悲喜爛々5「道子、妊娠発覚」

 

 

1、陽性

 

私の勤め先、始業時間8時30分。

私の住いは社宅、つまり会社敷地内。

これに伴い、私の出社時間は始業5分前の8時25分となっている。

ちなみに、この朝のタイムチャートを細かく砕いてみると、7時30分起床、それから朝食、食べ終わると8時20分まで風呂、出ると、3分で仕度を済ませて出社となる。

 

7月25日(水)8時15分。

 

私、今日もタイムチャート通りに朝の入浴中である。

ちなみに福山家のバスルーム、汚い社宅ではあるが風呂場の定義に則りエコーバッチリ。

歌わないわけにはいかないので、早朝ではあるが、一曲披露させて頂く。

今日の選曲は村下孝蔵「初恋」、これを先発として行かせてもらう。

 

”好きだよと言えずに初恋は、振り子細工の心ぉー”

 

サビのみ心静かに熱唱。

うん。魂にしみる見事な歌詞。最高!!

自ら歌い、その歌詞に一人熱烈拍手をおくる。

そんな折、風呂場の外より、嫁道子発カンツォーネ的叫び声が私の元へ運ばれてくる。

 

ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

“なんや、またゴキブリか?はたまた、私の声の素晴らしさに仰天したか?”と思うが、とりあえず、一日の五分の一は叫んでいる女なので無視しておく。

 

ふ、ふ、福ちゃぁああん!!!で、出た、出たぁああああ!!!!

 

無視を決め込むつもりだったが、名指しで叫ばれたので「なんやぁ?」とだけ、風呂場より愛とエコーを込めて答える。

 

よ、陽性、陽性なのぉおおおおおお!!!

 

“陽水”と聞こえた私は「井上陽水がどぎゃんしたんや?」と言うと、その後、選曲を「飾りじゃないのよ涙は」に変更。

 

違う、違う、違うのよぉおおおおおお!!!

 

道子は急ぎ足で風呂場に駆けつけると、躊躇無くドアを全開に開けた。

そこにいる道子、なぜか顔面蒼白、そして手には白いスティックを掲げている。

そして、スッポンポンの私を前にして、微塵の笑顔も見せず、こう言うのである。

 

よ、う、せ、い、なの。

 

妖精?

私は事態が掴めない。

道子は手に持つスティックを私に突き出すと「中央にある縦線を見よ」と言う。

スティック。

縦線。

妖精。

不思議のキーワードが手を繋ぎだす、そして、それらはニコリと笑い出したかと思えば、アッサリ1つの答えを導き出す。

「まさか、妖精じゃなくて陽性?そして、これは妊娠検査薬、なの?」

私の首がコクリと右に折れる。

同時に道子、コクリと前へ頷く。

 

にんしぃいいいいいいいいいいいいん!!!

ウッ!!

 

突然、私の中でリオのカーニバルもどきの集団が陽気なリズムと共に祝の舞を踊り出す。

そのリズムはもちろんサンバ、しかし、どこか聞き覚えのある詩である。

”こんにちは赤ちゃん、私がママよ、ウッ”

え、この曲、こんにちは赤ちゃん???

なぜ故にサンバのリズム???なぜ故に、リオのカーニバル???

とにかく、その衝撃的情報集団は耳という入り口から荒々しく土足で進入してくると、突然、サンバのリズムに乗りながら「こんにちは赤ちゃん」を熱唱、そして、自律神経を道として、順調に脊髄バイパスを通過、ついには脳に到着する。

 

妊!!娠!!発!!覚!!

オメデトォオオオオオオオ!!!

 

子供はいつでもバッチ来ーい!!というスタンスで日常を送っていた私の脳から喜びの脳内モルヒネ”β−エンドルフィン”がとめどなく発射される。

「もっと、もっとβ−エンドルフィンを!!」

しかし、喜びすぎるな福山!!

まずは現状把握が何より大切!!お前はこういった類のぬか喜びに溺れ、何度失敗してきたことか!!!まずは現状把握だ。

反省君のお叱りを受け、とりあえず、喜びを抑えつつ道子に質問。

「この検査薬の信憑性は?」

「分かんない。でも、コレ、福ちゃんが貰って来たやつだよ。」

記憶を呼び起こせば、確かにこの検査薬、私が先日、友人の妊婦と語らった際に「余りの一本を俺にくれ」と言って貰い受けたもので、最初から縦線を引いてあるびっくりグッズの可能性も無きにしも非ず。

怪しい・・・

しかし、こんなことでウダウダ言ってる場合ではない!!

一刻も早く、この疑惑を確信に変えたい!!という衝動に打たれ打たれる。

とりあえず、動かなくては!!

私は風呂から一気に駆け出ると、スッポンポンでベランダ前に立ち尽くし、自分に強く問い掛ける。

今、私が胸張って言えることは???

 

”会社なんぞに行ってる場合ではない”という事であります!!!

 

よし!!

私は、まず道子に強制有給休暇を取らせると、すぐに自分自身の手続きにかかる。

出社時間は目の前、早くしないと朝礼になってしまう。

ん、朝礼???

しまった!!

朝礼かぁああああああ!!!

完璧に忘れていた、今日は私が朝礼の番!!

当然、私が急に休む事により、繰上げで朝礼が誰に回るか考える。

北野さん!!!

「北野さんかぁ・・・」

北野さんというと、人前に立つのが何よりも苦手で、何かしら発表など迎えた日には必ず胃を痛める「地震、雷、火事、親父よりも人前が嫌い」と自ら言い張る先輩である。

ちなみに最近、胃にポリープが見つかっている。

「休むわけにはいかない!!」

私は道子に「10分だけ会社に出る」と言うと、間髪入れずに出社。

朝礼で「子供が出来たかも。従って、今日は休みます。許してね。」とだけ言い放ち、上司に反論する時間を与える事無く、速攻退社。

もちろん、携帯電話の電源はオフ、反論の糸口も与えない。

これにて”10分以内とんぼ返り”成功するに至るのである。

 

しかしながら、一つ気に掛かる事が!!

 

気になる事は、すぐに解決しなければ!!

はい、ここで、私の嫁、道子さんにクイズミリオネア。

 

産婦人科に行くにはお金が要ります、それも保険が利かないという事。

はぁ・・・

結構、お金、かかりますねぇ。

はい、ここで問題。

そんな状況で、家の財布を握る道子さんの財布には、一体幾ら入ってますか?

A:5万円以上

B:2万円

C:1万円

D:5000円以下

 

回答者の道子はニコリと笑い、速攻回答。

私に「ファイナルアンサー?」と聞く時間すら与えてくれない。

「Dの5千円」

 

バ、イカァアアアアアアアアアアアン!!

しかし、現実問題、正解!!

ちなみに、私の財布には会社の食券300円分のみ。

 

私は会社へ再び戻ると、緊急的入用という事で金を借りる。

しかしながら、誤解して頂きたくないのは、福山家にいつも金が無いわけではない。

いつも、金には事足りているのだ。

ただ、一昨日、車を現金一括衝動買いしていた為、この様な危機的状況を迎えたわけである。

“これが分かっているなら、エアロなんて組まなかったのに!!”と心から悔やむが、時二日ほど遅し。

いきなり借金こさえたまま、疑惑を確信に変える為、産婦人科に向かう事になるのである。

 

 

2、丸

 

九州男児の中でも特に九州っ気が強いと言われる”肥後モッコス”が産婦人科の前で立ち尽くした。

男が産婦人科に入る、産む婦人の科と書く産婦人科に入る、これは女が思う以上に、男にとっては修羅の道である。

まず、自動ドアが開いた瞬間に”ここは東京ドームか?”と思ってしまうほどの勢いで、女っ気をたっぷり含んだ突風炸裂。

負けじと突き進もうとするが、その先に見えるのは夢見心地でタマゴクラブを読んでいる女と固い椅子を恰もトランポリンに見立てたかの如く飛び回るガキ。

オアシス的に、ちょこんと一人だけ男が見えるが、どう見てもオカマとしか思えない見た目半分女な男、こいつもタマゴクラブ読んでいる。

駄目だ!!ここには入れない!!

熊本城に武者返しあれど、この産婦人科に比べればピーターアーツとミスターオクレが戦うかの如し、つまり惨敗。

恐るべし肥後モッコス殺し「産婦人科」

私は産婦人科の威を認めると、悔し涙を流しつつ、素直に負けを認める。

そして、横で何食わぬ顔でタマゴクラブ熟読中の道子にソッと囁く。

「駄目だ、道子、後は頼んだ・・・」

道子を中に一人残し、外に退避するに至るのである。

ちなみに、この時、我強く思う。

 

道子が妊娠してたとしても、もう、俺は二度と産婦人科には行かないぞ!!

 

一時間強が過ぎる。

道子が無事帰還。

検査の結果を胸高鳴らせながら問うてみる。

「どぎゃんだった?」

道子、あっさり返答。

 

「うん、出来てた。5週目だって。」

 

・・・・・

 

福山的宇宙戦艦ヤマト、波動砲準備完了。

ニュイィィィィィン・・・

主題歌が流れ出す。

さらばー、福山ー、子供ー、福山ー、これかーらーお前はー、おーやーじー、パッパパーン、パッパパーン・・・

喜びの波動砲、発射!!

 

う、れ、しぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!

 

脳からはβ−エンドルフィンが大量発射される。

最高!!最高!!最高!!

心の中で何度もガッツポーズをカマス。

産婦人科駐車場で人目も気にせず喜びに震える私に、道子が更に「喜び材料」を差し出してくれる。

「子供の写真だって」

エコー写真・・・

そこにはまさに天使の如き”白き丸”が写っていた。(ホームページ内に写真あり)

「ああ、こいつが俺の、こいつが俺の・・・」

思わず、涙声が出てしまう。

「でも、早すぎて、全然見えないねって先生が言ってた。私も分かんないや。」

道子が横で戯言を言っているが、そこに写る小さな丸は、どんな丸よりも美しく思えてしょうがない。

「馬鹿野郎、俺は24年生きてきて、こんな美しい丸は見た事にゃーぞ。中秋の名月だろうと何だろうと、この丸に比べりゃ、ゴミた。ああ、俺に似て可愛い。」

私はその”丸”に心から酔いしれる。

2001年7月25日、正午の話である。

 

それから一ヵ月後、道子の定期検診の日を迎える。

検診の結果は至って順調との事。

更に次の「喜び材料」(エコー写真)もゲット。

「ああ、可愛い、なに、この可愛さは、あああああああ!!!」

思わず声を荒げずにはいられない。

そして“早く生まれて!!”と心から思う。

そんな心底子供に酔った私に、道子が横から衝撃的茶々を入れる。

 

福ちゃん。

前の写真で丸いのを”俺に似て、可愛い可愛い”って誰彼構わず言ってたけど、それ、子供じゃないんだって。

子供が入る部分なんだって。

福ちゃん、自信満々で言ってたから私も疑わなかったけど、今日、それが子供じゃないって聞いてビックリしたよぉ。

子供じゃないのを”俺に似て可愛い”って言いまくるなんて、福ちゃん・・・超笑える。

 

え???

夢から一気に現実に叩き戻される私。

 

あの丸、違ったと・・・

子供じゃなかったと・・・

 

一月の間も「可愛い可愛い」と言い続け、更に多種多様な比喩を用い、その丸を賛美し続けた私。

その丸が子供じゃなかったなんて・・・

延べ100人には語ったであろう「丸」の素晴らしさ、「丸」の持つ力、ラブリーサークルなんて名まで付けたりなんかして。

それを今更「丸だけに丸々嘘でした、あれは子供じゃなかったです」なんて言えるわけない・・・

私は、BGMに道子の馬鹿笑いを聞きながら、押し寄せる冷たい羞恥の波に打ち流され、そして、熱くなった体を冷ますのである。

 

みんな、本当にゴメン、俺が強制的に見せつけた”丸”あれは子供じゃなかった、みたいです。

 

絶対にならないと誓った親馬鹿、それなのに生まれる前になってしまうなんて・・・

人生は日々反省の繰り返し、初恋も人生もまさに振り子細工の心なのである。