大人の遊び (03/02/20)
週の頭…。
少しだけ体を壊した道子が、
「今日は料理が作れなーい。 誰か、ご飯を持ってきてくれないかしらー…」
と、暴れだしたため、社宅隣の山本家と、週末にパチンコで勝った会社先輩・柴山氏に、
「なんか持ってきて」
と、至急、お願いした。
すると、山本家は手作り餃子を持って来てくれ、柴山氏に至っては、近くのスーパーで惣菜を買って来てくれた。
俺にしてみれば、その日は文章を書く予定日であったが、これだけ料理が揃うと、
「じゃ、飲みますか?」
当然、そういう雰囲気となる。
俺と柴山氏は、芋焼酎をお湯割で、クイクイと飲み始めた。
2時間後…。
酒に強いはずの柴山氏が、なぜか足腰が立たない程に酔っていた。
酔いながら、
「福ちゃん、もう一軒行こう!」
回らない呂律で、俺を会社近くの居酒屋へ誘った。
奢ってくれると言う。
俺は、
(こりゃ、柴山さんは30分もたないだろう…)
そう思いながらも、奢ってくれると言ってくれているので付き合う事にし、道子と春を残して社宅を出た。
時は10時過ぎであった。
居酒屋はすいており、客は2人しかいなかった。
一人は知らない人で、もう一人は以前、フィリピンバーで、こっそりとギャルを指名していた白根さんである。(2月某日の日記に記載)
「お、今、帰るところだったのに、お前達が来たんじゃ付き合わんといかんな…」
白根さんはそう言うと、焼酎のお湯割をつくり始めた。
俺達も同じものを飲んだ。
白根さんと柴山氏は、すぐにパチスロの話で盛り上がった。
両人とも、先週末には相当な額を稼いでおり、話し方に熱い血が通っている。
俺は、小遣いもとうに底をつき、パチスロなどはやりたくてもやれず、いまいち話に参加できなかったので、居酒屋の大将と話したりしながら時を潰した。
(どうせ、1時間も飲まんで帰る事だろう…)
この思いが根底にあり、俺の姿勢は常につま先立ちである。
社宅には、病気気味の嫁と、可愛い愛娘が待っている。
気分は、酒を飲むソレではなかった。
が…、パチスロ絶好調の白根氏が、ふいに、
「最高級の日本酒でも飲みに行くか?」
そう言いだした事により、何となく流れが変わった。
ぐでんぐでんの柴山氏までもが、
「いいっすねー!」
そう言いだしたのだ。
時計を見ると10時30分である。
ふと、道子との約束が脳裏に浮かんだ。
「30分で帰るって、道子と約束したけんがですねぇ…」
俺にしてみれば、浮かんだ絵を振り払えず、律儀にそう呟いたものの、
(午前様にならんならいいか…)
と、初期の思いは段々と消え失せている。
白根氏も、
「なーに、俺達も明日は仕事の身よ。 12時には帰る」
そう言ってくれている。
更に、
「お前は金が無いだろうが心配するな。俺が出す」
と、いう、金鉄の一言まで頂いた。
結局、
「骨の髄までお供します…」
と、タクシーに乗り込む事になったのである。
さて…。
白根氏が「最高の酒を飲ませてやる」と言ってくれた、その店は武蔵藤沢駅のそばにある。
小洒落たバーで、この辺では『どんな酒でも置いてある』という呼び声が高い。
ただ、値が張る。
更に、洋酒がメインのため、俺にしてみれば、知ってはいたが近寄らなかった店である。
重々しいドアを開けると、中は予想通りに暗く、カウンター越しに洋酒のボトルがぞろりと並び、それらに白熱灯が当てられている。
(バーって感じだなぁ…)
ハチマキを巻き、一升瓶を抱えながら焼酎を飲むスタンスの俺に、雰囲気なんぞはいらない。
ゆえに、バーというものは無用の長物で、久々に訪れた事になる。
俺達はカウンターに座ると、まずは、お手拭で容赦なく顔を拭いた。
この時点で、雰囲気ぶち壊しである。
それから、白根氏が、
「マスター、あの時の残りを」
言うと、4合瓶の日本酒が出た。
こじんまりとしたラベルが貼ってあるが、その銘柄は見た事も聞いた事もない。
これが驚くなかれ、一本3万円の日本酒だという。
「マスター、梅も頂戴」
白根氏が続けて言うと、紀州の梅が登場した。
梅の分際で、ご丁寧に和紙で個包装されている。
聞くと、原価で1個700円だという。
マスターは、白熱灯に照らされた顔を緩めながら、
「梅をちょっとだけ食べて日本酒を飲んでごらん、絶妙だから」
そう言うと、クリスタルの猪口を俺達に渡した。
俺達は言われた通りに梅を食い、3万円という途方もない金額の日本酒を口に含んだ。
麹っ気の強い酒だった。
(うーん、微妙やねー…)
俺の率直な感想はこれである。
マスクメロンとブランデーの和式組み合わせみたいな、高級感を売りにしたものなのであろうが、貧乏舌にはどうかと思われた。
更に、俺は梅が嫌いである。
日頃、おにぎりとかに入っていたりすると、必ず梅処理班の道子に回す。
この時も、
(この梅、道子にあげたら喜ぶだろうなぁ…)
そう思い、チラリ白根氏を見ると、
「分かってる、分かってる、帰りに土産で幾つか渡そう…」
道子の梅好きを知っている白根氏は、そう言ってくれた。
さて…。
その後、ぐでんぐでんだった柴山氏は、高級日本酒を飲み干すや、
「駄目…」
それだけを言い残し、後ろのソファーに崩れ落ちた。
カウンターには、俺、白根氏、40くらいの見知らぬ客という『むさ苦しい3人』が並んでる。
見知らぬ客は、かなりの酒通に見え、目の前に何本か洋酒のボトルを並べ、マスターと洋酒のうんちくを語り始めた。
出る言葉は全てが横文字で、そこに、焼酎の「しょ」の字もない。
俺から言わせれば異国語での話し合いのようである。
白根氏は、この2人の『洋酒うんちく談議』に参加し始めた。
この白根氏、日頃は焼酎(並)のお湯割ばかりを飲むくせに、何かにつけて、
「俺は、いい酒しか飲まん!」
そう言っている人である。
が、以前、うちに飲みに来た時、酒が全部尽きたので、
「ええい、この際、料理酒も出してしまえ!」
と、いう事で、料理酒を熱燗にして出したところ、
「うまい!」
そう言って飲み干していた。
それ以来、俺の中での白根さんは『庶民』という位置付けにある。
が…、今日の白根氏は、一本ウン万円もする高級洋酒のうんちく談議に、物怖じもせず参加しているのである。
俺は、これに参加出来ない。
出来るわけがないのだ。
洋酒などは、何度か安スナックで飲んだきりで、日頃は一滴も飲まない。
「肥後モッコスが横文字の酒を飲めるかー!」
この声を軸に、バーボンは『バカボン』と罵り、ブランデーは、
「いかんよー、その酒は華奢で繊細だから”振らんでー”」
と、駄洒落のネタにするくらいである。
が…、うんちくをツマミに盛り上がっている『この場』において、そんな事を言おうものなら、即退場・出入り禁止になる事は容易に想像ができる。
(俺が参加できる洋酒の知識はないか?)
皆無に等しいその知恵を振り絞り、無我夢中に探してみた。
すると、学生時代、松井という級友が付き合っていた彼女の、その父親が言っていた言葉を思い出した。
「ブランデーはお湯割が最高なんだよ」
これである。
この親父さんは洋酒にうるさい事で有名で、その言葉には信憑性もある。
早速、
「ブランデーはお湯割で飲むと最高なんでしょー?」
と、軽いノリで言ってみた。
すると!
場が急に静まり返り、マスターは、
「俺も、永いこと、この商売をやってるけど、その組み合わせは初めて聞いた。考えただけで、最悪の組み合わせだという事は分かる…」
引き攣った声で、そう言った。
これにより、俺が『洋酒素人』という事がバレた。
白根氏は、話題を変えるべく、
「今日、お前に、洋酒が美味いものだという事を分からせてやる」
そう言いだすと、早速、マスターお任せのブランデーを注文し、
「焼いてあげて」
と、付け足した。
マスターは、クリスタルのブランデーグラスを持ち上げると、『スピリタス』という100%アルコールに近い酒をその中に入れ、火をつけた。
グラスの中に青い火が燃え、マスターがグラスを回すと火も青い螺旋を描いた。
俺にしてみれば、これが意味のある行動とはとても思えなかった。
単に、酒を注ぐ前の曲芸と思われたのである。
が…、白根氏が言うには、
「これで、ブランデーの醍醐味である『香り』がより一層楽しめる」
との事なのである。
マスターは、焼いたグラスにブランデーを注ぎ、何度か回すと、
「どうぞ…」
漫画のような紳士的バーテン姿勢で、俺にグラスを渡した。
俺は、すぐに口を付けた。
グラスは、思わず「あちっ」と言ってしまいそうなくらいに熱せられていたが、ブランデーが流れてくると熱が拡散され、スムーズに飲めた。
白根氏が言う『香り』は、確かに凄まじいものがある。
焼酎にはない、高級感のあるモワン・トロンとした匂いだ。
40度以上のブランデーをストレートで飲んでいるにも関わらず、ムナヤケの様なものは感じない。
(これなら飲める!)
正直、そう思った。
俺の今までの洋酒イメージを列記すると、
「値が張る、カーッとなる、雪山救助犬、ガウン、素敵な夜景、静かに飲む」
そういった感じで、実際に、味も不味いとしか思えなかった。
が…、俺の手元にある『それ』は、まずいと突っぱねるにはかけ離れている。
はっきり言って、うまい部類に属す。
「ほぉー、白根さん、これはいけますねぇ…」
俺が言うと、マスターも、端っこにいる見知らぬ客も、
(だろぉー!)
と、いう顔をした。
俺は、皆の顔を見ると、何となく手元のブランデーの値段が気になった。
「高いんだよ、それ…」
言いはしないが、皆の顔があからさまにそう言っていたからである。
堪らず聞いた。
「マスター、このボトル、幾ら?」
マスターは、カウンターの中にあるメニュー表を無言で取り出すと、その中から『ある一点』を指差し、
「この5万円のやつだね」
と、言った。
(え!)
値段を聞いた瞬間に、何だか胃もたれがしてきた。
(5万円だなんて、そんなもの…、ピロリ菌が舞い戻りそうです…)
多分、ワンショットで飲んだので、一杯3000円くらいになるのだろうが、それでも高い。
飲みかけのものを返して、
「2000円ください…」
そう言いたい気分になった。
が…、そのメニュー表が示す数字達は、その事だけを考えさせてはくれなかった。
メニュー表の中で、5万円というボトルは決して高くない値段なのである。
むしろ、どちらかというと安い部類に属している。
つい、貧乏根性で、
(一番高いボトルは幾らだ?)
と、探してみた。
(これか!)
見つかったそのボトルの名だけは鮮明に覚えているのだが『1919』という。
ゼロが一体幾つ付いているのか、己が目を疑いながら何度も確認した。
ウイスキーか、バーボンか、それすら定かでないが、その値段は『300万円』であった。
無論、樽売りでその値段というわけではない。
4合瓶で300万円なのだ。
分かり易いように、牛乳瓶一本分の値段に換算すると、83万円となる。
(馬鹿げてる…)
俺は、そう思いながらブランデーを飲み干した。
マスター、白根氏、見知らぬ客のうんちく談議は、まだまだ続いている。
時計を見ると、午前2時を回っていた。
3人の談議は、まだまだ終わらないだろう。
誰かが一つ言葉を発すると、それに付随して幾つもの話が飛びかうのだ。
話の中から分かった事だが、マスターは酒が飲めない体質らしい。
ゆえに、新しい酒を見ると、利き酒をするかのように匂い、そして舐めるという。
その中で、何万本もある洋酒を知識として、頭の中にストックしているのである。
(分からんなぁ…)
お湯を飲みながら2人と話すマスターを見、この世の不思議さを感じた。
結局、その日…。
白根氏は6万円もするウイスキーのボトルを入れた。
白い、歪な形状のボトルであった。
白根氏は、見知らぬ客にそれを振舞い、マスターにも舐めさせ、
「やっぱり、この味、心底しびれるねぇ…」
涙ながらに琥珀色のそれを楽しんでいた。
俺にも、
「飲むか?」
そう言ってくれたが、丁重に辞退した。
6万円のその価値を今の俺は楽しめない、そう思ったからである。
俺が見る限り、うんちくが値段を後押しし、味を高め、男達を至福の瞬間へと誘っている事は間違いないと思われる。
うんちくの中には、寝かせた時間、醸造場所の気候、歴史、それに合うグラスなどなど、雑多諸々の話が含まれる。
俺は、その中のどれをとっても知らない。
男達は、いや、大人の男達は、丸い氷をグラスにぶつけながら、チビリ、チビリ、またチビリ…、ゆっくりと流れる時間を楽しんでいる。
(この男達にとって、6万円という値段は高いものではないのだろう…)
納得はできないが、理解はした。
ここに、料理酒を飲みながら「うまい!」と言っていた白根氏の姿は完璧に消えた。
その代わり、社宅にいる道子と春の姿が浮かんだ。
「あ…」
この俺の感嘆詞に、
「何だ、福山?」
白根氏が問い掛けてきた。
「もう3時を過ぎてますよ…」
それで白根氏も今の時刻を知った。
「嘘ぉー、明日は仕事なのにー!」
白根氏はこの翌日、二日酔いで午前中を棒にふる事となる。
そして…。
俺は、道子に、
「病気の嫁と赤子を置いて3時まで飲みに行く旦那って普通いるー?」
さざ波のように絶える事の無い、こじんまりとしたイヤミを言われる事になるのである。
俺が目の当たりにした『大人の遊び』…。
あれをやっている時、大人達の顔は実に美しかった。
が…、夢が覚めた時、大人達はパンチが効いた現実を知る事になるのである。
夢は、いつまでも続かない。
財布の中身も、いつまでも続かない。
だが、夢は何度でも見たい。
男達は、懲りずにそこへ通い続ける事だろう。
何度でも、何度でも…。
ああ…。
幸せの形というものは、まさに『千差万別』である…。
久留米の女 (03/02/06)
昨年の11月より、六本木の文章学校に行き始めた事は先に述べた。
このメンバー構成は、男4人女5人の計9人で、ゼミ形式である。
が…、女の内2人は、海外に住んでいたりなんだりで、出席した事がなく、当然、会った事もない。
また、メンバー全員が社会人で、始まりが6時という事もあり、人の揃いは常にまばらである。
そんな中…。
前回の授業に、初めて見る華奢な女性が現れた。
名を忘れてしまったので、仮に『久留米』と名付ける事にする。
初めて見る顔であった。
(お…、新人か…)
俺は、そう思いながら、メンバーが書いた文章を見回した。
この学校の約束事として、集合日の3日前を締め切りとし、書いたものをメールで回す事になっている。
メンバーは、あらかじめ皆の文章を読み、六本木に駆けつける。
俺は、この駆けつける電車の中、つまりは、ギリギリまでそれを読んでいたため、皆の書いたものをプリントしてきたのだ。
久留米が書いたものは、悪女の悪巧みを、やんわりとしたタッチで描いた『重い恋愛もの』であった。
メンバーは、彼女の文章と俺のを比較し、
「まったく正反対の書き物」
そう評した。
俺もそう思った。
思っただけに、彼女の文体に何ともいえない不思議さ、これを感じ、延いてはそれが興味に繋がった。
(こんなにドロドロ・モワーンとしたものを書き上げる人の頭の中は、いったい、どうなっているんだ?)
久留米の様相は、痩せていて、目が大きく、ファッショナブルであり、雰囲気は、もの静かな女性にとれる。
明らかに俺よりも年上で、育ちが良いという事も見てとれる。
この彼女が、男と女の目を覆いたくなるようなドロドロした部分を、まったりと描いているのである。
(むぅぅぅん…)
俺は、頭を抱えた。
そのギャップが、どうも俺の中でしっくりこないのである。
喩えるなら、嫁の声がいきなりに中尾彬の声になったような…、とにかく、そんな違和感である。
ちなみに…。
出席しているメンバーの女性の中には、バリバリの官能小説を書いている人と、複雑な旅行記を書いている人がいるのであるが、そちらはキャラと文体が見事にマッチしており、違和感はない。
とにかく、彼女に対する疑問の解決を、この後の飲み会に託す事にした。
文章学校は9時前に終わる。
終わるや、必ず飲み屋へと場を移す。
その日は、有名な六本木アマンド交差点そばの居酒屋で、一向は、モグラのように地下へ地下へともぐった。
人数は、他ゼミのメンバーも加わり、15人ほどに膨れ上がった。
先生を中心にし、ライターを目指す若者達が長机を取り囲む。
ほとんどが知らない人達であった。
が…、場は、すぐに盛り上がり、輪からは雑談の火の粉が飛び散った。
現在の職業を聞いてみると、サラリーマンを始め、公務員、医者、プー太郎など、実に幅広い。
出身地も、熊本、愛媛、福岡、岩手など、北から南までが狙ったように集まっている。
これが、ライターという同じ志を持っているわけである。
盛り上がらないはずがない。
熱く、ネットリと盛り上がった。
と…。
先ほどの久留米が、俺のファンタスティックな熊本弁に気付き、駆け寄ってきた。
「福山さん、熊本出身ねー?」
と、いきなり九州アクセントで、俺をもの珍しそうに見た。
「はい…」
俺は、久留米が見るからに年上なので、丁寧な敬語で答えると、
「私は久留米出身よぉー」
明るく、そう言い放った。
九州の人間というものは、得てして、同郷のものを愛す傾向がある。
同郷であるというだけで、警戒心が、それはそれは見事に吹っ飛ぶ。
その代わり、東京人(都会人)を妙に警戒する。
久留米といえば、俺の実家の熊本県山鹿市から40キロほどしか離れていない。
更に、お互い、九州の背骨3号線沿いである。
「うひょー、3号線繋がりじゃにゃーですかー!」
俺がいうと、
「立花の峠を越えたらすぐよー」
福岡と熊本の県境に跨る峠の名称が出てくる始末。
ここは日本の情報発信基地・六本木なのに、熊本と福岡の県境、それも3号線沿い限定というマニアックな話で大いに盛り上がった。
ふと、俺の口から次の質問が飛んだ。
「何で、関東に出てきたとですか?」
久留米は言う。
「いやぁ、私はね、大学は関東の大学とよー。でもね、卒業と同時に里帰りして、久留米に戻ったんよ。それから、久留米で彼氏を見つけて、そうとう永いこと付き合いよったんやけどね…」
久留米が、たっぷりの間を置いた。
俺が素早く突っ込んだ。
「あの文章のように泥沼の状態を迎えた、と…」
「いや、違う違う。 えーとねー、一言で言うと、九州男児に疲れた」
「なっ!」
俺は、その衝撃的・別れの理由に思わず仰け反ってしまった。
「どのように疲れたのですか?」
そう聞こうと思ったが、久留米は勝手に話し始めた。
「私の家ねー、風呂も男が最初、ご飯をつぐのも男からっていう、古いタイプの家だったんよー。それでね、私が付き合ったのも、自然とチキチキの九州男児になってねー」
「ふむふむ…」
「で、そうとう永く続いたんやけど、結局は疲れてねー、それで、九州男児から逃げるようにして関東に出てきたんよー」
「なるほどー」
俺は、何度も頷き、平静を装いつつも内では思いっきり悶えている。
(九州男児が、なぜゆえに疲れるんだー?)
久留米の話は、まだまだ続く。
「でもね、こっちに来て、関東の男と付き合うでしょー。なんか、もの足りないんよねー。やっぱり、コッテリからアッサリには変えられんって感じでー」
「ラーメンと一緒という事ですかー!」
「うん…、そう感じた…」
何やら、一転、風向きは素敵な方向に収束した。
それから俺は、自信満々に、九州の男であるがゆえんを唱え始めた。
「ゴミ捨てはせんばーい!」
「台所には立たんばーい!」
「酒飲んだら動かんばーい!」
高知出身の男も賛同し、
「肥後モッコスもいいけれど、イゴッソウも負けてないぞ!」
「何、肥後モッコスに頑固勝負を挑むとは小癪な!」
「こら! 薩摩隼人を置いて何を盛り上がっとるか!」
男達は、大いに盛り上がり、ついには『頑固さが感じられる言葉』で山手線ゲームまでもが始まった。
それを…。
一言も発さず、冷え冷えとした目で見つめている女がいた。
男達に発端を与えた『久留米』である。
久留米は、静寂の中にも鋭い眼だけはキラリと光らせている。
が…、突然、男達の盛り上がりに発生した『一瞬の静寂』を狙いすまし、絶妙なタイミングで口を開いた。
「これだから疲れるのよねー、単純な男って…」
久留米の放った小さな独り言に、盛り上がりの極みを見せていた男達は、一瞬にして凍りついた。
「こぶし!」
これの後に続く言葉を見失った。
それから、久留米が発した言葉を中で反芻し始めた。
(単純な男が疲れる、なぜ?)
俺の中では、この瞬間に、久留米と、あの文章とのギャップが消えた。
久留米の書く文章は、女が男を手玉に取る話であった。
美人でおとなしい女が、2人の美男子をもてあそぶ。
美人は、純粋なキャラで男に迫り、食いつくや泳がせ、ある時、それをガブリと食らう。
その、食らう様が何とも凄まじいのである。
(どうしても、この悪女を久留米が書いているとは思えない…)
俺は、二時間ほど前、久留米をそういう目で見、彼女のキャラに疑問をもった。
が…、彼女が時の隙間を目掛けて発した金鉄の一言は、そのギャップを埋めるには十分過ぎた。
ふと、彼女が文中で描いていた『冒頭の絵』が思い出された。
男と女が、カフェで茶を飲んでいる。
傍目で見るに、この2人は笑顔の絶えない幸せそうなカップルである。
が…、男が席を立ち、その姿が見えなくなると、女は深い溜息と共に言った。
「はぁ…、つまらない男…」
…。
気が付くと、俺の額には冷や汗が流れていた。
他の男達も同様である。
(久留米は、俺を、延いては場の男達を試したのであろうか?)
俺達は、山手線ゲームをやりながら、
「やっぱり男ってのは、単純だからいいんだよなー!」
「そうそう、単純だからこそ、女には追えないロマンがあるんだよなー!」
「単純万歳、馬鹿万歳! シュビドゥバー!」
などと、大いに盛り上がった。
(久留米が、これをどういった目で眺めていたのか?)
年上の、極めて冷徹な女性の目を気にすると、
「こぶし…」
男達の山手線ゲームは、この後が一向に続かないのであった。
久留米がどんな女なのか…、それは未だに掴めていない…。
一人ぼっち (03/02/03)
日記のくせに先週末の話で申し訳ないが、先週の金曜から日曜の3日間、道子と春が実家に帰っている。
理由は、
「今週末は、気合を入れて文章を書きたい」
俺が、そう言った事による。
当然、俺は、計画表を立てている。
毎度お馴染み、その、『鬼の執筆計画表』を覗いてみよう。
金曜
21:00〜翌1:00
土曜
9:00〜12:00 15:00〜18:00 21:00〜翌1:00
日曜
9:00〜12:00 15:00〜18:00 21:00〜24:00
と、なっている。
まさに、鬼の執筆計画表である。
さて…。
この計画表通りになったのか、その真相を語る事にしよう。
金曜…。
仕事が終わるや、柴山という先輩に、
「福ちゃん…、今日も行く?」
と、いつものところ(居酒屋)に誘われたので、
「いやぁ、今日は道子を実家に帰しての文章書きなんすよぉー」
断ったのだが、よくよく考えると飯がない事に気付いた。
「ちょっと待った! 飯がないんで、一時間だけ付き合いますよ!」
そういう運びとなった。
後はご想像通り、
「冬は、おでんに限るねぇー」
なぞ言いながら、帰宅した時刻は22時である。
それから、
「酔いが醒めるのを待って、遅れた分を爆発的に取り返すぞー!」
声高々に宣言したものだが、部屋には誰もいない。
(ふーんだ、誰も俺の誓いを聞いてくれやしねー…)
と、いじけ、ヤフーBBのADSL無料つなぎ放題が先月末までだったので、インターネットをやりながらアルコールが抜けるのを待った。
途中、
(やはり、アルコールを抜くには、熱いコーヒーをグイッと飲まにゃー)
そう思い、
「道子ー、コーヒー!」
叫ぶものの、静かな社宅には俺の声だけが響いた。
(そうだ、今日は道子も春もいないんだったー!)
その事態に気付くと、俺は、
「よしっ! 今日は筆が進むはずだぞぉー!」
独り言を言いながら、パソコンへ向かった。
時は、午前3時を超えていた。
(うわー、こんな時間かー)
思った瞬間、パソコン右下、時計表示が『03:33』を示している事に気付いた。
(なにっ、333! 奇数のぞろ目、確立変動か!)
思考は瞬時に脱線した。
集中力が全くない。
俺は、何を思ったのか、すぐにパチンコメーカーのホームページなどを見、
(むぅーん、333が出たという事は、今週末は出るというお告げに違いない!)
変な方向にやる気がムンムンと湧いてきた。
が…、俺にしても、道子を実家に帰してまでパチンコに精を出すほど馬鹿ではない。
(いかん、いかん、何を思っているんだ、俺は?)
我に返り、文章を書くべく、歴史の資料を読んだりした。
が…、どうしても333が頭から離れず、
「えーい、今日は止めだ、止め!」
と、すぐに寝床についた。
午前5時であった。
翌土曜…。
起きると10時過ぎであった。
(あちゃー、いきなりに予定からはずれたー)
俺は、昨晩の『無駄な5時まで』を痛烈に後悔し、すぐにパソコンへ向かった。
が…、生理現象が先に出た。
(腹が減っては戦はできぬ、まずは飯だ…)
思うや、
「み!」
と、叫び、道子がいない事を思い出した。
俺は、得意のカップラーメンを一人寂しく食すと、
(風呂に入って、流れを変えよう!)
と、風呂を沸かした。
風呂では、湯船にゆったりと浸かりながら、なぜか、
「春ー!」
いもしない愛娘を呼んでしまった。
まったくの無意識動作である。
(何だよー、俺ってばよー!)
俺は、ざぶざぶと顔を洗い、荒々しく体を洗うと、
(ようし! 怠け者の垢は擦り落とした、書くべし、書くべし!)
意気揚々で風呂から上がり、すぐにパソコンへ向かった。
が…、カップラーメン一個では、俺の腹が満たされていない。
その事に気付いた。
「おかわり!」
俺は、悲しく叫ぶや、ストーブの上に置かれた薬缶からカップへ向けてお湯を放出し、その腹へ、軽く二杯目を流し込んだ。
まさに、一人暮らしの受験生、それも集中力が極めてない血気だけが盛んな若者…、そんな感じである。
(ああ、俺って奴は…)
思ったものの、それからは割と筆が進んだ。
昼から夕方くらいまで、ノンストップで執筆に勤しんだ。
夕方になると、地区の寄り合いがあった。
道子が車を使っているので、寄り合いへはチャリンコで向かう事になる。
寄り合いの場所は二キロほど離れている。
それも、結構な坂道である。
行きは良いが、帰りが坂道であった。
昔は健脚を自負し、熊本から北海道までチャリンコで走ったものだが、今のどっぷり体型ではそうはいかない。
この寒いのに汗だくになり、
「はぁはぁ、きちー!」
なぞ言いながら、なんとか坂を登りきった。
登りきり、左に折れ、少し行くと冒頭で登場した『いつものところ』が現れる。
当然、
(汗かいた後は…)
その運びとなる。
(一杯だけ、一杯だけ…)
思いながら、確かに…、いっぱい飲んだ。
社宅についた俺が時計を見ると、その針は、22時を教えてくれた。
19時に出たから、3時間のロス、そういうわけである。
(まずい、まずい…)
俺は、昨日の失敗があったので、今日は、酒を抜く時間というのは持たない事にした。
(作家の中には、酒を入れたほうがいいという人もいる…)
極めて孤独に自分に言い聞かせ、すぐに執筆に突入した。
が! 集中できない。
(ええい、少しばかり入れ過ぎたか…)
思いつつ、パソコンへ向かった。
手元には、自分で入れたコーヒーもある。
静かな環境もある。
「燃えろ、福山ー!」
叫んでいると、なんとなく、視界がおぼつかない状態ではあるが書けた。
更に書き進めると、午前2時くらいまでノリノリで書けた。
「はぁ、俺じゃないみたい。さすがに静かな環境は違うなぁ」
俺は、その進み具合に深い感動を憶えた。
「俺は凄いぞ!」
誰かにその事を伝えたくなった。
が…、社宅は静まり返っている。
(虚しいなぁ…)
その思いだけが、じんわりと浮かび上がるのであった。
さて…。
日曜は、ご推測の通り、土曜が素晴らしかったものだから、
(午前中だけは、素晴らしかった俺へのご褒美…)
なぞ思いつつ、パチンコ屋へ向かった。
無論、金曜深夜の333が俺を後押ししている。
(たっぷり稼いで、春に玩具でも買ってやるぞー!)
そう思ったが負けた。
それはそれは、見事な負けっぷりで負けた。
(ええい、この際、文章だけは気合を入れて書いてやる! 昨日の俺を思い出せー!)
思ったが、
(道子が帰って来る前に風呂に入っておかないとパチンコに行った事がバレる…)
そうも思ったので、風呂に入ったり、カップラーメンを食ったり、ちらりと読書したりしていたら、あっという間に時間が過ぎた。
途中、パソコンに向かったりもしたが、
「なんだか、春が帰ってくると思うと落ち着かんねー!」
と、大きすぎる独り言をこぼすに至り、進むものも進まなかった。
夕方になると、春と道子が帰ってきた。
俺は、滅多に行かない玄関まで春を迎えに行くと、四本の歯を見せ、バタバタ暴れている春を抱きかかえた。
「おー、春ー、会いたかったぞー」
すぐに居間へ連れ去ると、高い高い、飛行機、逆向き飛行機、ブヨブヨ(俺の腹部)着陸という荒技を連続でお見舞いし、春を笑いのドツボに陥れた。
「よし、よし、やはり、家族あっての執筆よなー」
俺は、春に語りかけ、道子には、
「春がおらんかったけんが悲しかったー」
と、だけ言った。
「文章が思うより進まなかった」
なんて言ったら、凄まじい勢いで道子が怒る事は容易に想像ができる。
文章には触れない事にした。
ふと、道子が俺に手を差し出した。
手の平を上に向け、俺に何かを出せと言っている。
「飯代であげた1万円、返してよ、使ってないでしょ」
実家から帰ってくるや、それを言った。
1万円は既にない。
ここまで読んでもらえた方なら分かっていただけると思うが、二回外食をし、一度、パチンコで負けている。
が…、それを言えば負けになる。
俺は、
「男には色々と事情があり、付き合いがあり、シガラミがある。1万円は有意義に消えた」
簡潔にそう説明し、
「お前達がおらんかったけんが、文章は進んだぞー」
と、適当に付け加えた。
触れないつもりが、自ら触れてしまった。
道子は、
「ふーん」
言いながら、くんくんと鼻を鳴らし、
「パチンコ屋の臭いがする」
そう言い放つと、俺を凍るような目で見つめた。
俺は、道子に打ち合わない。
「春ー、遊ぶぞー!」
向こう側は見もせずに、ぶいぶい春と戯れた。
「本当に、文章、進んだのぉー?」
道子の疑いは、どうしても晴れないらしい。
台所から、まだ、そんな事を言っている。
言いながらも、実家から持ち帰った食料品などを整理しつつ、
「あー、こんなにカップラーメンが食べてある、やっぱり一万円は使っていないはずだよー」
と、わめいている。
(ああ、うるせー!)
家は、一気に騒がしくなった。
忘れていたが、文章の締め切りは明日である。
(さあ、元の生活に戻った事だし、書くぞー)
俺は、春を床に置くと、パソコンの電源を入れ、
「道子ー、茶をくれー」
いつものようにそう言って、歴史の文献を取り出した。
と…。
床に置いた春が、もの凄い声で泣き始めた。
台所からは、
「お茶くらい、自分でいれなよー! あー、春が泣いてるー、福ちゃん、よろしくー!」
その声が届いた。
俺は、呆然とパソコンを見つめている。
中では、
(さあ、書くぞー!)
(ああ、うるせーなー!)
この思いが、交錯している。
手は全く動かない。
春の泣声が更に勢いを増した。
(もぉっー!)
結局、俺は春を抱いた。
抱いて、
「おー、春、春、泣くでない、泣くでない…」
言いながら、
(やはり…、こいつらは、いない方が書ける…)
しみじみ、そう思った。
時間は取り戻せない。
昨日は昨日であるし、明日が締め切りという事は絶対に変わりようがない。
(さて…、俺はどこへ流れつくのやら?)
その不安は、川の流れのように尽きないのであった。
異国の風 (03/01/30)
去年暮れの日記でも書いているが、俺は、課の幹事をやっており、そのやる気は生半可なものではない。
当然、課での新年会をやろうと試みるわけだが、その日、会計係の女性に一喝された。
「あんた! 何回、飲み会をやってると思ってるの! 金はないわよ!」
確かに、今年は人の入れ替わりが頻繁に行われたため、多少、飲み会がかさんだ。
しかし、お約束の新年会をやらないわけにはいかない。
駄々をこね、残金を聞いた。
するとビックリ。
本当に会費が底をついていた。
俺は、すぐに金どころの矛先を変えた。
(暖かい志に期待しよう…)
その矛先である。
何となく上司の周りをうろついてみたり、
「えー! 予算がなくて、新年会ができないんですかー!」
わざと大声で嘆いてみたりした。
が…、このご時世、上司の懐にも冷たい北風が吹いている。
皆、俺を避けた。
目すら合わせてくれなかった。
これにより、完全割り勘制で同士を集い、会社組織の枠から飛び出して新年会を催す運びとなった。
無論、幹事は俺、福山裕教である。
迅速に、且つ組織にとらわれないフレキシブルな手腕で20名の人間を集めた。
メンバーの中には、なぜか道子と春もいる。
組織にとらわれないついでに、会社の外からも呼び込んだりしてみたのだ。
そして、昨日…。
その新年会が催された。
そつなく盛り上がり、二次会は会社近くの居酒屋に流れた。
この時点で、人数は10名になっている。
ここで、焼酎のお湯割を飲みながら、白根という酒豪が口を開いた。
「フィリピンにでも行くか?」
居酒屋に入って、ものの10分もたっていない。
この居酒屋は、先輩である白根さんにとってみれば、単なる『次へ向けての作戦会議の場』であったのだろう。
ここでゆっくりと飲もうという思想は、今のこの男にはない。
「えー…」
俺は、駄々をこねた。
まず、基本的な問題として、俺の懐には600円しかない。
更に、俺の軽風俗概念として、『会話の中から軽いタッチが生まれる』、これがあり、フィリピン人はどうもいけない。
あ、後手になって申し訳ないが、前に白根さんが言った「フィリピンに行くか?」、これはもちろん飛行機に乗ってお国へ行こうというわけではない。
フィリピンキャバレーを指している。
二十歳を超えた健康な男なら、誰もが一度は行った事がある、最もポピュラーな遊び場の一つであろう。
行けば、平社員でも、
「しゃちょさん」(社長さん)
そう呼ばれるが、その後に続く会話はままならない。
そのくせに、
「ダッフンダ、コマネチ、ガチョーン、アヘアヘ…」
などなど、日本の古き良きギャグだけは、日本人よりもマスターしている。
それがフィリピンキャバレーである。
俺は、白根さんの案に賛同しかねた。
「あー、俺、600円しかないから駄目ですよー」
すると、
「福山、心配するな、お前の分は俺が出してやる」
金鉄の一言が飛んだ。
俺のハートは瞬時に揺れ動いた。
(俺はフィリピン系が嫌いな男だが、おごって貰えるとなると、話は変わるというか、あー、もー、行きたくなってるというかー…)
中では、ウダウダと思っていたが、その口は、
「はい、白根さん、お供いたします」
深々と頭を下げていた。
10人のメンバーの中、6人が白根案に賛同した。
そういう事で俺達は、二次会の居酒屋に入ったものの、30分ほどで出た。
フィリピンキャバレーまでは、徒歩で15分ほどを要す。
結構、遠い。
6人の内4人は、居酒屋にいた近藤という女性が、
「今から帰る」
そう言い出したので、ついでに送ってもらう事にした。
俺ともう一人は、寒風吹き荒れる中、チャリンコでそこへ向かった。
しかしながら、今思うに…。
あの時は酔っていたから、
「フィリピンキャバレーまで送って」
と、近藤に頼んだものだが、シラフの今になって考えれば普通ではない。
近藤は、20代後半のギャルである。
そのギャルに、男達が胸を張り張り、
「俺達はフィリピンが好きですたい。だから、送って…」
と、懇願するのである。
(変な光景…)
そう思われた。
さて…。
一向は、ネオンチカチカのドアを開け、転じて暗い店内に突入した。
店の名を『パラダイス』という。
まったくもって基本に忠実な味気のない店名である。
店内は、ビリヤード場だったものを改装してあり、相当に広い。
中が見渡せる位置に来ると、
「イラッシャイマセー!」
あからさまに日本人ではないトーンで、その声が飛んだ。
(おおっ!)
入り口からの眺めは、まさに圧巻といえる。
異国のスレンダーな女性が、それこそ20人以上いるのである。
「ココハ、ドコノクニデスカ?」
俺の言葉も何となく異国語風になってきた。
一瞬前、
(フィリピンは嫌だー)
と、後ろ向きだった俺は、もう、そこにはいない。
「ハッスルしますぞー!」
転じて張り切った。
ちなみに、弁解がましく言っておくが、このフィリピンキャバレーは極めて清潔・健全なところである。(だからこそ、日記に書ける)
タッチをするわけでもなく、変なショーが見れるわけでもなく、決定的なところでいうと、会話もできない。
ただ、ワンツーマンでフィリピンギャルが付き、ひたすらに酒は飲める、そういうところである。
何度も言うようだが、俺は、多少コスト安というメリットはあるものの、このフィリピンキャバレーをどうも好きになれていない。
が…、ベテランに言わせると、
「そういうところへ行く時というのは、えてして酔っているものだ。こんな時に肝心なのは、心と心の通い合いであって、会話は単なる付属品に過ぎん。フィリピンを愛せない男は、酔う楽しさが分かっていない、その、何よりの証拠だ」
との事である。
強引な風向きは拭えないが、何となく説得力はある。
さて…。
この店、90分5000円弱という値で、関東では安い部類であるが、90分の間に、付いたギャルが2回変わる。
つまり、延べ3人のギャルが付く事になる。
俺は、このギャル達と何をしていたのかというと、
「ケッコン、シテマスカ?」
どの異国ギャルもそう聞いてくるので、
「シテマス」
馬鹿正直に答え、最近手に入れたばかりの『J−フォン』に入れている春の画像を見せてあげたりしていた。
ちなみに、J−フォンといえば『写メール』であるが、俺の携帯はメールが付いていないため、『写』(しゃ)である。
どういう事かというと、契約時、メール使用料が月に300円掛かる、そう説明されたため、俺はメール機能を削った。
どうせ、今までも時代のトレンドに乗れず、携帯メールを使った事がない。
ゆえに、月2600円という破格のプライスを実現するに至ったが、『写』のため、撮った写真を携帯から外へ出せないという何ともむずがゆい事態に陥ったのである。
しかし、手元で見せるには十分である。
入れ代わり立ち代わり横に付く、そのギャル、全てに見せた。
「アラー、カワイイネー」
前の二人はそう言い、最後の一人は、なぜか涙を溜め始めた。
「どうしたんやー?」
俺が真摯に聞いてやると、チェリーという源氏名を与えられたこの女性は、
「ワタシ、コドモガデキナイカラダ…」
そう呟いた。
当然、すっごく空気が重くなり、俺の中には、
(金払って遊びに来て、なぜ、『みのもんた』にならなければならいんだ?)
その思いが走った。
横では、大将格の白根さんが、これまた美人な姉さんを捕まえて談笑している。
そういえば、白根さんに付いているギャルだけは変わっていない。
不思議に思った俺は、白根さんにその事を問うた。
白根さんは、会社では絶対に見せない、最高の笑顔で言った。
「金払って指名した」
謎は、一瞬にして解けた。
さてさて…。
異国の風をたっぷり浴びた一同は、結局、この店に入って一言も会話を交わしていない。
マンツーマンでフィリピン満喫システムのため、男同士が話す機会はあり得ない。
90分の時間も残り10分を残す程度となった。
(あー、もう、終わりやねー)
俺は、正直、場に飽き始めていた。
ギャルと話そうにも日本語が通じないし、まして熊本弁が通じる余地はそこにない。
頼りの男衆も異国ギャルに夢中で、俺と目が合うことすらない。
適当に、ギャルと『あっち向いてホイ』などやりながら過ごしていると、何が面白かったのか、
「オモシロイネー、アンタ、オモシロイネー」
異国ギャルはそう言いながら、俺の顔をペタンペタンと叩き出した。
と…。
俺の眼鏡から何かが落ちた。
(なんだ?)
思った瞬間に俺の左目の視界が歪んだ。
(まさか?)
思い、冷静になって現状把握を試みると、その、まさかが的中した。
眼鏡のレンズが落ちたのである。
(どういうこと?)
思いながら眼鏡を見ると、レンズを固定する部分のネジがなくなっていた。
多分、緩んでいたところに異国の一発を食らい、ネジが飛んで行ったのだろう。
異国ギャルは、
「ゴメンネ、ゴメンネ!」
突然のアクシデントに取り乱しながらレンズを拾った。
ネジは探したが見つからない。
「ええよ、ええよ、もうネジはよかて」
俺は暗い中、あの1oほどの小さなネジが見つかるとは到底思えなかった。
ギャルを制し、
(ま、眼鏡屋にいけば貰えるだろう)
そう思って、
「気にせんでよか」
容赦なく熊本弁で助け舟を出した。
が…、異国ギャルは、それでは気がすまないらしく、
「メガネ、カシテ、シュウリスル」
そう言うや、俺から壊れかけの眼鏡を取り上げた。
異国ギャルは後ろを向いて、なにやら俺の眼鏡をいじり始めた。
30秒もすると、くるりと振り返り、俺に眼鏡を差し出した。
「デキタヨ、シュウリ、カンペキネ」
それは…。
はずれた部分をピンクの輪ゴムで巻き上げ、どうにかレンズが固定されている、愛すべきマイ眼鏡であった。
俺は笑うしかなかった。
輪ゴムで補修された眼鏡…。
この滑稽さに可笑しさを感じ、そして、異国ギャルがとった咄嗟の機転に脱帽であった。
「アンタ、コッチ(補修されているもの)ノホウガ、ニアウヨ」
異国ギャルは言いながら、俺に眼鏡をつけろと促した。
その態度に、悪びるところがない。
俺は、逆らう事なく眼鏡をつけた。
左側にピンクのゴムがちらつくのが気になったが、安定感はバッチリだった。
「よしよし」
俺が頷き、右親指を上げ、
「グー」
そう言うと、異国ギャルは喜ぶ事もなく、
「アンタ、カオガ、デカイネー」
普通にそう言った。
さて…。
店を出た。
寒風吹き荒れる、その夜の闇は深い。
その中にあり、男達は、ギャルの名刺をポケットに入れ、颯爽と歩く。
俺は、眼鏡を取り、ピンクのゴムを確認すると、
(明日は、この眼鏡で出勤か…)
その事を思った。
(ピンクはまずい…。 せめて、普通のゴムに代えよう…)
重ねて思うや、ピンクのゴムを取り除き、草むらに捨てた。
社宅は、しんと静まり返っている。
時は、0時を回ったばかりであった。
俺は、足音を消し、鍵を開けると、布団に潜り込むべく、そっと居間へ入った。
道子も春もグッスリと寝ている…。
と、思いきや、道子の目はパチンと見開き、無言で時計を確認すると、また閉じた。
「はぁ…」
重い溜息が出た。
明日の朝、道子の言う事が予想されたのである。
「もう、福ちゃん、また午前様だよー、私はお見通しなんだからね!」
異国の風も辛いものがあったが、現実の風は尚辛い。
現実逃避に外を見た。
吹きっさらしの冷たい風が、社宅の窓ガラスをガタゴトと揺らしていた。
「まったく…、風当たりが強いねぇー」
思わず、江戸っ子調で呟いてしまった。
外は、墨汁をこぼしたように暗い。
冬は…。
まだまだ、終わりそうにないのであった。
顔面ファイアー (03/01/23)
会社が『作業服通勤禁止』になった。
これに伴い、全員にロッカーが渡され、朝と夕、毎日着替えねばならない。
たしか…、半年くらい前からである。
俺は、その日も遅刻ギリギリの時刻にロッカーに駆け込むと、鬼のスピードで着替えた。
すぐに目が回るような仕事に取り掛かった。
仕事は滞りなく終わり、計画通り、図面を10枚ほど書き終えた。
事件は、帰りのロッカーで起こった。
俺は、ぴったり5時にロッカーへ駆け込むと、鍵を開け、おもむろに上着をぬいだ。
何気ない動作である。
更に何気ない動作は続く。
ズボンの交換である。
作業ズボンからGパンに履き替えなくてはならない。
俺は、着用している作業ズボンのウエストホックをはずし、チャックを下ろすと、その勢いをもって思いっきり作業ズボンを下げた。
いつもと何ら変わらない、息をする事と同等の無意識動作である。
が…、その瞬間。
凄まじいほどの涼やかな風が俺の下半身を駆け抜けた。
「む!」
視線を下に向けると、セクシー爆発、スッポンポンであった。
「なにー!」
俺は慌てて作業ズボンを上げた。
ズボンにつられてパンツまで下がってしまったのである。
この間、わずかに2秒弱。
俺は、大きく一つ息を吐くと、呼吸を整え、極めて落ち着いた仕草をつくり、ゆっくりと周りを見渡した。
(誰も見てませんようにっ!)
の、『にっ!』のところで視線を上げた。
と…。
そこには一人の顔見知りではないオッサンがいた。
(しまったー!)
俺は、体温をグングン上げながら、
(忘れてー!)
そう嘆願した。
オッサンからすれば、
(この緊張の事態をどう切り抜ければよいか?)
その事を、持ちうる全ての能力で考えたに違いない。
蛇に睨まれた蛙の様にピクリとも動かず、俺と目を合わせた状態をしばし保つと、ふと、ロッカー方面に視線を移した。
見るからに落ち着きがない。
視線はロッカーに固定し、あたふたと着替え出した。
多分、中では、
(見てない、見てない、俺は何も見てないから、少年よ、気にするなー)
そう思っているに違いない。
俺も、オッサンの好意に甘え、
(ようし、オッサンは見てない…)
そう思う事にした。
しかし、オッサンの『自然なように見せかけた行動』が、
(見てないわけないだろー!)
と、俺を羞恥の沼にぶちこんだ。
なんと、オッサンは口笛を吹き出したのである。
俺は、自然を装いながら、今度はゆっくりズボンをおろしてGパンにはき替えていたが、それを聞くと、その顔色は食い時の柿色となった。
まさに、顔から火が出る、その状況に陥った。
(自然な感じといえば口笛、それは分かる。 しかし、ここまで漫画的だと、何かを発見した時、吹き出しの中で電球がピカーッて光るのと同じじゃないかー!)
その、あまりの『わざとらしさ』に俺は悶えた。
(汚い尻まで見せた上に、気まで使わせて…、ごめん!)
思いは、オッサンに対する深い謝辞にまで至った。
オッサンはイソイソと去った。
去り際に、こちらをチラリと見、ロッカーの曲がり角では肩を障害物にぶつけていた。
よほど、居心地が悪かったのであろう。
が…、俺が思うにオッサンは、ロッカールームを出た瞬間、青空に放り投げられた様な開放感を感じるはずだ。
その後、会う人会う人に、
「聞いてくれよー、今日、ロッカーで最高の事件と遭遇したんだよー」
そう言いまくる事は間違いない。
俺なら100人以上に言うし、もちろん日記にも書く。
「こうなったら!」
俺は先手に出た。
それは、先に日記に書く事であった。
これにより、
「福山、聞いたぞー、ロッカーでの話ー!」
言われた時に、
「なーんだ、その事なら既に日記に書いた。みんな知っとるぞ」
と、一笑に付す事ができる。
俺は、そういう風に誇り高い人物である。
先手先手で動いた。
俺は、それだけではおさまらず、再発防止にも努めた。
今回の原因は、道子が俺に超ゆるゆるのトランクスをはかせた事にある。
「このやろー!」
と、言ってもいいが、寛大な俺は、道子に何も言わない。
ただ、風呂に入る時、はいてるトランクスをゴミ箱付近に置き、
「そろそろ捨てた方がいいんじゃない?」
無言の圧力をかけた。
(果たして道子は気付いてくれるのか?)
期待した。
翌々日…。
風呂から出ると、あのトランクスがきちんと畳んで用意されていた。
嫁からの返事は、
「まだまだ、はけるでしょ! はけ!」
これであった。
(む、む…、むーん、なんと地球に優しい福山家…)
日頃、
「エコロジー、エコロジー!」
そう唱えている俺は、そののびのびトランクスをはき続けるより他はないのであった。
大黒柱・福山裕教は、100円トランクスを、今日もはき続けている。
多分、来月も来年も…。
出初式と、その後 (03/01/18)
俺が会社の自衛消防隊に属している事は前の日記に書いたが、今年もその任に就いている。
さて…。
年が明けると、どこの消防隊もやるのであろうが『出初式』というものがある。
素人の俺は、これを『梯子を使った曲芸をやる儀式』と認識していたが、どうやらそうではないらしい。
消防隊歴7年の先輩が言うには、
「今年も活動をやりますっていう始まりの儀式だから、何をやってもいいのさ」
との事であり、うちの自衛消防隊の場合、
「単に水をぶっ放すだけさ」
そういう事らしい。
具体的にいうと、うちの自衛消防隊・唯一のマシンであるポンプ車と消火栓を用い、群衆の前で放水するのである。
俺は、出初式を前述の様に認識していたため、
(まずはダイエットだ。無駄な肉を落として、それから懸垂と腹筋…。体力をつけねば梯子の上に居座る事すら困難だ…)
と、いう不安を持ち、相当に気合を入れた。
従って、先輩から出初式の説明を受けた時、
(なんだ、それだけか…)
正直、ひどく落胆した。
今年の自衛消防隊は、大規模火災訓練という大掛かりな訓練も行っており、放水するだけなら今すぐにでも出来る。
練習する必要がなかった。
が…、毎週一回、一月ほど練習をせよという指示が出た。
メンバーのポジションも今回は大幅に換えるという事である。
俺は、市の大会も大規模火災訓練も指揮者という役目を仰せつかっている。
つまり、消火栓も扱えねば、ポンプ車も触った事すらない。
知っているのは、放水するタイミングと、声の出し方くらいのものである。
はっきり言って使い物にならなかった。
従って、隊長他、幹部衆は俺の人事に極めて困ったのであろう、三人でいい消火栓部隊に俺を割り込ませ、四人構成にした。
ノズルを扱う一番隊員、消火栓を扱う二番隊員の間に俺は入った。
先輩の言葉を借りると、
「お前は伝令役だ」
と、なる。
つまりは、指揮者が「放水始め」等の指揮を行うが、消火栓までは遠いため、俺はそれを走って伝令するわけである。
まさに、俺の人事に困り果てた上層部が半ば強引に作った苦肉の役職と言えるだろう。
当然、誇り高き俺はごねた。
「えー、こんなのやるくらいなら補欠でもいいやー」
それこそ、グッチのバックをねだるコギャルの様に暴れたが、
「これが出来るのは、お前しかいない!」
その胸を刺すお言葉に不覚にも燃えてしまったのである。
1月15日…。
出初式当日を迎えた。
ギャラリーは課長層や部長層ばかり、年齢を足せばそうとうな数になるだろうが、その人数となると、ものの20人程度だった。
(うーわー)
あまりの物悲しさに、俺はぼんやりと立ち尽してしまった。
色気も仕事で来た写真係が一人いるだけで皆無といってよい。
まさに惨状というに相応しい景色であった。
その中で、消火栓部隊4人、ポンプ隊5人、計9人の自衛消防隊が一列に並んだ。
奥には隊長と副隊長が偉そうに立っている。
皆、妙に張り切っていた。
これを客観的に見てみよう。
11人の自衛消防隊員が、色んな意味で寒風吹き荒れている『その中』にいる。
(滑稽だ…)
俺には、そう思われてしょうがないのであった。
さて…。
出初式が隊長の言葉を皮切りに幕を切った。
ポンプ隊が年代モノのポンプ車を引っ張り、準備に差し掛かると、うちら消火栓部隊も一斉に動き出した。
二番隊員が消火栓のドアを開け、一番隊員が迅速にノズルを持ち出した。
指揮者は、それに的確な指示を出した。
俺はその時、ただ突っ立っている。
一番隊員が走り出すと、俺はそれを追っかけながら仕事しているフリを見せるべく、ホースの曲がりを直した。
そして、一番隊員がノズルを火点に向けて構えると、その後ろでまた突っ立った。
少し待つと指揮者から「放水始め」の指示が飛んだ。
さあ、俺の見せ場である。
俺は、指揮を聞くと、
「よぉー!」
歌舞伎っぽい声を上げ、消火栓にダッシュした。
消火栓では二番隊員が、絶対に指揮者の声が聞こえてたくせに聞こえないフリをして伝令の俺が来るのを待ってくれている。
俺は、二番隊員手前5メートルくらいで片膝をつくと、右手を口元に当て、ヤッホーの姿勢をつくり、
「放水始め!」
この伝令の仕事をまっとうした。
これで、俺の仕事は終わった。
それから俺は、一番隊員の元に戻り、ノズル持ちの補助という役目があるのだが、これは言わば見せかけの仕事であった。
隣では、ポンプ車から勢い良く水が出ている。
極めて旧式なのだが、なかなかにパンチはある。
これに対し、消火栓は更なるパンチを持っている。
前に、工場から道に向かって放水したのであるが、消火栓を全開に開けると、その水は道まで飛んだ。
従って、
「少しだけ、水の勢いを落とそう」
それが、直前の約束であった。
これを受けた消火栓担当二番隊員は、消火栓を中途半端に開けた。
更に、水圧開放のスイッチがあるのだが、それすらも中途半端に押した。
結果、消火栓部隊の放水は、極めてみすぼらしいものとなった。
しまりの悪い古老の放尿の様であった。
横では、ポンプ隊の放水が勇ましく続いている。
(くっそー!)
消火栓部隊は本来、ポンプ隊以上の力があるのに、今日は引き立て役となってしまっている。
この惨状に、メンバーは地団太を踏んだ。
栓を中途半端に開けてしまった二番隊員は、この時、ホースの補助に回っているのだが、放水の間中、
「ごめん、しまった、最悪、俺は何をやっているんだ、あー、ごめん、情けない…」
ぶつぶつと懺悔の呟きを発している。
今更、消火栓に戻って、
「やり直します!」
なんて言えるわけもなかった。
順調だった隣のポンプ車も、途中でプールしていた水がなくなり、放水が中断するアクシデントに見舞われた。
急遽、
「放水止め!」
と、放水を打ち切ったわけだが、事に焦った隊員があたふたと残り水で放水する準備に取り掛かったため、「放水止め」という指揮の後に水がちょっとだけ噴出すという、こちらも締まりの悪い結果に終わった。
つまり、出初式は散々な結果に終わってしまった。
終了後、工場長が総評として、
「日頃の訓練の成果をいかんなく発揮されましたね」
みたいな事を言ったのであるが、俺達からすれば、
(ああ、そうさ、いかんなく発揮したさ!)
と、すねざるを得なかったのである。
さて…。
肩を落としたまま、その日の仕事を終えた自衛消防隊一同は、定時後、その労をねぎらうという意味合いで酒席をもった。
会社からの慰労会である。
出初式があまりにも散々だったため、会中、誰も出初式に関しては触れない。
その代わり、今年度の活動に関しては、様々な意見が飛び交った。
うちの会社には、大会に出れる自衛消防隊チームが3チームある。
無論、その全てが男のチームで、市の大会では女性の部が毎年不参加となっていた。
市における、デパート、大企業、それらは全て女性のチームを出してきている。
うちの会社は、それらに引けを取らない規模であるのに女性チームがない。
「火事になった時、そこに男がいないという事も考えられる」
ある男が声を上げると、場に、
「そうだ、そうだ!」
賛同の声が上がった。
これを皮切りに熱い議論が始まった。
「デパートばかりに、毎年毎年、女性の部・優勝をかっさらわれて悔しくないのか?」
「悔しい!」
「男女分け隔てなく、火事という最悪の災害に立ち向かうべきである!」
「そうだ!」
「女性のチームを作るべきだ!」
「そうだ!」
「燃えてきたぞー!」
場の熱は上がりに上がった。
構想も大いに膨らんだ。
「社宅でも自衛消防隊がいるだろう。昼間、旦那が仕事に行っている時の火事も容易に予測が出来る」
「これも、男女の自衛消防隊を作るべきだ!」
「隊名は?」
「エプロン隊なんてどうだ」
場がどよめいた。
「名案だ!」
その声があちらこちらで上がった。
会社のチームにおける隊名も名案が上がり、大いに皆の賛同を得たのであるが、ちょっと過激なので、ここでは割愛させていただく。
とにかく、膨らんだ構想はとどまる事を知らなかった。
皆、工場を不測の事態から救おう、その思いで意見を出し合った。
ついには、これらを取り行う権限を持つ男から、鶴の一声が飛んだ。
「今年、自衛消防隊に女性チームを実現します!」
会社からの確約とも取れる発言であった。
「うおー、これで工場が救われたー」
場の熱も極みに至った。
「しかし!」
権限を持つ男は、この一言で皆を制すと、
「エプロン隊は駄目だ、あれは自治会でやるべきものだ」
と、その案だけは却下した。
これを受け、
「もう、今年で消防隊は辞めます」
事あるごとに、そう愚痴っていた副隊長が場を立った。
「そういう事なら、もう5年、やらせてください」
いきなり、やる気になっていた。
とにかく、出初式の打ち上げは実りある飲み会となった。
8時くらいに席を打ち切ると、その出席者の大半が収まりつかぬ様で、二次会へと流れた。
ふと、誰かしらが今日の飲み会に対し、
「今日は、火を消すところから火が上がったなー」
そう口走ると場は割れんばかりの笑みで溢れた。
結局その晩、最終組は午前様まで大いに飲んだ。
1月15日というと水曜日である。
翌日が出勤日であるという事を、ここにいる者達は完璧に忘れている。
今年の自衛消防隊は人数も大いに増え、その内容も女性が入って多様化する事を思うと、その活動に様々な夢を追えるのである。
語れば、時間が幾らあっても足りなかった。
隊長などは、
「うふん、まーちゃんヨン♪」
日頃は絶対に見せない、多様性を大いに含んだその姿を見せつけてくれている。
(この隊長を軸に、今年の自衛消防隊は燃えるぞ!)
隊員も、いつになく熱くなり、拳を握り締めるざるを得ないのであった。
さあ…。
夜は長い…。
インフルリレー (03/01/16)
1月2日の夕方…。
母方(恵美子実家)の実家で、例年通りの宴会があった。
恵美子の姉妹を軸とするメンバーがゾロリと揃い、豪勢な酒食と共に盛り上がるのであるが、その場に一人の伯母の姿が見えない。
恵美子は四姉妹の三番目であり、その長女の姿が見えないのである。
「あら…、おばちゃんは?」
俺は、いつもの姿が見えない事に疑問を抱くと、横に座っていた富夫に問うた。
富夫は、たまにしか飲めない高級焼酎をグビグビ飲みながら、
「風邪ひいて寝とらすぞ」
そう言った。
奥に行くと、確かに伯母が顔を真っ赤にして寝ていた。
「あー、正月早々大変ですねー!」
俺は、他人事という事もあり、思いっきり他人行儀な言い方で伯母をいたわると、
「これじゃ、孫も抱けんでしょう」
と、意地悪を言った。
伯母は、猛烈に咳き込みながら、
「雅和(ここの長男)も、博巳(ここの末男)も孫を抱かせてくれん…」
消えそうな声でそう言い、
「はぁ…」
一つ、重い溜息をついた。
この時…。
恵美子は、異常な程に元気である。
二日目となる春と思いっきり戯れ、その晩も、
「お父さんー、春ちゃんと一緒に寝るばいー!」
吐き気をもよおす蜂蜜の様な声で富夫に甘えていた。
が…。
先ほどの伯母の風邪が、密かに恵美子に伝染している事を当の本人は知らない。
無論、俺も道子も知る由がない。
その晩、富夫と恵美子に春を預け、俺達は平和に寝た。
この翌日、1月3日…。
恵美子が体調不良を訴え始めた。
「熱っぽい…」
この一言から始まり、その顔は昨日の伯母を彷彿とされる赤い顔となっていた。
(うわー、うつっとるばい…)
俺と道子が恵美子と距離をとる中、富夫は恵美子の手の中にある春を取り上げた。
「母ちゃんは風邪が治るまで春を抱いちゃいかん!」
恵美子の顔から明らかに血の気が引いた。
「私に死ねと言うのー!」
と、でも言わんばかりの渋い顔を見せた。
が…、富夫の言い分が的を得ている事は分かるのだろう、富夫に春を預け、
「はぁ…」
昨日の伯母同様、重い溜息をついた。
恵美子の風邪は長引いた。
うちらは7日まで熊本にいたのであるが、その最終日まで恵美子から熱は引かなかった。
つまり、恵美子は待ち望んでいた春が目の前にいるのに抱けないという、言わば『おあずけ状態』で日を送った。
別れの時も、通常であれば、
「ぶぇえええん、はどぅー、いっでじまどぅのでー!」
言葉にならず泣くのが常であるが、今回はマスクをし、
「ああっ、もうっ! はがいかー!」
と、自らのその状態に怒りを隠せない様子であった。
しかしながら…。
熊本にいる間、俺と道子はかなりの家を転々とし、春を見せて回ったのであるが、どこの家にも風邪っぴきがいた。
(流行ってるなぁ…)
思いながら、埼玉に帰り、ニュースを見てると、
『熊本でインフルエンザが爆発的に猛威を奮っている』
と、いうニュースが流れていた。
(うわー、母ちゃん達がかかってたやつはインフルエンザだったのかぁ…)
俺は恵美子の症状を思い出し、
(確かに風邪とは違っていたな)
思うと共に、
(よく、俺も道子も春もうつらんかったな…)
福山家の鉄人ぶりに感心した。
しかし、思えば熊本からの帰路、俺は非常なる疲労感を感じた。
ただ、飛行機とバスに乗るだけなのに爆発的に疲れたのである。
(もしかしたら、うつってるのかもしれんな。恵美子も潜伏期間みたいなものがあったし…)
そう思ったが、早く寝るにこした事はないという事で、その晩は早目に寝た。
翌日は、初出社の日である。
6日、7日、二日連続で有給休暇をとっており、休むわけにもいかない。
が…。
その日、起きた瞬間に、頭痛、関節痛、喉の痛み、これらを感じた。
どれも、力強い、パンチの効いた痛みであった。
(うわぁー、うつってるー)
俺の魂が本気で泣き崩れた。
と、その横で、
「くちゅん、くちゅん!」
実に子供らしく咳をし、且つ見事な鼻風船を見せている赤子がいた。
春である。
真っ赤な顔をして、なぜか深い二重目蓋でトロンとした顔をし、
「ふぃー!」
コミカルな溜息をついている。
(ああ、こりゃ、大変だ…)
俺は、これからの福山家の行く末を案じた。
(二人がやられたとなったら、道子もやられているに違いない!)
俺は疑う事なくそう思ったのである。
絶えず三人で行動し、俺と春がそのインフルエンザのリレーを熊本より引き継いでいるのである。
道子がその輪から外れるはずがなかった。
(家族全員でインフルエンザかー、最悪だー!)
朦朧とした意識の中、俺はこの最悪の事態を嘆いた。
が!
台所から現れた道子は実に晴れやかな顔をしていた。
トロンとした俺と春を見ると、これまた実に弾んだ声で言った。
「どうしたんだよー、二人ともー!」
そんな道子が信じられなかった。
(道子の中には抗菌加工でもしてあるのか?)
と、疑わざるを得ない、その弾みかたである。
スキップでもしそうな状態であった。
「お前は、何ともないんや…」
俺は、道子に消えそうな声で聞いた。
道子は大きく顔をぶんぶんと横に振り回すと、
「ぜんぜん、大丈夫!」
そう言って、鼻歌交じりで台所へ消えていった。
道子の背中が実に眩しかった。
それから、俺は出社したものの、フレックスで上がったり、少ない年休を駆使したりと、シドロモドロ出勤で年の初めの週を過ごすに至った。
春も鼻水が垂れ流しになり、熱も引かず、妙に甘えん坊になった。
二人の病人は、道子の『大きな背』に大いに甘えた。
途中、
「もう! 何で私だけ病気しないんだよー!」
看病に疲れ、自らの健康体を叱咤していたが、
「健康の馬鹿ー!」
そう言われても、病人の俺達にはイヤミにしか聞こえない。
「健康ってのは素晴らしい事だぞ…」
ボソリと道子をいたわった。
さて…。
福山家からインフルのバトンが消えたのは、三連休(成人式)を越えたあたりである。
俺からも、春からも、本当に消えるように風邪の症状が消えた。
(どこに行ったのやら?)
思っていると、俺のデスクの近くに五味川という年配の人がいるのだが、その人が、
「うー、風邪ひいたー」
老体を折りながら、悶えていた。
(なるほどー!)
俺は、このインフルエンザというもののバトン性をつくづく感じ、思わず柏手を打った。
古来、人は、
「風邪はうつして治せ」
そう伝えてきているが、この言葉の信憑性は極めて高いものであろう。
俺は、装備していたマスクをエイヤと洗濯籠にぶち込んだ。
(どんな風邪をひいても、もう二度とマスクをするものか!)
固く、そう誓った。
ふと、道子を見た。
「もうー、福ちゃんー、感想肌でヘソの周りがかゆいよー、かいてー!」
極めて元気である。
(なんだ、こいつ…?)
体の弱い俺から見れば、道子が本当にヒト科に属すのか、それすら疑わしく思われるのであった。