湯布院へ 〜道子バージョン〜 (03/11/08:道子執筆)
私なりの「湯布院へ」を書きます。
つい先日、念願の・・・湯布院へ、ふくちゃんと旅してきた。
念願という割には、この日を迎えるまでかなりの迷いもあったけど・・。
旅行雑誌を見るたびに、行きたいところも増えて、どの宿へすればいいかも分からなくなってきた。ふくちゃんに相談してみても、「道子が決めろ。俺は口出ししないから」って言われるし。 もともと優柔不断で適当に考えている私は、「決定権」というものが苦手である。
そして、私が決めなきゃ、早くしなきゃ・・・と焦っているうちに、変な事になってる事が多い。
なので、今回は失敗しないように最初に行きたい!って思った湯布院にして、宿も人が進めてくれた「ほたるの宿 仙洞」というところにした。 一応雑誌やHPなどにも載ってたので見てみたけど、なかなか良さそうでもあるし。 失敗しないように・・・無難に、無難に。。。。
宿が決まってからは、今度は湯布院の町情報を集めたりした。 といっても、本を見て「ここ美味しそうだな〜 こっちもいい感じだな〜」てな具合に。。
そして旅行当日。天気は最悪、曇りのち雨。 (やっぱり雨女!?)
ぽかぽか陽気の中を湯布院散策したかったけど、こればっかりはしょうがないので、傘を持って出かけることにした。
途中、赤く色付いた菊池渓谷をドライブしたり、温泉へ寄ったりして、湯布院へ着いたのはちょうどお昼くらいになった。
宿に車を置いてから街へと出てみた。 人気の観光地らしく、雑貨屋さんや食べ物屋さんがいっぱいあり、楽しそうな雰囲気がしてきた。 とりあえず、お昼ご飯を食べよう、という事になったけど、またまた「道子が決めろ」と言われて、「うん。」とは言ったけどちょっと焦ってしまった。
本は見てたけど、具体的にここへ行って、それからこっちを歩いて・・なんて1日のプランは考えてもいなかったので、どの店にしようか・・迷いに迷ってしまった。 結局は、歩きに歩きまくってそば屋に決定した。
ここが美味しくなかったら・・って考えると、ふくちゃん大激怒だったかな!?と思えるくらい雨の中をいや〜な雰囲気で探しまくって、店に着くまでは無言のままだった。
けど、「蕎麦御膳」なんて普段は食べない高級ランチとお酒を目の前にしたら、さっきまでの不機嫌がケロっと良くなっていって、私も安心して湯布院へ来た!って楽しい気持ちにまたなっていった。 あ〜よかった、よかった。。
それからは、金麟湖を見たり、街中散策して寒い中ソフトクリーム食べたり・・初めての湯布院を楽しんだ。
宿は、おすすめ通りに料理も美味しいしボリューミーで、空いてたからお風呂ものんびり入れたし、本当に大満足!!
欲を言えばやっぱり和室の方がいいけど、8千円の値段を考えると、洋室でも文句は言えないし、ま、寝るだけと考えれば、絶対お得!!
<みなさん、機会があれば行ってみてね〜>
それから夜は、バーへ行ったりスナックへ行ったりして過ごした。
次の日は、またまたお腹いっぱいに朝食を楽しんでから、お土産を買ったりとちょっと街をフラフラして、春が待つ山鹿へと急いで帰る事にした。
・・・のつもりが、途中寄り道をして、鯛生金山へ行ったりもうちょっと観光を楽しんでから、午後3時、ふくちゃんとの1泊旅行は無事終了!
(この鯛生金山も、入館料が千円するけど私はなかなか楽しめたので、興味ある人行って見てね〜)
湯布院は、女の子が旅するのに向いてるんだろうな〜って感じのところだったので、また今度、天気のいい時に行ってみたいな! そして、次こそ下調べをもっとして。。
今、ふくちゃんは密かに?というか、もう来週の話だけど、1週間くらいで京都への旅を計画している。
本当に行くかは分からないけど、行くとしたら、またまた本をいっぱい見て、美味しいお店を探してみよう。やっぱり旅は食が1番!!
山鹿という街 (03/11/03)
二日前、前会社の同期三人が遊びに来た。
福山家の庭は田舎ゆえ広々としているので、その中央に木製の電線リールを据え、それをテーブルとして昼間からBBQをした。
芋焼酎のお湯割を中心に日が暮れるまで飲み、それからは山鹿の市街地へ場所を移して飲んだ。
「レバ刺しの美味いところで飲もう」
俺は行き付けの美味い居酒屋で飲むべく、皆を導いた。
山鹿という街は人口こそ三万人強しかいないが、温泉街である事、それに周りを田舎の町が取り囲んでいるという事で、飲み屋街はなかなかしっかりしている。
国道を挟んでスナックと居酒屋が所狭しと並んでおり、弱々しいがネオンの光も連なって見える。
六年ほど前までは、法明という札付きの悪友と共に、この界隈を飽きる事なく闊歩していたものだ。
当然、その頃からの店には顔も効く。
そういうわけで馴染みの店に同期三人を連れて行こうとした。
が…、同期衆は言う。
「もぉ、腹いっぱいで食えん」
更に言う。
「ギャルのいるところに行こうや」
予定外ではあるが自然な流れではある。
食えない、健康な男、温泉街と揃えば、自然「ギャル」へ結びつく。
「仕方にゃーねぇ」
目的地のはずだった居酒屋を素通りし、細路地へ入った。
自信満々の足取りではある。
が…、俺としては少々困った事態に陥った。
俺の山鹿での闊歩歴は五年前に止まっており、それから先の山鹿は知らないのだ。
(ギャルがいるところって…、今、山鹿にあるんや…?)
首を傾げつつ、前に通っていたスナックが今も存在している事を祈った。
ちなみに言っておくが、「ギャルのいるところ」というのはスナック風情の店を指している。
男性諸君が豊富な想像力を湧きたてるような重々しい店は山鹿には存在しないし、あっても純良な衆である俺達が行くはずもない。
とりあえず、足繁く通っていた飲み屋ビルへ向かった。
ここへは高校二年の春から高専を卒業するまで通っていたから四年も通っていた事になる。
高校三年の春などは十日連続で法明と通い、毎夜四時まで飲み、それから開いたばかりの温泉に入って帰ったものだ。
街は、丑三つ時になろうとも人足の絶える事はなく、酔った客の戯れる声でいつも賑やかだった。
が…、今、そのビルの前を歩いた時、俺の中には、
(まるで北斗の拳の世界だ…)
そういう思いが過ぎった。
北斗の拳は、200X年に世界戦争が起こった後の荒廃した世を背景に描かれている。
このビルはそれにマッチした。
つまり、寂れていた。
二階には「トップガン」という、当時、高嶺の花だった店があり、看板もあった。
俺と法明が通っていたのは時間無制限飲み放題三千円のスナックで、このトップガンは二時間四千円だった。
若くて美人が多いと有名な店だったが、
(時間制限がねぇ)
と、俺達は手を出しかねていた。
が…、今はそう飲むわけでもないし、日常ではない。
四千円という値段を説明し、皆に了承を得、トップガンのドアを叩くべく階段を登った。
が…。
潰れていた。
五年という時は、半年サイクルといわれている飲み屋街の衣を十回も変える。
潰れていても納得のゆく話ではあった。
同様に、俺の知るスナック、その全てが潰れていた。
建物と看板だけが残り、そこに次の店が入っているというわけではなかった。
つまり、飲み屋数そのものが減っており、飲み屋街そのものが寂れていた。
街を歩く人足も明らかに減っていた。
あちらこちらで聞こえていた酔っ払いの声は、カラスの声に変わっている。
そういえば、この飲み屋街界隈に住む友人が、
「街が寂れてきたお陰で、夜はだいぶ住みやすくなった」
そう言っていたのを思い出した。
山鹿の中心にそびえ立つ「プラザ5」というビルが傾き、この界隈にある飲み屋街も手足を引っ張り合うように傾き始めたのだという。
山鹿の特徴である飲み屋の一極集中が崩れ、その流れは菊池方面に広がりつつある。
(これが良い事か悪い事か…)
それは分からぬが、青春を過ごした街がこうも変わっている事は素直な驚きであった。
「あ…、わりぃ、わりぃ…」
案内役の俺がしばし茫然としてしまった。
友人が求めているものは…、そう…、ギャルであった。
記憶の隅々まで突っつき、皆の欲求を満たす店を探した。
と…。
以前、紹介されたが入れなかった店を思い出した。
そこは隣町・菊池のスナック(キャバクラ?)に負けじと始められた店で、過激をモットーにしている店だという。
菊池という温泉街は常にない興り方をした事で知られている。
普通は温泉街が知られ、そこからそれぞれの店が知られ始めるものであるが、ここは逆。
その過激な店が有名になり、それを目当てに観光客が増えた。
それを収容するために旅館、ホテルなども活気が出、今では、
「男だけの温泉旅行は菊池で決まり!」
そういう文句が出ているほどだという。
以前、高専の先輩に連れられ、一度だけ、その店に行った事がある。
はっきり言って、文化の違いを感じ、目が眩んだ。
商工会の打ち上げで行った実父・富夫が言うには、
「あの店は下品過ぎていかん。ばってんが酔っとったら楽しかろねぇ」
との事で、俺も同感である。
ていうか、シラフで行った親父が凄い。
また、値も安かったように記憶している。
(あれなら街は興るだろう…)
そう思われ、聞いた話だと、現在では分店も多数できているとの話だが詳しい事は分からない。
とにかく、その店を真似てつくったところが山鹿に一つだけある。
菊池ほど破壊力はないにしても、行く価値はあろう。
前回はいっぱいで入れなかったし、何よりも山鹿という街の現状を知る手掛かりになる。
同期三人を連れた俺は、その噂の店に行った。
値段などの詳細が全く分からなかったので、まず、俺が先陣を切って入った。
重厚なドアを開け、勢いよく乗り込んだ。
すると、そこには謎の生きものがいた。
丸々と太っていて、目付きの悪い性別不明の生きものが、ラメ入りの派手な服を着、カウンターで横になり、悠々とタバコを吸っていた。
「あれ…、まだ、やっとらんと…?」
俺は目を丸くして聞いた。
生きものはゆっくりと身を起こすと、
「今日の開店は10時半くらいだと思うわ、ごめんなさいねぇ」
そういう日本語を放った。
俺は無言で頷き、その事を後ろで待つ同期に伝え、
「開店は7時からって書いてあるのに何でや?」
「分からん」
言い合ったが、あの生きものを見た後では確かめる気も起こらなかった。
仕方がないので、俺達は当初の計画通り、行き付けの居酒屋に入った。
そこで噂の店が10時半オープンである理由を知った。
土曜なので店のギャルがコンパニオンとして旅館に出払っているからだという。
「なるほどねぇ」
馴染みの居酒屋、その大将の説明に納得し、美味いレバ刺しと焼き鳥を食った。
その後、オススメのスナックを聞き、そこに入った。
三千円で二時間半の店で、確かに大将が言う通り、無難な店であった。
皆に感想を聞くと、可もなく不可もなく、俺にしてもそうであった。
店を出て時計を見ると午後10時を過ぎていた。
友人の一人が、
「もう帰るね?」
皆に問うた。
が…、皆の反応はなかった。
気持ちは納得の方向へは向かっていなかったのである。
友人は、前のスナックで聞き及んだ「山鹿では過激の部類に入る店」そこへ行くかを皆に問うた。
聞き及んだ店は二店あった。
一店は先ほど訪ねた10時半に開く店で、もう一店は近場だった。
皆の反応はなかったが、その空気で近場のもう一店に行く事が何となく決まった。
静かな足取りで百歩ほど歩き、その店の前に立った。
前と同様、俺が店の様子を見に行った。
美人とは言えない普通のギャルが俺を出迎え、
「すいませーん、10分ほど待ってください、すぐに空きますからぁ」
申し訳なさそうに言った。
俺は皆に目を向けた。
皆は「10分くらい何でもない」そう言わんばかりに無言で頷いた。
何となく、俺達の間に言葉が要らなくなってきた。
ギャルを求め、山鹿という小さな街を彷徨い歩くうちに不思議な連帯感ができあがっていたのだろうか。
5分もすると前の客が出てきた。
友人達は、ドアの隙間から中の様子を見ようと流れを逆走し、身を乗り出した。
揃って中を覗いた。
そして、絶句した。
豚科という区分があるか分からないが、そういうものがあるとすれば「豚科ヒト」という区分がピッタリはまる、そういう類の生きものが二匹、薄い衣をまといて動いていた。
前の店で「生きもの」と称した女が普通に見える、見事な肥えっぷりであった。
「う…」
店内を覗いた皆が思わず後退りした。
皆、顔を見合わせた。
友人の一人が店から出てきた客を捕まえ、真顔で問うた。
「どうでした?」
見知らぬ客は苦々しい笑みを見せた後、息絶え絶えにこう言った。
「これは…、修業だ…」
「しゅっ、修業!」
友人はそう叫んだ後、少しずつ少しずつ店から離れ始めた。
中の準備を終えた普通のギャルが、
「準備が出来ましたのでどうぞ」
そう言って出てきた。
(逃げ場はない…)
俺はそう思い、前に一歩、踏み出そうとした。
が…、友人は何かに怯えたように、
「急に腹痛が…、あ…、う…、痛い…」
一歩、二歩と後退していった。
ギャルの顔が見る見るうちに歪んだ。
当たり前である。
中を見、前の客とすれ違った一瞬で、
「腹が痛いので帰る」
客がそう言い出したのだ。
俺達は逃げるように、ていうか、事実逃げた。
逃げながら、先ほど店から出てきた一団と合流し、
「危ないところをありがとうございました」
礼を言った。
「あれは凄かった、まさに修業だった、口直しに行かねば…」
一団の一人はそう言い、俺達が逃げてきた事を「正しい選択だ」と褒めた。
一団は大分県から社員旅行で来た人々だという。
三十歳から四十歳くらいの集団であった。
「どこか口直しの場所はないかね?」
問うてきたので、こういった類の店が山鹿に少ない事、あるとしても修行をしてもらった店と今から俺達が行く店しかない事を説明した。
「よし、後から俺達も行こう」
大分産の一団はそう言い、俺達から離れた。
どこか寄るところがあり、それを済ませてから行くのだという。
時計を見ると10時半を過ぎていた。
噂の店も開いている時間だ。
「あっちが凄かったから、そっちはさぞ良かろぉ」
同じ類の店は山鹿に二店しかないので、友人の期待は轟々たるものがあるようだ。
友人は自ら先陣を切り、噂の店に入っていった。
店内は既にいっぱいで、前のステージでは裸の男がオフコースの「さよなら」を歌っていた。
まさに「さよなら」という感じの男で、体中を口紅で落書きされていた。
多分、コンパニオンに連れてこられた旅行客であろう。
ドアを開けた友人は奥へ奥へと突き進み、トイレを借りて戻ってきた。
「ギャルの質はいい」
友人はそう言ったが、いかんせん満席で、空く時間は分からないという。
後から来た大分産の一団も、
「うそぉー、大分から来たのにー」
赤子のように暴れつつ遠慮なしにギャルを触っていたが、どうにもならなかったようだ。
もう一店が「修業」の店である以上、どうしてもこの店に皺寄せが来るのであろう。
結局は諦めて帰った。
さて…。
それからであるが、国道沿いのリンガーハットに入った。
迎えに来るよう道子に電話を入れ、俺達はちゃんぽんを食べた。
道子はパジャマで現れ、俺達と一緒にちゃんぽんを食った。
その途中、
「どうだった山鹿の街、楽しかった?」
ちゃんぽんを食う皆に道子は問うた。
皆の反応はない。
無言であった。
道子は、
(変な人達…)
とでも思ったのではなかろうか。
そのまま、ちゃんぽんを食い続けた。
が…、俺には皆の無言、その意味が痛いほど分かり、一瞬、箸が止まった。
そして、
(すまん…、すまん…)
口には出さぬが何度も何度も詫びた。
今日という日の失敗は、全て俺に責がある。
(客人を、消化不良で帰すとは…)
身悶えずにはいられなかった。
皆から醸し出される得も言われぬ空気は、
「もっと地元を知れ」
俺にとって、その訓戒となった。
(街というものが、いかに変化するものか…)
その事を今日、俺は知ったのである。
鷹と虎 〜道子バージョン〜 (03/10/31:道子執筆)
きのうの日記にあったように、日本シリーズ第7戦、ふくちゃんはプレミアチケットをGETして、福岡ドームへ応援へ行った。
私はというと、もちろんチケットもないし、春を連れてドームの外で応援する気もないので、家で観戦することにした。 普段は野球をほとんど見ないけど、日本シリーズ中は1回も欠かさずテレビ観戦して、白熱する試合にかなり興奮していた。
意味も分からないだろうけど、「やったー、やったー、バンザ〜イ」と春にも一緒に応援させて、小さな声で応援歌も歌ったりした。
そして、かなりの接戦を繰り返し、3勝3敗、次でいよいよ優勝が決まる!という第7戦、そろそろ6時になるし。。今日は何チャンでやるのかな?と思って新聞を見てみると、どこにも『日本シリーズ』の文字が書いていない。
なんで?と思ってよ〜く探してみると、下段の枠『BS−1』に日本シリーズ放送予定、と書いてあった。
「え? え? え!? えー!? なんでー!?」 ・・・どうして優勝が決まるっていう大事な試合を普通の局で放送しないの!!
何度も新聞を見て、もしかして急遽放送してるかもしれないと思って、インターネットを見たりもしたけど、やっぱり放送はBSと書いてあった。 ただ、もう1局・・「テレビ東京」という名も見つけた・・。
その名の通りテレビ東京は関東メイン?の局で、熊本で放送されるのは一部の番組だけである。 そして、この貴重な試合はというと、山鹿地域はちょうど削られてしまっていた。
第7戦なんてあるかどうかも分からないから、メインどころの局は放送権を取ってなかったみたいで、インターネットにも、
「1部の地域では優勝戦となる第7戦を観戦出来ないところも。 苦情が予想される」
と書いてあった。 確かに!! 今までずっと応援してきたのに、なんで最後だけ見れないのー! 本気で苦情の電話を入れようかと思ったほどである。
もしかしてふくちゃんが映るかも。。と思ってビデオまで録画しようと思ってたのに、本当に悔しくて仕方がない。
悔しいのでふくちゃんに電話してみたら「あ、そうなの〜? じゃあ、けんちゃん(ふくちゃんの従兄弟)の所にでも行って見せてもらえよ。 じゃ〜ね〜」と軽く流されてしまった。
生で観戦出来るふくちゃんにとったら、そんな事はどうでもいい事なのである。なんだか余計悔しくなった気持ちである。
私のこんなやり取りを見てたお義母さんは、「道子さん、おもしろいわね〜。 野球に全く興味が無いからおかあさんには関係ないわ〜 ラジオで聞いたら?」と横で笑っていた。
仕方がないので、決勝戦はお義母さんの言う通りラジオで聞く事にした。
試合が始まると、1回からピンチを切り抜けたり、いきなり井口のホームランで2点を取ったりとかなりの好ゲームが続いていた。 そんな中、7時48分頃突然、「試合の途中ですが、ここで7時50分より8時20分までニュースをお送りします。試合を中断しますが、ご了承下さい」と言ってきたのである!
なんですと!? 30分も中断!? やめてよ〜・・・
なんだかテレビにもラジオにも、裏切られた気分になってしまった。。
まあ、8時20分には放送も再開されて、ちゃんとその後は聞く事が出来たけど、ダイエーファンにとったら最高の日本シリーズだったろうけど、私には勝ち負けもだけど、試合を見て盛り上がるという事の方が楽しかったから、ちょっと残念な終わり方になってしまった。。
やっぱり!優勝の瞬間も王監督の胴上げもオンタイムで見たかった!!
そして、ふくちゃんが映ってなかったか見たかったな!
でもま、ひとまずはダイエー優勝オメデトウ!!
・・・ちなみに、優勝翌日の読売新聞には、ふくちゃんが豆粒程度、絶対誰も気付かないだろう大きさで載ってました。 コボちゃんのページです。
お暇な人は探してみてください。
心臓 (03/10/24)
大袈裟に調べた心臓検査の結果が出た。
24時間、鼓動を調べるホルター心電図に異常はなかった。
が…、自転車に乗った後、超高級薬剤を体に投与し、後はひたすら体の位置を固定したまま写真を撮り続けるシンチグラムで異常が見付かった。
ま…。
見付かったと言っても、この異常で考えられる事は、
・ サルコイドーシスによる肉腫が心臓にできている
・ 心筋梗塞の気がある
・ 何もない
この三種で、これらを絞り込むためには、更なる検査が必要だという。
(もぉ、たくさん…)
正直、検査はゲップが出る思いである。
この結果を聞いた時、道子と春が同席していたため、
「これ以上の検査は拒否します!」
などとは言えなかったが、一人であったら、この時点で拒否しただろうと思う。
が…、担当女医の話を聞き続けると、この絞り込む検査というものが、
@ 造影剤を用い、心臓の動きを細かく調べるカテーテル検査
A 心臓の肉をちょっとだけエグって、それを調べる生検
この聞くに恐ろしい2点で、さすがにこれを聞くと、
「検査拒否!」
俺は、その言葉を吐いた。
造影剤には入院中に痛いほど懲りてるし、生検といえば死ぬ思いをした肺の生検だけでお腹いっぱい。
ましてや、
(心臓の肉をどうやって取るのか?)
その事を考えると失神しそうになる。
若いうちに経験は積めというが、これ以上積む必要はどこにもなかろう。
俺の拒否を受けた女医は、白い歯を見せると、
「うん、私達もこれ以上の検査をする必要は今のところないと考えてます」
そう言った。
心臓の権威と相談した結果、ホルター心電図の結果は良好だったし、現状、俺が何の違和感も感じていないし、更には糖尿の気もなく、何といっても若いから心筋梗塞は考え辛いという事で、
「ま、よかろう…」
そういう風にまとまり、以後は経過観察という流れになったそうな。
女医はその事を説明すると、意地悪く、
「希望があれば次の検査を進めようと思ったけど」
ニヤニヤしながらそう言い、
「今後は…」
と、繋げた。
「三ヶ月に一度のペースで心臓のエコー検査とレントゲン撮影、採血をやっていきます」
つまり、一月一回の通院が三ヶ月に一回と縮まった事になる。
「本当ですか!」
通院が少なくなるという事は、間違いなく健康体に近付いているという事であろう。
万歳の格好で喜んだ。
「次は12月の末、遅くても1月には来てね」
「はいはい、1月に来ます」
「忘れちゃ駄目よ」
そのような会話を交わしながら病室を出た。
(どうなる事か…?)
そういう感じで始まった10月23日の受診はそうして幕を閉じた。
さて…。
話はガラリと変わる。
ここ最近は夕方以降が猛烈に忙しい。
日本シリーズを見らねばならないからだ。
この日も病院から帰るや、春と遊んだり本を読んだりして少しの時間を過ごした後、熱い焼酎を片手にテレビの前へ座り込んだ。
昨日は手痛いサヨナラ負けを喫し、
(今日こそは…)
その思いでダイエー先発のナイトを睨み付けた。
ナイトといえば、ろくな思い出がない。
俺の前でよく負けてくれたピッチャー第二位に位置する。
一位は馬鹿田部(若田部:現在ダイエーでない)、その次である。
(いやな予感がするなぁ…)
思っているとそういう予感は当たるもので、いきなり三点も取られた。
その後、追いつき追い越したものの、結局は甲子園を盛り上げただけのサヨナラ負け。
(むかつくー!)
プルプルしながら風呂へ入った。
怒りのために鼓動がはやい。
振り払おうとしても、あの金本のホームランが鮮明に浮かぶ。
忘れるために、今日の午前中、女医が言った言葉を思い出した。
前述の経緯が思い出され、
「心臓をいたわらんといかんよ」
「え、いたわると言いますと?」
「血液がサラサラになる食べ物を食べたり…」
このような他愛のない問答も思い出された。
「血液サラサラか…」
俺は、そう呟いた。
これは、現代の健康キーワードトップに位置する言葉であろう。
ところで…。
三ヶ月の待機期間が終わり、今月から失業手当が出始めた。
つまり、俺の生活は、趣味である文章を書き、国から手当てを貰い、健康第一を念頭に置いて営まれている事になる。
その事に気付くと、
「これじゃ年金を貰ってるオッサンと何の変わりもにゃーじゃにゃー!」
その恥ずかしさに身悶える思いがした。
「もー、老けるのは顔だけでじゅうぶんばーい」
そう言いながら、ゴシゴシと髪を洗った。
相変わらずボディーソープで髪を洗い、それから顔、体と流れて一気に流す。
洗剤、お湯、共に無駄はない。
そこは無職らしい。
そういえば…。
この前来た長さんが俺にこういう言葉を残していった。
「福山…、あんた、悠々自適やねぇ…」
焼酎見ながら野球見て、国から失業保険貰っていては返す言葉がない。
俺の生活をチェックしてみた。
この期間の目的である文章は書いている。
細やかな短文を三十本以上出したであろう。
本も読んでいる。
週に四冊は固い。
「だったら、胸張って生きればええやんー」
自分自身にそう言い聞かせてみるが、毎日、家にいる辛さというものは何ともいえないものがある。
道子は言う。
「収入がないんだから小遣いなしは当然だよー」
ガツーンと言ってやりたいが、
(むむむ…)
内で唸る事しかできない。
俺は今、そういう苦しい立場なのだ。
女はいい。
子育てという大義名分がある。
ゆえ、昼間に公園へ行っても何食わぬ顔ができる。
が…、男はそうはいかない。
三日ほど前、俺は春を連れ、近くの公園へ行った。
すると、偶然いた奥様衆に、
「こういうご時世ですもの」
そう言われ、危うく寄り合いに組み込まれる事態に陥った。
男の平日は大変に危険なのだ。
「だったら働けば」
人はそう言うかもしれない。
が…、それは俺に言わせれば逃げに値する。
そこへ逃げたら、その快適さに酔い、そこから脱却する事はならないだろう。
歴史が語る大物を見よ。
男の居場所を見つけるため、誰もがこういった時期を経ているではないか。
歴史の偉人達は、こういった肩身の狭い時期から脱却するため、燃えに燃えたのではないか。
男の居場所を手に入れるためには困難が伴うのだ。
燃えろ、俺!
命尽き果てるまで燃えろ!
が…、しかし!
それは日本シリーズが終わってからだ!
熱い一人問答は、風呂場で永延と続いた。
今日の日本シリーズは第五戦…。
ダイエーはきっと勝ってくれる事だろう。
それを信じ、今日もまた、俺は熱い焼酎を飲む。
風土 (03/10/22)
先週の木曜、メールが届いた。
入社一年目に世話になった先輩からだった。
名を「前田さん」といい、今は福岡県の田川市、その隣の糸田町に住んでいる。
メールの内容は、
「埼玉からチョウスケが来る。うちで飲むから来い」
そういうものであった。
「チョウスケ」とは、これも同じ職場だった先輩で、出張で北九州に来るのだという。
俺は「チョウスケ」などと呼ぶわけにはいかないので「高山さん」と呼んでいる。
埼玉では少しだけ世話になっていたので、行かぬわけにはいかない。
急ぎ、
「家族で行きます」
そういう返事をした。
糸田町の前田邸に向かったのは金曜である。
前田さんも高山さんも仕事が終わってから前田邸に移るという話なので、夜の8時に着けば間に合う。
山鹿は午後5時に出た。
高速をフルパワーで使えば2時間ほどで着くのであろうが、時間もあるし、また無職という経済状況ゆえ、最寄のインターから乗る事を避けた。
久留米が混むという事は分かっていたので、その部分だけは高速を用いるつもりである。
つまり、広川から鳥栖の区間は乗ろうというのだ。
が…、八女に入ると高速道路案内板に「鳥栖ジャンクション前・事故渋滞3キロ」とある。
「うわっ、まごあくしゃ!」(頭にくるぅーという意味)
頭を抱えつつ、下道で難所・久留米を越す事にした。
これがいけなかった。
九州の背骨・三号線。
更に、福岡三番目の大都市・久留米のくせに、ここだけは一車線なのだ。
混まない方がおかしい。
事実、猛烈に混んだ。
時速5キロ、自転車にも抜かれながら愛車・シビック(事故車)はノロノロと進んだ。
結局、前田邸に着いたのは午後9時であった。
八女で古本屋などに立ち寄った事も遅れた原因の一つではあるが、何と言っても久留米が諸悪の根源である。
「久留米が悪いんですよぉー」
言い訳をした。
最近は、春が机などに頭をぶつける度に、
「この机が悪いのか、めっ!」
などと皆で言い合っているため、原因を自分ではなく他へ求める習性ができあがっていたようだ。
また、前田さんはヤクザっぽい。
知り合いでなければ、確実に逃げ出したくなる風貌だ。
首元には金のネックレスがキラリと光り、他人との接し方などを見ていると、
「うーん、荒波育ちの小倉っ子」
つい、そう言いたくなる。
典型的な下町育ちであろう。
なわけで、言い訳がましく頭を下げた。
これに対し、埼玉から来ている高山さんは何となくモンワリとしている。
気の弱さは一級品で、前に二人で納会の買出しに出た事があるのだが、
「大丈夫かよー、金足りるのかよー、駄目だよー、課の金だろー」
暴れる高山さんを尻目に俺のセンスでボンボン買い物籠に投げ入れ、最後には、
「なんだぁー、足りたじゃん」
高山さんのそういう声を聞いた憶えがある。
高山さんは、危ない橋を絶対に渡らない性格なのだ。
飲み会が始まったのは9時半を少し回った頃であった。
前田邸のリビングで豪勢な料理と俺が買ってきた安めの馬刺しをつまみながらビールと焼酎を飲んだ。
愛娘・春と前田さんの子がいるので、それなりのネチョーンとした雰囲気になるのであるが、とりあえず高山さんと会うのは俺にしても前田さんにしても久しぶりという事で、
「ま、お久しぶりという事で…」
などと、再会を祝してチビチビ飲んだ。
それにしても、子というものが飲み会に与える影響というものには毎度毎度驚かされる。
一人でも小さいのが入れば前述のネチョーンとした雰囲気に早変わり。
いつもは「ビーバップ」系飲み会をしている連中も、それがいるだけで「大草原の小さな家」風のネチョーンになるのである。
皆が子に集中し、集中された子がそれに応える。
「あー、かわいー」
「うわー、次は何をやってくれるんだろー」
「いやーん、あんな事までするのー」
そう言っている内に飲み会は終わる。
正直、
(む…、む、む、む、むぅーん…)
ていう感じである。
今回もそういう風に夜が更けるかと思われた。
現に更けた。
更けはしたが、そういう時間に前田さんが実にパワフルな提案をしてくれた。
「よし、これから飯塚に飲みに行くかのぉ」
ここ糸田町から飯塚まで10キロ以上あろうか。
俺は、この提案に関して大いに賛成だが、後5分ほどで午前様を迎えようとしている時間から、それだけの移動をするのはもったいないと思った。
女衆も飲んでいる。
つまり、移動はタクシーになる。
「飯塚まで行かんでいいですよぉ、糸田町で飲みましょう」
俺がそういう風に提案すると、前田さんは、
「糸田町には飲み屋がないっ、疑うなら駅前を見て来い!」
そう言い切った。
結局、午前様から飯塚へ向かう運びとなった。
前田さんはタクシー会社に電話を入れると家の場所を説明し、
「おしっ、行くぞ!」
と、白いジャージを羽織った。
風貌に更なるパンチがかかった。
高山さんはそこまで乗り気でないのだろう。
猫背を保ったまま、
「前田さんのタクシーの呼び方、凄いねぇ…」
ゆったりとした口調でそう言った。
別に凄いわけではないが、前田さんのそれは荒々しい下町の言葉だから高山さんには凄いと感じられたのだろう。
が…、凄いのはこれから、前田さんの交渉術である。
タクシーに乗るや、
「昼間料金で大丈夫やろ」
前田さんはタクシーの運ちゃんにそう言った。
「えー」とか言っている運ちゃんに、前田さんの畳みかけは続く。
「3000円で行って、行けるやろ、行ける行ける」
念を押すように強くそう言い放った。
運ちゃんは帽子の似合う中年であったが、この言い付けに、
「じゃあ、昼間料金で呼び料なしで行ったるわぁ、でも、3000円ていうのは約束できんなぁ」
そう応え、夜間割増を解除した。
俺と高山さんは、その強引且つスピーディーな展開に唖然とした。
言う方も言う方なら、受ける方も受ける方。
これが、この筑豊という地域の風土なのであろうか。
前田さんのもの言いは更に加速する。
「運ちゃん、ちょっとコンビニ寄って」
と、タクシーをコンビニにつけたのであるが、そこで、
「はいっ、メーターは止める!」
運ちゃんに厳しい指示を与えたのだ。
これには柔軟な運ちゃんも困った。
俺達の方をまさに困った顔で見ながら、
「そこまでしたら商売にならんよなぁ」
助けを求め始めた。
「今、田川も景気が悪いんよぉ…」
呟く運ちゃんに、俺はちょっと同情した。
結局、払った金は3000円だった。
昼間料金で3000円をちょっと越したのであるが、そこは前田さんの提案通り切ってくれたようだ。
さすがに、
「げーんかーいなーだーのぉーしーおかぁーぜにー♪」(ダイエー応援歌より)
打たれて育った前田さんであった。
それからスナックへ移った。
ネオン街のど真ん中にあり、目の前には「金太郎」という風俗店があった。
が…、それはどうでもいい。
全く気にする事なく、飲み屋ビルの3階へ上った。
ここは前田さんが会社で紹介された店らしい。
若いギャルがいっぱいというわけではないが、妙に繁盛している店だった。
カウンターしか空いておらず、ギャルも他のテーブルに持っていかれており、付いたのはママだった。
年齢は33歳という事で、若くもなく古くもない。
また、美人でもなければブスでもない。
しきりに、
「私は寂しいもんよぉー」
そう言っていた。
途中、お約束ではあるが年齢当てに移り、前田さん、高山さんと、ママはだいたい適当な歳を言った。
が…、俺の話になると、
「三人中で一番若いのは分かるけど…、うーん、私と同じくらいかしら…」
つまり、33歳と見られた。
ま、いつもの事である。
傷ついてないと言えば嘘になるが、俺の周りにはまだまだ豪傑がいるので救われている。
(それに比べれば…)
と、いつも自分を慰めているのだ。
高専時代の友人・長さんは中学時代に、
「結婚されてるんですか?」
そう言われたらしい。
また、唐仁さんという同期は28歳なのだが、訪問販売のおばさんに、
「高校生ですか? お母さんは?」
そう言われたらしい。
さて…。
俺達三人はカウンターに座り、焼酎をチビチビ飲んだ。
高山さんは飲めない体質なので、静かに静かに、それこそ眠っているかのように飲んでいた。(事実、後半は寝ていた)
午前2時の閉店まで飲み、
「ラーメン食って帰るかー」
そういう流れで飲み屋街を歩いた。
風俗店・金太郎の呼び込みがうるさかった。
そういうのに全く興味がない俺は、蝿をはらうように「しっし」と言いながら細路地をブイブイ歩いた。
飯塚の飲み屋はなぜかラーメン屋よりうどん屋が多かった。
これには筑豊に住む前田さんも、
「珍しい街やのぉ」
そうこぼし、
「じゃ、郷に従うか!」
そういう流れでうどん屋に入った。
一味が異様に辛く、ちょっとしか入れてないのに涙が溢れた。
時間は午前3時だった。
明日、ていうか日の出を迎えれば俺を除いた二人は空港へ行かねばならない。
高山さんを送って行くと言うのだ。
起床は6時だという。
先輩二人に早起きさせて後輩の俺が起きないわけにはいかんので、
「俺も見送りをさせて頂きます!」
元気良くそう言った。
床についた時間は3時30分だった。
翌朝…。
起きたら8時を回っていた。
(あれ?)
思いつつ前田邸のリビングに向かうと前田さんの奥さんが朝食を用意して待ってくれていた。
前田さんと高山さんはもちろんいない。
高山さんに至っては、今頃、空の上だろう。
「しまった! 飲み代全部奢ってもらったのに見送りもしないなんて!」
まさに、その事で悶えた。
ちなみに…。
うどんを食って帰りのタクシーであるが、前田さんは、
「3500円!」
運ちゃんに、そう提示した。
メーターが前田邸に着いた時、示した値はちょうど3500円だった。
「3000円って言えばよかった…」
前田さんは本気で悔しがり、捨て言葉として、
「運ちゃん、得したぁって思いよろぉがぁ」
そう言った。
運ちゃんはニヤリ笑うと、
「まいど」
そう言って夜の闇に吸い込まれていった。
この筑豊という地区は本当に運転が荒い事で有名なところだ。
皆がクラクションを挨拶代わりに鳴らすため、渋滞時などは凄まじい音になる。
当然、挨拶代わりのクラクションなので鳴らされた側も気にしない。
自転車に乗るオバサンでさえ、クラクションの嵐を何食わぬ顔で乗り切る。
炭鉱上がりの熱い血は今もなお健在のようであった。
ちなみに…。
それからの福山家は小石原、秋月を観光し、その日は佐賀の友人宅に泊まる事となる。
それぞれに風土はある。
(だから、旅はおもしろい…)
しみじみ、そう思うのであった。
難しいなあ〜 (03/10/20:道子執筆)
今日は更に簡単に。
この前デジカメを買った時は、「さ、がんばるぞ! いい写真を撮ってコンクールに出すぞ!」と燃えてたけど、ちょっと撮っただけで、センスがないことが分かってきた。
まあ、前から写真を撮る時はとりあえず人を入れて・・とあんまり全体のバランスを考えてなかったけど、難しい(多機能)カメラになったら更に、ピンボケしたり手ぶれしたりと、「いい感じ!」というのが1枚も撮れていない。
春を中心に背景をぼかして・・と思ってても、春がぼけて葉っぱにピントがあってるし、楽しそうに遊んでる子供達を撮ってもちょうど下向いてたり、真顔だったり・・
それに比べてふくちゃんは、悔しい事になかなかいいものを残している。
ま、デジカメのいいところは、無駄な写真はどんどん削除していけるから、いっぱい撮って、撮りまくって、お気に入りの写真を1枚でも残してみたいところである。
今日も、これからとことこ。
また子供達をモデルに悪戦苦闘してこようかな。。
春の執着 (03/10/13)
愛娘・春の食に関する執着は親でさえ瞠目するものがある。
ましてや人様のお目に掛かっては、
「これが一歳児の食いっぷり?」
極めて高い確率でそういう問いかけを受ける。
また、道子が皆勤賞を狙っている奥様クラブ「とことこ」において「他の子供達の追随を許さない食いっぷり」との評も受けてるらしい。
そういった春ゆえ、食べものの好き嫌いは特にない。
強いて言うなら生野菜を食べないという事はあるが、煮れば食うし、よほど変なもの(例:大根すり・パセリ)でない限り必要以上に食い尽くす。
好きな食べ物は酒飲みが好むもの全般で、柿ピー、たくわん、酢の物など、その類は目の色を変え、
「まんまぁ、まんまぁ!」
泣き叫び、猛烈に欲してくる。
いちおう女の子なので甘いものにも目がない。
道子、恵美子、春、この三人にかかれば大玉のスイカも風に舞う塵に同じ、ものの10分で皮だけのぺろぺろに仕上げられる。
さて…。
そういう事で、今日の日記は春を中心に展開する。
日は四日前、先週木曜日の春に触れる。
この日…。
実弟の雅士が、
「春ちゃんに会いに来たぶぁーい」
目じりを下げ、遥々熊本市から会いに来た挙句、
「荒尾に美味いパフェ屋さんがあるんたい、行くぶぁーい」
男とは思えない戯けた事を言い始め、それに道子が強く賛同したため、皆で荒尾へ行く運びとなった。
荒尾という場所は熊本県に属し、有明海に面する最北の市である。
山鹿からは30分強で着く。
隣町は福岡県に属す大牟田で、昔は炭鉱のメッカである。
有名な三井グリーンランドはこの荒尾にあり、隣にはウルトラマンランドなどのテーマパークがズラリとならんでいる。
ちなみに、何かの雑誌で見たのだが、この辺では国道を用い、300人対300人で競い合う「大綱引き大会」が開かれているらしい。
町対抗で行われるらしく、荒尾側引き手にはウルトラマンが混じっていたそうな。
「ウルトラマンがおったら負けんばい!」
と、それは荒尾サイドからすれば、まさしく「心の支え」であったろう。
今年の結果は雑誌によると荒尾が勝利を収めたらしく、
「来年もウルトラマンに頼まんといかんなぁ」
「しかし、ウルトラマンは3分しか戦えませんよ」
「なるほど、それば忘れとった」
「わっはっはっは!」
その笑い声も聞こえてきそうだ。
とにかく…。
熊本北部では荒尾・大牟田近辺が最もたる都会なのだ。
「まずはトイザラスに行こうよー」
道子はそう言って、大牟田にある「ユメタウン」というショッピングセンターに行く事を求めた。
「義母さんの気が変わらない内に買っちゃおうよー」
合わせて道子はそうも言った。
これは前日に恵美子と富夫を交えて動物園に行ったのであるが、その際、恵美子が春に「ままごとセット」を買ってあげると約束したのだ。
「立て替えてくれれば、金は私が払うからね」
この言葉を受けた道子の鮮やかな速攻である。
雅士を含めた俺達一行は、籠いっぱい入った「ままごとセット」をトイザラスで購入し、
「じゃ、飯でも食うか」
そういう流れで目の前のリンガーハット(ちゃんぽん屋)に入った。
が…、目的は雅士オススメのパフェ屋なので、ちゃんぽん以外は食わないという事にし、380円のちゃんぽんをそれぞれが食べた。
リンガーハットに入った瞬間、春は泣いた。
別に頭をぶつけたわけでも眠かったわけでもない。
食べ物の匂いがしたからだ。
最近の春は見て泣くのではなく、感じて泣く。
食の気配を感じるのだ。
例えば、道子が袋菓子を触り、その音が微かに漏れようものなら、どんなに夢中で遊んでいたとしても、
「だぁあああああ!」
全速力でその気配に向かって駆け込んでくる。
食べ物の匂いや冷蔵庫を開け閉めする音、これも同様である。
ゆえ、ちゃんぽんがテーブルに届くまでの間、与えるものがなければ春は泣き叫び続ける事となる。
「ちょっと待って、すぐ、まんま来るから!」
道子が言い諭しても分かる春ではない。
道子はバックから巧みなタイミングで菓子を出し、それを小出しに与える事で春の気を紛らわせた。
ちゃんぽんが来たら、その少量を手早く小皿に移し、冷ますと同時に春に与えねばならない。
それから、小出しに素早く与え続けるのである。
遅ければ泣くし、テンポが悪くても泣く。
当然の事ながら、これを毎日やっている道子は、
(プロよのぉ…)
思わず俺が唸らざるを得ない、そういう具合になってきた。
箸で食いものをつまみ、それが春へ流れ、その流れを保ったまま次のものをつまみ、それは道子の口へゆく。
ちょうど、そのタイミングで春の口が空くので、次の流れは春へゆく。
これを水の流るるが如く自然さでやってのけるのである。
「よく、それで飯が食えますね?」
雅士もこれには驚いたらしく、感心しながら義姉にあたる道子を眺めた。
道子は、
「もう慣れたよぉー」
平然とそう言い、春へちゃんぽんを与え続けた。
まさに、母は強しの一例であろう。
さて…。
一行がそれからパフェ屋に向かったかというとそうでない。
ユメタウンの中にはケンチキ(ケンタッキーフライドチキンの熊本略)が入っており、パフェに興味がない俺は、
「チキンフィレサンドを食わせてくれ」
そういう風になり、ちょっと寄り道をさせてもらったのだ。
が…、結局は雅士も道子も見たら食いたくなったらしく、全員がそれを食った。
「もぉー、ちゃんぽん食べてハンバーガー食べて、これじゃデブデブだよぉー、まだパフェも食べないといけないんだよぉー」
道子が例の巧みな技を駆使し、春にパンを連続的に与えながら言った。
俺はハンバーガーを食べた時点で腹いっぱいになっていたため、
(こやつ…、まだ入るんや…?)
驚いたものだが、雅士も道子も春も、
「甘いものは別腹だよねぇ」
そう言わんがばかりにクレープ屋を指差しながら、
「あれも美味しそうだよねぇ」
「うんうん、本当に」
「だぁー」
言い合っている。
クレープ屋の前には「9が付く日は全てのクレープ250円」そういう看板が掲げてあった。
今日は9日である。
「全品250円だよぉー、雅士君、メニューだけ見てくる?」
道子はそう言いながら雅士と共にクレープ屋の方へ歩いていった。
春は俺が抱いていたのであるが、道子と雅士がクレープ屋の方へ行くと猛烈に暴れ出した。
そのため、俺は春を歩かせるべく手元から離した。
すると、春は全速力で道子達の元へ走った。
「食いたいならクレープぐらい買えよー」
俺が言うと、道子は既にそのつもりであったらしく、雅士と何やら談合を重ね、
「嘘ー、雅士君はそれー、全品250円だからなるべく高いやつがいいよぉー、すいませーん、これです、これをください」
速攻で注文していた。
春はピクリとも動かずにアイスの写真を見つめている。
顔を看板いっぱいに寄せ、穴が開くほどにアイスの写真を見つめている。
そして、
「ぎゃぁぁぁぁ!」
突然に泣き出した。
大粒の涙を流しながら、アイスの写真をバンバン叩き、
「まんまぁ、まんまぁ!」
と、叫び泣いた。
あまりにも醜かったので、一時他人のふりをしていると今度は床に転がって泣き始めた。
映画や漫画のような駄々っ子ぶりである。
これにはさすがの道子も助け舟を出さざるを得なかった。
「お母さんのをあげるから、ちょっと待って、ちょっと待って!」
「いや、いや、まんまぁ、まんまぁ!」
春は道子に抱かれながらもアイスの写真を指差して「まんま」を繰り返した。
(何という卑しい奴だ…)
我が子ながら俺は呆れた。
結局、道子が注文した定価400円のクレープが来るまで春は泣き続けた。
が…、それが手元に来た瞬間、春はニヤリと笑い、泣いていたのが何だったのかと疑問に思う変貌振りでクレープにかぶりついた。
「可愛ええばってん、子供って大変ばい…」
雅士は定価300円のクレープを頬張りながら子育ての難しさを実感したようである。
ちなみに、ちゃんぽん、ハンバーガー、クレープと食えば、さすがの道子や雅士も、
「もうパフェ屋には行かんでええ」
そういう気分になったらしく、メインの荒尾には寄らず、そこから帰る運びとなった。
が…、春だけはまだ納得がいかないらしく、プレイゾーンという子供が遊ぶスペースで他の子供が持っていたポップコーンを見つけては、
「まんまぁ、まんまぁ!」
目をギラギラさせ、その菓子に飛び掛っていた。
(いったい誰に似たのか…?)
思うが、蛙の子は蛙なので自らを戒める事が先決であろう。
また、道子にも戒めてもらわねばならない。
ちなみに、最近の春はあまりにも食うピッチが速くなり、道子の手におえなくなってきたらしく、専用の膳を用意して散らかしてもいいから一人で食わせる特訓を行っている。
これが意外に良かったらしく、いつもは次のものを欲するために「だぁだぁ」と喋りながら食べる春が、黙って食い始めた。
当然、ボロボロと散らかすので春の下には新聞紙を敷いている。
食い終わった後、そこには米粒やら何やらが見事に散らばっている状態となる。
春は、それを床に這って舐め、最後まで食い尽くす。
「残したらいかんぞ!」
そう言って育てた甲斐あって、ハングリーな精神は充実しているようだ。
が…、食い終わった後にも関わらず、食の気配に対しては、
「まんまぁ、まんまぁ!」
察知し、泣き叫ぶのにはほとほと参る。
いくらハングリーに育てとはいっても、度を過ぎていては困る。
この加減が実に難しい。
週末は、埼玉から近藤という女が遊びに来た。
春の食いっぷりを見て、
「よく食べるねぇ」
などと、穏やかなる感想を述べていたが、内では、
(まるで餓鬼だ…)
そう思っていたかもしれない。
今日の朝も春が熱心に教育テレビを見てたので、
「道子、茶でもするか」
と、ベビースターラーメンの袋を開けたところ、音も立てていないのに、
「ばばばばばばば!」
意味の分からぬ事を叫びつつ、猛烈なダッシュで俺の足元を駆け上った。
レーダーか何か、食いものを察知するアンテナでも備えているとしか思えない。
(この感は、どこで身に付けたのだろう?)
春のギラギラに輝いた目を見ると、その思いが生じてならない。
「まんまぁ、まんまぁ!」
春はテーブルの上によじ登ると呪文のようにその事を繰り返した。
(呪文といえば!)
俺は、その事で一昔前の道子を思い出した。
道子は、俺がスナックやキャバレーに行き、忍び足で帰って来ると、
「なんだよぉー、行ったでしょー」
なぜか起きていたし、ズバリその事を言い当てた。
道子はカマをかけているわけではなく、俺がそういう類の店に行った時だけ起きていて、
「なんだよぉー」
そう言った。
なぜ分かるのか、俺にはその事が分からない。
備え付けのファブリーズ(消臭剤)で姉ちゃんの化粧臭は消えているし、財布の中身も奢ってもらったので減っていない。
帰る時間も特別遅いわけではない。
「な…、なんで分かるんや…?」
バレた事よりも、その感に疑問を持つと、
「女の感よ」
道子は必ずそう答えたものだ。
あの時期、俺の頭からは、
「なんだよぉー」
道子が発するこの呪文が離れてくれず、その事を俺の口から知った先輩諸氏は、俺が飲みの誘いに乗らない時、
「なんだよぉが怖いのか!」
そういう風にからかったものである。
その経験と春の「まんまぁ」がダブった。
そう…。
これは女という生きものが生まれながらに持つ動物的感ではなかろうか。
また、春の異常ともいえる食に対する執念は女特有の「底なし念」ではなかろうか。
(そう思うと恐ろしや…)
可愛い春に、ちょっとだけ悪魔的影が差した瞬間であった。
ちなみに…。
歴史を知れば知るほど分かるのは、
(女というものの空恐ろしさ…)
その事である。
純真な男という生きものは女に食われぬよう気を付けるべきなのである。
旅行計画 (03/10/10:道子執筆)
今、ふくちゃんと「どっか旅行しよう」という計画が立っている。
もともと、私が「せっかく九州にいるんだから、有名どころの湯布院や黒川温泉に行きたいなあ〜」と言ったことが始まりである。
山鹿も泉質のいい温泉はいっぱいあるけど、『温泉街』という感じの雰囲気はあんまりない。
だから、雑誌で見て囲気がよさそうだなあ〜という、湯布院・黒川あたりに行ってみたかったのである。
なんとなくそんな事を言ってみたりしたら、そこは行動力のあるふくちゃん、じいちゃん・ばあちゃんに春を預かってもらえるか聞き、OKが出ると、「さっさと行く日を決めて宿をとるぞ」と具体的な計画になってきた。
そして、最新号のじゃらん(旅行雑誌)を買って、早速宿チェックに入っている。
場所・宿決めは私がやっていいみたいだけど、過去に最悪の旅をしたこともあるので、ふくちゃんに相談して決めたいところである・・。
湯布院へ行ったら入湯手形をもらって温泉巡りをして。。黒川だったら昔懐かしい街並を楽しんで。。のんびりしたいなあ〜と思いつつ、やっぱり旅は料理が1番!!と、花より団子なのが本性である。
そう思うと、海沿いの町も捨て難い。
新鮮な魚介類を思う存分味わいたい気もするし・・。
プラス、夕日の沈む中、露天風呂に入れたら最高だろうなあ〜と思ったり・・。
海じゃないけど、久住高原もなんだか良さそう。。
・・・ま、どこへ行ったとしても、「ここステキ!」と思うのはやっぱりお高いところだから、お財布とも相談して、紅葉シーズン、込み合う前に早く決めたいとこである。
俺、サングラスを買う (03/10/07)
瞳孔を開く目薬のせいで視界が悪いという事は前の日記で書いた。
この目薬の名を「サンドールMY」といい、その名称の上に「トロピカミド点眼液0.4%」と小さな字で書いてある。
瞳孔が開くという事は、
(眩しい…)
という事でもある。
家の中にいたとしても窓から光は差し込んでくるし、ましてやウォーキング中に容赦なく浴びる朝日のパワーといったら凄まじいものがある。
朝6時に目薬を点したとして、6時半くらいから効果が出始め、だいたい10時くらいまで効果は続く。
当然、この間に車の運転をする機会もある。
そういう事で…。
「サングラス、買ってあげようか」
道子がそう言ってくれた。
ちなみに最近の道子は、
「そりゃ嘘ばーい!」
と、友人が思わず耳を疑うほど、
「財布の紐が固い…」
その事で有名な女に成長している。
そういう道子が買ってくれると言うのだから、気持ちが変わらぬうちに急ぎ足で眼鏡屋に向かい、その日のうちにマッハ購入した。
買ったサングラスは、有名メーカーFILAの折り畳めない式(関節部がない)のナウいやつで、もちろん度付きである。
値段は16000円くらいしたのではなかろうか。
いつも俺が飲みに行く時、
「2000円で三次会まで飲んできなさい、無職だから奢ってもらえるでしょ!」
鬼のようなセリフを遠慮なしに吐く道子が、
「いいよ、いいよ、買ってあげるよ」
ポーンとそれだけの金を出したところに俺は感激した。
ていうか、サングラスに16000円使うくらいなら、それを半分に減らし、残った分を、
「飲み代に回して」
そう言いたかったが、十中八九怒りを呼ぶだけなので喉まで出かかったそれを飲み込んだ。
とにかく、目薬対応用のサングラスを俺は購入した。
俺の手元にサングラスが到着したのは9月30日であった。
まさにシンチグラムという最悪の検査を受けた日である。
道子が眼鏡屋から受け取ってき、俺はそれを家で装着したわけだが、その瞬間、
「これ…、度がおかしいぞ…」
すぐ外さねばならぬほどに視界が歪んでいた。
どれくらい歪んでいたのかというと、気持ち悪くなったほどだ。
「えー、嘘ー、交換してきなよー、16000円もしたのにー」
道子はプリプリ文句を言いつつ強烈な地団太を踏み、
「交換だよー」
それを連呼した。
が…、時間が遅かった事もあり、眼鏡屋には翌日向かう事となった。
眼鏡屋は俺のサングラスを受け取ると、すぐに度の調査に入った。
「うーん、度は指示通りに仕上がってますねぇ」
訝しげにサングラスを裏表しつつ、
「んっ!」
と、何かに気付いたようだ。
「なるほど、なるほどー」
眼鏡屋は独り言を言いながら、
「分かりましたよ、福山さん…」
俺の方を向き、ニヤリ笑うと特殊な工具でフレームを曲げ始めた。
「どうですか、ちゃんと見えるでしょう」
眼鏡屋は俺にサングラスを掛け、その視界を問うた。
確かに、その視界から歪みが消え去っていた。
「どういう事ですか?」
俺が問うと、眼鏡屋は、
「それはですね…」
実に自信満々にゆっくりと語り始めた。
話はこうである。
最近のお洒落なサングラスというのは顔のラインに沿うようにフレームが出来上がっているらしい。
そういったやつは、目の前に当たるところのフレームが湾曲しているため、レンズが目に対し斜めを向く事になる。
それが視界が歪んだ原因らしい。
「はぁ、見えます見えます、これならバッチリですよー」
俺がそう言うと、
「しかし、こういった形にするとお洒落度は落ちますがね…」
眼鏡屋は残念だと言わんばかりに下唇を噛み、
「それにフィットしていた眼鏡を曲げるかたちだから、どうしてもここに大きな空間が出来るんですよ」
と、俺のこめかみの辺りを指差した。
が…、
「あれ、空きが少ないですね、ほー」
眼鏡屋は何だか感心した風にその空間をまじまじと眺めた。
そして、
「あ、そういえば、フレームを外側に広げたんで緩いでしょう、それも直しますよ」
と、俺からサングラスを取ろうとしたが、これも意外にフィットしているようで、
「あ…、意外にいいですね…」
眼鏡屋はまたもや驚きの表情を見せた。
この時…。
当然ながら俺のハートは悶えている。
プルプルと震えながら、
(やめてくれよー、この顔は親から貰ったものなんだよぉー!)
その事を思っている。
ちなみに、関東では、
「顔、でか過ぎ」
そう言われ続けてきた俺だが、こちらでそういう事を言われたためしがない。
モノマネタレントのコロッケも、熊本では「でかい」なんて一度も言われた事なかったらしいが、東京に出て「その顔のサイズは何だ!」そう言われたらしい。
そういえば、ばってん荒川も顔がでかい。
ゆえに、俺の顔はこちらでは普通(もしくは微妙に大き目)に属す。
が…、最近は眼鏡人口が減ってきたらしく、若者はコンタクト派が多数を占める時代のようで、若者における眼鏡は、あくまで家の中用という位置に成り下がっているようだ。
また、眼鏡にお洒落を求めるのは小顔でロン毛のモヨーンとした奴らが多数派で、短髪ドーンの「男ですたい」という連中は得てしてお洒落を求めない。
ゆえに、小顔以外の普通顔がお洒落眼鏡を求める場合、どうしてもサイズが合わないのだ。
「くっそー、またかよー」
そう叫ばずにはいられない。
以前、眼鏡を買った時も、
「顔が大き目の方にお勧めなオフセット付き眼鏡です」
そう言われ、レンズの終わりからビョイーンと横にフレームが飛び出た眼鏡を薦められ、それが妙にフィットしたので買った。
(まさか、サングラスまで合わんとは!)
その事であった。
お洒落サングラスは、どう見ても不自然なラインに変形され、俺の手に渡された。
が…、見えなくてはどうしようもなく、そうするより他はない。
「ご不満な点があれば、いつでも対応しますので…」
眼鏡屋は優しい笑顔で俺を送り出してくれた。
多分、俺が店を出て自動ドアがウィーンと閉まった後、
「ぷひー、あのサイズは爆笑ばい、合うわけにゃーだろ、合うわけー」
と、七転八倒されているに違いない。
俺は視界抜群になったサングラスを装着し、少しだけ落ち込みながら場を離れた。
さて…。
それから数時間が経過した後であるが、夕刻になり役目を終えたサングラスをケースに仕舞おうと思った俺は、
「む!」
瞠目する事となった。
お洒落眼鏡にはお洒落眼鏡のラインに合ったケースが採用されている見え、曲げられたそれが入らないのである。
「ケースまで俺を馬鹿にするのかー!」
当然、後に眼鏡屋に苦情を言いに行く運びとなるわけだが、その時、相当腹が立った。
また、四日前の眼科検診で、早朝の瞳孔開き点眼が不要になった。
更に、これから季節は冬になる。
これにて、サングラスが何のために存在するのか…、その存在価値すら怪しいものになってきた。
本当に、今の俺には何かが取り憑いているとしか思えない。
ちなみに、道子が言うには、
「貯金が見る見る減ってくるよー」
当たり前だがその事が怖いらしく、その恐怖はもろに俺の脅威となる。
俺の財布はただの飾り、今ではカード入れと成り下がって持ち歩く事もない。
昨日は温泉へ行こうと思い立ったのだが、道子は奥様会でいないし手持ちもない。
恵美子に500円を借りて温泉へ行く事となった。
ちょっと前、
「2000円で三次会まで飲んできなさい、無職だから奢ってもらえるでしょ!」
そういったセリフを吐いた道子。
(これから、どういう名言を吐くのだろう…)
その事がちょっとだけ楽しみといえば楽しみなのであった。
ちなみに、弁解のために言っておくが福山家は貧乏ではない。
現に、道子の日記で書かれていたように高級デジカメも買っているし、春にかかる経費は惜しみなく費やされている。
(ただ…、俺に関してが…)
なのだ。
その詳細は飲みの席において口頭で語りたい。
誘われれば俺はどこまでもゆく。
趣味カメラ?! (03/10/04:道子執筆)
木曜日に、新しくデジカメを買った。 別に、前のが壊れたとかではなく、なんとなく「もっといいのが欲しいねえ〜」という話題になって、衝動的に買ってしまった。
ご存知の通り、無職の2人だし、あんまりお金は使ってはいられないんだけど、お義母さんが「5万円のカメラを買ったら2万円出してあげる!」と、かなり有り難いことを言ってくれたので、決めてしまった。
物はというと、フジフイルムの「FinePix S5000」。
光学10倍で、人にピントを合わせバックをぼかせたりする機能も付いた、結構本格的なカメラである。
連写も出来るから、春の数多い芸!?もキレイに残せそうだし、花や鳥など、ちっちゃな生きものもキレイに撮れそうである。
なにより、デジカメだから失敗しても問題ないし、枚数を気にせず撮れそうなので、いい写真をいっぱい撮っていきたいと思う。
そして、出来れば何かのコンクールにも出してみたいなあ〜・・。 (結構賞金がいい!!)
ここは自然豊かな山鹿、そして春という、かなりいい被写体もいることだし・・・
当分は機能を使いこなすのに悪戦苦闘しそうだけど、いつかはステキな写真を撮って、「道子のギャラリー」でも作りたいものである!!
みなさん、お楽しみに・・・。