第158話 酒田飛島出張報告1(2024年9月)

仕事

[前段]

4月に仙台在住のSさんという人が突然来た。職業は高専の教授だそうでプライベートの旅行中だそう。熱量あふるる早口で5月に山形県の離島でゴミ拾いをすると言われる。
「来ませんか?」
初めてだ。知らない人から知らない場所のゴミ拾いに誘われた。むろん行きませんと返した。
次は6月に仕事で来られた。前もって打診があり、竹田の岡城跡を地中レーダーで史跡調査するそう。
「来ませんか?」
それは近いしゴミ拾いじゃないから行きますと返した。
Sさんは立派でちゃんとした人だ。長文の資料や動画をたくさん用意、メールで続々送ってくれた。が、僕は書くのは好きだけど読むのは苦手、全て顧問(68)に振って酒の肴で聞いた。
史跡調査後、南阿蘇で一杯呑んだ。そこでまた山形県の離島に誘われた。今度はゴミ拾いじゃなく調査合宿という名目らしい。旅費も宿泊費も出してくれるとの事で日程も決まってるそう。詳細はこれから書面で送るしテレビ会議で何度か打ち合わせもやるらしい。
前述の通り僕は読むのが苦手、更にテレビ会議、知らない女性と画面越しに向かい合うなんてキャー恥ずかしくてやりたくないし今後もやるつもりない。そういうのは顧問が得意で顧問が必ずやってくれる。
「顧問と一緒なら行きます」
そう返し、了承された。
そういう流れで何をやるのかサッパリ分からぬ酒田飛島出張が決まった。

[初日]
それから三ヶ月、テレビ会議を(顧問が)2回、書類も(顧問が)たくさん読んだけど未だサッパリ何をやるのか分からなかった。
分からないまま初日を迎え、朝8時、羽田行きの飛行機に乗った。
目的地の飛島はどうあがいてもその日に着けない。羽田で乗り継ぎ庄内空港へ飛び、バスで酒田へ行って翌朝フェリーに乗る。
僕と顧問、酒呑みの二人はそれが面倒だとは決して言わない。これ幸い、心躍らせ知らない街に降り立って一昼夜自由時間を楽しもうと試みた。
宿へ荷物を置いて即別行動。顧問は知らんが僕は完全ノープラン。地図を眺め最上川を攻めると決めた。

歩いてすぐ酒田を代表する観光地・山居倉庫に出くわした。

120年前に作られた米倉で、表より裏のケヤキ並木が有名になり、いちゃつくアベックがたくさんいた。それをぼんやり眺めていたら観光案内のおじさんがズバッと間へ入り説明を始めた。
このおじさん見事な呼吸と見事な仕事。木漏れ日と石畳にうっとりべたべたアベックのそれをズバズバ壊して気持ちがいい。説明も声は通るし的確見事。逃げ惑うアベックとそれを追うおじさんを僕が追う。アベックは逃げ切った。今度は関西から来たおばさんの集団におじさんが囲まれた。おじさん今度は逃げ惑う番になり場が関西弁で満たされた。東北で聞く大音量の関西弁ほど辛いものはない。お急ぎ場を離れた。

出張の前、庄内藩と西郷隆盛の資料だけは図書館で読んだ。戊辰戦争の後始末で寛大な処置をした西郷隆盛を庄内の人は慕い続けているらしい。その証拠として西郷は神となり、ここ酒田の地で南洲神社として祀られている。
それは見たいし最上川もじっくり見たい。

芭蕉の句をモゴモゴモゴモゴ唱えつつ出羽大橋を渡った。
「さみだれをあつめて早し最上川」
梅雨の雨を集めて流したような爆速の川って詠んでる。どんな川だろう。

期待したけど最下流、四捨五入したら海みたいな所で見る最上川は鈍重で、それよりも日差しが強く、帽子を忘れた身に1817mの日陰なき出羽大橋は鬼だった。
「灼熱をあつめて長し最上川」
渡り切ったところのコンビニで茶を1リットル飲んだ。

さて、左に曲がると飯盛山。標高42m。山形県で一番低い山らしい。
麓の土門拳記念館にも行こうと思ったけど、ちょうど写真好きの団塊世代がぞろぞろ出てきて、
「こういう目か?違う!こういう目だ!」
皆でギャーギャー言い合ってた。
「土門拳が撮った眼」という企画展をやってるらしく、そのポスターに「たとえ小さくても軽くても視線の強いものが僕の被写体として残る」そう書いてあった。

団塊のおじさんたちは土門拳に撮られる眼をマネしながら研究してるんだろうけど見ていて恥ずかしくなった。同時にこの企画展を見てしまったら僕もそうなる自信があった。たぶん宿へ戻るなり顧問を捉まえ、
「この眼ですよ!この眼が土門拳に撮られる眼です!」
言うに違いない。よって入館やめて山登りした。

飯盛山である。
飯を盛ったような山、名字で言うなら鈴木、全国どこにでもある第一位だけど戊辰戦争で負けた庄内藩が麓に南洲神社を祀っていると迫力がある。会津・飯盛・白虎隊みたいに何か壮絶な物語があるじゃないか。
散歩してるお年寄りがいたので念のため聞いた。
「ない!」
キッパリ回答を得た。その代わり一等三角点があるらしい。緯度経度の基準で一等は凄いそう。
「へー」
興味がないから「へー」しか出ず、うわの空で「へーへー」言ってたら、
「へーってあるか!」
とは言わないけど興味がないのが分かったらしく、手を引かれ山頂の看板で説明を受けた。

この飯盛山と飛島と三崎山の三角点で大陸移動説を検証中だそうで「明日は飛島へ行く」と言ったら話が盛り上がった。どうせなら全部行け、三崎山は山形と秋田の県境、多分そういう事を言われたと思うが興奮されたお年寄りの東北弁は理解不能で「へー」って言ったら叱られるから「んだんだ」と返した。返したけど飛島の三角点は見付からず、三崎山に至っては即忘れた。

親切なお年寄りを見送り山を下れば西郷隆盛を祀る南洲神社だ。

口数少ない西郷がそんなに話すとは思えず多分に庄内藩士の推測が入ってるとは思うけど、西郷の遺訓が小冊子にまとめられ無料で配られてた。
できればホントが知りたい。隣に資料館があった。そこに寄れば本に書いてある通り庄内藩全てが西郷の遺訓に深く傾倒してると言うだろう。たまたま通りがかった人は何と言うのか。自販機の茶を飲みつつ待ったけど観光客しか来なかった。が、これから先の雰囲気を察すにどうも浸透してるっぽい。期間中泊まった宿全てに敬天愛人の額があった。呑み屋にもあった。そして頂いた南洲翁遺訓の小冊子、漢文調で読みにくいけど「嗚呼確かにその通り」唸るところが多くおもしろかった。重箱の隅を突いて人の粗を探す現代人の方がより響くんじゃないか。特に「正直が一番、裏表は人間の敵」そのくだりがよく、顧問に読むようすすめた。が、そういう理屈は耳が痛いらしい。読んでくれなかった。

それからたくさん歩いた。
同じ道を帰るのは癪に障るからグルッと一周7号線経由で歩いた。
途中幾つも消防団の詰所を見た。これから渡る飛島含め全て同じ造りで詰所というより車庫だった。

どこで酒を呑むのだろう。
副分団長を終え、先月消防団を辞めたばかりだからどうも気になる。聞きたいけど詰所周りで誰とも会わず次第に忘れた。

今度は逆方向、鳥海山に向かって7号線で最上川を渡った。
今度も暑い。長い。日陰ない。渡った先は工業団地で角は巨大な石材工場だった。
歴史散策というのは自然と墓場へ向く事が多く、石材屋の看板を多く目にする。今後も目にする事になるけど、その工場の看板が大半を占め、
「あ、ここが本拠地かー」
馴染みのおじさんみたいな気分になり、時は夕刻、子供を迎えに行くのだろう、駐車場から出てきた女性に手を振ってしまった。女性も笑顔で振り返してくれた。きっと10秒後に言うだろう。
「あれ誰?」

看板といえば今日泊まる宿の看板も見付けた。キャッチフレーズが気に入った。思わず写真を撮った。
「明るいふんいき」

4時間歩いて宿に戻ると既に顧問は入浴済み、呑む気満々だった。すぐに出たいところだけど大量に汗をかきTシャツに塩が浮いてた。服を水に浸し、その中身は湯舟で清め、パジャマに着替えて「さあ行こう」街へ繰り出した。
まずは顧問が行きたいと言う慶応3年(1867年)創業の酒場へ行った。
ガラスのカウンターで山形の地酒を呑んだ。肴はバイ貝、顧問の大好物だった。
「美味い!」
確かに美味いけど僕には観光臭が強過ぎた。目の前の若者は自分が食ってるところを小さなカメラで撮り続けボソボソ実況してた。次の客も、その次の客も観光客、皆自分が食うモノを撮ってた。
そうだ我々も観光客だった。この店をどうやって探したのか顧問に聞いた。ネットらしい。
「ネットの導きはヤダよー」
今まさに屈してるけど文明の導きに屈した自分が嫌になり店の移動を打診した。
「ネットじゃなく自分の勘で決めたいよー」
全方位を文明パパラッチに囲まれ顧問も少し息苦しくなってきたらしい。早い移動に同意を示してくれた。
今度は僕が決める番だ。店構えだけでココだと決めて顧問と一緒に突入した。勘は外れた。居酒屋だと思いきやラーメン屋だった。が、外れたようで外れておらず、酒の肴を作ってくれた。日本酒も密かにたくさんあってマニアックなのが続々出てきた。
顧問は楽しそうだった。
さっきの観光客みたいに出てきた日本酒のラベルをパシャパシャ撮り、色々うんちく言いながらサンマとか金目鯛とかモリモリ食った。食いながら、
「おれ呑む時は食べない」
また言った。このおまじないは何なんだろうと思うけど酔った顧問が必ず唱えるおまじないだった。
そうそう、顧問の奥様は酒田の流れで父方の実家が酒田だそう。この街に降り立ってから奥様に似た人をたくさん見た。それは顧問も認めた。
「何だろう…この感じ…不思議だ…」
奥様ぽい人がたくさんいて呑まない時は口数が減ってたけど呑めば家にいるようで居心地よくなってきたらしい。
この店のママも奥様に似てた。
「当たりでしたね」
顧問に言った。
ネット検索が悪いとは言わない。言わないけど、たくさん旅をして思うのは、知らない街こそ店の面構えだけで静かなカウンターを探す方がいい。
静かなママと冷たい冷酒。それをクイと呑み干し壁に掛かったメニューをぼんやり眺める顧問。言うぞ。また言うぞ。
「おれ呑む時は食べない」
おまじないを言いながら今度は珍しい納豆ラーメンを頼んだ。僕は普通のラーメンを頼んだ。顧問はなぜか納豆だけを分けて食べ、それからラーメンを食った。僕もママもその光景に突っ込みたい。
「それは納豆ラーメンでなく納豆とラーメン」
が、幸せそうに酒とラーメン交互にすする顧問を見てると何も言えない。
「帰りましょう」
千鳥足で初日が暮れた。