ボツ (02/6/17)

 

またもや組合に出した文章がボツになった。

急性アル中になった思い出を原稿用紙2枚程度に綴ったものである。(短文に記載)

「なんでボツ?」

聞く俺に、組合からの解答は

「紙の意向にそぐわない」

との事であった。

「どの様な意向で書けば良い?」

尋ねたところ、『季節の情報を皆に提供する文章』が良いとの事である。

俺は言った。

「じゃあ、冒頭に『こんにちわ。暑くなってビールの美味しい季節になりました。でも、飲み過ぎは禁物だぞ。こんな投書も届いてるんだからね』と一文追加し、俺の文を載せれば良いではないか。急性アル中の体験談なんて、なかなかお目にかかれない貴重な情報だろう」

と。

組合はそれを聞き、納得してくれたのか談合を行なってくれた。

翌日…。

「やっぱり駄目です。書き直してください」

これが結論だった。

ウダウダ言ってもしょうがないので、書き直す事を決意。

(さて、何を…)

早速、仕事中に思いを張り巡らせた。

(チャックの事を書いてボツになったし、好みの女性の事を書いてボツになったし…)

組合の嫌う『傾向』を考えてみた。

まず、下ネタは論外、軽くても重くても触れた時点でアウトである。

次に会社の中傷、倒産を思わせる単語もアウト。

次にセクハラを遥か遠くにでも連想させたらアウト。

(うー、何を書けば…)

とことん、組合の文章は頭を使う。

『渋谷のスクランブル交差点を人に当たらずに走り抜けろ』と言われた様である。

(あー! まいった!)

思ったところに後輩と出くわした。

先日、急性アル中になりかけた今本である。

今月の組合の文章は俺と今本が担当で、当然、今本も半分受け持つ。

「お前、組合のチェック通ったや?」

俺は眉間に皺を寄せて聞いた。

「あー、通りました、真面目に書いたから全然引っかからなかったすよ」

(む! 真面目にと!)

俺も相当真面目に書いたつもりだが、今本のこの発言から取ると

(俺の文は真面目さに欠けるのか?)

となる。

何度も急性アル中の文を読み直した。

(どこが真面目さに欠けるのか?)

読めば読むほど真面目文である。

そんな時、ある先輩が

「福山、お前のホームページ見たぞ」

言って、肩を組んで来た。

(お!)

思い、

「日記の感想言ってくださいよ」

自らの文章を客観視するべく聞いた。

先輩はしばし俯いて考えると、ゆっくり口を開いた。

「お前…」

言って、俺をビシリと真顔で指差した。

「ずれてるよ。全てが」

「え!」

ショックから絶句してしまった。

俺は先輩が目の前から消えても、ただジッと、ただジッと立ち尽くした。

(そう言われちゃ、俺はこれから何を書けばいいものか…)

と、その時。

工場の機械が

「ガゴン!」

音を立てて止まった。

ガクン…

俺の肩も同時に落ちた。

(さて、何を書けば良いものか…)

心底、思った。

 

 

骨休みから思う (02/6/15)

 

久し振りに道子と春、家族三人でゆっくりとした時を過ごした。

「心貧しい独身貴族達には分かるまい、この安堵感と幸福感」

冒頭でそう言わせて頂く。

久し振りに9時過ぎに起床し、ゆっくりと朝食を食べ、春に乳をやりながら道子と雑談を交わす。

春が落ち着くと、家族でホームセンターへショッピング。

帰ったら家族三人、川の字になり昼寝である。

なんと『ユタリ〜ユタリ〜』時が流れる事だろう。

目を瞑れば美空ひばりの『川の流れの様に』が聞こえてくるようだ。

俺は一日を終え、春と道子が寝たのを見届けると日記の執筆に当たる。

(さて…)

イメージを膨らまし、今日という一日を振り返る。

(あれ?)

もう一度、記憶を呼び起こす。

(あれあれ?)

そう。

(何も書く事が無い!)

のである。

『家族で昼寝、幸せ一杯』こんなものが書き物として成立するわけが無いのだ。

(ああああ、くそ、独身の時の様にバンバン金が使えて時間も自由なら、コンパ行って、朝から酒飲んで、ギャンブルしたりするのにー!)

冒頭で独身の事をけちょんけちょんに言ってやったが、やはり

「ばびょーん、週末は5万つかってパチンコするぴょーん!」

とか、

「バイクに10万つぎ込むぴょーん!」

とか

「飲み会、朝まで、楽しむぴょーん!」

などと、騒ぎ立てる独身貴族を見ると

「うるさい、お前ら、本当の幸せが分かってもいないくせに!」

と、怒鳴ってはみるものの

(こいつら… 羨ましい… ぴょん)

そう思ってしまう。

日頃なら、こんな憂鬱な夜は、寮から同期達を呼びつけ、

「飲むぞ!」

という展開になるのだが、ドクターストップがかかっている現状ではどうしようもない。

(ああ、もう!)

イライラは募るばかりである。

その解消がてら、モニタから目を離して後ろを見ると、愛娘と嫁の寝顔が飛び込んできた。

しばし、それを食い入るように見つめる。

イライラがスーッと嘘の様に消えた。

「あう!」

春が寝言でそう言った。

俺はモニタに向かうと、止まっていたキーボードに両手を走らせた。

(独身貴族の連中にはこれが味わえない、そう思えば…)

思い、書き上げた『6月15日』

それがコレであった。

おそまつ!

 

 

診断 (02/6/14)

 

二日連続で午前中だけ会社を休み病院に行った。

前の日に看護婦が言った『有名な先生』に看てもらうためである。

前日から行っていた為か10分ほど待つとスムーズに診察室に通され、確かに『オカマではない普通そうな医者』が座っていた。

医者は看護婦から大筋を聞いているらしく

「腹が痛いそうだね」

言うと、

「ちょっとそこに寝て」

と、ベットを指した。

医者は俺の腹を丹念に押しながら、聴診器をあて、

「む!」

とか

「ここは痛いかね?」

と、入念な検査を施した。

(うーむ、昨日のホモ先生とはえらい違いだ)

つい、感心してしまった。

医者は触診と聴診を終えると、なにやら看護婦と話し込んだ。

「7月だって?」

「人間ドックの予約で6月は一杯ですからね」

「いや、今日、やっちゃおうよ」

なにやら医者はモゴモゴ言うと、

「福山さん、朝飯、食べた?」

聞いてきた。

「いや、食べてないっす」

俺は何気なしに返したのだが、医者は

「む、そうか」

言うと、

「今日、強引に入れてくれ。診た方がいい」

「はぁ…」

談合し、看護婦は実に困った顔をした。

「それじゃあ、CTスキャンもやりますよね?」

「そうだな」

看護婦と医者の間で何かが決定したようである。

当の本人は何も分からない。

が、看護婦の一言で俺はゴクリ生唾を飲み込み、全ての事態を把握したのである。

「それじゃ、7月1日にやるはずだった胃カメラ、今日、やります」

(ガチョン!)

冷や汗がタラリと出た。

「良かったですねぇ、先生の判断と福山さんがたまたま朝食を食べてなかったお陰ですよ」

(よくねーよー)

俺は一歩も動けなかった。

ただ、

「朝飯、やっぱり食べたような気がします」

それだけ言ったが、

「あら怖いの? でも、もう、遅いわよ」

そう言われ、続けて

「さ、付いて来て。CTスキャンを上でやってもらいます」

有無を言わさず、腕を引かれた。

CTスキャン室は密室で、更に真っ暗だった。

俺は例の『還暦を越えた看護婦』に連れられ、

「寝て」

言われて、横になった。

看護婦はすぐに奥に消えていった。

「じゃあ、頼んだわね。あの先生、いつも急だからねぇ…」

還暦看護婦が壁一枚隔てて、誰かにそう言っているのが聞こえた。

俺は横になりながら、

(ああああ、何がどう転んで胃カメラになったのやら…)

狐につままれた心持ちで、ゴロンゴロンと寝返りをうった。

「はい、それじゃあ、ゼリーを塗りますね」

一時するとそう言って現れた女性がいた。

声質が明らかに還暦と違う。

若い声だ。

先の胃カメラにやられ、しぼんでいた俺だったがピクリ体全体が反応した。

(む!)

春に見せてやりたいくらいの見事な寝返りで仰向けになると、声の主をバチリ捕らえた。

(やはり、若い、それに、はぁ、看護婦ってのはこれだよぉー)

白衣に身を包んだ、まさしくギャルと言える女性だった。

ロングの髪が白衣とのコントラストで映え、エクボとヤイバのバランスが最高な、まさしく『日本的美人』な若い女性だった。

彼女は来るや

「はい、ズボンを少し下ろしますねぇ」

言うと、積極的に絶妙なラインまで俺のジャージを下げた。

ギャランドゥーからあそこの毛に変わる、まさに『絶妙なライン』だ。

(オフサイドぎりぎりの下げっぷり、こやつ、できる!)

思ったら、看護婦はゼリーを俺の体に塗りたくった。

(ぜ、ゼリーときたか! む、む、これはなかなかどうして…)

看護婦は『これでもか!』と言わんばかりにゼリーを俺の体に擦りつけた。

少しだけ興奮してきた。

「それじゃ、始めます。らくーにしてください」

(『らくーに』なんか、出来るわけがないだろ、むふー)

「私が息を吸って、吐いてと言いますから、それに合わせてお願いします」

看護婦は俺の腹にテレビのリモコンの様なモノを当てながら、写真を撮りまくった。

「横になってください」

「痛くないですか?」

「息を止めてください」

看護婦に言われるたびに

「はふー」

そう返した。

頭の中では

『呼吸を止めて一秒あなた真剣な目をしたけど、そこから先が見えなくなるの星屑ロンリネス…♪』

(ああ、とっても星屑ロンリネス!)

と、タッチの主題歌を歌いまくって妄想に励んだ。

久し振りにトキメいた。

素晴らしい時間を過ごしてしまった。

ありがとう、南ちゃん。

さて。

これが終わると俺は有無を言わさず、先ほどの還暦看護婦に連れられ、先日の『処置室』に軟禁された。

CTスキャンの部屋を出る時、涙目で

「俺、今から胃カメラなんです…」

美人看護婦にそう言ったが、

「そうですか、それで?」

と、あんなに仲良くゼリー塗ったり、突っついたりしたのに冷たく返され、還暦看護婦に身柄を引き渡されてしまった。

意気消沈の俺は、処置室で小さな椅子に座らせられると、いきなり水飴みたいにドロリとした液を口の中にぶち込まれた。

「はい、喉の奥の方で止めて! 5分間待ってもらうからね」

還暦看護婦は言って、タイマーをセットした。

ひどくまずい液体だった。

更に、なんか口内がビリビリとしてきた。

俺は上を向いたまま、タイマーがなり終わるまで

(いやだ、ああ、いやだ…)

それを思い続けた。

タイマーがなると、すぐに看護婦が現れ、

「はい、それを飲み込んで」

言った。

(こ、これを、この不味いビリビリ水飴を飲めと…)

思ったが、吐き気を覚えながら辛うじて飲み込んだ。

「はい、よく出来ました。じゃあ、もう一杯」

「嘘!」

「嘘じゃないわよ、もう一杯」

看護婦はもう一発、ビリビリ水飴液をさじで流し込むと、同様にタイマーをセットした。

吐き気がとめどなく深いところから地上に現れた。

(ああ、もう、胃カメラ飲む前から吐きそう…)

待ち構えている胃カメラを思えば思うほど、冷や汗がドクドクと流れた。

ビリビリ水飴第二段が終わると、俺の口は完璧に麻痺していた。

そこへ。

「最後、最後」

看護婦が言いながら、霧吹き麻酔をぶち込んだ。

感覚がなかったのが、一気にビリビリと痺れ出した。

(うおー、ここまでしないといけない胃カメラってどんなものなんやー?)

思い、

「さあ、いくよ! おいで!」

と、最初の『有名な先生』の元へ、連れて行かれた。

「お帰り」

医者は言いながら、手に鰻の様な、ロープのような、何かをアルコールのようなモノで消毒していた。

(あ、あれは!)

まさしく、胃カメラだった。

親指くらいの太さだった。

口が麻痺してうまく喋れなかったが、

「だへです、はいひまへんよ…」

俺は一生懸命ゼスチャーで『胃カメラ断固拒否』の姿勢を示した。

「大丈夫、大丈夫、さ、横になって」

医者というのは

(なぜ故にこうも話を聞かないのか…)

といつも思うのだが、今回も例外ではなく、有無を言わさず、寝かせられた。

医者は俺の目の前に中腰になると、

「はい、これ噛んで」

と、穴のあいた樹脂パイプを咥えさせた。

そこに例の鰻の様な胃カメラをスルスルっと入れたのである。

(うっ!)

瞬間、強烈な嗚咽の感がビリリと走った。

思わず、手が出てしまった。

カメラを掴み、引っこ抜いてしまったのだ。

「きつかったかね…」

「はぁはぁ、ひつい、ひついでふ」

麻痺した口は喋れないが、精一杯の俺の思いを医者に投げかけた。

目には嗚咽の名残で涙が浮かんだ。

医者はそれをしばし眺めると、

「あれを」

そう看護婦に言った。

看護婦は

「はい、あれですね」

言って、注射器を持ち出した。

(あ、あれって何だよぉー)

俺は二人のコソアド言葉に冷や汗を拭いながら、その針に目を当てた。

「ちょっと痛いわよぉ」

看護婦は俺が注射嫌いな事を昨日の採血の一件で知っている。

針を見せない様に、肩に『あれ』と言われた注射を打った。

「すこし、ボォーっとしますからねぇ」

看護婦が言った1分後ぐらいだろうか、確かに『ボォーッ』としてきた。

目も霞んできた。

それを見計らって、医者が動いた。

先ほどの様に中腰になると、今度は素早くカメラを樹脂パイプに通して、俺の中に入れ込んだ。

一瞬、吐き気をもよおしたが、前回ほどではなかった。

それからはスルリと行った。

「よし!」

医者は言うと、ズルリズルリと管を俺の中に入れていく。

(おお、おお、中を行くのがなんとなく分かる…)

思っていると、医者が

「ほら、もうすぐ胃だ」

モニタを見ながら言った。

俺は体を動かすのが『ボーッ』のせいで非常に億劫だったので、横目でそれを見、

(ああ、綺麗なもんだ)

そう思った。

ついにカメラは胃を捕らえた。

医者の手がやっと止まると、

「うわー、荒れてるなぁ」

言って、

「潰瘍はないようだな。しかし、急性胃炎だ」

言いながら、更にカメラを奥に進めた。

(急性胃炎!)

俺は学生のときに患った急性肝炎といい、実に二度目の急性ナントカに

(またか…)

思った、その時だった。

「あ!」

医者は言いながら、写真ボタンを押し、

「こりゃ、ひどいなぁ」

そう言った。

(まだ、なんかあるのか?)

思ったところに、

「見て、これ、潰瘍だよ。十二指腸潰瘍だ」

そうこぼした。

確かに、白くなっており、ただれている様にも見える。

「あー、こりゃ、血を吐く一歩前だったよ、良かったなぁ」

言いながら、カメラを戻し始めた。

またもや、中腰で投網を引くような姿勢である。

カメラが出る時、また、

(うっ!)

来たが、辛うじて持ちこたえた。

還暦看護婦が

「はい、先生の話をしっかり聞きなさい」

と、フラフラの俺の肩をポンと叩いた。

医者は始めた。

「結論からいくと、急性胃炎と十二指腸潰瘍だね。ストレス、不摂生、ピロリ菌、色々理由は考えられるけど、まずストレスだろう」

「はぁ」

「酒は一月はやめなさい」

「え!」

驚きが思わず声に出た。

当たり前だ。

一月も酒を飲まないなんて、15歳から一度もない。

「ひょっと、勘弁ひてくだはい」

哀願をしてみた。

医者はそれを聞くと、

「じゃ、二週間止めなさい」

おまけしてそう言ってくれ、

「クスリを出すけど、勝手に止めるんじゃないぞ! 若いのは良くなったからって勝手に止めるのが多いから」

と念を押した。

俺は

「大人なのに手が掛かってふいません」

と、深く看護婦と医者にお礼を言い、診察室を後にした。

未だ『ボーッ』が取れない。

「ああ、言い忘れたけど…」

看護婦が後ろから俺を呼び止めた。

「二時間は麻酔が効いてるから注意してね」

「はひ」

フラリと返し、受付へ向かった。

途中、

「きゃー、地震、地震!」

周りが騒いだが、既に頭がグルングルンの俺には何も感じなかった。

 

麻酔が引いたのが午後2時だった。

仕事が溜まりに溜まっていた為、仕方なく2時半から出社した。

多分、皆、

「大丈夫か福山、心配したぞこのやろぉ…」

声を揃えてそう迎えてくれるだろうと思っていた。

が。

症状を語った俺に対して彼らが言った言葉は怒りすら覚えざるを得ないものだった。

「潰瘍ってのはデリケートな人間がなるもんだ。なんで、お前がなるんだ? 潰瘍を馬鹿にするんじゃない! お陰で潰瘍が軽々しく見られるだろ!」

なぜか怒鳴られた。

「俺も聞きたいくらいですよ」

つい、口を尖がらせて返した。

世間の風は俺が思うよりもずっとずっと冷たかった。

(病気のときくらい…)

そう思ったが、言えば

「甘ったれんな!」

そう言われることは目に見えていたのでやめた。

ちなみに…

俺が一時酒を飲めない事が分かると、課の幹部層のオヤジが

「よし、今日は皆で飲みに行くか!」

そう叫び、俺を見、ニヤリ笑った。

(く、くそぉ…)

思い、胃がキリリと痛んだ。

それがとっても悲しかった。

 

 

ハート病院 (02/6/13)

 

最悪の一日だった。

 

昨日の晩、会社の歓迎会を終えると、前々から続いてた腹痛がピークを迎えた。

「大丈夫、福ちゃん? 春ちゃんも泣いてるよぉ」

言う道子と、

「あうー」

後ろで唸ってばたつく春に、つい、

「病院に行こう。明日の朝」

そう勢いで言ってしまった。

俺は起きると上司に

「午前中だけ休みます」

の一報を入れ、ハート病院というご近所の病院に向かった。

(久し振りだ…)

病院なんて二年前に自律神経の不調を訴えて行ったきりだ。

そういえばその時もこのハート病院だった。

以前は診察を受けていたら、急に強烈な吐き気をもよおしてしまい、ついには便所にダッシュしたが直前で吐いてしまった。

病院だから当たり前ではあるが、いい思い出がまるでない。

おまけに俺は注射が嫌いだ。

クスリも嫌いだ。

でも、看護婦はちょっとだけ好きだ。

少しだけの光明を頼りにフラフラと病院の自動ドアを潜った。

30分もすると診察室に通された。

そこにはどう見ても医者には見えない普通なオヤジが白衣を着て待っていた。

「どうしましたぁ?ムフー…」

マッタリと首筋にまとわりつく笑顔を見せながら、医者はA4の紙にペンをあてた。

ホモっぽかった。

「いやぁ、腹痛が二週間も引かないんですよ…」

俺は周りを見回し、

(看護婦がいない。このオヤジと二人っきりか…)

ガックリ肩を落とし、防衛本能からケツ筋に力を込めた。

「じゃあ、上、脱いで」

医者は相変わらずのネットリスマイルで言うと、青々した顎をさすった。

オカマコントのメイクの様に口元は『海の如き深い青』だった。

俺は恐る恐る脱ぐと、

「どうぞ」

今思えば何が『どうぞ』なのかさっぱり謎だが、言って、医者の前の椅子に座った。

医者は俺の体の胃の部分をチョンと押すと首をかしげて

「痛い?」

そう聞いた。

医者の顔は斜め45度下方から俺の顔を覗き込んでいる。

「いや…」

俺は医者のピンと立った小指が気になりながら返した。

口元はひょっとこの様にとんがっていた。

俺は確信した。

(オカマだ、間違いない)

そして、

(信用できるのか、この医者…)

続けて思った。

オカマはカルテになにやら書き込むと、

「胃カメラで見た方がいいね。君、若いからバリウムよりは胃カメラがいいよ」

俺の顔も見ずに思いきった事を言ってくれた。

「ちょ、ちょっと待ってください、胃カメラは…」

(心底やめて!)

最後、言葉にならなかったがそう思わざるを得ない。

多分、医者は腹痛の原因が分からなかったのだろう。

それで、とんでもないリーサルウエポンを持ち出してきたと思われる。

『胃カメラ』

聞くだけで身の毛がよだつ。

カメラを口の中から胃を目掛けてぶち込むのだ。

(うわー、こえー!)

以前、俺の上司がこんな事を言っていた。

「胃カメラ飲むくらいならバリウム100杯飲んだほうがマシだよ。俺はあれを入れられた時、気持ち悪くて思わずカメラを引っこ抜いちまった」

当たり前だ。

あんなものが口から入るわけがない。

「勘弁してください、胃カメラだけは」

俺はオカマに哀願した。

(テメー、分からんから胃カメラっていうその安易な発想はやめてくれよぉ。俺はそれで死ぬ思いをせんといかんのにぃ…)

涙目の哀願だった。

「ムフゥ、今のカメラは小さいし、麻酔もしますから、大丈夫大丈夫。ムフゥ」

オカマは俺の願いなど、軽く流し、

「外に座ってて、すぐ看護婦が来るから」

言って、俺を追い出した。

「はぁああああ…」

俺はトボトボと外に出、そのまま待ち受けていた看護婦に『処置室』という名の注射器が所狭しと並ぶ部屋に連れて行かれた。

看護婦は『絶対に還暦をとうに迎えている』と確信できる見た目の女性だった。

しかし、仮に小池栄子の様なボインちゃんが来ようとも今の俺を釘付けにする事は出来まい。

意気消沈の極みなのだ。

(ああ、胃カメラ、嫌だ−)

それが俺の思考の99%を支配しており、それのせいで胃に穴があきそうなのだ。

看護婦はカレンダーを俺の前に出すと

「6月はいっぱいなのよぉ、7月1日が一番早いのよ。そこに予約入れましょうか?」

そう言ってきた。

「え!」

真っ暗闇の視界がバラ色に輝いた。

「今日、やるんじゃないんですか?」

思わず聞いた。

「胃カメラやる時には前の日、何も食べちゃいけないし、場所もここじゃ出来ないのよぉ」

「本当ですか!」

今日じゃないなら落ち込んでるのは時間の無駄である。

「ああ、いいです、いいですとも7月1日で」

俺はカレンダーに名を書き込むと

「じゃ、付いて来て、血液の検査をしますから」

言う看護婦に付き添い、

「はい、腕を出して」

言われるがままに腕を出し、血をとってもらった。

注射針から目を逸らしたら

「あら、注射が苦手なの。可愛いわね、僕」

そう言われた。

(確かに還暦を越えたおばさんから見れば子供だろうが『僕』はないだろ…)

思ったが何も言わず、ジッと血を抜かれた。

それから看護婦としばし話した。

この採血は胃カメラを入れる人は必ずやらなければならないらしく、感染症を防ぐのが狙いという事である。

梅毒、エイズ、それらの検査をするそうだ。

「ところで、結構、腹、痛いんですけど、胃カメラの日まで我慢しろって事ですかね?」

「あら、そんなに痛いの」

「痛くなきゃ、病院なんて来ませんよ」

血を抜かれながら俺は言った。

目線は絶対に注射針を向かない。

「じゃあ、明日、もう一度来なさい、有名な消化器の先生が午前中に来るから」

「え、今日の先生は?」

「悪いとは言わないけど…」

看護婦はそこで言葉を止め

「明日の先生が素晴らしい先生なのよぉ」

言い放った。

(そういう事ね…)

俺は思い、明日の病院行きが決定した。

さて。

午後から出社したわけだが、そんな俺を一番のビックウェーブが襲った。

ドンドコドンドコドンドコ…

(痛い、痛すぎる…)

全く仕事にならなかった。

汗が滝の様に流れた。

(これは仕事にならん)

そう判断した俺は会社の診療所に腹を抑えながら向かった。

診療所は真っ暗の上に人っ子一人いなかった。

(診療所なのに休みとは、ううう…)

未だ汗が引かない。

(こりゃ、帰るしかないな)

俺のナイス判断がまたしても下された。

今日の俺の勤務状況。

午前中は休み。

午後0時45分出勤。

退社15時。

2時間15分の勤務だった。

そういえば先週も一週間休んでいる。

我ながら

(こんな奴を雇っていいのか?)

つい、そう思ってしまった。

 

腹痛は未だ引かず。

明日、有能な医者が適切な処置を施してくれる事に期待する。

 

 

遺伝が教えてくれた事 (02/6/11)

 

先日、五日間に渡って腹痛に襲われた。

一時間周期くらいで訪れ、得も言われぬ鈍い痛み、まさしく鈍痛が走る。

ちなみに痛みを止めるためには歩く事が何よりで、歩いていればなんとなくおさまった気がする。

(なんだ、これは?)

思い、熊本にいた時だったので親父に相談してみた。

親父は痛々しい俺の相談を聞くと

「む!」

そう言い、何か遠い目をした。

親父は昔を思い出していた。

「うむ、あれは20代後半の時だ…」

語り始めた。

「俺は昔、サラリーマンをやってる頃、今のお前と同じ様に座り作業ばっかりやってた。座り作業は胃を圧迫する」

親父はニヤリ笑った。

「遺伝だなぁ」

言うと、もう一度クスリ笑った。

「最近のお前は文章を書く事に夢中で座りっぱなしが多いだろ。仕事も座り作業だ。更に、最近、確実に太ったろ?」

ぐうの音も出ない。

確かに最近の俺の腹を持つ手は『掴む』『握る』というには生ぬるい様に思える。

言えば虚しいが『挟み込む』といった感じだ。

親父は続けた。

「それは、多分、圧迫性の胃潰瘍だ!」

「い、胃潰瘍!」

驚愕だった。

最もストレスに縁の無い生活を送っているつもりが、ストレス病の代表格「胃潰瘍」と言われてしまったのである。

親父は続けた。

「俺も昔、ひどい胃潰瘍になった。しかし、サラリーマン辞めたらすぐに直った」

親父は笑顔で妻恵美子に笑顔を送った。

「ねー、お母さん」

「分かってるわよ、お父さん」

二人は手に手を取り合ってダンシング、ダンシング。

その陰で俺は両手で顔を覆った。

「どうすれば、どうすれば直るのですか?」

青ざめた顔で心底問うた。

「教えてミスター!」

親父はゆっくりと振り向き、恵美子とつないだ手をほどき、ボソリ言った。

「いちに運動。2に野菜。そして…」

親父はビシリと俺の顔を見た。

腹部には、いまだ鈍痛が響いている。

親父が言い締めた。

「痩せろ」

親父の声は限りなく低い。

そして、限りなく重い。

確かに。

座らずとも胃を圧迫してると思われる『腹部に鎮座の豚バラブロック』、こいつが元凶だと言われても不思議ではない。

(痩せねば…)

久し振りにそう思った次第である。

 

 

安永結婚式 (02/6/10)

 

先輩の安永さんという人が6月9日に結婚式をあげた。

付き合ってすぐ同棲して、なぜか家を35年ローンで建てて、それから籍を入れて、最後にやったのが結婚式だった。

まったくもって順序がアベコベな先輩である。

さて、その先輩、式では二次会を行わなかった。

なぜなら、ワールドカップ日本戦があったからである。

その代わり。

35年の苦悩をもちいて完成した『マイホーム』で皆々揃って日本戦を観戦しようじゃないかという事になり、早速、結婚式を終えたばかりの新郎宅に押し寄せてみた。

ぼちぼち飲んで、観戦は大いに盛り上がった。

が、しかし。

ぼちぼち飲まずに許容量を大幅に超えて飲む男がいた。

彼の名を「今本」という。

俺、唯一の後輩である。

こやつ、なぜか飲めもしないウイスキーをロックで勝手に自ら一人であおった。

(呂律が回ってないな、そうとう酔ってるか…)

はしゃぐ今本を見て、皆がそう思ったが、

(日本戦の最中、かまってはいられない。それに新顔のギャルもいるし、今本がハッスルするのも分かる分かる…)

という事で皆、無視していた。

ハーフタイムの頃だったか

「う!」

今本は言うと、新築の玄関を思いっきりバタンと押し開け、外に飛び出した。

(吐くのか?)

思ったが、なぜか寝た。

皆、日本戦に目をとられ、構ってはいられない。

完璧に無視である。

日本戦の終了後、

「いやー、いい試合だった、安永さん、歴史的な日に結婚しましたね」

皆が口々に言いながら、喜び合った。

その後だった。

外で寝てた今本が

(見苦しい。ご近所さんに笑われる)

という家主の意向で中に入れられた。

(よし、日本戦も終わったし、いっちょ、見てみるか)

と、いう事で新築の空き部屋に入れられた今本を特別に見に行った。

すると。

布団の上にはビニールが敷かれ、そこに横たわる今本はパンツ一丁にされていた。

顔色は限りなく透明に近いブルー。(引用)

体は小刻みに痙攣していた。

「うーうー、うっ…」

うなる今本、非常に苦しそうだ。

しかし、介抱する気にはなれない。

春を見慣れた俺から見れば

(あー、もう、全然かわいくないし、油でギラギラ光ってるし、ギャランドゥーも中途半端だし、パンツの柄も変だし、介抱どころか触る気にもならん)

のである。

時間は11時を回っていた。

「春を風呂に入れなければ!」

俺は言うと、家主である安永さんに

「今本は置いていきます」

そう言って、さっさと帰った。

皆も

「家庭人は帰れ」

と、まるで地球外生物を追い払いが如く、俺と道子を追い出した。

(家庭人と火星人をかけるとは、うまい!)

感心し、俺はお言葉に甘えて帰路についた。

しかし。

帰って思った。

(安永さんって、今日、結婚したんだっけ)

そして、道子にこう聞いた。

「明日から安永さん、ハワイに新婚旅行だったよな?」

「うん」

申し訳なさから来る汗がヒヤリと額をこぼれた。

しかし、あんまり考えない事にした。

(ああ、新婚初夜に、新婚旅行を明日に控えた夫婦に、アル中寸前の後輩を置いて帰った事なんて思い出さないにこしたことはない)

そう言い聞かせ、その夜は俺と道子、ぐっすり眠った。

翌日、寝覚め良く、さわやかに出社した。

熊本に帰っていたので実に9日ぶりの出社だった。

メールチェックした。

30通くらい来てるそのなかに『今本』という名があった。

(あ!)

思い、内線で電話をかけてみた。

「いやぁ、今日は休みだそうです」

誰か知らんがそう答えた。

俺はなぜ故に今本が会社を休んでいるのかを懇切丁寧に説明し、受話器を置いた。

思えば

「いぇい、いぇい!」

つぶれる前、彼はそう叫んでいた様な気がする。

これを言いたいが為に、酒に溺れ、会社まで休み、先輩の結婚初夜を邪魔し、アル中寸前まで陥った今本、彼は一体何がしたかったのだろうか?

「ここまで酔ってくれるってのはお前の門出を祝っている証拠さ」

誰かが安永さんに言っていたが、安永さんの返した微妙な顔が忘れられない。

あれから今本には会っていない。

なぜ故に一人で急性アル中寸前まで酔ったのか、もしくは酔わざるを得なかったのか、それは未だに謎である。

 

 

父になった事を少しだけ実感した瞬間 (02/6/9)

 

愛娘の『春』と一週間離れた。

前の『あえなかった記録』は道子の実家に預けていた五日間だったので、今回の七日間は記録更新となる。

ぶっちゃけた話、春は

(かわいいなぁ、こいつ、たまらんばい)

とは思うが

(こいつがいないと死んでしまう・・・)

とはまだ思えない存在だ。

仮に。

道子と春が

「助けてー」

と、崖っぷちにぶら下がっており、横から変な神様が現れて

「おぬしが助けれるのは一人までじゃぞ」

そう言われたら迷わず道子を助けるだろう。

だって、道子との方が付き合いも長いし、春の代わりは道子がいればつくれる様な気がする。

いきなりポンと現れた子供を前にして

「これは貴方の分身です。死ぬ気で守りなさい」

言われても、

「すいません、死ぬ気ではちょっと…」

と言ってしまうに違いない。

分身が出来たという実感がさっぱり湧かないのだからしょうがない。

ちなみに道子は春が自らの腹の中にいる時から

「ああ、なんて、なんて私の分身なの!」

と思っていたわけだから、

(春の為に死ねる!)

だろう。

これが『母は生まれる半年前に母になり、父は生まれて半年後に父になる』たる所以だろう。

さて。

そういった俺だったが、春と離れて六日目の夜の事だった。

春が夢に現れた。

なぜか春は喋れる設定になっており、その春が言うのだ。

「お父さん、お父さんがいないと私、死んじゃう!」

俺は起きるや、帰りの飛行機を朝一番に変更した。

(一刻も早く春に会いたい!)

不思議にそういった思いが体の根から溢れ出すのだ。

熊本の実家を6時30分に出、8時の飛行機に乗った。

社宅には12時過ぎに着いた。

「ただいま!」

言って、春を抱きしめたかった。

しかし。

嫁は春日部から帰っておらず、1時間半も家に入れず外に待つことになった。

春と会えた瞬間、春はニコリ笑うと俺の袖を掴んだ。

(ああ、死ねるかも)

意外にもそう思ってしまった事が自分にも可笑しかった。

(こうやって父になっていくのだろう)

更にそうも思った。

 

 

マラソンにはまった親父 (02/6/7)

 

富夫がマラソンにはまっている。

富夫とは俺を知る者にとっては言わずと知れた『我が父』である。

「マラソンはいいぞ、なんと清々しい、むふー」

富夫は言いながら、

「これを読め!」

と、『ランナーズ』という本を俺に渡した。

「興味がない」

それが俺の返答だ。

ちなみに。

富夫は毎朝走る。

朝5時に起きては10キロ走り6時くらいに帰ってくると

「素晴らしい朝だ、起きろー!」

と恵美子と俺を起こす。

お陰でこの一週間、俺は『三文の得』を十分に堪能している。

「ああ、清々しい、ああ、清々しい、お前達も走るぞー」

非常に朝からうるさい。

さすが高血圧だ。

血圧上100を切る俺と恵美子はそれを『うんざり』という顔で眺め、食卓につく。

「うむ、走ると朝食がうまい、最高、たまらんね!」

どうしても、ああ、どうしても富夫は俺達に走らせたいらしい。

彼はいつもそうだ。

(いい!)

と思ったものは人にさせないと気がすまないのだ。

前に肥料(堆肥)作りにはまった時、結納で埼玉にかしこまって出てきたにも関わらず、

「肥料作りは大地とのコミニケーションですよ。それで作った野菜を食べると思うと、むふー、むふー」

そう言って、初対面の春日部の両親に堆肥作りを薦めたものだ。

そんな富夫と朝餉を前に

「ちょっと、今日はいけんな」

俺がそうこぼしたものだから

「走らんけんたい、走らんけんたい…」

言って、富夫は腹筋を始めた。

「ちょっと腹が痛い」

うっかりこぼしたら、

「腹筋せんけん、背筋せんけん…」

言って、背筋を始める。

『ランナーズ』を横において、谷川真理の『筋トレ de ダイエット』というコーナーを読みながらである。

こんな富夫を見て俺はふと思った。

(この親父、ケインコスギのようだ…)

俺はケインコスギがあるテレビ番組で

「起きては筋トレ、飯食っては筋トレしてます。暇だったら筋トレしますね」

と言っていたのを思い出した。

それをあるお笑いタレントが

「何のために?」

と突っ込んだ。

ケインコスギは真顔で頭を抱え込むと辛うじて

「筋肉番付」

そう答えた。

(オヤジは何のためにここまで努力をおしまず筋トレしてるんだろう?)

思ったが、腹筋しながら満足そうに

「むふー、いい気分、いい気分」

言う富夫には何も言えないのであった。

ちなみに。

うちに寄った友人長嶺氏がすぐさま捕まり

「マラソンはいいよ、マラソンは」

言われながら『ランナーズ』を読まされていたが俺は見ないことにした。

 

 

雅士から見る末っ子思考 (02/6/6)

 

熊本空港に迎えに来たのは弟の雅士だった。

サングラスをして、吉本の藤井君みたいな格好だった。

車は外車で車高短で横幅が馬鹿みたいに広いのに乗ってたのだが、ホンダのスポーツカーになっていた。

「なんで車、乗り換えたんや?」

と聞くと、

「なんとなく」

そう答えた。

空港から実家まで送ってもらう間に、

「お前、関東に来るって言いよったけど、いつ来るんや?」

と聞いたところ、

「あ、あれ、やめた」

雅士がそう答えたので、

「なんでや?」

聞いたら、

「なんとなく」

と返ってきた。

雅士はこう付け加えている。

「兄ちゃん、俺、山鹿に残るけん。やっぱ、親の側に俺か兄ちゃんかがおらんといかんどで。就職もこっちでしようと思って探しよるんたい」

雅士はブティックで一年くらい働いていたが辞め、今は地元のコンビニで小金を貯めている毎日だ。

地元にいるが、家は別に借りている。

深い意味はないそうだ。

俺は雅士の心強い発言に

(うむ、あいつもやっと地道な道を選び始めたか…)

そう思い、胸が熱くなった。

しかし、俺が

「就職先は見つかりそうなんや?」

そう聞くと

「ぜんぜん駄目。ばってん、なんとかなるど」

そう言った。

(末っ子っていうのは本当に強いなぁ)

周りの末っ子達を見ててもつくづくそう思う。

(長男は光明が見えてこないと動けないのに…)

これも周りを見て、俺を見て、言える事だと思う。

なかなかどうして動けない俺の現状を

(『兄の血』のせいだ)

そう思ってみたりしてみた。

 

 

エレベーターの話 (02/6/3)

 

ふと、こんな話を思い出した。

二年ほど前の事だろうか、会社同期の安岡という二十代も終わりに差し掛かった女性が一人暮らしを始めた。

俺は出張で北九州におり、同期と飲んでいたため、そのまま彼女の家に雪崩れ込んだ。

適当に飲み、適当に寝、深夜3時を回った頃に彼女の部屋を後にした。

彼女の部屋は味気ない鉄筋建築物の5階か6階にあり、当然、エレベータを使って降りる。

五人くらいいたろうか、エレベータに乗り込み、俺は軽い気持ちで小林という同期に体当たりをした。

するとどうした事だろう、

「ガゴン」

という音と共に、エレベータの壁が微妙にへこんだ。

「お、これは手抜き工事だなぁ」

俺がそうこぼすと、香川という年上の同期が

「俺は知らんぞ」

そう言った。

俺たちは気にもしなかった。

『一階』のボタンを押し、それこそ普通に世間話をしながら立っていた。

すると。

ガクッ、ガガガガガ・・・

エレベータは歪なうねりをあげながら動き出したのだ。

「な、なんだ、なんだ!」

焦る男五人。

移動はしているが、雑音が物凄い。

ガン、ガン、ガン、ガン・・・

明らかにエレベータが何かにぶつかりながら動いている音だった。

少しすると警報が鳴り出した。

「近くの階に停止します、近くの階に停止します…」

一同、緊張はピークに達した。

(このままエレベータがマッサカサマに落ちるんではなかろうか?)

(死ぬのか俺たち?)

極限状態の中で様々な人間模様が伺えた。

ある者は「おー」と感心し、

ある者は「やばいよぉ!」と叫び、

ある者は手に汗握り黙り込み、

ある者は「俺は知らんぞ」と言い続けた。

こういう時、皆、性格が見事に露呈するのだ。

隠し様がない素がまざまざと浮き彫りになるのだ。

エレベータは近くの階に停止し、無事、扉も開いた。

俺たちは

「逃げろ!」

の掛け声の下、この鉄筋を後にした。

 

斜に構えたお洒落ボーイ、またはギャル、オッサン等々、とにかく素を包み込んでいると確信できる人間を見るとこう言いたくなる。

(あのエレベータに入れたら貴方はどうなるだろう?)

もったいない事に俺の周りには斜に構えた輩が少ないので、そのエレベータの時は大した変化を見出せなかったが、その中に斜な奴が一人でもいれば爆笑だったと思う。

「何だ、お前、そういう奴だったんか!」

そう言うと思う。

 

しかし、よくよく考えてみれば、この程度の出来事、日常、たくさん転がってる。

俺も25超えたし、クールにイメチェンしたいけど、

(隠す事って、簡単そうで難しいなぁ)

切にそう思った。

 

 

叱れる大人 (02/6/1)

 

訳あって今日、熊本に帰った。

移動は飛行機である。

羽田空港までは二時間とちょい。

当然、電車での移動である。

朝、6時に起き、10分で日記を書き上げ、朝食を流し込み、7時には社宅を出た。

9時55分羽田発の飛行機だった。

俺は朝の清々しい空気を見事に打ち消してくれるサラリーマン臭を満員電車でたっぷりと感じながら、『鬼平犯科長』を熟読していた。

辛うじて乗車後10分、所沢で座れた。

その後、20分ぐらいしたときであろうか…

「キャン!キャン!」

どこからともなく甲高い犬の泣き声がした。

(着メロもとうとう動物の声を取り入れたか… しかし、リアルだ)

先ほどからひっきりなしに届いてくるあの人この人の携帯の音に割って入ったこの音に一種の関心すら覚えた。

「キャン!キャン!」

本当に、異常にリアルだ。

更に音が近い。

と。

「静かにしなさい!」

俺の隣に座っていた黒ぶちメガネのサラリーマンがバックに向かって一喝した。

「クゥーン」

バックはそれを受けると歪な動きをしながらそう言った。

(なんだ、新手の大道芸か?)

うねるバックを凝視しながらそう思った時だった。

ニョキ!

バックのジッパーの隙間から毛並みの素晴らしい小型犬が顔を出したのだ。

「キャン!」

俺はその愛らしさに思わず

「ほー」

と漏らしてしまった。

目の前に立っていた高校生ギャル集団なんて、

「えー、超かわいいー」

と芸能人を見つけたかの様に黒ぶちメガネのバックに集まってくるのだ。

犬は思いっきり愛想を振り撒きながら、差し出された女子高生の手を舐めまくった。

黒ぶちもこれ程に女子高生に囲まれたのは初めてなのであろう。

「むふー、ありがとうございます、ありがとうございます、むふー」

鼻の下を命一杯伸ばして、その犬に向けられた「かわいい」の声に答えていた。

と、その時だった。

わざわざ人ごみを掻き分けて、ネジリ鉢巻に競馬新聞、茶すけた作業着に赤鉛筆までも装備した「ワンカップ大関とギャンブルが大好きです」なオヤジが現れたのだ。

俺は3ダースくらい飛び出た鼻毛に思わず目を奪われてしまった。

オヤジは女子高生を乱暴に掻き分けると黒ぶちの前に仁王立ちし、そのまま黒ぶちの肩に触れた。

「もう、何この人ー、超痛い」

女子高生のブーイングにオヤジは見向きもしない。

その代わりに黒ぶちに向かって

「君は電車をなんと心得る?」

と目と鼻を力一杯開いて言うのだ。

「あ、う、あ…」

見るからに気の弱そうな黒ぶちは一生懸命に目線を泳がせながら、犬をバックに押し込んだ。

「クゥーン、クゥーン」

犬は寂しげに俺の視界から消えた。

オヤジは続けた。

「電車に犬を乗っけて良いものか? ああ、いいものか?」

黒ぶちは隣に座った俺の方を見た。

猪木の顔で返したら、黒ぶちは俺にすがるのを諦めたらしく、下を見ながら

「ごめんなさい」

と言った。

オヤジはそれを聞くと満員電車なのに女子高生を更に押しのけ、座席の前に片膝立てて座り込んだ。

その口元はきつく閉められており、顔は高揚している精神状態を現していた。

(こりゃ、黒ぶち怒鳴られるな…)

そう思った。

俺に黒ぶちを助ける気はゼロである。

が、俺の意に反し、オヤジは口元を軽く緩ませながら、両手で黒ぶちの肩を握り、こう言ったのだ。

「俺も犬が好きだ。じゃがな、ルールは守らんといかん」

「ほ、本当に申し訳ありません…」

頑なに目線を合わせずそう言った黒ぶちにオヤジは

「うむ」

そう返し、

「ごめんよ」

言いながら女子高生を掻き分け離れていった。

オヤジの背中がまぶしかった。

(あのオヤジ、男だぜ。『じゃがな、ルールは守らんといかん』、いい台詞だ)

俺は感動に打ち震えた。

(あんなオヤジになりたい)

とまで思った。

が。

女子高生はオヤジに聞こえよがしにこう言った。

「あのトップブリーダー、絶対、自分に酔ってるよ。ああいうオヤジってやだよねー」

「でも、いるよ、ああいうのー」

 

「このクソ女子高生がー!」

そう言えないくせに、プチ攻撃で女子高生の足を踏つけ、

「あ、ごめんよ」

なんて言ってしまった自分が非常に悲しかった。

 

 

待つ母子 (02/5/31)

 

今日、久し振りに残業をしようとパソコンに向かっていたところ、先輩片山氏から次の電話が鳴った。

「おい、福山、道子ちゃんと春ちゃんが正門前で待ってたぞ」

「え!!」

予告の無い母子来襲に驚きを隠せず思わず出てしまった感嘆詞だ。

続けて片山氏はこう言った。

「冷たい風の中、春ちゃん、寒そうだったぞ」

これはいても立ってもいられない。

俺はパソコンの電源も落とさず、帰りますマークの赤線をホワイトボートにさり気なく引くと、忍び足で帰路へ発った。

ちなみに俺の報告書がどの様な状態で終わっているのかというと

 

議事録

皆様、本日はお疲れ様でした。

議事の報告をいたし

 

という一文の中途で終わっているところから俺が如何に焦ったかが容易に想像できる。

(春を寒風の中待たせるわけにはいかない)

切にそう思い、走れメロスの様に正門に向かうのだ。

が。

正門には人っ子一人いなかった。

「お、福ちゃん、今日も早いね!」

その代わり、守衛のおじさんが優しい声で俺を迎えてくれた。

「俺の嫁と子、いなかったっすかね?」

俺が聞くと

「あ、あれは福ちゃんの嫁と子かい。いたいた。他にも何人かいたぞ」

と守衛は言い、

「たった今まで居たから走れば追いつくよ」

と締めた。

俺はそれを後ろ耳で聞きながら既に正門を出ていた。

(春、風邪ひくなよ、春!)

社宅入り口の角を曲がると遠くに奥様集団が見えた。

よく見ると俺に気付いた同期の奥さんが手を振っていた。

(返さねば)

そう思い、ちょっぴりジャンプして大手を振りながら

「おーい」

と返してみたが、周りを見ると知らない奥様連中がたくさんいる事に気付き、ちょっぴり赤面してしまった。

俺は奥様集団に追いつくや

「もう、正門前母子のタレコミがあったけんが、ダッシュしたとこれー」

と文句をいった。

「もうちょっと待ってくれたら正門で春と会えたのにー」

更にごねてみた。

すると、嫁はにこやかにこう返した。

「だって、福ちゃん、いつもはもっともっと早いじゃん。今日に限ってもの凄く遅いんだもん」

「いや、ダッシュしたつもりだったんだが…」

この夫婦の会話を目を細くして聞いている主婦が三人いた。

(は!!)

同期山本、中野の嫁、及び知らない人である。

彼女たちの目は俺と道子にこう言っていた。

「今、5時30分、全然遅くねーよ。むしろ、はえーよ」

 

俺と道子がそそくさと社宅に帰ったのは言うまでもない。

 

 

歯石取り (02/5/30)

 

仕事中にいきなり歯と思われるモノが欠けた。

それも先っぽの部分ではなく、根元の部分が欠け、鏡で見ると歯茎との境界線の部分にポッカリと穴が開いていた。

モノは米粒の半分くらいの大きさで固く、どう見ても「歯」としか思えない。

丁度、便所の鏡でチェックしているところに隣の課の三十路の人が現れたので現場を見せ、意見を求めた。

「歯と思われるモノが欠けたんすけど…」

「どれ」

三十路はそれをマジマジと見、

「こりゃ、総入れ歯だな」

そう結論付けた。

「なんですと!」

俺の霞んだ視界に『結婚式のスピーチ中、入れ歯が抜け落ち、衆の爆笑を誘うじいさんの絵』が鮮明に浮かんだ。

(確かに爆笑ネタとしてこれ程の武器はない、が、しかし…)

鼻の穴がカッと膨らんだ。

俺は鏡に映った自分の姿を目頭熱くして睨みつけた。

(若すぎるぞ! どうにもこうにも笑えん!)

25歳というヤングゾーン絶好調のお年頃が「総入れ歯」をどうしても歓迎しない。

俺は事務所に戻ると、すぐさま会社の電話を使い、道子に電話した。

「おい、歯医者の予約を入れておいてくれ」

道子は「分かった!」と歯切れの良い返事を返し、すぐに受話器を置いた。

「あ、もう切りやがった」

道子の素早い対応に少しだけ地団駄したりしてみた。

(もう、会社の電話だから長電話してもいいのに…)

時はしっかりコアタイム、11時だった。

 

17時10分に俺は社宅に着くと、嫁から

「ちゃんと歯磨きして行ってよー」

と言われた。

(昼に歯磨きなんて何年ぶりだろう?)

思いながら、段々緊張してきた。

「おいおい、歯医者怖いぞー」

どうも、俺は医者と名が付くものに縁薄いため、身構えてしまう。

(あのチュイーンと焼き鳥の臭いのするドリルで歯をほじくり回されると思うと…)

鳥肌が立ってくるのだ。

「お父さんが歯医者ごときで怖いと言ってるよ。情けないねー」

道子が春をあやしながら、にやけ顔でそう言った。

「うるせー、豚!」

「あんたの方が豚でしょ!」

俺は自転車に跨り17時25分、家を出た。

予約は17時30分だった。

 

歯医者の待合室は

(ここは託児所か?)

と思ってしまうほど、子供と峠を越えたオバサンで溢れていた。

「あうあうあー」

と、まだ喋れもしない様な子がバタバタと前を走り、

「こら、ゆうちゃん! ジッとしてなさい」

そのお母さんと思われる人は言いながら、「週刊女性」をむさぼる様に読んでいた。

(場違いだ、場違いすぎる…)

ねじり鉢巻の似合う、男の中の男、福山裕教が生存できる環境ではなかった。

俺はFBIに捕まった宇宙人の様に、奥様、子供衆に挟まれ、ジッと虚ろにドリルの音と子供の泣声に意識を飛ばした。

「うわーん、痛いよー」

「キュイーン、ガガガガ」

若い悲痛な叫びと無機質な音とのコラボレーションに俺の鳥肌が見事に応える。

(うわー、こえー)

心底思い、気が動転したんだろう、隣の奥様が残して行った「週刊女性」を無意識の内に読んでしまった。

奇妙な絵である。

 

そうこうしている内に俺は中に通され、近未来的なチェア−オプションが左右を取り囲む椅子に座らせられた。

(うむ、なかなかの座り心地)

思い、隣を見ると

「ばぁうあーん、いとぅいよー」

子供が涙を滝の様に流し、俺を見た。

何かを俺に力の限り訴えているようだ。

俺はその濡れた目を見つめ、ただ

「がんばれ」

と返した。

看護婦はまず俺のところに来ると、歯磨きの仕方を教えてくれた。

久し振りに見る「でかい歯のおもちゃ」と「でかい歯ブラシ」を用い、一つ一つ

「ここはどう磨きますか?」

と聞いてきた。

俺は都度、

「こう磨きます」

というが、

「全く駄目ですねー」

と返され、懇切丁寧に解答を示してくれた。

その後、先生が来、

「で、どうしました?」

と聞いてきたので、俺は詳細に歯らしきモノが欠けた事を語った。

「その時、ボロリと未確認物体が俺の口から飛び出したのです。俺はなんだ?と思い、トイレにダッシュで駆け込みました。すると!」

「簡潔にお願いします」

語らしてくれない。

先生はとってもクールな人だった。

 

「じゃ、ちょっとレントゲン取ってチェックさせてください」

俺はそう言われ、レントゲン室に通された。

看護婦は懇切丁寧に俺の頭に手を添え、導き、その後、セットバーみたいな物を俺の顔の長さにセットしようとしていたが、長さが足りない事に気付き、

「思いっきり前に顔を当てて下さい」

とセットを諦め、本人の頑張りで対応する事にしたようだ。

(ナイス判断)

そう思ったが、少しだけせつなかった。

 

一時するとレントゲン写真と共に先生が現れた。

俺は元の椅子に座っている。

「むーん」

先生は難しい表情で写真を眺めた。

「どうですか?」

工藤静香の眉毛で問う俺に先生は

「欠けたのは歯石ですね」

そう言った。

「本当ですか!」

俺は喜びを露にさせ、

「それじゃ、治療しなくて良いじゃないですか!」

と続けた。

先生はそれを聞くと

「いやいや、歯石は取らんといかんのですよ。それに福山さんの歯はしっかりし過ぎくらいにしっかりしてるけど、歯茎が弱い。歯の強い人は得てして歯茎が弱いのですよ」

と言いながら、俺に口を開けるように命じた。

そして、フック状になった針を俺の歯茎めがけて突き刺した。

「うっ」

思わず奇声を発してしまった俺に先生は鏡を見せ、

「ほら、ちょっと触っただけで血がドクドク。これは悪い血なんですよ」

と笑顔で言い、

「歯石は歯茎に悪い。取りましょう」

そう締めた。

「はふぃ」

俺は血生臭い口を必死でモグモグさせてそう答えた。

 

さて、ここに始まった歯石取り。

聞こえは大した事ないが半端じゃない。

先っぽがグイングイン回るフック状の針で歯表面はもちろんの事、歯の間、そして境の歯茎までこねくり回して行くのだ。

歯茎は歯石と一緒にブチブチ取れてサヨウナラ。

同時に血も大量放出。

「痛かったら言ってください」

先生は言うが、水をゴンゴン投入しながら、バキュームも同時に入るは、血はドロドロ出るはで口内は言わば修羅場なのである。

「はい、先生痛いです」

なんて挙手と同時に言おうものなら、それらを一気に飲み込むことになり、尿結石は免れまい。

喋れるわけがないのだ。

歯の裏側をやられる時なんかかき氷をイッキ食いした時の様な銀色の衝撃がシャープに後ろ脳を襲うのだ。

たまらない。

俺は先生に両手をバタバタと見せ、

(痛い、痛すぎますぞ、ミスター!)

と示したが、

「うむ」

先生はそう言うと無言で作業を続けた。

(うむって、うむって何?)

俺は先生への哀願を諦め、助手に視線を移した。

若い時の天地真理風美人だった。

が、彼女は必死の形相の俺と目が合うや、即座に逸らし、気付いていないフリをするのだ。

先ほど出会った隣の少年の気持ちが痛いほど分かった。

(誰も助けてくれない。ああああ、もう、どうにでもしてー)

ついに諦め、生も根も尽き果てた時に

「よし、今日はここまで」

鶴の一声がかかった。

「はい、うがいして下さい」

死闘中には目も合わさなかった助手が最高の笑顔でそう言った。

俺は無言で水道口に顔を寄せ、ペッと一息、唾を吐いた。

案の定、赤黒かった。

俺は念入りにうがいをし、フラフラと席を立った。

「お疲れ様でしたー」

歯科医総動員でそう言われた。

(本当に、お疲れた…)

思い、俺は表の長椅子に座った。

子供連れも帰っており、待合室は火が消えたような静寂を保っていた。

「福山さーん、次はいつにしましょうか?」

受付員がそう言ったが、

「未定という事にしておいてください」

俺は肩を落として、そう呟くのであった。

 

 

春との風呂 (02/5/29)

 

俺が定時で帰って、まずは春を風呂に入れる事は先日の日記で軽く触れたが、今日はその事にもう少しだけ深く触れてみようと思う。

うちの春は生後2ヶ月、俺は未だにおしめをかえた事がない。

なぜなら春が女だからだ。

男の股間に悠々とそびえるピンコ立ちのツクシちゃんならいざ知らず、女の心、マリアナ海峡は赤ちゃんとは言え、対峙すると妙に構えてしまう。

(なんと男を身構えさせる造形…)

そう思わざるを得ない。

と。

そういう事で海峡をゴシゴシ洗うなぞ俺に出来るはずもなく、福山家の赤ちゃん入浴方法は次の方法を取っている。

まず俺が先に風呂に入り、適温にして

「おーい、道子、いいぞー」

と言う。

道子は

「分かった、行くよー」

などほざきながら春をスッポンポンにし、服を着たまま連れてくる。

道子は春の尻を洗い、俺に渡す。

俺と春、しばし二人で入浴。

一時すると道子が下半身のみスッポンポンで再び登場。

俺は温まった春を道子に渡す。

道子は春を洗い、俺は春が泣き出しそうな時にお湯をかけてごまかしたり、洗面器のお湯の補充をしたりする。

「ふー、春ちゃん、綺麗になったねぇ」

道子はそう言うと、春を俺に再び渡し、そそくさと風呂場から出る。

俺は春と二人、入浴タイムその2を迎えつつ、道子のお迎えを湯船で待つ。

ちなみに春お気に入りの「プッカプカ春ちゃんの歌」(俺、作詞作曲)を力一杯歌う事は忘れない。

道子は

「お待たせー」

そう言いながら、春をバスタオルで包みながら受け取り、居間にダッシュする。

この間、俺、風呂に入りっぱなし、手フヤフヤ、意識朦朧、汗ダクダク。

というのが福山家の赤ちゃん入浴法である。

俺は春と道子が嵐の様に現れ、そして消えていった「ドア開けっ放しの風呂場」に一人ポツンと残り、汗だくの顔を両手で拭う。

そして、次のチェックに入るのだ。

「春のウンコはないか? 春のウンコはないか?」

この絵、非常に虚しい。

25にもなったナイス青年が洗面器を湯船の水面に当て、その顔も水面近くにもって行き、春が放った排泄物をひたすら探し取るのだ。

大体、2日に1回くらいの確立で大量放出されている。

それを俺は一個も逃すまいと真剣に汗だくなままで取るのだ。

「やった、今日はこんなに取れたぞ、万歳!」

言えば言うほど、パンチが効いて虚しい。

しかし、そんな俺も疲れている事があるにはある。

「もう、これくらいでいいや…」

半分くらい残して、止めた事もある。

道子はそんな俺の苦労を知らない。

 

俺は安シャンプーボトルを一本買えば二年は軽くもつ。

組合の文章で昔書いたが、俺は一回半ポンプなのだ。

更に2日に1回はナイロンタオルで体を洗い、そのまま頭も顔も洗う。

これに対し、道子は高級シャンプーを3ポンプ髪にぶっかけ、更に体にもボディーシャンプーを数ポンプぶっかける。

経済換算すれば俺の10倍以上を道子は消費しているのだ。

しかし、

(構わん構わん、それが社会の仕組みだ)

と最近は思う。

男が稼いで、女が使う、それで世の中丸くなり、男も女も丸くなる。

 

俺は春のウンコを半分程度残した時にこうほくそ笑むのだ。

「道子、高級シャンプーを使っても結局は流す水が春のウンコ入りだ。値段が違うシャンプーを違う量使ってもお互い髪はミルク風味、黄土色というわけだ」

俺と道子の髪に黄色い異物を発見したらそれは間違いなくウンコである。

見かけたら、是非とも

「ぶわっ、ばっちー!」

と笑って欲しい。

俺と道子にはそれが「幸せの黄色い異物」なのだから。

 

 

ある顔見知りの少女の言葉 (02/5/28)

 

安川電機の定時は4時45分である。(現在、給料カット中の為時短)

俺はだいたい5時10分くらいに帰る。

もちろん、自分の所属する課の社員ではダントツの一番退社である。

 

5月28日。

今日も俺はサービス残業を小言も言わずにこなしている皆様を尻目に、キッカリ5時10分に席を立った。

帰って何をするのかというと、春(長女)を風呂に入れ、さっさと飯を食い、コレ(日記)を書き、そして書きかけの小説に手を加えるのだ。

俺のアフターファイブは多忙を極める。

アフターファイブの為に平日を過ごしていると言っても過言ではない。

そんな胸を張りたくなる帰路の出来事であった。

顔見知りの少女がチャリンコにまたがって俺の横にピタリと付いた。

(ん? 顔は分かる。でも誰の子だっけ…)

と、記憶の引き出しの紐を解いた時だった。

「おじさん、いつも帰るの早いね。うちのお父さんはいつも遅いよ」

(む!!)

少女はにこやかにそう言い、俺の顔をジッと眺めた。

(おじさんって俺は25だぞ)

思ったが、子供にそれを言うのは大人気ないと自らを戒め、冷静に「お兄さんはこれからが仕事なんだぞ」と、そう答えようとした、その時だった。

少女はクルリ踵を返し、俺の元を立ちこぎで離れながら

「暇なんだね」

そう言ったのだ。

「ひ、暇!」

俺は思わずそう叫び洩らし、下半身を固定したまま、肩を180度回転させた。

見事なスピードだったと思う。

しかし。

「いいな、おじさんは暇で…」

少女は死人に鞭を打つようにそう言い残し、ダッシュ立ちこぎで消えていったのだ。

「くっ、くっそー! 暇じゃないのに!」

言ってはみたが言えば言うほど非常にダサい。

全力ダッシュで追えば更にダサい事は言うまでもない。

「もう! どう弁解すればいいのっ!」

 

子供との勝負、それは早く言ったもん勝ちだと痛感した。

ああ、胸を張って定時退社が出来る環境に行きたい。(切望)

そんなもの、日本中、どこを探しても無いと思うが…(絶望)

 

 

いきなり電話してきた営業の話 (02/05/27)

 

とある営業から電話があった。

「いやぁ、お噂はかねがね伺っております」

初めての声だった。

「福山さんが安川電機東京工場の電気設計を一手に担っていると聞きまして、この度はお電話差し上げた次第です」

「はぁ…」

「福山さんは安川電機のクリーンルームの責任者でもあられるとか! それでいて課長業務までこなされているとか! いやぁ、私には信じられません、そのパワーが!」

あまりのズッコケ情報に思わず

「いやぁ、それは自分も初耳ですよ。自分、完全なる平社員ですよ」

と返してしまった。

「あっはっはっは、またまたご冗談を! プハァッ!」

営業は電話越しでも分かるほどにバタンバタンと一分ほど机を叩いて笑い続けた。

(こいつ、からかってるのか? もしや身内か?)

と、思ったが

「平も平、いや、平を通り越して窓際社員と呼んでも差し支えないポストにいるかと」

と、1オクターブほどトーンを上げて言ってみた。

すると、

「ま、冗談はさて置きですね、今回は色々なセールスをしようと思いまして・・・」

と、いきなりテンションを落として言い出すものだから

「ちょっと、今は何も要りませんね。ていうか、今後も多分要らんね」

と意地悪してみた。

営業は小さな溜息を一息ついた。

続けて、

「そ、そうですか… 分かりました。いきなり電話してごめんなさい」

寂しげにそう言い、「それではまた」と締めて受話器を置いたのだ。

ちょっぴり罪悪感を感じたが、その時は単なる日常の一片にしか思われなかった。

しかし、後になって非常に気になる事態に陥った。

(あいつは誰なんだ?)

(あいつはどこの会社なんだ?)

(あいつはどこから間違えだらけの俺情報を仕入れたんだ?)

(あいつは俺に何を売りたかったんだ?)

(ていうか、あいつは一体何者なんだ?)

 

次にあの営業から電話が掛かってきたら俺は絶対こう言うだろう。

「何でも買うから君の事を教えて」

 

全くもってけしからん、気になる営業である。