論客登場 (04/04/26)

 

例の温泉・眺山庭、その露天に浸かっていると、一人の老人が現れた。

頭は禿げていて、挙動は忙しく、

「いやぁ、今日は露天日和ですなぁ」

その声も、何となく軽かった。

妖怪でいうと、ちょっとネズミ男っぽい老人であったが、腹部と腿にある大きな傷が、その軽さを打ち消しているように思われた。

「ふぁー、よか湯ですなぁー」

老人は、芯から気持ちよさそうな声をあげた後、

「あたはどこから来なすったな?」

定番の声を掛けてきた。

「すぐ近くからです」

笑いながら返すと、老人は、

「そぎゃんですかぁー、よかとこに住んどんなはるですなぁー」

そう言いつつ、俺の顔を舐めるように見つめてきた。

老人は、

「長湯するためには、長話ばせんといかんですもんなぁ」

そう言うと、今日の天気は雨で、こういう時こそ露天に入るべきだとか、短歌に凝っていて、最近、歌会に入ったなど…、大して面白くない話を永延と喋り始めた。

俺も話す事が嫌いでないし、確かに長湯するためには話す事が第一だとも思っているので、それに付き合った。

30分ほど経った頃であろうか。

老人は俺に慣れてきたのであろう、俺という人物の第一印象について語り始めた。

「気を悪くされるかもしれませんが」

そう前振りし、

「どうしようもない遊び人に見えました」

老人は、そう言った。

(ギャフン!)

心の中で、ずっこけてしまったが、

「いや、その通りです」

大人の俺は、その老人の話を笑いながら肯定した。

すると、

「いい若者が昼から温泉に浸かっとるし、こう言っちゃなんですが、おたく、白くてふくよかだけんが、申し訳なかばってん、遊び人と思ったとです。ばってん、話ばするうちに、こらぁ、ちょっと違うばいと思いました」

老人はそう言いつつ、何やら物思いに耽り始めた。

喋り続けていた老人が一息ついたので、俺もやっと一息つけた。

「ふぃー」

虚ろな表情の老人を前に、俺は湯に肩まで浸かり、温まった事を確認すると、

(さ…、逃げようかな…)

と、腰を浮かした。

が…、老人は、俺の行く手を遮るかの如く、前方に、ズンと立ち塞がった。

老人は股間を隠す事なく、腰に手を当て、仁王立ちの姿勢を保っている。

そして、

「見てください」

そう言った。

むろん、俺は「股間を見ろ」そう言われたものだと解釈した。

「は、はぁ…」

恐縮しつつ、そのものを見た。

老人は仁王立ちの状態で語り始めた。

「この傷は、学徒動員で福岡の炭鉱で働きよる時にできたもんです。なんかが爆発して、その破片が腹に飛んできたとです」

老人は腹にある傷を触りながら、俺の目を強く見据えた。

「あ!」

俺は勘違いに気付くと、照れ隠しのため、

「ほぉー、そうですか、そうですか!」

大袈裟な声を上げ、その傷をまじまじと眺めた。

傷の事は気付いていたが、じろじろ見るのはよくないと思い、触れずにいたのだ。

ヘソの隣に、同じくヘソのような窪みがあり、皮膚を螺旋状に巻き込みながら内臓へ入っているような傷だ。

弾痕のようにも見えた。

腿にも同様の傷があった。

「腿の傷は空襲でできたもんで、これも何が飛んできたかは分からんとです。ドンって鳴って、気が付いたら足が熱ぅなっとって、何かが腿を貫通しとりました」

俺はゴクリと喉を鳴らしながら老人の傷を間近に見た。

手の指も二本、先の方がなかった。

「これもですか?」

問うたら、

「あ、これはトラクターで切ったとです」

違ったようだ。

とりあえず老人が言うに、

「私は生きているのが不思議なくらいなんです」

らしいが、傷を見ればそれは分かる。

細かい傷も無数にある、傷だらけの老人であった。

これを老人は、

「我武者羅に生きてきた証」

そう言って、悲しそうな顔をした。

それから、老人の話は、

「現代の若者は呆けている」

という、お馴染みの話に流れていこうとするのであるが、軌道が変わり、

「自分たちの世代は大きな失敗をした」

という、稀な方向に入っていった。

「我武者羅に生きてる時ってのは、ろくな事をしよらんもんだと今更ながらに思います」

老人は何度も何度も自分の言葉に頷きつつ、

「そういう時には周りが見えとらんけんですねぇ」

そう言った。

「盲目的に突っ走った時代の弊害」

そういう題目で、老人は懇々と語り、

「あたはどぎゃん思いなさる?」

爛々とした瞳でそう聞いてきた。

回答には時間が必要であった。

日本における「我武者羅な期間」といえば、戦国、幕末、大戦後、こういった混乱の時期であろう。

それを思い浮かべながら、比較的平穏な時期、平安、江戸、昭和後期、平成を思い浮かべた。

自ずと老人の「言いたい事」が浮かんでき、

「ゆとりの問題ですね?」

俺はそう聞き返した。

老人は、

「その事ですたい」

大きく頷くと、嬉しそうに続きを話し始めた。

「ゆとり」

そのバランスが大事だと老人はいう。

現代人は、確かに「ゆとり」の摂り過ぎという感は否めないが、戦後の人間には「ゆとり」が無さ過ぎた、その事を老人は熱く語る。

「ゆとり」は周囲を見渡す余裕を生むが、人間の堕落も生み、同時に大いなる前進を失うのだという。

また、これに対し、「ゆとり」のない時期は、周囲が見えないため黙々と突き進むが、その方向がまったく見えていない。

視野が狭くなり、大きな過ちを犯しやすいのだという。

「だけん!」

老人はそう言い、

「戦後の世代が残したもんで、現代人がひぃひぃ言ってる部分があるでしょ。あれはその弊害よ」

環境問題を始めとする、諸々の問題を老人は指摘した。

風貌はネズミ男のような老人ではあるが、なかなかどうして鋭い論客であった。

老人が短歌を楽しんでいる事は前に書いた。

「ちょっと披露しようかね」

そう言いつつ、老人は俺との出会いを短歌に仕立ててくれた。

「上手じゃなかっばってん」

恥ずかしそうに五七五七七を語る老人のそれは、事実、素人が聞いても下手だった。

「ふぅ、あんたのせいで一時間も入ってしもたばい」

老人は、長くなった風呂を俺のせいにし、

「あんたと話しよると、つくづく、ゆとりの大切さを感じるばい」

そう言って、露天を後にした。

独りっきりになった露天で、俺はしばし物思いに耽った。

(俺…、何か、ゆとりを感じさせるような事…、言ったか…?)

その事を、である。

老人は、俺の第一印象を、

「どうしようもない遊び人」

そう思ったらしいが、話しているうちに、

「ただの遊び人ではない」

そう思ったのだと告白している。

話した内容は、別に大した内容ではない。

(それなのに、なぜ、俺から「ゆとりの大切さ」を感じたのか…?)

無職の期間にそういったオーラを身に付けてしまったのか、もしくは生まれながらにそういったものを持ち合わせていたのか…。

さっぱり分からない。

分からぬが、どちらにしても手放しで喜べるものではなさそうだ。

花鳥風月と歩む生活を始めて早九ヶ月強、ゆとりの大切さは老人に言われるまでもなく、重々承知している。

ただ、そのバランスとなると、ゆとり側に傾き過ぎている感は否めない。

「バランスが大事」

老人のその言葉は、俺の奥深くに沁み渡っていったようだ。

そして、その木霊は半日近く経った今も消えていない。

「バランスが大事、バランスが大事…」

「分かったよぉ! もぉ、分かったから許してぇ!」

その問答は永延と続いている。

ちなみに…。

夏には熊本城から江戸城(現在の皇居)まで、参勤交代の道を歩こうと思っている。

道子が出産で里帰りし、それに合わせて熊本から歩き、

「出産が先か、俺が東京へ着くのが先か!」

競いながら勉強をする(文を書く)という、芯から男心をくすぐる企画だ。

あの老人は、過去の自分を、

「ゆとりのない視野の狭い人間だった」

そう語り、俺にはこうアドバイスしてくれた。

「私みたいに後悔せんように、ゆとりを持って周りば見て、若い時には何でもやらなぁいかん。後回しにするっちゅう事はやらんっちゅう事だけんね」

「後回しにするっちゅう事はやらんっちゅう事」

なんと的を得た言葉だろう。

ちょっとだけ感動した。

考えてみれば、来月には27歳になる。

夏にもなれば、会社をやめて丸一年にもなる。

あっという間である。

そう…。

「若い」と呼ばれる時期は、あっという間に過ぎ去ってしまう。

老人の言うように、やらねばと思う事はサッサとやってしまわねばならないだろう。

だが、経済的に破綻してしまってはしょうがない。

(バランスよく、バランスよく…)

二人目が生まれたら、何かしら安定した収入を得ねばならないだろう。

企画実行の前に、

「先の安心」

それを見つけねば、嫁の許可も下りないだろうし…。(もっともな話だが)

ああ…。

今日は本当に、いい話を聞いた。

 

 

トイレトレーニング (04/04/23:道子執筆)

 

最近、暖かい日が続くようになって、やっと春のトイレトレーニングを始めるようになった。

本当は、もっと早くオムツが外れてればいいのかもしれないけど、私のやる気と春のやる気がなかなか無く(私だけかな・・。)、今頃になってしまった。

始めたといっても、日中家にいる時に5層パンツを履かせたりして、おしっこで濡れて気持ち悪い感覚を覚えさせようとしたり、しそうかな〜という時にトイレへ連れて行って補助便座にすわらせたりしている。

でも、今の所、まだトイレでした形跡はなく、パンツの方も漏れて気持ちは悪いみたいだけど、その後「おしっこ出る」と言ってくれた事もないし、まだまだオムツが外れるには、程遠い感じである。。

うんちの時の春は、人がいない部屋へ行ってこっそりするので、コソコソし始めたらトイレへ連れて行ったりしたけど、トイレへ入ると緊張して止まってしまうのか、まだ出た事がない。

トイレですれば気持ちいいのに〜と親は思うけど、春にはまだそんな事は分からないんだろうなあ・・

8月には2人目が産まれるし、それまでにはトイレトレーニングも完了してるといいんだけど・・・多分、私のやる気次第だろうから、親の課題としてがんばってやっていきたいと思う!

先輩ママ、何かいい方法でもあれば教えて下さい!

 

 

恵美子の話 (04/04/22)

 

一昨日、恵美子がラスベガスから帰ってきた。

午後9時、熊本空港着であった。

それから現在まで、食卓では永延と恵美子の話が続いている。

「もう聞きたくない」

とは、とてもとても言えない。

恵美子の体から、毛穴から、

「話したい! 聞いてよ、みんな!」

その叫びが溢れ出ているからだ。

恵美子の発する情報量は非常に多い。

が…、その八割が重複しているため、話としては30分で終わる。

かいつまみながら、恵美子の話を書いてゆきたい。

 

熊本空港を16日の午前8時に発った恵美子は、羽田に着くと成田行きの電車を探したらしい。

が…、

「行先がいっぱいあり過ぎて、諦めた」

恵美子がそう言うように、電車での移動をすぐに諦めたようだ。

多分、券売機の上にある路線図を見、その情報量の多さに辟易してしまったものだと思われる。

それから、絶対に迷わないリムジンバスに乗り、成田へ向かったそうな。

成田では、すぐに義母と出会い、それから一緒に昼飯などを食べ、順調に飛行機に乗ったのだという。

恵美子も義母も、エコノミー症候群を極度に恐れている。

「ちょくちょくトイレに行かなきゃね」

「うん」

と、二人は手を取り合って飛行機に乗りこんだものだが、あいにく席が通路側でない。

通路側には外国人がいたのだという。

義母は、その外国人に、

「ちぇーんずぃ、ちぇーんずぃ!」

と、通じない英語で必死に席の交替を求めた。

が…、外国人は苦笑しつつ、

「ノー」

そう答えたという。

この話は義母の必死な様が想像でき、ちょっと笑えた。

ところで、ラスベガスまでの飛行時間は10時間を優に越えたのだそうな。

直通でラスベガスへゆくのではなく、どこかを経由してラスベガスに着いたという事で、その辛さは尋常ではなかったらしく、

「もぉー、きつかったぁー、トレイに3回も行ったばい」

恵美子はそう漏らした。

また、

「義母さんは4回もトレイに行った」

そう言っているところ、互いに、

(私、行き過ぎかしら…)

気にし合っていたようだ。

このあたり、恵美子の話は実に長い。

機内食がどうだったの、飲み物がどうだったの…、同じ話を3度は聞いた。

とりあえず、飛行機がJALだったのが良かったらしく、日本語も通じたようだ。

また、

「JTBという会社はよかよぉ!」

との事で、乗換え毎にJTBの人が来ており、手荷物検査場を抜けるまで見届けてくれるのだそうな。

ラスベガスでのホテルは、「ルクソール」という高級ホテルだったという。

ホテルから出ずにショーも楽しめればカジノもできるところで、写真を見ても、普通のホテルではない。

それだけで「一大リゾート地」の臭いさえある。

恵美子と義母は、

「やっぱラスベガスといったらカジノよねぇ」

という事で、ホテル内のそういうところに足を運んだらしい。

「母ちゃんがギャンブルをするっちゃぁ珍しかねぇ」

俺が言うと、

「いや、見ただけ」

そういう回答が返ってきた。

そう…。

恵美子と義母はギャンブルをしている人をズゥーッと見続け、それで、

「ラスベガスの雰囲気を感じた」

という事にしたらしい。

多分、義母は写真でも撮り、

「うん、ラスベガスが撮れただわぁ」

そうでも言ったのではなかろうか。

それから、義母と恵美子は2万円弱もする高級ディナーショーを見たのだという。

「もぉー、おっぱい丸出しの女の人がステージで踊らすったい。JTBの人が一番前の席ば用意してくれたけん、おっぱいが目の前に見えたばい」

二人が何のショーを見たのか…、よく分からない。

分からないが、恵美子の話を聞いているに、日本の温泉街でも見れそうな気がした。

ところで…。

恵美子は日本を発つ前に、

「ここに寄らなきゃ」

という場所を幾つもチェックしている。

それは義母も同じで、何日目かは知らぬが二人してホテルを出た。

タクシーに乗ったらしい。

タクシーはネオン煌く大通りから横道に入り、暗い裏通りを走った。

なぜ裏通りを走ったのか…、分からないが、多分、道が混んでいたからであろう。

が…、恵美子はそう思わない。

(拉致される…)

そう思い、青ざめたらしい。

(ぼったくられてもいい! 私を明るいところに帰して!)

恵美子の願いは通じ、タクシーは目的の場所に着いた。

値段は2ドルほど高めだったらしい。

恵美子はこのくだりを語るについて、

「ラスベガスは眠らない街なのよ」

興奮気味に、その事を連発している。

それに対し、富夫は、

「新宿と一緒た」

そう返す。

俺はこの問答を3度は見た。

なぜ、そこまで「眠らない街」を確認し合う必要があるのか…、これもよく分からない。

タクシーといえば、こんな話もあったのだという。

運転手の顔がクリントイーストウッドに似ていたそうな。

それで、我慢できなくなった恵美子が、

「アー、ユー、クリントイーストウッド?」

運転手に話し掛けたのだという。

運転手は大喜びで、

「オー、サンキュー」

恵美子に握手を求めたというが、よくぞ通じたものである。

そこに驚いた。

それから、この旅行の目玉である「グランドキャニオン観光ツアー」にも二人は出ている。

これはオプションのツアーで、道子の「当たり」には含まれない。

二人の自費によるツアーである。

セスナに乗り、グランドキャニオンのど真ん中へゆき、その近辺を歩くという内容らしい。

義母はラスベガスに行った事があるという話であったが、グランドキャニオンには行っていなかったらしく、

「楽しみだわぁ!」

と、ウキウキしていたようだ。

が…、その喜びもつかの間、すぐに、

「地獄だっただわぁ!」

義母の言葉を借りるに、そういう状況になったのだという。

セスナは小型機。

揺れたのだ。

あまりの気持ち悪さに、ホテルで詰め込んだ高級食材を全て戻してしまったらしい。

そんな義母を、恵美子を気遣う余裕はない。

恵美子は酔う体質ではないが、極端な怖がりなのだ。

「ギャー! 死ぬー!」

手に汗をたっぷりと握り締めながら、何度も何度も叫び声をあげた。

そして、怖さの絶頂に達した恵美子が口ずさんだもの、それは童謡だったらしい。

「大きな栗の木の下で♪」

なぜ、童謡を口ずさんでいるのか…、恵美子自身もよく分からない。

「気付いたら、口ずさんでいる私がいた」

恵美子はそう言うのだ。

孫の顔がちらついたのかどうか、それもよく分からぬが、

「人間は極限の状態になると何をするか分からない」

その、いい事例であろう。

とにかく、この機内の話は恵美子の話の中で最もおもしろかった。

10人乗りのセスナの中で、この二席だけが悲惨な絵となっている。

一人は吐き続ける女、もう一人は絶叫の合間に童謡を歌い続ける女、二人とも顔色は真っ青で、生きた目をしていない。

実に興味深い絵でもあった。

ところで…。

話というものは「楽しかった」や「幸せです」より、「地獄だった」「幸せでした」の方が断然おもしろい。

恵美子は幾つもの楽しかった話をしてくれたが、ほとんど憶えていない。

その代わり、こういう話を憶えているのは、その事なのであろう。

グランドキャニオンそのものは良かったようだ。

だが、その話は印象に薄い。

さて…。

多くの日本人女性がそうであるように、二人にとっても海外旅行の醍醐味は「買い物」にあるらしい。

これは、俺を始めとする多くの男性には理解し難いものがあるが、二人は多くの時間を買い物に費やしたようだ。

一般家庭の主婦なので、ブランド物を買い込む事はしていないが、チョコだの小物だのを大量に買ってきている。

恵美子のバックには、お好み焼きのヘラのようなものまであった。

また、例により、義母の土産はTシャツであった。

「例により」と書いたのは、義母の土産は必ずといっていいほどTシャツだからである。

前までは義姉夫婦とうちの夫婦、計4枚買ってきてくれていたようだが、今はうちの夫婦にだけ買ってきてくれている。

義姉夫婦が、

「部屋着にしかできない」

と、義母のセンスを馬鹿にしたからである。

それに対し、うちの家は義母が買ってきたTシャツをメインのTシャツと定め、三日に一回は着るようにしていたし、池袋にも新宿にもそれを着て出かけた。

ゆえ、今回も福山家にだけは斬新なデザインのTシャツが届いている。

春への土産も豊富を極めている。

ただ、富夫への土産がなかった。

恵美子にしてみれば、最も買うべき相手は富夫だろうに、そこだけが何もない。

何となく、そこに「男というものの悲哀」を感じた。

うちの30年後、いや、10年後を見ているようで悲しくもあった。

ただ、恵美子の土産、その九割が話(土産話)だとすれば、富夫は豊富に貰っている。

今日も日中は二人で仕事(模型店)だろうから、たっぷり土産を貰うはずである。

(かわいそうに…)

富夫の悲哀は増すばかりであるが、会話があるうちが夫婦の華ともいえ、本人は何とも複雑なのではなかろうか。

最後に…。

恵美子の昨日という一日を追って、この日記を終わりにしたい。

諸々の片付けを午前中に終えてしまった恵美子は、姉(俺の伯母)の元へ「筍を貰う」という名目で土産話をしに行った。

夕方に帰ってきた恵美子は、

「早めに夕食を食べよう」

と、準備にかかったが、食べる直前、隣の家の人が帰ってきたのを発見すると、

「ちょっと出てくる」

そう言って家を出、夕食の準備ができても戻って来なかった。

恵美子は富夫に、

「話が長い!」

と、叱られながら、

「ラスベガスの話はしとらん。別の話ばしよったんたい」

そう弁解していたが、そんなわけがない。

夕食を食べた後、恵美子は福山家の広告塔と呼ばれている伯母(富夫の兄の妻)の家に、

「土産を渡してくる」

そう言って出かけた。

恵美子の「喋りたい欲求」を満たしてくれるのは、この伯母以外に他はなく、10秒間に原稿用紙二枚のペースで喋ったではなかろうか。(お互いに)

恵美子は言う。

「まだ胸がいっぱいで、食事が喉を通らん」

これは、「まだ話し足りない」という意味であろう。

その胸のつかえを取るために、

(恵美子がどれだけ喋るのか?)

数える事はできないが、多分、司馬遼太郎の長編・飛ぶが如く(全10巻)を凌駕する分量であろう。

(おばさん達の無駄話というエネルギーを、発電か何かに利用できないか?)

ふと、そう思った。

世の中から原子力がなくなる事は間違いない。

 

 

恵美子と康子 (04/04/15)

 

実母の名を恵美子という。

義母の名を康子という。

この二人が、明日よりラスベガスへゆく。

この旅行の経緯については前の日記で書いているので書かない。

さて…。

義母はこの話が決まった瞬間に準備を始めたらしく、恵美子がパスポートも取らぬうちから、

「荷詰めが終わった」

そう言ってよこし、恵美子は大いに焦り始めた。

「こうしちゃおられん…」

そう言いつつ、急ぎパスポートをとり、義母にならって使い捨てカメラなどの購入に走り始めた。

続いて、旅行用のキャリーバックを購入。

その数日後にはラスベガスの旅行本を購入。

義母より遅れる事一ヶ月で恵美子の準備も完了した。

が…、この時点で旅行前二ヶ月。

俺から言わせれば、

「なんばそぎゃん焦っとっと?」

と、なるが、それほどに二人は舞い上がっていたという事だろう。

それから、恵美子は情報収集に入った。

ラスベガスの情報というよりも、「海外旅行」というものに関する情報収集である。

恵美子の海外経験は15年前に行ったハワイのみである。

これは、都会においていえば、

「海外経験がないに等しい」

そうなるかもしれないが、田舎においては、

「あたは海外に行った事があんなさっとですか!」

と、驚きの目で見られる「貴重な種」となる。

田舎者は基本的に外へ出たがらないのだ。

現に、その夫・富夫は54になるが海外へ出た事がなく、また、海外へ行く事を毛嫌いしている感さえある。

ゆえ、恵美子が情報を集めるといっても、この辺りではたかが知れている。

「福山家の広告塔」と呼ばれる博識な伯母とくっちゃべったり、旅行会社に勤めている甥に話を聞いたり…、それくらいである。

そして、その情報を得、恵美子が何をしたのか…。

恵美子は出発一週間前に近くのホームセンター・ミスターマックスへ行き、ペットボトルのお茶を三本買ってきた。

これが「得た情報」らしく、

「海外旅行に行くには、お茶ば持って行かにゃいかん」

恵美子は自慢げにそう言いつつ、ペットボトルをバックに詰め込んでいた。

恵美子から「素人の臭い」がプンプンした。

「自販機で買うよりも安かもんねぇ」

そこには「主婦の臭い」もした。

空港で買うと150円、それがホームセンターで買うと100円になるらしい。

3本で、浮いた金が150円。

1.5キロの重量物を山鹿から成田まで運ぶ事を思えば、

(150円くらい…)

そう思うが、そこは悲しき主婦の論理なのであろう。

それから…。

恵美子は毎晩、買った旅行本を、旅行会社から送られてきた書類を、何度も何度も読み返していたようだ。

普段は早寝の恵美子だが、午前様まで起きている姿を何度も見た。

きっと、そうでもせねば寝れない状態(興奮状態)に陥っていたのであろう。

恵美子は明日、午前6時過ぎに家を出、午前8時の飛行機で熊本を発ち、まずは羽田まで飛ぶ。

それから、

「電車は分からん、分からんけど人に聞きながら行く」

そういう状態で、羽田から成田まで電車に乗る。

そこで義母と待ち合わせ、日本を出る予定だ。

(不安だ…)

亭主の富夫でなくとも、そう思わずにはいられない。

現に、昨日の夕方、実弟の雅士が、

「母ちゃんの声を聞くのも最後になるかもしれんけん」

そう言って電話をかけてきたほどだ。

まるで、ヒマラヤにでも登るような騒々しさであった。

その中で、恵美子は、

「行けばどうにかなるんたい」

何度も何度もそう言っているが、どう見ても、自信のない自分に言い聞かせているようにしか見えない。

(東京で電車を聞くにも、熊本弁しか喋れない恵美子の言葉が通じるのか?)

その危惧もあるし、それらの危惧は海外へ行けば尚、悲壮さを増す。

恵美子と義母は、カタカナもうまく読めないほど横文字が苦手なのだ。

二人のコミニケーションに関しても問題がある。

仲が良い悪いの問題ではなく、「意思の疎通」に関する問題だ。

なぜなら二人とも話を聞かないし、よく分からない事を頻繁に言う。

二人とも口にする事を頭の中で確かめずにポンポン出すものだから、何を言っているのか、相手も自分も分からなくなるのである。

これまでも「うまく意思の疎通がとれている」とは言い難い二人なのだ。

義母から恵美子へ、旅行に関する問い掛けのメールがちょくちょく届いたのであるが、何を言っているのか分からなかったし、多分、本人も何を問うているのかよく分かっていないのであろう。

更に、それに答える恵美子の言っている事もよく分からない。

分からない尽くしなのだ。

俺から見ていると、お互いが「一生懸命な事」を伝えるのに夢中になり、「意思の疎通」というものを置き忘れているように見える。

二人は舞い上がっていた。

そして、今も舞い上がり続けている。

(もしかしたら、舞い上がっている人間に言葉はいらないのかもしれない)

そうも思える。

もっともっと深い部分、感情と感情のぶつかり合うところで不思議とコミニケーションがとれているのかもしれない。

が…、俺にはよく分からない。

一つだけ分かる事は、

「おもしろい事というのは、こういう状態で起こりやすい」

その事だけである。

さて…。

二人の珍道中(であろう)は、明日から始まる。

金を取られてもいい。

置き引きにあってもいい。

ただ、間違いなく日本に帰って来、この旅行が、

「二人の人生に確かな足跡を残した」

そうなってもらわねば行く意味もない。

二人には、

「活動的でありながらも無理はしないで欲しい」

と、切に願う。

また、

(イラクの武装集団に監禁され、テレビで再会する事がないように…)

その事も祈る。

アメリカに行くのにイラクの心配をする必要はなかろうが、この二人には何があるか分からない「凄味」というものがある。

とは言いながらも…。

後は恵美子がいうようにどうにでもなるだろうし、十中八九ちゃんと帰ってくるであろう。

「道子が引き当てた海外旅行」

楽しいはずのそれが、ツアーでないばっかりに、二人が行くばっかりに、試練のように思えてきたのが笑える。

二人が日本に戻ってくるのは4月20日。

芯から笑える土産話に期待したい。

 

 

若松競艇2 (04/04/12:道子執筆)

 

前に日記で書いたけど、若松競艇で5月からスタートされるナイトレースのネーミングに、私の案が採用された。(正確には修正有りでの採用だけど。。)

そして、その賞品として、ラスベガス旅行と若松競艇観戦ツアーが当たった。

ラスベガス旅行は、私が妊娠してる事もあり、「お母さん&お義母さん」コンビに譲り、それもいよいよ今週金曜日に出発となった。

そしてもう一つの賞品、競艇観戦の方だけど・・・。 

ロイヤルボックスからゆったりとレースを観戦するだけだと思っていたら、実は、今日主催者側から電話があり、「6時からあるイルミネーションの点灯式に参加してくれませんか?」との事!! しかも、一応採用者という事で、軽く紹介とかもあるかもしれません、と・・。

結構ミーハーな私としては、ちょっと参加してもいいかな〜とか思っていたら、何と!その点灯式には市のお偉いさんと、あの「さとう玉緒」ちゃんも来るとの事! 特別ファンでも何でもなかったけど、やっぱりあんなかわいい芸能人を間近で見れるかも、と思ったら参加せずにはいられない!!

ちょっと遠慮がちに「私でよかったら・・」とOKしちゃいました!

日は、5月1日(土曜日)、18:00〜

もしも体調が悪かったらふくちゃんが代わりに点灯式に参加してるかもしれないけど・・お近くの人、競艇が好きな人、若松競艇まで見に来てくださ〜い。

 

 

消防団 (04/04/05)

 

久しぶりに吐く寸前まで飲んだ。

飲むつもりはなかったのであるが、飲まねばならぬ状況となり、

(明日は死ぬな…)

覚悟の上で飲んだ。

地元、消防団の飲み会である。

飲み会の名目は歓迎会で、主賓は5月1日から入隊する予定の二人、俺と31歳のナントカさんであった。

数ヶ月前…。

親父のラジコン友達で、農協に勤めるSさんが突然うちに現れた。

Sさんは地元の消防団のOBで、隣には現役消防団員であるNさんを連れている。

このNさんも農協の人で、Sさんが言うに、

「農協の若手は入社と同時に消防団に入れられる」

との事で、年齢は35歳くらいであろうか。

SさんはNさんを紹介するや、

「書類を持ってきたけん書いて」

と、俺に3枚のそれを渡した。

有無を言わせぬ勧誘であった。

「え…、消防ですか…?」

「はよ、はよ、とにかく書いて」

俺に断る余地はなさそうであった。

既に、現役のNさんは俺が受けたものとして消防団の具体的な説明に入ってもいる。

親父が言うに、

「35歳以下しか消防団には入られん。今は若者も少なかけん、団員集めも大変なんだろ」

との事であったが、Nさんの話を聞いていると、

「35歳以下ですか、いますよ、3人くらい」

との事で、どうも親父の話は違うようだ。

とりあえず、地元にいて何も協力しないというのは現代人じみてて寂しいので、

「やりましょう」

と、書類に名を書いた。

「はい、どうもー」

SさんとNさんは、来た時と同じように颯爽と去って行った。

それから数週間が過ぎ、先週の火曜であったろうか…。

Nさんから電話があり、

「金曜、空いてます?」

その問い掛けがあった。

「はい…、何もないっすけど…」

そのように返すと、

「歓迎会をやるけん、6時に農協に来てください。じゃっ」

Nさんは、実に良いリズムで電話を切った。

俺は、しばし立ち尽くした後、

「歓迎会…」

その懐かしい響きに心を揺らしたものだが、

「消防団の」

という響きには、ちょっぴり恐れざるを得なかった。

田舎の消防団は飲む事に関しては徹底を極めていると聞いているし、Sさん曰く、

「消防団は出入り禁止の店が多いけん、青年団という名で店を予約せにゃいかん」

との事なのだ。

さて…、当日を迎えた。

約束の時間に、俺は少しばかり千鳥足で農協へ向かった。

なぜ千鳥足なのかというと、昼に宮村という同級生の酒豪が親族を引き連れて現れたからである。

正午過ぎから福山家の庭で飲み始め、4時半頃まで飲んだ。

それから、

(酒を抜かねば!)

そう思って水を大量に飲み、1時間ばかり寝たのであるが、抜けるわけもない。

少しばかり残ったかたちで消防の歓迎会に参加する事となった。

農協に行くと、そこには農協の職員が3人おり、いずれも消防団の人であった。

この内、幾人かは既に赤い顔をしており、

「いやぁ、今日は昼から飲み過ぎたばい」

そう言っている。

なぜ農協の人が勤務時間であろう昼の時間に酒を飲んだのか、それは分からぬが、農協の職務を果たす上で飲まざるを得なかったのであろう。

とりあえず、半数以上の人が「飲み会が始まる前から酔っている」という状況であった。

ちょっと遅れて、もう一人の主賓がきた。

31歳という事で、消防団の中では俺の次に若い人なのであるが、俺より10は年上に見えた。

挨拶を交わし、小学校の卒業年度を説明すると、

「ほう、私の従姉妹と同じ学年にあたりますねぇ。あ、そうそう、あの学年だったら、Aを知っとるはずばってん…」

「ああ、知ってますよ、Aは兄貴がいましたよねぇ」

「私はその兄貴と同級ですよぉ」

と、数珠繋ぎに知ってる名前が出てくる。

ここの地区は面積こそ広いが、そのほとんどが山林で、小学校の人数は6学年合わせても100人足らず。

たいていの人が上下3学年、全ての人を知っているのだ。

さて…。

10分ほど雑談を交わしていると、「ジャンボ」と呼ばれている大き目のタクシーが農協に現れた。

集まった6人はそれに乗り、宴会場へと場を移した。

今日のメンバーは12人で、他は現地集合なのだという。

宴会の会場は地元で有名な寿司屋であった。

(寿司屋とは…、豪勢やねぇ…)

そう思いつつ会場の襖を開けると、既に人は集まっており、中には女の姿も見えた。

女は三人、いずれも制服のようなものを着ている。

(農協の人か?)

そうも思うが、茶髪キンキンの女もおり、そうではないようにも見える。

「上へ、上へ」

そう言われ、上座へ座らせられた。

上座から見る「場の雰囲気」はハッキリ言って異様であった。

まず、若者の顔が一つも見当たらない。

関東では「老けている」と言われがちな俺の顔が、若い方向で浮いていた。

宴会はすんなりと始まった。

軍団長と名乗る人の話から始まり、部長へ、それから会計だの何だの役の付いた人の話があり、それから、

「福山君、挨拶を」

と、いきなり前に立たされた。

とりあえず、卒業した学校を説明し、今に至るまで過程を語り、会社では自衛消防隊に入っていた事を話した。

俺の卒業した学校は「熊本電波高専」という学校で、地元の学校ではない。

それだけで、

「珍しい奴が入ってきた」

と、驚かれた。

農協や市役所など、地元に密着した人々が多いという事で、団員の卒業校は地元が多い。

ゆえ、地元から逸れた経歴は珍しいのだ。

おまけに、俺は5年間も埼玉へ行っている。

それに、田舎からすればこれが最も目を引くポイントであろう、俺の職業がよく分からない。

ビール瓶を持ち、席を回っていると、誰もが、

「あんたはあそこで何をやっとる人な?」

そう聞いてくる。

田舎ゆえ、ご近所情報の巡りは極めて速い。

「あそこの場所にどういう人が住み始めた」という報は、すぐに回ってくるのだ。

俺は皆の質問に、

「もの書き目指して文を書いてます」

恐縮しつつ、そう答えた。

すると、

「呆れた新人がきたねぇ」

リーダー格の中年が大声を上げて騒ぎ出した。

この反応は俺も理解できる。

地元密着の社会人のみで構成されている消防団において、俺みたいなタイプは極めて稀なのだ。

「目指しているという事は、無職という事です」

俺は笑いながら酌をしたが、誰も笑ってくれなかった。

無職という立場は、田舎において「深刻な状況」そのものなのだ。

都会人は他人に対しての干渉が薄いし、無職の人も見慣れている。

が…、田舎となると無職は貴重な存在だし、

(大丈夫だろか、こん人は?)

なまじ他人に興味があるので、本気で心配してしまう。

また、感情をオブラートに包む術を知らないので、「興味」が「騒ぎ」となって表に出やすくもある。

ゆえ、田舎の飲み会、その一発目は大変なものに当たりやすいのだ。

現に、そこには色々な人がいた。

なぜか分からぬが絶えず怒っていて、

「おい、飲め、このやろぉ!」

と、睨みを効かせる中年もいたし、

「埼玉の話を聞かせてくれい!」

そう言われたので、所沢の話をしたら、

「頭が痛くなる! 止めてくれい!」

と、言う中年もいた。

「人付き合いというものは、最初が一番疲れるものだ」

分かってはいたが、本当に疲れた。

それに、よく飲んだ。

11人に酌をして回り、11人が返すものだから、かなりの量を体へ入れ、相当に酔った。

農協の女かと思っていた三人は、実はコンパニオンで、

「若者、大丈夫?」

年上らしく、母親のように心配してくれた。

コンパニオンといえば独特の人工臭を放つイメージがあるが、そこは地元、土の匂いのするコンパニオンで、場末のスナックにいるような錯覚を覚えた。

二次会は寿司屋から徒歩5分のスナックであった。

ヘトヘトではあったが、

(新人だけん最後まで付き合わにゃん!)

と、自らに喝を入れ、市街地方面へ歩き出した。

が…、その移動にもタクシーがきた。

コンパニオンといい、タクシーといい、消防の飲み会は、

(贅沢の極みやな…)

俺から言わせればそうなるのであるが、メンバーの顔ぶれに贅沢感というものが皆無のため、不思議と嫌悪感は覚えなかった。

ただ、ちょっとばかし呆れた。

二次会の会場も、

「ちょっと高級!」

っていう感じのスナックだったのであるが、入るや否や団員の半数が寝た。

それも寝たのは若手で、おばさんの尻などを触りつつ盛り上がっているのは年配の団員であった。

年配は、実に元気がいい。

「歌え、歌え! 若者は最初に歌え!」

そう言われて、選曲本を投げ付けられたのであるが、

「一分以内に決めろ!」

選曲時間まで指定され、焦って「まゆげ」という東京プリンの歌を入れてしまった。

(しまったー、引くかもしれん!)

思ったが、これが大好評で、ボス格の中年などは、

「最高ー、最高ー、この歌、最高ー!」

しきりにそう言って騒いでくれた。

もう一人、31歳の新人は既に酔い潰れている。

残っているのは四十を越えた中年が3人、それに俺である。

ちなみに…。

一次会で帰った団員が数人いる。

(ほう…、一次会で帰る事も許されるのか…?)

そう思っていたが、このスナックを出た時、別の集団に混じっている団員を見た。

一次会で帰るには、「他で飲みます」という理由が必要なのであろう。

二次会のスナックは一時間で出た。

山鹿のスナックのシステムは、大抵が2時間3000円のシステム(飲み放題)で、一時間で帰るのは非常にもったいない。

が…、寝ていた人たちの起床に合わせ、帰る事になったようだ。

「もったいない、もったいない」

貧乏性の俺は、そう言って悶えたが、

「なんの、なんの」

消防団からしてみれば、いつもの流れであるようだ。

さて…。

この二次会までが団の会費で賄われる飲み会だという。

「どこまで」というタイミングはどう決まっているのか知らぬが、多分、二つまでと決まっているのではなかろうか。

寝ていた人たちが風のように去った後で、軍団長と呼ばれる最も偉い人が、

「新人、まだ行けるか?」

問うてきた。

「行けない」なんて口が裂けても言えない俺なので、

「まだまだ、何軒でも行けますよ」

無理してそう言うと、軍団長は料亭風のスナックに連れてってくれた。

メンバーは、数にして4人。

軍団長、部長、ボス、新人という、俺にしてみれば複雑極まるメンバーであった。

当然の流れで「消防の心得」という話を役付き三人から懇々と聞かされた。

申し訳ないが、それには深い深い疲労を感じ、何度も意識が飛びかけた。

それから、マイクを持たされ、

「さっきの東京ナントカを歌え!」

よほど気に入ったのであろう、そう言われたので「携帯哀歌」を歌ってやった。

これもまた大いに盛り上がってくれ、その事だけは身に沁みてありがたかった。

結局、最後まで飲んでいたのは俺と軍団長だけだったのではなかろうか。

三次会のスナック、四次会のスナックも、立ち寄ったという感じで腰を据える間もなく次へ移り、

「お、こんな時間、次の日になりそうだ、帰るぞ!」

と、忙しくタクシーに乗せられた。

皆、山向こうの人たちばかりで、俺とは山が違うので、俺だけが谷間にあたる農協で降りた。

農協から福山家までは徒歩で5分。

その間、足取りは非常に重かったが、ま…、最初の飲み会というのは得てしてこういうものであろう。

家に帰り着いた瞬間、酔いがグワァァァアと回ってきた。

緊張してる時というのは酔いを感じないものだ。

その分が押し寄せて来た。

(こりゃ、明日の午前中は動けんな…)

朦朧とする意識の中でその事を思ったものだが、事実、翌日は昼過ぎまで動けず、ほぼ夕方まで胃痛が引かなかった。

さて…。

消防団の辞令は、4月末の総会を終え、5月の頭に出るそうな。

それから週に一回、色々な活動があるのだという。

また、7月末には大会が控えているらしく、6月から7月にかけて、

「毎日のように練習してもらう」

との事でもある。

簡単に考えていた消防だが、なかなか大変そうである。

が…、いずれ「大変」が心地よくもなってき、ここを離れる時には「名残」となってくれるのであろう。(そう願いたい)

何事も、新しいところへ踏み込む場合、最初は苦しさを伴うものだ。

それは物事の始めに起こる「陣痛」であり、それを乗り越えねば快適な組織(社会・地域)生活には入ってゆけない。

陣痛は、まだまだ続きそうだ。

今は、前向きでいるより他はない。

「苦しさは金を払ってでも負うべきだ!」

「何事も勉強!」

言い聞かせる言葉は、幾らでもある。

 

 

食生活に気を付ける! (04/04/03:道子執筆)

 

春を妊娠している時、私はもっと食生活に気を使っていた気がする。 インスタント食品はほとんど食べず、甘いものも控え目に、そして嫌いだった納豆も体のためにと食べ始め、今では大好きなほどである。

けど、2人目となると、春には「太るからダメー」と言って甘〜いお菓子をあんまりあげないけど(でもないか?)、自分は春の昼寝中にここぞとばかりに食べまくったり、カップラーメンも普通に食べるし、お酒もちょーっと飲んだりする。

今日もお昼ご飯にUFO焼きそばを食べてたら、ふくちゃんに「そんなにインスタントばっかり食べてたら奇形児が出てくるぞ」と脅されてしまった。さすがに私も普通に健康な子が出てきて欲しいので、そう言われると控えなきゃ・・とは思う。

確かに、胎児はお母さんが食べたものを栄養としてるから、食生活には特に気をつけなくちゃいけないし、自分自身も妊娠中毒症になってしまう危険性もある。

だから、この場を借りて、「妊娠・授乳中にはインスタント食品は辞めます!食生活に気をつけます!」宣言をしたいと思います!

その代わりと言っては何だけど・・ふくちゃんも「もう少しお酒を控えます!!」宣言をして欲しいな〜と思う。  

きのうも、友達が来て昼からバーベキューをしたけど、1時に飲み始めビールに焼酎・・そして夜はお誘いのあった地区消防団の歓迎会があってまたまた飲み続け・・

結局帰って来たのは、深夜12時まえ。。

そして、今日はと言うと2日酔い。 午前中寝っぱなし。

まあ、友達が来て飲むな、というのも無理な話だろうから、なるべく控え目に、そしてダラダラずっと飲まない。 これなるべく守って欲しいと思う!!

ふくちゃんも、「完全な健康体。」って訳じゃないんだし、もう2人のパパでもあるんだから、健康には自分でも気を使ってくださいよ。 よろしく。

 

 

今日の若者 (04/04/01)

 

数日前の日記で、

「温泉で入れ歯を洗っていた老人」

そのビックリを書いた。

あの時は本当に唖然としたものであるが、今回は、

「女風呂を覗こうとしている高校生」

それを発見したので、ちょいと手短に書いてみたい。

場所は、例の眺山庭である。

一昨日…。

ソニーに勤める友人が仕事を終えてから山鹿に出てきた。

来た理由は、

「預けていた物を取りに」

それであったが、翌日は休みを取っていたし、泊まる気でもあったようだから、飲みに来たというのが真の目的であろう。

家で数杯飲み、それから温泉へ流れた。

時刻は午後9時くらいである。

午後9時というのは最も温泉が混む時間で、事実、猛烈に混んでいた。

特に露天の混みようはひどく、高校生の集団が占拠している状態であった。

が…、露天でないと長湯はできない。

また、本来は熱い湯が好きなのであるが、

「酒を飲んでから、熱い湯に入ったり、サウナに入ったりしないように」

不健康だった時、病院からそう言われている。

心臓に悪いらしいのだ。

ゆえ、高校生の間に体を滑り込ませ、足を縮めた状態で露天に浸かった。

高校生は13人もいる。

それが大声で雑談をしているものだから、その騒がしさといったら大学前の居酒屋のようである。

湯船に浸かっている若者が10人。

岩の上に登っている若者が二人。

この二人組はスッポンポンで肩車をし、

「見えるか?」

「もうちょっと、あ、もうちょっと…」

必死の形相で女風呂を覗こうとしている。

もう一人は女風呂との壁、それに隙間がないか入念なチェックを入れている。

彼は一年生なのであろう。

「先輩、見付からないっす!」

「諦めるな、探せ!」

先輩に喝を入れられながら、壁に顔を付け、僅かな光も逃がすまいと壁の粗を探している。

雑談から察するに、合宿中のテニス部かバトミントン部のようで、泊まり客ようだ。

(どこの高校か?)

聞き耳を立てるに、大津(熊本空港近く)近辺の高校らしい。

若者達は一糸乱れぬ連係プレーで「女風呂を覗く」というゴールを目指しているが、いかんせん健康的であり過ぎる。

「見えるかぁー?」

「見えませーん!」

大声で確認をし合っていては、向こう側の獲物も逃げてしまうであろう。

が…、黙々と覗くような奴だったら、俺の前で覗くようなマネはすまい。

健康的だからこそ、堂々と覗いているのだ。

止める気も起こらず、

「若いねぇ」

隣の兄ちゃんに笑顔を見せてやった。

ま…、覗けたとしても、十中八九「目の毒」となるに違いない彼らの愚行なのだ。

あれだけ大声を出していれば、

「残っているのは梅干のような獲物」

それのみであろうから…。

が…、若者達はそんな危惧を微塵も抱いていないのであろう。

前向きに燃えている。

岩の上に乗っている二人組なんて、その最もたるものだ。

スッポンポンで肩車をしているので、当然、上の男のモノが下の男のうなじに密着する事になる。

「うにゅんって感じがしたぞー、気持ちわりー!」

下の男が叫べば、

「もうちょっと背伸びしろよぉー、見えんばーい!」

上の男は上下に体を動かし、更に密着させる。

笑える絵であった。

俺はそれを一人で楽しみながら、

(溢れ出とる…)

と、そのエネルギーに感心した。

彼らは沸々と湧き上がるエネルギーを、まさに持て余しているのだ。

結局は、岩の上に乗っていた男が、

「見えたー!」

天に両手を突き上げた事で事態が収束した。

「どうだったや?」

尋ねる連中に、上の男はもったいぶった反応を見せ、それから、

「婆さんが一人だけおった」

と、嘆いた。

これで13人が、

「無駄な時間を過ごした」

と、露天を去っていったのであるが、それを見ていた俺にしてみれば、

「下手な喜劇を見るよりは数倍笑えた」

と、なる。

ソニーの友人は、この13人が去るか去らぬかの時に露天へ現れた。

「やっと、すいたねぇ」

ヘラヘラと笑いながら現れたが、もう遅い。

一流の喜劇は既に終わっているのだ。

かわいそうなので、その面白さを言葉で伝えてやった。

と…。

「そういえば、Kもそこの岩をよじ登って覗いていたよ」

ソニーの友人は、思い出すかっこうで「K」という名を出した。

Kと書いたが、イニシャルにする必要はないだろう。

彼の名を小林という。

ソニーの友人と同様、前会社の同期で、彼らは俺の結婚式の時、ここ眺山庭に泊まっている。

その時に、小林は岩をよじ登り、壁に手をかけ、一人で覗こうと孤軍奮闘したらしいのだ。

小林は俺と同じ歳だから、その当時、23歳であったろう。

今は26。

今の彼ならそのようなマネはすまい。(もしかしたら、するかも…)

「若さのリトマス紙」というものがあるならば、「健康的な覗き」をもって、その一つと数えても良いのではなかろうか。

ちなみに…。

ソニーの友人は、俺の結婚式に彼女と来ている。

数年前に別れてしまった彼女であるが、福山家とも縁が深かった彼女で、一緒に四国旅行をした過去もある。

その彼女を、

「この湯に浸かって思い出した」

と、ソニーの友人は言う。

それを聞き、ふと、こう思った。

(彼女も壁向こうの風呂に浸かっていたという事よな…。ん…、待てよ…、小林が覗いている時、あんたは止めなくて良かったのか…?)

よく分からぬが、ソニーの友人は止めるような性格でもなく、事実、止めなかったのであろう。

そして、その「余裕」こそが彼の特徴の一つともいえ、彼の人格に深みを与えている大きな要因でもある。

その後の展開と彼らの性格を考えてみた。

覗いた小林はサッサと結婚し、すぐに子供を産んだ。

これに対し、ソニーの友人は長年連れ添ってきた彼女と別れたが、すぐに次ができ、

「ま…、気長に気長に…」

見た目が一流なだけに、その余裕を見せ付けている。

(若さや余裕というものは努力で育ちこそするものの根は張らない。つまり、その二つは天性なのではなかろうか…?)

ふと、そのような事を思ったが、よく分からないし、分かるはずもない。

その夜、俺とソニーの友人は午前1時まで近くの居酒屋で飲み、霧の山鹿を歩いて家に帰っている。

月と星が、すこぶる綺麗な夜であった。

 

 

開幕戦 (04/03/29)

 

うちらが結婚式を挙げた、その翌日…。

「記念だけん、いいところに泊まりなさい」

と、福岡ドームの隣にある高級(当時は)ホテル・シーホークの部屋をとってくれた伯母がいる。

ドーム近くの総合病院で看護婦をしており、うちの母ちゃん、つまりは恵美子の姉にあたる。

伯母は、

「これで豪勢な夕食でも食べなさい」

そう言ってホテル内で使える金券までくれた。

が…、その晩、道子は早々に眠り、朝まで起きなかった。

「バーで夜景を見るぞ」

「いいねぇ、記念日だもんねぇ」

そう約束していたのに、ちょっとだけ入れた酒が原因で、いくら起こしても起きる気配さえ見せなかったのだ。

伯母が用意してくれた部屋は福岡の夜景が見渡せる高い位置の部屋で、どこの国かは忘れたが外国の首都名が付いていたように記憶している。

左下に見下ろすかたちで福岡ドームが見え、たまたま屋根が開いていたので球場が見えた。

最高のシチュエーションではある。

後々の話であるが、

「あぎゃん部屋、よく取れたねぇ」

伯母に言うと、

「看護婦っていう仕事をやってると、色々な知り合いができるもんなのよ」

との事で、そのツテでホテルを予約し、プレゼントしてくれたようだ。(当時のシーホークは大人気ホテルだった)

ドーム近くの病院という事で、

「野球に関しては」

どうにでもなる知り合いが多いらしく、数年前には恵美子と富夫、それに祖父を交え、福岡ドームのバックネット裏で巨人戦を見たのだとも言う。

ところで、この伯母の誘いにのった恵美子であるが、

「元ソフトボール部」

そう言っているのに野球のルールさえ知らない。

去年、テレビでダイエー戦を見ている時、

「うわー、ゲッツーだ!」

と、頭を抱える俺を見て、恵美子は、

「今日は土曜日たい」

台所から、わけの分からぬツッコミをしてきた。

(何を言ってるんだ?)

と、考えるに、恵美子は「ゲッツー」を「月曜日」と勘違いしていたようだ。

それくらい野球を知らない。

ていうか、野球に興味がない。

そんな恵美子に貴重なチケットを渡しても、まさに「豚に真珠」であったろう。

恵美子は試合後、伯母にこう言ったのだという。

「何が一番楽しかったって、通路の売店を散策しよった時が一番楽しかった」

何という「連れて行き甲斐」のない人間だろう。

今年の正月、伯母はそういう話をしつつ、

「あんたがダイエーファンなら」

という事で、俺達一家を開幕戦に招待してくれた。

幸い、道子は野球に興味がある。

母校が春日部共栄で、甲子園で準優勝したチームの応援席にいたという過去が効いているのであろう。

プロ野球は地元という事もあり、西武ファンだったようだ。

が…、埼玉に住んでいる時、何度も何度も近場の西武ドーム、その三塁側に足を運ばせ、ダイエーファンに鞍替えさせた。

ゆえ、最近の道子は、

「駆出のダイエーファン」

そう呼べるのではなかろうか。

さて…。

3月27日(土)、それが開幕戦の日であった。

デーゲームという事で、

「正午に現地集合」

と、伯母から待ち合わせの指示がきた。

「一つだけ席が空いとるけん、友達を呼んでもよかよ」

そうも言われたので、前日、幾人かに声を掛けてみた。

その結果、徳川という友人が来る事になった。

徳川は昨年の日本シリーズ第7戦に俺を誘ってくれた熱烈なるダイエーファンである。

午前8時に家を出、徳川が住む基山というところに車を停め、春が常々「乗りたい」と言っていた電車に乗った。

関東での交通手段、その筆頭は電車であろうが、最寄の駅が30キロ弱という山鹿においては乗らない交通機関の筆頭が電車である。

事実、恵美子は50歳にして自動改札というものを知ったし、俺にしても菊電という超ローカル線に乗ったのが16歳、本格的な電車・鹿児島本線に乗ったのが19歳である。

ゆえ、春にしてみれば絵本で電車を見ていても身近ではない。

大いに喜んでくれるはずであった。

が…、そこは魔の2歳…。

すぐに飽き、それからは大いに暴れてくれ、博多で乗り継いだバスの中でも同様に暴れてくれた。

さて…。

試合の方であるが…。

結果は、ダイエーの勝利であった。

接戦で緊迫感があり、なかなか見所の多い試合だったようにも思う。

開幕戦という事で、オープニングイベントやら何やらで春も楽しめたのではなかろうか。

ちなみに、春にはダイエーのユニフォーム(上)を買ってやった。

3年前から、

「俺の応援着を買ってくれ」

と、ねだり続けたのに買う気配すら見せなかった道子だが、「春のもの」となれば別らしく、すんなり買ってくれた。

「次に行った時には帽子を買ってやろう」

そうも言っているので、春の全身ダイエー、その姿を見せられるのも近い将来であろう。

あ…、全身ダイエーといえば、道子も全身ダイエーといえるかもしれない。

この前、熊本市街に行った時、マタニティーだの何だのをダイエーで買いだめしてたような…、そんな気がするので…。

とりあえず、俺だけが「着たきり雀」だという事は揺るぎない事実である。

ところで…。

反抗期の春であるが、どこへ行っても、

「だっこー、だっこー!」

そう言って抱っこ、もしくは肩車を要求してくる。

断ると、

「いやーん、だめぇー!」

そう言って暴れ出す。

よって、福岡では春を抱き続けるハメになり(現在も筋肉痛が引かない)、その晩は俺も道子も泥のように眠り込んでしまった。

幸い、試合に勝ったから良かったものの、

(負けてたら…?)

その事を想像するに、今回の数倍は疲れ、

「もう行かん」

そう呟いていたかもしれない。

(小さい子供を連れてゆくなら田舎に限る…)

毎度の事ではあるが、そう思った。

さて…。

その翌日であるが、同じカードの試合をテレビで見た。

ダイエーから出ていった村松が逆転満塁ホームランを打ち、乱打戦になる雰囲気まんまんであった。

「なんしよっとや、馬鹿ちんがー!」

怒鳴り、

「昨日じゃなくて良かったぞー!」

叫び散らし、テレビに熱中した。

春は昨日買ったユニフォームを着、俺の膝元にいる。

7回には、昨日から教え込んでいる応援歌を一緒に歌うつもりだ。

が…。

その手前で、画面が青一色となり、

「野球中継終了」

という、味も素っ気もない文字が表示された。

そう…。

熊本ではダイエーの扱いが非常に悪い。

途中で始まり途中で終わるなんて事は日常茶飯事で、放送されればラッキー、そういう感じなのだ。(隣県の野球チームなのに)

「途中でやめるなら放送すんなよー!」

そう言ってやりたいが、向こうからすれば、

「知った事か! スカパーにでも入れ!」

そうなるのであろう。

ふと、昨年の日本シリーズ第7戦を思い出した。

道子が、

「熊本は映らないんだよぉー!」

と、嘆きに嘆いた熊本は今も健在である。

いちおう駄目だとは思いつつ、KKT(熊本県民テレビ)、TKU(テレビ熊本)、KAB(熊本朝日放送)、民放三局に便りを出してみた。

「もっとダイエー戦を取り上げてください」

その返事はどこからも来ていない。

むろん、スカパー、BS、それらの導入嘆願もしたが、女二人に無言の却下を受けている。

分かっている。

分かっているのだ。

「時間を有効に使う」

その点、結果で見る方が断然得策だという事は…。

だが、理で割り切れない何ものかが野球にはある。

(見たい!)

心底そう思っている俺がいる。

が…、見れる環境を手に入れたら、

(大して見ないのかも)

そう思っている俺もいる。

男の興味を引くためには、

「チラリズム」

その具合が大事なのではなかろうか。

って、朝っぱらから馬鹿な事を考えてしまった。

最近は「馬鹿な事を考えている自分」を発見する事が多く、困っているのだ。

さて…。

今日も文を書き、温泉へゆき、いつも通りの一日を終えるであろう事が予想される。

春は今、恵美子と二人、どこかへ散歩に行っている。

反抗期の娘とはいえ、いないとどこか寂しい。

それに桜。

現在、三分咲きであり、早く咲けとも思うが、ゆっくり咲けとも思う。

「人間とは理で割り切れない複雑な生きもの」

池波正太郎がそう言っているように、色々な事を考えると全てが複雑に思えてくる。

ちなみに、道子の頭を振ってみると、

「カラーン、コローン」

そういう音がするのだそうな。(道子談)

池波正太郎は、これを見たら何と言うであろうか。

きっとこう言うであろう。

「なんと幸せな…」

俺もそう思う。

 

 

野球観戦! (04/03/26:道子執筆)

 

明日はパリーグ・ダイエーの開幕戦。  福岡ドームで1時から開始です。

福山家、伯母さんと一緒に福岡ドームまで観戦に行ってきます。

久しぶりの生野球観戦、楽しみ楽しみ♪

それに、ドーム周辺にはホークスタウンや他見所もいっぱいなので、時間があればブラブラ散歩もしてきたいと思います。

春も、電車やバスに乗れるから、今から楽しみな様子。。

ふくちゃんが応援へ行くと負ける、という噂もあるけど・・・がんばって応援してきたいと思います! では、早朝7:30出発、行ってきま〜す!

 

 

元同期の住む町 (04/03/25)

 

昨年の6月20日までサラリーマンをやっていた事は既に何度も触れたが、その辞めた順番は同期で四番目だったろう。

一人目は二年目で辞めた。

「デスクワークなんてやっとれん、消防士になる」

そう言ってやめ、事実、山口で消防士になった。

二人目は三年目に辞めた。

「鹿児島に帰りたい」

そう言ってやめ、日本が誇る大企業・ソニーに転職した。

三人目は俺が辞める三ヶ月前、つまりは五年間働いたところで辞めた。

「長崎で家業を継ぐ」

そう言ってやめ、事実、継いでいるという噂を聞いている。

「今日の日記」では、その辞め順二番目の同期と、その同期が住んでいる菊陽という町に触れてみたい。

二番目の同期は鹿児島高専の卒業で、俺と同じ年にあたる。

「鹿児島に帰りたい」

そう言って前会社を辞めた彼だが、当時、転職先であるソニーの募集口実が、

「熊本に工場をつくるから」

というもので、配属当初は鹿児島だったが、昨年の10月からは熊本へ来ている。

当時、その募集は、熊本へのUターンを望んでいた俺にも掛かり、俺としては当然二つ返事。

「ゆくぞ、道子!」

すぐさま相談したのであるが、

「やだ」

その二文字で叩き伏せられたという経緯がある。

一昨日の新聞によると、天下のソニー様もうかうかしてられない状態らしく、「5000人の人員削減」そう書いてあったが、当時は猫の手も借りたい状態だったのであろう。

ともかく、そういうイケイケの時期にソニーは菊陽という町に工場をつくっている。

何をつくっているかは知らぬが、当時、俺に電話をしてきたオッサンの話によると、ゲーム機だったように記憶している。

菊陽という町は、豊後街道の沿いの町として細々と栄えたところで、現在は熊本のビックバイパス・57号線が豊後街道に並ぶかたちでドーンと通っている。

町の財政を支える企業数は、市である山鹿より断然多い。

立地も良く、空港に近いし、インターにも近い。

熊本市とも隣り合うかたちで、熊本市が合併したい町、その上位に食い込んでいるのは間違いなかろう。

そういう町だから、現在、人口が右肩上がりにブイブイ増えている。

俺がまだ高専に通っていた頃は「ヤンキーが多く生息する町」として有名で、熊本県警も、

「要注意」

露骨にそう言っていたものだが、現在はさほどでもないという。

貧困が暴走を生むというが、その反対で、潤いが抑止力になったのではなかろうか。

二番目に辞めた同期は、その菊陽の中にあって津久礼というところに住んでいる。

ここは菊陽の中でも最強を誇る成長地で、その中でも「光の森」と題された地区は「これでもか!」といわんばかりに開発が進んでいる。

シンボルはユメタウン(大型スーパー)で、県道沿いにある。

これが造りかけの状態でドーンと建っており(6月にオープンらしい)、その周辺を住宅用の分譲地が取り囲んでいる。

同期の住むところは、その開発地の一角にある。

工事中の広大なエリアの中にポツンと建った新築アパートではあるが、数ヶ月もすれば周りを建物で囲まれ、その空もグッと狭くなる事は間違いない。

とりあえず、同期の家に上がり、女っ気をチェックした。

「よーし、女っ気なーし!」

ノリノリなのは、酒がほどよく入っている証拠だ。

この日は雨であったが、俺は午前11時には山鹿を出た。

春と道子も一緒に出て、例のスタンプラリー、その泗水、合志、菊陽で押し、ついでに同期と会ったという流れだ。

同期は鹿児島出身であるから(偏見)酒好きである。

昼飯がてら酒を飲み、大型スーパーの中でラーメンを食った。

「さて、これからどうします?」

「街で呑み直そうか?」

「いいねぇ」

「その前に、ちょっと風呂にでも入ろう」

「よしよし、じゃ、あんたの家に寄って道具をとらにゃいかんでしょ?」

と、先ほど説明した「光の森」に立ち寄ったのだ。

それから、もう一つのスタンプポイントである西合志の大規模温泉施設で風呂に入り、そこで道子と春とは別れ、俺達二人のみが街へ向かった。

ところで、これは余談となってしまうが、熊本では熊本市街地の事を「街」と呼ぶ。

山鹿の中心街や菊池の中心街で飲んでも、それは「街で飲んだ」とは言わず、そういう場合はその地名をあてる。

熊本で神仏化している加藤清正が建てた熊本城、その城下町が現在の熊本市街地だからであろうか。

よく分からない。

とにかく、街へ着いたのは午後6時を30分ばかり回った頃であったろう。

アルコールも食い物も適度に入っていたので、体がそう求めてはおらず、

「ラウンジへゆこう」

と、健康な二人は夜っぽいところへ向かった。

「ラウンジ」という言葉は、熊本では馴染みの薄い言葉で、埼玉でも聞いた事がない。

が…、前会社の本社がある北九州では「スナック」という言葉よりも「ラウンジ」の方が耳慣れた言葉で、その意味も北九州で学んだ。

「スナック<ラウンジ<キャバクラ」

そういう意味らしい。

つまり、テーブル一つにギャル一人がスナックなら、ラウンジが二人に一人、キャバクラが一対一、そういう感じであろうか。

が…、ラウンジといいながらも店によって色々あろうし、それはキャバクラにもいえる。

なので、

「地方によってスナックの呼び名が変わる」

俺はそう認識している。

とりあえず、男二人は迷う事なくラウンジへ向かった。

が…、8時からの営業という事で、開店まで一時間以上の間があった。

この間を、実弟の雅士が働いている靴屋へ行ったり、パチンコをしたりして潰した。

ちなみに、この時の俺の格好はジャージである。

まさか「菊陽での一杯」が「街への飲み」に発展するとは思ってもいなかったから、モロ普段着、ジャージ100%であった。

アパレル関係で働き続ける雅士からしてみれば、そんな兄の訪問は、

「勘弁してばーい!」

そういう感じだったに違いない。

売り子の若い姉ちゃんが弟の隣にいたのであるが、紹介する事もなく、話し掛けるでもなく、まるで他人のように接してくれた。

さて…。

8時を過ぎ、男二人はラウンジへ突入した。

その詳細は嫁の目や親族の目があるので書きたくもなく、また書くべき事もないから書かない。

が…、情報提供日記として、その料金体系だけは書き記しておかねばならないだろう。

 

8時〜9時までにご入店:40分2000円。

9時〜10時までのご入店:60分4000円。

それ以降は60分6000円。

全て、飲み放題付き。

 

パラッと見て回ったが、どこも上と同じ料金体系のようだ。

60分6000円で行く気は起きないが、10時までの来店であれば、まぁ遊べるのではなかろうか。

また、相方の同期が言うに、

「熊本はいいよぉ。安いし綺麗だもん。焼酎もちゃんとしたのを出すしー」

との事で、そう言われると、焼酎も本格焼酎を出すし、ビールも飲める。

値段もラウンジにしては他県より安いのではなかろうか。

参考までに、熊本の夜をこよなく愛している友人Nの話を付け加えておきたい。

友人Nは、

「リーズナブルコースに行くか?」

出だしにそう言うのが口癖で、その「リーズナブルコース」というものは、ボリューム満点の定食屋で500円の定食を食い、そこで腹を満たし、8時にラウンジへ行き、2000円でしこたま飲む。

そういうコースである。

友人N曰く、

「2500円で、食欲、呑欲、女欲を満たせる。更に9時前には帰れる」

との事で、なるほどそれなら早くて安い。

さて…。

その後の俺達の足取りであるが、友人Nを真似るわけではないが、10時までに2軒、ラウンジに立ち寄り、それから豚足屋で名物を食い、いつものようにタクシーを値切って同期の家に帰った。

家に着いた時刻がちょうど午前0時、その後、1時間くらい喋ってから寝たので「実に健全な飲み方」といえるだろう。

翌朝…。

同期は仕事へゆき、俺は徒歩で家を出た。

学生時代、原付で頻繁に通っていた道がそこにはある。

が…、その風景に面影はなく、高い建物で方向を確かめながら歩かざるを得なかった。

(山鹿まで歩いてやろう!)

40キロ弱あるが、そういう意気込みで歩き始めた。

が…、5キロほど歩いたところで交通センター(熊本市街地)行きのバスが通り、ちょうど目の前にバス停があったものだから、つい乗ってしまった。

車窓から見える景色にも学生時代の面影は薄い。

(この辺に住む人達は「故郷が目まぐるしく変わる事」をどう思ってるんだろうか?)

ふと、そう思った。

俺の地元、山鹿という街の人口は一時期減り続けていたが3万人強というところで平行線を保ちつつある。

ゆえ、短期間での変化は薄いが、五年もいなければ変化を感じ取れる程度だ。

特に、温泉に関わるところはその最もたるところで、単に湯が噴出していた遊び場が「温泉」として施設化されていたり、湯治場って感じだった平山温泉に高級旅館が林立し、「第二の黒川」と呼ばれていたり…。

が…、それも菊陽の人達から言わせれば、

「そんなもの、変化のうちに入らん」

そうなるのかもしれない。

菊陽は今、全国でも成長率トップクラスの町だそうな。

(住む人たちが、それを名誉に思っているのかどうか…?)

それはよく分からぬが、道子は、

「こういう新しい街に住みたいよー!」

そう言っていた。

が…、

(変化の早過ぎる町に地元意識が湧くのか…?)

その事は疑問だし、治安や環境問題、それに、

(隣人と疎遠になってしまうのではないか…?)

その事も心配される。

ま…、町外の人間がどうこう言う事ではないが、菊陽の温泉は循環のカルキ温泉、山鹿の湯は掛け流しの素晴らしい温泉、その事だけは事実だ。

ふと、毎日のように市町村自慢をしていた高専時代を思い出した。

「山鹿は温泉がいいんぞー、灯篭もあるんぞー」

「砥用は石橋があるんぞー」

「横島はイチゴが美味いんぞー」

「清和村は星が綺麗なんばーい」

熊本県民は、どうも地元意識が強すぎる傾向があるようだ。

それも田舎の方へゆくほど強い傾向にあるようだ。

ま、地元愛が薄いよりはいいが、強すぎるのも問題なのであろう。

庭の桜が微かに咲き始めた。