熊本6市町村をゆく! (04/03/16:道子執筆)
今日、ふくちゃん・私・春・雅士くん(ふくちゃん弟)の4人で、ふくちゃんの日記にも書いてあった例の熊本全市町村スタンプラリーを集めるために(福山家は40箇所目標!)隣の菊水町からスタートして、6市町村を回ってきました。
まず最初は、菊水町。 ここはお義母さんの里があり、お姉さんが住んでる事もあって、ちょくちょく訪れる町です。スタンプラリーは「スーパー菊屋」という所にあったので、ついでに揚げを1袋買いすぐにハンを押して出てきました。
続いて、更に隣の玉名市へ。 ここではちょうどお昼時だったので、市役所に車を置き、スタンプラリー設置店であるドコモショップに寄って、それからこの界隈では有名な(?)天琴ラーメンでお昼ごはんを食べて帰ることにしました。 この天琴ラーメン、山鹿にもあるけど、私の好みでは山鹿の方がさっぱりコクがあって美味しいかな、という感じでした。コッテリ系が好きな人には玉名の方がいいかも?
続いては、初めて訪れる岱明町へ。 悔しいことに、今日は設置店である雑貨屋さんが休みでこの町のスタンプを押す事が出来ませんでした。 まあ、車で20〜30分のところだからまた来ればいいけど、遥々遠くから来た人はこんな時どうすればいいのだろうか・・・冊子には設置場所の定休日まで書いてないから、今後のためにも外に置いといてもらうか、年中無休の場所へ置いてもらうか・・ちょっと考えてもらいたいなあと思うところでした。
気を取り直して、次は海沿いの長洲町へ。 ここは、長崎県とをフェリー結ぶ港があり、金魚と鯉が有名な町です。 私もフェリーに乗るのに何回か来た事はあるけど、港以外は初めてでちょっと楽しみでした。 この町の設置場所は、「金魚と鯉の郷」という金魚の水族館や養殖場、広々した公園が一緒になった広場でした。 スタンプは水族館の入口にあったけど、入館料300円とちょっと高めだったので、中は見ずにスタンプだけ押して出てきました。
それから、公園の方へ行って滑り台やシーソーなどで春が飽きることなく遊んで、のんびりとした時間を過ごしました。 広大な敷地の奥に金魚の養殖場があったけど、あまり興味がないのと手前まで来てちょっと疲れたのもあり、私は養殖現場を見ずに帰って来ました。 ふくちゃんの見た感想ではなかなか良かったとか。。
続いて、これまたよく行く荒尾市へ。 ここでは甘党・雅士くんが、バレンタインデーのお返しにと、かなりのオススメお気に入りスポット「Sha ra ra」というカフェレストランへ連れて行ってもらいました。 何がオススメかというと、パフェ! チョコパフェから白玉あずきパフェまで20種類くらいあり、私もどれにしようか迷いに迷って、ブルーベリー苺パフェを選びました。けっこうボリュームもあって、食べ応え十分♪ こちらも甘党・春ちゃんも大満足の様子でした。
ふくちゃんはというと、もちろんパフェを食べるはずもなく、ラーメンを食べたというのに本日のランチを頼み、すでに終了したと聞いて結局ビールを飲んでました。 せっかくカフェへ来たんだから甘いものでも食べればいいのに。もったいない!
パフェでいうと、地元山鹿市にも穴場スポットがあり、ふくちゃんの同級生がやっている「ひまわり」というレストラン。(喫茶店?) ここは、380円くらいで盛りもいいので是非食べにいってみてください!客層が高校生なので、他の料理もお手頃ですよ! 場所はお馴染み「塩崎模型」の向かいです。
で、話を戻して、Sha ra raでパフェを楽しんだ後は、ふくちゃんはスタンプ設置場所である温泉「弥生乃湯」へ、残り3人はシティモールへと別行動。 ふくちゃんが湯に浸かってる間に、私は久しぶりのショッピング。 といっても、雅士くんに春の相手を40分近くさせてしまって結局はカーディガンを1枚買っただけ。。 ちょっとのつもりがそんなに子守りをさせてたとは!雅士くんごめんなさい!! そして、せっかく温泉に入ったというのに汗だくなふくちゃんと合流して荒尾市を後にしました。
そして、今日最後のポイント、南関町へ。ここは「麦の花」といううどん屋に設置してあったので、ちょっと早目だったけど夕食にとうどんを食べて帰りました。ここのうどんは関西風のあっさりとしたつゆで、麺は太め。なかなか美味しい。 なんだか今日はずっと食べ続けてるような感じで、さすがにうどんを食べ終えた時にはお腹が苦しくてしょうがなかったです。。
このうどん屋はショウロンポウも名物で、お店でも蒸してあって熱々を食べることが出来て、前に食べて美味しかったので今日はお土産に買って帰りました。 小ぶりだけど10個入り500円。 お試しあれ!
うどん屋を5時半頃出て、本日の6市町村スタンプラリーツアーは無事終了!(1箇所押せなかったけど・・)
まだまだ先は長いけど、美味しい物を食べたり温泉へ立ち寄ったりと、熊本の各地を巡っていくツアー、これからも福山家、楽しく続けていきたいと思います。
次の予定は木曜日。 今度は横島・天水・玉東町。 全部が始めての地なので何があるのか・・何が美味しいのか・・今から楽しみに、ちょっと下調べでもしてみたいと思います。
そして、またツアー報告でも出来たらなと思います!
今日の老人 (04/03/15)
今日…。
短い文章を書き終え、ふと時計を見ると[14:30」であった。
文章のキリもよく、天気もいい。
それに14時から16時というのは温泉が最もすいている時間帯である。
「ちょっと行ってこよ」
という事で家を出た。
月曜なので、道子は奥様クラブへ出ている。
ゆえ、車がない。
自転車で出た。
菊池川の堤防をのんびり走り、15分で行き付けの温泉「眺山庭」に着いた。
金は一円も持ってきていない。
30枚綴り6000円の回数券、その一枚だけを持ってきている。
前に書いた5000円盗難事件で懲りたからではなく、本当に一円も持っていないからだ。
すっかり馴染みとなってしまった受付の姉ちゃんに、
「また来ました」
靴を脱ぎつつそう言い、奥へ進もうとすると、
「あら、今日はお一人ですか?」
そう聞かれたものだから、
「捨てられたんです」
笑いながら冗談を言ってみると、姉ちゃんの顔色が明らかに変わった。
冗談と取ってくれなかったようだ。
それからいつものように体を洗い、露天で横になって一時間を過ごした。
昨日は日曜で人が多く、とても寝れる状態ではなかったが、今日は月曜で、更に例の時間なのですいている。
ゆっくりと足を伸ばし、じっくりと浸かり、喉が渇けば温泉を飲んだ。
ここの湯は山鹿温泉でも特に美味く、福山家の飲用水として利用しているお湯なのだ。
露天を出ると髪を洗った。
それから内湯へ入った。
内湯はお湯の噴出し口にある小さなものと、そこから溢れた湯が流れ込んでいる大きなもの、計二つある。
むろん、前のは熱く、後ろのはぬるい。
俺は熱いのが得意な方ではないのだが、源泉に近いほうが放射能(微量であれば体にいいらしい)をより多く含んでいるらしく、更にヌルヌル感も多いという事から、なるべく熱い方へ入るようにしている。
今日も無理を承知で熱い方へ入った。
と…。
ここまでは常の状態で、わざわざ日記へ書く必要はない。
が…、ここで事件が起こった。
内湯へ入った瞬間、老人の団体が来た。
団体といっても5人ほどで、その老人達は内湯の前にズラリと並び、一斉に掛け湯をし、同時に湯に浸かり始めた。
ま…、そこまではいい。
俺も横目で見はしたが、大して気にもしてない。
が…、一人の老人がほんの数秒で湯から飛び出した時、俺の興味がそちらへ向いた。
老人は脱衣所の方へ向かって歩き始めた。
そして、それに合わせて他の老人達も湯から出、先の老人を追い始めたのである。
(何だ…?)
カラスの行水にもほどがある。
わざわざ温泉へ来て、数秒で出て行こうとしているのである。
と…。
脱衣所へ向かった老人達が急旋回した。
そして、一斉に笑い出した。
(何があったんだ?)
この老人の異常な行動に、俺は恐怖を覚えた。
(この老人達は、俺に何らかの危害を及ぼすのではないか?)
その事である。
が…、真相はすぐに解けた。
先に湯を出た老人が、馬鹿でかい声でこう言ったからだ。
「露天風呂へ行こうと思って間違えたぁ!」
俺は唖然とした。
当たり前の事だが、老人達は脱衣所から入って内湯へ辿り着いたわけである。
なのに、また脱衣所のドアに手を掛け、そこが露天風呂の入口だと思うなんて…。
それに、先の老人が露天風呂へ行くだろうと付いていった別の老人達、
「あら、そっちは着替え場だったかね?」
「年とると方向感覚のなくなるねぇ」
「ほんなこて、まいったばい」
そのような事を言い合っている。
老人は集団で行動する場合、徹底的に同じ行動をとるものらしく、先の老人が露天へ行くと、皆もゾロゾロと露天へ行った。
「よか湯ねぇ」
「ほんなこて」
老人達の声は本当にでかい。
更に、よく見ると足腰フラフラなのに岩へよじ登り、
「よか景色ねぇ」
「ほら、あそこば見なっせ、菜の花の咲いとるばい」
「あらぁ、ほんなこて、美しかぁ」
横一列になって景色を楽しんでいる。
岩の上に登っているので、向こう側からもフルチンの老人を見る事ができるであろう。
うっかり温泉の方を見てしまった通行人はどう思うだろうか。
素っ裸の老人が数人、腰に手を当てて並んでいるのである。
(世の中には色々な人がいる)
しみじみ、そう思った。
だいぶ前の日記で書いたが、湯船に浸かりつつ、
「しょんべん、出たかも…」
そう呟いた老人もいた。
また、昨日の日記で書いたように動物占いを干支占いと勘違いしている中年もいた。
さて…。
俺は熱い浴槽から出た後、洗面器に冷たい水を張り、そこに足を入れた。
その状態で、汗が引くのを待つのである。(並大抵の事では引かないが)
普段は、この状態を5分くらい保つ。
入浴という行為の中でも至福の時間であった。
「ふぃー」
恍惚の境地に入っていると、露天を出てきた老人の一人が、
「あらぁ、どぎゃんしたっかい、あたは魂の抜けたごたる顔ばして」
隣の洗い場に座りつつ、そう言ってきた。
ショックだった。
至福の時間を邪魔されたという事もあるが、見るからに魂が抜けかけた老人に言われたという事が何よりも痛い。
「汗が引くのを待ってるんですよ」
俺は平静を保ちつつも、中では、
(早く退散せねば…)
そう思い、急ぎ体を拭いた。
拭きながら、
(ちょっとイヤミでも言ってやろう)
そう思った。
「さっき露天へ行くので迷われてましたけど、ちゃんと家まで帰れますか?」
お高い態度でそう言ってやった。
この時、俺は老人の方を向いてない。
相手を見ずに言う方がイヤミとしての破壊力があるからだ。
言った後、ゆっくり老人を見た。
この時の俺の顔は、まさに勝ち誇っているそれである。
が…、隣にいる老人を見た瞬間、
(負けたぁー!)
そう思い、愕然とした。
なんと、老人は入れ歯の掃除をしていたのである。
洗面器に入れ歯を入れ、それこそ衣類でも洗うかのようにザブザブと水洗いをしていたのである。
俺は一目散に逃げ出した。
背後から、
「気持ちんよきゃー」
「んーにゃこて」
その声がたくさん聞こえてきた。
多分、一人だけじゃなく、たくさんの人が入れ歯を洗っているのだろう。
「後ろを見たら石化する、後ろを見たら石化する!」
俺は自分自身にそう言い聞かせ、絶対に振り向く事をしなかった。
その夜…。
あの老人の事を思い出しつつ、これを書いている。
「入れ歯を温泉で洗うという行為」について軽く考えてみた。
確かに、贅沢といえば贅沢。
入れ歯を温泉で洗えるなんて、温泉街でなければ楽しめない無常の贅沢であろう。
それに、自分に最も近い物を温泉で洗いたくなるという考えは分からないでもない。
ていうか、物っていう概念でなく、体の一部を洗ったという感じなのかもしれない。
人は歳を取れば子供に戻るというが、子供で入れ歯はありえない。
(子供が入れ歯だったら温泉で洗うのだろうか?)
そう思ったが、すぐに、
(何を考えてるんだ、俺は?)
その想像の馬鹿らしさに気付いた。
また、
(老人達はちゃんと家まで帰り着いたのだろうか?)
そうも思ったが、これも無駄な想像であろう。
が…、勝手に想像するに、
(菊池川に落ちたのではなかろうか…)
今日の老人達は、そう思わざるを得ない不思議な魅力を持った集団であった。
広く浅く (04/03/14)
俺の高専時代の学科は電子制御工学科である。
選択肢として通信、電子、情報、制御があったのだが、名前の響きで制御を選んだ。
(何を学んだのか?)
思い出すに、何も浮かんでこない。
教官の顔や癖などは鮮明に思い浮かべる事ができるのだが、「学んだもの」となると純白の世界が脳裏に広がるだけだ。
が…、「学んだもの」という問いから離れ、
「何を見たのか?」
目線を遠いところへ追いやれば、微かではあるが工学のかたちを捕らえる事ができる。
そもそも制御という学問(学問と呼べるものかどうかは分からぬが)が広く浅く工学を学ぼうというもので、目線が近いと見えない学問なのであろう。
カッコよく言えば、点の人たちが考えたものを線として「活用」する学問。
俺はそう認識している。
ゆえ、体系的には見渡す事ができるが、細かいところになると何も見えなくて当然なのかもしれない。
しかし、これは俺の思い込みで、
「俺の学生生活がろくなものではなかったから」
それが理由かもしれない。
ていうか、それが理由であろう。
なにせ尻から数えて数番目の成績で卒業したのだ。
たまたま要領だけは良かったものだから、平均58点(50点以下が一科目でもあれば留年、再試はあるが)で卒業させてもらったが、まさに身につくものも身につかない低空飛行の学生生活だったように思う。
この学生時代の後半…。
俺は自転車にハマった。
自転車という乗り物にハマったのではなく、冒険というものに憧れ、その延長で自転車を選んだというほうが適当であろう。
手始めに熊本から大阪まで走り、それで味をしめた俺は、学生の間に沖縄以外の至るところを走った。
また、狂ったようにコンパに行った。
延べ1000回は行ったのではなかろうか。
ちなみに、小学校時代からスポーツを欠かした事がない。
田舎の小学校だったものだから、夏は水泳、秋は陸上、冬はサッカー、春はソフトボール、これを強制的にやらされた。
どれもこれも放課後の活動ではあるが、部活という考え方ではない。
「小学生の義務」というかたちで無条件に季節のスポーツをしなければならなかった。
この時期に「己の適性」というものを知った。
(なるべくモノが増えるほうが俺の性に合っている)
この事である。
水泳とマラソンはクラスでも最低の部類だったが、サッカーになると「最」が外れ「低」のレベルになった。
使うものが増え、野球や卓球になると「中の上」の部類にランクインした。
つまり、複雑になればなるほど俺の活躍の場が出てきたというわけだ。
(惰弱な体力に対し、運動神経と頭脳だけは人並をちょっと越えたものがある)
小学生の俺は「自分自身」をそう解釈した。
そういうわけで、中学に入ってからは軟式テニス部に入った。
足も遅く、体力もなく、水泳をやらせれば50メートル泳げない俺ではあったが、けっこういい位置まで食い込んだ。
高専に入るや硬式テニスをやり始めた。
微妙な転身である。
理由は簡単。
呼び込みの先輩が、
「綺麗な女を紹介してやる」
「硬式テニスをやってればもてる」
多感な青年に甘い言葉を放ってきたからだ。
が…、それが嘘だと分かり、更には担当教官との仲が日増しに悪くなっていったので、
「最後に」
という事で、教官に思いっきりカンチョーをして辞めた。(それが原因で痔になったという噂がある)
辞めて、隣で活動をしている軟式テニス部に入った。
つまりは「前にやっていたもの」に戻ったわけだが、ここは部そのものに問題があった。
ほとんど活動をしないのである。
そのくせ部室へは毎日誰かしらが顔を出しており、誰かしらが煙草を吸っている。
「練習せんとですか?」
聞くと、
「うちは試合の一週間前から練習をするという方針」
そう言われ、
「この方針は伝統で、変える事ができない」
そう言い切られた。
だからといって一人でテニスコートに行くほどつまらないものはない。
この時期から俺はパチンコにハマった。(前からやってはいたが)
休日、放課後、授業中を問わずパチンコ屋へゆき、バイトの給料を微妙に削りながら毎日を酒とコンパで過ごした。
が…、それも飽きた。
(俺という人物は何にでも首を突っ込むが長続きしない性格のようだ)
この時期、その事を悟った。
高専も4年生になってから柔道部に入った。
「寮の先輩が勧めたから」
という簡単な理由で、別に思惑があっての事ではない。
気が付くと、試合はテニスに出るが練習は柔道をやる、土日及び連休は自転車に乗るという奇妙なリズムができあがり、これが二年も続いた。
(どうも、俺は「広く浅く」が性に合うようだ…)
そう思わずにはいられない。
ちなみに言っておくが、俺は根性なしではない。
単に飽きっぽいのだ。
とにかく…。
このかたちは卒業まで続いた。
卒業する時、
(もし、俺の学科が制御でなかったら留年しているだろう…)
そう思った。
他の学科へ移った事はないので一概には言えないが、専門的にダァーッとやる勉強であれば俺は挫折していただろう。
ところで…。
高専時代から結婚するまでの7年間、続いた事が三つある。
一つは書きもの。
もう一つはコンパ。
最後は冒険の類(自転車、旅行など)である。
むろん、それぞれがかたちを変えながらではあるが、とりあえず続いている。
思うに、これらは「発見や驚きが頻繁にある」という事が良かったのではなかろうか。
というよりも、
「停滞する時期がなかった」
これが大きい。
新しいスポーツをやると、最初はグーンと伸びる。
が…、数ヶ月ほどで停滞する。(伸びが止まる)
その停滞の事である。
この停滞期を越えれば、最初ほどではないが、また伸びる。
それは分かっているが、停滞期のつまらなさに飽き飽きしてしまうのだ。
その点、書きものは「上手くなっているのかどうか」自分ではよく分からないので停滞というものを感じにくい。
コンパは「新しさ」が毎回あるので飽きようがない。
冒険もこれ然り。
なるほど、続くわけである。
社会人になり、ソフトボール、野球、サッカー、スキー、競輪、競馬…。
会社を辞めてからは懸賞、ウォーキング…。
さまざまなものが「過去のもの」と成り下がった。
現在、俺のハートを掴んでいるものは「温泉巡り」「熊本県探索」、それと前に挙げた「書きもの」「冒険」。(「コンパ」は結婚と同時に箪笥の中にしまいこんでいる)
「温泉」は山鹿という恵まれた基点を利用し、それこそ毎日のように通っている。
この興味は夏の暑さがくるまで、もしくは道子が、
「金がない!」
そう言うまでは続くであろう。
「熊本探索」というのは、今年の9月まで「よかとこ熊本スタンプラリー」というものが催されていて、県内の90市町村(合併前)を全て回ると旅行券10万円分が当たる(抽選)というものが基になっている。
そのスタンプを集めつつ「熊本を知ろう」というのがコンセプトだ。
スタンプポイント周辺の歴史を探り、史跡に寄り、風景を見、じっくりと熊本を回れば、かなりの「熊本ツウ」になれる事は間違いなかろう。
「冒険」というものに関しては、道子が出産のために関東へ里帰りするのを機に、
(日本の街道を歩こう)
そう企んでいる。
予算の関係でどうなるかは分からぬが、希望では豊前街道から山陽道を抜けて京へ入り、琵琶湖沿いを通って岐阜へ、それから東海道を避けて日本橋まで歩きたいと考えている。
最後の「書きもの」、これは前の広く浅い興味を表現する手段にすぎない。
(パソコン片手に日本中を旅して回り、それで生活が成ってゆくならば…)
考えるのは無料なので、じっくり考える事にしている。
このように、
「広く浅く」
そのスタンスがどういった結果を呼び込むか分からないが、今の俺はそのスタンスをけっこう気に入っているのだ。
ちなみに…。
俺の動物占いは「サル」である。
下にその解説をコピーする。
人まねの上手いサルのように、何事も器用にこなせるけど、何しろじっとしているのが苦手なので起きている間は複数の事を同時進行しちゃうくらい活発に動き回ります。しかも、おだてにめちゃめちゃ弱く、褒められると何でもやっちゃう。でも、なぜか恋に対してだけは不器用。カケヒキできない直球勝負型で傷つく事も。恋人には持ち前の明るさで場をにぎやかにし、甘えたりかわいい恋人になります。
また、温泉に入りつつ筑後から来た若者と雑談をしていた時、
「動物占いにはカラーってのがあるんですよ」
その情報を得た。
動物の中に「色」というものがあるらしい。
ネットで調べてみると、俺は「青のサル」であった。
気になる部分だけ下にコピーする。
好奇心が強く、知らないことをそのままにしておけないので、なんにでも首を突っ込んでしまいます。研究熱心で、ひとつの事を深く極めたいという欲張りな面もあります。
理想をすぐに現実にしたい気持ちから、焦りが出てしまい予期しない壁があると失敗してしまう恐れもあります。
(ふむふむ、なるほど)
頷き頷き読み進め、最後、どうすれば成功が得られるかという助言が書いてあった。
まっすぐに、王道を進んでいけば、あまり苦労をしなくても好調にすべてが進んで、必ず成功を得ることができます。
王道…。
それが何なのか非常に分かり辛いが、多分、俺の歩んでいる道は王道からだいぶ逸れているのであろう。
ちなみに、中年と動物占いの話をしている時、横から、
「私は蛇ですが、どんなもんですかね?」
聞いてきた中年がいた。
「蛇なんていうキャラ、おったかね?」
「いやぁ、分からんです」
筑後の若者と頭を抱えたものだったが、よくよく考えるに、中年は干支と間違えたのであろう。
自分というものを知るのは意外にも難しい。
が…、その自分を貫くのはもっと難しい。
今年は俺も27、道子は28になる。
頭が柔らかいうち、学ぶべき事は学んでおきたいものである。
今日も温泉へ行く! (道子執筆:04/03/06)
今日も福山家は温泉へ入るために、山鹿からちょっと離れた南関町まで出掛けて来ました。近場のしっとりスベスベ温泉もいいけど、新しく開拓しよう、ということで、ちょっと遠出してみました。
そこは、「うから館」といってまだ新しく、温泉やレストラン、宴会場もある大きめな施設で、 大浴場と家族風呂があり、福山家は700円の家族風呂に入ってきました。
泉質は、やっぱり山鹿温泉の方がダントツ良く、あんまりスベスベになった感じはしなかったけど、脱衣場は綺麗で、浴槽も広く、700円の家族風呂では珍しくエアコンもドライヤーも無料でシャンプー・ボディソープまで付いていて、女の人には絶対好かれそうな所かな、という感じでした。
レストランで食事はしてないから料理は美味しいかどうかは分からないけど、ふくちゃんに言わせると、「ビールが安い!」と言う事で、うから館ものんびりするにはいい!という場所みたいです。
最近のふくちゃんは温泉から出たらビールを1杯やる、という平日の昼間っから贅沢な、『自由業』とは思えないような贅沢を味わってます。 サラリーマンからしたらなんて羨ましい!と思われるんじゃないだろうか・・
でも、毎日のように温泉へ入って、その度にビールを飲まれたら出費の方もバカにならないので、これからは発泡酒持参で出かけてもらうことにしました!
あ、そういえば、発泡酒で思い出したけど、ふくちゃんの日記を見たお義母さんが日記にまで「俺は発泡酒で我慢する」なんて書いてあるふくちゃんに同情?したのか今度ビールを買って来てくれると言ってました。ふくちゃん大喜び! お義母さんありがとう!!
それから、明日からはうちのお母さんが埼玉から遊びに来ます。きっと明日もお母さんを連れてどこか温泉へと行くだろうから、そしたらお風呂の後の1杯も頂けるかな!?
さて、明日はどこの温泉へと行くのだろうか・・ ちょこちょこと各地の温泉へ入って来たけど、私も1番のお気に入りは山鹿温泉!最近は山鹿の平山温泉が有名で、有名なだけあって本当にしっとりしとしとスベスベ! 見逃したけど今日もまたテレビで特集されてました。
たまに来るお客さまには泉質勝負で、やっぱり平山温泉へご招待かな?
まだまだ福山家の温泉巡りは続きそうなので、ふくちゃんのインフォメーションにもあるけど、私もオススメがあったら日記で紹介したいと思います。
ではでは、また。。
「MICHIKO」という名の設備 (04/03/05)
3月1日から3日まで、北九州の隣・中間市で前会社の手伝いをしてきた。
日給契約で三日。
ま…、それなりの額を貰ったわけで、久々に家計に金を入れもした。
なぜ、俺が前の会社の手伝いをする事になったのか?
顛末はこうである。
2000年。
それは俺が結婚した年であるが、この年に俺がつくった(電気図面を書いた)設備に「後加工レース」という自動旋盤がある。
要は削るもの(通称:ワーク)をクルクル回して、それにバイトを当てるという機械であるが、これが意外にもヒット設備となり、現在、前会社の工場に5台も並んでいる。
この後加工レースができあがるまでには紆余曲折があったわけだが…。
最初は直属上司のSという人が機械図面を書き、こじんまりとしたものができあがった。
Sという人はちょっとした天才肌で、鬼のような速度で図面を書き上げるのだが、天才であるがゆえ変わっており、変わっているがゆえ現場との衝突も多い。
更には、これも天才の一側面というべきかもしれないが、過去のものには触れたがらない人で、
「調整はやってよぉー、ていうか分かんないよぉー」
と、設計者が後ろ向きな姿勢を示すものだから、自然とその設備は工場の端っこに端っこに追いやられていった。
そんな時…。
設計からドラちゃん(仮名)という中堅社員が帰ってきた。
「帰ってきた」と書いたのは、前に生産技術課にいたという意味で、三年ほど設計の方へ修業に行っていたのだそうな。
俺はこの時点で入社三年目だから、ちょうど入れ違いだったという事になる。
ドラちゃんは行き詰まった後加工レースをSから引き継いだ。
ていうか、Sとしては一刻も早く、この設備を視界から消したかったようだ。
「あげる、あげるよぉー、貰ってよぉー」
押し付けるようにドラちゃんに渡した。
ちなみに言っておくが、俺は電気設計をやっている。
この課における電気設計の役割は、電用品を選択し、図面を書き、ソフトを仕上げ、立ち上げるまでをいう。
Sとドラちゃんは機械設計で、電気設計の俺は機械設計の要望通りに仕上げるという事が使命だ。
ゆえ、機械設計が変わるという事は、設備の思想が変わるという事で、延いては大幅な修正(つくり直しと言った方がよい)が必要となった。
ドラちゃんという人はSのような天才肌ではない。
が…、細かい事ができるという点、実に貴重な存在で、旋盤のように精度が求められる設備をつくるという事に関しては適任だったのであろう。
滞っていた問題を順調に片付けてゆき、その改善部分を、
「ここは私の設計です」
そうアピールするかのように違う色にした。
そういうわけで…。
工場の端っこでゴミ化していた後加工レースは、ドラちゃんの活躍により半年ほどで現場に組み込まれる運びとなった。
それからすぐ、この後加工レースをリピートでつくろうという話になった。
が…、リピートでつくろうにも改作に改作を加え、更に設計者まで変わっているので、図面通りにつくっても同じものができあがるかは疑問なところで、
「一から設計する」
そういう運びとなり、ドラちゃんは目が痛くなるほど細かい図面を書き始めた。
そもそもドラちゃんにしてみれば、現在の後加工レース、そのデザインが気に食わなかったのであろう。
前設計者Sの基本姿勢として、
「動けばいいんだよぉー」
それがあり、後加工レースも「そういう見た目」になっている。
これをドラちゃんは根本から改め、売り物のように凝ったかたちにした。
(凝り過ぎばい…)
Sとドラちゃんの中間地点(美的な細かさに関し)にある俺でさえそう思ったし、その図面を見た全ての人が「凝り過ぎ」と言っていたように記憶している。
事実、それは凝っていて、細かい部品一つにしても、
「値段はいい、カッコ良ければ高くていいのだ」
そういうものが選ばれ、フレームなど、それを支える類も以前の倍近い肉をもった。
このドサクサに紛れ、俺も以前から使ってみたかった音楽が鳴る電用品を組み込んでみたり…、俺らしい機能を追加したりしてみた。
前設計者Sの元にあっては、このような事はしなかったであろう。
Sは質素倹約を重んじ(改作費が凄まじいのだが)、何よりもスピードを重視した。
ゆえ、俺にしても無駄(?)な事をする暇がなかったのであるが、これに対しドラちゃんは、
「徹底的に」
これを望む。
ゆえ、機械設計に追従するかたちの俺もそういう風になり、徹底的に、
(俺らしい機能を組み込もう!)
と、燃えた。
まず、設備が動いている間、何をやっているか熊本弁で説明するという機能を設けた。
次に、俺の誕生日5月15日には特別モードで動き出すようプログラムを組んだ。
更に、クリスマスや正月にはそれらしい画面や音楽で動くようにした。
また、作業者が任意に日時を打ち込み、それに合わせて特別モードで動くような機能を加えた。
後、これが最も時間を食ったところであるが、隠しスイッチを設け、偶然にもそれを押した場合、俺と道子の馴れ初めが30分間スライドショーで流れ続け、電源を切らねば消えないという「嫌がらせ」を追加した。
設備の名前は「後加工レース」という固い名前から「MICHIKO」という名に変えた。
新婚だったからである。
また、どうしようもない重大なアラームが発生した時、
「道子、困っちゃうアラーム」
「道子、なんだよぉーアラーム」
そのようなアラーム画面が現れ、泣いた道子の写真が出るという具合にした。
この時期、俺は毎夜午前2時くらいまでパソコンと向き合い、仕事(?)をした。
真夜中の工場で、
「むふふ…」
一人孤独に笑いつつ、黙々とプログラムを打ち込んでいる姿は、夜勤の兄ちゃん達から見れば、さぞ怪しかった事だろう。
音楽に合わせてエアシリンダや可動部が動くようタイムウォッチを用いて測定、それをプログラムに打ち込む。
それを走らせると、設備が体全体を用いて俺の誕生日を祝ったり、クリスマスを祝ったり、俺と道子の馴れ初めを紹介したりする。
それを満足気に眺めた後、
「ありがとう、ありがとう…、いい出来ばい…」
涙声で返す俺。
あの頃の仕事は本当に楽しかった。
ドラちゃんしても同様であろう。
金を思うさま使い、思うさま自分好みに設計したのだから…。
さて…。
後加工レース「MICHIKO」ができあがったのは、2001年も終わりの頃だったと記憶している。
肝心の切削もうまくいき、現場の受けも良かった。
Sとドラちゃんの合作、その一号機の隣に新作の二号機、三号機が並ぶ。
いや…、一号機の方は「試作機」という名に変わっており、新作から一号機、二号機と追い番が振ってあった。
新作の値段は一台800万弱。
試作機に比べると300万ほど高い(改作費で300万以上かかっているが)。
新作は北九州の隣・中間市でつくった。
立ち上げの時には中間へ出張しなくてはならなかったため、九州好きの俺にしてみれば、大変ありがたく、
「遊び過ぎるなよ」
出張のたび、上司に釘を刺されたものだ。
それから試作機を含めた三台の後加工レースは順調に切削を重ね、
「ここ10年間では一番のヒット設備」
失敗が多いからかもしれぬが、そのような評価も受けた。
一年後には更に三台、MICHIKOが追加された。
この際、試作機はお役御免、部品取りとなった。
それから、五台の後加工レース「MICHIKO」が工場で稼働している。
ある日…。
「すいません! 後加工レースが暴走してます!」
電話がかかってきたので行ってみると、五台のMICHIKOが俺の誕生日を祝い、見事な舞いを見せていた。
(そうだ…、今日は俺の誕生日だった…)
それでその事に気付き、慌てている作業員に、
「気にせんで下さい。これは誕生日モードで動いているだけなんです」
説明し、「危ない」と言ってきた職長には、
「安全にはじゅうぶん配慮しています」
そう言ってドアを開け、機械がピタリと停止するところを見せてやった。
見せてやりながら、
(本物の道子は俺の誕生日を忘れているが、機械は忘れない…)
複雑な気持ちになった。
新婚時の熱い衝動に駆られ、今思えば恥ずかしい機能をたっぷりと付けたものだが、
(変わってゆく嫁と違い、こちらのMICHIKOはいつまでも変わらん…)
そう思うと、無駄ではなかったようにも思う。
ふと、30分流れ続ける隠しスイッチの事を思い出し、若手の社員に、
「俺と嫁さんの馴れ初めが画面に流れた事なかね?」
聞いてみると、
「見た事ありますが、他の作業員からそれを見られて遊んでいると思われては困るので、すぐに電源を落としました」
そういう返答が返ってきた。
「なるほど、そこまでは考えが及ばんかった、ごめん、ごめん」
俺は笑って謝り、
「せっかく来たから」
と、三号機からの新機能、好きな歌ダウンロード機能を用い、さだまさしの歌を入れてあげた。
新機能では携帯電話のメロディーファイル(三和音まで)をダウンロードする事ができ、流行の歌を流す事もできる。
音楽の流れるタイミングは切削の完了時、設備の立ち上げ時で、日に何度も鳴る。
ゆえ、
(飽きないように)
と、追加した機能であったが、
「福山は選曲が悪い」
と、現場に不評で、「さだまさし」は特に受けが悪かった。
それから二年が経ち、俺は退職する事になった。
さすがに俺と道子のスライドショー(隠し機能)を残してゆく事は慮られたので、それと道子アラームは消した。
「もう二度と会う事はないだろう、MICHIKO…」
思い出が多い設備だけに、ちょっとグッときた。
他にも昔の彼女の名を付けた設備が工場の至るところに転がっている。
その数、10に及ぼうか。
が…、そのほとんどはどこかで埋もれており、MICHIKOほど活躍した設備はない。
中には、
「特急でつくれ」
そう言われ、数日間、徹夜を繰り返してつくった「耐久試験機」なるものもあるが、それなどは300万近くかけているのに、日の目を見る事なく、設備置き場で埃をかぶったままだ。
昔の彼女の名を付けているので、
(なるべくなら使って欲しい…)
設計者の俺がそう思っているところが、このネーミング付けの理由、自分がつくったものを愛せるという点、成功であろう。
さて…。
そういった経過を経て、先月、
「MICHIKOを二台、追加製作するから出て来ないか?」
と、前会社が俺に声をかけてきた。
俺は「行きたくない」と言い張ったが、道子が、
「稼いできなさい!」
そう言い出したので受ける事にした。
これにて、二度と会う事はないだろうと思った設備に8ヶ月ほどで出会う事になってしまった。
中間市にいた真新しいMICHIKOは前のMICHIKOと何ら変わりはなかった。
ただ中身をパソコンで見ると、退職時に俺が消した部分は消されたままで、それだけが何となく悲しくもある。
俺が呼ばれた理由は、
「MICHIKOの立ち上げ方法をK君に教えてやってくれ」
というもので、機械設計者のドラちゃんが若手の派遣社員を連れてきている。
立ち上げの手順は教えられる。
現に、三日という日数をかけ、じゅうぶんに教えたつもりだ。
が…、この設備に対する「思い入れ」だけは教えたくても教えられない。
ところで…。
相磯さんという現在65歳の爺様がいる。
むろん定年退職して、現在は悠々自適の生活を送っておられるのだが、俺はこの人の後釜という名目で生産技術課に入った。
後釜ではあるが、この相磯さんに教わった技術的な事は少ない。
が…、相磯さんのやっている事を見て、
「なるほど」
仕事のやり方として感心した事はある。
それは「自分がつくったものを擬人化し、しこたま愛す」という方法である。
納会の時には設備と一緒に酒を飲み、
「一年間、お疲れさま」
という労いの言葉をかけ、
「来年も頑張れ」
そう言いながら優しげに撫でてゆく。
設備が壊れた時には、
「どうしたのぉ、病気なのぉ?」
我子に話し掛けるような口調で語りかける。
この相磯さん、酒を本当に機械に浴びせ、壊した事もあった。
自分だけしか分からないタイミングでプラグラムを組み、
「自分だけしか分からないから愛着が湧く」
と、わけの分からぬ事を言ったりもした。
が…、そういった相磯さんだけに、目から鱗のセリフを吐いてくれもした。
「自分がつくったものを愛せんで、何が愛せようか」
これが相磯さん口調になれば感動が著しく削られてしまうのだが、その口調を省き、冷静に考えると胸にジィーンとくるものがある。
久々に会ったMICHIKOは、その相磯さんの言葉を思い出させてくれた。
さて…。
感動がくれた産物は、その晩の飲み代となり、俺の手元からは綺麗に蒸発したわけだが、そうなると家では激怒した道子が待ち受けている事になる。
「使いすぎだよぉー! 何やってんだよ、馬鹿ー!」
「マイナスになっとらんけん、よかろもん」
「馬鹿、馬鹿ー!」
この流動的なかたちが実像であるならば、MICHIKOはまさに不動の虚像であろう。
新婚時のかたちがそのまま残っている虚像である。
「MICHIKOはそう、結婚式の写真のようなものだ」
と、俺は小声で言う。
昔の彼女の名を冠した設備がことごとく消え去っていった中で、MICHIKOだけが残ったのには何か理由があるのかもしれない。
五台のMICHIKOは今日も埼玉の工場で忙しげに働いている事だろう。
今月には、二台のMICHIKOがそれに加わる。
(なるべく長く働き続けて欲しい…)
と、切に願う。
ちなみに…。
熊本の道子は奥様クラブ「とことこ」へ行っている。
今日は奥様クラブが昼で終わりらしく、昼からは仲良し奥様衆と公園で遊ぶのだという。
今日の熊本は、寒いが天気はいい。
窓からは白い帽子をかぶった阿蘇の山々が見える。
流動的な実像もなかなか乙なものだ。
今日はこれから温泉へゆき、ゆったりと浸かり、それから焼酎を割るための湯を汲んでこなければならない。
それから文章を書いて、本を読んで寝るという流れ。
明日は義母が埼玉から来るので、その相手。
来週になれば和哉が九州に帰ってくるらしく、その相手。
流れ流れる毎日に、かたちとして何かを残すという事は非常に難しい事のようだ。
5ヶ月 (04/02/28:道子執筆)
早いもので、私の「秋ちゃん」妊娠も、5ヶ月目に突入した。
風邪に始まり、出血、嘔吐、下痢と、今回は不調な滑り出しだったけど、とりあえず安定期に入り、手足も元気に動き回るところまで成長した。
お腹の方は、だいぶ妊婦らしく膨らみが出てきたけど、まだ傍から見たらジーパンもはいてるし妊婦だとは気付かない人もいるくらいの出である。
なぜか今回の妊娠は嬉しいことに?体重が減り、ちょっと痩せたりしている。 5ヶ月に入った今でも、妊娠前より2〜3キロは痩せたままである。 だからか「太った!食べ過ぎたよー!」と言ってたときよりも、お腹が出てないんじゃないか・・ってくらいである。
ただ、胸の方はというと、ちゃんと妊婦らしく、妊婦の胸になってきているのである。これは、妊娠経験のある人、その旦那にしか分からないかもしれないけど、大きくなって嬉しい!と思う反面、あまり美しいとは言えない、そんな胸なのである・・。
これから、犬の日(安産を願って腹帯を巻く)があって、「秋ちゃんが動いたー!」なんて感動の日もやってくるかもしれない。 お腹が苦しくて眠れないよーなんて日もだいぶ先に来るかもしれない。
「2人目は出産が楽」と聞くけど、春の時より楽な出産があるのだろうか・・と思いつつ、そうなる様に適度に運動もして、食事にも気を付けて、まだまだ先の長〜い妊娠生活、のんびりと楽しんで行きたいと思う。
とりあえずは、下痢で救急車に乗ることだけはないように気を付けて・・。
発泡酒でいいんです (04/02/27)
数日前…。
何気なく昼飯を食っている時、聞き捨てならぬ声を耳にした。
「これですよ、これ。こういったところから節約してゆくのが効くんですよ」
テレビの声である。
時刻は昼飯を食っている頃だから、午後1時くらいであろうか。
道子がよく見ている「愛の劇場」の前なので、俗にいう「奥様番組」と呼ばれるものであろう。
たまたま見たのは、その番組の中の「お宅の家計をチェックします」というコーナーで、庶民の家計簿を専門家がチェックするというものであった。
スタジオに、とある家庭の家計簿(収入と支出が描かれた大きなパネル)が登場し、それに専門家が「あーだこーだ」と指摘してゆく。
出演していた家庭の手取りは40万円と書いてある。
(そんなに貰って何を相談する事があるのか?)
俺は呆れつつ道子手製の炒飯を頬張り、テレビに耳を傾けた。
「足りないんです」
多分、嫁であろう。
中年の女性がそう呟いた後、
「毎月赤字で貯金を切り崩して生活しています」
実に嘘臭い三流役者の涙声を放った。
こんな番組を見るつもりはなかったが、その一言で、
「40万も貰っておいて、その言い草はなんやぁー!」
番組に食いついてしまった。
専門家は家計簿をチェックしつつ節約ポイントにチェックマークをつけてゆく。
出演している家庭は都内にマンションを購入したばかりの結婚六年目の家庭という事で、ローン返済が月々12万円弱もあった。
家族の構成は都会にありがちな三人家族(子供一人)で、その全員がテレビに映っている。
その内、嫁だけが専門家の質問に答えているわけだが、
「何で、こんなに苦しいローンを組んだの?」
という質問に、
「前に住んでいたマンションが不便だったから便利なところに移ったんです」
と、少々ズレた回答を返し、更に、
「前に住んでいたところは近くにコンビニもなくて、駅まで徒歩15分もかかったんです」
余計な事を延々と語り出し、
「三年しか住んでいない前のマンションを買った時の半値で泣く泣く売り払い、現在のマンションに移ったんです」
顛末を一人で語り終えてくれた。
俺は唖然としてそれを聞いた。
(凄い理由で引越しをするなぁ…、それに嫌な嫁…)
その事であった。
が…、甘い。
彼女の話はまだまだ続く。
のってきた嫁は、
「子供ができ、将来的には子供部屋もつくらねばならないから」
「それに、キッチンが狭くて使い辛かった」
などなど、聞いてもいない事を延々と喋ってくれた後、
「どうせ移るなら早いうちに」
と、駅もコンビにも近い、広めのマンションに移ったのだと説明。
この間、旦那は無言。
絶えず下を向いている。
(この旦那、何で番組に出る事を賛成したんだろう?)
だんだん腹が立ってきた。
公共の電波を独占している「嫁に」である。
野放しの嫁は下を向いた旦那の肩を思いっきり叩き、悔しそうに、
「ボーナス時には40万も払うんですよ! もぉー!」
獣のように叫んだ。
呆れた。
俺は完全にこの嫁のふてぶてしさに呆れ果てた。
(道子で良かった)
不覚にも、そう思ってしまったほどだ。
そして、その裏では、
(幾らのマンションを買ったんだ?)
と、この家庭が買ったマンションの価格を計算した。
30年ローンで計算したところ、5000万を優に超えた。
「こいつら馬鹿だ、マンションにその金はもったいにゃーぞ…、なぁ、道子」
隣の道子に相槌を求めると、有名人の司会者が、
「それくらいのローンは普通にあるだろうけど、収入に対してちょっと高いね」
意外にも「普通」という言葉を持ち出した。
(む…)
出鼻を挫かれた感じでテレビの方に視線を戻した。
専門家チェックのポイントは他にも色々なところをついている。
食費の5万円。
旦那への小遣いの5万円。
光熱費の数万円。
電話料金、携帯電話の数万円。
福山家とは明らかに桁の違う出費で、あっという間に収入の40万円がなくなっているようであった。
その中で、専門家が特に目をつけた点が一点。
「他、7万円」
確かに気になる。
オマケ的出費にしては確かに多過ぎる。
(何だ?)
集中していると、嫁がこれの説明をするべくアップで映った。
「昼間にデパ地下でケーキを食べたり、お茶したり、週末に外食したり…」
嫁は恥じる事なくそういった呪文を唱え、
「とにかく、子育ての必要経費です!」
開き直って、そう言い締めた。
俺は「金銭に緩い」と人に言われている。(自分では厳しいと思っている)
が…、そんな俺でさえも、
「喝!」
言いたくなる、見事な駄目嫁であった。
専門家は食費5万円を3万円に落とすところから指摘し始め、次いで電話代の節約、他の削減、ついには聖域である旦那の小遣い5万円を3万円に落とすという荒い指摘を行った。
「40万も稼いでるんだけんが小遣いは減らさんでやってくれよぉー」
一言も喋らず、置き物のようにしている旦那を気の毒に思った。
旦那は悲しそうに下を向き続けている。
そんな旦那が、
「え!」
という感じで顔を上げ、泣きそうになった瞬間が一度だけあった。
それが冒頭で述べた「聞き捨てならぬ専門家の言葉」である。
「これですよ、これ。こういったところから節約してゆくのが効くんですよ」
この言葉は食卓に上がる「ビール」に向けられた言葉であった。
この家庭は月額1万円をビールに使っているらしい。
旦那は焼酎も酒も飲まず、ビールを大瓶一本、毎晩飲むらしい。
大瓶一本だけだと1万円はいかないので、多分、一万円にツマミ代も含まれているのであろう。
(いいではないか、40万も稼ぐ旦那の「楽しみ」なのだから)
それが俺の見解である。
が!
専門家は、そこに聞き捨てならぬ言葉を投げつけた。
「発泡酒にしろ」
そう言ったのだ。
ふざけた専門家だ。
無遠慮にもほどがある。
「そこは違う! 改めるべきところは他にあるじゃにゃー!」
俺はテレビに向かって叫んだ。
「映ってる旦那! 何か叫べー! 世の男性諸君を守るために何か叫べー!」
旦那は嫁に弱みでも握られているのであろうか。
一瞬だけ顔を上げ、悔しそうな顔をしたが、また下を向いて黙り込んだ。
旦那がカメラを見た瞬間、俺と目が合った。(当たり前だが…)
「旦那ー!」
公共の電波を通じ、俺と旦那の中に「粘性を持った何もの」かが流れた。
そんな男の世界を知ってか知らずか、テレビは何事もなかったかのように次の話題に移った。
腹の立つ嫁が、
「分かりました、発泡酒にします」
そう言い、俺の嫁(道子)までも、
「やっぱ発泡酒だよぉー」
そう言い出した事が、あの旦那に更なる親しみを覚えさせた。
旦那の手元はきつく拳を握っている。
見えはしないが、細かく震えているに違いない。
心の中では泣き叫んでいるに違いない。
「分かる! 旦那の苦しみが俺には分かるよぉー!」
その事なのであった。
ところで…。
今日の読売新聞に、県別の所得ランキングが出ていた。
所得1位が東京なのは言うまでもなく、最下位の沖縄も揺るぎない。
その差は約二倍。
つまりは金銭感覚にも二倍の開きがあるという事になる。
ついでにいうと、前に住んでいた埼玉は16位、熊本は34位。
ま…、そんなものであろう。
ちなみに、前に書いた馬鹿嫁(道子の事ではない)の家庭は東京の出である。
東京の平均所得は420万。
二位の愛知350万をぶっちぎり、ダントツの1位である。
なるほど。
そう考えると、あの家庭の奇妙な家計簿が変というわけではないのかもしれない。
(熊本と東京は金銭感覚が1.6倍以上違うのだ)
俺が変だと思った感覚は向こうからすれば変でなく、向こうから見れば俺達の方が変。
平成の日本を、昭和40年代の日本人が見たような感覚。
この差はまさにそれなのだ。
これが更に広がり、10倍くらいの差がつけば、
「これでチロルチョコでも買え」
と、もらった金で、あるところではポテトチップスが買えるという具合になるのかもしれない。(金銭差を実感できるのは不動産や野菜などで、菓子を例に出すのは適当でないが)
ちなみに世の流れとして、都会で稼ぎ、ある線まで貯め、それから田舎に移るという人が増えてきているらしい。
俺の家のそば、平山温泉にもそういった人を迎える施設(温泉付き宅地)が多く、県外の人が余生を過ごす場所として移り住んできているようだ。
賢い生き方だと思う。
都会で生活を続けていれば、その蓄えが田舎では二倍の意味をもつのである。
「が…」
その「が…」がどうしても俺には捨てきれなかった。
子育ての事を思えば。
ふるさとの事を思えば。
近くに温泉がある事を思えば。
星が綺麗な事を思えば。
「ええい!」
田舎を知る者は、都会を捨てて田舎へ帰りたくなる瞬間が必ず来る。
俺はその衝動に負け、金銭的な「賢さ」を捨ててしまった。
ちょっと先を考えるに…。
花鳥風月を26歳から楽しんでいるツケは確かに恐ろしい。
(どうなるのか…?)
怯えつつも、
(正しい選択だ!)
「心に良い」と胸を張れるところもないでもない。
関係ないが、40万も稼いで発泡酒を飲まされる男、無収入で発泡酒を飲む男、この二種を思うに…。
どちらも悲しいが、後者の方が男らしい感じがしないでもない。(あくまでイメージ)
ああ…。
俺は明日も温泉へいき、そして文字を書くだろう。
(先…、将来…)
その事を考えると、微妙な不安が襲ってくる事は否めない。
が…、この方向を選んだ以上、
「前向きに突き進むしかない」
と、自分に言い聞かせるより他はない。
冷蔵庫を開けた。
キンキンに冷えた発泡酒が入っていた。
飲みながら都会の空の事を思った。
ビールの蓋を開けた瞬間、ピュアな思いが溢れ出た。
(都会の奥様達よ…、せめて…、せめて旦那には本物のビールを飲ませてやって…、俺は発泡酒で我慢するけん…)
この思いは限りなく純粋にできていて、限りなくモルツ(麦100%)に近い。
今日の熊本も、ゆったりとした時間が流れている。
来週頭から三日間は、前会社に雇われて北九州の隣・中間市へゆく。
久々にサラリーマンに戻り、本物のビールが飲めそうである。
消えた五千円 (04/02/20)
今週は月水木金と温泉に入っている。
が…、
(明日は止めとこ…)
悔しいが、そういう運びにならざるを得ない。
温泉も、タダではないからだ。
道子の声も痛い。
「信じられない! 何やってんだよ、馬鹿ー!」
俺は何も言えず、ただただ沈黙を続けるのみ…。
今日…。
温泉で五千円という大金を盗まれた。
事の顛末はこうである。
朝9時半に春と二人で家を出た俺は、菊池川の河川敷をゆるゆると、山鹿の中心街に向かって歩いた。
ダイエットのためである。
家族全員が俺の事をデブ扱いし、
「福ちゃんの首はどこ?」
「笑えるなぁ」
「減肥茶を飲みなさい」
けちょんけちょんに言われ、運動せざるをえない状況に陥ったのである。
実家から山鹿の中心街までは3キロ弱。
それをたっぷり一時間かけて歩き(春がいるから)、車で俺達を追いかけてきた道子に春を渡した。
春と道子は、これから奥様クラブ。
俺は徒歩にて地元散策である。
まずはボサボサに伸びていた髪を切るため、行き付けの床屋に向かった。
それからパチンコ屋へと場を移し、500円だけ平台を打ったが一回も鳴かなかったので、
(運がない…)
諦め、山の方へ山の方へと歩いた。
山鹿というところは盆地のため、少し歩けば山道に出くわす。
飯を食った後、その山道を踏みしめ、水源や神社などを回った。
二時間ほど歩いたろう。
それから恒例の温泉へ浸かるべく、Hという旅館へ向かった。
Hは馬鹿広い内湯を持つ大型旅館で、学生時代、俺の行き付けだった温泉だ。
泉質は良くないが思い出は多い。
「なつかしかねぇ」
昔を思い出し、ゆっくり浸かった。
それから脱衣所に出、
「ふぅー、暑い暑い!」
次から次に噴き出す汗を拭きつつ棚に向かい、バスタオルを取り出そうとした時、ふと、俺の財布が目に付いた。
(ありゃ、出しっぱなしだ…)
財布は棚の目に付くところに置いてあった。
(ジャンパーのポケットに入れてたはず…?)
わざわざ目に付くところに財布を置く馬鹿はいない。
ましてや用心深い俺の事である。
(変だ…)
そう思って財布の中を見た。
と…。
札入れに入っているはずの新渡戸稲造さんがいなくなっているではないか。
いつもは小銭しか持っていない俺だが、この日に限って札を持ち合わせていた。
道子と別れる時、
「大きいのしかないよー! 腹立つー! おつりはちゃんと返してよね!」
と、一万円札を渡されたのだ。
それから髪を切り、飯を食い、ジュースを飲み、パチンコをしたため、持ち金は5000円ちょっとになった。
間違いない。
新渡戸稲造が入っていたはずなのだ。
が…、小銭しか入っていない。
(盗まれたか?)
犯人は現場に戻るという。
辺りを窺いつつ財布の中をチェックをした。
財布の中には免許証、クオカード、図書カード、テレホンカード、パチンコ屋のカード、色々なものが入っているはずだ。
幸い銀行カードやクレジットカードは持たさせてもらってないので、財布丸ごとを盗まれても大した損害はない。
が…、盗まれれば痛いという事には何の変わりもない。
もっとも高価なものはクオカードだけで、まだ4000円ちょっと残っている。
財布を開けるとそれが見えた。
2000円くらい残っている図書カードも見えた。
それでいて、200円くらい残っていたテレホンカードがなくなっていた。
免許証や会員カードの類は無事だったようだ。
小銭に手を付けている様子もない。
つまり、犯人は五千円とテレホンカードを盗み去った事になる。
(犯人は若いものではない…、年寄りか…?)
犯人はクオカードや図書カードを知らなかったのだろう。
テレホンカードのみに手を付けているところが何とも年寄り臭い。
(ものを盗みそうな年寄りがいたか…?)
風呂場にいた連中を思い出してみた。
平日ですいていたので、人数は10人くらいだったろうか。
大半が年寄りで、若者と中年がチラホラいたように思う。
財布ごと持っていかなかったところを見ると、若者の急ぎ働きではなく、手慣れた常習犯の仕事であろう。
腹は立つが、手口に優しさが見える。
(生活に困った老人か…?)
フル回転で考えたが「こやつだ!」という人物がどうしても浮かばなかった。
その代わり、8年ほど前に体験した「苦い思い出」は鮮明に蘇ってくれた。
あれは学生時代…。
男三人でこの風呂へ来た時の事だ。
風呂から上がると、俺のものが全て、棚から消え失せていた。
俺はスッポンポンで脱衣所に立ち尽くし、
「ない」
そう呟いた。
金は200円ほどしか持っていなかったので、損害金額としては200円でしかない。
が…、脱いだ服、替えの服、それらが持っていかれたのは痛い。
痛すぎる。
「帰る事もできん…」
その事なのだ。
スッポンポンの俺が持つものはタオル一枚。
その横で友人達が腹を抱えて笑っている。
「俺達は先に帰るけん! 福山はゆっくりしていけよ!」
「笑えるー!」
俺は笑えなかった。
ジッとしていてもしょうがないので、友人の一人にパンツを買いに行くよう命じ、
「金は立て替えとって」
頭を下げた。
もう一人の友人には番頭さんを呼んでこさせ、
「着替えを盗まれました。浴衣を貸してください」
そうお願いし、ひとまずノーパンに浴衣という極めて危険な格好でパンツ係の帰りを待つ事にした。
この間、「悪戯」という事について考えてみた。
世の中には色々な悪戯がある。
原付の鍵穴に接着剤を流し込まれ、家に帰れなくなった事もあった。
シートにウンコが置いてあり、その上に思いっきり座った事もあった。
が…、温泉における「丸ごと盗難」という悪戯に比べれば、
(かわいいものだ…)
そう思う。
そもそも悪戯の目的は「相手が困り果てる」という現象を楽しむ事にあるのだろう。
悪趣味としか言いようがなく、実に腹が立つ。
今回の一件にしてみても、裸で立ち尽くす俺の事を想像し、誰かがどこかで満足気に笑っているに違いない。
(くっそー、俺の使用済みパンツを盗んで何になるのか?)
何にもなるまい。
単に、俺を困らせたかっただけなのだ。
犯人は多分、人差し指と親指で、汚物を持つ格好で俺の全てを奪って行ったのだろう。
そして旅館を出るやすぐ、どこかに捨てたのではなかろうか。
手の空いている友人に駐車場を探してもらった。
が…、何も見付からなかった。
俺は浴衣のみを身に纏い、休憩室の端っこで小さくなった。
悔しくて悔しくてしょうがなかった。
悪戯をやった連中からすれば、この俺の反応こそ、大成功といえるのだろう。
耐え難い屈辱感に満たされた。
が…、どうする事もできない。
むしろ、
(敵ながら凄まじい悪戯を考えやがった…)
と、相手の実力を認めずにはいられない。
思うに、「温泉で服を持ち去る」という悪戯ほど、破壊力のある悪戯はなかろう。
困るどころの話ではなく、行き場がなくなってしまうのだ。
さて…。
身悶えているうちにパンツ係が帰ってきた。
「遅くなったな」
「悪いねぇ」
パンツを受け取ると、すぐ脱衣所に駆け込んで装着した。
周りの目が痛かった。
けっこう時間が経っていたので周りの人も事件に気付いたらしく、
「かわいそうに…」
という目で俺を見ている。
浴衣の俺は、その目を避けるように旅館を出た。
帰り際、
「お気の毒様です」
番頭さんが深々と頭を下げてくれた。
後ろでは友人二人がまたまた笑い転げている。
「パンツが透けとるぞー!」
友人が買ってきたパンツは、尻に「LOVE」という文字、前にはハートマークという斬新なデザインであった。
「死ぬー、死ぬー!」
友人二人は駐車場を転げ回った。
聞くに、パンツ係の帰りが遅かったのは、笑えるパンツを探していたからだという。
そういったシャレは俺の好むところだ。
ゆえ、笑われる事を分かって斬新なパンツを装着したし、笑い転げる友人を、こちらも笑って許せた。
が…、一点だけ許せないところがあった。
このパンツ、サイズが「S」だったのである。
「食い込んどる、食い込んどるー!」
友人はそう言って笑ったが、これだけは腹が立った。
「歩くたびに尻が痛いんじゃー!」
その事であった。
以上…。
苦い思い出ではあったが、この事を思い出し、
(この旅館とは相性が悪い…)
その事を思った。
(二度と行かん)
そうも思った。
今回の五千円事件は前回の悪戯とは違い、明らかに盗難事件である。
ゆえ、まずは番頭に事の顛末を語った。
「怪しい老人が出てこなかったか?」
本当はそう聞きたかったが、老人と決め付けて話すのは、番頭も老人だけに心苦しい。
ゆえ、
「この盗難事件をどう片付けたらいいか?」
その事を問うた。
番頭が言うに、
「お客さんがコインロッカーを使わなかったのが良くない。それに、脱衣所における盗難は旅館が責任を持つところではない」
との事で、
「確かに」
と、頷かざるを得ない回答である。
「お騒がせしました」
そう言って旅館を出た。
旅館から家までの距離は2キロ。
徒歩で来ているので、徒歩で戻らねばならない。
行き同様、菊池川の堤防を歩いた。
帰路、
「財布が無事だっただけ良しとしよう」
「今回は服も無事だったではないか」
自分自身を励ましつつ歩いた。
「たかが5000円ではないか」
そうも言った。
が…、
「5000円か…」
ふと、道子の顔がモワンと浮かんだ。
「馬鹿、アホ、デブ、首なし! 何やってんだよー、マヌケ!」
道子から、様々な罵倒が飛ぶであろう。
その道子と、
(俺は、どう渡り合えばいいのか…?)
多分、沈黙の一手しかあるまい。
キラキラ輝く菊池川を自転車専用道路にかかった小さな橋で渡る。
下水処理場の横を抜ける。
サイクリングセンターがある丘へとゆく。
家がどんどん近くなってゆく。
ふと、怯えている俺に気付いた。
「たかが5000円ではないか!」
何度も何度も言い聞かせるも、福山家にとって重い5000円である事には変わりない。
集団墓地が見えた。
道子がいる家は、すぐそこにある。
2月のお出掛け・バイキング! (04/02/18:道子執筆)
今日、毎度お馴染み、「ぽかぽかママ」たちと、イチゴデザートバイキングに行って来ました! 場所は山鹿市から車で25分くらい行った所にある、玉名市の「司ロイヤルホテル」というところ。
前に新聞の折込チラシにこのバイキングの案内が入ってて、それをぽかぽかママ達に「行かない?」と見せて誘ったところ、「行く!」と即答で返事をもらい、あっちにもこっちにも声を掛けたところ、集まってくれたのは7名! プラス、子供もほとんどのママが連れてきてたから総勢13名でお出掛け! しかもみ〜んな女!!
バイキングの内容はというと、900円で14:30〜16:30まで、ドリンク付き。
みんな昼ごはんを軽くしてきたりと、結構気合も入ってたみたいで、私もホテルに着くなりかなりワクワクしてたけど、デザートを見たら、「アレ?」と一瞬思ってしまうような、ちょっと寂しいかな〜という感じの並びではあった。
もっと中心に、これでもかー!と並んでるのを想像してたから・・。
(やっぱりこういうのはチラシの写真の方が豪華!)
それでも、ムースやゼリー、スポンジケーキにタルトケーキと種類は8種類くらいあって、味はなかなか美味しく、さすがに全部食べようと思うと、胃にドッカリ来るようには出来てて、みんな途中から手は止まってしまった。
私も、もっといけそう!と思ってたけど、これがなかなか・・ (ちょっと遠慮したかな!?)
贅沢言えば、イチゴデザートなんだから、ミルフィーユがあって、冷たいアイスも用意されてれば良かったのに! 残念!!
そして、今日の春はというと、無料だからと遠慮する事もなく、大人に混じって黙々食べる始末。 子供の中ではダントツに食べてたでしょう。。
これでまたホッペの肉が付いたかな。 反省反省。
ぽかぽかママ達、今日のお出掛けはどうだったでしょうか?? みんな楽しんでくれたかな?
なんとなく、毎月の行事となってきているぽかぽかママの外での集い。
また来月も何か企画して、一緒にお出掛けしましょう!!