第159話 酒田飛島出張報告2(2024年9月)

仕事

[二日目]

飛島へは連絡船で渡る。
8時半乗船場集合、白髪のおじさんがいるからチケットを貰ってくれと言われており早速それらしい人を見付けた。が、その前に話しかけてきた青年がいた。
「熊本の方ですよね」
仙台から我々を誘ってくれたS教授と学生2人が合流する事になってた。どう見てもその学生だ。で、少し興奮した。2泊3日の旅なのに世界一周旅行を思わせる怖ろしい荷物を持ってた。我慢できずに聞いた。
「その荷物の中には実験器具とか入っとると?」
「違います、船旅が初めてなのでタオルとか色々入れてます」
嘘だ。そのキャリーケース、タオルだけなら500枚ぐらい入る。青年初めての船旅らしく興奮してた。先週二十歳になったばかりだそうで、旅行を前にワクワク大爆発、暴れる心が隠せてない。まさか腰に手をあて酔い止めとか飲むんじゃないかと観察してたら期待通り飲んだ。まさかケースの中にお菓子をギッシリ詰め込んでるんじゃないかと思ったら期待通り詰め込んでた。
青年の取り調べをしてたらチケットの事を忘れた。そうそう、目の前にいる白髪のおじさんがそうじゃないかと声を掛けたら全員分のチケットをくれた。青年は僕が来る前からこのおじさんと向かい合い、このおじさんだよなぁ、何で話しかけてくれんのだろう、嗚呼こっちから話しかけるべきか、延々葛藤してたそう。そこに僕が来てヒョイと話しかけチケットを貰った。
青年は己の優柔不断を恥じた。
「ごめんなさい!すいません!」
何を謝ってるのかサッパリ分からなかったけど後で理由を聞いてじわじわおもしろかった。いいキャラクターを同行人に得た。

さて、その青年、少し焦り始めた。併せて引率のS教授もバタバタし始めた。もう一人の学生が来ない。で、乗船30分前になり発熱で動けず近くのホテルにいるという事が分かった。
乗船時間になった。
青年は初めての船旅にノリノリ。我々と一緒にスキップで乗船した。
S教授は葛藤した。学生と言えども二十歳。いい大人だ。発熱は自己責任、置いて行けばいい。が、今という時代が許さないと言う。引率は仕事だ。学生を置いて船に乗ったら学校と社会が何と言うか。
僕だったら置いて行くと言った。顧問だったら残って学生の面倒を見ると言った。青年は初めての甲板に大興奮、同級生の事なんて忘れ揺れる床を楽しんでた。
S教授は結局残った。4時起き5時出発で仙台から3時間かけ酒田に来たらしい。で、これから近くのホテルへ行って学生を拾い病院へ運ぶ。1日1便だからもう飛島へは行けない。仙台へ戻るより他はなかった。
S教授の荷物(実験機材)は既に船の中だった。コンテナ積みの荷をほどくのは一苦労、よほどの事情がなければ許されないけど事情が事情で許された。

少し遅れて船は出た。

S教授が手を振ってるかと探したけどいなかった。無念、怒り、悲しみで、振り返らず急ぎ場を去ったのだろう。
青年に至っては知ってる人が皆帰って一人になった。その悲しみが少しはあるかと思いきや微塵もないらしい。キラキラした目で海を見てた。そうだ、若い心には悲しいフリとかそういうのはいらない。隠さぬワクワクがニキビ面を覆っていて嗚呼おじさん羨ましいと唸った。

そうそう、船といえば飲酒だ。顧問のバックに3本入ってるのを知ってた。
顧問に呑みますかと聞いたら就労日の午前は呑まないという回答を得た。さすが45年サラリーマンを勤め上げた人、立派だ。
青年にも聞いた。二十歳だから呑める。が、授業の一環だから呑まないと言った。立派だ。
もう一人同行人が増えた。市役所30代の若者で記録係だそう。彼にも呑まないかと聞いたけど「17時までは絶対呑みません」という回答を得た。立派だ。
「立派じゃないのは僕だけ」
ふと見たら複数人での飲酒は禁止と書いてあった。

一人で呑めって貼り紙を初めて見た。この貼り紙、立派な人たちは一切笑わず僕だけ笑った。

ほとんどの人が飛島を知らないから説明すると酒田から39km山形県唯一の有人離島らしい。人口は150人くらい。昭和中期はその10倍以上いたらしい。人口減少と少子高齢化が一番の問題でニッポンの未来を先取りしてる事から、この島で産学官が色んな社会実験をしてるそう。その社会実験の一つとしてカラクリ屋も呼ばれた訳だけど、何を期待されてるのかサッパリ分からん。教授たちはインテリや行政が喜ぶ論文を書けるけど僕は書けない。こういう駄文を書いたりモノを作るだけの中年だ。
「うーん調査合宿と言われても、何を調査するのかさえ分からん」
フェリーで1時間15分、海を見ながらやれる事を考えたけど、考えれば考えるほどアホらしくなった。そうだ興の向くまま自然にブラブラしてたら僕の事も分かって頂けるでしょう。その上でやれる事やれない事を正直に話し、僕を使えそうな事があったら島の人に「そこ使える」と言って頂く。
気が楽になった。昨日もそう思ってたけど今日も旅行に来たと思う事にした。

飛島に着いた。
港の先に三角の建物があって、あれが天空の城でいうラピュタの中枢、島のナウい所を大集結させた施設らしい。(飛行石の代わりとなる島専用火力発電所は左の奥にある)
三角建物の下で手を振ってる人たちがいて、それが飛島で僕たちを構ってくれる人たち、島では通称「ゴウトビ」と呼ばれるメンバーで「合同会社とびしま」の略らしい。
言われるまま車に乗って旅館に案内された。荷をおろすと滞在3日間の説明があった。要約するとこうだ。
「初日は島を案内します、後は自由行動、興味のあるとこバンバン行って島の事を知って下さい」
朝食7時半、夕食18時、それ以外は時間を気にせず滞在51時間を過ごすという理想の時間割を得た。
早速J女史の案内で島の探索に出た。
J女史は島ガイドのエースらしい。大学時代に島へ住み付いたらしく、地理植物文化歴史、全てに精通していて、どんな質問にも淀みなく答えた。声も通るし姿勢も凛としていて宝塚の劇団員が学者になったような人だ。
一番感心したのは猫の話。交配が近いから奇形が多いそう。凛とした口調で唱えられる「近親交配」その言葉にいやらしさのカケラもなく、彼女が卑猥な言葉を発したとしても全てシモネタフィルターで浄化され、至極真っ当な学術用語に聞こえるだろうと思った。
そのJ女史を筆頭に仙台の青年、17時まで呑めない役所の若者、顧問、カラクリ屋、オシャレ夫婦♀、計6人ドラクエみたいに並んで歩いた。

オシャレ夫婦♀について説明する。
我々を世話してくれるゴウトビという組織には分かりやすいオシャレ担当がいて、夫婦でオシャレを担ってる。夫は常に毛先をいじり併せてスマホもいじってる。企画とデザインが得意らしい。彼はオシャレ夫婦♂と記す。この夫婦には島唯一の0歳児がいて彼は子守りで来なかった。で、代わりに来たのがオシャレ夫婦♀、彼女もシュッとしていてオシャレ。新潟で民宿をやってるらしくスマホで運営しながら掃除とかの実作業は現地の人を使ってるそう。スマホを使いこなす人たちの言ってる事はサッパリ分からん。よってオシャレという日本語でごまかす事に決めた。
とにかくJ女史に引き連れられ6人で1時間くらい歩くのだろうと思った。が、J女史はスパルタらしい。みっちり3時間歩かされた。
僕も悪かった。島の一番端っこに八幡神社があり、そこに行けるのか聞いてしまった。行けるかどうかは行かなきゃ分からない。6人パーティー全員行くハメとなり、僕だけならいいけど全員草をかき分け虫と戦いながら歩く冒険コースに付き合わせてしまった。
島の広さは一周10km、南と西と北東を回ったところで15時を過ぎた。J女史は未だ疲れずまだ行くぞて感じだったけどパーティーは内地から来たもやしっ子が大半。明らかに質問の数が減り、J女史の「次はどこ」って声に一同シーンとし始めた。
「では宿へ戻って後は自由としましょう」
僕は疲れてなかった。でも気疲れしてた。若い頃からずっと一人で旅してたから団体行動が苦手だった。みんな見たいものが違う。僕はヒョイヒョイどっか行くし変な所で止まるから他の人も気疲れしてたに違いない。
一人になり俄然本気になった。
先ほどスッと通った神社に戻った。この神社は飛島で最も御積島に近い。御積島には龍神様が棲むらしく古くから船乗りの神域らしい。
こういうのが好きだ。古事記に出てくる舌を噛み切りそうな名前よりリュウジンサマの方がきっと船乗りも好みだろう。今も昔も権威は長く複雑にしたがるけど庶民は短くて分かりやすいのが好きだ。
「気が合いますね」
船乗りの心と会話しつつ神社の隅に小さな祠を見付けた。大きなドアは開けないけど小さなドアは全て開けたい。本間某さんのお札があった。

住所も書いてあったから調べると酒田市船場町、内地の人だ。
飛島の人は子供が大きくなると高い割合で酒田と飛島に家を持つらしく、離れた事で代わりの何かを龍神様のそばに置いたんじゃないか。そういうのを夢想しながらフラフラ歩く。だから僕は時間がかかる。団体行動に向かない。

日月星の石碑もさっきは通り過ぎたから戻った。ジツゲツセイと読む。

天体の動くものを指す。つまりは空って意味だけど龍(海)を祀る神社に空もセットでいるところに船乗りの祈りを感じた。
ちなみに鳥居も三日月ぽいのが付いてて、木戸にも太陽と月の切り欠きがあった。

こういうのは様式でなく島人と職人の好みだろう。島が選んだ職人に任せ、遠いから神社庁とか上の組織がうるさく言わない。島っぽくていいなと思った。

16時過ぎだ。まだまだイケる。
島は煎餅みたいに平べったい。島の中央、台地の上を東西に一本の舗装路が走ってる。人呼んで中央ハイウェイ。海抜ゼロからハイウェイまで一気に上る。まぁ上ると言っても一番高い所が60mしかないから昨日登った飯盛山と大して変わらぬ。
背骨は舗装路だけど左右の骨は肩幅程度の未舗装路で人が通らないからクモの巣が凄い。やぶ蚊も凄くて立ち止まると数十カ所まとめて刺される。特筆すべきはアブ。古来より開拓の敵はアブ、北海道の開拓で一番人を殺したのはアブらしい。そのアブが耳元をブンブン飛んで離れない。

夏草の茂りも凄まじい。手元の地図に載ってる道を進んでるつもりだけど草と道の境界が怪しい。ポイントは看板と溜め池。この二つで現在位置を知り、ハイウェイに出て安心する、その繰り返しだった。
虫には感心した。追って来るのは獣道だけ。ハイウェイに達すと即座に離れる。暮らしの線引きを心得ていて実に気分がいい。ハイウェイ戻る、ハイウェイ逸れるを繰り返し、山上探索を西から東へ続けた。

東の先、高森神社がよかった。手元の観光マップで推してるけど見付からず、宝探しのようにしつこく探した。
「あった」

笹の先に笹に紛れて鳥居があり、見付けた時は歓喜した。

ハイウェイは東のドン突きでヘリポートに達す。ドクターヘリ用のヘリポートだそう。
ここから下ると総合センターという役所へ出た。そこに古い救急車があった。現役だそう。

小さな診療所はあるけど病院はない。
「この救急車どういう時に誰が使うのですか?」
後に出会った役所の長に聞いたら消防署の職員も2名派遣されてるそう。その職員が診療所にいる患者をヘリポートへ搬送する際に使うらしく救急車の中はストレッチャーのみ。医療器などはなく広々としたサイレンが鳴る普通の車だそう。
「前回出動したのはいつですか?」
思い出せないらしい。その代わり、
「2年に1回ちゃんと船に乗せて酒田で車検受けてるよ」
貴重な情報を得た。

小中学校は現在休校中らしい。閉校ではなく休校ってのがポイントだそうで「復活の希望は捨ててない」その話を聞いてから立ち寄った。

「なんと!」
希望の像というのがドーンと建ってた。少年二人が立ってる像で話の通り希望の圧を感じるかと思いきや顔がどう見ても異国、マラドーナがモデルじゃないか。よく分からぬ国際的圧力を感じた。

それから先は南岸道路をボチボチ歩いた。南岸には二つの集落が並んでる。集落というのは隣が一番仲悪い。
この島は勝浦、中村、法木という三つの集落から成る。法木は峠を挟むから大した喧嘩はしないけど勝浦と中村はしょっちゅう喧嘩したとものの本に書いてある。
集落の間に洞窟があって、その洞窟を昭和30年代、島の悪ガキが肝試しで探検したそう。すると洞窟の奥から白骨遺体が22体も出てきた。
洞窟は仲悪い集落のちょうど境、地図で見ても真ん中だ。両集落の少年たちが互いの肝を試し合う場として最高だ。
少年たちの燃える心が分かる。右集落は左の集落をけしかけ、左は右をけしかけた。その洞窟には決して入るなと大人に言われてる。言われてるから双方の悪ガキは集落のメンツをかけて入らざるを得なくなった。右が左に、左が右に負ける訳にはいかなかった。
それが思いもかけず大ごとになった。死体発見と聞いて両集落から血気盛んな大人たちが「うおー!」ぞろぞろ出てきて向かい合ったに違いない。そう考えたら爽快で、田舎に住む者なら手に取るように絵が浮かぶ。
「やりやがったのは誰だ!」
「誰がやられた?どっちがやった?」
酒田から警察も来たらしい。が、どうも様子が変。その骨は平安時代の骨だった。歴史的発見の瞬間だった。
日本の海で暮らした古い民族は波が削った洞窟を埋葬の適地とした。今も沖縄にたくさんあるけど、それが1000年後、悪ガキの悪ノリで発見された。何てステキな話、旅の途上おじさん勝手な想像盛り上がっちゃう。
洞窟は観光地となり電灯が点いた。白骨は鶴岡の博物館で保管する事になった。一番奥まで歩いて「ここに骨がありました」J女史に説明された場所に15分ぐらいいた。何か出るのを期待したけど何も出なかった。
洞窟は夜10時まで灯が点いてるそう。その晩、酒を呑み呑み肝試しに行こうと話題を振った。が、シーンとした。僕はオバケより宴席のシーンが怖い。
「夜の洞窟に触れてはいけない?もしかしたら島の禁忌?なぜ黙る?」
聞けなかった。

洞窟の隣には婦人大防組発祥之島、その碑があった。

男は漁に出るからいない。火が出たら島に残った女たちが消さねばならず、1910年、日本初の女性消防団ができた。
案内役のJ女史は島の消防団にも入ってるらしく副分団長だそう。
仙台から来た青年も地元の消防団に入っているらしい。
「学生で入っとると?」
「はい!団が付くのが大好きです!」
この青年はやっぱり変だ。高専ではラグビー部と応援団に入ってるらしく、なんと応援団長らしい。巨大なキャリーケースから続々変なモノが出てきた。応援団のTシャツ、8歳から着用している迷彩柄のはち切れそうな帽子、仙台で買い込んだお菓子。全てにおいて迷走してる感じがよかった。

宿に戻って風呂に入り、顧問とビールをガブガブ呑んだ。
17時を過ぎ役所の若者も青年も呑むと言い始めた。ビールは3本1000円だ。僕も顧問も若者におごりたい。ジャンケンは恥ずかしいから順におごった。
それから食堂で飯を食い、20時頃からゴウトビの人が集まって一緒に酒を呑んだ。こういう事もあろうかと顧問が熊本から焼酎2升送ってた。みんな意外と呑んだ。2日でほぼなくなった。
ゴウトビ社員のキャラも際立ってた。J女史が一番濃いと思ってたけど更に濃い女性が来た。青ヶ島出身のKちゃん。島から島を渡り歩いてるらしく独特のオーラがあり無類のムーミン好きだった。申し訳ないが出った瞬間「きみ独特」褒めてしまった。
呑みながら僕に期待されてる事も少し分かった。飛島の観光を盛り上げる何か凄いのを作りたいらしい。とりあえずお金の事は気にせず好きに発言してと言われたので好き勝手発言した。
呑み会は盛り上がった。お金の事を気にしないモノづくりの話ほど楽しいものはない。ゴウトビの人たちはお祭り騒ぎだ。
「そのアイデアいい!頂き!キャー!絶対作ろう!」
が、僕は18年モノづくり屋をやって知ってる。翌朝冷静になり、さぁそれをホントに作るとなると大変だ。夜の話はなかった事にした方がいい。
呑み会は日をまたぐ寸前まで続いた。顧問は9時頃サッサと寝た。年寄りは9時を過ぎると眠くなると言ってたけど後にそれは嘘だと分かる。69歳以上の女性がいないと退屈らしい。
二十歳の青年は酔った。今も昔も彼女なしと胸張って言うからゴウトビのKちゃんと連絡先を交換させた。そこまではよかった。その後Kちゃんが帰った後、緊張の糸が切れた。
「うっ!」
これを最後に便所にこもった。
この青年は常に期待に応えてくれた。3時間前こういう会話をした。
「吐くまで呑んで己の初日を後悔したら君の旅行は完璧だ」
「吐きませんよー、吐くわけないじゃないですかー」
吐いた。
役所の若者が呼びに行くけど出てこない。扉の向こうで「分かってます、はい分かってます」何を分かってるのか分からないけど「分かってます」を繰り返した。
出てきた青年を部屋へ届けて呑み会は終わった。
終わり間際、ゴウトビのオシャレ夫婦♂が言った。
「明日はカラクリさんのアイデアを現地で確認しましょう、9時集合という事で」
「本気か?」
会議のアイデアはカタチにならないけど呑み会のアイデアは意外と突っ走る可能性もある。18年もやってるとそういう事も知っていて、スマホをいじるオシャレ夫婦♂♀のオシャレな笑顔が怖かった。