節目の続々々報 (04/06/25)

 

昨日、京都へ行った。

午前7時過ぎに最寄の駅である大牟田駅まで送ってもらい、それから特急つばめ、新幹線(のぞみ)と乗り継ぎ、正午過ぎに京都へ着いた。

新幹線に乗るのは人生二度目である。

ゆえ、乗る前はかなり楽しみだったのであるが、行き帰り共に満席で何か息苦しく、車窓の景色もトンネルが多くて楽しめない。

(こんなものか…)

という事で、本を読もうとしたのであるが、行きは豪快な鼾を放つサラリーマンが四方八方にいて集中できず、帰りは中年おばさん四人組が酒を交えて騒いでいるものだから、本を読もうにも読めない。

かなり苦痛な往復9時間・列車の旅となってしまった。

そんな思いをしてまで京都に何をしにいったのかというと、就職試験である。

この一ヶ月前、

「難しいと思いますよ」

就職斡旋会社のこの言葉を受けつつ、俺はO社に願書を出した。

斡旋会社の言葉の意味は、

「書類選考で、十中八九落ちるでしょう」

その意味なのであるが、意外にも通過した。

斡旋会社は、

「おめでとうございますぅー!」

そう言って、書類選考の通過を電話で伝えてくると、

「私の担当だけでも18人書類を出したのですが、通過者は2人ですよ! 2人!」

と、大仰に、その狭き門を説明し、

「何かピンときたのでしょうねぇ…」

と、納得いかぬ声を上げた。

実を言うと、俺の職務経歴書も履歴書も、斡旋会社の言う「こういう風に書け」というマニュアルに沿っておらず、

「これ、もうちょっとどうにかなりませんか?」

その問いに、

「これが精一杯です」

と、修正をさせなかったもので、斡旋会社の提出する書類としては型破りなものだったらしい。

ゆえ、

「損をされると思いますよ」

そう言われたのであるが、

「いいんです、これくらいで駄目なら面接ではもっと駄目ですから」

そう返し、現に二社ほど書類で落とされた。

それから斡旋会社の俺へのアクセスが目に見えて減っていった。

(労力を費やすだけの人材ではない)

そう判断されたのであろう。

が…、どうしても俺と付き合わねばならぬ接点が俺により発生。

リクナビで見つけた京都のO社、この前段階の取りまとめが、この斡旋会社だったのである。

斡旋会社は俺がO社を受けると言うと、前述の「難しいと思います」を連発し、再度、

「この書類でいいんですね?」

書類の確認をしてきたのであるが、「くどい!」と言わんばかりに、

「よかです、よかです」

俺が突っぱねるものだから、それから相手にしてくれなくなった。

それから一ヶ月ほど音信不通の時が流れ、阿蘇の試験を受けた翌日、驚きの(斡旋会社にとって)書類選考通過の一報が届いたというわけである。

斡旋会社は、

「続いて、一次面接を受けに行ってもらいます」

そう言うと、

「面接の基本をメールで送りましたので見てください」

「時間には遅れないように」

など、細々した指示を俺に与えると、

「面接の日時は先方の都合を優先してよろしいですね?」

と、問うてきた。

この時点で、俺はちょっとイライラしてしまった。

学生でもない俺に、「面接の基礎」なるマニュアルを送りつけ、更に基本中の基本、時間に遅れるなとか服装はちゃんとしろ、そのような事を細々と言い、終いには俺の都合を聞こうともせず、「先方に合わせろ」などと言う。

ついカッとなってしまい、

「俺、入学式前の少年じゃないっすよ」

スネた事を言ってしまった。

それから、

「面接の日時は先方の都合に合わせると困ります。自分は来月いっぱい、ちょっと都合が悪いんです」

そう言って、面接の時期を、

「6月26日までにしてくれ」

と、注文した。

この日は6月22日。

つまり、後4日しかない。

「難しいですね」

当然、斡旋会社の返事はこれであり、声質も冷たくなってきた。

ついには、

「なぜ、来月いっぱい駄目なのですか?」

その事を聞かれ、

「熊本城から江戸城まで歩くからです」

正直にその事を告白する運びとなり、斡旋会社に深い深い溜息を吐かせてしまった。

斡旋会社は、

「そりゃ凄いですね」

ヒエヒエの声で呟くと、

「とりあえず先方には今月27日までの面接を希望していると伝えておきます」

そう言って電話を切った。

その翌日…。

又もや斡旋会社から電話があった。

内容は、

「6月24日に面接の約束が取れました」

この報告であった。

この時点で、斡旋会社は俺が「絶対に受験するもの」と決めかかっていたようで、その口ぶりは断定的であったが、俺にしてみれば、

(まだまだ受けるとは決めてないぞ!)

その思いであった。

この電話の前、俺は斡旋会社に対し、

「交通費が出らんなら受けんです」

そう言い切り、斡旋会社はO社に交通費の催促をしている。

回答は、

「一部を負担してくれるそうです」

という事で、その具体的な金額は示されていない。

何せ京都まで受けに行くとなれば交通費も相当なものになる。

更に、その合格率も低く、まさに冒険と呼べる試験であればこそ、

「交通費が出たら受けていいよ」

道子のその言も頷ける。

「交通費の件はどうなりましたか?」

斡旋会社に聞いてみると、

「まだ具体的な額は示されてないんですよー」

そのような事を言う。

「それじゃ、受けるとも受けないとも言えんですよねぇ」

斡旋会社は俺の回答が意外だったのであろう、少しばかり沈黙すると、

「もう一度、先方に確認してみます」

そう言って電話を切り、その日の内に、折り返し電話を掛けてきた。

この時、俺は温泉に行っていて家におらず、電話には道子が出た。(携帯は家族用)

温泉から帰るや、道子は、

「福ちゃーん、30000円も出してくれるんだってー! 受けなよー!」

満面の笑みでそう言ってきた。

これは俺も意外だった。

京都から大牟田までの交通費は30000円ちょい(往復)で、そのほとんどを出すと言うのである。(出して15000円くらいと思っていた)

むろん、速攻で斡旋会社に電話を入れ、受ける旨を伝えた。

ちなみに…。

斡旋会社の対応は、本当に細かくてありがたいのだが、本当にうざったくもある。

面接場所の地図を送ってくれるのはいいのだが、その地図の後に、

「こういう事が聞かれるであろう、だから貴方はこういう態度で面接に臨みなさい」

そのような指示までしてくる。

俺が採用されれば百云十万円も入ってくる(前の日記を参照)のだから、一生懸命になるのは分かるのだが、前にも言ったように、

「子供じゃないんだけん!」

その事を言いたくもなるのである。

さて…。

京都へ着くと、いきなり道に迷った。

斡旋会社が送ってくれた地図を新幹線に置き忘れ、

(確か…、こっちだった…)

直進したら、なぜか本願寺に出た。

仕方がないので道を聞くと、その教えてくれる言葉が京言葉なものだから、

「ほぉー、ほぉー」

その雅な響きに感心してしまい、肝心の内容を聞き損ってしまった。

「ほぉほぉ、こりゃ道を聞くのも楽しかばい」

という事で、色々な人に道を聞き、その京言葉を楽しみながら30分ほど歩き、目的のO社ビルに辿り着いた。

受付で名を名乗ると、既に話は通じているらしく、美人な姉さんが現れ、小奇麗な待合室に案内してくれた。

姉さんは歩きながら俺に何か説明をしてくれた。

が…、姉さんの言葉が京言葉でなく、NHKっぽい言葉で、

(なんねぇー、その言葉はー?)

と、熱くなってしまい、これも聞き損なってしまった。

つい、

「何で標準語ですかぉ?」

口を尖がらせて聞いてしまった。

姉さんは笑いながら、俺が「変わった質問をする」っていうのを、

「されはりますねぇ」

その口調で言ってくれ、上品な足取りで去って行った。

(いいとこだな…、京都…)

それだけで、何だか就職したくなってきた。

広場では40分ほど待った。

俺が30分前に来たのが悪かったのであるが、10分遅れてきた面接官も悪い。

「悪い、悪い! 悪いなぁ!」

叫びながら現れた小柄でガッチリした中年の男が面接官であった。

「どれくらい待った?」

「50分です」

10分上乗せして答えてやり、

「悪かったなぁー!」

豪快に笑う面接官に、

「はい、待ちくたびれました」

悲しげにそう答えてみたりした。

さて…。

この簡単なやり取りからも分かるように、この面接官、実に豪快な中年であった。

「ちょっとちょっと、姉さん、面接会場はどこかいな? 案内しぃ」

そう言って通りすがりの女社員に案内させ、歩きながら面接を開始した。

ま、面接といっても、面接官が一方的に喋り捲るという感じで、

「あんた、フリーやったな名刺も持っとらんな」

「九州の田舎から大変やったやろ?」

「あんた、でかいなぁ。90キロくらいあるんちゃうか?」

「わし、分かり易くて良い性格やろ?」

そんな感じで、俺はそれに一々、

「九州も栄えとるところは栄えとるですよ」

「90キロもなかですよー、75キロ弱ですよー!」

全力で応えるという流れで、面接というより雑談であった。

が…、これが重要な面接であったという事は、後にこの面接官自身が明かしてくれる事となる。

とにかく、話しながら面接会場へゆき、

「こういうもんや」

と、名刺を貰った。

何やら物々しい肩書が付いており、相当に偉い人である事は間違いない。

それから、人事課の人であろうか、若い姉ちゃんが現れ、

「旅費の精算を先にさせてください」

そう言って受領書を書くように指示し、現金30000円を俺に渡した。

ところで…。

京都までの往復交通費は30000円かかっていない。

何やらオフシーズンという事で往復割引が適応されるらしく、27000円で済んだ。

俺は現金30000円を貰うと、「出せ」と言われたわけでもないのに領収証を出し、

「27000円しか払っとらんけど…、30000円、貰ってよかですか?」

そのような質問をした。

姉ちゃんは、その質問を受けると、

「ちょっと確認してきます」

そう言って事務所へ戻り、次に現れた時には30000円でなく24000円を手にし、

「9割負担という事になっておりますので」

そう言って6000円減った事を詫びた。

「はぁ…」

別に3000円の手出しくらい構わないので、その24000円を受け取り、人事課の姉ちゃんに礼を言ったのであるが、この事が、

「それが九州人のしょーもないところよ!」

面接官に言わせると、そうなるらしい。

姉ちゃんがいなくなった後で、

「九州人っちゅうのは馬鹿正直過ぎる!」

面接官はそう言い切り、

「何で出されたものを黙って貰わへんのや? 九州じゃその感覚が通用しても、関西ではその感覚は通用せぇへんで」

熱弁を揮い始めた。

聞けば、この面接官、九州にも二度ほど住んだ事があり、その他にも関西、東海、関東と移り住んだらしい。

その事を言葉巧みに持ち出し、

「九州の人間は確かにええ、あったかい、けどな、馬鹿正直が多過ぎる!」

そう言い、先ほど歩きながら雑談をした時の、俺が一々突っ掛かった事を持ち出し、

「あれはマイナスやぞ、マイナス! 真正面から向かい過ぎなんや!」

真顔で俺を見つめた。

「あんた、九州の典型や! 馬鹿正直過ぎるんや!」

「それは嬉しいです。ありがとうございます」

「褒めとるんやない! その点はビジネスマンとして失敗や、言うとる!」

「そうですかねぇ?」

「これは面接やぞぉ、ビジネスマンとしての態度を見せぇ!」

「ビジネスマンとしての態度ですか…、難しかですね…」

「よっしゃ、だったら、こちらから聞こう。九州の経済について、どう思う?」

面接官主導の元に、轟々と時が流れてゆく不思議な感じを覚えた。

(俺は愚鈍な方ではない)

その自負はあったが、この面接官に比べれば愚鈍も愚鈍であったろう。

何しろ質問の後、2秒も間を空けると、

「サッと応えなぁ、サッと!」

そう言って次の質問に移ってしまう。

(これじゃ斡旋会社が用意したマニュアルも役に立たん…)

あまりにも型破りな面接に、ちょっと苦笑いすら漏れた。

が…、愚鈍と思われては男が廃る。

「よし!」

と、気合を入れ、「九州の経済について」とか「趣味と仕事の関係」など、質問に対し、マッハのスピードで率直な自分の論を展開した。

その論は、聞く人によっては即座に「不採用」の判を押してもおかしくない内容であったろう。

が…、この面接官は何かが違う。

「独自の視点を持っとるやんけぇ、おもしろい」

そういう反応を得た。

また、この面接官の言う事も、一々面接官らしくない。

「仕事ばかりの社員なんて無能な証拠や、趣味は持っとかないかん」

そう言い切り、「小説と仕事、どっちに重点を置く?」なんていう質問はしない。

また、業務に関しても、

「仕事は実際にやらんと分からへん」

そう言って、触れようともしない。

ま…、触れたかも、というところでいけば、

「あんた、一年間も文章書いて、右脳左脳の切換はできるんかいな? 仕事はモロに理系の仕事やで」

「やらんと分からんですねぇ…」

「そうやなぁ、やらんとなぁ」

その会話くらいであろうか。

とにかく型破りな面接官であった。

そうそう、型破りといえば、

「茶が飲みたいなぁ」

急にそう言い出し、ここが茶を出せない場所である事を知ると、

「食堂に場所を移そ」

と、面接会場の引越しを行った事もあった。

だだっ広い食堂の一角で、奢ってもらったカップジュースを飲みながら、

「さ、続きや!」

豪快に笑う面接官に、俺は少なからず惹かれていったのかもしれない。

こういう性格で、その方面(技術)に関しては自他共に認めるスペシャリストで、出した技術系の本も数知れず…。

もし嘘だったとしても、それだけの事をサクッとこの場で言えるのは、相当な力量でなくて何であろう。

また、俺が今までに受けた会社を言うと、超辛口の批評をバンバン述べ、それが実に分かりやすく、的を得ている感じがする。

(こりゃ相当な大物か…、もしくは完全に騙されたか…)

そういう思いを持った面接は初めてであった。

結局は「30分くらい」と案内に書いてあった面接が1時間半になり、

「わしも忙しい身や、これから静岡まで行かないかん。一緒に駅まで行こか」

てな具合に、面接官と肩を並べて駅まで歩く流れとなり、その途中、

「とりあえず、一次試験は合格って言っとくわ」

その証言を得るに至った。

面接官が言うに、O社の面接は一次が直属の上司、二次が人事、三次が役員という流れになっているらしい。

「あんたを使う人間が最初に面接した方が何かと都合がええ、そういうシステムや」

との事で、確かにそれは的を得ている。

「という事は、自分はほぼ受かったと考えてよかとですか?」

聞いてみると、

「一次はそう考えてええんちゃう。ただ、二次三次で落とされる人間がぎょうさんおる。特に、わしが面接した人間は二次三次で落とされやすい」

なるほど、それも分かる気がした。

また、

「一刻も早く人が欲しいってのが正直な気持ちや。あんた、すぐ二次三次と受けぇな」

そう言われたが、熊本から東京まで歩かねばならない事を説明すると、

「あんた、ほんまもんの馬鹿やなぁ」

面接官は、しみじみそう言い、

「けどな…、五十を越えてから思うんやけど、そういうのは若いうちにやっとかないかん、そう思うわ。わしもな、若い頃は日本中を自転車で回ってたもんや。今は足が動かへん」

と、自らの昔を告白してくれた。

「馬鹿旅行が理由ならしゃーない、ま、頑張りぃ」

最後まで、実に気のいい面接官であった。

ただ、

「あんた、何で急いで帰るんや? 京都観光して帰ればよかろに?」

そう言われ、全く同感である事を伝えた後、

「今日は嫁の誕生日で、夕方から誕生会があるんです」

そう答えた時の面接官の反応は実に厳しかった。

「わしは単身赴任ばっかりで、家には年に十日ほどしか帰らへんでぇ」

それから始まり、永延、永延、

「愛妻家っていうのは理解には苦しむ」

そういった関係の話を聞かされた。

また、

「家庭思いは得てして仕事をせぇへん。それを先に聞いとったら、もしかすると落としとったかもしれへんでぇ」

そうも言われた。

さて…。

この印象深い面接官とも別れの時がやってきた。

改札へ向かう階段を、二人並んで登りながら、

(世の中には色々な人がおるねぇ…)

そう思っていると、その内側を見透かされてか、

「わし、変わっとると思うか?」

不意にそう聞かれた。

濁すべきかと思ったが、それは相手に対し失礼だと思い、

「はい、思いっきり変だと思いました」

そう応えたのが別れの瞬間であった。

面接官は、

「そっか…、会社でもよう言われるんや…」

そう呟くと、

「ほな」

そう言って、人ごみの中に消えて行ったが、その「ほな」という歯切れの良い言葉と強烈なキャラクターは、しばし頭の隅に残って消えなかった。

大牟田駅には午後7時に着いた。

8時に山鹿の居酒屋を予約してあり、ギリギリの時間であった。

この道子の誕生会で、

「どうだった?」

家族は俺に、面接の詳細を問うであろう。

その質問に対し、

(あの、変な面接官をどう説明すべきか…?)

そう思うと何やら笑みがこぼれた。

ちなみに…。

今年の道子への誕生日プレゼントは、551の肉まんに生八橋。

例年通り、人を呼んでドーンと飲み会でもしてあげたいところだが、そういう財力も人もなく、そういった点でも早く働いた方がいいのであろう。

が…、そんな事を口に出せば、あの面接官はこう言うに違いない。

「妻を見る時間があったら趣味を見ぃ、仕事を見ぃ、そっちが得やでぇ」

ほんと、世の中には色々な人がいる。

 

 

節目の続々報 (04/06/22)

 

熊本に、バイク乗り憧れの道がある。

阿蘇外輪山の峰に沿った凄まじく景色の良い道で、名を「ミルクロード」という。

「その道の何が凄いのか?」

そう聞かれば、

「なぁんにもない」

それが魅力の道で、とにかく視界に障害物がない。

この道を…。

昨日、車で走った。

午前6時30分に家を出、この道を通ったのが午前7時過ぎから7時30分くらいだったろう。

ちょうど南から上ってきていた台風が四国におり、この影響で、強風と遭遇する事が予想された。

まず、菊池の山中、菊池渓谷を越え、

「さあ、阿蘇らしい景色が広がる!」

そのところに差し掛かると、先の方に真っ白な雲が見えた。

道は、その白いところへ突き刺さっており、そこへ入るや景色が乳白色に変わった。

と、同時に、両脇にあった木々達がなくなったものだから猛烈な風が吹き始めた。

が…、この時点で、俺はその風に気付いていない。

周りが乳白色なものだから、風の状態が目に見えないのだ。

「ブォーン」という初めて聞く音だけが車内に響き、

(あれ…、故障か…?)

そう思い、車を停め、様子を見ようとドアを開けようとするが開かない。(風がドアを押している)

強引に開けると、その隙間から水を帯びた大量の風が吹き込んできた。

それで、この猛烈な風に気付いた。

それから、速度を落としてミルクロードを走り、大観望の手前に差し掛かると、内牧温泉方面から登ってきた車が俺の前に滑り込んできた。

阿蘇地域へ入り、10キロ以上走って初めての車発見である。

この辺りから霧が薄くなってきた。

草原がぼんやりと見え始め、続いて雨の線が見え始めた。

普通は上から下に描かれる線が、下から斜め上に細やかな密度で流れていく絵は、驚きというよりも何か感動を与えてくれる絵のように思われた。

前の車は赤帽のような縦長の軽自動車で、視界が晴れてきたからか、速度を60キロくらいに上げた。

俺はその車の尻に引っ付くかたちで走ったわけだが、前の車の衝撃的な姿を見、すぐにスピードを落とした。

なんと、前の車の片輪が、風に押されて浮いたのである。

これには俺も、

「おおっ!」

思わず叫んでしまった。

むろん、前の車は当事者であるから、俺よりもビックリした事であろう。

スピードを落とし、ハザードを点け、路側に寄った。

俺はその運転手を横目で見ていったわけだが、田中邦衛のような顔で胸を押さえ、何かを叫んでいるオッサンの姿がそこにはあった。

強風は外輪山を下るとピタリと止んだ。

悪条件ではあったが40キロ以上も信号がないため、65キロを1時間40分で走った。

この日の目的地は阿蘇郡一の宮町。

目的は就職試験である。

前回、「節目の続報」という題目の日記でリクナビというツールを用いて就職活動をしている事を書いたが、この日記を書いた後、転職経験のある友人・N嶺氏から、

「俺は職安のサイトを使ってた。参考までにアドレスを送る」

そういうメールが届いた。

それで紹介されるがままにアクセスしてみると、なかなか豊富な情報量で使い勝手もいい。

早速、二十社ほどプリントアウトし、それを職安へ持っていき、紹介してもらう事にした。

ちなみに、このサイトを用いた就職活動の方法として、

1、直接自分で申し込む

2、職安から求人の詳細を聞き、紹介状を貰う

この二通りがあるようで、後者の情報についてはネット上に大雑把にしか載っていない。

また、「紹介状同封の上、履歴書、職務経歴書を郵送」と書いてあるので、どうしても職安へ足を運ぶ必要がある。

面倒ではあるが二十枚の紙を抱え、隣の市・菊池市まで足を運んだ。(山鹿のは数ヶ月前に潰れた)

が…、職安では、

「同時に紹介できる会社は二社まで」

そういう取り決めらしく、用意した二十社の内、二社だけの紹介状を貰った。

それから貰った紹介状を沿え、翌日には書類を郵送した。

紹介してもらった会社は大分の臼杵にあるC社と阿蘇にあるO社であったが、

「大分よりも阿蘇がいいよ」

道子のこの発言を受け、とりあえず阿蘇のO社のみ出してみた。

ところで…。

前の日記で、リクナビから四社ほど願書を出したという事を書いたが、その内二社は、

「オウボワクニ タッシテイマセン」

それを理由に断られた。

残り二社はいずれも勤務地が愛媛で、書類選考を通過したのであるが、

「愛媛は嫌だよー! 理由はないけど嫌だよー!」

道子がそう言い出した事と、受験にかかる交通費が出ない事から辞退した。

その代わり、京都の電機メーカーと、地元山鹿の電機メーカーに願書を出した。

リクナビの便利なところは、郵送でなくネット上で書類を出せるという事で、費用もかからず気軽に出せるのであるが、いかんせん時間がかかる。

「情報掲載時間」というものがあり、その掲載(数週間)が終わって数日後に書類選考の結果が届き、それから面接などのタイミングが決まるため、最低一ヶ月はかかる。

現に、職安経由で出した阿蘇のO社からは郵送した翌日には電話がき、

「来週、面接しよう」

素晴らしい流れで決まったのであるが、リクナビで出した二社は、かれこれ三週間も経つのに書類選考の結果すら届いていない。

これでは俺の性格上ジリジリ…、というよりも忘れてしまう。

以上の理由で、

「第一志望は阿蘇のO社」

自然に、そういう雰囲気ができあがった。

ところで、このO社、何がいいって「阿蘇にある」というのがいい。

ろくに作っているものも調べず、生産技術という募集業種だけを見、

「おい、道子、阿蘇で募集があっとるぞ!」

「ほんとだ、阿蘇って観光するところってイメージで、住むところっていうイメージはないね」

「阿蘇で働くっていったら林業か農業か観光業、それくらいしか想像がつかんけんね」

「じゃ、受ければ」

「えっ、お前は阿蘇でもいいんや?」

「超田舎じゃなきゃいいよ」

「よしっ!」

そういう流れで願書を出し、台風の日に面接という運びになった。

ちなみに、阿蘇にあるO社、山鹿にある電機会社(願書提出中)、それに京都にある電機会社(願書提出中)、いずれも同じ系列で、京都が親会社である。

別にO社系が好きというわけではないのだが、求人一覧の中からピックアップしていくと、必ずO社が残る。

創始者が熊本出身で、地元山鹿では最も大きい企業なだけに、心の奥底で「地元企業=O社」というイメージが出来上がっているのかもしれない。

とりあえず、道子からも両親からも、

「今日は真面目に受けなさいよ!」

そう言われ、いつも真面目なつもりだが、

「今日は念を押して真面目にね」

そうとまで言われているので、ヘラヘラしないように気を引き締めて面接会場に足を運んだ。

待合室には一人の若い兄ちゃんがいた。

どう見ても俺より若く、二三雑談を交わした後、

「学生さん?」

聞いてみると、

「はい、去年まで学生で第二新卒です」

兄ちゃんはそう答えてくれた。

が…、

「第二新卒」

その意味がさっぱり分からず、

「申し訳ないが」

と、聞いてみると「三月に卒業する学生」が新卒で、「三月に卒業した学生」が第二新卒らしい。

時計を見ると、試験開始までは約20分あった。

その間、「現在の文系学生の就職難」という題目で、兄ちゃんに語れるだけ語ってもらった。

聞けば、文系の三分の一は就職が決まらずに卒業する(国立大でも)らしく、それらが第二新卒という立場になり、それが毎年毎年積み重なってゆくものだから、

「競争率も高く、大変ですよ」

らしい。

「そりゃ確かに大変ばい、頑張らにゃんたい、影ながら応援しとるばい」

励ましているところで、O社の総務課の人が現れた。

現れるや第一声、

「お、盛り上がってますね! お二人は同い歳ですから話題も合うでしょ!」

これにはビックリした。

ビックリして兄ちゃんの顔を見ると、兄ちゃんはもっとビックリしたらしく、西川きよしの様な顔で俺を見つめていた。

その顔で、

「何で、そんなに落ち着いとるんですか?」

兄ちゃんは聞き、

「さあ…、落ちついとるかね?」

首を傾げる俺がいるのであった。

さて…。

それから筆記試験(国語と算数)、面接と続いたわけだが、筆記試験は前に受けたE社(悲喜爛々43を参照)のものに比べれば「芯から楽」といえるもので、結果がいいとはいえないが、疲れなかった。

問題は面接で、道子や恵美子からは、

「ネコをかぶれ」

富夫からは、

「時代を考えろ」(今はバブルでない、氷河期だという意味)

そういう厳しいお言葉を頂き、それに沿うよう前向きに望んだのであったが、どうも俺という人間は「演技する」という事が苦手なタイプのようだ。

「なぜ、うちを選んだのかね?」

その質問に、

(教科書的な事を言った方がいい)

そう思いながらも、

「阿蘇にあるからです」

頭ではなく口が勝手にそう答え、

「場所でウチを選んだという事かね?」

「はい」

素晴らしいレスポンスで頷いてしまった。

「なるほど、では、うちの工場で何を作っとるか知っとるかね?」

「知らんです。ただ、阿蘇で生産技術の仕事ができるという魅力、社名と熊本の密接な関係、そこに惹かれたです」

言葉使いも熊本の敬語(です、ますを付けたら敬語になる)を避けようと思っていたのであるが、熱くなってゆくと、

「だけん、そぎゃんなっと思うとですよ!」

そういう具合になっていき、なぜか分からぬが、

(この人達を爆笑させなければならない!)

その思いが体の奥深くから滾々と湧き出してくるのである。

結局は前の面接同様、宴会のような雰囲気となり、砕けた場に成り下がってしまった。

前と違うところといえば、その時間がE社の2.5倍、50分もあった事と、

「文章と仕事を天秤に置いた場合、ちょっとだけ仕事が勝ちます!」

そう宣言した俺の姿勢にあろう。

とにかく、四人の取締役が50分間も次から次に質問してくるものだから、道子や恵美子の言う、

「ネコをかぶれ」

それが出来るはずもない。

モロに、地で勝負してしまった。

面接が終わり、筆記試験があった部屋に戻ると同い年の兄ちゃんが、

「感触、どうでした?」

聞いてきたが、何ともいえない。

悪いと思う人は悪いと思うであろうし、良いと思う人は良いと思うであろう。

そうとしか言えぬ面接で、どうやら俺はそういう面接しかできないようだ。

今日、その事に気付いた。

ただ、

「阿蘇に住んでみたい!」

その思いはバッチリ伝えたし、

「久しぶりに生産技術の仕事をしたくなってるんですよー!」

「もし受かったらハッスルしますよー!」

「俺という人物は比較的お買い得だと思いますよー!」

そのアピールはしたつもりだ。

これで駄目なら仕方ない。

出すものは出した感があるにはある…、のである。

ちなみに…。

「君は技術系一本に絞るつもりはないのかね?」

そう聞かれた事があった。

これに、

「夢のない男なんてつまらんですよ。ただ、夢のために家庭が枯れてしまってはしょうがないけん、枯れんように、その基盤である仕事を第一に考えようとは思ってます。ただ、男としての艶は失いたくないけん、書く事は捨てんです」

そう答え、呆れられるかと思ったら、

「うんうん、ならばよし…」

いい感触の相槌を貰った事があった。

夢というものは人を引っ張ってくれるものであり、諦めるまでそれが存在し、諦めたら次の夢を用意せねば人は立ち枯れてゆく。

その事を皆で確認し、自らを省みる不思議な空気ができあがっていたように思う。(数分間、福山的視線より)

俺が言うのも何だが、取締役の一人なんて、実にいい目をしていた。

多分、あれは、

(俺は一流の技術者になるという夢に少しでも近付いたか?)

(うんっ、近付いた!)

その自問自答の目であったろう。

さて…。

それからであるが、一緒に就職試験を受けた兄ちゃんと近くのジョイフル(レストラン)で飯を食った。

その時、ふと、会社で飯が出なかった事に気付いた。

案内の紙には「昼食はこちらで用意します」そう書いてあったのだ。

「だまされたー!」

さすがに会社に戻って「飯を食わせろ」と言うわけにはいかないので、地団太を踏むだけで済ませたわけだが、かなり腹が立った。

「まぁまぁ、それくらい、いいじゃないですか」

妙に冷静な兄ちゃんの反応にも腹が立った。

(俺に落ち着いてるって言うくせに、あんたのその落ち着きっぷりは何だ?)

その事であった。

帰り道も行きと同じミルクロードを帰った。

霧は完全に晴れており、風は朝ほどではなかったものの、まだまだ強かった。

その中をステレオをバンバン鳴らしながら走った。

流すCDは河島英五ベスト。(最近ハマっている)

「酒と泪と男と女」から始まり、「旅的途上」「時代遅れ」、重い歌詞がズゥンと心に染みる。

♪飲んで、飲んで、飲まれてぇ、飲んで♪

何だか、思いっきり酒を飲みたくなった。

♪人恋しさに飲んだ酒がぁ、また人恋しくさぁせるぅ♪

大勢で飲みたくなった。

♪ねたまぬように、焦らぬように、飾った世界に流されずぅ、好きな誰かを思い続ける♪

そう…。

♪時代おくれのぉ、男になりたぁい♪

俺は時代遅れの男になりたいのかもしれない。

が…、その「時代おくれ」、一番の歌詞、

♪目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬ事は無理をせずぅ♪

これは違う。

間違いなく違う。

(では、俺はどんな人間になりたいのか?)

その事を思った6月21日…。

俺が前会社を辞めてから、丸一年と一日が過ぎた日であった。

 

 

ゆめタウンへ行く (04/06/17:道子執筆)

 

きのう、熊本の新名所(?)「ゆめタウン・光の森」へ行ってきました。

ゆめタウンとは多分九州を中心としたショッピングセンターで、特に珍しい場所というわけではないんだけど、一応6月に新しく出来た場所でもあるし、フラフラ買い物するのは好きなので、お義母さんの休みに合わせて行ってきました。

メンバーは、私、春にお義母さん、それからお義母さんのお姉さん・そのお嫁さんと子供で、計女6人。

12時前にはお店に着いたけど、平日のど真ん中、水曜日に行ったにも関わらず、駐車場からすでにいっぱいで、店内も人人人・・・。

男の人もちょっとはいるけど、ほとんどが主婦であろう感じで、みんな暇ねえ〜どこのゆめタウンも変わらないのに・・とか思いつつ、自分もその中の一人で、やっぱり新しい所は気になってしまうのが人(女!?)なのかしら。。。とか思ってしまいました。

まずはお昼ご飯でも!と思ったけど、どこのレストランも行列が出来てて、子供付きには待つのは大変という事で、空いてたケンタッキーでお昼ご飯を食べて、それから誕生日プレゼントにとお義母さんにワンピースを買ってもらったり、フラフラ店内散策をしたりしました。

光の森のゆめタウンは無印もあるし、かわいい子供服売り場も多くて、レストランもたくさんあるから、落ち着いた頃にでもまた来たいな〜と思うところでした。

それに、映画館もあるから、無料駐車で映画好きな人にはいいかも?

別に、回し者でも何でもないけど、気になる人は行ってみてください!

 

 

歩け (04/06/10)

 

道子の日記に書いてあった通り、七月から徒歩で江戸へ向かおうと思っている。

東京でなく江戸と書いたのには理由があって、

(昔の街道を、城に寄りながら歩きたい!)

そう思っているからだ。

現在、詳細な計画を立てているところなのであるが、出発は熊本城で、到着は江戸城(皇居)経由の春日部となっている。

また、基本的には肥後藩の参勤交代ルートに従い、

1、熊本城から大分(豊後街道)

2、船で大阪まで

3、大阪城、二条城に立ち寄って太平洋側を江戸へ(東海道)

それに沿おうと思っているが、城下町をメインに見てゆきたいと思っているところから、琵琶湖沿いに上へ上へと逸れるつもりだ。

何にせよ、その距離は1000キロを超えるので、前段階の絶対的な準備として、俺自身を鍛える必要がある。

去年、サルコイドーシスになる前は毎朝ウォーキングをしていた俺だが、それ以後は全くといっていいほど運動をしていない。

「よし! 二日に一回歩くぞ!」

という事で、五日前から歩き始めた。

計画によると、旅の間、一日の歩行距離は十里、つまり40キロを想定している。

ゆえ、

「20キロくらいから始めよう」

と、隣町の植木から山鹿までのコースを、豊前街道探索を目的に歩いてみた。

昼の12時半から歩き出し、家(山鹿)に着いたのが午後5時前。

古道の探索が目的なので、迷い迷いながら鹿央町の山中を歩いたわけだが、途中、強烈な股間の痛みに襲われてしまった。

ちなみに言っておくが「股間の痛み」といっても「急所の痛み」ではない。

・ 突然に長距離を歩いた

・ 太り過ぎ

・ 汗たっぷり

この三点による「股ずれ」である。

太腿と太腿の根元が擦れ合い、真っ赤になったその部分に汗が染みるのである。

「うぅー…、痛い…」

山中、人気もないのでパンツを脱いで見てみると、股関節が灼熱の色に変わっていた。

「運動不足という事ですな」

まさにその事で、誰を怨むわけにもいかず、ウンコをした後の春のような歩き方(蟹股)で泣く泣く20キロを踏破する事になった。

その二日後…。

今度は山鹿から熊本市の北部地区まで歩いた。

これは前回よりも距離がちょっと多めで、20キロ強なのであるが、ちょうど国道と平行するかたちで自転車道路が通っている。

そこを歩いた。

股ずれの痛みも日を置いたぶん幾らか和らいでいたが、いかんせん、15キロを超えたあたりからジンジンと痛み出した。

「分かっている! これを越えねばならない事は分かっている!」

自転車で日本全国を渡り走った俺には、その「最初の痛み」を乗り越えねばならないという事がよく分かっている。

自転車の時は、とにかく尻が痛くなる。

サドルとの摩擦で、尻全体が燃えるように痛くなるのだ。

が…、それも痛いのは五日くらいで、それを過ぎると他のところが痛くなったり、感覚が麻痺してきたりする。

最初の何日かが勝負なのだ。

とりあえず我慢して歩き、目的地の北部で道子に拾ってもらった。

この日は家族揃って熊本市街地で買い物をする約束だったのである。

が…、車に乗った瞬間、

「臭いよー、福ちゃん! 汗臭いー!」

道子に駄目出しを食らい、更には夜、実弟・雅士とその彼女と飲まねばならなかった事を受け、市街地のビル、その11階にある温泉へ俺だけが行った。

そこで、

「う、痛い! あ、痛い!」

そう言いながら股間に湯をかけていると、

「あた、なんばそぎゃんキンタマば見よっとかい?」

横からオッサンが話し掛けてきた。

涙目になりながらオッサンを見ると、鼻毛が束で飛び出していた。

こういうオッサンには人情家が多い。

「山鹿から街まで歩いてきたら股ずれしたとですよ…」

そう言って患部を見せると、

「あらぁー…、こりゃ痛かごたる…」

鼻毛のオッサンは自分が痛いかのように顔を歪めてくれ、

「風呂上りにコーヒーでもどぎゃんね?」

股ずれとは全く関係ないが、コーヒー牛乳を飲もうと言ってくれた。

常の俺であれば絶対にご馳走になるところであるが、道子と春を待たせている事から、

「いやいや、また会う事もあるでしょ」

と、急いで風呂を後にした。

後ろからオッサンの笑い声が聞こえた。

俺のアヒルのような歩き方が芯から可笑しかったようだ。

さて…。

それから雅士と雅士の彼女と飲んだわけだが、この雅士の彼女が飲める女で、なかなかいい。

歳は今年21になるとかで、道子より七つも若いのだが、実に落ちついている。

雅士は現在、熊本市の靴屋で働いているのであるが、彼女はその前の靴屋、つまりはライバル店の売り子らしい。

ライバル店の売り子に目を付け、アプローチし、彼女にしたのだから、

(お前…、やるな…)

弟の手腕を認めざるを得ない。

また、彼女のキャラクターもなかなかのもので、

「私、焼酎が飲めないんですよぉー!」

そう言っていたのであるが、

「でも、日本酒は飲めまーす!」

と、軽く四合くらい飲んでくれた。

雅士が下戸で全く飲めない男だから、

「ちょうどいい飲み相手」

それなのであった。

さて…。

ちょっと脱線してしまったが、

「二日に一回は歩く」

その目標に沿って、昨日も歩いた。

昨日は隣町・三加和まで往復した。

距離は15キロちょいで、休みだった富夫と一緒に歩いた。

山鹿から三加和を抜け、南関までの区間、豊前街道は昔の名残をたっぷり残していて、実に趣がある。

案内人がいなければ必ず迷う道なので、古道を愛する人がいれば、俺が案内してもいい。

そういうわけで…。

現在、計3回を歩き、60キロくらい歩いたわけだが、この時点で、日焼けにより顔の皮はボロボロ、それに股ずれ、脇ずれアリという散々な状態である。

また、体重が減っているかと思えばそうでなく、逆に増えている。

これは足が太くなった事と、ビール飲み過ぎによるものであるが、徐々に落としていかねば辛い旅になる事は間違いない。

とりあえず…。

(七月にはベストの状態にもっていきたい!)

そう思っている俺なのだ。

背後で道子の声が聞こえる。

「学生の時とは違うんだからねぇー! デブなんだよ、デブー! やめなよぉー!」

恵美子の声も聞こえる。

「あんたは病気なんだけんねー! やめときなさい!」

病気でデブ、これではどうしようもないではないか。

デブはデブでも、サムハンキンポーみたいな「動けるデブ」に俺はなりたいのだ。

ちなみに言っておくが、どこかのテレビでやっていた「大ちゃん」なるダイエット旅行を真似ているわけではない。

彼との決定的な違い、それは前向きか後ろ向きからの違い。

そう、俺は何につけても、

「前向きでありたい!」

そう願っているのだ。

「どうにかなるよぉー」(道子)

「前向きでありたい」(裕教)

この夫婦がどういう道を歩むのか…、楽しみなようで、ちょっと怖い気もするが、今は考えない事にしておきたい。

 

 

就職斡旋会社というもの (04/06/06)

 

前回の日記で、就職斡旋会社の事を、俺はこう書いている。

「斡旋会社は人を紹介する事で企業から収入を得、企業は斡旋会社を通す事で、無駄な初期選別の手間を省き、人事にかかるコストを削っているのだそうで、かなりの企業が斡旋会社に登録しているのだという」

この記述、確かに間違ってはいなかった。

確かに間違ってはいなかったが、

「人事にかかるコストを削っている」

この一文は間違っていたのかもしれない。

6月1日…。

俺は天神にある就職斡旋会社へ足を運んだ。

「ものは試し…」

そのつもりで半袖半ズボン、夏休みの小学生のような格好でオフィスに入ると、

「本当にラフな格好ですね」

アドバイザー(担当)の男は、開口一番そう言った。

「ラフな格好でいい」と言ったのはアドバイザーの男であったが、まさか、ここまでラフだとは思わなかったのだろう。

男は俺に名刺を渡すと、

「早速ですが」

そう言って、俺の希望条件、履歴の確認をし、

「それでは、具体的に…」

と、該当する求人の紹介を始めた。

男が紹介してくれた会社は全部で五社、仕事内容はエンジニア関係のものばかりで、勤務地は福岡が三社、佐賀が一社、熊本が一社であった。

その内、半導体関係が三社。

「半導体関係はクリーンスーツを着にゃんけん、二日酔いの時に辛いんですよねぇ」

そう言うと、男は驚いた顔で、

「半導体関係をそういう理由で嫌う人…、初めて見ました…」

ボソボソと呟き、

「皆、浮き沈みが激しい事を嫌うんですがねぇ…」

苦笑し、

「とりあえず、6月4日までに紹介した会社を受けるか否かの返事をください」

そう言った。

これにて入口で貰った「面接の流れ」という紙に書いてある問答は終わり、

「何か、質問あります?」

そういう流れになったのであるが、俺としては、

「面接斡旋会社と企業、それに自分が、今後どういう風に関わってゆくのですか?」

その事を聞かずにはいられない。

そもそも面接斡旋会社というものが、

(どうやって経営を成り立たせているのか?)

その事からして、よく分からない。

分からないといえば、俺が使っている就職活動用ツール「リクナビ」も、どのようにして経営しているのか、よく分からない。

企業が、こういった斡旋会社に支払う金額は微々たるものであろう。

また、リクナビに載せる掲載料だとて知れたものではなかろうか。(三万円くらい?)

それなのに、就職斡旋会社のアドバイザー、俺でいうなら目の前の男はワンツーマンで俺に向き合い、労を惜しまず話を聞いてくれている。

彼らの賃金分だけでも相当な額に違いない。

(職安みたいに、こういった活動をやっている集団には国から支援金みたいなものが出るのだろうか…?)

そう思うが、それはなかろう。

思い切って、

「斡旋会社はどうやって金を儲けてるのですか?」

直球で聞いてみた。

男は、就職斡旋会社の立場、役割などを説明した後、リクナビと就職斡旋会社の違いを語ってくれた。

「リクナビは広告料を取る、就職斡旋会社は成功報酬を取る、その違いなんです」

つまり、斡旋会社は幾ら斡旋しても金にはならず、話が決まらねばビタ一文にもならないらしい。

「ですので、私達は福山さんの転職が一刻も早くまとまるよう、書類に関しても面接に関しても随時フォローをしていく、というわけです」

「なるほど…、と、いう事は、なかなか決まらず、ここにズゥーッと世話になっている状態では、御社にとって金食い虫という存在になるわけですね」

「そういう事を言っているわけではないのですが、お互いに、早く決まるに越した事はないというわけで…」

「なるほど…。ところで、込み入った事を聞いて申し訳ないのですが、一件、話が決まるたびに、企業は幾らくらい払うのですか?」

「そうですねぇ…、こういう事はあまり口にする事ではないのですが…」

「教えてくださいよぉー」

「そうですねぇ…、150万ってとこですかねぇ」

「ひゃっ! 150万!」

唖然としてしまった。

話がまとまる毎に、150万の金が企業から斡旋会社に流れるのである。

思わず、

「それじゃ、企業もよほどの人物じゃないと取らんでしょう!」

叫んでしまったわけだが、男が言うに、

「それくらい、いい人材を得るという事は難しい事で、企業もあらゆる手段を用い、いい人材を探しているという事なのです」

だそうな。

ちなみに、リクナビとかに載せるのは「二週間、掲載したら150万」という感じの契約になっているらしく、そこで何人の人材を得ようとも、採用できなくとも、値段は一緒との事で、

「どっちが得かは企業の判断ですがね」

そういう話であった。

男は、

「ま…、この事は福山さんが気にする事ではないから…」

と、ちょっと俺に語った事を後悔する素振りを見せた後、

「話を本筋に戻しましょう」

そう言って、「俺の職務経歴書を普通の職務経歴書に書き直してくれ」とか、「履歴書の写真は普通の顔にしてくれ」など、色々な、

「普通にしてくれ」

という注文を出してきた。

俺はそれらに、

「頑張りたいと思います」

そう答えつつも、中では、

(150万という事は、可能性が薄い企業は紹介してくれないのではないか?)

その危惧を覚え、

「私の希望と合う求人は、無理だと思ってもバンバン紹介してくださいね」

念を押し、事務所を去るに至った。

面接時間は40分。

その中で、

「なぜ、リクナビや就職斡旋会社が経営として成り立つのか?」

その謎が解けた事はいうまでもない。

さて…。

その後であるが、高専時代の級友・浦部と福岡ドームで合流し、最悪の泥試合(杉内がベンチを叩いて骨折した試合)を見た後、居酒屋で午前1時くらいまで飲み、その晩は浦部の家に泊まった。

翌朝は浦部が出勤する時刻に合わせて満員の地下鉄に乗り、山鹿に着いたのは昼前だったように記憶している。

帰るやパソコンを開き、メールをチェックすると、

「お! もう来てる!」

アドバイザーの男からメールが三通も来ていた。

一つは面接で話した内容の確認。

もう一つは、紹介した企業を受けるか否か、その返事の催促。

もう一つは、男(アドバイザー)の勤務時間と休日の連絡であった。

メールの文章はどれも事務的で、そこに親しみは感じられなかったが、彼が、

「話をまとめたい!」

そう思っている姿勢だけはヒシヒシと感じられた。

彼は、その文中に言う。

「私は週休一日で、勤務日は朝9時から夜12時まで事務所にいます」

嘘か本当か分からぬが、実に御苦労な事で、試しに夜の11時30分に、

「紹介してもらった件ですが、佐賀の手袋製造業のみ受けたいと思います」

メールを打ってみると、鬼のような速さで、

「了解しました。つきましては…」

と、返事が返ってきた。

男が、決して楽しくはなかろう斡旋という仕事を、こうも一生懸命にやる事で、成功報酬の何割を貰うのかは知らぬが、

「誰か転職をお考えの友人などいらっしゃいましたら、是非、紹介してください」

そう言ってきたところを見ると、案外いい金を貰うのではなかろうか。

ちなみに…。

ふと思ったのであるが、斡旋業を通して就職し、期待に応えられなかった場合、

「ちっ、150万も払ってコレじゃ、金をドブに捨てたようなもんだ!」

そう言われかねない事に気付いた。

就職斡旋会社を通すという事は、公表されていない求人が見れるというメリットこそあるが、やはり、

「なるべく、人に頼っちゃいかん」

それは物事の基本で、その点、自分で探すのを第一に、

(斡旋会社に頼るのを第二に…)

そのスタンスが良いのであろう。

ところで…。

今日の夜は19時から消防で、雨が降れば中止との話(昨日も消防)であったが、16時ぐらいから一時間、バケツを引っくり返したような雨が降ったものの、それからはピタリと止み、現在(17時半)の空は青々と晴れ渡っている。

二日に一回の消防(大会前で)に、ちょっとうんざりの今日この頃。

「雨よ、降れー!」

祈る、福山裕教なのであった。

 

 

ふくちゃんの計画 (04/06/05:道子執筆)

 

ふくちゃんが、無謀とも思えるような計画を立てている。

本人も前に軽く触れていたけど、私の出産に合わせて、山鹿から春日部まで歩いてくるという。 

ご存知の通り、思い立ったら行動せずにはいられない性格なので、もう止めても無駄。

きのう、6時間も掛けて、歩くルートを決めたらしい。

チラッとそのルートを見てみると、1日40キロ。 計算上、30日コースだったかな?

途中、京都や愛知で休憩(観光)するみたいだけど、今の体型&体力で大丈夫なんだろうか・・。

まあ、テレビに出てるおデブの加藤大も歩いてる事だし、絶対無理って事はないんだろうけど、一応は病気持ちだし、今のご時世どんな犯罪に巻き込まれることやら・・。

それに、季節は真夏!

限界だったらいつでも電車に乗って春日部に向かってほしいけど、多分「男のプライドが!」とか言って、乗らなそうだし、春日部で待ってる身としては、かなりの心配事である。

これで、「ただいま!」って痩せてかっこよくなってくれてれば、まあ文句も無いけど、スタート時よりも太ってたら・・・ただじゃおかない!!

途中寄るであろうポイントのみなさん、あんまりお酒を勧めず、お茶を出してやってください。

そして、健康的な顔をしてるかチェックしてください。

今日、ふくちゃんはこの練習として、植木から家まで歩いて来ています。

今度は、熊本市内まで歩いていくそうです。

無事、この計画を終えることが出来るのか・・8月の結果をお楽しみに。

 

 

節目の続報 (04/05/31)

 

自分というものを、こうも分析する機会は、なかなかないと思う。

就職活動の事である。

自分の武器を探し、やりたい方向と求人を照らし合わせ、

「よかろ…」

呟きながら願書を出す。

前会社が学校推薦だっただけに、人生初の体験である。

その…。

就職活動を始めてから、早三週間が経過している。

前の悲喜爛々「節目の色々」で書いた「やる気のない面接」からは、二週間半が経過している事になる。

この間に出した願書は全部で五つ。

その内の二つには、

「オウボワクニ タッシテイマセン」

無機質な返事が返ってきた。

これは、「大卒以上」という応募枠に、

「達してません」

そう言われたのであるが、これを気にしていたら出したい願書のほとんどが出せない事になる。

また、この応募枠というものが実に曖昧で、

「大卒以上、もしくはそれ相当」

これでは、チャレンジしたくなるのが人情だ。

ていうか、自信家の俺にしてみれば、

「大卒だけん何や! 大卒の奴は学生時代の四年間、コンパとバイトしかしよらんとだけんね! 俺の方が勉強しとるぞ!」

と、なるし、大卒必須のコンパ経験でいえば、負ける気はしない。

また、俺の最終学歴・高専といえば、

「すぐ、留年させる」

その事は有名で、その「させっぷり」といったら、大学の比ではない。

「俺はその荒波を要領の良さだけで乗り越えてきた!」

この自信に、

「五年間、社会の荒波に漂った!」

その事がプラスされ、

「俺の学歴は院卒ちょっと手前」

そう定義する事に決め、応募枠は気にせず、容赦なく願書を出した。

ちなみに…。

俺の就職活動用ツールは、「リクナビ」という転職サイトである。

これ、実に便利で、自分の求める仕事を検索条件に入れておくと、条件に合う求人がズラリと一覧表示される。

俺のやる事といえば、週一回それを見、願書を出すだけでいい。

どこにも足を運ばなくていいので、ほどほどにやる気のある俺にはピッタリの就職活動なのだ。

条件は、九州、四国、中国という勤務地条件に、

「生産技術の仕事」

「書く仕事」

「企画などの仕事」

この三つを合わせ、それぞれに一覧が出るようにしている。

一番目が前会社の経歴を生かした仕事、二番目が憧れの仕事、三番目が興味の持てそうな仕事で、二番目の求人はほとんどなく、あっても給料が激安、もしくは短期の仕事で、

「なんだよぉー!」

道子が絶叫する事は目に見えている。

三番目も二番目と同じくらい求人がなく、更に、ほとんどがオフィス勤務であるから、背広着用、渋滞通勤、これが絶対条件で、ほとんどの応募枠に「経験者のみ」と書いてある。

(商品企画をするのに、何で経験者じゃないといかんのか?)

そう思うが…、よく分からない。

とにかく、

「まぁ、これやろねぇ」

と、目に留まる求人は、全て一番目の「生産技術の仕事」であった。

また、リクナビに登録していると、向こう側からスカウトがくる事もあるのだが、これも生産技術ばっかりで、

(とりあえず…、それに落ち着くより他はなかろぉねぇ…)

社会が求めているものは、「書く技術」より、圧倒的に「生産技術」である事を痛感するのであった。

さて…。

そうなると、次に発生する問題は、

「どこで働くか」

この事であるが、とりあえず、俺としては都会は避けたい。

「ネクタイがいや。渋滞がいや。人酔いするもん」

この事で、「子を育てる環境」という観点からも「ある程度、田舎」という点が好ましい。

道子にしてみても、一年弱の熊本生活で、

「やっぱ田舎がいいよぉ」

そんな事を言い始めたし、この事では珍しく夫婦の意見が一致している。

ただ、道子が言うに、

「とんでもない田舎はやめてよね」

との事で、離島や渓谷近くは嫌なようだ。

とりあえず、再度、道子の言葉を借りると、

「雪国以外の適度な田舎であればどこでもいいよ、福ちゃんに任せるよ」

との事だったので、中国、四国、九州という条件で、大都会を避けつつ探してみた。

それで…。

現在の状況であるが、大手のBという会社(応募枠:大卒以上)が書類選考を通過したようで、

「面接日などの詳細は少々お待ちください」

そう言ってきている。

この会社での仕事内容は、前の仕事と全く同じ、設備の維持管理、設計開発らしく、勤務地は熊本か山口。

また、Kという会社は冷凍食品をつくる会社(応募枠:大卒以上)であるが、これはなかなか面白そうな仕事で、料理人の技を徹底的に分析し、それを機械化、設備化するのだという。

ここは願書を出したばっかりで、勤務地は福岡である。

もう一社、ここも願書を出したばかりで、大手の製紙メーカー(応募枠:大卒相当)がある。

仕事の内容は年間数十億を用い、設備の開発、維持管理をするというもの。

勤務地は愛媛だという。

また、

「どうしようか?」

道子に相談し、

「休みが少ないよぉー! 週休二日じゃないじゃーん! やめなよぉー!」

駄目出しを食らっている会社が一つ。

封筒のメーカーで、奇特にも俺にスカウトメールを出してくれたT社。

仕事内容は、上と同じ設備の開発で、勤務地は香川。

そういった感じであろうか…。

また、今後の活動として、明日、就職斡旋会社のキャリア・アドバイザーに会うため、福岡の天神へゆく。

「就職斡旋会社」とはなんぞや?

それは、友人から紹介され、ネットで調べて知ったのであるが、

「個人経営の職安」

みたいなものであろう。(この解釈は適当)

斡旋会社は人を紹介する事で企業から収入を得、企業は斡旋会社を通す事で、無駄な初期選別の手間を省き、人事にかかるコストを削っているのだそうで、かなりの企業が斡旋会社に登録しているのだという。

また、大っぴらに求人を出していないが、裏で細々と募集している企業が何万社とあるらしく、

「その裏求人が見れる!」

それが斡旋会社の魅力のようだ。

とりあえず、評論好きの俺としては、

「試してみてからでないと何も言えん」

という事で、明日、面談を受け、それから幾つか紹介を受けようと思っている。

ちなみに…。

面談を終えた日の晩は、福岡ドームでダイエー・ロッテ戦を見る。

その後、浦部という高専時代の友人と天神で飲み、その晩は彼の家に泊まる予定だ。

むろん、この面談日を決める前に、野球のある日を調べ、それから浦部に連絡をし、飲む約束を取り付けてから、

「この日でお願いします」

斡旋会社に日時指定をした事は言うまでもない。

斡旋会社のアドバイザーは言う。

「当日は、ラフな格好でお越しください」

明日は、半ズボンにTシャツ、バックにはダイエーのユニフォームとメガホンのみを入れてゆくつもりだ。

就職活動は、徐々に徐々に熱を帯びてゆく。

(来月中には決めたい…)

そう思っているが、どうなるかは分からない。

ところで…。

春が新しい言葉を覚えた。

「チンチン オッパイ イコー!」

何が言いたいのか、こちらもよく分からない。

 

 

スタンプラリー終了!! (04/05/29:道子執筆)

 

長かったスタンプラリーの旅が、26日、天草の姫戸町をもって終了した。

本当〜によくまわったもんだと思えるくらい、ハードな旅だったと思う。

熊本で生まれ育った人でも全市町村は行った事がないんじゃないかと思えるくらいだけど、2歳の春も、1000gの胎児も90箇所全制覇、よくがんばったと思う。

もちろん、ふくちゃんも私も。

でも、また行ってみたい!と思えるような場所を見つけたり、美味しい物が食べられたりと、いろいろ経験することが出来て、本当に楽しい素敵な旅になったと思う。

これで、10万円の旅行券が1人でも当たれば、かなり有り難いんだけど。。

とにかく、スタンプラリーも終了して、私のお腹もだいぶおっきくなってきた事だし、当分は大人しく、旅も控えていきたいと思う。

6月30日、結果をお楽しみに・・・。

 

 

スタンプラリー完了 (04/05/27)

 

昨日、

「めざせ! 熊本県内全市町村完全制覇!」

これがキャッチフレーズの「よかとこ熊本スタンプラリー」を終えた。

長い長い道程であった。

延べの走行距離、1500キロ近くなったろうか…。

これだけやって、商品は、

「旅行券10万円分が当たるかも!」

これであるが、まぁ、当たらずとも、熊本を知る良い機会になったし、良い旅行の口実になってくれた事は否めない。

今日の日記では、3月4日、三加和町から、5月26日、天草の姫戸町まで、その過程を列記し、簡単ではあるが終わりにしたい。

 

3/4 三加和

3/9 菊鹿(2)

3/10 鹿本、鹿央(4)

3/11 鹿北(5)

3/16 菊水、玉名、長洲、荒尾、南関(10)

3/18 横島、天水、岱明、植木(14)

3/21 山鹿(15)

3/22 泗水、合志、菊陽、西合志(19)

4/4 玉東(20)

4/6 大津、長陽、白水、高森、久木野、西原、旭志、菊池、七城(29)

4/8 阿蘇、一の宮、波野、産山、南小国、小国(35)

4/13 嘉島、城南、松橋、鏡、千丁、八代、宮原、東陽、泉、中央、砥用、甲佐(47)

4/16 田浦、芦北、津奈木、水俣、坂本、竜北、小川(54)

4/20 熊本、益城(56)

4/28 富合、宇土、不知火、豊野、御船(61)

5/10 球磨、山江、相良、人吉、錦、あさぎり、多良木、湯前、水上(70)

5/11 五木、矢部、清和、蘇陽(74)

5/25 三角、大矢野、松島、有明、本渡、五和、苓北、天草(82)

5/26 牛深、河浦、新和、栖本、倉岳、御所浦、龍ヶ岳、姫戸(90)

 

ちなみに…。

4/6・4/8の事は悲喜爛々40「道子と嫁」に、5/10・5/11の事は悲喜爛々42「緑の世界」に書いている。

5/25・5/26の事も「青の世界」と題し、写真付きで天草を紹介したいと思っているが、どうするか、よく分からない。

多分、「春の部屋」に写真を載せるだけになるだろう。

 

 

誕生日 (04/05/17:道子執筆)

 

5月15日は、ふくちゃんの27回目の誕生日でした。

毎年、「誕生日には何が食べたい? 何か欲しいものある?」と聞く度に、本人は「別に何もしなくていい。別に欲しい物もない。」と言うから、私も何かしなきゃな〜と思いつつ、その言葉を真に受けてあっさりとした誕生日を過ごしていました。

そしたら、後になって、「俺の誕生日は普通の平日と一緒にされる。 春の時と扱いが違う。」と結構女々しく(!?)ひがまれたりするので、今年は同居もしてるし、ちょっと気合を入れて誕生日会をすることにしました。

もちろん、そうは言ってもコース料理を出すわけではなく、ふくちゃんの好物の「カツ丼」を作って、後は揚げ物つながりで野菜やエビを串揚げにして、鯛の刺身をサラダで合えて、デザートにお義母さんお手製のチーズケーキを用意しました。

気持ち華やかにと、クリスマスに使った金銀のヒラヒラを飾って、食卓に花を置いてみました。

プレゼントの方は、いろいろ考えた挙句、これだ!っていうのを思いついたのが前日で、用意する事が出来なくて、何もあげないで後々文句言われても嫌なので、ちょうど本屋で見かけた「パチンコ攻略本」をあげることにしました。 (全然喜んでもらえなかった・・)

お義母さんからは、ふくちゃんの大好物「キリン1番しぼり」(ビール)を貰って、大喜びの様子でした。

(やっぱりふくちゃんにはアルコールが1番か・・)

ちなみに、私が前日に思いついたプレゼントというのが、ダイエーの応援ユニフォームで(春とお揃い)、お出掛け好きな福山家はなんと今週水曜日に福岡ドームへダイエー戦を見に行くので、その時にでも買ってあげようかな〜と思ってます。

ふくちゃんお楽しみに。。

と、こんな感じで一応2004年度の5月15日は過ぎていきました。

次のイベントは5/27の結婚記念日と6/24の私の誕生日。

ちょっとだけ期待をしつつ・・・今日の日記を終わりにしたいと思います。

では、また。。

 

 

若松競艇 (道子執筆:04/05/07)

 

5月1日、待ちに待った「若松競艇観戦ツアー」へ行ってきました。

詳細はふくちゃんの日記で読んでもらうとして、私の感想を簡単に書きたいと思います。

とにかく、人生の初舞台?となるイルミネーション点灯式は、緊張!の一言に尽きました。

思ってたより会場も小さかったし、重々しい雰囲気は全然無かったけど、人前に出て何かをするという事になれてない私には十分すぎるほどの緊張感を味わいさせてもらいました。。

(その緊張した姿がふくちゃんには「ET」と呼ばれてしまった・・・チッ!)

行くまでは「さとう珠緒と握手するぞ!出来たら写真も一緒に!!」と気合が入ってたけど、実際は式の直前に現れ、終わったらすぐに帰ってしまったのでそんな暇はなく、隣に座ってるときはファンも見てるし、私が緊張しまくりで気持ちに余裕も無く、何もする事が出来なかった・・。  残念!

でも、唯一自慢出来る事(?)が、点灯が終わって、イルミネーションに明かりが付いた時、さとう珠緒が私に向かって、「わあ〜すごく綺麗ですねえ〜」と言ってくれた事!! 

とっさの事で返事は「あ、はい」としか言えなかったけど・・。

それから、間近で見た「生さとうたまお」は、テレビのままで、小顔で目がクリクリしててかわいー!って感じでした。 あのかわいさならブリッコも許されるかな、という感じで。。

一応メインイベントであった点灯式はこんな感じで終了して、ふくちゃんには「全く面白くなかった」と言われたけど、別に面白くしようなんてこれっぽっちも思ってなかったから、そんな事は気にせず、この日は貴重な体験をさせてもらいました。

競艇の方はというと、たった1回、130円当たっただけ・・

こちらは期待はずれでした。。

でも、勝負事も楽しかったし、2日間の北九州散策も楽しかったし、2004年GWは思い出に残る年となりました。

また、いつか採用される日を期待して・・これからも『ネーミング』続けていきたいと思います!

 

 

春  (04/04/30:道子執筆)

 

最近の春は、友達の名前もだいぶ言えるようになって、「ことちゃん、ことちゃん」「れいちゃん、れいちゃん」と連発したり、会えば両手でほっぺをギュっと持ってチューしたり、手を繋いで散歩したりと、よく遊ぶ子は『友達』という意識が強くなってきている。

また、福祉センターにいるじいちゃん、ばあちゃん達にも、五木ひろしのモノマネをしたり、「こんちはー」と生意気な挨拶をしたり、愛想もなかなかいい方である。

そんな春には全く人見知りは無いかな〜と思ってたら、火曜日にいつもと違う子供の集いへ連れて行ったら、なんだか落ちつかない様子で、知ってる人もいなかったから「いこ、いこ・・」と早く帰りたがったり、一応人見知り(?)らしきのはあるのかな、という感じであった。

感情も豊かになって、芸もいっぱい増えてかわいい(面白い)のはいいんだけど、それ以上に成長しているのが「食欲」。 

本当〜にすごいものがある。

今日も、ぽかぽかに行った時、パン屋さんが来たら、「パン〜! パン〜!!」と暴れだし、11時半くらいから今度はバッグを指差して「まんま〜!まんま〜!!」と言い出し、泣き出し、暴れだし、絵に書いたような駄々っ子ぶりを発揮してくれる・・。

食事中には、自分のお弁当がまだあるのに、先生の所へ行って「これ!」と竹輪を貰ってきたり、デザートのリンゴが無くなったら怒り出したり、友達が残したジュースをもらって飲んだり・・他にもまだまだいろいろ・・。

今日は4月生まれの子の誕生日会があったけど、その時に配るおやつを袋に分けてる時に、「ちょうだ〜い!」って寄ってくるし・・。 その時まだ2時!!

子供がご飯を食べなくて困ってるママ達には、「春ちゃんいっぱい食べていいよ〜」と言われてたけど、さすがに今日の春を見たぽかぽかママ達には、「いっぱい食べて羨ましいけど、毎回こんな泣かれたらやっぱり大変そうだね〜」と言われてしまった。

早く、「自分が食べたから無くなった」、っていうのが分かってくれればいいんだけど、まだそれを理解するには時間が掛かりそうで、困ったもんである・・。

妊娠中にお母さんがよく食べてたものを子供も好きになるって聞いた事があるけど、そんなに私はいやしく食べてたかなあ〜・・  ほどほどだった気もするけど・・。

ま、今のところポチャポチャですんでるから??これ以上太らないように、いっぱい運動もさせて、年頃になって「お母さんのせいで太った!」って言われないようにしないと。

(これ、私が実際に親に言った!)

今、春は昼寝から起きて、また何が食べたいのか、何がしたいのか、泣き続けている。

全く今日は泣いてばっかりでイライラしてしまうなあ・・ ハァ〜

では、グズってる春をふくちゃんに任せて、私は夕飯の準備でもしようかな。