『俵担ぎリレー』の議 (02/9/24)

 

先週末…。

俺の25年の人生で最も『くだらない会議』に出席した。

その会議の名目は『審判会議』で、地区の体育協会が、

「10月6日、地区体育大会でのルールを役員全員で確認しまっしょ」

と呼びかけ、開催されたものである。

前の日記に書いた様に、体育部長をしている俺は、これを逃げるわけにはいかず、律儀に参加するに至った。

(ま、一時間もかからずに終わるだろう…)

俺の思いはこうだったし、すぐ後には、『法明』という熊本は山鹿の悪友がうちに遊びに来る事になっていた。

そうして、午後7時にこの会議が始まったのであるが、内容は、体育大会のプログラムに沿ってルールをお偉いさんが説明し、それを役員が確認するという流れだった。

異論反論もなく30分が経過し、この時点でプログラムの2/3を終了している。

(うんうん、8時前には終わるな…)

俺は、会議には上の空で、時計ばかりを眺め、その終了時刻を予想した。

そうして…。

題目の競技、『俵担ぎリレー』のルール確認を迎えた。

説明者が言うには、昨年、担がねばならない俵を、持って走っている人がおり、どこかの地区が失格になったそうである。

その後、失格になった地区が、

「担いでいなきゃいかんとはルールブックに書いてなかった」

と、抗議し、本部として、これを退けたのであるが、その反省を踏まえ、今年は『担がねばならない』というのを明文化しようと言うのである。

説明者は、この『背景』を語り終えると、

「そういう事で、今年は『俵は担いで走る事』をルールに入れます」

そう言い締め、そのまま、次の競技の説明に入ろうとしたのであるが、それから、怒涛の質問が始まった。

「ちょっと待った!」

白髪の50を裕に超えているであろうオヤジが挙手をし、予想しなかった『熱闘の火ぶた』が切って落とされた。

「俵を担いじゃいかんと申しましてもな、俵がバトンの代わりのリレーである以上、俵を手渡しするわけですよ。その時、どうしても、抱えるでしょ。俵は20キロあるんですよ」

オヤジの目は血走っている。

オヤジの一言を受け、静まり返っていた会場はドッと盛り上がりを見せた。

「そうだよなー、走ってる時もずれ落ちたりするからなぁ…」

「『何秒以上肩から下ろしちゃいかん』とかすれば?」

「それじゃ、審判がストップウォッチを持って、全員に付くようだろぉ」

「そうだよなぁ…」

あちらこちらで、口々に案を言う声が聞こえる。

首脳陣は、この質問受け、回答を打ち合わせている様である。

この時の俺は、この議案が一時間も続くなど、知る由もない。

(うわぁ、盛り上がってきたなぁ…)

と、周りを見渡すのみである。

(お…)

前で一列に並んでいる首脳陣の回答が決まったようだ。

先ほど、説明していた男がゆっくりと席を立ち、皆を静め、

「それでは、肩から肩へ俵を渡すという風にしましょうか?」

そう言った。

これを聞き、会場は更に弾けた。

「馬鹿、言うなよー」

「20キロだぜー」

「リレーなのに、ピタリと止まって、肩を寄せて俵を渡すのかよぉー」

あちらこちらで不満があがり、その中で、一人の青年が立ち上がった。

「私は、去年、俵担ぎリレーに出た者ですが、肩から肩は無理です。そりゃ、プロレスラーみたいに力があれば良いんでしょうが!」

群集、特におば様方が爆笑。

「ぷ、ぷ、プロレスラー、最高、プヒー!」

そして、男衆はブーイングの嵐。

「そうだ、そうだ、無理だー!」

首脳陣は、困り果て、その中でも一番偉いのであろう、公民館館長が、

「お静かに!」

皆を鎮めながら、

「それじゃ、持っても良いが、俵を渡す時だけで、次走者は担いで走る、これでいいでしょ!」

自慢気に言い締めた。

顔が植木等にそっくりさんであった。

ちなみに…。

この辺りから、俺、いらつき始める。

(もう、次に流せよー!)

思い、机を人差し指でトントンと叩きながら、8時にかかろうとしてる時計を一点に眺めている。

(早く、首脳陣、締めてくれよー、友達が来るんだよー)

思うのだが、植木等似の公民館館長の一言に、民衆は食いつく。

「そういう曖昧な定義だと、渡す側は何十メートルも前から抱えて来るでしょう!」

それからは、まさに、『堂々巡り』であった。

民衆の一人が怒れば、首脳陣の誰かがそれに答え、また、それに対し、民衆が怒る、結局、結論は、

「俵を渡す者は、一時停止し、その時だけ俵を下ろして良し、その後、走者は肩に担がねばならない、肩から落ちたら停止し、肩に担ぎ直す事!」

と、まとまった。

重ねて言うが、これを決めるのに一時間を要した。

首脳陣の長老、多分、70を超えているであろう男が、最後に、

「うんうん、まとまりましたな、ご協力、ありがとう…」

満足気に言い放ち、拍手をすると、皆も熱烈な拍手を始めた。

これを俺は、ただただ、傍観者として眺めていたのであるが、響く拍手音の中、つい、

「く…」

下唇を噛み締め、それから、たっぷり間をあけて、

「くっだらねー…」

怒り露に、こぼすのであった。

時は、午後8時30分を回ったところ、外は、夜の闇にどっぷりと包まれていた。

今日は、秋分の日…。

昼と夜の長さが同じ記念すべき日に、まさに、

(貴重な経験をした…)

地団駄を踏みつつ、思うのであった。

 

 

春、初帰省 (02/9/12)

 

恐怖(?)の日が、ついに訪れた。

詳しくは7月20日の日記『恵美子、去る』を見て頂きたいが、明日はその日記で宣言していた、

「春が熊本へ行く日」

である。

明日から17日まで、計5日間の帰省であるが、俺と道子よりも、

(恵美子、富夫、実親コンビの方が楽しみにしてる…)

事だろう。

この二人、何やら、息子の俺にではなく、嫁の道子へ毎週電話をかけてき、

「用意しとかにゃん物はなかね?」

とか、

「あーん、もう、待ち遠しかー!」

など、言ってるらしい。

振り返れば、恵美子が関東から帰って二ヶ月が経過している。

恵美子にとって、春は、

「あらぁ、プニンプニンとまた大きくなってぇ…」

と、いった感じだろうし、明日、初めて孫と対面する富夫にとっては、

「むむむ…、孫とはこの様なものか…」

と、瞠目する事になるであろう。

15日は親族を『ぞろり』と集めて、

「春のお披露目会をやるぞー!」

と、熊本の方では張り切ってくれているし、これも富夫と同じく『初めての姪』と対面する事になる俺の弟は、

「兄ちゃん、俺が春の服ば頭から足まで買ってやるばい」

安月給のくせに、そうまで言ってくれている。

多分、熊本で、春は人から人へ渡り歩き、俺の元へは帰って来ないことであろう。

この隙を見計らい、俺は同窓会に行ったり、うまいラーメン屋へ行ったり、次に書こうと思っている「西南戦争」の材料探しに行ったりと多忙を極める予定だ。

と、いう事で…。

このホームページ、しばし沈黙する。

18日に動き出す予定ではあるが、

「予定は未定…」

と、させて頂く。

ところで、今日の会社の帰り際…。

同僚の一人が、

「やっぱ、会社を近々辞めてやろうという人間は、やる事が大胆だよな…」

明日より5連休の俺に『危険な呟き』を吐いてくれた。

(なにをぉ!)

思ったが、呟かれたからには、

(よし…)

と、その5連休、悔いを残さぬよう、派手に遊ばねばなるまい。

秋らしい冷え冷えとした風が社宅の中を駆け抜けていく中、春はグッスリと眠っている。

22時をちょっと過ぎたところだが、道子も俺もそろそろ眠らねばなるまい。

明日は4時起き。

同期を道連れに起こし、所沢まで送ってもらい、それから、一路、熊本を目指さねばならないのだ。

ぐっすり眠る春は何も知らない。

明日から、

(あわただしい日…)

が、5日も続く事を…。

そして…。

熊本で待つ実親も、胸を弾ませるだけで、

(孫との別れ…)

が、ある事を、今は知らない。

 

 

義姉襲撃 (02/9/11)

 

月曜…。

会社からフラリ帰ると、義姉(ぎし)がいた。

「やっほー、福ちゃん、おじゃマンボ!」

ご機嫌の義姉の横には重々しいバックがドカリと鎮座している。

「今日と明日、よろしくねー!」

義姉は言いながら、

「春ちゃーん、バブー!」

姪に当たる春をあやしてくれている。

さて…。

義姉の『今の言葉』を振り返ってみよう。

「今日と明日、よろしくねー」

つまり…。

(義姉は、2連泊する気…)

という事になる。

『春の部屋』を見てもらえば分かるが、先週末は義姉、義母が揃い踏みで泊まっており、女4人に男が1人という最悪のシチュエーションであった。

「こ! 今週もかよ!」

俺は、誰に突っ込めばいいのかは謎だが、無人の空間に最高のスナップで突っ込みつつ、道子をチラリと見たのだが、

「ああ、姉ちゃんがいると、子育てが楽ー!」

道子は至って上機嫌であった。

こうなると、

『女の中に男が一人、笑ってあげましょ、わっはっは』

と、いう歌が見事に土着している肥後の血が、

(駄目だ、駄目だぞ、そのシチュエーションは…、男を呼べー!)

そう叫び立てる。

とりあえず、お馴染み・和哉が、丁度、訪れたので、

「よしきた!」

と、ばかりに呼び止め、彼の長期滞在を狙ったのだが、そこは俺と違って、趣味『仕事とコンパ』の和哉君、

「いやぁ、会社に戻らないと…」

呟きながら、ビールも飲まずに帰って行った。

(くぅ…)

歯軋りをしながら、その夜、

(こそばゆい…)

思いをしたのは言うまでもない。

その翌日…。

会社から帰ると、宣言通り、またもや義姉がいた。

が…、その夜の俺は課の送別会であり、女の中に男が一人を、

(なんとか、避けられる…)

わけだ。

俺は、会社から帰るや、

「じゃ、飲み会行って来る。姉ちゃん、ごゆっくり」

なぞ、言いながら、一目散に社宅を出、二時間ほど酒をあおり、帰りには上司(男)を二人ほど連れて帰って来たのである。

その時の、居心地のいい事といったら、これ、たまらない。

たった二人、男が入っただけなのに、肩の上にドスンと乗っていた何かがスゥッと消え、鈍さ最高潮だった弁も完全に復活するのである。

(不思議だ…)

そう思わざるを得ない。

確かに、前述の様に、肥後の血が『罰点印のシチュエーション』に警笛を鳴らし、

(どうも、調子が優れない…)

と、なるのであろうが、それが崩れただけで、

(ここまで違うものか…)

そう思うのである。

以前…。

今も仲の良い『近藤』という女と『松川』という女が、

「夜飯を一緒に食おう」

と、言ってき、近場のレストランに、女二人男一人の組み合わせで行った事があったが、いつもはスラスラと喋れている彼女らと、

(う…、話せない…)

苦しんだ事も、それを立証してくれる材料であろう。

そして、極めつけは今日の朝…。

義姉が、

「もう一泊、泊まっちゃおうかなぁ…」

と、冗談で言った…、その時!

俺の意志ではなく、肥後の血が引き起こす『反射反応』が俺を襲った。

突然、

「勘弁してくれよぉ!」

俺の様で俺でない俺が、涙声で叫んでしまったのだ。

義姉は、

「ちゃんと、今日、帰るわよぉ…」

寂しげに言ったものであったが、俺に悪意はない。

あっても、少しだけ…。

あれは、ほとんど、俺の言葉でなく、

「肥後の男の血、つまりは肥後モッコスの言葉…」

なのだ。

よしっ、まとめよう。

この一件を踏まえ、義姉・義母を始め、皆々様には、

・ 台所に立たない

・ ゴミ捨てはしない

・ 得意技はちゃぶ台返し

・ 好きな角度は武者返し

・ 二枚目が極めて多い

等々、肥後モッコス観の末尾に、今から挙げる一文を加えて頂くよう、是非ともお願いしたい。

「肥後モッコスは、女の中に男が一人、このシチュエーションに極めて弱い」

ひれ伏して、よろしくお願いし、周囲の力でこの組み合わせの撲滅に努めて欲しいと願うものであり、これによる不測の事態が訪れた場合、

(ああ、肥後モッコスだからしょうがない…)

と、怒らずに、あきらめて欲しいものである。

ちなみに…。

稀にこの組み合わせに強い肥後モッコスがいるが、極めて稀なので気にしないで頂きたい。

あくまで肥後モッコスの基本は、

「俺…」

そう言わせてもらい、今日の日記を締めさせていただく事にしよう。

反論は一切受け付けない。

 

 

『北の国から』を見て (02/9/9)

 

俺の「映画を見て初めて泣いた作品」というのは『子狐物語』で、その次に泣いたのが『北の国から』である。

小学校4年くらいの時だったように記憶している。

それから、まさに、ドップリと『北の国から』にはまり、俺はドラマ時代も含め、全てを最低二回は見た。

高専の時などは、図書館の脇にガラス張りのビデオ室なるものがあり、授業をサボっては『北の国から』を鑑賞し、外からの嘲笑を浴びながら、涙と鼻水をどっぷり垂らしていたものである。

それから、1998年、入社後…。

俺の寮部屋にはビデオが無かったので、隣室に住んでいた、お馴染み・和哉に前作『時代』を録画してもらい、そのまま3時間、彼の部屋を借り受け、気が付いた時には彼の枕を、

(うわー、びっしょり…)

と、なるくらいに濡らしたものだ。

それくらい、俺は『北の国から』のファンであるし、作品には、

(並々ならぬ感動を…)

求めているのである。

さて…。

ここで、先週末、最高視聴率40%を裕に越えた最新作『遺言』について述べるのだが、一言で言えば、

「死んでよ、ゴロちゃん」

と、なる。

俺は『遺言』という題目から、

(むむむ…、これはハンカチ一枚では足りまい…)

そう思い、鑑賞前には嫁・子供を家から追い出し、バスタオルを用意したりしたのであるが、

(あれよ、あれよ…)

と、いう間に5時間が過ぎ、なんとなーく、終わってしまった。

確かに、

(ゴロさんの味が全作品の中で最も光っていた…)

と、思うし、一番、笑った。

他の番組であれば、

「文句なし! 合格!」

親指を、それこそ、ギバちゃんの様(役柄の)にビッと立てて言うのであろうが、俺の『北の国から』に求めているものは違うのだ。

ひたすらに、『感動』を求めているのだ。

今日…。

『北の国から・ドキュメント』とかいうのを二時間枠でやっており、当然、ファンとしては見ずにはいられなかった。

内容は、中畑のおばさんが死ぬ背景には、その木工所のおばさんが本当に癌で死んだというドラマがあった、とか、古株のカメラマンが腎臓病で倒れ、代役が張り切る、とかの『撮影裏話』であったが、見れば見る程に、

(うわー、足りなかった感動を補おうとしてるなぁ…)

という感じがして、寂しさを加速させるだけだった。

多分、この後、これと同じ様な特集が続々と組まれ、それら全て、高視聴率を叩き出しまくる事だろう。

北海道は観光客に溢れ、評論家たちに、

「『遺言』は最高の作品」

と、絶賛される事であろう。

町へ出れば、皆、田中邦衛のモノマネをし、

「おいら…」

が、流行語大賞を取るのではなかろうか。

口がずれている顔が、

「ナウい…」

と、賞され、てっぺんハゲも、

「かわいー」

などと、女子高生に大受けし、作業服も大ブーム、モモヒキ、腹巻、大いにブレイク、『中畑木材』のロゴ入り作業着も売り出され、たまごっちの様にプレミアが付き、田舎に移り住む人間が続出するに違いない。

それくらい、この『遺言』の影響力はあるだろう。

が!

冒頭でも言ったように、声を大にして言いたかったのは、

「ゴロちゃん、死ねー!」

である。

死んだら、

「日本国民の涙で、ちょっとした湖が出来たぞー!」

そこまで明言できる程に、日本が感動したであろう。

多分、この日記を見た本物の『北の国からファン』は、

「分かってねーなぁー」

呟きながら、

「この作品が皆に残したかった雄大なテーマが分からんのかね?」

などと、首を傾げて言うに違いない。

しかし、何度も言うが、

「俺は泣きたかった。『北の国から』では、泣きたかったのだ!」

この思いは絶対だし、俺と同じ考えの人が少なからずいるだろうと思う。

皆に問いたい。

男が泣いていい時、それは、

「親族の葬式、仁王立ちでのうれし泣き、そして、北の国からを見た時だけ!」

俺は、そう思う。

間違いなく、そう思う。

ねぇ…。

皆も、そう思うでしょう?

とにかく…、問い掛けたい。

 

 

豪遊 (02/9/8)

 

先日、ある先輩が、

「残業、100Hついた」

と、洩らした事を受け、

「じゃあ、奢ってください」

当然、話がそう流れ込み、結果、即日ご馳走してもらうことになった。

俺としては、

(近くの居酒屋で一杯…)

のつもりだったのだが、

「まぁ、乗れ」

と、先輩に迎えにまで来てもらい、半ば強制的に車に乗せられ、そのまま、県境を越え、東村山という東京都の外れに連行させられた。

先輩が言うには、

「地元の方がじっくり飲める…」

と、いう事らしい。

バケツをひっくり返したような大粒の雨が叩きつける中、先輩は車を実家に停め、俺を小奇麗な日本料理屋へ案内してくれた。

「好きなものを頼め」

先輩は頼もしい事を言いつつ、

「生ビール二杯と、刺身盛り合わせと、大正海老と…」

などと、俺に「頼む隙」を与えなかった。

かと言って、貧相なものを先輩が頼んだわけではない。

立派な一枚板のテーブルには所狭しと、豪華な顔ぶれが続々と並べられている。

それは、旬のものをふんだんに用いた刺身であったり、見た事もない大柄の海老であったり、とにかく、日頃は絶対にお目にかかれない、

(財布に物騒なもの達…)

ばかりなのである。

ちなみに、この先輩、俺が言うのも何だが、

(絶対に金持ちではない…)

と、確信できる人物だったし、年齢も30ぽっきりの若者である。

残業がかなり付いたと言っても、たかが知れたものであろう。

「先輩、あまり頼まないで下さい。申し訳ないっすよ…」

俺は、その事を思い、心底、恐縮した。

すると…。

先輩は、何やら神妙な顔つきになり、

「うーん、何かが足りない…」

呟きながら、

「あ! これだ!」

柏手を打つや、

「毛ガニを頂戴!」

即、注文に入った。

(え!)

俺は、声にならない感嘆詞を内々でこぼすと、次に、這う這うの体をつくりつつ、

「先輩、勘弁してください、俺はそんなに食えませんよ…」

いきり立つ先輩の肩を押さえながら言った。

間違いなく『庶民』である『先輩の財布』を心配しているのだ。

が…。

先輩は、俺が止めれば止めるほどに、

(ようし! もう一品…)

と、燃えるようであった。

「残してもいいからドンドン頼むぞ、福山!」

叫ぶと共に、

「どうせ、あぶく銭だ!」

ついには、そう言い出した。

「残業代だから、あぶく銭じゃないっすよー!」

俺は、

「毛ガニ、もう三杯!」

などと、平気で頼みそうな先輩を必死でなだめながら、豪華なもの達を地道に一品一品平らげていった。

味は、どれも、

(ほっぺたが落ちそう…)

そう思えるものばかりであった。

二時間くらい経った頃であろうか…。

「福山、女も御馳走してやりたいところだが、今日は嫁さんも待っている事だろう、帰れ!」

先輩は不意に叫び、何やら、厨房の方へ行き、コソコソ話を始めた。

俺は、何が何だか訳が分からず、あんぐりしたまま、それを見つめている。

何だか忙しすぎて、酔うにも酔えない『時の流れ方』であった。

先輩は戻ると、

「よし、締めの『うな重』を食おう!」

言い放ち、有無を言わさず、うな重を二つ注文した。

俺は、それを、

「マジで要りませんから…」

と、哀願し、俺の分だけオーダーを取り消した。

当たり前である。

先輩は、滅多やたらに頼むのは良いが、一口だけつまむと、

「福山、残りは食え!」

そう言って、華やかな机の上には見向きもせず、ただ飲むだけで、それを平らげたのは、言うまでもなく俺なのだ。

「えー、うな重、うまいのにぃー」

先輩は言いながら、うな重を、

「あー、もう食えねー」

息を乱しながら平らげ、

「あ、これ持っていけ」

と、変な包みを俺にくれた。

「なんすか、これ?」

聞くと、先ほど、俺が、

「いやぁ、こういうのを嫁に食わせてやりたいもんですね…」

と、こぼしながら平らげた『毛ガニ』の折り詰めであった。

「土産だ、持って帰れ」

先輩は笑って言いながら、

「よし、すぐに帰れ、外にハイヤーを待たせてある」

と、忙しく俺の背を押した。

「いや、まだ、天ぷらを食いかけて、酒も残って…」

全てを綺麗さっぱり片付けないと気分が悪いタチの俺は、どうしても、皿に何かを残したまま席を立つのは心苦しい。

もがくのだが、

「また、今度、食わせてやるよ、女もな…」

意味深にそう言って、まさに「有無を言わさず」、俺はハイヤーに乗せられた。

「ちょ、ちょっと、待ってください、電車で帰りますよ…」

ハイヤーの中で、俺は窓を開け開け、又もや先輩に言うのであったが、

「うるさい! 運転手さん、さっさと行って」

ハイヤーはその一言で動き出したのであった。

雨はいつの間にか小降りになっていた。

時は、午後10時を回ったところである。

静かなハイヤーの中で、俺は、

(何か…、狐につままれた様な気分だな…)

そう思い、バタバタと過ぎた二時間強を振り返った。

(金をばら撒いたような二時間だった…)

それしか思われない。

社宅にハイヤーが着くと、メーターはポッキリ5000円を指していた。

運転手は、

「料金は頂いてますので…」

言いながら、100号棟の前に車をつけた。

社宅は100号棟から800号棟で構成されているのだが、数が減るほど立派な建物になっていくという仕組みである。

つまり、一番立派な建物の横につけられた事になる。

「あのぉ、もうちょっと、前の方です。自分、600号棟なんで…」

俺のこの一言は、

(運転手は何気なしに、社宅の入り口で停めたのであろう…)

そう思っての、停車位置修正を要求するものである。

が…、運転手は俺のその一言を、何やら大変に驚いた表情で受け止め、

「え! お客さん、部長さんか取締役でしょ?」

などと、突拍子もない事を言い放つのである。

「え! ああ?…」

俺は、慌てつつも、真顔で、

「俺、平ですよ」

そう返した。

運転手は、ニヤリとし、

「皆さんのあの態度を見ていたら、お客さんの立場が分かりますよぉ。そんな、ご謙遜をなさらずに…。やはり、若手の『デキルお方』は違いますなぁ…」

そう言って、ドアを開けたまま、

「また、ご利用ください…」

にこやかに頭を下げた。

「う…」

俺は、言われるがままに、ウダウダと車を降りた。

雨はピタリと止んでいる。

それは、『夢の時』の終わりを告げるかのようであった。

半ズボンに、上はシャツ一枚、右手には毛ガニの折り詰め持って、ぼんやり闇の中で立ち尽くす俺の懐は、まさに、

(一文無し…)

である。

(俺が『デキル方』、何を馬鹿な…?)

懐とか、色々なところに手を当てつつ、そう思わざるを得ない。

が…。

(俺の貫禄もまんざらではない…、のかな…)

そうとも思えた。

家に帰り、道子に、折り詰めを渡すと、

「えー、カニ、最高ー!」

言うや、瞬時に一匹を食べ尽くしてしまった。

俺は、そんな、獣の様にカニにむしゃぼりつく道子を見ながら、

(そうだ、これが現実、あれは夢…)

まさに、時差ボケにあったかの様に、二の腕をつねったりしながら、

(夢なら早く醒めて…)

どこかで聞いた歌の歌詞を思うのであった…。

俺も、福山家も、

(間違いなく、庶民…)

それが、確信できる一日であった。

 

 

衰え (02/9/5)

 

俺はずっしりと重い足取りで、工場隅、馴染みのおやじの場所へ向かっていた。

何とも言えぬ、もうもうとした視界の中、ギュルギュルとみずみずしい音を立てる『違和感のある腹』を抑え、息づかい荒く、俺は歩いている。

そう…。

今日の俺は『二日酔い』であった。

(俺の体も駄目だなぁ…)

思いたくはないが、気弱にそう思わざるを得ない。

(10年前だったら…)

なんともなしに…、急性アル中で運ばれた『若かりし頃の武勇伝』などを思い出してしまう。

あの日…。

「お前、焼酎を二升空けたんぞ」

点滴をうちながら朦朧としている俺に、『飲ませた先輩』が言ったものだった。

これに俺は、

「すんません、ご迷惑お掛けしまして…」

寮の一年目という事もあり、極めて控え目にそう返し、先輩は、

「なーに、気にすんな、酒代は俺がもとう」

なぞ言ったものだったが、今思えば、

「お前が無理に飲ませて、俺を殺しかかったんだろうがー!」

と、なる。

あの時の絵が鮮明に浮かぶ。

(焼酎二升か…、強かったなぁ…)

しみじみ思うし、その酒量の半分以下でも今の俺には『致死量』であろう。

俺は、工場隅の個室のドアを叩くと、

「ちょっと、10分ほど休ませてください…」

言って、そのまま床に腰を下ろした。

「ふふふ…、またかい?」

おやじは数え切れぬ深い皺を「これでもか」と言わんばかりに見せながら、

「10分と言わず、落ち着くまでいな」

言って、ふらりと奥に消えていった。

座り込んだまま目を瞑り、天井を見上げる俺の喉元に、波の様に吐き気が訪れる。

「ふぅ…」

一つ溜息を吐きながら、次に、初めて急性肝炎になった時の事を思い出した。

(7年前か…)

と、なる。

あの時は毎夜毎夜繰り広げられる宴会とコンパに、

「さすがに体がギャフンと言ったなぁ…」

なぞ、病院帰りで小癪な事を言いながらも、

「さ、お薬飲んで消毒せんと…」

と、その夜、寮の屋上で悪友と共に焼酎を流し込んだものだ。

(むーん、若い…)

記憶の俺は今の俺からすれば別人のようであった。

が…、あの時の俺からすれば、全てが無茶ではなく、

(当たり前の事)

だったのであろう。

昨晩…。

旦那が出張でいないという社宅の奥様が現れ、道子も交えつつ、ちょいと深夜まで飲んだのであるが、酒量としては、

(ビール3缶と酒をちょっとだったかなぁ…)

と、思われる。

その後、奥様が帰った後、春を風呂に入れると、何やらアルコールがびゅーんと体中を駆け巡り、

「うわー、道子、何やらびゅーんときた」

そう言い残して、俺はバタンキューで眠りについた。

翌朝…。

目覚めると冒頭の通りである。

「弱い…」

本当に自分自身が不甲斐なく、その一言を何度も呟いてしまう。

最近の傾向から見るに、アルコールを飲んでる最中は、さして前と変わりなく、

(飲める、まだまだ飲めるぞー)

なのだが、酔ったまま布団へ入るとその翌日がいけない。

「ちょっとしか飲んでない!」

そう明言できる状況であっても、必ず残っているのである。

従って、ある程度、酔いを覚ましてから眠れば、

「すっきり爽やか!」

と、翌朝、快心の寝起きをする事は実験により証明されているのだが、

「酔って、バタンキューがいいのよぉー」

酒を愛するものにしか分からない、この快感に負けてしまうし、酔ってる時の静かな時間で起きていろというのは無理難題であろう。

「はぁ…」

寄る年の影響か、誰もがぶち当たるこの壁に、いささか凹み気味ではあるが、

(大抵の人間がこうなっていくのだからしょうがない…)

そう思って開き直るより他は無いし、

(お金も足りないから丁度いい…)

とか、

(春と道子のために健康管理、健康管理…)

とか、

(悪徳政治家のために、なんで酒税をいっぱい払わんといかんのか!)

などなど、幾らでも俺を助ける『理由』はあるにはあるのである。

が…。

(昔の体が欲しい…)

それだけはフォルムも含めて、強く強く思うのである。

ちなみに…。

来週月曜は胃の中にいると胃潰瘍等を誘発するといわれる『ピロリ菌』の検査である。

25歳…。

俺の2002年は、

(厄年…)

である。

 

 

誇れる役 (02/9/3)

 

最近、よく『役』に付く。

社宅では『棟長』になったり、地区では『体育部長』になったり、課では『宴会部長』だったりと、何かと俺は役付きの身である。

もちろん、会社においては平も平、『窓際』の名すら欲しいままにしている駄目社員ではあるのだが、課における若手がやりそうな『役』は俺がほとんどこなしていると言っても過言ではなかろう。

それらは、幹事だったり、青年分科会だったり、レクレーション員だったりするのだが、今回、消防隊員という、

(うわー、まさに若手がやるって感じ…)

誰もが思う『若手役』が、見事、入社五年目の俺に回ってきたのである。

右も左も分からず、先月だったろうか、初会合に参加すると何やらプリントが渡され、

「自衛消防訓練大会があります。それ、チーム分けね」

見るからに消防一筋の年配者が言う。

見ると、三人一組で3チームつくられおり、俺のポジションは『隊長』になっているのである。

(むむむ…)

俺は苦い顔をしつつ、他チームの隊長を見ると、どれもこれも、

(去年もやったベテランばっかりじゃにゃー!)

なのであった。

当然、俺としては反論しようとするのだが、消防一筋年配者の、

「お前は声がでかそうだったからな、よし、隊長、決定!」

間も与えない『鶴の一声』で押し通されてしまったのである。

後日…。

先輩達により使い古された『歴史のある消防服』が配られた。

上着とズボンはどうでも良いが、

(帽子だけは…)

痛烈に思い、俺はダンボールに集められた帽子の山を一つ一つ丁寧に崩していった。

前にも述べたが、生半可なサイズだと、

「それはかぶっていると言うより、乗ってると言うー」

そう笑われてしまうのだ。

現に、赤白帽にしても、現場のヘルメットにしても、すっぽり入らず、

(うー、またもや、チョコナンと乗ってしまった…)

観衆の笑いを一斉に浴びながら苦しんだ経験が一つや二つではない。

俺は誰よりも早く、帽子置き場に向かい、

(一番でかいの、一番でかいの…)

思い、鬼の形相で探した。

そして、最もでかい『62』というサイズを探し当てた。

途中で見つけた『XL』よりも確実にでかく、ギャルに言わせると、

「私のウエストよりでかいよー、バケモノ級のサイズね」

らしい。

(ようし…、これで消防、やっちゃるでー!)

俺はこれにて、燃えたものである。

そして、今日…。

昼から工場を出て、彩の森公園なる場所へ向かい、消防署を交えての入間市合同訓練が行なわれた。

入間市中のデパート等、大きな建物を持つ事業所から駆り集められた連中が一斉に揃い、消防隊員に教えを乞うのである。

俺は昼休みに消防服に着替え、

「よし!」

仕上げの帽子をかぶったものだったが…。

ブチッ!

あろうものか、二本あった帽子紐の千切れそうだった(そうだったと思いたい)一本が切れたのである。

「うそ…」

バケモノサイズとまで言われた、その帽子の紐が切れるというアクシデントに、俺は軽い眩暈を覚えながら、ふらりふらりと集合場所へ赴いたのだが、途中、

「お、福山、消防の帽子も乗ってるな! ちょこなん、ちょこなん!」

紐だけでなく、昼休みでくつろぐ連中にまで馬鹿にされ、

(うう、ひどい、みんな…)

かなり傷付いたのである。

もう一つ…。

消防訓練の会場へ向かう途中、ある先輩が、

「おい、丸広(デパート)の消防ギャルはすごいぞ」

意気消沈の俺に言ってきたので、

「何がですぅ?」

どんより返したのだったが、先輩はそんな俺のテンションは他所に、声を荒げてこう言うのである。

「すごいんだよ、おっぱい!」

「え!」

脳にダイレクトに飛び込んでくる単語の登場に、意気消沈だろうが何だろうが食いつかずにはいられない。

「去年なんかさー、走るたびに、ブルンブルンのボヨンボヨンで、会場中が釘付けさ!」

「ブ! ブルンブルンでボヨンボヨン!」

「もう、すげーのなんの」

「本当に、ブルンブルンのボヨンボヨンですかー!」

「マジマジ…」

「ブルンブルンのボヨンボヨンー!」

「そうさ、ブルンブルンのボヨンボヨンー!」

「うひょー! ブルンブルンのボヨンボヨンー!」

完全に生き返ったのである。

が…。

会場に着き、目を皿の様にして探し、見つけた丸広のギャルは、声の甲高い、普通の『ぷるんぷるん』ギャルだった。

「あれ…、丸広って書いてますけど…」

俺は何度も目を擦って確認し、その後、失礼ながらもギャルを指差し、先輩に言ったものだったが、

「あれぇ、今年は来てないのかなぁ…」

など言いながら、先輩はしかめっ面を見せるのみである。

「ブルンブルンのボヨンボヨンはぁー?」

「うーん…」

「先輩ー!」

「残念だなぁー、今年はいないみたいだ」

これまた、意気消沈に拍車をかける事となったのは言うまでもない。

前に…、『乱れる吐息』というビデオを、

(これはこれは大そうなもので…)

思い、エロビデオと確信して借りてみたら、中身は『K-1グランプリ』だった時と同じシチュエーションであろう。

ちなみに…。

俺が少年の頃、『教師ビンビン物語』をそれこそ、

(うー、なんと過激そうな一品…)

そう二年も思っていた事も、なつかしいが、しっかりと事実である。

脱線してしまったが、とにかく…。

それくらい俺は、

「がっかりした!」

という事である。

半日が過ぎた…。

消防訓練というものは、並々ならぬ量の台詞と動作を覚えねばならないという事が分かった。

(これは、そうとう練習しないと覚えられん…)

メンバー全員がそう思った事であろう。

定時後、じっとりと汗をかきながらも、消防訓練用の杭を社内の芝生に打ち込んだ事からもそれが分かる。

期日も迫っている。

練習の成果を発揮する場として、10月1日には会社代表で『入間市自衛消防訓練大会』に参加する事が決まっている。

今月は毎週二回の練習を行ない、それに備えるそうだ。

(今月は仕事にならねーなぁ…)

そう思わざるを得ない。

また…。

地区の役である『体育部長』の影響を受け、土日も地区の運動会準備で毎週末埋まっている。

これからも、

(今月は遊べねーなぁ…)

思わざるを得ないだろう。

「はぁ…」

溜息の通り、俺の業務外でのみ獲得した『役』は俺を離してくれそうに無い…。

ああ、早く、

「俺は凄いんだぞー!」

胸を張って言える、『誇れる役』が欲しいものである。

現在、役6個…。

どれもこれも、

(誇れそうにない)

代物ばかりなのであった。

 

 

ビニボン塗布 (02/8/30)

 

「今日、俺は会社の仕事を頑張った!」

久しぶりに胸を張って、そう言える。

何をしたのかと言うと、工場の生産ラインの最終工程『仕上げ』にドカリと陣取り、『ビニボン塗布』なる作業を一日、黙々とこなしたのである。

工場の生産量大幅アップに伴う、『他課応援』という名目での借り出され作業である。

さて…。

この『ビニボン塗布』、どの様な作業なのかというと、水が入り込まないよう、製品の継ぎ目に『ビニボン』と呼ばれる液体をツーッと流し込んでいく作業である。

中腰になりながら注射器を持ち、製品の繋ぎ目ラインに合わせ、

「チューッとな、チューッとな…」

呟きながら、黒い液体を塗布する。

これに、俺はドップリとはまってしまった。

まさに、

(夢中…)

になってしまったのである。

(は!)

と、なった時、既に昼飯時を迎えていたし、

(む!)

と、なった時には定時の時刻をも迎えていた。

「三時間、残業してね!」

職長のビシリと厳しい一言にも、

(この作業なら、何時間でもやってやろう!)

の思いであった。

何が面白いのかは、俺自身にもさっぱり分からないが、とにかく、

(むむむむむ…)

と、集中し、ノズルを傾けていくのがたまらないのである。

途中、上司の、

「その作業は辛いだろ?」

という、労いの言葉にも、

「いや、最高っす!」

手を真っ黒にさせ、笑顔で答えてしまったほどだ。

退社時刻は8時過ぎになった…。

帰路、

(そのまま帰るのはもったいない…)

そう思い、今日で閉店となるビアホールに寄り、30分ほど生ビールをあおった。

外には生ぬるい風が吹いている。

星も靄のかかった鈍い光をどんよりと届けてくれている。

「なんだか、じっとりとした夜だな…」

呟きつつ、夜道にて、今日という一日を振り返ってみた。

(んー…)

一つの間をおき、

(本当に時間が過ぎるのが早い一日だった…)

そう結ばれた。

思うに…。

単純作業というのは、集中してしまうと本当に時間が過ぎるのが早いと思う。

今日の仕事だけに限らず、普段やってる設計業務にしても、遊びにしても、『単純』と『集中』の二要素が揃うと、

「あっ!」

と、いう間に時間が過ぎる。

長いスパンを振り返れば、入社してから三年目くらいまでは、それこそ、矢の様に時が過ぎたと思う。

同じ時間に起きて、出社して、遅くまで仕事して、土日はコンパしてと、なんだか同じ事を集中してやってきた様に思うし、その期間の終わりには、

(もう…、埼玉来て三年も経っちった…)

そう思ったものである。

オヤジ達が口を尖がらせて、

「三十路に入ったかと思ったら五十代になってた。お前もあっという間に俺と同じジジイになるさ…」

なんて言うのをよく耳にするが、あくせくする毎日に、単純にならざるを得ないサラリーマン仕事をプラスすれば、20年なんて、まさに、

(あっと言う間…)

であろう。

ちなみに…。

俺のここ最近は、春が生まれたり、文章に燃えたり、更には再就職の野望に燃えたりと、

(なかなかに単純じゃない…)

という事で、比較的ゆっくりと時が流れてくれている。

更に、前述の三年目の時に、

「子供の頃、時間が遅く感じ、大人になるにつれ早く感じるのは、些細な事に感動しなくなったからだ!」

そう確信し、なるべく感動するように心掛けているせいもあろうか…。

とにかく、

(人生はゆっくり流れてくれなきゃ大損だ…)

そう思うのである。

今、午前4時。

ベランダには生暖かい風がゆらりゆらりと流れている。

(この風の様に、ゆらりゆらり生きたいものだ…)

闇夜の中で、切々と、そう思うのであった。

 

 

越えられぬ、壁 (02/8/27)

 

一つ前の日記で、

「眠れない夜に何をしようか?」

と、問い掛けたが、その夜…。

俺は日記を書き終えると、ぐっすり眠る春と道子を残し、レンタルビデオ屋へ向かった。

さしたる用はなかったのだが、とにかく、

(夜風を浴びよう…)

そう思い、深夜に開いているといえば、それしか思い付かない場所へ向かったのである。

昼にたっぷり5時間ほど睡眠をとったので、全てがギンギンに冴えている。

足取りも軽い。

時は、夜中の0時を30分ほど回っていた。

(こんな時間に、ビデオを借りにくる奴なんて、俺くらいだろうな…)

思いつつ、ビデオ屋の自動ドアをくぐると、

(お…)

意外にも人がいた。

それも、ほとんどが暇そうなヤンキーばかりである。

ヤンキーは大地に対し、顔を斜め四十五度に傾け、一斉に俺を見、その後、すぐに視線を戻して馬鹿話を再開した。

群れの構成は男三人(うんこ座り)である。

俺はその群れの脇をズンズンと通過しつつ、ふと、群れの中から、

「この前、借りたエロビデオ、超燃えたぜ」

という、確かな声を聞いた。

俺は『新作』を目指していたのだが、その『風の便り』を聞くや、プイッと方向転換し、いつもは絶対に足を踏み入れない、禁断の場所へ

(何となく…)

向かった。

その場所はフロアで唯一、パーテーションで区切られており、入り口にはデカデカと、

『18歳以上お断り』

そう書いてある。

(俺様は25歳だから良し!)

俺は何度も何度も自分にそう言い聞かせながら、悪びれる事なくパーテーションの奥へ入った。

(さりげなく、さりげなく、平常心だぞ…)

そうも言い聞かせた。

もう辞めてしまったが、一昔前、同期に『レンタルの鬼』の異名を持つ『城倉』という同期がいた。

彼、曰く、

「福ちゃん、俺は受付がギャルでも借りれるぜ! こういうのは借りて当たり前、借りるから男っていうドンとした感じで行かなきゃ、平常心、平常心!」

だそうな。

この城倉氏、こんな事を言っているが、常日頃はアグレッシブというよりも、むしろ、

「フニュンとした男…」

なのである。

が…、パーテーションの中では一気に五本を持ち出したり、赤面の題目を大声で読み上げたり、それでいて妙なほどに威風堂々としていたりと、

(なんと男らしい…)

俺はそう思ってしまったものである。

(彼に学んだ事を発揮しなくては…)

俺は、そんな城倉氏を思い出しつつ、手に汗をシットリとかきながらも、こなれた顔を装い、物色を始める。

幸い、禁断のエリアには誰もいなかった。

俺は、迷わず『巨乳』のコーナーへ向かい、目を皿の様にして、一本一本のチェックに入った。

途中、人の歩み寄る音を感じると、

(やばっ…)

思いつつ、瞬間でパーテーションから飛び出し、口笛などを吹きながらミスタービーンのビデオを見る『フリ』をしたりした。

その後、いなくなれば再度突入、これを繰り返した。

従って、選別に30分もの時間を要してしまった。

この長い時間の中には、禁断のエリアに入ったかと思えば、1分もしない内に10本ほどの収穫を得、カウンターへ胸を張って去って行った秒速の荒武者もいた。

(むぅ…、エロレンタルの世界にも上には上がいる…)

そう痛感した瞬間であった。

話を戻そう。

選別を終えた俺の額には汗が玉状に現れ、頬を伝っている。

その手には『スイカ乳』と銘打たれた厳選の一本が持たれている。

「よし、後はカウンターへ行くだけ…」

俺はエリアを出ると、大股でその方向へ向かったのだが、段々、その歩幅が短くなっていくのが自分自身でも分かった。

ついには、スッと体をスライドさせ、カウンターの死角へ身を寄せる。

物陰からカウンター状況をチェックするのである。(弱気)

(よし、男が一人…)

確認し、スルリと飛び出す。

が、後方より、人の気配あり。

(む!)

急旋回でカウンター前のアニメコーナーへ向かう。

それから、俺は『巨人の星』をこれまた口笛付きで見るフリをしつつ、

(ふぅ、危ない。『スイカ乳』を持っているところが見られちゃ、春が嫁にいけないぜ…)

など思いながら、人が去るのを待つ。

が、なかなか人が絶えない。

むしろ、閉店間際なのに、

(列が出来るんじゃないか…)

という状況なのだ。

俺は、前述の飛び出しては戻るを三度ほど繰り返し、途中、カウンターの兄ちゃんと目が合うや、

「お目当ての新作が見つからないなぁー」

などと、でかすぎる独り言をこぼし、禁断のエリア方面に押し戻される有様なのである。

そして…。

(どうしよう…)

進退きわまった、その時であった。

『ほーたーるのーひーかーりー』

閉店を告げる『蛍の光』が流れ出した。

とうとう時間切れを迎えてしまったのである。

(駆け込みで行けば、間に合う!)

思うものの、それが出来ていれば、とうに借り終え、今頃は社宅で一人、黙然と鑑賞会をしている頃であろう。

結局、一時間弱もいたくせに、

(手ぶらだじょー…)

と、侘しく社宅へ向かったのである。

帰路…。

道はいつもの混雑を微塵も感じさせず、ガラリとすいていた。

そこを虚ろな表情でハンドルを握り、ゆたりゆたりと走る俺がいる。

何かを考えているのかというと何も考えておらず、無心かというと無心ではない。

『強烈に情けない俺』をボーっと反省しているのである。

肌寒い深夜の風の中、俺は車をおり、灯りの消えた家の鍵を開ける。

道子と春はグッスリと眠っている。

テレビをつけたが、ろくな番組がやってない。

「はぁ…」

思わず、太い溜息が洩れた。

体中の力が抜けていく様な溜息である。

続けて、涙声で、吐き捨てる様に、

「あの壁は高すぎた…」

そうも呟いたのであった。

ちなみに…。

ピュアな25歳、福山裕教は、未だエロ本も買った事がない…。

 

 

避難訓練 (02/8/25)

 

本日、朝8時、けたたましいサイレンが埼玉県全域に鳴り響いた。

震度7の大地震を想定しての避難訓練という事である。

俺の住む地区では、

「来年は埼玉県の合同訓練があるから、今年は隣の地区と一緒にやります」

と、いう事で、朝っぱらから2キロほどの距離を歩き、隣地区の中学校に避難したのである。

さて…。

なぜ故に、この様な訓練に、それこそ、律儀に参加しているのかというと、4月から福山家、地区の『体育部長』なるポストに就任しており、こたびの訓練でも、

「役員だからね…」

という事で、訓練当日の『役』を仰せつかっていたのである。

その役とは、集まった人間をチェックする『点呼の役』であった。

俺は眠い目を擦りつつ、その役をたどたどしいながらも不備無くこなし、その後は一般客として、地区が描いた筋書きを見守っていたのだが、これがなかなかどうして、

(凝っているなぁ…)

なのである。

てんぷら火災の消化作業から始まり、ヘリコプターから救援物資投下、倒壊家屋における救助犬を用いた救助活動と、なかなかに金をかけている。

同期でお馴染みとなった和哉も寮長として参加し、『消化器を用いた消火作業』の役に就いていたのだが、彼は唯一、

「プスゥ…」

なんて鈍い音を上げながら、消化剤発射を失敗していた。

それも、テレビ局に現場をしっかりと押さえられていた様である。

また、これも同期で『イトキン』という三十路の男がいるが、彼は『倒壊家屋の中で苦しむ者』というオイシイ役を仰せつかったのだったが、その演技は、

(うわー、ハズカシぃー!)

と、見る者を赤面させるB級演技であった事は否めない事実である。

とにかく、そんなゴージャス避難訓練を11時前には終え、その後、今年の新入社員を引き連れ、レストランに酒を飲みに向かった。

俺は、11時にも関わらず、高い日本酒をクッと二杯ほど飲み干した。

その後、新入社員の中でも『いける口』の男と、お馴染み・今本が社宅に現れ、焼酎をちょろりと飲み、その中で、俺はとろりと昼寝に就いた。

…。

目覚めると夜の8時前であった。

今本と新入社員はいない。

道子は『北斗の拳』を読み耽りながら、

「ぶわー、福ちゃん、よく寝たねー」

なんて言っている。

(むぅ…、一日を無駄にした…)

俺の後悔の念は深い。

更に…。

内臓が本調子じゃないにも関わらず、

(少々、飲みすぎちゃった…)

のため、二日酔いになっているのだ。

(うう…、最悪…)

のた打ち回る事3時間、ようやく11時過ぎに体調も『いつも通り』を取り戻し、

「今より、俺のサンデーは始まるー!」

叫んでみるものの、春も嫁も隣でグッスリ、俺は一人ぼっちであった。

(この夜をどうすごそう…)

墨汁をぶちまけた様な空をチラリと見ながら、暇つぶしに黙然とこの日記を書き、

(俺は何のために生まれてきたのだろう…)

などと、思案に耽るのであった。

 

 

比較 (02/8/24)

 

昨晩、スペイン人同期のヘススが、

「パエリアを作りましょう」

と、言ってき、うちで飲むや食うやの宴が繰り広げられたため、寝るのが3時半となった。

それを受け、今日の朝は珍しく11時に起きてしまい、それから遅い朝食をとった。

その最中…。

「福ちゃん、私、デパートに行きたいよぉー」

道子が言ってきたため、即決し、すぐに家を出た。

備え付けたばかりのチャイルドシートに春を乗せ、それから、

「ベビーカーの試走とダイエットを兼ねて歩こうや」

という事になり、デパートから少しだけ離れた市役所に車を停めて、5分ほど歩いた。

ベビーカーは一昨日に物置から出したばかりの新品である。

それに春を乗せ、絵に書いたような『家族』の像(三人横一線、ベビーカー付き)を民衆に見せ付けながら、休日の市街地を歩いた。

(むむむむ…、俺も一家の主になったなぁ…)

ガラスに、『三人が揃った姿』など映った時には、つい、そう思ってしまう。

さて…。

デパートで道子が何をしたかったのかというと、

「生地が欲しいのー! 私、春ちゃんの服を作るからねー」

「料理のレシピを入れるファイルが欲しいのー」

「可愛いお洋服が欲しいのー!」

「ああ、もう、何でも欲しいのー!」

つまり、たまった購入欲を満たしたかったようである。

俺に特に欲しいものはない。

フラリフラリと歩く道子の後ろを、俺はキョロキョロしながら付いて行く。

ベビーカーを押しながら鼻歌を歌う俺に、さしたる用事はない。

そんな俺の目線は、春と同年代の赤子に向けられている。

多分、俺の視界に入った全ての赤子をチラリチラリと見たであろう。

(ふん…)

(ほう…)

(あー、ありゃありゃ、かわいそうに…)

何人に、心の中で寸評を送ったであろうか、多分、50をゆうに越えたであろう。

全てを『春と比べて…』比較してしまうのである。

結論。

春より可愛い子は一人もいなかった。

これは絶対。

夕方…。

社宅へ戻り、アイスなど食いながら、俺は道子に、

「やっぱり、春は可愛いなぁ…」

しみじみと言った。

すると、道子は、

「今日、何人もチェックしたけど、春ちゃんが一番可愛かったね。間違いないよぉー」

と、言う。

「の! お前もチェックしよったんやー」

「当たり前だよぉー。春ちゃん、超可愛いー」

「俺もチェックしよったんてー」

などと、会話に花が咲いた。

思えば…。

今日も一日、春を中心に生活が動いた。

多分、明日も彼女を中心に動く事は間違いあるまい。

ベランダに出ると、様々な家庭の『灯り』がほんわりと目に映る。

(あそこも、そこも、お隣さんも…、同じ様な事を思っているのだろうなぁ…)

そう思えて仕方がない。

と…。

「だうー、だうー」

春がよだれを盛り沢山にたらしながら、俺に満面の笑みを向けた。

「むふー、可愛いのぉー」

俺は春の横にサッと移り、息が切れるほどの全力ダンスで春をあやしつつ、

(子を育てるためには、親馬鹿じゃないとやっとられんのだろうなぁ…)

深々と、そう思うのであった。

テレビでは…。

『子が親に惨殺された』という、耳を覆いたくなるニュースが、今日も流れている…。

 

 

異動を待つ… (02/8/22)

 

退社の時刻を告げる鐘の音が鳴り響いたが、俺は図面など書きながら、

「課長はまだか…」

つぶやきながら席に座っている。

俺は待っていた。

つぶやきの通り、

(課長を…)

である。

一昨日、及び本日と、下期(9/21)から工場外へ異動する者の発表日であり、これに該当する者のほとんどが九州への異動なのだ。

ご存知の通り、俺は九州は熊本出身で、

「九州が大好きですたい!」

なため、

「異動よ、バッチ来い!」

と、待ち構えている。

思えば…。

入社して早五年、半年に一度の異動時期になると、毎度毎度、期待一杯で出社し、意味のない残業などをしつつ、

(人事権のある奴、俺を呼べ、俺を呼べ…)

などなど、念じ続け、もう9回目になるが、係の異動すらない。

この様な『不動の所属』を誇る者は、同期でも自分だけになってしまった。

(待遇すら不動だからしょうがねーやなー!)

なんて、諦め(スネ)も入ってくる。

が…。

(今回は違う!)

俺は意気込んでいるのだ。

前の日記にも書いたが、今、工場が激動の時(分社化)を迎えているからである。

(チャンスは大いにある!)

俺は手に汗を握り、図面を書いているフリをしながら、上司のお声を待つ。

(呼べ、呼べ、俺をトイレでもどこでも良いから呼んでくれぇー!)

毎年の事だが、声にならない叫びを何度も何度も課長席へ向けて繰り返す。

課長席には誰もいない。

係長すらいない。

が、万に一つの期待を胸に、俺は待っているのである。

グループリーダー(酒井氏)にそれとなく聞いてみた。

「俺が九州へ行くという噂を聞いた事ありませんか?」

「ありえんな」

即答であった。

我慢ならず、ウロウロし、そこらへんで出会った顔見知りの課長層にも聞いてみた。

「俺が九州へ行くなんて話、聞いた事あります?」

「知らん!」

一刀両断である。

「ああああああああああ!」

下唇を噛みっぱなしで、定時後一時間が経過している。

そろそろ諦め時だし、待つ事が苦手な俺には『限界の時』だった。

「ああ、もうっ! この会社は九州が本社の素晴らしい会社と親父が言うけんが、八方手を尽くして入ったとこれー! 埼玉になるなんて詐欺だ!」

俺は帰りに出会った顔見知りの若者に、コーヒーなど奢り、あたり散らした。

若者は無言である。

「面接でも、どんな事をやりたいか?と聞かれたけんが、アフターファイブが楽しければ何でも良いって言ったら、関東に飛ばされて、この課にやられて、それからズゥーッと何も変わらず、ズーッと同じ事をしよる!」

若者はコーヒーをすすりながら、俺の話を静かに聞き、二つ頷いた。

「もー! 九州に帰りちゃー!」

俺は両手を天に広げながら、涙声で叫んだ。

すると…。

地蔵の様だった若者がゆっくりと口を開いた。

「でも…」

寡黙な若者はそう言うと、たっぷり間をあけ、

「そのお陰で春ちゃんが出来たんだから」

そうこぼした。

「お!」

(いいこと言うなぁ…)

俺は思うと同時にカッと見開き、口を尖がらせた後、寡黙な若者にビッと親指を立て、

「グー!」

そう言うと、若者を置いたまま正門までダッシュで走り、そのまま、競歩(疲れた)で社宅へ駆け抜けた。

「そうだ…! 春ー!」

10日前には思いもよらなかった冷たい風が吹いている。

6時過ぎだというのに、コンクリートジャングルと呼んでも差し支えないであろう『社宅』から見える狭い空はほんのりと暗い。

そんな中…。

「入社5年目下期も、俺に辞令は出なかった…。はぁ…」

どんよりとした声で家族へ呟いたものだったが、道子は、

「やったよ、キャピッ!」

大喜びであった。

(さて、ここを出るのはいつの日か…?)

社宅の中にまで、冷たい風がヒョロリと駆け抜けていった。

 

 

手抜き御教授 (02/8/21)

 

大きな声では言えないが、ある会社はISO(国際標準化機構)の監査前になると一斉に書類等を繕い出す。

その会社の上司が言うには、

「これが監査前と言うものだ。どこの会社も一緒一緒…」

らしいのだが、素人目の『ある男』から見ても、各課がにわかにざわめき立ち、

(本当に繕ってるって感じだなぁ…)

そう思ってしまったそうな。

二日ほど前の事だったか、ある男がボンヤリと、

(仕事をやろうか、後回しにしようか?)

悩んでいたところに、

「おい、これはマズいだろぉ…」

一枚のチェックシートを持って上司がやってきた。

このチェックシートは、ゴミの分別チェックシートで、

「週一回はゴミの分別状況をチェックをしなさい」

と、ISOで定められているシートだという。

ある男は、監査の一月ほど前に、

「これを四ヶ月分、一気に書いてくれ」

と、上司に頼まれ、

「なんですか、これ?」

聞いたところ、

「ISOで必要な紙。ただのゴミ分別のチェックシートだよ」

そう説明された。

ある男は言われるがまま、四ヵ月分のチェックをし、照査、承認の印鑑を60箇所弱、印鑑を借りて押しまくった。

それから、一月が経ち、監査二日前を迎えた…。

「マズいよぉ…」

この時、言われた上司からの言葉が『冒頭の言葉』である。

何が「マズい」のか、上司に言わせると、

「印鑑にバラツキが無いんだよぉ! 人がやる事にはウッカリとか、休んだとかがあるんだから、キチンと印鑑が押されていると怪しいだろー。日頃からやってますっていう感じを出さなきゃー! 人間らしくだよ、人間らしく!」

だそうな。

「はぁ…」

ある男は、力なく返しながら、先人達が如何に『日頃からやってたっぽく書いていたか』の例文を上司に見せられ、

「こんな感じですね。分かりました」

それだけ言うと、適当な割合で、チェック曜日をずらしたり、照査承認の日をずらしたりと上司の言う、

「人間っぽい書類」

を目指し、表にチェックを入れ、印鑑押しに奮闘した。

なんだかんだで一時間はこの作業に費やしたろうか、どうにかこうにかそれも終わり、

「終わりました」

ある男が上司に報告したところ、

「詰めが甘い」

と、お叱りを受けた。

上司曰く、

「五ヶ月もチェックしたら、紙が痛んだり、汚れたりするだろぉー」

つまり、最後に汚れた手で擦ったり、折り曲げたりして、何となく『使い込まれた感じ』を出せという事らしい。

「勉強になるなぁー」

ある男は初めてではなかろうか、その上司に尊敬の眼差しをタップリと送り、ゴシゴシとA4の紙を、わざわざ手を汚してから擦るのだ。

ある男には、遠くでその上司がウンウンと頷いているのが見えた。

この作業が仕事と呼べるのか?それは謎だが、上司のその顔は、

「これがISOだ!」

そう言っている様に思われた。

この事は、ある男の純粋無垢な『中身』に何やらドロリとしたものが混入された瞬間と言っても良かろう…。

ある男の人差し指には小さなタコができている。

それは、印鑑押す事300回、日付印の日付を設定しては押し、設定しては押し、それを繰り返した何よりの証拠である。

「監査とは繕う事だ」

なるほど、さすがに『ISOの鬼』と呼ばれる上司が放った言葉であろう。

(名言?)

である。

 

 

抜け出せぬ、尻 (02/8/19)

 

今回の話をするためには、福山家の便所説明をしなければならない。

まず、構成であるが…。

築35年を裕に超える社宅という事もあり、和式である。

木製の軽いドアを開けると、一段高くなったところに便座があり、使用者はその段を越えて力んでもらう、という事になる。

俺は、元々育ちが良かったせいもあり、

(なんとなく和式はやだなぁ…。落ち着かんし…)

住み始めのすぐに思い、すぐさまホームセンターへ走り、

『和式便座に取り付けると、あーら不思議、洋式便座に早変わり!』

と謳ってあった、何て事は無い『プラスチック製の後付便座』を購入し、設置したのである。

これにより、強引な洋式便所が出来上がった。

ちなみに…、タンクは備え付けておらず、流れは見るからに弱い。

流れたかどうかは、プラスチック便座に頭を突っ込んで様子を伺っていただく、という事になる。

トイレ窓は、オプションの蜘蛛の巣がイヤミなほどに似合う『ナイスデザインなもの』が、ドア開けて前方にある。

風の通りは、もちろん悪い。

湿っているし、なんだか暗いし、壁との隙間にはゴキブリの死骸がちらほら見える。

当然、

「なんだか、気味の悪い便所だなぁ…」

初めての客は必ずこぼしていくし、現に、道子の肉親である義姉なんか、福山家に来ても、便所と風呂へ入る事は極力避けているようだ。

そんな便所へ、今日、俺が何気なく入った時の事である。

もよおしていたので、俺はバタバタと急ぎ、ドアを乱暴に開け、便所へ入るや、クルリと体の向きを変え、すぐにパンツを下ろしにかかった。

周りを見る余裕はない。

便意に夢中なのだ。

ちなみに、今日という日は、台風一過という事で、気温が高いわけではないが、

「あー、ジメジメしてるぅー」

という日である。

トランクスを一気に下げ、そして、一気に腰を便座に下ろした。

と…。

俺の体がいつもよりズブリッと沈んだ。

瞬間に、そして確かにそう感じた。

「ぬほっ!」

思わず声が出てしまったが、俺に事態は掴めていない。

嫁は隣で風呂に入っている。

俺は「わけのわからぬ」興奮状態で、便意を油汗をかきながら我慢しつつ、

(まだ、まだ、発射しちゃいかん!)

自らに、一生懸命に言い聞かせ、置かれている今の状況を冷静に分析してみた。

まず…。

俺はTシャツ一枚で、トランクスは下ろしている、つまり、発射準備OKスタイルである。

次に…。

その露出した尻は、便座の中におさまり、俺の足は浮いている。

「お! おさまり! 足が浮いて?」

その時の俺、何かに気付いた様だ。

俺はクルリと後ろを振り向いた。

「べ、便座が後ろにあるぅー!」

そう…。

プラスチック便座が『男の小用スタイル』だったのだ。

つまり、俺は便座が上げられた状態で、思いっきり、それこそ見もせずに、尻を下ろしたわけである。

当然、尻はプラスチックの便座にものの見事に食い込み、

「抜けないよぉー」

の状況になっている。

あまりにも見事に食い込んだ証として、足がプラーンと、

「浮いているよぉー」

なのである。

(まずは、この状況を打破しなければ…)

便意も極みに達しそうにある。

(このまましてしまおうか?)

とも思ったが、そんな事、由緒正しき家柄の『福山家』が許すわけがなかろう。

俺は肛門に集中し、その筋肉をプルプルと震わせながら、体を揺すり、反動をつけ、えいやと前へ体重移動を行ない、体勢を整える事にした。

「成功」

一昔前の、森末慎二を彷彿とさせる見事な着地であった。

俺の足が、湿った便所の床を確かに掴んだ。

が…。

なんと、食い込んだ便器も一緒に浮き上がり、俺の尻と合体したままだったのである。

(うわ、すげー!)

その食い付きに、さすがにマジで驚き、

(記念に、デジカメで撮りてー!)

とも思ったが、極みの便意には勝てず、俺は両手を用い、尻からプラスチック便座をはずし、元通りに設置するに至った。

その後、ちゃんと便座を出し、『大のスタイル』のプラスチック便座に座り、用を足したのは言うまでもない。

これを書きながら俺は思う。

(しかしながら、今日の絵は傑作だった…)

中腰で、少しだけ尻を出したその臀部に便器がガチャーンと引っ付いているのである。

もちろん、道子が風呂から上がると、その事態を報告し、

「すげーどが!」

胸を張り張り言ったものだったが、道子は、

「ふーん」

それだけで終わった。

(最近、嫁の反応がしぼんできた気がするのは俺だけだろうか…? 夫婦って、こんなものなのだろうか?)

俺は黄昏ながら、冷えたビールをクッと飲んだ。

やはり、一時前より不味くなった様に思われた。

気温も少しずつ下がりつつある。

木々の葉も、そろそろ色づいてくる頃だろう。

もうすぐ、秋である。