独身がゆく (02/11/25)
和哉という男がいる。
この男、前々の日記にも頻繁に出、既にどういった類の男か読者にも察して頂けていると思うが、今日の日記で再度触れ、その徹底を謀りたい。
(1) 黒い
読んで字の如く、和哉は黒い。
黒い上に光っている。
これを、人は『黒光り』という。
ある日、俺は、
(この『黒光り』に最も近い色は何だろう?)
ふと、そう思った。
1998年7月の事だった。
それから俺は、いくら考えても益の無いその『いらぬ事』を考えに考え、ついに、
(これだ!)
その色に最も近い『ゴキブリの羽』を発見するに至った。
1999年1月、思いの発端から半年の時を経ての事である。
それから約4年後…。
2002年11月、戊辰戦争の資料を集めていたところ、『アームストロング砲』なる幕末・最新鋭だった洋式大砲の写真と出合う事になった。
大村益次郎が幕府の彰義隊を上野で追っ払ったその立役者といわれる砲であり、見た目から何ともいえない風格がある。
これが4年前に求めていたその色と合致した。
「あ…、この色…、和哉だ…」
思わずこぼしたほどであった。
ちなみに…。
彼はこの色をして『チョコボール向井』とか言われる羽目になったのであるが、これが彼の現在に影を落としているのかは未解明の深い謎である。
(2) 小顔
昨晩の事であった。
実弟の雅士がうちに泊まりに来ており、
「和哉さんと会いたい」
そう言いだした。
「なぜ?」
俺がそう聞いたところ、雅士は言う。
「あんな先輩らしい先輩はおらんばい、先輩のお手本たい」
その字幕スーパーがいりそうな呪文に、俺も道子も戸惑ったが、わざわざ熊本から出てきている弟が言うので和哉を呼んだ。
和哉はすぐに来た。
そして、和哉が俺の横に並んだ瞬間に雅士は言った。
「うわー、兄ちゃんの顔のサイズ、和哉さんの三倍あるばい!」
雅士がなぜゆえに和哉を呼べと言ったのかが分かった。
雅士はモノの大きさの比較用に用いられる『セブンスター』(たばこ)の如く、和哉を俺の横に置きたかったのだ。
横に置く事で、
「うんっ、やはり!」
そう兄のサイズを確認したかったのであろう。
話が逸れたが、和哉の顔はそういった『今時のサイズ』である。
(3) 誠実
俺が毎日の様に会社を定時で帰り、巷で、
「くっそー、福山は羨ましいよなぁー」
とか、
「ああなったらオシマイだぞ!」
とか、
「やる気あんのかこんちくしょー」
と、囁かれているのは有名な話だが、和哉はその逆であろう。
その働きぶりを皆が称賛し、
「彼の黒い顔が更にどす黒くなっていくわ」
とか、
「毎日深夜まで仕事して、朝一には会社に出ているらしいわよ。それだけ働きゃ私だって小顔になるわよー」
とか、
「それじゃ顔も油まみれになるっちゅーの!」
これであり、囁かれる質が俺と比べれば水と油といえた。
ちなみに、これを証明するかの様な『良い事例』がある。
それは、一月ほど前の話であった。
(和哉に聞けばすぐに終わるだろう…)
その軽い思いで俺は和哉に仕事の質問を持ちかけた。
和哉は同期の質問を無下には出来なかったのであろう、忙しいながらも俺に付き合い、
「なんやー」
嫌そうな素振りを見せながらも積極的に俺の問いかけを受けてくれた。
が…、彼はそれに答えられなかった。
答えられないというよりも、とある天才が裏細工を施しており、分からずとも当然であった質問だったのだが、その時、和哉のプライドが許さなかったのであろう。
他の同期も呼び出し、徹底的に調べ出した。
やがて、定時を迎えた。
俺は定時10分後に飲み会を控えている身であった。
当然、焦る運びとなる。
(うー、俺のために同期が二人も集まってるけど、帰りたい、うー、飲み会がー)
結局、俺は頑張る和哉に可愛く微笑み、
「ねー、和ぴょん。福チンは帰っていい?」
ミニモニ的な動きで問うた。
和哉は言った。
「お前に任せる!」
その目は真剣で、既に和哉の頭の中には、
「この謎を解いてみせる!」
その決意がグルグルと回っていたのであろう。
俺は和哉のこの言葉を受け、迷う事なく帰った。
ルパン並の逃げ足であった。
和哉はその後、謎を解き、翌日、俺に報告するに至った。
うーん…。
実にその性格が滲み出ている一件だと思える。
さて…。
和哉の特徴(4)(5)(6)(7)と考えてはいたが、時間(労力)の都合で省略する。
とにかく、まとめると、彼は二枚目で誠実な男なのだが、なぜかサッパリもてないのである。(それが言いたかった)
俺が知る和哉の女性遍歴(付き合った版)は、入社時に気立てのいい福岡女と付き合っていたという事と、名古屋で三ヶ月間彼女がいたという事のみである。
が…、彼の異性にまつわる不幸話は後を断たない。
それは、所沢のギャルであったり、長野のギャルであったり、鹿児島のギャルであったりと、日本全国、実に幅広く、時系列的にもスランプが見受けられない。
和哉を知る者は言う。
「二枚目のお前に出来んわけないぞー。お前が彼女を作る気がないんだろ?」
それに和哉はにこやかに答える。
「彼女を作る気はある。むしろ、結婚する気もある、ていうか、したい」
和哉のこの言葉は嘘ではあるまい。
嘘ではないから、彼はコンスタントにコンパへ行き、コンスタントにふられているのだ。
俺をコンパに呼ばず、徹底的に彼女を作るための環境作りに奮闘するところなんざ、和哉の『燃え盛る志』が伝わってくる。
「ウォンチュー、女ー!」
彼の魂はまさにそう叫んでいた。
さて…。
これを踏まえ、今日の日記の本題にやっとこさ入る。
先日の日記で、飛行機が揺れに揺れた事を書いたが、そうまでして北九州へ行った目的は唐人原という同期の結婚式であった。
同期の結婚式であるがゆえに和哉も同席している。
慎ましやかに披露宴が終わり、そのまま俺達は二次会へと流れた。
二次会においても、同期は一塊に寄り添っていた。
既婚者衆は久々の出会いを祝して乾杯し、その雑談に小さな花を咲かせた。
時は、昏々と過ぎていく。
俺に至っては突然の胃痛に苦しむ最悪の始末でもある。
既婚者衆は、
「じゃ、この後はラーメン食って帰ろうや」
そういう静かな話にまとまり、二次会終了の時刻を迎えた。
ただ、中という鹿児島から来ている同期と和哉だけは、どうにもおさまりがつきそうになく、二次会中ずっと誰かしらを口説いていた。
この二人だけが独身である。
この時の和哉を語るに、
『がむしゃら』
この言葉がピッタリはまる様子であったと言えるだろう。
2時間ぽっきりの二次会ではあったが、和哉は無我夢中にその時を駆けていた。
彼は一人の年上女に終始はり付き、そのポジションを誰にも譲らず、徹底的に口説きにかかった。
俺達既婚者は、それを一見物人として、それはそれは温かい目で眺めた。
二次会終了後、既婚者衆が、
「よーし、ラーメンに行くぞー」
動き出すと、和哉は前述説明した黒光りの顔をたっぷりと自らの油で潤わせ、
「俺は、ちょっとカラオケに…」
と、張り付いていた年上の女性を指差し、ニンマリと笑った。
「ふーん」
俺達は、和哉の笑顔に不快感を覚えながらも、
(ほう、ちゃんと、話をつけたか…)
少し感心した。
が…、和哉のこの後の言葉がまずかった。
「独身ものってのは、人生の紅葉を迎えてしまっている既婚者衆と違って忙しいからね」
ちょっとニュアンスが違うかもしれないが、その様な事を和哉は言った。
独身同期・中も二次会中に話をつけ、別の男女混合集団と流れる事になっていた。
当然、既婚者衆は和哉に怒りを覚えた。
「何だー、その言い草はー!」
「ふざけんじゃねー、この女日照りー!」
「お前もラーメン食いに来いやー、こんちくしょー!」
和哉と中をこちらへ引き込もうと、眉間に皺を寄せて叫んだ。
が…、和哉は言った。
「いやー、ごめんごめん、ちょっと行かなきゃいかんからね」
その顔は江川卓の様に高慢知己な様相を呈しており、その鼻の穴は微妙に膨らんでいた。
「あんたら既婚者とは遊びそのものが違うの!」
そう言っている態度であった。
が! 実際に和哉はギャルとデート、俺達はラーメン、この差は如何しがたい。
「くっそー!」
俺達は地団駄を踏んだ。
と…、その時であった。
渦中の年上の女性が和哉の元に走り寄って来た。
彼女は和哉に何やらボソボソ語っている。
(くっそー、俺達の前でイチャつくのかよぉー!)
この時の俺達のハートを一文字で書くなら、
「キー!」
ハンカチ噛み締めこれに尽きる思いであった。
年上の女は続けて、和哉に何やら頭をペコペコと下げ、続いて、手を合わせ始めた。
(何だ、何だ…)
このあたりから既婚者衆にとって素敵な風が吹き出した。
(何やら一悶着ありそうな…)
思った、その事であった。
和哉がクルリ振り向き、彼女はその場を去ったかと思うと、友人を引き連れ、駅の方向に歩き去ったのである。
(こ! これは!)
既婚者衆は、先ほどの和哉の様に鼻の穴を一杯に広げ、
「どうしたの、和哉君」
首を都はるみばりに傾げて聞いた。
もちろん、顔は満面の笑みである。
和哉は言った。
「ふられた…」
それから、同期・既婚者衆はお祭り騒ぎとなった。
「お帰りー!」
叫ぶ者もあれば、
「胴上げだー!」
和哉を宙に放り投げて祝おうとする者もいた。
和哉はそれらに、
「止めてくれ! 一人にしてくれ! やっぱり俺は駄目だー!」
自虐的な叫びを上げ、
「中ー! お前の方に入れてくれー!」
別の独身者・中に助けを求めた。
結局、和哉は中と二人で新郎新婦を中心とする三次会組へ流れ込み、最終の五次会まで付き合ったという。
和哉がホテルに戻ってきたのは翌朝の5時である。
彼が、それまでの長い時間、どう過ごし、何を思ったのかは知れない。
が…、今回の事を目の当たりにし、俺は一つの発見を得た。
「モテる、モテないはバランスである」
という事である。
和哉は確かに二枚目で、更に誠実という二枚看板を持っており、異性から見た容姿通知表は『5』であろう。
が! このバックボーンにギャルが期待するものは、たっぷりとエロめいた笑顔でもなく、鏡面仕上げかと疑ってしまうその顔色でもない。
『爽やかさ』であろう。
ヤンキーがひったくりをしても目に付かないが、優等生がやれば、
「あんな事をする人だったの!」
と、非常に目立つ。
その逆もいえる。
優等生がお年寄りに席を譲っても目立たないが、ヤンキーが譲ると、
「はぁ、見かけによらず素晴らしい青年じゃ」
と、これも目立つ。
つまり、和哉は優秀過ぎる背骨にして、ネッチョリスマイル、ネッチョリトーク、ネッチョリステップを愛用しているため、その粗(ギャップ)が異常な程に目立つのである。
俺は自らの顔を鏡に映し、そして考えた。
(この顔サイズ、この腹回り、この髪型、そして、この性格…。うーむ、最高のバランスではないか…。ギャップ無し!)
非の打ちどころが全くない、その俺様であった。
道子が、俺のハートを落とすべく、様々な裏工作を張り巡らした『そのわけ』が、今更ながら、なんとなく分かった。
「うんうん…」
俺は何度も鏡を見、そして心底納得しながら頷き、友人である和哉へ送る言葉を考えた。
(これしかないだろう…)
言葉はすぐに決まった。
「めげずに頑張れ!」
これである。
(月並みだが、実に味わい深い『送る言葉』だろう…)
俺は…、そう思った。
眠いので、これにて終わる。(AM3時)
着陸やり直し (02/11/21)
先々週末の話である。
唐人原という同期が、
「11月に結婚式をやる!」
そう言い出したので、俺は家族を埼玉に残し、
(仕方ないなぁ…)
その会場である北九州へ向かった。
金曜の事であった。
例により、その日も気軽に会社を休むと、足取り軽く羽田へ向かった。
道子の実家・春日部からである。
九州出身の読者のために春日部を簡単に説明させてもらうと、その位置は埼玉県の東端にあり、いちおう関東平野内に属す。
市街地は大いに賑わいを見せており、人口密度も見た目、極めて高い。(俺からの目)
『桐ダンス』や『クレヨンしんちゃんの街』としても有名でもある。
過去から追えば、日光街道の宿場町として栄えた町であり、昔は粕壁と書いたようでもある。
現在はドーナツ化現象の煽りをもろに受けて住宅が山の様に建っており、完全に都心のベットタウンと呼べる町となっている。
道子の実家はそんな住宅街のど真ん中にある。
これを聞くと、九州の読者は、
(うわー、都会じゃにゃーやー! 人がいっぱいそうだー!)
言うに至るだろうが、空の足・羽田までの道中はなんと2時間を要した。
熊本市から鹿児島まで行ける時間である。
当然、俺にしては『非常に苦痛な時間』ととる事ができる。
が…、俺はその時間を読書に熱中する事で潰した。
丁度その時期、『飛ぶが如く』という爆発的に読み辛い小説の読破を目指している最中で、車中の読み物には事欠かない状況だったのだ。
結果、
(え、もう飛行機に乗れるの?)
そんな感じのスムーズさで搭乗までのステップを終える運びとなった。
さて…。
羽田から北九州に行くための航空便というのは二つある。
一つは福岡空港行き、もう一つは北九州空港行きである。
どちらが近いのかと言うと、その名の通り、圧倒的に後者の方が近い。
が…、その便は、非常にマニアックという事で知られている便であった。
その証拠に、地元住民である北九州人のほとんどが「北九州空港を使った事がない」と言う。
ほとんどが、遠方にある福岡空港を使うのだ。
(理由として、北九州空港までの足が極貧な事、便数が少ない事、使用される飛行機が見た目にクラシックな点が挙げられる)
従って、俺が北九州空港を使い、同期に迎えに来てもらったりすると、
「うわー、初めて北九州空港に来た。ちっちぇーなぁー」
結構な確立でそう洩らしてくれる。
が、そんな地元の反応に反し、他県人である俺は、
(北九州空港、ちょっと素敵な空港じゃない…)
そう思っていた。
ファンであるとも言えかもしれない。
どの辺に惚れているのかというと、この空港、搭乗路として一部滑走路を常用しているのである。
著名な外人が来日したりすると、飛行機から直に滑走路に降り、手を振ったりしているが、北九州空港だと著名じゃなくても洩れなく滑走路を歩ける。(3メートルくらい)
それに、使われる飛行機が実に味わい深い。
旅客機としては小型に属すであろうお手頃サイズで、それにプロペラがドーンと二個付いており、垂直尾翼の伸びたところに、理解不能な水平尾翼が付いていたりしている。
機体はかなりの年数を過ごしてきたのであろう、薄汚れており、何とも言えない味がある。
人で喩えるなら、アロハシャツが似合うサングラス爺さんみたいなものであろうか。
とにかく…、この飛行機と初対面の人々は、
(この飛行機は本当に飛ぶのか?)
皆が揃って不安がるが、俺としては絶大な信頼をその見た目に寄せているのである。
更に、これは北九州空港を利用したがる者にしか驚いてもらえない話ではあるが、小倉直通の高速バスが、つい最近、リーズナブルなお値段で走り出したのである。(皆、あまり知らない)
「うわー、北九州が超身近!」
俺は、迷う事なく今回の北九州行きに『羽田〜北九州便』を選んだ。
さて…。
今回の羽田での登場口は96番かそこいらであった。
いつも福岡とか北海道とか、いわゆる航空幹線と呼ばれる線にしか乗らない人々は知る由もないであろうが、羽田には90番以上の登場口も存在する。
それらはまず、登場口をくぐるとバスに乗り込む。
それから滑走路を専用の寿司詰めリムジンバスで走る事5分、滑走路の外れに飛行機が待ち受けているのである。(この搭乗法は、北九州でなくても、熊本や出雲など、田舎便の大抵がそうである)
俺は、離れに待っている飛行機達をバスの中からぼんやりと眺め、最後に北九州行きのアレを見ると、
(うん、最も小さい…)
何だか安心し、滑走路から意気揚々とそれに乗り込んだ。
席は窓際である。
今日も窓際と言ってもよかろう。
飛行機の中では大抵熟睡するのだが、なぜだか『窓際』という景観を楽しむポジションだけは譲れず、空いていれば窓際に座る事にしている。
時は午後7時である。
日も落ち、この滑走路の端っこから見る空港は実に美しかった。
赤、青、紫、黄、色とりどりの無数のランプが滑走路に映え、その奥には東京から放たれる莫大な光が伺えた。
「はぁ…」
人工的な景観には大して感動しない俺が、その時ばかりはちょっと感動し、溜息をもらしてしまった。
俺の横の人(通路側)が、
「ウットリするっちゃねぇー…」
俺の方に乗り出してそう言ってきた。
クルリ振り向くと、油の抜けきった婆さんであった。
俺は、
(ギャルだったら良かったのに!)
思ったが、精一杯の愛想笑いを作り、
「こりぁ、飛んだら凄い景色が見えますよ」
そう返した。
飛行機はそれからゆっくりと滑走路を動き出し、たっぷりと時間を使って離陸場所前に着いた。
そこで5分ほど待った。
機内放送が流れ、離陸の順番を待っていると説明があり、更に、この飛行機の順番は7番目だと詳細の説明までしてくれた。
(よほど、時間を持て余しているのだろう…)
そう思った。
離陸したのは定刻を15分ほど過ぎてからだった。
しばし下界を眺めた。
夜景は思った以上に凄まじく、懐中電灯をウロコシールに当てた時の様な光を放っていた。
その下には海ほたるが明々と海を割っており、
「はぁ、ダースベーダーが持っている剣みたいに見えますねぇ」
俺は、シートベルト着用中のサインが出ているにも関わらず、そのベルトを外してまで窓際に乗り出してきた婆さんに言った。
婆さんは、そんな俺の事は丸無視し、
「モーゼが海を割ったシーンを見ているようっちゃ…」
素晴らしい喩えで海ほたるを評した。
(むむむ…、うまい!)
俺は絶句するしかなかった。
が、婆さんに好感を持つには至らなかった。
その後、婆さんのせいで俺は眠れなかったのである。
夜景が見える度に、隣の婆さんは乗り出しては、その感想をいちいち俺に語るのである。
(ああ、うるせー!)
思いながら、俺は読書を続けた。
富士山の上を通過するくらいに、機長からの放送が流れた。
「えー、機長室よりお知らせします」
いつもの一言から始まり、
「北九州の天候は雨。えー、アラレも降っている模様です。北九州空港上空は風も大変強いと聞いております」
と続け、
「北九州空港で着陸出来ない場合は、山口か福岡に着陸する場合もあります」
そう言った。
「えー」
機内からは、その声があちらこちらで上がり、俺にしても、
(嘘だろー、同期が俺が小倉に着くのを待ってるのにー!)
そう思った。
隣の婆さんに至っては、
「それは困るっちゃ。明日は寄り合いがあるっちゃ」
俺に自分の都合を力の限りぶちまけた。
機長は皆の不安を煽るだけ煽ると、続けて、
「えー、今、左下に富士山があります」
そうも言った。
俺は、たまたま進行方向左側の窓際に座っていた。
(なにっ!)
思うや、窓に顔を近付け、下界に目を配った。
が、さっぱり富士山は見えなかった。
雲や、場所がどうこうというよりも、夜だから見えなかった。
(この機長、ちょっとおかしいんじゃ…)
飛行に一抹の不安を覚えるに至った。
ちなみに、放送を聞いた横の婆さん。
「お兄さん、どいてっちゃ、どいてっちゃ」
俺を押しのけて体を乗り出し、さんざん俺に迷惑をかけたくせに、
「なんやー、兄ちゃんー、見えんやないー」
俺にあたった。
それから1時間後…。
飛行機は着陸態勢に入った。
スチュワーデスからは、
「強烈な揺れを伴うと思われます」
何度も何度もそう放送があった。
そして、実際に雲間に入ると、機体は本当に上下左右に揺れ出した。
(おお…、これは確かに凄い…)
俺が思っていると、横の婆さんは、
「うぅ…」
唸りながら、口を押さえ始めた。
が…、
(誰が世話するか! もう、騒々しい!)
俺はプイッと無視した。
雲間を抜けた。
雨が降っているのであろう、窓におびただしい水が付着し始めた。
揺れは依然おさまっていない。
薄っすらと視界がおぼつかない窓に『空港らしきもの』がうつった。
(お、もう、着陸だな)
思うと、横では婆さんが、
「はぁ、はぁ、駄目、駄目…」
色めいた台詞を吐いていたが、婆さんゆえに魅力はさっぱり感じず、むしろ、
「吐くなよぉー」
なるべく、婆さんの方を向かない事にした。
ガチャン、ガチャガチャ…。
タイヤの出る音が機内に響いた。
(さあ…、着くぞ…)
着陸というドラマは佳境を迎えた。
と! その時であった。
フワンと縦揺れのGを感じたかと思ったら、なぜか機体は上昇方向に向きを変えたのである。
(何だ、何だ?)
俺は、
(まさか?)
思うや、顔を窓にびったりと付け、その機体の羽を見た。
普通に存在した。
機内を見回した。
おかしい様子はない。
クンクンクンクン…。
臭いをかいだが別に変わった様子はない。
(なんだ、なぜ、空港を目前にして引き返してるんだ?)
窓に映っている管制塔の点滅ランプが遠ざかっている。
(なぜだ、なぜだよー! まさか! テロ?)
俺は遺書を書く事すら思った。
手には冷たい汗がたっぷりと握られている。
(うわー、死にたくないよー! 春ー、道子ー、お父さんは風になるのかー?)
色々思った。
と…。
機内放送が流れた。
「えー、機長室よりお知らせします」
前に流れた聞き覚えのある機長の声だった。
機内はシン…として、その声に耳を傾けている。
皆の緊張が手にとる様に分かる『その静けさ』であった。
横の婆さんだけが、
「うぇー、うぇー、駄目っちゃ、うぇー」
平和に吐いていた。
機長は言った。
「えー、強風により、先ほどは着陸を中断いたしましたが、再度、着陸態勢に入ります」
「ぷはぁぁぁ…」
あちらこちらから安堵の息が洩れた。
無論、俺も例外ではなくその息をたっぷりと吐いた。
「なんだぁ、単なるやり直しかよぉー」
冷や汗びっしょりであった。
「うぇー」
ちなみに婆さんは未だ吐きっぱなしである。
機体はUターンすると、またユラユラと揺れ、滑走路目指して着陸の態勢に入った。
俺は何となく手を合わせ、合掌の姿勢をつくった。
周りを見ると、俺同様にそうしている人も何人かいた。
飛行機は右へ左へ揺れながら、今度は陸がはっきり見えるところまで降り、
「あ、陸だ…」
思ったと同時に、ガクンという地上に触れた衝撃が機内を走った。
着陸成功であった。
「ふぃー」
深い安堵の息が止め処なく流れた。
俺自身、ここにきて自分が汗だくな事に気付いた。
「うわー、緊張してこんなに汗かきましたよ…」
俺が婆さんの方を向くと、婆さんはスチュワーデスに、
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
気遣われながら『違う汗』をどっぷりとかいていた。
何はともあれ、北九州に着いた。
俺は得も言われぬ疲労感を感じながら、前述の様に、滑走路を通って空港に入った。
滑走路に出た瞬間、強烈な冷たい風が俺を襲った。
(ううう、寒い…)
汗ダクダクの火照った体は一瞬で冷えた。
東京より10度以上も北九州は寒かった。
今日の晩は、最近子供が出来たばかりの同期・小林の家に泊まる事になっていた。
(ちょっと遅くなったなぁ…)
俺は機内での土産話を携え、それから噂の高速バスに乗り込んで小倉へ向かった。
そして、小林と合流し、彼の家へ向かった。
俺は、彼の家で、春よりも若いその赤ん坊をたっぷりと抱く気満々であり、その嫁にも気を使って草加煎餅を購入していた。
俺は彼の家に着き、玄関から上がるや、
「バイキンマンだぞ!」
得意のモノマネを疲労すべくドアを開けた。
と…。
その部屋は真っ暗であった。
「あれ?」
首を傾げる俺に小林は言った。
「今日、嫁も子供も実家に帰した。布団もシングル一個しかない…」
俺は、その一言で全てを悟った。
『小林その人が、俺が家に来るという事を受け、嫁と、その生まれたての子を隠した』
その事(真実)を、である。
彼は、きっと家族にこう言ったはずだ。
「とんでもないエロパンダが埼玉から来る。お前達は実家に避難してろ。避難だー!」
もしかすれば、もっと凄い事を彼は言ったかもしれない。
(くっそー!)
俺は唇を噛んで立ち尽くした。
酷い目に遭い、やっと着いた北九州。
それが俺に用意していたものは、同期・小林との
『シングル布団で培う〜甘い夜〜』
それだったのである。
(冷や汗の次は寝汗が出そうだぜ…)
ふと、機内で婆さんが言っていた言葉を思い出した。
「あー、北九州行きを使わんほうが良かった。この悪運が他にも及びそうっちゃ」
(なるほどぉ…)
少しだけ、北九州空港が嫌いになり、そして、あの婆さんに、
(無視し続けて、ゴメン)
そう思ったのであった。
大規模火災訓練 (02/11/14)
俺の働いている事業所に、今年、8階建てのビルが立った。
これが近隣の消防署の目に留まったらしく、
「是非とも、御社のビルを使って消化訓練をさせてくれ!」
と、申し入れがあったらしい。
会社としては断る理由はなかろう。
テレビ局は来るわ、本火災時に消火活動がスムーズに行くわ、ご近所さんから注目されるわで、少々汚れるリスクは負うものの利益の方が多い。
即、承諾であった。
数日前から会社沿道には『大規模火災訓練』の看板が立ち、噂では消防車が20台は来るとの事であった。
俺は前の日記でも述べたが会社の自衛消防隊をしている。
従って、訓練の当日は地元の消防署と連携を取る必要があり、前もって練習等を行った関係で、その規模をいち早く知る運びとなった。
それによると、救助ヘリコプターは来るわ、梯子車4台が同時に梯子を伸ばすわ、一斉放水があるわで、さすがに、
(大規模を謳っているだけあるなぁ…)
その規模であった。
ちなみに、俺の役目はビルの下に待機するポンプ隊の指揮役である。
当日…。
10時にサイレンが鳴ると、俺達ポンプ隊はダッシュでビルの真下に整列し、番号を数える。
その後、
「7階より火災発生、操作始め!」
で、ポンプ車をビルの真下につけ、何やらかんやらの準備に入った。
この号令を発したりするのが俺の役で、声さえ出れば誰でも良しという最も簡単な役であった。
ポンプ隊は、水を出さないものの放水の陣形を取り、そのままビル下で待機した。
ビルの7階まで水が届くわけがなく、『飛び火警戒』という状態で、消防署曰く、
「7階から落ちてきた火の粉が飛び火した場合の警戒です」
との事である。
俺達は5分ほどビル7階を見つめつつホースを持った体勢で待った。
これからどうなるのかと言うと、消防車が続々と入って来るので、そうしたら、
「自衛消防隊、避難!」
の掛け声で、ホースをまとめつつポンプ車脇に横一列になって逃げるのである。
(あいつら、いつ水を出すのか?)
そう思って見つめていた後ろのギャラリーからは、
「何だよー、水出すかと思ったら避難かよー。消防隊が避難したらどうしようもなかんべー」
という野次が聞こえた。
もっともだと思う。
が、ポンプ隊としても消防署から、
「そうしなさい!」
と、言われている以上、そうするより仕方がなかったのである。
10分もすると、梯子車4台がビルを取り囲み、救護班はテントを張り、周りはサイレンの音だらけとなり、ビルの7階からは発煙筒の煙がモクモクと上がった。
(うっわー、本格的ー!)
俺はがぶり寄りの席でそれらを観客として眺めた。
既に自分が自衛消防隊である事を忘れてしまっている。
この後の自衛消防隊としての役割として、各消防署との一斉放水というビックイベントがあった。
が、その時は、その訓練規模の大きさに『単なる野次馬』となっていた。
「うっわー、梯子車すげー!」
その目は救助に向かうために伸びた梯子の先端を捕らえた。
風が吹く度にグゥワングゥワンと揺れ、見た目50センチは揺れている様に思われた。
救出される人間は素人、つまりはうちの社員である。
社員は、7階の窓から目前の梯子に飛び移るため、おっかなびっくり手を出したりしているのだが、いかんせん、揺れるもんだから飛び移れずに困っている模様である。
(そりゃ、そうだろう、あの高さじゃ…)
同情していると、その横ではΦ1mくらいの白い物体が7階から下へポロンと落ちた。
(あれはなんだ?)
思っていると、中を人らしき影がグルリグルリ回りながら下へ落ちているのが見えた。
「うわー、あれ、脱出用シュートだぁー!」
俺は興奮し、思わず隣の隊員の腕を掴んだ。
「見りゃ分かるよ」
隊員の反応は非常に冷たかった。
ビルを取り囲む消防署員は皆、忙しく動き回っている。
「大丈夫ですかー?」
「向こう、救助に行って!」
「梯子ー、もうちょっと前ー!」
本当に色々な言葉が飛び交い、忙しそうであった。
そんな中、ビルの真ん前という最高の場所で、のんびりとくつろいでいる自衛消防隊員がいる。
「うわー」
「すげー」
「こえー」
完璧に人まかせな野次馬となっていた。
「自衛する気、まったく無し!」
態度がそう言っているとしか思えなかった。
少しすると、ビルから避難してきた社員たちが純粋な野次馬として俺達の後ろにゾロゾロと集まりだした。
(むむむ…、自衛消防隊としてカッコ良いところを見せなくては…)
ハッと自分が自衛消防隊である事を思い出し、警戒という本来の仕事を全うすべく、俺は直立不動の姿勢をとった。
それで思い出したが、道子と春も見学者としてそういえば見に来ると言っていた。
(ようし、張り切るぞぉー)
ますますポンプ隊指揮者として、ボルテージが上がってきた。
次の役目はサイレンが鳴ると同時に、ポンプ隊1・2・3番隊員を引き連れ、前に踊り出、他の消防署の部隊と一斉放水である。
(燃えてきたぁー)
思っているところに、メインイベントであるヘリコプターがやって来た。
ヘリコプターから人が降り、屋上の人間を担架に乗せ、そのまま引き上げた。
恐るべき事に、ヘリコプターから降りた人間(航空消防隊員)は担架を両手で掴んだままヘリコプターに吊られているのだ。
つまり、鉄棒にぶら下がっている様な状態でヘリに吊られているのである。
(うわあああ、こりゃ、ボリジョイサーカスも真っ青だ…)
見ていて気持ちが悪くなった。
更にこの男、吊られたままロープが引き上げられると懸垂を用いて自らヘリによじ登り、担架の引き上げを行っていた。
顔こそ見えないが、
(多分、ケイン・コスギみたいな奴で、趣味は筋トレなんだろうな…)
その事だけは確信出来た。
空中マッスルショーが終わると、さてさて、やっと自衛消防隊の出番である。
ポンプ隊一同は横一列に並び、メンバーの顔は、
(ようし、いっちょやったるでー!)
という勇ましい男の顔になっていた。
観客も時を追う毎に増え、最後の一斉放水を控えた今、最高潮となっていた。
(行くぞ、行くぞ!)
皆、はやる気持ちを押さえきれず、少し前に乗り出す様な格好であった。
が!
そのやる気も後ろの野次で少々減退する事になる。
「見ろよー、うちの自衛消防隊のポンプ車ー」
その一言から始まった。
男の声であった。(後ろを向いてはいけないキマリになっている)
「あれじゃ、ポンプ車と言うよりリアカーだぜー」
これを受け、ポンプ隊一同、
(ガビーン!!)
その思いであったろう。
少なくとも、俺には痛い言葉であった。
前の練習で、そのポンプ車とポンプ隊が初対面した時、俺を含め皆が皆、
「これ、何かの骨董品ですか?」
ポンプ車と気付かずそう言ったし、梯子車と並ぶと聞いた時、その像の滑稽さは称賛ものの超ド級レベルであった。
当日、隊員は夢中になっている為、その滑稽像を冷静に見る事が出来ない。
対して、後ろの野次馬は違う。
極めて冷静に見ているのだ。
「あー、笑えるー」
なんだか、後ろの人だかりからクスリクスリと微妙な笑い声が聞こえる。
(どうせ笑うなら思いっきり笑えよー)
中途半端な群集の笑いが恥ずかしさに拍車をかける。
その時!
「ウーウーウーウーウー」
サイレンが鳴った。
反射的に、
「一斉放水準備!」
俺は号令をかけた。
俺の後ろに1番隊員がノズルを持って続いた。
2番隊員がその補助として、すぐ後ろのホースを持った。
3番隊員がホースを整え、そのまた後ろのホースを持った。
続けて、滑稽と罵られているポンプ車のエンジンに火が入った。
消防車からホースを引き出した3隊は既に一斉放水体勢に入っていた。
うちもその横に並んだ。
ここで一抹の不安が頭を過ぎった。
(うちだけチョロチョロ放水だったらカッコ悪い事この上なしだぞー)
その事である。
4つのホースから一斉に水が出、その右端だけが、
「ちろちろちろちろ…」
だったとしたら、
(うおー、かっちょわりー!)
思っている内に二発目のサイレンが鳴った。
放水開始のサイレンである。
「放水開始、放水開始!」
左から次々にビルへ向かって放水が始まった。
うちの一つ前の消防隊がうちに気を使って発射タイミングを遅らせてくれている様である。
目で俺の方を見、
(大丈夫?)
そう言ってくれている。
俺はコクッコクッと高速で頷き、ポンプ車方面を見た。
4番隊員が一生懸命、バルブを開いたり、水抜きをしたりしていた。
そうなのである。
消防署が持つ最新鋭消防車は手元のノズルをちょいと回せば水が即飛び出すわけだが、うちの骨董ポンプ車にはその様な『付いてて当たり前機能』は無論ない。
当然、放水始めの声を聞いてから色々しなきゃいかんわけである。
今日の訓練を取りまとめている大隊長なる肩書きのオッサンは、そんな自衛消防隊の『込み入った事情』を知らない。
「早く放水しなさい!」
終いには怒り出す始末である。
とにかく、うちらは1タイミング遅れて放水する事に成功した。
それも、あまりにも急がせるものだから、練習中にもやった事がない『MAXパワー』に、焦った4番隊員が一気にもっていってしまい、ノズルを持つ1番隊員は大きく仰け反る事となった。
「うわぁ!」
その影響は、俺に水がかかるという小さなアクシデントにおさまり、何とか4つの放水がビルに突き刺さるという絵をギャラリーに見せる事が出来た。
このタイムラグは、当然、放水ストップにも影響する。
他がピタリ、号令と共に放水を止めるのに対し、うちの骨董品はバルブを手回しにより閉めなきゃいかんので、老人のしょんべんの様に、実に歯切れ悪く止まった。
この時も『大隊長様』が、
「おい、早く止めろ!」
うちらに怒鳴った。
のち、この大隊長様、うちらのポンプ車を見、
「あー、これが原因で歯切れが悪かったのかぁ…」
と、納得した後、
「しかし、今だにこういうタイプのものがあるなんて…」
化石でも見るようにリアカーと言われたポンプ車をマジマジと眺め、
「うーん、しかし、これは貴重な一品だよー」
そう言い残して去っていった。
後ろで微妙な笑いを見せていた野次集団からは、
「あれ、見かけは悪いけど結構飛ぶなぁ」
そういう声が上がっていた。
俺はこれらの声を聞きながら、無心でポンプ車を撫でていた。
別に愛着があるわけでも、気に入っているわけでもないのだが、
(ポンプ車ー、褒められてるぞぉー)
なぜか俺は自分の事の様に嬉しかった。
ふと、道子と春はどこから俺を見てるのだろうかと気になった。
キョロキョロしてみたが姿が見当たらなかった。
(帰ったかぁ…)
俺は軽い舌打ちを打つと帰路に着いた。
と、その時であった。
「パパー、パパー、こっちー、パパー」
ブンブンと手を振りながら、ビデオカメラ片手に叫んでいる一人の婦人がいた。
そのカメラはこちら方面を向いている。
(ん?)
思い、横を見ると、田中という先輩がそのカメラ視野の中心にいた。
そう、この婦人、先輩・田中さんの嫁である。
先輩・田中さんは自衛消防隊であったが、ビル内消火の担当であったため、外では何もしていない。
ましてや、今は閉会式も終わり、だべりながら帰路についている『その時』である。
(奥さんは何を撮りたいんだ?)
心底、疑問でしょうがなかったが、旦那である田中さんが慌てて走り寄ったため、それからは家族の睦み事タイムとなり、迷宮入りとなった。
(うちの嫁もあそこまではなくとも、せめて「お疲れー」とかは…、ねぇ…)
肩を落としてみたり、ちょっと、そういった家族愛に飢えた寂しい亭主を演じてみたりもした。
工場に戻ると、
「お、張り切ってたな自衛消防隊、お疲れ!」
皆から労いの言葉を頂いた。
その中で、ある一人の先輩が、
「良かったよー、最高だったよー」
親指をバチコン立てながら走り寄ってきた。
「いやー、ありがとうございます」
俺は恐縮し、ペコリと頭を下げたところ、
「あの帽子のパツンパツン具合、お前じゃないと出せないなー」
予想外のハートをえぐる言葉が返ってきたので、ひとまず、
「殺す」
とだけ返し、踵を返しておいた。
ちなみに、会社から帰って食卓を囲みながら道子と話していると、
「もうー、田中さんの奥さん、超笑ったよー」
道子が渦中の田中さん嫁の話を始めた。
道子の話によると、田中さん嫁は長男と長女を連れて大規模火災訓練を見に来ており、その中でヘリコプターが登場するシーンになると長男がその音に驚いて大泣きしたらしい。
長男は、
「ママー!」
と、田中さん嫁を泣きながら追いかけ、田中さん嫁は、
「録画チャンス、録画チャンス!」
と、ヘリを撮る絶好のポイントを探し、これまた走り出したらしい。
追いかける長男、逃げる母親、この絵に道子は爆笑したというのだ。
道子は言う。
「もう、超ー面白いよねー」
ぶりぶりの笑顔であった。
俺はそれを、
「そうだな…」
いつも通り渋く受け答えしつつも、奥底では、
(お前もハッスルして俺を撮れ。田中家に負けるな…)
道子に陰ながら嘆願したりするのであった。
自衛消防隊に入って半年…。
(意外とこれ、俺に合ってるかも…)
冷たい道子のハートに放火願望を持ちつつも鎮火方面の適性を感じたりし、
「燃えろー、家族愛ー」
そう叫びながら、
(でも、これに関しては自衛消防隊はいらんね…)
なんて思ったりもしてみるのであった。
迫り来る七三 (02/10/24)
『七』と『三』といえば、パチンコでは確立変動だし、ラッキーナンバーの代表格といえる数字であろう。
焼酎のお湯割にしても、焼酎7にお湯が3だと何となくリッチな感じがする。
しかし、髪型に関して言えば、七三は本格的にオヤジ臭い。
てっぺんハゲに並び、妥協なき超本格オヤジ仕様髪型と言えるだろう。
付き合いたてホカホカのカップルにおける会話で、
「今日、床屋に行ったのー、それで、どんな髪型にしたのー?」
「七三さ!」
なんて会話はまず聞けないし、若者で、あえてこの髪型を選んでいるチャレンジャーが日本中のどこかにいるとすれば、是非ともお目にかかりたいくらいである。
俺にしても、肌がシャワーの水をばんばん弾いていた若者の頃(16〜20)は、前髪をツンツンおっ立て、
「To-Be-Continu(バンド名)のボーカルみたいじゃねーかー」
なんて言われていたものである。
そんな時、実の父である富夫の髪型を見るに、教科書通りの七三であった。
朝起きるや、自らガッチリと整髪料で七三の陣形を整え、
「接客商売だから身だしなみは大事、大事…」
富夫がそう言っていた事を何となく覚えている。
だから、学生時代の俺の中では、
(働く人の髪型は七三…)
その思いが何だか根強かったし、銀行員で七三じゃない奴なんかを発見するや、
(なんや、あいつ、銀行員のくせに気取った髪型をしやがってー)
と、憤りすら覚えていた。
が、今…。
(七三にだけはなりたくねー)
本気でそう思っている俺がいる。
発端は今日の事であった。
久しぶりに帽子を外して事務所を歩いていると、
「あら、福ちゃん、帽子をかぶっていないなんて珍しいじゃない」
にこやかにパートのおばさんが歩み寄ってきた。
パートが続ける。
「髪、セットしてるの?」
俺は返答に困った。
ここ一年余り、整髪料など付けた事がなかったからだ。
仕方がないので、パートの問いかけに、
「何も付けてないっすよ」
ぽかりと口を開けて返した。
すると、
「あら、でも、見事な七三じゃない…」
パートはそう言い放ったのだ。
(ショックー!)
俺は言葉をなくし、立ち尽くした。
その横をパートはスゥーッと通り過ぎ、すれ違いざまに、
「でも、それは若者の髪型じゃないわね」
そうまで言ったのだ。
俺はそのまま足取り重く休憩所へ向かい、ぼんやりとここ最近、髪型について触れられた思い出を探ってみた。
ショックの大津波はまだ消えていない。
その影響あってか、何だか心中に濃い霧がかかっている様にも思えた。
ふと、久々に会った先輩の奥さん(名を伊藤という)が放った言葉を思い出した。
「何ー、福ちゃん、その髪型、超オヤジー」
俺はその時、帽子を取ったばかりで、髪がペタリと貼り付いている事に関してそう言われたのだと解釈した。
しかし、今思えば、それは明らかに違う。
彼女は、俺の『七三』を指摘したのである。
確かに…。
前々から気にはなってはいたのだ。
昔からつむじの関係で、真ん中分けがし難い髪質であるとは思っていたし、その割合が、六四から何となく七三へ七三へと移動してきている事も気付いてはいた。
道子が、
「福ちゃん、七三は超ださいよー」
前にそう言ったため、なるべく真ん中から分かれるように手で押さえつけたりと抵抗もした。
が、結婚二年目、つまりは社会人4年目に入った頃からであろうか、何をやっても七三に落ち着く髪の流れが出来上がってしまったのである。
これではまずいと、髪を短くする事により、当初、それを回避していたが、最近に至っては、短くても手におえなくなってきた。
風呂上り、その短い髪の水をバスタオルでゴシリゴシリと拭き取った時点で、
「うわー、七三になってるー」
という極限の事態なのだ。
(世の中に色々な形状記憶あれど、ここまで高性能な形状記憶はあるまい)
そう思えるほどである。
学生の頃、俺が思っていた、
(働き出すと七三になる)
この思い、あながち嘘ではなくなってきた様だ。
不意に、頭の中に『遺伝』という単語がちらつき、富夫の顔が浮かんだ。
(今、俺の分かれ目が何となくぼやけているが、それも富夫の如く、油性ペンで書いたかのようにバッチリ七三分かれ目になるのであろうか…)
富夫の髪型と俺の髪型がダブって脳裏に浮かぶ。
(ああ嫌だ、本当に嫌だ…)
その浮かんだ絵のダサさは半端じゃない。
終生ナウくいたい福山裕教は考える。
(反対側にもバランスよく分け目を与え、この際、3:4:3に仕上げようか?)
つまり、七三を強引に三四三にしよう…、などと…。
色々考えるが結論は、
(ああ、馬鹿らしい…)
結局、それに終止した。
「はぁ…」
おもーい溜息、また一つ。
(ハゲ以外にも、男は髪で悩む事が多い…)
今日10月24日、秋冷えの中、深々とそう思われた。
無念な旅行 (02/10/22)
先週末、恒例の社宅同期旅行に出かけた。
これ、会社の同期で結婚している者を集め、毎年、旅行に行くというものである。
幹事は旅行の度に違う人がやるという事になっており、福山家は既にその任を終え、今年は山本家という同じ棟に住む同期がやる事になっていた。
この山本家が旅行前に言うには、
「今年は群馬サファリパークに行って、軽井沢に直行よー」
との事である。
メンバーとしては、この山本家と、福山家、竹森家という三家であり、本来ならば五家のはずだが、一つは子が生まれたばかりで来れず、もう一つは近々外国旅行に行くから金がないとの事で不参加であった。
ここで、一つの問題が発生した。
(酒を飲んでガヤガヤやるメンバーがいない…)
その事である。
俺以外、二家の旦那はどう見ても、
「馬鹿でーす!」
という感じではない。
矢印(方向性)でいくと、逆方向を向いているとも言える。
山本家の旦那というのは前の出来事にも書いているが、常、静かなる事岩のごとし、溜めに溜めて、ある瞬間、一発で場の空気を切り裂く『喋り口』を持つ男である。
他の特徴として、彼は人々から『忍者』と呼ばれており、その呼び名の如く足音がせず、服はカラスみたいな真っ黒を好む。
今回の旅行中にも、俺は彼の接近に気付かず、気が付けば彼が目の前に立っており、
「うおっ!」
と、年甲斐もなくビビってしまい、
「なんで、そんなに足音がせんとねー?」
鼓動高らかに、汗をびっしょりかきながら聞いたところ、
「つま先から踵にかけて足の裏を地面にスゥーっとつけてるから」
微笑をもってそう返された事に、彼の全人格が伺える様な気がする。
もう一人、竹森氏という男であるが、決定的な事に、彼は酒を嗜む程度しか飲まない。
その上、山本氏以上に冷静沈着で、馬鹿な事を言うと、
「おだまり!」
そう一喝されてもおかしくない感じで、現に、
「福ちゃん、ちょっと常識から外れてるよ!」
喋るたびによく怒られる。
つまり…。
この二人に俺が入れば、俺が完璧に『浮く存在』となる事は容易に想像が出来るのである。
これに伴い、
「今年に関しては、結婚していない者であっても旅行に来て良し!」
と、先手を打って勝手に特例を設け、今本というお馴染みの後輩を巻き添えにする事に成功した。
さて、話を旅行当日に戻そう。
当日の朝8時、メンバーは社宅の前に集合するや会費を取られた。
幹事の意向で、最初に全額を集め、支払いが生じた時に、幹事が都度払っていくとの事である。
それから、二台の車に便乗し、一向は群馬サファリパークへ向かった。
「もうー、サファリパークなんて子供の行く所じゃにゃーやー」
俺は何となく愚痴ってはいたが、そのサファリパークでは多分、俺が一番はしゃいだと思われる。
例により、バスに乗り込み、園内をゆたりゆたりと走り回るのであるが、
「ライオンが近いー」
「うわー、サイ、でけー」
「シマウマ見てると目が回るー」
「春ー、楽しいなぁー、おいー、楽しいぞー」
たしか、それらを連発していた様に記憶している。
車から出ると、隣は小さな遊園地になっていた。
そこのメインとして、動物と抱っこして写真が取れるというコーナーがあった。
動物というのは、ホワイトタイガー、ヒョウ、ライオン、オラウータンであり、それのどれかを選ぶというシステムで、一枚800円と記載されてあった。
「うっわー、道子、どれにするやー? みんなはどれにするー?」
俺は当然、皆も写真を撮るものと思い、ズラリと並んだ列の最後尾につけた。
が、二家の反応は、
「いいよー、800円は高いし、別に撮りたくない…」
というものであった。
(え…)
福山家は寂しく列に並んだまま皆を眺め、俺に至っては、
(800円でオラウータンと肩が組めたら安いだろー…)
そう思ったが、言えば寂しさが加速するだけなのでやめた。
写真撮影は、福山家だけが終始盛り上がって5分ほどを過ごし、パソコン時代ならではであろう、フロッピーでその写真をくれた。
その写真は『春の部屋』に乗っている。
最初、ホワイトタイガーで撮るつもりだったが、並んでいる間、最も凶暴な動きを見せていたヒョウが牙をむいている絵が目に入り、急遽、恐いもの触りたさでヒョウと撮る事になった。
是非とも見てもらいたい。
このヒョウ、『子供です・噛みません』と説明書きには書いてあったが、かなりの大きさと迫力である事が分かってもらえると思う。
さて…。
一向は、サファリパークを出ると、宿泊先である軽井沢へ向かった。
最近できたショッピングモールの近くにその宿はあり、高地らしい『冷たい緑』に覆われた場所であった。
今日の天候は雨である。
窓からの景色は、ぼんやりホワイト(霧)の中に緑が映え、雨の縦線がそれにノイズを加えているかの様にも見える。
(うーん、別荘地…)
なんとなく、そう思われた。
俺達は、一時、のんびりと寝転がったりして時間をすごし、それからショッピングモールへ出かけた。
近いという事で、傘をさし、歩きでそこへ向かったのであるが、三夫婦が相合傘の中、後輩の今本だけが一人ぽつんと歩いており、なんだか俺が呼んだ手前、申し訳なくなった。
ショッピングモールでは、夫婦別にショッピングしようという事で、別行動になったが、その瞬間、竹森家は手を繋ぎ、山本家は寄り添い、福山家と今本は非常に困った。
特に、今本においては、
(一人ぼっちの俺はどうすりゃいいの?)
その心境であった事だろう。
それから、1時間半後に集合し、飯を食おうという事になったのであるが、今本においては、その時こそ、
(やっと、生きた心地にありつけたー)
その思いであった事だろうと思う。
彼は、飲むためだけにこの旅行に参加したのだ。
俺にしても、
(ようし、今本と飲むぞー)
の思いであった。
が、山本家と竹森家、その店において、一切、酒を口にせず、なんだか、
「酒を頼みにくいな…」
「そうですね…」
という雰囲気になってきたのである。(俺と今本のみ)
最初、ビールをジョッキで頼んだのであるが、その後は瓶ビールにしてみたりと気を使ってもみた。
「予算、大丈夫?」
節目節目に囁かれる『その声』に、俺と今本は何とも言えず蹈鞴(たたら)を踏んだ。
(うわー、何か、頼みずらいー)
その事なのであった。
「宿に戻れば、あらかじめ買ってある焼酎もあるじゃん」
誰かしらが、そういった事を言ったが、それは酒飲みの気持ちを無視した言葉としか思えない。
酒飲みは、今飲みたいから飲みたいのだ。
後で飲む酒は後で飲む酒で、今飲む酒は今飲む酒なのだ。
(ビール、今、飲みてー)
俺と今本の思いは、まさにこれ一つであり、飲まない人間に、
「ワガママだぞ!」
そう一喝されたとしても、それこそが酒飲みの真実なのだ。
しかし…。
無言の、
(予算を使うな…)
この圧力に、二人はなす術もなく負けたのである。
これよりは、俺個人の所感となるが…。
そもそも、今回の旅行のシステムが、先取り会費制システムで、最初に予算枠をガチンと決められ、そこから諸費用を払っていくというのが不味かったと思う。
金を使う時のスタンスが、
「使っていいですか?」
と、会費の財布を伺う姿勢にならざるを得ないのだ。
今、俺が述べている事は、皆がそうだとは言い難いが、『浮世を離れる旅行の場』という俺の考えにおいては、
「適していない」
と、言うより他ない。
浮世を離れる以上、その時だけは日頃訪れる雑多な『シガラミ』から離れるわけである。
そのシガラミに、金の事、これももちろん重く入る。
シガラミを忘れ、旅行の時くらい、
「どーんと行こうや、どーんと!」
と、酒くらい気にせず飲みたいわけだ。
しかし、枠が決められ、更に、周りが一滴も飲まないという状況では、良心に負け、『どーん』というわけにはいかないのである。
シガラミ(制約条件)を気にしながらの旅行ほど悲しいものはあるまい、浮世を離れていないのだから…。
その後、宿に帰り、焼酎、ワインなどをあおったが、どうしても酒量としては盛り上がらず、吐く男の代名詞・今本でさえ、素面で眠るに至った。
(ま、仕方があるまい…)
酔う瞬間を見失った二人の悲しき末路であった。
その翌朝…。
近くの白糸の滝に向かい、その後、帰路についた。
感想として、どうしても今回の旅行は盛り上がりに欠けた様に思われてしょうがない。(あくまで俺の感想)
そもそも、俺の旅行感が、酒を入れ、胸を割った語りを入れ、翌朝にもがき苦しむ、これこそが最高の旅行時サイクルと考えており、酒を飲まない者から言わせれば、
「馬鹿みたい…」
この一言で片付けられてしまう事であろう。
が、ことある毎に酒を挟み、重ねて言うが『浮世を離れる』を旅行の主たる目的としている俺にとっては、このサイクルこそ、
(理想のサイクル…)
そう思われてしょうがないのだ。
後輩・今本、彼はそのサイクルを送る事においてはスペシャリストというべき男であり、何度も言うが、吐くといえば今本と言われた男でもある。
彼に燃え尽きてもらえなかった事が、呼んだ俺としては無念であるし、謝っても謝りきれず、
(ちくしょー、すまん、今本…)
この思いが内でドクドクと込み上げて止まらない。
旅行帰宅日のその夜、福山家は今本を家に呼び、ささやかながら食事と軽い酒を馳走している。
それは、その『深い思い』からきている。
…。
ああ、なんだか、書いてて悲しくなってきた。
以後、グチっぽく続けさせてもらう。
春ができ、胃を壊し、酒量も減り、基本的に俺の絶対的長所であった『行動力』がグングン落ちてきているのが手に取るように分かる。
前の俺であれば、
「金? 知った事かー、天上天下唯我独尊、えいやー!」
と、あの時、今本を交えて強引に飲んでいた事であろうし、今本もそういう俺に期待していた事であろう。
が、どこで覚えたのか、気を使うの結晶ともいうべき『遠慮』などをしてしまい、結果的には後輩である今本に不完全燃焼という最悪の事態を招いてしまった。
(あー、俺、どんどん日本のお父さんになっていくー! これじゃ、常識人だー!)
自虐的な考えは加速し、手が付けられないようになっていく。
ついには、
「行動力、行動力!」
自らにそう言い聞かせ、何かを無性にやりたくなってくる。
そして、今日、それが爆発する事になる。
その内容とは…。
「無人の工場長室に忍び込み、屁をふる」(3発)
これであった。
(嗚呼…)
地味であり、且つ『ピンポンダッシュ』や『便所で落書き』の様に、限りなく虚しい。
頭を抱える福山裕教…。
今日も又一つ、大人になった(?)のであった。
深く深く…、今日も反省。
多分、明日も反省。
(次の旅行は盛り上がるぞー!)
人見知り (02/10/15)
誰にでも抱っこされる、誰にでも笑顔を振り撒く、誰の前でもマイペース。
福山家の長女・春は『人見知り』という言葉を知らない。
(そりゃそうだろう…)
俺も道子もそう思う。
ほぼ毎週、飲み会にも同席させ、家にも知らない人が次々に現れ、それらが全て春に触れて帰るのだ。
人見知りをしないための『英才教育』をしていると言っても過言ではなかろう。
その甲斐あって、今まで一度たりとも人見知りらしい人見知りをした事も無く、親、祖父母、その友人、他人、分け隔てなく春は付き合ってきた。
(こんな誘拐しやすい子もそうそういまい…)
教育者の俺でさえそう思える程だった。
が…。
今日、その牙城が初めて切り崩された。
「会社の先輩、柴山という男によって!」
である。
定時後、ビールジョッキ一杯100円で飲める居酒屋があるという事で、先輩達主導の元、福山家も晩飯がてらその居酒屋へ同行した。
無論、0歳児・春もいる。
その席上、事件は起こった。
愛娘・春、少々ぐずってはいたが普通に、
「ばぶー、ばぶー」
いつもの様に道子の膝元で、手足をバタンバタンと振り回していた。
「もう、福ちゃん、春を持ってよー」
道子も飯が食いたい一心で俺に春を預け、その隙を見計らって飲み食いしまくろうという魂胆だったに違いない。
俺は、渋々春を預かり、膝元にちょこなんと座らせた。
問題の先輩・柴山氏は、その俺の右脇にいた。
柴山氏は春をあやそうとしたのであろう。
「バウバウー!」
その脂ぎった顔を春に近寄せ、変な顔に更に拍車をかけてあやしてくれたのである。
その瞬間であった。
「ギャー!」
春が断末魔の叫び声をあげ、暴れ出したのである。
「お、春、どうした? どうした?」
俺からしてみても、この暴れ様は、
(こんなの初めて!)
そう思われる様であった。
春の大きな目の下には、大粒の涙がボロリボロリと転がっている。
食い物に無我夢中の道子も、これだけ泣かれるとさすがに無視は出来なかったのであろう。
「あー、春ちゃーん」
俺から、春をもぎ取り、抱っこした。
すると、春が台風一過を思わせるほどにスゥーっと落ち着いた。
「ばぶぶぶぶ、ばー!」
俺があやすと、春はいつもの様に、
「ばうー!」
ニコリと笑った。
が、その春の視線が俺の肩越しに柴山氏の姿を捕らえた刹那、春の様子が又一変した。
「ギャー!」
先ほどの断末魔の叫び声であった。
「どうしたんや、春?」
ある特定の人を見、春が大泣きするなんて『初めての珍事』であった。
(これが人見知りか?)
思ったところで、うちの課のお局と言おうか、ご意見番と言おうか、とにかくそういった位置にドカリと腰を据えている『玉城』という50を過ぎた女性が口を開いた。
「これは、間違いなく人見知りよ…」
他のおじさま連中も満場一致でこれを『人見知りの始まり』と認めた。
(うわー、春、そんなものが始まったのかー)
まさに、その思いであった。
その後…。
柴山氏を見る度に春は叫び続けた。
他の人を見ても、春は興味すら示さなかったが、柴山氏にだけは恐いもの見たさでソーッと視線を移し、目が合うと泣き叫んだ。
次第に春は泣きつかれたのであろう、なんだかグッタリとしてきた。
道子にしてみれば、そんな春をついに見かねたのであろう。
「先、帰っとくね…」
言い残し、居酒屋を出た。
道子が去り、落ち着いて考えれば、
(この柴山氏、最近はパチンコ負けまくり、春に見えたものは『貧乏神』だったのかも…)
そうも受け取られ、
(春は柴山氏にとりついた悪霊を見て泣いたのであって、人見知りと断定するのは時期早々かもなぁ…。 子供は大人に見えないものが見えるというし…、例えばトトロとか…)
と、思う事も出来る。
が、皆が全員一致で言う以上、民主主義の法則に則り、これを人見知りと認めざるを得ない。
俺は柴山氏に熱い握手を求めた。
「柴山さん、春にとって人見知り第一号の記念すべき人ですよ」
そんな俺の賛辞に対し、柴山氏は下向きにこう返した。
「全然、うれしくねーよ…」
その顔は沈んだ目と対照的に、油でテカッテカに輝いており、
(こりゃ、眩しくて泣くかも…)
そう思ったりもした。
とにかく…。
首座る、威嚇を覚える、寝返りっぽいものをする、そして、今日の人見知り、春が又一つ大人になった。
不意に、
「お父さん、見て見てー、脇に毛が生えたよー」
そう言われるのも遠い日じゃないかも…。
今日のこの出来事をそんな感じで、嬉しいながらも何だか感傷的に受け止め、
(嫁に行くのは20を超えてからにしてくれよ…)
そうも思うのであった。
「ばうー」
寝言を言う『今日の春』も、たまらなくかわいい…。
ノーベル賞 (02/10/10)
昨日、今日と、続けて日本人がノーベル賞を貰った様であるが、今日のノーベル賞ほど、世間を騒がせたものもなかろう。
この『時の男』、名を『田中耕一』というそうだが、まず、その名を聞くに、
(土の臭いを感じる…)
俺はそう思った。
(彼の名は、『田の中を一番に耕す』と書く…)
この思いから、知らず知らずに『土』が連想されたのであろう。
その田中耕一、初めてとなる戦後生まれでのノーベル賞受賞者であり、また、博士でも修士でもなく、学士(大卒)での受賞も初めてとの事で、本当に世界でも類を見ない『初めて尽くしの受賞』との事である。
(うんうん…、素晴らしい事よ…)
俺は、この『いい流れ』に、思わず何度も頷いてしまった。
その時の俺は、インターネットでこのニュースを読んでいたため、この田中耕一の顔を知らない。
顔を見る事になったのは、それから半日が経った、今日の夕方であった。
6時のニュースを見ていると、その映像は飛び込んできた。
「おおっ!」
俺は、その顔を見て、たまらずテレビににじり寄ってしまった。
(何と、名前通りの顔なんだろう…)
その事である。
彼、田中耕一は現役サラリーマンである。
テレビには、彼を抱える会社(島津製作所)に、報を聞いた記者が一斉に詰めかけている像が映っている。
テレビに映っている社員達は、突然ドッと詰め寄せて来た記者に、
(???)
訝しげな視線を送っている。
社員は、この事態を一切知らない。
知っている者がいるとすれば、仕事中にインターネットで社会情報を絶えず得ていた不忠者の馬鹿社員ぐらいであろう。
前述の訝しげに記者を見つめる社員達は、後に、『同じ事業所の、とある男がノーベル賞を受賞した』という報を知る事になる。
さすがに、会社全体が一気に色めき立っているようであった。
総務らしき人間がゾロリと揃った記者を前に、汗を拭き拭き、
「記者会見やります、やりますから、待ってください、はぁ…」
と、困り顔で記者をなだめており、
(あーあ、こりゃ総務も大変だぁ…)
俺は、その反応をにんまりと眺め、
(さて、どんな奴か?)
思ったところでの『あの顔』の登場であった。
「うー、なんと、庶民的な顔立ち!」
七三で、ちょっと痩せ気味、腰の低そうな血色悪目のオヤジは、どう見ても兼業農家的(農業とサラリーマン)風貌であった。
(うっわー! 超、身近な顔!)
つい、そう思ってしまった。
男は、これも好感が持てる点だが、記者会見を一張羅なのであろう『作業着』で受けつつ、本当に困り果てた顔で、か細く、
「まだ、実感が持てません…」
と、言った。
そりゃ、そうであろう。
最初、田中耕一が現れる前、大量の記者達を押さえていた総務の人間が、
「今、当人を探しています!」
そう記者達に叫んでいたが、あの時、時の人・田中耕一は、多分、便所(大)にでもこもっていた事であろう。
そして、
(ああ、もう、定時が待ち遠しい…)
と、今晩のおかずの事でも考えていたに違いない。(あの顔から推測)
そんな時、便所に、若い使いっパシリが転がり込んで来て、
「田中さーん、緊急事態でーす、どこですかー?」
叫ぶのである。
田中耕一は、しばし、いないフリを試みるが、入れ代わり立ち代り、
「田中さーん!」
と、来るので、
(もう、なんだよぉー…)
思いながら、しかめっ面で便所を渋々出た事であろう。
見つかった田中は、
「あ、いた、すぐに来て!」
と、記者前に連れて行かれ、
(なんだ、なんだ?)
思うや、前に座らされ、記者達に、
「感想は? 今のお気持ちは?」
そう聞かれたわけだ。
田中耕一が、
「これは、ドッキリですか?」
周りにそう聞いたそうだが、多分、俺でもそう言うと思う。
翌日…。
田中耕一は、ヨレヨレのスーツで会社に現れ、
「久しぶりにスーツを着ました」
なぞ、下を向いたまま記者にこぼし、
「なんか、変な感じだなぁ…」
独り言を言いながら、猫背で玄関に吸い込まれていった。
見れば見る程に、
(ああ、もう、お前は、なんて『基本に忠実な庶民』なんだ!)
笑顔でそう思わざるを得ない。
更に…。
テレビカメラは、田中耕一の実家、富山へも向かっているのだが、その彼の実母、記者にありきたりの質問をされるや、
「そんな事を言われても、私には…」
他人行儀に、どもりながら答えている。
また、田中耕一の兄にも、その取材の目は向けられ、その兄、なぜか当の田中耕一よりも偉そうに、
「ありがとう、ありがとう!」
と、祝の言葉を言いに来た小学生に手を振って応えていた。
まさに親族にとって、これから『耕一祭り』とでも呼ぶべき『慌しさ』が訪れる事だろう。
さて、ノーベル賞受賞者・田中耕一、当人に話を戻す。
今日のニュースの記者会見において、
「帰って、自分の顔がテレビに出ていてビックリしました」
彼は、相変わらず、か細い声でそう言っていた。
中継の生放送では、
「なんか、間違って、混ぜちゃいけない液を混ぜたら、なんだかうまくいって、それで、なんだかうまくいったなという感じがして…。とにかく、そんな感じなんです。えー、つまり、ノーベル賞は偶然です。てへっ…」
しどろもどろに、そういった事を言い、キャスターを困らせていた。
見れば見る程に『愛らしい男』である。
田中耕一が勤めている会社には、
『生きる励みになります』
『死のうと思ってたけど、なんだか生きる勇気が湧いて来た』
『あんたが出来るなら、俺にも出来る』
とかいう、本人にとっては喜んでいいものかどうなのか、まさに『微妙な励ましの言葉』が全国から届けられているそうである。
俺も投稿者と同じ事を思った。
これから、田中耕一は、マラソンの高橋尚子以来の『日本を元気づけた英雄』となる事であろう。
あの頼りなげな顔で何万人の日本人が救われるのか?
何万人の人が、
(あの男があれだけできるなら、俺だって…)
そう思えたであろうか?
『あの顔』と『ノーベル賞』のアンマッチが日本にもたらした『勇気と感動』は深い。
ちなみに…。
もう一人の受賞者は、東大の名誉教授で、それはそれは、
(偉いんだぞ!)
と、いう風格を持った古老であったが、その古老はインタビューに、
「いやぁ、若くて美人な子をリポーターで送ってくるなんて、テレビ局もずるいねぇ。つい、色々、喋っちゃうかも」
と、落ち着いて、風格のあるセクハラ発言をしていた。
ま、こちらも好感が持てるといえば持てるが、前者の比にはなるまい。
とにかく…、いつもは軽く聞き流してしまう『ノーベル賞のニュース』、今回は、
(面白おかしく…)
見せて貰った次第である。
「庶民万歳」
まさに、その一言に尽きる10月10日『旧・体育の日』であった。
ピロリ菌退治 (02/9/29)
先々週の末…。
十二指腸潰瘍を始めとする一連の病魔治療の最終チェックとして、ピロリ菌の検査を行った。
ピロリ菌とは、オーストラリアのヘリコバクターピロリさんが発見した菌であり、
「胃の中は強い酸性の胃酸があるわけだから菌は存在しない!」
と、いう説を覆したもので、その効能としては、潰瘍を誘発したり、それが治るのを阻害したりと、名前は『ピ・ロ・リ』と可愛いが、非常にパンチの効いた菌なのである。
検査の前日、会社で、
「明日、ピロリ菌検査をするんですよー」
言うと、同じく胃痛持ちの上司たちは、こぞって、
「胃粘膜を摂取して検査するんだから、また、胃カメラを飲むようだな、きついぞー」
そう脅した。
が…、現実は吐気法とかいうやつで、袋に息を吐き、その後、何やら甘い薬を飲まされ、20分後にまた息を吐くという検査方法であった。
そして、先週末…。
その検査結果が出た。
いつもの病院の、いつもの先生を訪ね、俺はオドオドと、
「先生、どうでしたかね?」
聞くと、先生は親指をビッと立て、
「陽性」
一息で言い放った。
「わいたー!」
俺も、馴染みの看護婦も、頭を抱えてその結果を聞いたわけであるが、
「しかしねー、君らの年代だと二割くらいの人しかピロリ菌は持ってないはずだけど、残念だったねー、当たりだよー」
極めて明るく先生が言い放ったため、笑うしかなかった。
その後、
「ピロリ菌の駆除を行うかね?」
と、尋ねられ、
(潰瘍が再発するのはゴメンだしなー)
そう思い、
「はい、お願いします」
俺は首を縦に振った。
それから、駆除のための『薬漬けの一週間』が始まった。
朝と夜、毎回5錠を飲むわけだが、この薬、先生が言うには、
「まぁ、大抵の人が下痢になるけど、服用を止めずに飲んでよ。ただ、血便や、吐血した場合は、服用を止めて病院に来て。後、頭が痛くなったりするかもしれないけど、よっぽどひどくない限りは続けてね」
と、いう過激な薬剤で、服用初日、俺はいきなりの下痢に襲われた。
並の下痢ではない。
(う!)
思うや、便所に駆け込むわけだが、
『ブシュッ』
コンマ秒代で噴出完了。
これが、服用後の午前中と深夜、三時間あまりも続くのである。
頭も何やらボンヤリとする。
(ただでさえ集中力がないのに、これじゃ、仕事になんねーよー)
フラフラの俺は、絶えず便所に駆け込める距離を保ちながら、
「福山、ちょっと来い!」
言われても、
「ちょっと、今、尻がはなせません…」
工藤静香みたいな困った顔で返すに至った。
先生の声が、曇った俺の頭に、ボンヤリと思い出される。
「よっぽどの事がない限り、服用は止めないでね」
(よっぽどって、どれくらいかよー?)
俺は一人突っ込みしながら、ぼちぼち仕事をこなした。
そして、今日、投薬終了の日を迎えた。
これを書いている時も、俺は便意と戦っているわけだが、思うに、
(この一週間で、便所に70回は駆け込んだ…)
であろうし、
(その放出にかけた『延べ時間』は10秒にも満たないだろう…)
とも思う。
行ってはブシュッ、また行ってはブシュッの『垂れ流し』であった。
今日の朝、道子は便所に駆け込んでいった俺を耳で追い、出てきた俺に、
「凄いねー、福ちゃん、水って感じだよ、水って感じー」
そう喜んでくれている。
(何やら、ヒリヒリと痛い…)
そう思ってしまう尻の惨状も、この壮絶な一週間を物語ってくれるのだろう。
投薬治療の結果は、
「12月に、もう一度、検査に来てくださいねー」
と、いう事で、12月に分かる。
(これだけ、きつい思いをしたんだから、ピロリは確実に死んだのだろう…)
根拠はないが、自信はある。
底をついた薬袋を見て、
「やった、道子、終わったぞー、ピロリ菌退治が終わったぞー」
叫ばずにはいられない。
が…。
それだけ、きつい思いをしたにも関わらず、
(体重が一向に減ってない…)
その事だけが、俺には、
(とても悲しい…)
そう思われるし、
(ちょっとは減ろよ!)
そうも思うのであった。
俺の、『弱いくせにグングン育つ体』が憎い…。