで徒歩三時間では歩いている間に話が終わってしまう。

また、車での一時間も興醒めするにはじゅうぶんな距離で、後の車の処理も大変だ。

「環境は環境でも、飲む環境が悪すぎる」

その事であった。

E社の門をくぐり、守衛に挨拶をすると、

「そこに停めてください」

と、守衛は駐車場の一角を指差した。

「ぷっ」

思わず俺は笑ってしまった。

「そこってどこですかー? 丸い地球に停めてって言っているようなもんだと思いますー」

言いたいが言えるわけがないので、

「そこといいますと…、どこ…?」

笑いを抑えながら尋ねた。

守衛の指の先には広大な駐車場と草原があり、その周りを雨に濡れた山が取り囲んでいた。

守衛は、

「おっ、そりゃ失礼!」

笑いながら言うと、

「空いている好きなところに停めて下さい」

と、言い直し、

「いいところでしょ」

しみじみと俺の目を見た。

それは俺も思った。

これ以上の「いいところ」は他にあるまい。

「まさに…、ですね」

ニッコリと頷き、車を好きなところに停めた。

どうせなら、という事で、誰も停めていない広々としたところにポツンと停めてみた。

今思えば、この時点でちょっと自棄気味になっていたように思う。

それから守衛の説明に従い、管理棟と呼ばれるモダンな建物に入ると、中には美術館のような世界が広がっていた。

至るところに名画が飾ってあり、彫刻などもあった。

屋根は高く、壁は真っ白で広々としていた。

「すっげぇー!」

田舎から新宿のビル街に出てきた修学旅行生のような反応をしている俺に、総務の人が声を掛けてきた。

「こちらへ」

落ち着いた声で俺を誘う総務の人は、トリビアの泉の司会者にちょっと似ていた。

カーペット敷きの階段を登り、「会議室」と書かれた部屋に通された。

既に受験者は揃っているらしく、空いている席は一つしかなかった。

会議室も素晴らしいつくりであった。

廊下側の壁は磨りガラスで、対面の壁は草原が見渡せる大きなガラス。

椅子も机も上等で、

「できたばかりの工場」

という匂いがプンプンした。

総務の人は、簡単な挨拶の後に、

「四回に分けて入社試験を行っており、採用人数は四人の予定です」

と、説明した。

今日、この場にいるのが九人。

(つまり、受けたのは36人か…?)

計算していると、

「応募数が五十数人、書類選考を通られた方が35人です」

と、説明があった。

俺はガラスの先に映っている素晴らしい景色を眺めながら、

(書類選考で落ちた二十人も、この景色を見たら何と思うか…)

環境がいいと書いてあっても、

(まさか、ここまでとは思うまい…)

総務の人に顔を見られぬよう、下を向き、息を殺し、肩を震わせて笑った。

すぐに試験が始まった。

「知能テスト」というやつで、ホワイトボードに書いてあるカリキュラムを見ると、45分という時間がとられている。

(大した事はないでしょ)

余裕をかましていたものだが、終わった頃には右手痛、頭痛、発熱に苛まれ、まさに燃え尽きた感があった。

内容は足し算であった。

ズラーッと並べられた数字の羅列をひたすら足してゆくのである。

それを20分間連続でやる。

そして、5分の休憩の後にもう20分。

これは簡単なように見えて、

「殺す気かー!」

そう言いたくなる辛さで、腕は痛いは体は火照るは、たまらないものがあった。

この後、工場案内があった。

流れているものは、ウェハーを研磨する装置というやつで、億に近い値が付く装置らしく、数台が流れているだけであった。

むろん、半導体の世界ゆえ、現場はクリーンルームで、そこに入る事はできず、俺達は小窓を通して見学をした。

続いて、採用された場合の勤務内容の説明があった。

「簡単に言いますと、今、見てもらった装置をお客さまに納めるまでが仕事となります」

つまり、組み上がった装置が調整場へ流れてくるので、それにソフトをダウンロードし、客の要求に合わせて調整し、現地へ行って据え付けるまでが仕事だという。

「へぇー」

俺は春の似顔絵でも書きながらその話を聞いていたわけだが、次に総務の人が発した言葉には、

「なんですと!」

驚かざるを得なかった。

「お客さまのほとんどが海外ですので、年の三分の一以上は海外で働くというかたちになります」

固まってしまった。

総務の人は虚ろな表情の俺を見ると、

「何か?」

尋ねてきた。

仕方なく、

「その話は本当ですか?」

馬鹿みたいに困った顔で、馬鹿みたいな質問をした。

「はい、本当です」

総務の人が答え、小さな問答は呆気なく終了した。

これにて、俺の小さかったやる気は見る影もなくなってしまった。

横浜ベイスターズの佐々木よりも家庭思いだと思っている俺に、三分の一以上の海外出張は辛い。

「このご時世にワガママだ」と言われるかもしれないが、俺は娘の成長をできる限り見続けていたいのだ。

このワガママだけは何としても引けない。

更に、八月には二人目が生まれ、その楽しみが倍増する。

飲む環境が極悪なのは泣く泣く諦める事ができるにしても、

「子供観察(あくまで観察)は諦めきらんばい!」

その事であった。

やる気がなくなってフラフラになったところで、英語の試験があった。

英語の試験に関しては、過去に輝かしい栄光がある。

四択の十六問という試験を受け、零点を取った事があるのだ。

確率的にいけば、適当にチェックしても四問は丸が付くはずだ。

それが零点。

「どうだ、凄いだろう!」

という事で、自信満々で試験を受けた。

試験時間は50分だったが、10分で終わった。

普通は一問くらい分かりそうな問題があるのであるが、今回はそれが一問もなかった。

一問目から長文の和訳で、三問目からは長文読解が始まった。

「単語を和文にしろ」なら考えようもあるが、長い英文に対して質問も英文では考える気すら起きない。

迷う事なく、「A、B、C、D、E、A、B…」と、順に選択し、空いた時間は問題用紙に春の似顔絵を書いて潰した。

(今日という一日で、春の似顔絵を幾つ書いたろうか…?)

そんな事を考えていると、その問題用紙まで回収されてしまった。

(しまった!)

そう思ったが、

(ま、いいや…)

とも思った。

昼飯は総務の人に連れられ、自慢の食堂でご馳走になった。

「好きなものを取ってください」

そう言われたので、

・ 南関あげと野沢菜の炒め物

・ 飯(大盛)

・ チキン南蛮、甘酢かけ

・ 味噌汁

・ 味噌ラーメン

この五種を取った。

当然、盆の上がいっぱいになったわけだが、他の受験者の盆はガラガラで、俺のだけ祭りのような賑やかさであった。

また、他の受験者や総務の人は食い終わるのが異様に早く、俺はその五倍の時間をかけ、ゆっくりと平らげた。

「皆さんは都会の方でしょ。田舎もんは食うのが遅かけんですねぇ。すいませんねぇ」

笑いながら言うと、受験者は誰も反応を示さず、総務の人だけが気を使ってくれ、

「ゆっくり食べてください。それにしても、よく食いますねぇ」

と、話し掛けてくれた。

ところで…。

食堂で、顔見知りの女性を発見した。

と、いうのは、消防の飲み会の時にコンパニオンが付いたのであるが、その時にいた女の子が食堂で飯を食っていたのである。

目が合い、

(あ!)

俺の目はカッと見開かれたわけであるが、彼女はサッと目を逸らした。

彼女が会社に内緒でコンパニオンをやっているという事は分かる。

(なるほどね)

と、頷き、ソロリとこちらを向いた彼女に、

(言わんばい、誰にも言わんばい…)

というゼスチャーをし、食堂を後にした。

世間は狭いものである。

さて…。

その後であるが、面接までの待ち時間が、なんと二時間半もあった。

その時間を、ある者は「就職試験の手引き」みたいな本を出して勉強していたり、ある者は何かを一生懸命に書いたりして時間を潰していたようだが、俺は駄目、時間の潰し方というものを知らない。

景色を見たり、便所へ行って、出もしないのにしゃがんでみたり…、色々やったが一時間も持たず、人に話し掛けて時間を潰す事にした。

が…、他の受験者は俺の事を避けている感がある。

「この爆弾野郎に触れてはならない」

その感じである。

昼食の時、

「英語の試験は殺人的に難しかったですよぉ。おかげで10分で終わりました。山勘をするにもあれだけ分からんと気分がいいですね」

そう言った時、総務の人が笑ってくれたにも関わらず、周りの目はスゥーッと冷たくなった。

また、会社説明の時に取締役が現れたので、

「凄まじいまでの環境ですね、他にはないでしょう!」

そう言った時の周りの反応。

明らかに、俺の事を、

「うわぁー、変なのがいるー!」

そういう目で見ていた。

が…、避けられているとは分かっていても、この暇を回避するためには会話しかない。

受験番号順に面接があり、俺と隣の人が最も待つ時間が長い。

隣の人こそ「待つ苦痛」を共有できる人だと確信し、

「二時間半も待たせる会社があっとですねぇ、腹ん立ちますねぇ」

話し掛けたが、

「はぁ」

頷いてくれた後、彼は別の方向を向いてしまった。

かなり嫌われているようだ。

その隣の人にも話し掛けた。

同じく、非常に素っ気なかった。

(まだまだぁ! 俺は諦めんぞ!)

と、その隣の人にも話し掛けた。

この人は、ちょっとノリノリで話してくれた。

聞くに、長崎から来た人で、現在も半導体関係の会社に勤めているという。

なかなかの二枚目で、同じくらいの歳かと思っていたら、

「さっき総務の方が、この工場の平均年齢は29だって言ってたじゃないっすか。俺は39ですよ。まいりましたよぉ、落ちそうな予感がしてきました」

との事で、歳は39歳。

つまり、同じなのは歳でなく、干支であった。

その彼と便所でダベり、時間を潰した。

面接は午後三時過ぎにあった。

さすがに二時間半も待たされれば、イライラも募っている。

(はぁー、やっときたぞ、こんちくしょー!)

って感じで、呼ばれた時の緊張もなく、手荒くノックし、

「失礼しまーす」

元気良く面接会場に突入した。

面接会場には重役が二人おり、二人とも取締役であった。

「君が最後だね。待たせたねぇ」

右手にいた最も偉い人が笑いながらそう言ってきたので、

「はい、たっぷり待たせて頂きました。エコノミー症候群になるかと思いました」

明るく答えると、

「そりゃ、すまん」

右手の重役は笑い、左手の重役は右手の顔色を見た後に笑った。

左手の重役は俺が座るのを見届けると、優しい声音でこう言った。

「目の前に紙が置いてあります。その質問に答えてください」

書かれていた質問は、詳しくは覚えていないが八項目くらいあり、「うちの会社を受けたのはなぜか?」「前の会社では何をやっていたのか?」「希望は?」…、そういった、ありきたりの質問であった。

俺は、それらに対する回答を履歴書に細かく書いていたので、

「書いてある事を喋るだけになりますが…」

と、前置きし、簡単に答えた。

ただ、初耳であった「海外で年間の三分の一を過ごす」という事に関しては、

「困ります」

それを臭わせた。

以下、その事も含め、余談となった問答を列記する。

「先ほど聞いたと思うけど、うちの会社は機械と一緒に海外へ行ってもらわんといかんから、長い時間を海外で過ごす事になると思うよ。大丈夫?」

「タダで海外へ行ける事は『経験が積める』という点で最高だと思うのですが、三分の一という期間が大丈夫じゃないと思います」

「じゃあ期間が短ければいいっていうわけだ。けど…、うちの出張は行って作業が終わったら帰って来いだから、そちらが望む経験を積む暇もないと思うよ」

「暇は作らねばできないもので、更に、向こうに行っていればこちらからは見えないわけですから、何とでも言って暇を作る事はできると思います」

「あはは…、なるほどねぇ。しかしねぇ、今は時代が時代だから、そういうわけにはいかんだろうねぇ」

「でも、海外まで行ってトンボ帰りは寂しいですねぇ…」

「そう言われると、そうも思えるねぇ…」

「ところで、休みは実情はどのようなものなのでしょうか?」

「うん、うちはねぇ、こういうのは言い辛いんだけどねぇ、GWも盆休みも正月もないよ。海外が相手だから休みが合わんのよ」

「なるほど、では、GWの代わりに平日に休みが貰えるのでしょうか? 人が働いている時に休むほうが何かと取材などもやりやすいんで大歓迎なんですけど」

「まぁ、それは上司と相談というかたちになろうけど、大抵の社員はそういうかたちで休みを取ってるみたいだねぇ」

「なるほど」

「後、履歴書の『要望』の欄に、酒が飲める環境って書いてあるけど、ここは見ての通り、こういう環境だから飲み会の数は少ないよ、飲む人は多いけどね」

「そこ、そこですよ! 飲む人が多いという事はどこかへ出てるという事ですよね。どこで飲んでるんですか? 自分、受かってから歓迎会の事を考えたりしているうちに、段々と憂鬱になってきたんですよぉ!」

「飲むところ…、そうだねぇ、荒尾や大牟田が多いかな…。君は山鹿だったね、山鹿で飲む事はないねぇ。寮も荒尾にあるし、飲むとなったらそっち側だねぇ」

「飲む時の足はどうされるんですか?」

「車で行って、帰りは代行っていう流れだねぇ」

「うへっ、それじゃ山鹿の人間はたまらんですね」

「うん、泊まった方が安いねぇ」

「すぐそこの三加和町に『みっちゃん食堂』という飲める食堂があるし、南関にも飲むところはあるじゃないですか! ちょっと飲む場所を変えませんか!」

「お、君、詳しそうだねぇ、この辺のいいところを教えてくれよ」

「社長さん達は、こちらの方じゃないんですね?」

「うん、この工場を立ち上げる時に本社から来たもんでね」

「ならば…」

という事で、山鹿や南関の飲み屋をちょろりと教えてあげた。

それからというもの、雑談ばかりが飛び出し、面接らしき雰囲気が完全になくなった。

あ、唯一、面接らしきものといえば、

「君、英語できるかね?」

そういう質問を受けたが、その時、既に宴会場のような雰囲気になっており、

「英語ですか! さっき受けた試験なんて一問も分かりませんでした! ジャパンのスペルすら知りませんよ!」

「わっはっはっはー!」

てな具合であった。

時間も終わりの頃になると、右手の取締役が、

「残り時間、好きな事を喋って」

なんて言うもんだから、

「この工場の上に豊前街道が通っていて、その先に南関の関があって…」

この地・南関の説明をしたり、

「それで、この丘の下にある寺が官軍の本営になっててですね、山鹿で桐野利秋の率いる薩軍とぶつかったわけですよ」

西南戦争とこの地区の関わり合いを語ったりもした。

とりあえず…。

面接とは思えぬ面接が、こうして幕を閉じた。

待機場所である会議室に戻ると、皆、欠伸を連発していた。

ちょうど総務の人もいたので、

「待ち時間が長かけん、みんな披露困憊ですよ」

明に暗に「段取りが悪い」という事を抗議すると、総務の人は、

「あはは…、すまんね…」

笑ったものであったが、他の受験者は、

「余計な事を言うな」

と、言わんばかりに欠伸を飲み込み、姿勢を正し、俺を睨んだ。

それから五時過ぎまで筆記試験と銘打たれた国語と算数の試験があり、開放された。

帰り際、長崎の人が、

「これも何かの縁だから」

という事で、電話番号を書いた小さな紙をくれた。

俺も電話番号を書き、

「同じ会社になる事はないと思いますが、末永く」

そう言って、メモ紙を渡した。

家までは車で走る事20分強。

帰るや、当たり前のように恵美子と道子から、

「どうだった? どうだった?」

その質問を受けた。

答えようがなかった。

今日の一日を語っても、期待している二人に悪いと思ったからだ。

それから八つの日を置いた五月二十日…。

E社から「試験結果の通知」という題目のメールがきた。

結果は分かりきっていたので、プライド高い俺は、

(開けたくねぇなぁ…)

そう思い憂鬱になったが、同時に、このメールで長崎出身39歳の事を思い出した。

「電話してみよ」

という事で、メモ紙を出し、ダイヤルした。

試験結果の封を開けず、そのメールが映っている画面の前で受話器に向かった。

すると!

「コノデンワバンゴウハ、ゲンザイ、ツカワレテオリマセン」

無機質なそのアナウンスが流れた。

「くっそー!」

これには腹が立った。

昔、狂ったようにコンパへ行っていた頃には日常茶飯事だったその事も、相手が男であるという事、それに場面が場面であるという事、それに彼が先に番号をくれたという事を思えば怒り爆発。

「俺とは絶対に会わんと確信した上での悪戯かぁー!」

彼の見通しの明るさに、腹が立って腹が立ってしょうがなかった。

この前日、福岡ドームへ泊りがけで野球観戦に行き、ダイエーの見事な勝利を目の当たりにし、よい気分だったのも一気に吹っ飛んだ。

「むかつく、むかつく…」

イライラしつつ試験結果の封を開けた。

「種々検討の結果、誠に遺憾ながら今回は貴意に添えない結果となりましたので、ご通知申し上げます」

ドーン!

丁寧なもの言いなだけに、その結果はドーンと心に響き、「プライド」という名の積み木がガラガラと崩れ落ちた。

その日の晩、俺は早々と布団に入った。

むろん、

(イライラする時は寝るが一番!)

そう思った事によるが、この事を受け、試験結果をまだ誰にも喋っていない。

ゆえ、嫁や両親は、この書きもので結果を知る事になる。

(E社には落ちていいのよ)

俺は心底そう思っていたし、この結果が当然である事も分かっている。

が…、何が嫌って、「落ちた」という響きと、

「やったー、落ちたー、笑えるよー♪」

「そういえば、お前は原チャリの試験も落ちたな」

「そうだ、あれは笑えた」

そう囁きあう家族の、まったりとした笑顔が嫌なのだ。

さて…。

気を取り直して続きを書く事にする。

E社以外にも、既に幾つか願書を出した。

今回のように「やる気のない事態」となる事を避けるべく、E社以降はちゃんと選んだつもりだが、ラフなスタンス、俺なりのスタンスは変えていない。

これは、恋愛にしても就職にしても、

「変わらないねぇ」

「期待通りだねぇ」

そう言われたいがための「俺なりの配慮」であるが、どこにも受け入れてもらえなかった場合、このスタンスは変えざるを得ないであろう。

(この先、どう転ぶか…?)

それは俺もよく分からない。

分からないが、

(変えないでいきたい!)

今の俺はそう思っている。

さて…。

福山家の貯蓄額が残り幾らあるのか、俺の知るところではないが、

「やばいよぉー、やばいよぉー!」

道子の声に後押しされ、今日も俺は転職サイトを見ている。

明日も明後日も見るのではなかろうか。

そして、同時に、

「少年よ、大志を抱け」

その言葉も後生大事に抱きかかえ、本を読んだり、文を書いたりするだろう。

俺が就職活動を始めた事により、

「やっと、あいつも馬鹿な夢を捨てたか…」

そう思う人がいるかもしれないが、少年と呼ぶには微妙な27歳の福山裕教は大志を捨てたわけではない。

大志を抱きつつ、道子が望む生活水準を確保するために働くのだ。

あ、そういえば、面接官だった取締役がこんな事を言っていた。

「夢を追ってる若い人ってのは、本当にキラキラしてていいもんだよ、応援してるよ、頑張ってくれよ、諦めるなよ」

その面接官が俺を容赦なく落としたというのがちょっと笑える。

「それとこれとは話が別だ」

その声が聞こえてきそうで、それがまさに現実なのであろう。

少年であり父親である俺は、その現実から目を逸らすわけにはいかない。

悲しいが、それも現実である。

 

 

〜 終わり 〜