珍客 (02/7/14)

 

高校一年の時に会ったきりの『松本陽一郎』という男がいる。

中学二年時の級友である。

極めて貴重な人種の為、繋がりを断つ事が

(もったいない)

そう思え、社会人になってから何度か電話で連絡を取ってみた。

しかし、陽一郎は電話に出なかったし、留守電に入れたメッセージを聞いても電話すらしてこなかった。

(ふ…、中学時代の親友なんてそんなものか…)

俺は思い、北九州の海に

「チェッ」

そう舌打ちをこぼしたものだった。

さて…、なぜ故に陽一郎が『貴重な人種』なのかと言うと、俺よりも格段に顔が大きく、俺よりも頭が切れ(自称)、更に俺よりもよくフラれていた男だからだ。

つまり、俺の特徴(短所?)を全てにおいて一回り大きくした様な男なのである。

俺にとってそのようなタイプは25年見てきた中で陽一郎だけだったし、まさに『貴重な人種』と言え、さながら、天然記念物のトキ、もしくはパンダみたいなものだったのだ。

今年5月…。

(8年も会ってないけんが顔も思い出せん…)

ふと、とある事がきっかけで、陽一郎を思い出そうとしてみた。

HPの掲示板に『陽一郎』の名で書き込みがあったのである。

陽一郎と言うと、義理の兄貴とあの陽一郎しかいない。

義理の兄貴が掲示板に書き込むなんぞは

(絶対にありえない…)

そう確信できる。

まさに、あの陽一郎しかいなかった。

聞けば、彼は検索エンジンで『松本陽一郎』と自らを入力し、それでこのHPを引っ掛けたという話だった。

ネットで世界中が繋がってしまった今となっては、どこに縁が転がっているか分からない。

その確たる例であろう。

それからパラパラとメールをやり取りし、つい二週間ほど前、

「13日に埼玉に遊びに来る」

そう陽一郎が言ってきたのだ。

(おお…)

俺はその日、高専時代の級友達と『パチンコ合宿』という名目で用事を入れていたが、それを後から参加するという形にし、快く了解した。

13日…。

遠路はるばるやってきた陽一郎は、現在、大阪の商社で働いているという。

「今、池袋にいる。そろそろ着くけんがお迎えをよろしくー」

陽一郎が8年ぶりの声を聞かせてくれた。

(ぷ…、ちょっと中性的)

そう思ってしまうソプラノの声質だった。

駅で対面する陽一郎はなぜか派手派手のアロハ風シャツを身にまとい、少しだけ垢抜けた印象は受けたものの、中学時代となんら変わりは感じられなかった。

多分、陽一郎は俺を見て、

(ぷ…、太ってる…)

そう思ったはずだ。

あの時よりも、25キロほど増えているのだから…。

うちに着くと、俺はあの時には考えられなかった『俺の家族』を紹介し、それから陽一郎の8年間を事細かに聞いた。

話を聞いて、

(陽一郎は相変わらずだなぁ…)

そう思ってしまった。

彼の話す一つ一つに、中学時代同様の『異常とも言うべき思い込みの激しさ』と『並々ならぬ行動力』が織り込まれていたのだ。

例えば、

「高校時代に軽く20人強にふられた」

そう謙遜気味に陽一郎はこぼしたが、軽く見積もっても彼が今までにフラれた人数が100は越えたと思われ、前述の特徴がうかがい知れる。

生々しい最新のエピソードも語ってくれた。

(そろそろ結婚するか…)

陽一郎にはそう思ってしまう相手が少し前までいたという。

その彼女とグアムに行く約束をしており、陽一郎は着々と準備を進めていたそうな。

旅行の一週間前、陽一郎はその彼女に

「話がある」

そう呼び出され、

「好きな人が出来たの。別れて」

彼女に突然の言葉を浴びせられたという。

さすがに別れ言葉に慣れている陽一郎もグサリときたが、そこはグッと我慢し、

「旅行だけは行こう。今更、キャンセルは出来んばい」

涙声でそう言い、しこたま、最後の彼女を楽しんだそうな。

陽一郎は、

(これだけ楽しんだんだし、俺の元に舞い戻ってくるに違いない…)

そう思ったそうだが、

「これからは一切電話しないでね」

日本に着いた途端にバッサリと切られ、聞けばその好きな男というのは陽一郎の友人だったという漫画的オチも付いたらしい。

そういった話が続々と出、たかだか8年間を聞いただけでも、その引き出しの多さに驚かされた。

内容は全て、そういった、ある種、自虐的な話であった。

ところで…。

陽一郎は中学時代から作家じみた活動をしており、読書感想文コンクールでも全国の優秀賞やら何やらを貰っていた。

とにかく、文を書くのが昔からうまい男だった。

九州で一番レベルが高い『九州大学』にも作文一つで通っている。

陽一郎が言うには

「俺は極めて文系だ。算数から数学になった時点で理系は捨てた」

自らがそう言う通り、彼は文章一本で階段を登ってきた。

一年程前から文学青年を目指す俺としては、当然、彼が『文豪』になっていると思っていたし、先へ進めばいずれ陽一郎と会える事だろうとも思っていたので、

「今は、世界を股にかけて貿易関係の仕事をしている」

なんて陽一郎が言った時には心底驚いたものである。

「作家になろうとは思わんかったんや?」

俺の驚き顔での質問に、陽一郎は

「思ったよ。しかし、今は仕事が楽しいから」

そう答えている。

「俺が本気を出したらいつでも転向は効く」

陽一郎の語る一言一言に強い自信がみなぎっており、目がそう言っていた。

鼻元には油もじわりとみなぎっている。

(さすがだな…)

俺は久々の陽一郎に、久し振りの『深い頷き』を見せてしまった。

そんな中、道子は陽一郎をジッと眺めていた。

陽一郎の顔の大きさに驚いたのである。

「福ちゃんよりも大きいですねぇー」

思わず溜息交じりに発してしまった道子に、陽一郎が、

「福山は地元では小顔に属しとったぞ」

そう言ったものだから、

「うそー、福ちゃんが小顔ー、超笑える、最高だよー、プハー」

道子は笑い転げた。

そういった意味でも陽一郎は

(さすがだな…)

そう思えた。

別れ際、

「また会うぞ、次はいつ山鹿に帰る?」

陽一郎がそう聞いてきた。

「9月に帰る」

そう返すと、

「飲み会の日を決めよう」

「よし、ジャイコ(共通の友人)に電話しよう」

「いいねー」

そうなり、9月14日に飲み会が決まった。

陽一郎らしい即決で、久し振りに気持ちの良いカラリとした風を感じた。

「じゃ!」

陽一郎はそれだけ言うと、俺の前から消えた。

夜は銀座で大学時代の友人とキャバクラに行くそうである。

(変わらんなぁ、陽一郎…)

そう思うと、笑いがこぼれた。

中学二年…、まさに俺の青臭い青春時代がその時であり、陽一郎こそが青春そのものであった様に感じる。

(俺も変わらん様にせんとなぁ…)

そう思う自分に気付くと、

(こうやって、昔に触れる事は自分自身への良いハッパになる。…9月14日、クラスの皆はどう変わっているだろうか? それを思うと今から楽しみだ…)

そうも思い、ニヤリとしてしまった。

机の上には、

「酒は飲んでもいいが控えるように」

医者からそう言われたばかりだったのに、気付けばビール12本とウイスキーが空いていた。(昼間っから:午後2時〜5時)

(しまった、しまった、調子にのり過ぎた)

思ったところで、ふと、陽一郎がタバコを忘れている事に気付いた。

ライターも転がっていた。

それで思い出した。

(陽一郎は極めてルーズな事で有名な男だったなぁ。即決で決めた事をはたしてあいつは守るのだろうか? 不安だなぁ…)

タラリと汗がこぼれた。

「頼むぞ、陽一郎! 14日は楽しみにしてるんだからな!」

ルーズな陽一郎にそう聞かせ、7月14日の日記を終わりにしたいと思う。

「重ねて、9月14日がお流れになりませんように!」

合掌。

 

 

何も言えない日 (02/7/11)

 

休憩所でジュースを飲んでいると、隣に顔見知りのパートのオバサンがやってきた。

「あら、福ちゃん」

言ってニヤリとしつつ、

「最近、見ないじゃない。どうしたの?」

そう聞いてきた。

「いやぁ、定時で帰ってますので、時間中は忙しくて遊びにいけないんですよぉ」

「そう…。でも、昔から5時には帰ってたんじゃないのー」

「昔は帰ってませんよー」

たわいのない会話が続く。

その中で、ふとパートが何かに気付いたようだ。

「あら!」

驚嘆の顔と共にこぼすと、続けて、

「福ちゃん、ちょっとお肉がたるんできたんじゃないの」

俺の腹部に一点集中して言った。

「何を言うんですか。73キロ、現状維持ですよ」

俺は慌てて返したのだが、パートの目は冷ややかである。

「ちょっと、顎の辺りもパンパンしてきたんじゃない?」

パートは言いながら、視線を顎へ、そして二の腕へ、最後には腹に戻した。

「パンパンとは失礼な。みずみずしいと言ってください。若者ですから」

俺は二の腕に力を入れ、パートの前に差し出し、そう返したものだったが、パートはそんなもの、見もせずに叫んだ。

「それは『みずみずしい』とは言わないの! 汗ダラダラ『暑苦しい』と言うのよ」

(な!)

言われてみれば、確かに『暑苦しい汗」が一杯に噴出している。

台風一過で気温が30度を裕に越しているのだ。

(しかし…、なんて事を!)

パートは死人の様に無言でたたずむ俺に、

「それもただの汗じゃないわね。それはラードよ、冷えると白く固まるわよ。気を付けなさい」

そこまで言ったのだ。

(くっそー)

思ったが、ゲラゲラ笑って去っていくパートに何も言えなかったのである。

まさに、

(何もいえなくて夏)『歌:J-WALK』

であった。

さて…。

それから真顔で俺の腹部に注視してみたのだが、食い込むズボンの上にドロンと乗っかる肉達が見える。

前、脇、後ろ、全方向において、満遍なく飛び出しているのだ。

今にも体から溢れ出し、

「行くぞ、脇の脂肪君、俺達も飛び出す時だ!」

「よーし、前の脂肪君、飛び出せ青春! 完全燃焼! ヤッホー!」

言いながら、重力にのって、ボトリと落ちてくれそうなものだが、実際はそんなわけがない。

たっぷりと、そして、ガッシリと俺の腹部に食いついているのだ。

(はぁ…)

一つ溜息をつき、トボトボ事務所に戻って、このHPの掲示板を見た。

友人だけじゃなく、家族までもが、

『デップリと太った体躯、刈り上げた首の根元に鏡餅の様な肉』

こう表現した、俺の日記(7/9)に対し、

「それはお前だろ」

そう突っ込み書きしているのだ。

(なんて事だ…)

二つ目の溜息をこぼしてしまった。

定時の時刻を迎えた。

「ふー、今日も真面目に働いたなぁー」

言いながら、色々と落ち込んでしまったハートに鞭を打ち、

(元気を出さなければ!)

思い、席を立とうとした、その時だった。

ビリッ…。

頑丈に出来ているはずの作業用ズボンの腹部が悲鳴をあげた。

(ズボンまで俺に…)

極めて寂しくそう思い、ソーッと視線を落とした。

その時、また誰かが俺に声をかけてきた。

「お、福ちゃん、もう帰るの?」

ゆっくり顔を上げて見てみると、『デブ』で評判の先輩だった。

「はぁ、帰ります」

俺は小声で言いながら、ズボンをチェックしつつ席を立った。

作業着は見たところ、モロに破れた場所は見当たらない。

(中の生地だった様だ。セーフ)

思いながら、

「先輩こそどうしたんですか? 久し振りですね」

引き攣り顔で聞いた。

久し振りに会う、九州の先輩である。

出張で来ているのであろう。

「いやぁ、ヤボ用でな。ん…、お前…」

先輩は言いながら、俺の顔をマジマジと見た。

即座に言われる事が分かった。

「太ったか?」

思った事をモロに言われた。

当たり過ぎた事がそこはかとなく俺のハートをブルーにさせる。

「先輩には到底かないませんよ」

俺は悪人笑いを見せ、吐き捨てる様に言った。

しかし、先輩は俺の言葉には耳も傾けず、ザクリと俺の心を一刀両断にする長台詞を言い放った。

「今のお前を構成する要素は『丸』だけやね。6つの『丸』でお前は出来とる。顔と腹の大きい『丸』二つやろ、それに手・足の小さな『丸』4つ。計6つ。まさに、ドラえもんやね」

(…)

無言でたたずんでしまった。

先輩はまたしてもパート同様、笑いながら去っていく。

それをまたしても虚ろに眺める俺。

(何も…、何も言えない…)

まさに、7月11日、今日という日は『何も言えなくて夏』その日であった。

(♪綺麗な指してたんだね〜、知らなかったよ〜)

 

 

目標 (02/7/10)

 

『公募ガイド』を購入し、執筆の目標を立てた。

今年2月にも同様の目標を立てたが、2日しか守れず、虚しく貼られた計画表は5日目で剥がされる事になった。

思えば、二週間ほど前の日記で、禁酒の誓いをしたものの、それも守られていない。

現に、これをビール片手に書いているのである。

(むむむむ…、俺は意志が弱いのか…)

自信家なのについそう思ってしまう。

ふと、ダイエットを誓う俺に、友人が『いつもの様に浴びせる言葉』を思い出した。

「あーあ、また始まった」

「はいはい、分かった分かった…」

「お勝手にどうぞ」

「何も言う気にならん」

「うんこ」

等々…。

思い出せば思い出すほどに、

(ああ、とってもムカツク…)

なのだ。

春の寝顔が横になかったら壁をグーで殴っているところだ。

(ああ、あいつらの頭の上に、ミカン食った後の伸びる唾をソォーッと垂らしてぇー!)

そう思うのだが、俺も大人なのでこの辺で気を静め、誓いの言葉を宣誓させて頂く。

俺を罵る奴等にも、信じきってる奴等にも、今回だけはマジに誓わせてもらう。

まず、

「週一件のペースで短文(エッセイ等)を応募する!」

更に、

「二ヶ月に一本、100枚以上の小説を出す!」

そこまで言ってしまう。

ノッてきた。

この際、罰則まで付けてしまおうではないか。

「もし、一年後(2003年7月10日)に獲得賞金が100万円以下だったら、このHP上に裸で土下座写真付き謝罪文を載せようではないか!」

更に、皆様にプラスになるコレも付けよう。

「上の条件が守れなかったら、福山家全負担において、残念パーティーをやってやろうではないか!」(先着50名様まで、俺のお酌付き、「HPを見た」と言ってください)

多分、道子は

「なんで、勝手にそんな事を言うんだよぉー。最低ー、家計苦しいのにー」

そう言うだろう。

しかし、俺には自信家が自信家である為の『満ち満ちたる自信』が今だけあるのだ。

今の俺なら何でも言える。

例えば…。

来年の夏前には全金歯でシャネルのジャージを身にまとい、

「ウハウハ」

まさに、漫画みたいに札束の風呂に入って笑っている事であろう。

とか。

道子は孔雀の扇子で自らを扇ぎ、純金のグッチ製便座に座って力んでいる事だろう。

とか。

春はダイアモンドが埋め込まれた使い捨て和紙オムツをはいているに違いない。

などなど、何でも思うがままに言ってやる。

金は捨てるほどにあるのだ。

「ええい、尻でも、脇でもお札で拭いてやれ!」

更に言うぞ。

「お札で焚き火だ。焼芋焼くぞー、えいやー!」

…。

少しだけ虚しくなった。

いくら思うのはタダだと言っても、書いてまでみるとその虚しさはひとしおである。

(俺が今、本当に一番欲しい物ってなんなんだろう?)

ふと、考えてみた。

(大人用ホッピング!)

瞬時に出てきたモノがそれであり、それが少しだけ悲しかったり、はたまた、少しだけ微笑ましかったりするのだが、結局、分かった事は

(俺は庶民だ。根っから庶民だ)

そうなる。

今日は話が飛び跳ねてどうもいけない。

(日記ゆえにお許し頂きたい)

そう思う。

今日は道子と喧嘩もしたし、台風だし、気が立っているのだ。

(はぁ…)

長くなってしまったので、一部の方にメッセージを投げかけて終わりにしたいと思う。

俺と仕事で関わりのある方々へ…。

「毎日定時退社で頑張るぞー」

以上、よろしくお頼み申し上げ、7月10日の日記とさせて頂く。

 

 

食堂の男 (02/7/9)

 

社員食堂が三ヶ月前くらいに新しくなった。

プリペイトカード式になり、ライン式食器洗い機も導入された。

場所も建ったばかりの8階建てビル2階に移り、メニューもお洒落にアラカルト方式となった。

皆が皆、これが建つ前には築40年の旧食堂で

「うっひょー、楽しみぃー」

そう言って、新食堂の開始を心待ちにしていたものだ。

しかし…。

蓋を開けると、期待の声は一気にブーイングに変わった。

値段は高くなってるわ、ライン式食器洗い機は詰まってしまうわ、並ぶ時間は増えるわ、少しでももたつくと後ろの行列から罵声は飛ぶわで、

「いいとこなしだな」

皆が口を揃えて言うのである。

俺にしてみれば、極めてリッチマンだから値段は関係ないし、機械もぶっ壊れようが知ったこっちゃない。

でも、

(流れの阻害に関しては、確かに、皆の目が厳しくなってしまったなぁ)

とは思う。

カード残高切れにしても、箸一本落とすにしても、一本道をぞろぞろと歩き回るシステムのため、少しのタイムロスでゾロリと列が後ろに付くのだ。

カードの使い方が分からず、

「あー、どうじゃったか、こうじゃったか?」

なんて言ってるジジイの後ろには、あっという間に20人くらいのイライラ若者の列が付くのである。

失敗は許されない。

皆が皆、緊張感をピリリと見せながら、細い道を通過するのだ。

そんな回転列の頭、ラーメンを受け取る場でこの事件は起こった。

ラーメンの厨房は一人が麺をゆで、もう一人がトッピングと汁を入れている。

俺は一番前に陣取り、俺の後ろにはゾロゾロと黒山が付いた。

麺をゆでるオヤジは手際よく、パッパとゆで、器に麺を移す。

しかし、トッピング係が非常にトロいのである。

チャーシュー1枚を乗せるのにも

「あー」

とか

「うおっ」

とか言いながら、悪戦苦闘しているのである。

この男、この三ヶ月間を見ていると様々なパートを回り回り、ラーメンに落ち着いたようで、多分、内輪では

「お前があいつを貰えよぉー」

「やだよぉー」

「じゃ、じゃんけんにしようぜ」

なんていう感じでラーメンに落ち着いたに違いない。

とにかく、お荷物ボーイなのだ。

確かに、見た目からうだつのあがらなそうな顔である。

デップリと太った体躯に、ゾリゾリと刈り上げた頭、首の後ろ根元には鏡餅の様にドップリと乗っかっているお肉、一度見たら苛めたくなってしまう雰囲気、とっても印象的な男だ。

男は切れ目の入ったチャーシューを結局はちぎる事が出来ずに、俺に三枚分のチャーシューを入れてくれ、その後、汁を入れるがなみなみと入れてしまい、

「あー」

またもや、唸っている。

困った顔になり、

「ま、いいや」

小声で言いながら、ネギ等のオマケをパッとふりかけ、俺に差し出した。

「すいません、すいません」

言う男から貰うラーメンは水面張力をバリバリに利用したギリギリの盛りになっていた。

(うおっ、どうやってこぼさずに行くか? ウダウダやるわけにはいかんぞ…)

俺の後ろにはご存知の様に、ずらりと人が連なっている。

(このやろぉー、嫌がらせかぁ)

俺は男をキッと睨んだ。

男はそれを受けると、少しだけ微笑をこぼし、自らの手元に視線を落とした。

俺もつられて、ラーメンを見た。

(あ!)

男の親指が二本とも汁の中にどっぷりと入っているのである。

男は俺の盆にラーメンを乗せると、ゆっくり指を引いた。

汁の水位が少しだけ下がる。

「むふふ」

男は満足気に俺の目も見ず、次のラーメントッピングを始めた。

(ムフフじゃねーだろぉー! 指をいれんなぁー!)

叫びたかったが、後ろからの痛い視線に追い出され、俺はその場を後にした。

(くっそー、ボリューム満点は良いんだけど…)

思っているところで、後ろから、女性の悲鳴があがった。

「きゃー、指入れないでよー。最悪ー」

男の考えた作戦は、俺には通じてもギャルには通じなかったようである。

その後、もの凄いブーイングが上がり、男が後ろに下げられた事は言うまでもない。

(明日、あの男がどこにいるか楽しみ…)

食堂での楽しみが一つ増えたのであった。

「むふふ」

 

 

パンチョ伊東が逝く (02/7/4)

 

パンチョ伊東が急性心不全のため亡くなった。

俺は昨晩の午前を過ぎた時刻に飲み会から帰ったのだが、道子が真っ先に

「福ちゃん、パンチョが、パンチョがぁ!」

血相を変えてそう言ってきた。

テレビをつけると、本当にパンチョが死んだ事を告げていた。

(死んだか、あのオヤジ…)

思うと共に、一年ほど前になる空港での出来事を思い出した。

俺は何かの用事で実家の熊本に帰省する最中だった。

いつもの様に搭乗手続きを済ませ、いつもの様に飛行機に乗り込んだ。

俺は窓際の席だった。

外を見、整備士が慌しく何かをしているのを見ながら、

(かっこいい仕事だよなぁ)

ブルーインパルス(出来事『青い衝撃』参照)を思い出し、浅い溜息をついたものだった。

ふと、隣にムックリとしたオヤジが来た。

(んもう! ギャルが良かったのに!)

当然、24歳のピチピチボーイはそう思ったわけだが、

「しゅんません」

足の接触に謝ってきたオヤジの声に異様な『聞き覚え』を感じた。

声質は高く、それでいてエッジのない、すぐに空中霧散してしまいそうな声だった。

当然気になり、クルリ振り向き、オヤジには申し訳ないがジッとその横顔を眺めてしまった。

(なんと!)

声には出せなかったが、とてもとても不自然に、黒々とした人工物が頭にドカリとのっているのだ。

襟足は茶色のくせに、もみ上げを越えたあたりから大きな段と共に真っ黒に変わり、本数があからさまに激増しているのがはっきりと分かる。

(ぷ、ぷ、ぷふぅ…。あんたの頭を伊豆半島とするなら、その段は天城峠だよぉ…)

噴出したかった。

しかし、それは人として気を使うべき最重要項目だろう。

(あの段を触りたい。一体どんな感触なのか、この手に感じたい。ああ、貴方と越えたい天城越え…)

心の声はオヤジに何度も、

(頭触っていいですか〜♪)

と、名曲『天城越え』にのりながらそう聞いている。

葛藤は五分ほど続いた。

ふと、オヤジがクルリと俺の方を向いた。

(な、なにー!)

声にならない感嘆詞をあげてしまった。

当たり前である。

それは、まさしくカツラ男の殿堂入りを果たした『パンチョ伊東』その人だったのである。

(あれはただのカツラではない、カツラの中のカツラ、そう、ベストオブ『カツラ』だ!)

思いながら、

「ぱ、パンチョさんですよね」

俺は思わず聞いてしまった。

「ん…」

オヤジは困った顔を見せると、しばし悩み、

「むにゃ」

そう言いながら首を縦に振った。

(サインでも貰うか?)

思ったが、

(ま、パンチョの貰ってもなぁ…)

とすぐに止めた。

パンチョは独り言をズゥーッと言い続けた。

「八代に着くのが何時になる。そうなるにょー、ありゃ、間に合うかにゃー?」

そんな事をブツブツブツブツ言っていた。

俺は久し振りに席を共にした芸能人に、軽い興奮を覚えた。

チラチラと眺めては機内誌を読むふりをした。

昔、熊本の『つぼ八』というチェーンの居酒屋で『ばってん荒川』と相席した時以来だった。

パンチョはすぐに眠りについた。

それからというもの、俺は思う存分、パンチョを楽しんだ。

右から、左から、上から、下から、全ての方向から見てやった。

(どう見ても、うだつのあがらないオヤジなんだがなぁ…)

観察を終え、つくづく思い、

(ちょっと、高木ブーにも似てる)

そう思った。

今…。

テレビに出ているパンチョの映像はまさしくマジマジと見た『あの顔』そのままだった。

解説者がパンチョの歴史などを語っていた。

俺はそれをBGMに聞きながら、

(あの頭、本当に触っておけば良かった)

つくづくそう思い、名曲『天城越え』をあの時の様に口ずさんだ。

舞い上がり〜、揺れ落ちる〜、肩の向こうに貴方〜

パンチョが見える〜

何があってももういいの〜、クラクラ燃える火をくぐり〜

パンチョと〜、越えたい〜、天城越え〜

心残りで心残りでしょうがないのであった。

(もう二度とアレも触れなくなったんだな…)

そう思うと溜息がとめどなく溢れた。

(冥福を祈らねば…)

ふと、そう思うと、俺は姿勢を正し、テレビに向かって小さく合掌するのであった。

南無〜。

 

 

既婚者の叫び (02/7/3)

 

仕事を終え、会社から社宅までの短い直線を歩いていると後輩の今本に会った。

後ろから追いついた俺に、今本は気付いていない。

夢中で携帯に向かい、何やらメールでも打っている様だ。

「よっ!」

俺は声を掛けながら、その肩を後ろからポンと叩いた。

「な、な、な、なんですか!」

今上はなぜかドタバタと焦った仕草をあからさまに見せながら、携帯を折り畳んだ。

(なんだ?)

俺は思い、

「隠し事でもあるんか?」

言いながら、今本を小突いた。

今本は一生懸命に首を振ったが、

(多分、コンパの打ち合わせでもしていたのだろう…)

そう思った。

俺が独身の頃、この今本と、もう一人、和哉という同期とはよくコンパに行ったものだった。

名古屋に行ったり、大阪に行ったりと遠征した事もある。

が…。

彼らは俺が結婚するや、一切の誘いを俺に持って来なくなった。

隠れキリシタンの様に、俺の目をかいくぐってコンパをやろうとするのだ。

まるで、

「俺たちはナメクジだもん、カタツムリのお前は向こうに行ってなさい」

そう言うかの様である。

俺がコンパを提供して、お返しにあいつらも俺にコンパを提供する。

うまくバランスが取れていたものだ。

嫁は、

「行っていいよ。信用してるから」

最高の笑顔でそう言ってくれている。

が、主催者が俺を絶対に誘おうとしないのだ。

今本にしろ和哉にしろ、俺にコンパがあった事を悟られると、

「いやー、誘いたかったのよぉ。けど、既婚者はねぇ…」

言いながら、引き攣り顔で逃げ回る。

今回の今本の挙動不審もその一端であろう。

俺はこの場を借りて、身近の独身達にこう言いたい。

「確かに俺は君たちから見ればカタツムリかもしれない。しかし、カラ(家)を出れば、君たちと同じナメクジになるのだよ…」

ベランダに出て、続けてこう叫びたくなった。

「まるで汚いものでも触るかのように、俺をソーッと扱うのはやめてくれ!」

今本と和哉の薄ら笑いが鮮明に浮かんだ。

(くっそー!)

段々、腹が立ってきた。

「羨ましいのか、道子という嫁がいる俺の事が! お前らは一生独身者だ!」

「妬ましいのか、あんなに可愛い春ちゃんがいる俺の事が! お前らの子供はアジャコング顔だ!」

「この永久独身、フラレてばっかり男、急性アル中、オイリッシュコンビ! お前らの恋人は一生右手だ!」

けちょんけちょんに言ってやりたくなる。

しかし…、

「何もないお前らだけど、自由とお金はたっぷりとあるよなぁ…」

つい、そう付け足してしまう。

九州では梅雨が明けたようだ。

カタツムリもそろそろ視界から去っていく事だろう。

しかし、埼玉にいるカタツムリは必死に君達の視界にしがみ付こうとしている。

多分、これからも君達の前から消える事はあるまい。

さり気なく言わせて頂く。

「カラ(家)は4時間程度なら嫁に預ける事も可能である」

「ナメクジになる準備オッケー、気持ちはいつでも攻撃態勢、さあ迎えに来い、お前ら!」

「さもないと、俺はズゥーッとお前らの悪口を言い続ける事だろう」

財布には、寂しく一円玉が一枚ポッキリ入っていた。

月二万円の小遣いはとうに使い切っていた。

 

 

分社化決定? (02/7/2)

 

6月27日の日記で分社化の噂があると書いたが、それが噂でなく真実である事が分かった。(30日に発表)

組合から配布されたビラによると、

「工場の生産部門を『EMS化』の名の元に分社化する」

とある。

超簡単に言ってみると、

「営業、開発、設計は会社でやって、作るのはポーンと違う会社にやらせましょー」

という事である。

会社が言うには

「これをすれば大幅なコストダウンになるんだぞ」

という話だ。

(ほうほう、大幅なコストダウンになるという事は給料をドーンと下げるという事か?)

思い、ビラを読み進めてみた。

組合と会社の質疑応答が書いてある。

会社の回答を、少々噛み砕いて列記してみよう。

「50歳以上の対象者は移籍。それ以外は二年間の限定で出向扱いだよーん」

「50歳以上の移籍者には移籍加算金として前払いで退職金を払う。従って、60歳までの収入にはなんら変わりはないのだよーん」

「二年間の出向期間が終わった時点で、その生産会社に力がなかったら別の生産会社に仕事を出すこともありえますので頑張るんだよぉー」

「他人事の様だけど、素晴らしい生産専門会社になるように頑張るんだよぉー」

「大量生産品は中国で作って、少量生産品・短納期品は此度の別会社で作ってもらうつもりだけど、何があるかは蓋を開けてみないと分からないぴょーん」

とある。

つまりは、

「給料は変わらずにあげますよ、でもその保障は二年間だけですよ」

そう言いたいらしい。

スッキリしない。

疑問が残る。

(大幅なコストダウンになる、と会社は言い切ってるのに、給料は同じだけあげて、更に別会社になるからマージンは取られるわけだ。何がコストダウンなの?)

どう考えても、

(逆にコストアップの気がするのだが…)

なのである。

早速、頭がいい事で有名な本社の先輩に聞いてみた。

彼の答えはこうである。

「これにかかった金というのは特別損失だから固定費じゃない、それがいいんじゃない」

意味が全く分からない。

俺の理系ガチガチ頭で考えれば、固定だろうが特別だろうが、出て行く金は出て行く金で、入って来る金は入って来る金でしかないのである。

「(入ってきた金)−(出て行った金)=(利益)」

ではないのだろうか?

経済、経理の専門用語を出されてもサッパリである。

此度の『会社提案』は、どう考えても『出て行く金』が増える、つまり俺の単純数式に当てはめると『赤字』になる。

(むーん…)

俺は便所に入り、力みながら考えた。

(なぜ、コストが下がると会社は言い切れるのだろう? この提案で社員、パートが0.5割程度は辞めるだろうが一人当たりの会社が払う賃金は1.5倍以上になるのは確実。それに、辞められた分はもろに生産量に影響するだろうし、むーん、二年間は赤字覚悟の勝負という事か?)

便器に落とした事のある『眼鏡』を無心に触りながら、

(リスク覚悟の先見の明、という事か…)

そう結論付け、

「二年後に効果が出らんかったら最悪やねー」

と呟いてしまった。

快心の力み一発大放出を終えた。

「経営層の気持ちになって考えてみよう!」

それから、尻も拭かずに考えを別ベクトルに向けた。

『別会社にいく社員を保障中、つまり出向扱いの間、会社は大赤字』

さすがに経営層もそれは考えたはずだ。

しかし、分社化は会社のやらねばならない必須項目と考えているはず…。

多分、経営層は『社員を黙らせる保障期間をどれくらいにするか?』という議題で討論しまくったはずに違いない。

もしかしてもしかすると、組合の幹部が内々で経営層と密談を交わしていたかもしれない。

考えれば考えるほどに、このミステリーは深くなる。

例えば、競り風に

「あー、赤字期間一年から始めよう。はい、一年!」

「駄目駄目、話になりませんよぉ。三年!」

「それじゃ、会社が潰れるよぉ。一年半!」

「それじゃ、暴動が起きるよぉ。せめて二年半!」

ここで、髭モジャモジャのケンタッキー風仲介人がノソリと現れ、

「もう、喧嘩はしなさんな。二人の間をとって、二年にしよう」

間に入って言い放ち、

「わかったよぉー。それじゃ、仲直り、仲直り」

「うん、二年だね」

「ハンマープライス!」

なんて風に決まったのかもしれない。

一体何があったのか、とてもとても気になる。

俺は眼鏡が落ちないように左手で掴みながら放水レバーを押し、一気にブツを流すと、手を洗い、工場に出た。

いつもの景色の中に『やる気があからさまに下がったスタッフ達』がたくさん見えた。

(経営層は、果たしてコレを予想出来たのだろうか?)

思いながら、工場の中央通路を歩いた。

「よぉ、福ちゃん」

「よっ!」

顔見知りと交わす挨拶の中で、

(さてさて、どう転ぶものか…)

そうも思ったところで笑いが込み上げてきた。

仕事も忘れ、考えに耽っている自分自身に可笑しくなったのである。

「どんな一級の推理小説を読むよりも面白い」

ニヤリ笑った顔を保ったまま、小さくそう呟き、すれ違った顔見知りと

「どう、元気?」

「お前はどうよ?」

「俺、ウルトラ元気」

そういった会話を交わし、更にズンズン歩き出したのであった。

 

 

喋る春 (02/7/1)

 

頭が大きめで首の座る気配を見せない春だが、喋る事に関しては絶好調である。

「あー」

から始まり、

「うー」

となり、最近では

「あうあうあー」

の二字組み合わせまで可能になった。

『乳を飲んだ後30分後くらい』と『寝起き後』が特に舌好調な時期である。

俺は、今日も5時15分には帰路につくと、社宅に帰るや春の元に走った。

床に転がっている春に跨り、軽く3曲ほど歌うと春はキャッキャと笑い、何かを喋り始めた。

「あーうー、あうあうー」

俺の歌に合わせて歌っている様だ。

「なんや、歌いよっとや! あうーか、あうー!」

俺は春の乳首に人差し指をチョンチョン当てながら、続けて

「喋れ、喋れ、父が好きだと、しゃ、べ、れ!」

リズムに乗りながら言った。

その時であった。

「てぃてぃ…、ちぃちぃ…」

(な!)

春は二回も言ったのだ。

(『ちち』と!)

両手をバタバタと揺らしながら、ヨダレをダラダラと垂らしながら、目をキラリ輝かせながら、確かに「父」と二回言った。

「う、うおー!」

俺は思わず、ガッツポーズを取ると、道子に何食わぬ顔で

「春はお前に一度でも『はは』と言った事があったか?」

そう聞いた。

道子は何食わぬ顔で

「ないよ」

そう言った。

(勝った、俺は道子に勝ったぞ…)

思わずニヤリとほくそ笑んで、もう一度ガッツポーズをしてしまった。

今、春はギャーギャー泣いている。

『三ヶ月コリック』という、寝る前に泣き叫んでなかなか寝てくれない時期に差し掛かったからであろう。(本を読んでの予想)

ずーっと、ギャーギャー泣いている。

道子があやそうとも抱こうとも泣きやまない。

そんな春を後ろに感じつつ、

(ふ…、父が抱いたら一発でグッスリなんだがなぁ)

思うが、

(でも、抱かない。だって、泣くと困るもん…)

そうも思ったのであった。

「頑張れ、道子」(他人事)

 

 

締め切り前 (02/6/30)

 

長篇小説の新人賞に応募した。

6月末日というのが締め切りで、その日の消印までが有効となっていた。

二日前の金曜日時点で原稿用紙250枚程度書き上げており、後は締めの50枚程度を書き上げ、見直すだけだった。

「福ちゃん、これは絶対出さなきゃ駄目だよー。先生が出せって言ったやつじゃん」

のん気に構えていた俺に、横で道子が口を尖がらせて言ってきた。

『先生』とは4月まで通っていた文章学校の恩師を指している。

俺は会社の『有給休暇を予約するシステム』で、28日(金曜日)を確保していた為、

(ま、金曜、土曜、二日使えば終わるだろう)

そう高をくくっていた。

金曜日。

予定通り、一日かけて、締めの部分を仕上げた。

ちょっと調子にのって書き過ぎてしまい、結局は原稿用紙330枚程度に仕上がった。

(ふー、順調順調…)

俺は思い、

「道子ー、絶好調ばい」

軽く、Vサインを見せた。

翌日、29日(土曜日)。

出来上がった330枚をコピーし、初めての見直し作業に入った。

途中、義母さんが春を見にやってきたが、道子と外出してもらい、見直しに入った。

俺の概算ではこうである。

午前中、一度、全部読む。

午後から深夜、手直し。

翌朝に提出。

道子にはこう念を押されている。

「当日消印は午前中までに郵便局に持ち込めばいいんだって。遅れないでよ」

その言葉に俺は少しムッとし、

「うるさい、大船に乗ったつもりでいろ!」

そう一喝している。

見直しに入った。

誤字脱字が山の様に出てき、20代の設定になっているはずの主人公が次の章には40代になってたりと、修正箇所が馬鹿みたいに次から次へと発見された。

予想を遥かに上回る修正箇所だった。

鼻歌交じりに一気に書き上げたのが今になって痛い。

以前、俺は原稿用紙100枚程度の小説なら2度ほど出した経験がある。

しかし、今回ほどの長いものは初めてだ。

気付いたら午後になっていた。

30枚分しか終わっていない。

予想以上のボリュームと適当にダーッと書いてしまったツケが重く圧し掛かってきた。

(これは絶対に終わらんぞ…)

危機感が徐々に積もってきた。

俺は即座にメールを立ち上げ、社宅隣、山本家という頑張り屋の家庭に

『分業制で誤字脱字チェックをしにきませんか?』

と、送信した。

それから、また長い見直し作業に入った。

徹底的にツマラナイ作業だった。

原稿用紙330枚というと、単行本一冊程度である。

俺が書いてるので当然内容は分かっている。

そんな先の分かってるものを読みながら、誤字脱字のチェック、関係のチェック、内容のチェックを行って行くのだ。

それも前述の様に修正箇所が半端じゃなく多い。

「ああ、つまらねー! あくびが出るぜ!」

俺は途中、全てを投げ出してしまい、漫画『花の慶二』を5巻も熟読したりしてしまった。

「はっ!」

ふと現実逃避から帰ってきた時には夕方になっていた。

道子達も帰ってきた。

「どう、福ちゃん、調子は?」

「おう、まあまあ…」

言ったものの、心底、

(やばい…)

そう思った。

社宅から下を見ると、今の今までなかった社宅隣・山本家の車が見えた。

すぐに受話器をとった。

「山本さん、すぐに文章チェックを手伝って!」

それから皆で分業制でチェックを始めた。

辞書など引きながらやるものだから、どうしても効率が悪くて遅い。

チェックされる枚数はゆっくりだが、時間は駆け足で過ぎて行く。

さながら、天地真理とジョイナーの様だ。

「間に合わん! 俺がパソコンで打つけんが、皆はチェックしたところを俺に流して!」

ついに、流れ作業にまでなった。

作業は0時過ぎまで続いた。(俺が眠くなって打ち切り)

俺は1時から5時まで眠ると、即、朝風呂に入って、パソコンに向かった。

時計を見た。

早朝6時である。

(後、6時間…)

俺は赤ペン先生に修正してもらった原稿に、更に大幅修正を入れながら、キーボードを打ちまくった。

いちおう形になったのは午前が終わる頃だった。

もう二度と見たくない『原稿』の出来上がりである。

俺はそれを道子に渡すと、

「早く綴じてくれ!」

そう言った。

少しでも見たら、『新しいアラ』を発見する事になってしまい、またにっちもさっちもいかなくなるからだ。

道子の言う「午前中まで」にはとても間に合わなかった。

梗概(添付するあらすじ)や他添付書類も書かねばならないのだ。

ガチャコンピーの印刷機でゆったりと印刷もしなければならない。

結局、何とか出せる形を取れたのは15時だった。

(郵便局に直接持って行き、いた人間を捕まえてお願いすればなんとかなるだろう)

俺も道子も前向きにそう思う事にし、ダッシュで郵便局に向かった。

郵便局では道子が色仕掛けでオジサンにお願いしたが、

「消印は機械で打つから駄目だよぉ。12時50分までだからなぁ」

そう断られた。

(出す前に負けたか…)

ズシリと重い封筒を見て思ったが、ふと『宅急便』があることに気付いた。

すぐに車を飛ばした。

なんとか、30日の日付で受領してもらい、翌日には届けられる様になった。

良かったのか駄目だったのかは謎だが、いちおう出した。

俺と道子は慌しさに巻き込ませてしまった義母さんを駅まで送ると、その後、レストランで軽く乾杯をした。

「ああ、結局、やっつけ仕事になってしまったな。これじゃ駄目だ」

俺は溜息と共に、ガクリ肩を落とした。

「もう! 三ヶ月もあったのに何で最後の三日で焦ってやろうとするんだよ!」

道子はプンスカプンプンと怒ったが、まさにその通り、返す言葉がなかった。

夏休みの宿題、テスト勉強、その他諸々、それら全て

(やばい…)

思い始めてから取り掛かっていた歴史は未だ健在である。

今回も「計画」をばっちり立て、余裕をもった執筆活動のはずだったが、「書いた」というよりも「間に合わせた」の感が強い。

(これじゃ新人賞なんて取れるはずがない…)

真摯に反省せざるを得ない。

一夜漬けを体の芯まで覚えこんでいる俺に「コツコツとしなさい」これは非常に難しいように思われるが、

(次こそはコツコツとね…)

今日だけは思ってしまう。

次は三ヵ月後、原稿用紙150枚強を仕上げる予定だ。

(書き上げた、と胸張って言える作品にしたいな)

心底そう思った。

 

 

分社化の噂 (02/6/27)

 

毎年、10月末に行なわれる課内旅行が今年はなぜか7月末に行われる事になった。

旅行幹事である係長からのメールには、

『組織変更が頻繁に行なわれている為』

そう書いてある。

(何かある…)

思ったところへ、今日、衝撃の情報が工場中を飛び交った。

『工場が分社化するらしい』のだ。

詳しく聞けば、103万円以下の年収で扶養扱いになっていたパートをなくし、全て派遣社員扱いにするとの事で、社員も別会社になり待遇が著しく変わるとの事だった。

あくまで噂なので真意の程は定かではなかったが、これが本当なら

(大変な事だ…)

なのである。

そういえば、先月辺りから前の日記でも書いたが、試作等の人材がポンポン工場に集められていた。

その数日後の今日、これである。

中国生産のグループも何やら上海に飛んだり、忙しそうな臭いを醸し出している。

工場内、製品毎に別れていた組織も

・ 試作品、初期流動品

・ 量産品

という組織に分けられた。

これらから容易に次の『目標の仮説』が成り立つ。

 

安川電機が開発・設計・初期流動まで行なう。

子会社がそれを海外で量産する。

国内の工場スタッフは経費はかかるが解雇しやすい派遣社員へ、つまり市場に合わせて流動的に人数を変えられる派遣社員に統一する。

 

(これを狙っているのだろう…)

という事だ。

ま、大会社では当たり前の事だろうが、大き目の中小企業であるうちがこれをとる事は異例の措置と言わざるを得ない。

「はぁ…、参ったよ、安川電機さようなら」

工場の年配者が休憩中の俺にそうこぼした。

下手な慰めの言葉は逆効果だろうから俺は返す事を控えた。

どうせ、課内旅行が早まったくらいだから二ヶ月もすれば我が身にこの現実は降りかかるのだ。

(別にどうって事ないけど…)

思い、俺は鼻をほじった。

これはあくまで本日飛び交った噂である。

が、裏をとったら非常に信憑性のある噂である事には間違いなかった。

組合との多少の格闘はあるだろうが、多分、この分社化は実現するだろう。

九州の本社の方でもそういった事例はある。

「今になって給料大幅カットとは…」

「はぁ、娘はまだ高校生なのに…」

「後、定年まで三年なのに…」

「時代は変わったなぁ…」

俺は午後からひたすら工場から燻し出される愚痴に耳を傾けた。

団塊の世代から発信が特に多い。

しかし、松下さんが唱えた『終身雇用制』がいずれ終わりを告げるのは分かっていたのだから、

(しょうがないぴょん!)

そう思うしかない。

常識が覆された団塊の世代の後姿は痛々しい程に辛い。

ローン、家庭、重圧、それらを背負い、今日から工場(組合)と経営層の戦いが始まる事だろう。

言い方は悪いが、

(おお! この場、それも最前線にいれて良かった)

草葉の陰でそう思ってしまう。

(これほどに泥臭い人間模様はなかなか伺えまい)

深く頷くと共に、

(俺も当事者だけどね…)

少しだけそう思い、ペロリ舌を出したのであった。

 

 

禁酒 (02/6/26)

 

俺の結婚式で神父の役を買って出てくれたスペイン人『ヘスス』が九州から埼玉に転勤でやってきた。

昨日はその歓迎会だった。

『武蔵クラブ』という会社専用飲み屋で一杯やり、すぐに場所を『スナック道子』(うち)に移した。

当然、俺はドクターストップがかかっているため、その時をウーロン茶のみで過ごした。

が…。

さすがに『スナック道子』のママからの

「飲んでいきなさいよ、社長さん♪」

の声には逆らえずに、一杯だけ梅酒、更に一杯だけビールを飲んでしまった。

禁酒期間が始まって11日目に入っていた。

思えば、十二指腸潰瘍を患い、一ヶ月間と言われた酒ストップを哀願により

「よし、二週間にしよう!」

鶴の一声でそうしてもらい、俺は

(よーし…)

張り切ったものだ。

が…。

3日、4日過ぎ、5日目に入った時の風呂上り、俺はどうしても我慢できなかった。

(ああああ、飲みてぇ、飲みてぇよぉ…)

心の底から洩れるのである。

アサヒ本生の

「うめぇっ!」

というCMが更に俺にパンチの効いたストレスを与える。

『胃はストレス敏感』これは周知の事実である。

(これじゃ、逆に胃に悪いよぉー)

俺の眉はハの字に折れ曲がった。

(ええい、もうっ!)

思った俺は冷蔵庫を開けて一番前にあった『氷結果汁』というチューハイをおもむろに掴んだ。

「えい!」

プルタブをねじあけ、そのまま胃に流し込んだ。

道子は気付いていない。

「はぁああ、ああ、ああ」

その時の感想を何と言えばよかろう?

手の先から足の先から頭のてっぺんまでアルコールが『じわーっ』と広がっていくのである。

「う、う、う、う…」

俺は嗚咽を上げた。

それほどに、

(う、う、う、うまいよぉ…)

なのである。

多分、脳内モルヒネ『β-エンドルフィン』がビュービュー脳から出ているに違いなかった。

(生き返ってる、俺が生き返ってる… 胃も絶対に喜んでる)

俺は確信した。

それから…。

俺は俺流の禁酒法を確立した。

投薬療法を半年は続けると言われているので、それの期間のみの適応である。

 

1、飲みすぎない

2、二日に一回は禁酒日

3、クスリを飲む一時間前は飲まない

 

道子は飲んでる俺を見つけると、

「なんだよ、もう! 知らないよー! ああ、意思が弱い!」

けちょんけちょんに俺を罵ったが、俺が俺の体の事を言うんだから間違いない。

「飲まないより、ちょっと飲んだほうが絶対にいいのだ!」

『酒は百薬の長』この言葉を痛感した。

ちなみにここまで宣言してしまったから言うが、冒頭のヘスス歓迎会、飲み屋で飲んでないと言っていたが、実はジョッキ三杯ぐらいは飲んだ。

しかし、良いのだ。

『酒は百薬の長』なのだ。

そして、今日。

出産祝いで先輩方から『家庭の医学』(\5700)を貰った。

当然、『十二指腸潰瘍』のところを見てみた。

いきなり目に飛び込んできたものはこれだった。

 

生活の注意

潰瘍はいったん治っても非常に再発しやすいのでクスリの服用は少なくとも一年以上は続ける事が必要です。春や秋は生理的にも胃液の分泌が高まる季節なので、食事時間を規則正しくし、刺激物を食す事は避け、アルコールは厳禁するようにします。

 

(な、なんですとー!)

俺の体からスゥーッと力が抜けた。

魂が抜けたのかもしれない。

『控えよう』ではなく『厳禁』と書いてあるのだ。

(うそだろー!)

しかし、現実は家庭の医学に刻まれている。

仕方なしに、禁酒法を改正した。(投薬期間のみ有効)

 

1、飲みすぎない(少しでも酔ったと思ったらやめる)

2、三日に二回は禁酒日

3、クスリを飲む二時間前は飲まない

 

悲しいかな、福山裕教、上記の様に運営させていただきます。

皆さんも少しだけご協力ください。

「はぁ…」

 

 

お食い初め (02/6/24)

 

『お食い初め』という儀式はほとんどの方が知っていると思うが、そういった事に関しては全く無知な独身者のために説明したいと思う。

この世に生を受け、7日経つとお七夜、一月経つと宮参り、そして、百日目に『お食い初め』(おくいぞめ)という儀式を大半の日本人が行なう。

死んだ後の初七日、四十九日、三回忌みたいな定期イベントである。

で、何をするのかと言うと…。

鯛と汁物と赤飯と石を食卓に並べ、子に食わせる真似事をするのである。

鯛と赤飯はめでたいという事であり、汁物は中に入れている『はまぐり』が子孫繁栄を意味するらしい。

石は俺が会社から拾ってきた汚らしいモノだったが、なぜこんなものが要るのかは未だに謎であった。

多分、クラーク博士の名言を受けて『少年よ、た石(大志)を抱け』という意味だろう。

とりあえず、5時ダッシュで会社をあがり、慎ましやかに儀式を執り行った。

子に鯛や汁物をあげる真似事をするのは『場に居合わせた一番長老』がやるという約束事もあるらしい。

文句なしに道子であった。

ちなみに道子はピッタシカンカン今日が誕生日で、御年26になった。

その道子が難なく鯛を春の口に運び、普通に儀式を終えた。

6時前には夕食を済ませてしまった。

(さて、春を風呂に入れよう)

俺は思い、居間から台所へ向かい、その奥の風呂へ向かった。

と、その時だった。

「だー、うぃー、ばぁー」

いつもの様に意味不明な何かを喋りまくる春の言葉に俺は堪らず振り返った。

(う… 何という可愛さ…)

思うと同時に俺の口が無意識無想の内に動き出した。

「春ー、何を言ってるんでちゅかー、ばぁー、ぶぁー」

一つの時を間に挟んだ。

ふと、『何か重要な事』に気付いた。

(あ!)

俺は思わず両手で自らの口を瞬時に覆ってしまった。

(赤ちゃん言葉を使ってる!)

気付き、深い自己嫌悪に陥ってしまった。

(九州の男が、それも肥後モッコスが、赤ちゃん言葉だなんて…)

絶対に皆から愚弄されるべき『恥ずべき失態』だった。

火がついた様に顔が火照るのを感じた。

(鉢巻が似合う男、ちゃぶ台返しが似合う男、入間の武田鉄也と呼ばれる俺が…)

火照りがジワジワとボルテージを上げる。

(何て事だ。道子は見てなかったろうな?)

ロボっぽく首をウィーンと回し、道子方面を向いた。

(あ、見てる)

思うと、体中にその火照りがまわった。

(あー、ハズカシィー! こんな事、誰にも言えない!)

俺はこれまたロボっぽく立ち上がると、

「春、俺は風呂に入るぞ。道子、春をすぐに連れて来い」

滑舌良く、二人にそう言い放ち、スッポンポンになり風呂に入った。

すぐに道子が俺を追いかけてきた。

きっと、

「男が赤ちゃん言葉はないでちゅよー、ねー春ちゃん」

そう馬鹿にするに違いない。

俺はなんだか腹が立ち、ニヤケ顔の道子に思いっきり水をぶっかけてやった。

「なんだよー、超冷たいよー、最低ー」

道子がワーワー喚いていたが、

(ああ、俺も冷水をたっぷり浴びたい気分だ…)

火照った体でそう思うと共に、

(百日しか経ってないのに何て事だ…)

そうも思ってしまったのだった。

こんな事、関西弁に三日で染まってしまった時以来だった。

(わーわー、泣きたいぞー)

風呂の湯気の中、隠れ涙を流しつつ、

(深く反省…)

そう思うより他はないのであった。

 

 

道子が逝く (02/6/23)

 

同期と『ある遠距離恋愛の女が一年以内に彼氏と別れるか別れないか』で賭けをした。

丁度、一年前だった気がする。

とりあえず、俺は『別れる』に賭け、友人の和哉(出来事参照)も俺同様『別れる』に、竹森という北海道出身の眼鏡ボーイだけが『別れない』に賭けた。

結果は『別れない』の勝利で、焼肉を奢れという事になった。

この勝利者、竹森氏の嫁は焼肉に拘りがあるらしく、

「私は『牛角』じゃないとヤダっしょ! ヤダっしょ!」

と北海道弁でごねた為、場所は流行の焼肉屋『牛角』に決定した。

早速、本日午後8時30分に集合し、俺家族、竹森夫婦、和哉の計6人で『牛角』へ向かった。

無論、俺と和哉の二人出しである。

俺も道子も初めての『牛角』だったのだが、その賑わいぶりは半端じゃなかった。

お食事時間を過ぎたであろう午後9時にも関わらず、

「30分待ちです」

なんて言いやがるのだ。

これが俺家族だけなら、

「こんちくしょう! 焼肉ごときで待てるか!」

と帰るところだが、勝利者竹森家の熱い要望を無視するわけにもいかず待つことになった。

そんな時だった。

皆、車の中で駄弁りながら時を過ごしていたのだが、ふと道子が

ボロン!

乳をおもむろに生で取り出したのだ。

「な!」

俺は突然のハプニングに

「お前はなんて事を!」

声を荒げて叫んでしまった。

「言わないでよ、福ちゃん。隠れてオッパイやんだから」

道子は後部座席端でうずくまりながら、春を抱きかかえ、その口を乳首に押し当てた。

(ぜんぜん、隠れてねーだろ…)

思った、そのシチュエーションはこうである。

前座席には竹森夫婦、後ろには左端に和哉、中央に俺、右端に道子と春。

車はスポーツカーで、5人乗りである。

この超密室で何を思ったのか道子がボロンだったのだ。

(隠れてねーよ、全く、隠れてねーよ)

涙ながらにそう思い、

(恥じらい顔で『うふ』って言ってた道子よ、戻って来てくれぇええ!)

心の底では一昔前には確実に存在した『恥じらい少女・道子ちゃん』が何度も浮かんでは消えた。

独身の和哉も目のやり場に困った事だろう。

重ねて言うが、いきなりボロンだったのである。

(あああ、こうも変わるものですか? お母さんになると…)

思い、虚ろになった俺に道子が言った。

「てへ!」

ちょっぴり恥ずかしがってるところを見せたかったのだろうが、江頭2:50がトルコでスッポンポンになり警察に捕まって、同じく

「てへ!」

と洩らしたという話を思い出しただけだった。

(若かった道子はとうとう逝った)

そう思わされた出来事だった。

 

 

大顔一族 (02/6/22)

 

「福ちゃんの親族って、顔の大きい人、多いよね…」

以前、道子がポロリこぼした一言である。

「おじさんも義父さんも雅士君も大き目だよぉ」

「そうか?」

思わずそう返してしまったが、俺は

(福山一族は顔が大き目である)

とは一切思っていなかったし、一昔前までは

(俺も大きい方ではあるまい。普通だ)

そう確信していた。

しかし、関東に来てからは

(うーん、俺、少し大き目かも…)

そう思い始めた。

関東の人間は『小顔』が非常に多いのだ。

皆、俺の顔を見て

「うわー、でっかっー」

そう言って、俺の頬骨を物珍し気に触る。

確かに、中学の時、赤白帽をかぶり、顔の方が帽子の幅より出ていて

(なんだか妙な…)

という感じを俺自身でさえも受けてはいた。

が。

周りを見回すと、二割程度の友人たちがそれに属したものだ。

ヘルメットだって俺は『LL』を愛用していたが、それが全く入らない友人がクラスの中で二人ほどいた。

九州では

「顔がでかい」

なんて一言も言われなかったものだ。

当然、俺の家族が『顔大き目』なんて微塵にも感じるはずがない。

だって、『普通サイズ』の俺より皆『小さ目』なのである。

そんな折に…。

長女『春』が産まれた。

ギュイギュイと乳を飲み、ブリブリ排泄し、ギュンギュン成長し、早6キロになった。

可愛さ抜群、3.5頭身である。(福山家「春の部屋」参照)

その春を連れ、先週長女が生まれたばかりの『田中さん』という同じ社宅の先輩宅に遊びに行った。

今日の事だ。

子の名は「希」(のぞみ)と言うらしいが、田中家にとっては第二子であり、男、女と巧く産み分けた快心の二人目であろう。

そんな生まれたての子を見、俺は思わず後ずさりしてしまった。

「な、なんと小さい…」

こぼした俺に道子が

「春ちゃんもこれくらいだったんだよぉ」

そう言った。

しかし、俺が言った『小さい』は体の話ではない。

『顔』の事である。

生まれたばかりのくせして4頭身なのだ。

俺は正確に指で何度も頭身測定を行ない、その後、春にもやってみた。

(うー、これに比べたらウチの春はドラえもんだ…)

田中家の長男に至っては5頭身もある。

(5.5頭身の『俺』に追いつく勢いじゃないか。二歳にして…)

俺は下唇を噛んで、

(福山家が顔でかい家系というのが信憑性を帯びてきた…)

思い、帰るやアルバムを見て、福山家をチェックした。

まず、関東の友人、道子、会社の人間を定規で性格に測定してみた。

大抵、6頭身以上であった。

7頭身近い人間もいる。

それに対して福山家は…

(ガ、ガビーン!)

俺は定規をポトリ落とし、そして、ガクリと肩も落とした。

(確かに…)

福山家は『大き目』だったのである。

これを書いている時、春も道子もグッスリと寝ていた。

「いいさ、でかい方がインパクトがある。俺はそれで得してきた」

そう二人に言い聞かせた。

小顔の子は寝返りをするのも早く、歩くのも早いという。

そういえば、先ほどの田中家、その隣、山本家、この二家の子は小顔で何事も早目にこなしている。

それに対して、俺の結婚式の司会をやってくれた『川原氏』、彼は俺を遥かに超えるビックフェイスのナイスガイだが、ここの長男も大き目で、ハイハイも歩くのも遅かったという。

春を見て思った。

(川原家同様、父の遺伝子が勝ったか…)

春の行末に『山田花子』の様な像が浮かんできたので、強引に違う有名人を引っ張り出した。

(西村知美…)

浮かんだタレントが、お笑い芸人だったのが何だか悲しかった。

(あんまり美人になってストーカーに追われても困るしね)

そう一生懸命言い聞かせる俺自身も悲しかったりしたのであった。

「頑張れ、春! お前の未来は明るい!」

 

 

飛ぶ人達 (02/6/20)

 

安川電機は20日締めである。

つまり、今日が締め日であった。

俺は関係ないが、この締め日を境に大勢の人が職場を移った。

『移らさせられた』の方が適当だろう。

俺が所属する生産技術課も例外ではなく、一つの係が丸ごとなくなり、メンバーは全員がドラゴンボールの様に飛ばされた。

(次は我が身…)

思い、更に、職場を変わる人達は

(一体、どんな気持ちで今日という最終日を迎えるのだろう?)

という事で、解体される係へ向かった。

ここの職場は俺達が書いた図面を以って加工する職場だ。

(皆、何をしているのか?)

覗いてみると、ただひたすら掃除をしていた。

「あー、今日でさよならやね、福ちゃん」

こぼす者もいれば

「ふざけんじゃねーよ、あうー!」

愚痴っている者もいる。

(おー、様々な人間模様が伺える)

散らばる人間はおよそ10人強、全てが様々に最後の職場を過ごしている。

(なるほど、なるほど…)

俺は頷きながら、文章のネタになる人間を探した。

すると。

一人、いつもと変わらず仕事をしている男がいた。

『高山』という小柄な先輩である。

俺はカラカイがてら

「さらばー、高山、帰ってくるーなぁー、飛ばさぁーれーていくー、たかーやーまー」

と宇宙船ヤマトの替え歌を歌ってみた。

高山氏はニコリ笑顔を浮かべると

「イスカンダルか… 遠いな…」

ボソリ言い放ち、こう歌い始めた。

「飛ばされてイスタンブール、さよなら電産ブール…」(電産:現在の課の略称)

もちろん『飛んでイスタンブール』の替え歌であるが、堪らず爆笑してしまった。

(俺も飛ばされる時は笑顔で消えたいものだ)

笑顔の最終日を迎えている高山氏を見て、深々とそう思い、皆に

(なむー)

合掌したものだった。

重ねて合掌。(他人事)

 

 

ウンコ眼鏡 (02/6/19)

 

今日の午後、遅めの排泄を迎えた。

会社の便所は和式である。

一通りの流れを終えると、俺は一息つき、トイレットペーパーをクルリ引っ張った。

尻も、当たり前ではあるが、難なく拭き終えた。

さて。

これを流そうとし、立ち上がり、前屈みになってレバーを押そうとした時であった。

ズルリ!

前々から食いつきが甘かった『眼鏡』が便器に落ちたのである。

(オッー、ノォッー!)

俺はレバーに手をかけたまま絶句した。

中央に横たわる『極太一本』にトイレットペーパーがのっかり、それを跨ぐようにして愛しの眼鏡が鎮座しているのである。

危うく流すところだったが、それは辛うじて免れた。

しかし…

(このダイブした眼鏡をどうやって取ろうか?)

なのである。

俺は潔癖ではないが、

(さすがに自分のとは言っても接触は極力避けたい…)

それが本音だ。

俺はまず、トイレットペーパーをクルクルとねじり、一本のロープを作った。

お気づきだと思うが、

(よし、これで引っ掛けて取り上げよう)

の作戦である。

早速、実行。

が。

引き上げたまでは良かった。

しかし、少し持ち上がった時点で水と触れたところが弱くなり、ブツリ切れてしまった。

(あ!)

思った時には、時、既に遅し。

跨いで鎮座のポジショニングだった眼鏡が、今度はフレームがグサリ『極太一本』の中央に刺さっているのである。

(あー、ドツボったぁ!)

俺は狭く暗い密室で一人、悩みに悩んだ。

(さて、どうしよう?)

惨めな姿である。

(親が知ったら発狂するかも)

そうも思ってしまう。

しかし…。

(あ、ティッシュで挟めばいいんじゃないか…)

それに気付けば呆気なかった。

(もうちょっと、マニアックな方法で取り上げたほうが…)

思ったが、普通にティッシュで挟みこんで取り上げた。

俺はそのまま手洗い場にダッシュし、工業用石鹸を用い、念入りに眼鏡を洗った。

と。

工場のオッサンが

「ふー、すっきりすっきり」

言いながら現れ、ふと俺に気付いたようだった。

「お、福山、なんで眼鏡を工業用石鹸で洗ってるんか?」

「いえ、大した事じゃ…」

「便器に眼鏡でも落としたか? まさかな!」

そう言って、豪快に笑いながら場を去った。

俺は黙って作業を続けていたが、クルンとオッサンの方を振り向き、

「潔癖症だからです!」

誰もいない空間に虚しくそう叫んだ。

(ああ、本当に虚しい)

分かっちゃいるけど、もう一度

「潔癖症だからだもん!」

ボソリこぼしたものだった。

 

 

日本敗退 (02/6/18)

 

ベスト16の健闘虚しく、今日、日本が負けた。

応援はしていたが、

(負けちゃうなんて発狂しそう…)

という訳でもなく、至って、

(普通…)

だった。

しかし、非常に気になる男をこの試合で発見した。

主審をやっていた『ハゲさん』である。

もちろん、実名ではない。

名を忘れたので『ハゲさん』と言わせてもらう。

イタリア出身の『らっきょう』みたいな爺さんである。

この男、審判のくせして妙に存在感があり、点を入れたのに地味な『森島』とかより全然目立つのである。

動きが滑稽なわけでもない。

かといって、何か特殊なジャッジをするわけでもない。

なのに『目立つ』のである。

(なぜだろう?)

思ってるところに解説者がこの審判の事を『世界一の審判』と言った。

選手と『ハゲさん』の付き合い方を見ると、何となく敬っているようにも思える。

(このハゲ、只者ではない…)

のである。

その後、韓国とイタリアの劇的な試合も見てしまったわけだが、そこにいた審判も強烈な顔をしていた。

(太ったフランス人形の男版みたい…)

な顔なのだ。

イエローカードを出す時も、抗議された時も、顔色一つ変えず、淡々とジャッジを行なうのだ。

顔の表情をピクリとも変えずにである。

(うー、気持ちわるー…)

思うと共に、

(あれは絶対にホモだな)

そう確信した。

しかしながら、大舞台の主審を一日考察しただけでも、世界中の奇人変人を寄り集めしてあるとしか思えない顔ぶれだ。

(FIFAはきっと、主審面接の際、テレビ受けする面白顔を採ってるに違いない)

そう思ったところで、前の『ハゲさん』が

(誰かに似てるなぁ…)

思っていた、その答えが浮かんだ。

「ぬらりひょん!」

それであった。

ぬらりひょんと言えば、ゲゲゲの鬼太郎では妖怪のボスである。

なるほど、世界一の審判に相応しい顔である。

(やはり、秀でる人ってのは顔から違うものなのか…)

考えてみれば、ベッカムもトッティーもロナウドも面白くは無いが、確かに特殊な顔である。

普通とは絶対に言えない。

サッカー以外に目を向けて見ても、アインシュタイン、谷村信司、猪木、全て特殊な顔である。

結論。

(顔は人生を語るんだなぁ…)

なのである。

俺は鏡を前に

(俺の人生は一体どういったものになるのか?)

そう問いかけてみた。

すると…

「はっ!」

そこには、端正な顔立ちの中央、鼻の穴からチョロンと伸びた毛が一本。

(こ! これはどういう意味?)

俺の顔が何を語ってくれたのか、この鼻毛が何を意味するのか?

俺は鏡をジッと見つめながら、

(誰か分かる人がいたら教えて欲しい)

そう思い、鼻毛処理に時間を費やしたのであった。

(いい事がありますように…)