29〜38、二子を待つ日々

 

この書きものを書くための資料が地図日記から昨年の手帳に移った。

が…、今、その手帳を読みながら凡そ一年前の事を思い出すに、大した事は思い浮かばない。

手帳にも春と遊んだ事が毎日淡々と書かれているだけで、これといってここに書くべき事はない。

ただ、娘との再会がよほど嬉しかったのだろう。

その事は手元にある黒い手帳から感じ取る事ができる。

出産寸前の妊婦を家に置き、毎日飽く事なく春と二人で遊んでいるのだ。

今思えば贅沢な時間だったと思うし、有意義な時間であったとも思う。

この長い話の冒頭でも書いているが「九月からはサラリーマン生活に戻る」という約束で今回の贅沢な旅をさせてもらっている。

ゆえ、旅の前に幾つか就職試験を受けたし、旅の途中にも就職試験を受けている。

九月というタイムリミットを一ヵ月後に控えた状態で、一社から内定をもらっていて、もう一社は二次試験まで通過しているというのがこの時の状況であった。

住環境的には内定をもらっている会社の方がいいのだが、待遇面で現在受験中の会社が断然いい。

前者の会社であれば九月からは阿蘇勤務、後者であれば京都の綾部というところの勤務となる。

道子が言うに、

「場所はどっちでもいいけど待遇的に京都の方が全然いいじゃーん! 京都だよー!」

という事で、九月から京都で俺を働かせる気、満々らしい。

俺も京都という響きが嫌いでなかったし面接官の印象も良かったから満更でない。

まだ受かっていない段階ではあったが二次面接終了後に「間違いなくウチにきますね?」と面接官に念押された事や、斡旋会社に「三次で落ちた人を聞いた事がない」と言われたものだから家族全員で受かったような気になってしまうのもしょうがない。

道子は臨月、家でゴロゴロ暇なものだからネットや旅行本で、

「京都だから栄えているかと思ったらそうでもないよー、それに子育てサークルがあんまりないねぇー」

と、九月から住むであろう綾部の事を調べ始めている。

そんな中、京都の会社、その三次試験があった。

日は八月二日で試験会場は京都である。

「交通費はまるまる負担します」という事だったので新幹線のぞみ、その指定席で試験会場に向かった。

東京駅から京都まで、実質十八日間も歩いた東海道を、新幹線はほんの数時間で駆け抜けた。

気温四十度の中、死ぬ思いで越えてきた揖斐川、長良川、木曽川がほんの数分でチュンチュンチュンと過ぎていったのにはビックリで、何か言い知れぬ脱力感を感じてしまった。

京都に着くと既に十人程度の受験者がおり、筆記試験を受けていた。

まさか三次で筆記があるとは思ってもいない俺は筆記用具も持ってきておらず、隣の人に借りるかたちで試験を受けた。

試験は英語と算数と国語であった。

どれも意外に難しい試験で、特に英語は質問も英語で書かれており、何と一問目から長文読解。

読むこともせず山勘記入で試験を終えてしまった。

面接は好印象だったと思う。

終始にこやかに応対し、二度ほど強烈な笑いもとった。

危惧していた俺と絶対合わないタイプの面接官もいなかった。

(通ったな…)

それが面接を受けた後の感触であった。

ただ、前述の筆記試験に関しては手帳にも書いてあるが、

「ひどいものだった」

その事を認めざるを得ない。

英語は最初からというか学生時代から諦めの境地に達しているが、算数ができなかったのが特に痛い。

人間というものは文章ばっかり書いていると頭が文系になってゆくのだろうか。

数字の羅列を見ていると頭が熱ぅくなってきて、

「ええい! もう、どうでもいい!」

次第にそういう風になってしまった。

心の底で、

(筆記なんていうものは他の受験者と競った時に見る資料で、他は何の参考にもされとらん! どぎゃんでんよかっ!)

そういった筆記を馬鹿にした気持ちがなかったとはいえない。

後にその事が痛恨の極みとなって現れるのだが、その時はそんな事を考えもしない。

「筆記ー、それが何なのさー♪」

面接の好印象だけを胸に現実逃避、鼻歌交じりで帰りの新幹線に乗り込んだのであった。

それから八月七日、道子の出産前日までであるが実にのんびりと贅沢な時間を過ごした。

のんびりの具体的例を挙げると、八月六日などは春と二人で亀を求め、十キロばかし彷徨い歩いた。

九月から仕事なので俺は二週間後に春日部を離れる事になるのだが、嫁や娘は一ヶ月以上ここにいる事となる。

産後はどこへも出られず家にこもりっきりとなる事が予想されるので、

「そうだ! ペットでも飼おう!」

そういう流れで最も手がかからないといわれている緑亀を買いにでかけた。

一週間くらい飯をやらなくても死なないらしく、その点、道子や義母にも飼えるという事での判断である。

二匹買い、一匹は耳のところが黄色く、もう一匹は赤であった。

自動的に「赤ちゃん」「黄色ちゃん」と名付けられ、百円ショップの洗面器がその住処となった。

「亀が欲しい!」と最もアピールしていたのは春であったが、実際にそれが家族の一員となってからは興味が湧かなくなったらしく、飯をやる時以外は見向きもしなかった。

その代わり、義母は研究熱心で、近所で亀を飼っている人の家に行っては、

「石がいるだわねぇ、日除けの場所もいるだわねぇ」

その技術を巧みに盗んでいたようだ。

ただ、手帳に書いてあるのを見て思い出したが、

「ここの水は汚いわねぇ!」

そのような事を大声で言うのには閉口した。

義母という人は素直な上に豪快なのだ。

また、義母の事について手帳にもう一件書いてある。

「義母の説明は凄まじい。近所の若夫婦が親を残して出て行ったという事を説明するのに主語がない。それでいて何で分からないのかと言われても困るのです」

つまり、上の事を説明するのに、

「出てっちゃったのよ、泣いてるのよ、夜逃げみたいに! もー、何で分からないの!」

近所の人を知らない俺に何の前触れもなく不意にそのような事を浴びせ掛けられても理解できるはずがない。

血は着実に受け継がれている。

道子も似たようなところがある。

「○ちゃんと□ちゃんが凄いのよ」

奥様クラブで知り合った子供の名を俺が知っているとでも思っているのだろう。

道子はこのような話をよくする。

それも義母同様いきなりなものだから、さっぱり意味が分からない。

「○ちゃんって誰や? □ちゃんって誰や?」

「え、知らないの?」

知らないのと聞くが、道子が今日初めて会った子供を俺が知るはずない。

そういうところが道子にも義母にもある。

ところで去年の手帳を斜め読みするに、日記的な事は薄くしか書いてないが人間観察的な事は細かく書き記してある。

よほど頭の中に余裕があったのだろう。

想えば無職期間の一年数か月、暮らしや立場に余裕こそなかったものの、心には大きな余裕があった。

その余裕を反映してか、この時期の手帳を見ると驚くほど目線が四方八方に向いており、ハッキリいって落ち着きがない。

それがいいのか悪いのかよく分からぬが、サラリーマンに舞い戻って約一年、現在の視線はこの時期に比べるとえらく落ち着いている。

ただ、間違いなくいえるのはサラリーマン生活というのは体感速度が無職期間の何倍も速い。

(単調だからか?)

その事を思うがそれは違うだろう。

学生時代だってウィークデーは単調だった、しかし、こんなにも時間が速く流れる事はなかった。

去年の手帳を見ながらその事を考えるに、

(体感速度の違いは目線にあるのではないか?)

そう思えてきた。

真っ直ぐ真正面しか見ずに突き進む、その事は確かに成果を生む態勢だろう。

が…、それが良いのか悪いのか…。

よく分からぬが、その事で色々なものが速くなっている気がする。

江戸時代、人間の歩く速度は今よりずっと遅かったらしい。

そして、その人生は五十年。

今とは三十年の開きがある。

(三十年も寿命が延び、急いで歩く世の中となった事に何か意味があるのだろうか…?)

(昔と比べ、やらねばならぬ事が増えたようには思えないのだが…?)

(もしや、やらねばならぬ事を自らつくっているのではなかろうか…?)

その事を考えていると、十八日を数時間でゆく新幹線、短縮された会話、それらが三十年の産物のように思えてきた。

「道子よ、お前はゆるりと産め」

今これを書きながらそう言ってやれば良かったと思うが、

「まだや、道子ー! 待ちくたびれたぞー!」

あの時、俺は何度その事を口にしたろう。

やはり俺も現代人という事であろうか。

たっぷり半日かけて作られた料理をたっぷり一刻(二時間)かけて食う。

そんな一昔前の人は現代人をどう見るであろうか。

江戸時代の五十年と今の八十年、

(それは同じような時間かもしれない)

これを書きながら、ふとそう思うのであった。

 

 

39、八月八日

 

「きた」

道子がそう呟いたの八月八日午前四時だったらしい。

「きた、きたよ! 福ちゃん、起きてー!」

道子が何かを叫んでいるのは分かったが、眠りのピークを迎えている俺の頭はその内容を把握する事ができない。

「福ちゃん! 起きてってばぁ!」

「わかった、わかったけん」

意味も分からず返事だけ返し、時計を見、起きてはならぬ時刻を確認すると、もう一度深い眠りについた…、らしい。

冒頭から申し訳ないが、この辺の記憶がないに等しく、道子や義母から聞いた話で書き進めていきたい。

道子は二度目の出産というだけあって落ち着いていたそうな。

重たい身をゆっくりと起こした後、俺を起こす事をあきらめ、居間へゆき、痛みの間隔を計り始めたらしい。

義母は午前五時に起きたそうな。

(間違いなく陣痛だ!)

時計を前にその事を確信した道子は、義母に支えられ、まずは病院へ一報を入れた。

産婦人科は道子の実家から徒歩で十五分。

「すぐにタクシーを呼んで病院へ!」

道子はその思いであったらしいが病院も早朝から付き合ってはいられないらしく、

「午前七時に来て下さい」

そういう返答で、道子はそれまで居間でゆるりとしていたそうな。

俺が起きた時刻は午前七時前である。

「病院に行くよ」

有無を言わさぬ勢いで起こされた。

「絶対に午前中に生まれるよ」

道子はそう言いながらカレンダーを見、

「予定日ドンピシャリ」

そう言った。

「タクシー、呼んだんや?」

顔を洗い、眠気が吹き飛んだところでその事を聞いた。

既に呼んであり、家の前で待っているという。

春の時は破水が先で、それから時間を置いて産婦人科へゆき、分娩室に入ったと思ったら六分で生まれた。

病院から「記録的安産」とまで言われた一人目の出産であったが、二人目もそのようにいくとは限らない。

長期戦になる覚悟で小説を三冊持ち、義母の自転車に乗ってタクシーを追った。

春は義母に預けた。

「春ちゃんに朝ごはんを食べさせた後、家の掃除をして駆けつけるだわ」

義母はそう言った後、ちょっと何かを考え、

「もし早く産まれたら電話入れて」

そう言った。

義母が考えた事は春同様の記録的安産だった場合、

(掃除や朝飯の準備をしていたのでは感動の瞬間に立ちあえない)

その事だったのではなかろうか。

さて…。

陣痛を抱えながら産婦人科に飛び込んだ道子であるが、すぐに診察室に運び込まれた。

早朝なので雇われ人はまだ出勤していないらしく、院長の妻とその嫁がバタバタ何かの準備をしており、遅れて医者(院長の息子)が現れた。

モロに寝起きという感じの腫れた目で、髪は見事なまでに跳ねており、少々心配ではあったが任せるより他はない。

「よろしくお願いします」

頭を下げると、

「ほいほい」

妙に明るい回答を得た。

道子は何分くらい診察室に入っていたであろうか、憶えてないが三十分くらいだったろう。

俺は待合室に待機していたのであるが、何もする事がなく、暇つぶしに「タマゴクラブ」という置いてあった本を読んでみた。

予想通り猛烈につまらなかった。

パラパラとページをめくり、あまりにもつまらないので他の本がないかと探してみると「ひよこクラブ」という本もあった。

(これは「にわとりクラブ」という本もあるのではないか?)

そう思い探してみると「コッコクラブ」という本があった。

妊婦はタマゴクラブを読み、幼児を抱える奥様はヒヨコクラブを読み、就学前の子供を抱える奥様はコッコクラブを読むという流れらしい。

どれも同じ出版社でキャラクターが一緒だった。

(タマゴ、ひよこの後が「にわとり」でなく「コッコ」なのはなぜだろう?)

最後だけが泣声である事に疑問を覚えたが、「にわとり」という響きが子供受けしないのだろうという事で強引に納得した。

また、コッコクラブの後に続くものがあると思い、本棚を探してみたがなかった。

(就学前の子供も大変だろうが、もっと大変なのは思春期だろうに…)

子育てに関するマニュアル本が必要だとすれば、不安定な思春期こそ最も需要が多いところではなかろうか。

(そこを最も読みたい、それにその本の名は何と付けられているのか?)

その事を考えていると三十分という時間はあっという間に過ぎた。

診察室から出てきた道子は分娩用の服に着替えており、その足で分娩室に入った。

道子の体を支えながら分娩室まで一緒に歩いた。

歩きながら何か話をした記憶はあるが、何を話したかは憶えていないし手帳にも書いてない。

そのくせ、コッコクラブに続く名を一生懸命考えた事だけは憶えている。

(タマゴクラブ、ヒヨコクラブ、コッコクラブ、これに続くはチキンクラブでどうだ!)

その理由として次のような事を考えていたように記憶している。

(ニワトリが食肉用だと考えた場合、チキンになって初めて人様のお役に立てる! 思春期も同じ! 不安定なこの時期にこそ、お役に立てる能力が育つ! だからチキンクラブ! これにて教育マニュアル四冊が完結! どうだ、このやろう!)

くだらない、実にくだらない。

まさに暇だからこそ成せる思考であろう。

さて、道子であるが…。

道子は今、厚い壁に覆われた分娩室の中にいる。

この病院は幸運な事に立ち会い出産禁止で、夫は分娩室に踏み込む事すらできない。

ゆえ、中の情報は音で知るより他はない。

耳を澄ますと看護婦の声と金属のカチャカチャいう音が聞こえてきたが、それで何かを想像する事は難しかった。

ただ、中で血が流れている事を想像すると握力がなくなってきた。

想像するだけでこれだから、立ち会っていたとすれば気を失ってもおかしくないだろう。

そういう醜態を晒す事なく、分娩室の前でゆるり待機できる事を嬉しく思った。

道子が分娩室に入って五分が過ぎた。

この一分後に春が産まれていた事を思うと何やら笑えるものがあった。

あの時と同じ場所で同じ時計を見ながら第一子出産の事を思い出した。

分娩室に吸い込まれた道子の残像を追いながら、

「今からが長いですよ」

義母と話しているところに赤子の鳴き声が聞こえ、

「この泣声、違いますよね?」

「でも、うちら以外に人はいないだわ」

「じゃ、うちの子ですか?」

「分からないだわ」

盛り上がっているところに、

「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」

血だらけの看護婦が出て来た時、俺は目の前にあるこの時計を見た。

「六分ちょい! さすが道子! カップラーメン二つで産まれましたよ、義母さん!」

「早い、早いだわぁ」

義母と喜びを共有しながらガラス越しに赤子を見た。

かわいいとは思ったが俺に似ているとは思えず、父親になった実感は味わえなかった。

ただ、隣にいる義母が号泣しており、それにつられて泣きそうになった。

が…、その義母の涙は俺の思っている涙とは少し違ったようだ。

感動し、嬉し泣きしているのかと思ったら、

「鼻が、鼻がでかいだわー!」

その事を嘆いた涙であった。

目の前にある時計、そして変わらない分娩室や待合室がその時の事をハッキリと思い出させてくれた。

今回は義母がいない。

一人佇みながら持ってきた文庫本を広げた。

数ページ読んだが頭に入らず、すぐに閉じた。

男という生きものは二つの事を同時にできないらしい。

神経が分娩室に傾斜している今、読書という多分に集中力を要す作業は難しいようであった。

分娩室に入って七分が過ぎた。

時計の針はちょうど八時を指している。

(さすがに春の時より時間がかかったばい)

そう思った、まさにその時。

ガラリと分娩室のドアが開いた。

そして春の時と同様、血だらけの看護婦が現れた。

(まさか?)

そう思った瞬間、

「おめでとうございます」

そう言われた。

ちなみに言い遅れたが、一人目の出産と今回の出産で大きな違いが一つだけある。

春の時は事前に性別を聞いていたが、今回は聞いていないのだ。

「男か? 女か?」

そう思ったが看護婦は何も言わない。

ニコニコ笑い、

「ざっと洗った後、そちらへ出てきますので」

そう言いながら分娩室横のガラスで囲われた部屋を指差した。

性別を教えてくれぬなら、こちらから聞かねばなるまい。

看護婦に一歩近寄り、その事を聞こうとした時、初めて赤子の鳴き声がこちらに響いてきた。

春の時より繊細で弱々しい泣声で、

(男ではないな…)

そう思われ、男を待ち望んでいた俺からすれば性別を聞く事が恐ろしく、看護婦を前に無言で立ちつくしてしまった。

看護婦はそんな俺を前に道子の状態を説明し、それから分娩室に戻った。

何やら道子の中にある胎盤が落ちてこないらしく、それを取るのに難儀しているらしい。

胎盤が落ちてこないといっても子供はスムーズに出てきた事だし、

(大した事じゃなかろ…)

そう思っていたのであるが、これが意外に大変だったらしい。

これは後に道子が言うセリフであるが、

「出産より大変だったんだよー」

へばりついた胎盤がどうしても取れず、医者は道子の腹を力いっぱい何度も押したそうな。

それでも取れないものだから今度は麻酔をして直に胎盤を取る方法に移ったらしい。

「もー、押されたり手を入れられたり痛いの何の!」

麻酔が覚めた道子はその事を詳細に説明するが、俺にその痛さは分からない。

分からないが、とてつもなく生々しいため気持ち悪くなってきた。

さて…、話を戻す。

「おめでとうございます」と言われてから分娩室前で待つ事三十分、血だらけの医者が分娩室から出てきた。

「胎盤を取るのに苦労したけど出産自体は順調でした」

笑いながらそう言い、

「奥さん、麻酔が効いてますんで昼過ぎまで意識がハッキリしないと思います」

「そうですか、そうですか、それで子供の方は?」

「かわいい女の子ですよ、二千八百グラムだったかな?」

「あ…、そ、そうですか…」

「では、奥さん、いたわってあげてください」

「はい…」

知りたくて知りたくてウズウズしていた性別を医者はサラリと告げてくれた。

女だったらショックを受けるだろうと思っていたが意外にショックはなく、喜んでいる自分がそこにいる事が不思議であった。

道子は性別に関し、

「どちらでもいいけど、どっちか選べと言われたら女がいい」

そう言っていた。

春に姉妹という関係をつくりたいらしく、確かにその点、兄弟よりも姉妹の方がいいように思われる。

(道子は喜んどるだろう)

そう思っていると道子が分娩室から出てきた。

麻酔が効いてグッタリしている事を想像していたが、意外に意識はハッキリしており、喋る事もできた。

「午前中は喋れないと思います」

医者はそう言っていたが、道子という女には当てはまらなかったらしい。

「絶対に話し掛けぬ事、起こさぬ事」

そう言われたが道子から話し掛けてきたので病室に入ってから短い会話を交わした。

道子と話していると、

「赤ちゃん、見れますよ」

看護婦がその事を告げに来てくれた。

急ぎ分娩室前まで走り、その顔を見た。

hiki44-43.jpg (20109 バイト)

春の時と同様、かわいいとは思ったが、それが俺の子であるとは思えなかった。

これが「女は生まれる半年前に母親になり男は生まれてから半年後に父親になる」という事だろう。

女と男では産まれたばかりの我子を見る目が全く違う。

男は育てていくうちに「父親になった」と感じるより他はないのだ。

とりあえず写真を数枚撮り、義母に電話をかけた。

「ぶひっ! もう産まれたのっ!」

義母は大笑いでそう言うと、性別を聞き、

「やっぱり出雲の血が入ってるから女しか産まれないだわっ!」

そう言った。

義母の実家は島根県の出雲で、義母は四姉妹の末っ子、道子も女二人の末っ子なのだ。

道子は女系末っ子のサラブレッドといえよう。

電話を切った後、言い忘れた事があり、義母にもう一度電話をかけた。

話中で数十分後にもう一度かけたがそれでも話中であった。

義母は俺との電話の後、親族や友達に電話をかけまくったらしい。

義母が病院に現れたのは、その一時間後である。

義母は春と義姉を連れてきている。

一気に騒がしくなった。

産婦人科の方針で、

「産後の面会は家族のみ、それも短時間で行い、決して騒がぬ事」

そうなっており、俺は丸一日いたが他は午前中に帰っていった。

「鼻が大きい!」と第一子の出産で嘆いた義母は、

「美人顔だわねぇ」

うっとり二人目の顔を眺めた。

鼻が大きいと言われた長女の春は既に二歳。

危惧された鼻はそう大きくならず、ちょこなんと顔の中央にバランス良くおさまっている。

「春、この赤ちゃんはお前の妹ぞ」

抱きかかえた春にその事を教えてやると、

「鉄平、かわいいねぇ」

春はしみじみそう言った。

「鉄平」という名は俺が付けた赤子の名前である。

むろん、男しか生まれない前提でつけた名前であるが、春からすれば「赤ちゃん」の同義語として「鉄平」という言葉が存在する。

赤子が腹にいる時から「鉄平」という名を連呼し続けた春と俺なのだ。

「春ちゃんより色が白くて小顔じゃない?」

「そうだわねぇ、美人顔だわ」

義母と義姉が娘を前に話しているように、春と比べると色が白くて顔が小さい。

そして、春の時よりも格段に毛が多い。

芯から美人顔であった。

娘を持つ父親の最もたる不幸は「その子が美人である」という事らしい。

長女がどっちかというと吉本系に育っていったため、その点心配していなかったが、周り(親族のみ)が、

「この子を持つ親は大変だわぁ」

そう言ってくれると今から心配にならないでもない。

義母達が帰った後、俺は延べ四時間も娘の顔を見続けたのだが見ればみるほど非の打ちどころがなく、その心配は高まるばかりであった。

さて…。

その晩の事であるが、娘二人が同時に嫁ぐ夢を見た。

長女の春は吉本新喜劇のリズムに合わせ、軽快なステップを踏みながらミニのウエディングドレスで登場してきた。

場所はどこかのステージで、横にいる男は辻本というアゴの長い吉本のタレントである。

これに対し、二人目の娘はステンドグラス鮮やかな白亜の教会である。

うつむきがちにゆっくりゆっくり歩きながら真っ白なウエディングドレスをぞろびかせている。

隣にいる男は誰であろうか、夢だから適当であるが昔の加山雄三のような二枚目であったように記憶している。

どちらも愛しい娘であるが、あまりにもキャラが違い過ぎるため、夢の中の俺は困惑している。

困惑しつつ泣きに泣き、

「春ー、百恵ー、オットーを置いていかないでおくれー!」

地べたに這いつくばり、二人のウエディングドレス、その後姿を追っている。

そこで目覚めた。

「縁起でもないっ!」

飛び起きた俺の体は汗だくであった。

ちなみに、夢の中で第二子の名が「百恵」になっていた。

春の時にも候補に上がった名であるが、どっちかというと二人目のほうがしっくりくるだろう。

(これは何かの暗示に違いない! そうだ、二人目の名は百恵ちゃんでいこう!)

山口百恵ファンクラブにも入った事のある俺、生まれた翌日にはその事を決めたのであるが、これからの急展開で「八恵」という名に落ち着く。

その事を次章で書く。

とにかく、第二子が生まれたのは八月八日午前八時。

素晴らしい夏晴れの朝で、ギャンブルをやる人間なら誰もが食いつく「八」揃い、その瞬間であった。

 

 

40〜42、末広がり

 

第二子の名を、この長い書きものの題目として据えている。

本来ならば旅の事を主題に書きたかったのであるが、たった一ヶ月の旅よりも、これから書く事の方が衝撃的であったし、その後の福山家にも大きく響いた。

一ヶ月の旅自体が第二子のこれから起こる出来事の前座であったかのようにも思えてくる。

初日二日目と何の異常もなく、安らかな寝顔を見せていた赤子であったが、三日目の朝、産婦人科から次のような電話があった。

「どうも様子がおかしいので大きな病院で精密検査をしてください」

電話口でそのような事を言われても何がどうなっているのやらさっぱり分からないし、数時間前に元気な赤子を見ている俺としては、どうも釈然としない。

「すぐに行きます」

そう返すや急ぎ準備をし、義母と春も一緒に病院へ向かった。

医者の説明によると、

「便が出ない、それに腹の張りが引かない」

それが問題らしく、昨晩からガスを抜くマッサージしているが目立った効果もなく、

「設備が揃ったところで診てもらった方がいい」

一晩考えた医者の結論がそれらしい。

「大した事はないと思うんだけど、念のためにね」

医者は笑っているが、言われてみると確かに赤子の腹が尋常でない。

義母は説明を聞き終えるやタクシーを呼んだ。

俺は小さな小さな赤ちゃんをそっと抱きかかえ出発の準備をした。

一人で行かねばならないと思ったが義母も一緒に行ってくれるという事だったので、赤子も含め三人でタクシーに乗り込み、隣町・越谷の大学病院まで移動した。

春は入院中の道子に預けた。

「本来なら産後数日の奥さんに遊び盛りの子供を預けるというのは絶対にやっちゃいかんのだけれども、事情が事情だからね」

という事で、春を病室に残しての移動であった。

小さな小さな赤子は俺の手元でグッスリ眠っていたが、しばらくすると起き、弱々しい泣声を発し始めた。

義母に渡したかったが、義母は車酔いをする体質で、

「車で子供を抱こうものなら一発でゲーだわ」

らしい。

仕方なく越谷までの三十分、俺が泣き続ける赤子を抱いた。

大学病院の外来は凄まじい混み様であった。

何やらカードシステムが故障中で全てを手作業でやっているらしく、それが原因で全体的に滞っているらしい。

あちらこちらで苦情を叫ぶ患者がおり、ロビーは病人で溢れ返っていた。

生後三日の赤ちゃんには実に危険な環境のように思われたので、

「急いでやって欲しいのですが」

お願いすると、既に産婦人科から電話が入っているらしく、優先的に診てくれるとの事であった。

待っているイライラ患者を追い越してレントゲンなどの検査をし、医者の前に通されたのは病院に着いてから一時間が経過した時である。

医者はレントゲン写真や触診の結果を淡々と語りながら、

「結論ですが…」

そう言うや間を置き、

「これだけでは診断がつきません。検査入院させて下さい」

眼鏡をクイと持ち上げ、俺の目を真っ直ぐ見た。

「入院…、ですか…」

その言葉の重々しさに息苦しさを覚えたが分からないものは調べるより他がない。

しぶしぶ入院申込書を書き、小さな小さな赤子を看護婦に預けた。

検査入院と言われた時、義母はなぜだか泣いていた。

義母自身、なぜ泣いているのか分からないのだろう。

目が宙を泳いでいた。

診断が出たわけでもないし、健康な可能性だって大いにある。

だが、泣きたくなる気持ちは俺にも分かった。

小さな小さな赤子が生後三日で道子の手から離れ、大きな大きな病院に入れられる。

その事は何かとてつもなく悲しい事のように思われた。

その後であるが…。

電車で春日部まで戻った俺は急ぎ産婦人科に駆けつけ春を抱きかかえた。

電車の中でそうしたい衝動に駆られ、実際そうする事で気分が落ち着いた。

道子に病院での事を報告すると一番辛いはずの道子が義母よりも落ち着いており、

「何もない可能性だってあるんだから今日のところは良かったじゃん」

実に前向きなセリフを放ってくれた。

これが正論で、「さすが俺の嫁」と言いたくなった。

道子がカラリとしているのは夫として父として実にありがたい事であった。

この翌日…。

道子が退院した。

手帳を見ると午前十時になっている。

産婦人科から一人で退院というのも変な感じではあったが、母体は至って健康という事で三泊四日のスピード退院になった。

ただし、家から出てもいけないし、家事をやってもいけないらしい。

他の病院なら一週間は入院させるところだが、義母も俺もいる事から、

(のんびりできるでしょ)

そういった考えでのスピード退院という事である。

「一人で帰ってくる事になるとは思わなかったよぉ」

道子はそう呟いたが、それは俺や義母のセリフでもある。

赤子は今、越谷の大学病院で検査の真っ最中。

すぐにでも様子を見に行きたいが病院の方針で面会時間が厳しく、早く行っても入れてもらえない。

ちなみにこの日は春と一緒に動物園に行く約束をしていた日で、

「おっとー、早くー、おっとー!」

朝から春が暴れている。

そういう事で義母が越谷の病院へ行き、俺が春の面倒を見るという役割分担になった。

「奥さんに何もさせちゃいけませんよ!」

何度も何度もその事を念押された俺達は、道子一人を家に残し、蜘蛛の子が散るように春日部を離れた。

動物園での春は最悪であった。

どの動物を見せても怖いと言うし、しまいには「もう歩けない!」と叫んで地べたに転がり、漫画のように暴れ始めた。

捨てて帰りたくなったがそういうわけにもいかないので、アイスを与えてご機嫌を取り、次いで人生初となるメリーゴーランドに乗った。

恥ずかしくて恥ずかしくて体が燃える思いであったが、意外にも男性客が多く、大して目立たなかった。

ちなみに、この動物園は東武動物公園といい動物園兼遊園地で、敷地は鬼のように広い。

春はその一番奥で寝てしまった。

遥か先の出口まで春を抱っこして歩き、園を出てからも駅までかなりの距離を歩かねばならない。

腕は痺れ、腰も痛くなった。

春日部の家に戻った頃には空がオレンジ色になっていた。

義母も帰って来ており、八恵の報告を聞いたが、

「まだ検査中で何とも言えない」

そういう話で、赤子は変わらず元気だったという。

ただ、口から栄養が入れられないという事で点滴が付けられていたらしい。

(生後四日の赤子に点滴…)

その絵を想像するだけで意気消沈となるものがあったが、糞詰まりになっている以上、致し方ないところであろう。

ちなみに…。

まだ赤子の名が決まっていない。

家族皆が「赤ちゃん」と呼び、病院のプレートには「新生児」と書いてある。

「名前がないのは良くない、今ここで決めてしまいましょう」

そういう話になり、飯を食いながら座談会が始まった。

長女の名は俺が決めた。

俺が百くらい候補を挙げ、その中から道子が選んだものであるが、決めるまでの過程はケンカの連続であった。

道子は道子で、

「春は単純過ぎるよー、春奈とか桜がいいんじゃないー」

名付けランキング上位に食い込むような名前を付けたがり、

「じゃ、それがお前の案や?」

問うてみると、

「案っていうわけじゃないけどー、思いついただけー」

そんな事を言い、当初の約束「案を出し合い、その中から決める」という作業がまったくできなかった。

結局、道子は一案も出さず、俺の百個近い案に文句を言うばかりだったので、

「じゃあ、勝手に決めろ!」

そう言って家を飛び出したのであるが、その間に道子が俺の案からチョイスしたもの、それが「春」であった。

名前というものは付けてから数ヶ月「馴染みの期間」というものがあり、その間も色々な事を言われた。

「名付けは親がやるべき作業! 周りがどうこう言うところじゃない!」

そう言っていたのはウチの親父であったが、春と名付けるや、

「一文字はよくない、うーん、よくないなぁ」

そんな事を言い始めた。

が…、馴染んでしまえば、

「春という名前はいい、うん、呼びやすくていい」

そう言い出す始末で、結局はそういうものなのだ。

名前に愛着が湧き、その子は名に込めた思いで育ってゆく。

春を例にとってもそれがよく分かる。

「福の山から春が来る、これは何となく縁起がいい、福山春で決定!」

そんな事を言いながら「えいや」と付けた名であったが、実際そういった路線に育ちつつある。(良い意味でも悪い意味でも)

名付けは「そこに込める思い」が重要なのだ。

俺は春の時に付け損なった「百恵」を推した。

一人目が春なので「夏」と付けるだろうと友人連中は予測していたようだが、季節ものは「春」と「秋」しか付ける気はない。

人間にはバランスが必要なのだ。

暑過ぎても良くないし冷め過ぎても良くない。

春という名はそういったバランスに関する思いも込められている。

「今回、提案させて頂く百恵、この名前は本当にいい」

何やらテレビショッピングのオッサンみたいになってしまったが、百恵という名をオススメの商品に掲げ、確か二十ほど用意したろう。

道子は相変わらず一個も考えておらず、俺の出したものから選ぶという姿勢のようだ。

俺が選びに選んだ商品を消去法で迷う事なく捨てていく道子はまさに鬼であった。

「これ最悪」

「これ論外」

「うわっ、何これ?」

入院中、道子に時間はたっぷりあったろう。

春の時と同様、一案も出さずに鬼の選別作業を続ける道子に今回もだんだん腹が立ってきた。

ましてや道子は若松競艇ナイトレースの名前を考え、ラスベガス旅行を獲得したほどの名付け上手である。

「お前の案はないんやー!」

怒りも極みに達したわけだが、

「考えたけど…、たぶん駄目…」

道子はそう言いながら鬼の選別を続ける。

よほどくだらない名前しか浮かばなかったのだろう。

途中から義母も入ってき、

「うーん、これは駄目だわね。あ、みっちゃん、これはまぁいいんじゃない?」

「えー、これー、こっちの方がマシじゃない?」

まさに買い物をする二人の絵がそこにあった。

最後に三案くらい残ったが、何が残ったかは憶えていない。

「百恵」という俺のイチオシが「山口百恵を強烈に連想させるから嫌だ」という理由で最終選考に残らなかったのは憶えている。

山口百恵は「一恵」という歌の中でこのように歌っている。

 

母にもらった名前通りの、多過ぎるほどの幸せは♪

やはり、どこか寂しくて♪

秋から冬へ、冬から春へ♪

 

この歌、聞いていけば何て事はない「三浦友和が好きー」という歌だが、この部分だけ見れば百恵ちゃんは百という幸せを多過ぎると感じている。

俺の感覚としては「千恵」という名は幸せを望み過ぎているように思うが「百恵」はちょうどいいように思えてならない。

「どうだ、百恵という名は幸せのバランスが素晴らしいどが!」

そう言って百恵を推したのだが、前述の理由で却下された。

俺は百恵という名を推すために「一恵」という歌の歌詞カードを、この時初めて読んだのであるが、読みながら百恵ちゃんの考えをこう推測した。

(百恵ちゃんは百という幸せが多いと感じているのではなく、人に与えられる幸せは一定量で、それを百分割するのはもったいない、そう感じているのではなかろうか?)

「一恵」という題目の読みは「一期一会」の「いちえ」にかけたものだろうが、その思いは、

(どうせ幸せを得るならまとまった大きなものをドーンと得たい! 私は得たわ! それはあなたよ、三浦友和!)

その事を言っているのではなかろうかと。

ゆえ、百恵を推しながらも、その数を減らし、名前となりうるものを考えてみた。

「七七恵(ななえ)」「八恵(やえ)」「七恵(ななえ)」「三恵(みえ)」「一恵(かずえ)」

少々ギャンブルをやるので「七」を入れる事は魅力的であったが、どうも読みが古い。

一恵という名はシンプルで俺好みであるが、伯父の名が一(はじめ)というため、

「俺の名から採ったろ」

そう言われそうなので却下。

八月八日八時生まれという事もあり、八恵を案として挙げていたところ、最終選考まで残った。

何度も言うが、最終選考に残った他の案は忘れた。

三つの案を前に道子と義母、そして俺は大いに悩んだわけだが、どうした事か俺の頭の中では「八恵」という名前以外が見えなくなった。

その名に込める「思い」の事を考えていると、「八恵」は強烈な説得力と存在感を持ち始め、ついには他の二つを払い除けた。

(八月八日八時生まれ、これは偶然じゃない! 八という数字は末広がり! 最初に難があるかもしれないが先は広がっていく! 未来は明るい! その暗示に違いない!)

思い込みは俺の得意技である。

検査入院している赤子の一生を末広がりのストーリーで考えてみた。

煌びやかな人生がそこにあった。

「神様の暗示」という題目で演説したくなってきた。

そして、演説した。

「だから、この子は末広がりの人生を送るんだよー! 絶対だよー!」

力説すると場は一気に「八恵」の方向で固まった。

春の時の長い悶着は何だったのかと疑いたくなるほどのスムーズさで赤子の名は「八恵」に決定した。

(二人目とはこういうものなのか?)

そうも思った。

名付け会議が終わった時、俺は旅の最中も味わった事のない深い深い疲労を感じた。

(今日は頭も体もよく使った…)

そう思いながら春が寝ているはずの布団に転がり込むと、ムクリ春が起き上がった。

「オットー、おはよー!」

春の目は爛々としているが道子に任せるわけにはいかない。

手帳にはこう書いてある。

「春と戯れる一日、その隙間に赤子の名が八恵と決まる」

子育ては愛情も必要だが体力もいる。

まさにその事であった。

 

 

43〜44、ヒルシュスプルング病

 

生後五日目の八恵を見に行った俺は絶句してしまった。

義母から点滴が始まった事は聞いていたが、その固定方法は大人のそれではなく、骨折患者のように手首に棒を添え、包帯でグルグル巻きにしてあったのだ。

何も分からぬ赤子の事、ガチガチに固定しないと暴れて抜いてしまうらしく、また血管が細いため少しでも動くと針が抜けてしまうらしい。

鼻からもチューブが出ていた。

こちらは胃に繋がっているらしく、溜まったものをここから出すのだそうな。

足からも線が出ている。

こちらは心拍と酸素量を測る機械だそうで、赤い光が八恵の細い足を照らしていた。

(何という姿に…)

生まれて五日、乳も飲めずに痩せ細っていく八恵の体に三本もの管が繋がれている絵は俺の中にある力という力を容赦なく奪い去った。

ヘナヘナとベット脇の椅子に座り込むと、小さな小さな八恵の手を握り締めた。

しばし眠っている八恵を眺めた。

どれくらいそうしていたかは分からぬが、かなり長い間そうしていただろう。

そして、その景色にようやく慣れてきた頃に口が利けるようになった。

「頑張れー」

そんな事を言いながら一日を虚ろに過ごした。

この日、主治医から検査結果の説明があった。

主治医は女医で、見るからに頭の良さそうな冷たい物言いの中年美女であった。

可能性のある病名を淡々と幾つか挙げ、その中で最も高い可能性を持つものが「ヒルシュスプルング病」だという。

むろん、そんな病名聞いた事はない。

詳細を問うと、女医は起伏のない口調でこう語ってくれた。

「便が流れてくると腸は伸縮運動をし、便を先へ先へやろうとします。ヒルシュスプルング病というのは伸縮運動をする筋肉はあるのですが便が流れてきた事を感知する神経が生まれながらに欠落している病気です」

つまり、この糞詰まりの原因は先天的な神経の欠落ではなかろうかと女医は言うわけである。

「それでヒルシュスプルング病だと診断がついた場合、どういった事をやるのでしょうか?」

「排出できませんので人工肛門をつけ、ある程度体重が大きくなったら手術、その後、様子を見ながら人工肛門を外すというのが一般的ですね」

「という事は将来的には治る病気なんですね? 人工肛門も外せるんですね?」

「たいていは治りますし外せます」

「たいてい…、ですか…?」

「まぁ、福山さん、まだヒルシュだと診断がついたわけではありませんから」

「はぁ」

「これから慎重に調べていきますよ、もちろん何もない可能性だってあるんですから」

医者という職に就く人間はある意味で機械的でなければならないのかもしれない。

女医の口から発される言葉は全てが無機質で、そこに熱は皆無であった。

見た目も人形と話しているようで必要なところだけしか動かず、唾を飛ばす事もなかった。

何かを書く時にだけ首から下が動き、その他の時は口だけが静かに動いていた。

古い日本のからくり人形に茶運び人形(着物を着た女の子)があるが、それに似ていると思った。

が…、それが悪いと言っているわけではない。

話す相手の感情が不安定なぶん、医者には冷静さが求められるのだろう。

目の前にいる氷のような女医も、この病院を出れば笑いもするし泣きもするし、恋人と手も繋ぐに違いない。

女医の説明はまだまだ続く。

「危険な状態なんです」

女医は八恵の状態をこのように言う。

「生まれたばかりで便が五日も停滞しているというのは危険な状態と言うしかなく、ヘタをすると炎症を起こしかねない、そうなると大変な事になる」

今現在、便が出るように浣腸や下剤、それにマッサージをやっているらしい。

が…、出ない。

その事が極めて問題で、その後の展開次第では、

「緊急手術という事になるかもしれない」

つまり命に関わると病院が判断した場合、急ぎ人工肛門を付けるという事である。

本来ならばじっくり検査し、診断が出た後に手術などの日程を決めるべきであるが、

「そうもいかない可能性があります」

女医はその事を言ったわけであるが、俺としては手術なんて大それた事が八恵の身に降りかかろうとは夢にも思っていない。

浣腸やマッサージをしているうちに「にゅるん」と便が出てき、

「良かったですねぇ、単なる便秘でしたよぉ」

俺も道子もそういう運びになる事を確信していた。

が…。

意外な事に、八恵は緊急手術という運びになった。

手帳によると生後六日目、八月十三日の昼過ぎに病院から電話がかかってきている。

時は不吉、十三日の金曜日であった。

「すぐに来て下さい」

看護婦はそれだけを言うや電話を切った。

急ぎ駆けつけ女医の話を聞くと、

「何をしても便が出ない。これ以上は危険という判断から緊急手術を行います」

挨拶を述べるか如く、その事を告げられた。

手術開始はこの説明の一時間後、午後二時半だと言う。

手術は嫌だと強烈に思ったが「やらねば死ぬ危険性がある」と言われれば選択肢は手術以外にない。

しぶしぶ同意書を書き、拇印を押した。

緊急の手術というだけあって有無を言わせぬスピードで全てが進んだ。

「手術中に死んじゃったりする事はなかですよね?」

拇印を押しつつ控え目に聞いて見ると、

「絶対にないとは言えません、手術ってそういうものです」

さすが氷の女、キレのあるセリフを放ってくれた。

「しかも」

と、女医は言う。

「大手術ですから、当然麻酔をかけるわけですが、新生児の麻酔は難しいんです」

この病院は小児外科を抱えているだけあって麻酔技術はピカイチらしい。

それでも新生児の麻酔は難しいらしい。

こう書くと女医が脅してばっかりのように思えてしまうが、決して脅してばかりではなく、「ほぼ大丈夫です」とか「心配しないでください」そんな事も言ったに違いない。

が…、人間とは不思議なもので「危険」の一言は頭に残っても「ほぼ大丈夫」は残らない。

説明が終わった後、

(道子や春、それに義母を呼ばねば!)

俺はその一念に駆られていた。

道子を外に出してはいけないと産婦人科に言われていたが、こういう状態なら仕方がないであろう。

時間が後一時間しかない事を伝え、急いで病院に来るよう指示した。

「すぐ行くよ!」

状況が状況なだけにいつもはゆっくりの道子も焦るところがあったらしい。

バタバタと電話を切り、急ぎ出発の準備に入ってくれた。

が…、道子と義母、それに春は手術開始に間に合わず三十分も遅れた。

定刻の午後二時半になっても三人が現れないので、俺はかなり肩身の狭い思いをした。

「よろしいですか?」

看護婦が交互に現れ「時間だから手術室へ搬送したい」という旨を伝えにきた。

「ちょっと待ってください、すぐ来ると思いますので」

俺はそう答えながら、

(はよ来いよー、馬鹿たれがー!)

猛烈に焦り始めた。

手術室では女医を始め手術スタッフが今か今かと待っている。

(待たせちゃ悪い…)

そう思うが道子と会わせてあげたかった。

道子は八恵と三日も会っていないのだ。

「もうちょっと、もうちょっと」

そう言って引き延ばした。

が…、だんだん看護婦は不機嫌になってくるし、外の動きも慌しくなってくる。

三十分が限界だと思い、

「午後三時には搬送してもらって構いません」

そう答え、タイムリミットの午後三時を迎えた。

結局、三人は間に合わず、八恵は病室を出た。

これでエレベータ待ちがなければ三人は八恵と会えなかっただろう。

エレベータを待っていると、違うエレベータから三人が現れた。

「なんしよっとやー!」

「よかったー! 間に合ったよー!」

道子は三日ぶりに会う八恵の手を握ると「頑張って」を連呼した。

三日前には名前がなかったから、初めて「八恵」の名を呼んだ事になる。

義母は相変わらず泣いていた。

八恵の問題が分かってから泣き通しではなかろうか。

義母の腕の中にある春は八恵の痛々しい姿をしかめっ面で眺めていたが、

「春! 八恵に頑張れって言わんか!」

俺にそう言われると、

「鉄平、頑張れー」

小さな声でそう言った。

春の中で八恵という名は定着しておらず、未だに鉄平であった。

まだ八恵が腹の中にいた頃、春は何度も何度も膨れた腹に向かい「鉄平」と叫んだ。

あいにく産まれてきたのは女で鉄平という名は付けられなかったが、呼ばれ続けた名残で八恵自身も自分の事を鉄平だと思っているのかもしれない。

八恵は春の声に強い反応を示した。

八恵を乗せたベットはエレベータが到着するや義母と春の視界から離れた。

俺と道子だけは手術室前まで付いていったが、それも大した時間ではない。

三十分も待たせただけに看護婦は急いでいた。

道子が八恵と話せた時間は凡そ三分程度だったろう。

が…、それでも会えないのと会えたのではえらい違いがある。

これもひとえに俺の粘りによるところが大きい。

「お前、遅過ぎなんたー、俺が粘らんかったら会えんかったんぞー、何しよったんやー?」

恩着せがましい事を言ってみると、

「急いだんだよ、私なりに」

道子はそう言いながら目を伏せた。

道子はやましい事があると目を伏せる癖がある。

義母の手には紙オムツの袋があった。

どうやら買い物をしてきたらしい。

道子らしいといえば道子らしいが、その大物ぶりも時と場合によっては一生後悔する事になりかねない。

とにかく間に合って良かった。

手術は看護婦の説明によると四時間後、午後七時くらいに終わるらしい。

産後の道子に病院で四時間も待たせるわけにはいかないので、飯を食った後、三人には帰ってもらった。

それから八恵が出てくるのを一人で待った。

この世の中で「暇」というものが何よりも嫌いな俺が四時間も椅子に座っているというのは苦痛以外の何ものでもなかったが、とにかく場を離れるわけにはいかないので本を読みながらひたすら待った。

予定の午後七時になったが八恵は出てこず、看護婦に確認させると、

「午後八時を過ぎるみたいですねぇ」

そういう応えが返ってきた。

当然、不安になってくる。

午後八時を迎えた。

手術開始から五時間が経過した事になる。

「大丈夫ですかねぇ?」

恐る恐る問う俺に看護婦は女医を連れてきた。

女医が出てきたという事は手術は終わったという事であろう。

「どうでした?」

席を立つや女医の元に駆ける俺は興奮状態の極みに達している。

並の人間なら俺の熱に焼け焦げてしまっているかもしれない。

が…、そこはカミソリ女医。

「別室へ」

寄る俺にクルリと背を向けると、

「私に付いて来て下さい」

背中で俺を導いた。

こうなると俺はアヒルの子供みたいなものである。

何の目的意識も持たず、ただ女医の背だけを目標にひょこひょこと付いていき、言われるままパイプ椅子に座った。

カミソリ女医の発言は一言目に結論がくる。

その後、詳細な説明が入る。

これは論文の基本で、医者だけに相当な数を書いたのであろう。

話方にも「論文の構成」というものが息衝いており、一言目が極めて重要であった。

カミソリは今にも凍りつきそうな目でジッと俺を見据えると、

「成功か失敗かと言われれば成功です」

そう言った。

「ただ、どの手術もそうだが経過を見なければ何ともいえない」

その事を付け加えた。

病室への戻りが遅くなっているのは麻酔がある程度引くのを待っているらしく、手術は予定通りに終わったらしい。

女医はどこら辺に人工肛門を付けたとか、どこら辺の腸が細くなっているとか、絵を書いて説明してくれ、俺の質問にもちょっと怒った様子ではあったがちゃんと応えてくれた。

診断も出た。

最も可能性が高いと言われた「ヒルシュスプルング病」であった。

女医の説明によると「今日の手術で取り付けた人工肛門は一生ものではなく、確実に外れる日がある、確実に外れるが、それがいつとはいえない」という事であり、これから少なくとも二回の手術をしなければならないという事であった。

実際には一年間で四回の手術をする事になるが、その事は次の章で書く事にしよう。

とりあえず今日のところは成功という事で、少し前の時代なら霧散していたはずの命、

(その命が助かった! ゆえ、喜ばなければ!)

そういう風に考えるよう自分自身に言い聞かせた。

八恵が病室に戻ってきたのは午後八時を三十分回った頃であった。

この病院は午後八時で面会禁止なのだが「今日は特別に九時まで構いません」という事で看護婦しかいない病棟にポツンと残った。

八恵の顔は透明なアクリル製のケースで覆われており、その中に酸素が流れていた。

新生児ゆえ合う酸素マスクがなく、宇宙服のようなかたちになっているのだろう。

許された面会時間の九時までには三十分の時間があった。

だが、三十分も八恵の痛々しい姿を見る勇気が俺にはなかった。

今日はさすがの道子も泣いた。

義母も道子も泣き、義姉も家で泣いているという。

親族総出で泣いており、二歳の春でさえも八恵の痛々しい姿を見た時げんなりしていた。

(俺がしっかりせねば…)

まさにその事で、ディズニー映画でも号泣してしまう泣き上戸の俺が涙を封印したのはまさにこの日、道子の涙を見た十三日の金曜日であった。

八恵はアクリルケースの中で薄っすらと目を開け、俺をジッと見ていた。

目に力がない。

心の底から疲れているのだろう。

喉が渇いているのだろうか、ゆっくり口をパクパクさせている。

手や足には点滴のチューブだの電線などが繋がれていて、動きたくとも動けない状態である。

腹はぷっくりと膨れている。

服を広げて見ると小さな腹を覆い尽くすほどの大きな袋が付いていた。

これが人工肛門であった。

見れば見るほど泣きたくなった。

(命が助かった! その喜びに震えなければ!)

そう思うが、この光景は人を前向きにさせない陰の力に溢れていた。

九時までの面会時間を途中で放棄し、俺は帰った。

病室を出る前、ちょっとだけ振り返った。

八恵はまだ麻酔が残っているのだろう、グッタリとして動かなかった。

真っ白いはずの病室が何だかセピア色に見えた。

電車から見える夜景も変な具合に澱んでいて、目の前に擦りガラスを置かれたような、ぼやけた感じを覚えた。

夢か現実か分からない、ふわふわとした不思議な感覚が俺を取り巻いているようだった。

さて…。

春日部の家に帰ると、道子と義母が俺の報告を待っていた。

ヒルシュスプルング病の診断が出た事を話し、その詳細を語ったが、道子も義母も理解に苦しんだようだ。

この母子は不思議なくらいにカタカナ嫌いで、カタカナ、もしくは横文字が三文字以上続くと露骨に拒否反応を示す。

ヒルシュスプルングは九文字。

その時点で頭の入口にある文化シャッターが下りてしまうらしい。

義母などはその病名を書き出していたが、それを見ると「スプリング病」と書いてあった。

ヒルシュがどこかへ行っており、スプリングじゃなくスプルングである。

それにスプリングはバネの事で、そんなに跳ねそうな病気があるなら俺もなってみたい。

とにかく病気の説明に一時間以上要したろう。

説明しながら飯を食い、それから風呂に入り、疲労困憊の状態で床につこうとした時、義母が駆け寄ってきた。

「ねぇねぇ、福ちゃん」

「はい、何でしょう」

「ヒルップリングだっけ?」

「は?」

「ヒルプリング? ヒップップリング? プップップー」

「…」

義母を見る限り未来は明るい。

その事を確信した手術日深夜であった。