第160話 酒田飛島出張報告3(2024年12月)

仕事

[三日目]
三日目は雨だった。
雨なのに9時集合、現地へ行って昨日の話のつづき、連絡船の歓迎システム、その現地調査をやると言う。
「本気か?」
昨日も思ったけど今朝も思った。どうやら本気のようだ。全員車に乗せられた。

で、島の中枢とびしまマリンプラザへ行き「ここにこういうロボットがあったら楽しいんじゃないか」構想会議が始まった。
言い出しっぺの僕はとりあえずロボットの事を具体的に喋る。オシャレ夫婦はそれを聞いてああだこうだと興奮する。顧問と役所の若者は眠そうに写真を撮る。仙台の青年は二日酔いで一切喋らずウロウロしてる。
仕事っぽい時間と言えば唯一この時間だけど、1時間ぐらいワイワイ話して宿へ戻った。

宿に着くと雨が本降りになった。
本来なら今日から東北大学の一団が合流する運びになってたらしい。が、その一団は船が出ず今回の合宿は不参加となった。
これくらいの雨で船が出ないのかと思ったけど船は雨や雪というより風で欠航になる。で、寒くなるほどその確率は上がり、真冬は1週間足止めとかあるらしい。

雨は止まない。部屋でゴロゴロした。
我々の他にも退屈してる人がいた。郵便局の二人組だ。今日帰る予定だったけど船が出ず旅館へチェックイン。廊下の休憩所で話をされてたから島の話を聞いて暇を潰そうと思った。が、職場も一緒の二人ゆえ特に話もないらしい。向こうがシーンとしたらコッチの心もシーンとし、つい朝寝してしまった。
1時間ぐらい寝た。昼になってた。顧問から昼飯行くかと電話があったけど動いてないから全く腹が減ってなかった。その事を伝えると顧問も同感だと言った。
雨は13時15分に上がったと手帳に書いてる。具体的な時間を書くぐらい嬉しかったのだろう。メンバーも嬉しかったに違いない。皆一斉に旅館を出、散策を始めた。
僕は浜伝いに島をぐるり歩こうと思った。
「この海岸は徒歩で行けますか?」
昨日J女史に聞いたら2ヵ所は行けないと言われたけど1ヵ所「分からない」と言われた。分からないなら行ってみたい。
北のミヤダ浜という所から西海岸をグルリ回って宿へ戻るという道を選択した。
ミヤダ浜へ行く途中メンバー全員に会った。みんな無料のレンタル自転車に乗ってた。バカだなぁと思った。自転車で冒険の自由を失ってた。みんな坂を登りたくないから坂の上に自転車置いて浜へ出てた。
「自転車取りに戻らんといかんやん」
僕は浜伝いに冒険へ出、自転車乗りは自転車に縛られ浜に出ちゃ山へ戻るを繰り返した。
「人はほっといて冒険冒険」
干潮なら行けるかもと言われた海岸は1回波を浴びただけですんなり行けた。

それにしても外洋の波は凄い。飽く事なく島を削ってる。ガリガリガリガリ地球の突起物をただただ削り、地球ものっぺらぼうにさせまいと新たな突起物を作り続ける。
「これも一つのムダじゃないか」
僕のやってる事を嫁も子も仕事をくれる客でさえムダの2文字でバカにするけどムダこそネイチャー。何だか地球に肯定された気がした。
もう一つ「最高」と唸ったのが携帯。
この島の海岸は南と東に人がいて北と西は人がいない。いなけりゃ電波を飛ばす必要もなく浜へ出た瞬間アンテナゼロ。

手帳の記録に「携帯入らず最高、浜で昼寝する」と書いてる。
雨の旅館で寝るし、散策の浜でも寝るし、結局この日は寝て過ごした。
さあ夜だ。
最終日の夜はBBQだそう。
J女史の夫が料理人で横文字のBBQソースがズラリと並び、何を食ったか忘れたけど夢中で食った事だけ記憶してる。
申し訳ないが出張報告1と2は20日以内に書いたけど、この3は110日後に書いてる。理由は簡単。書くのに飽きてしまったからで手帳に残してない事は記憶が薄い。
よってこの晩なんと書き残したか、それを清書して宴会の話は終わりにしたい。

役所の長が呑む前に釣りしてた。全く釣れてなかった。
その長が離島勤務でいい事は釣りが上手になる事だと語った。なのに今日釣果がない事を島の誰もが突っ込まなかった。島における絶大な権力を見た。

顧問は今日も一人サッサと9時に寝た。

青ヶ島のKちゃんは製塩所の娘だそうで青ヶ島の塩を貰った。お礼に何かあげたいけどムーミン以外興味ないと言うからあげるものがなかった。
そのKちゃん、島の水道を管理してるらしく、島の名産を作りたいと言ってたから「炭酸入れてKちゃんサイダーで売ったら」と冗談で言ったらオシャレ夫婦が喰い付いてビックリした。オシャレ夫婦何でも喰い付く。

沖縄のスナックでよく見る南国風のママがいて「出身沖縄ですか?」と聞いたら「地元です」と返されゴメンナサイと謝った。

島サミットってのがあって日本の離島から人が集まる。その会場で一番盛り上がる話は「佐渡は島じゃない、大陸だ」我々にはよく分からぬが離島あるあるだそう。

まだ起きてる0歳児がいて「11時だ!0歳児は寝る時間です!」そういう理由で呑み会が終わった。誰も逆らえない最強の理由だった。

以上、他にも書きたい事があったけど忘れた。

[四日目]
飛島さよならの日だ。
昨日とは打って変わって晴れ。13時に船は出るらしい。
皆ギリギリまで散策すると言ってるけど僕は飽きた。旅館の談話室で朝のビールを呑み、次いで電波の入らない西海岸でもう一本呑んだ。
分かっていたけど僕は退屈に弱い。退屈な人のためにスマホなるものが開発されたけど僕は持ってない。何か探す必要があった。
海は山の民の退屈を慰めてくれると思ってたけど3日も見ると段々飽きて、昨日は90分、今日は30分で飽きた。
宿へ戻る途中、仙台の青年に会った。出港まで1時間半もあるのに巨大な荷物を引きずってた。
「もう待機しとるんか?」
言うてたら隣に顧問がいて、その顧問も荷物を持ってた。皆なんと気の早い事。そんなに早く帰りたいのか。
宿へ戻り荷をまとめて三角形のマリンプラザへ戻ると全員集合してた。
さあ別れの時だ。
みんなで記念撮影した後、各自勝手に乗船した。
ふと仙台の青年が気になった。
「青ヶ島のKちゃんと連絡先交換したろ、最後に何か気の利いたこと言わんでええと」
おじさんは島を出る若い青年と島に残る若い娘の別れ際が気になる。というより何かあって欲しい、何かあって感動したい、可能ならば爆笑したいと祈ってる。
青年は連絡先を聞いただけで何も行動を起こしてないと胸を張って語った。もう青年つまんない。で、Kちゃんは見送りに来ないのかなと港を見たら何と太鼓を持って現れた。
「太鼓!」
次いで昨日呑んだ役所の長とか初見の郵便局員とかも見送りに来て旗を振ったりしてくれた。

「うーん…これには敵わん…」
思わず唸った。
観光のため港にロボットを設置しようというのが昨日の話。が、血の通った人間にわしゃわしゃ見送られ、これに敵うものはないと思ってしまった。
レギュラーシーズン1日1往復、つまり2回の歓送迎、ハイシーズン1日2往復、つまり4回の歓送迎。今回のロボット歓送迎というのは僕が駅に作った無人歓迎システムを港に作ろうという事から出てるけど、駅の方はローカル線とはいえ1日22回も汽車が来る。これに毎回手を振るのはムリだけど2回4回なら振れるんじゃないか。ロボットに任せたらこの味がなくなるんじゃないか。更に歓迎は他人だけど送迎は知人になっちゃってる。
「この最高の味をロボットが壊すんじゃないか?」
不安になった。
そして、
「ハッ!」
ふとKちゃんを見たら腰を落とし全力で太鼓叩いてた。

オシャレ夫婦♀に至っては大漁旗を振って何か一生懸命喋ってた。役場の長も多分これから釣りに行くんだろうけど青いジャージ着て何か言ってた。眠そうな初見の郵便局員でさえなぜか無性に愛おしい。船の音で何を言ってるのかさっぱり分からないけど、なぜだろう泣ける。

この島に無人歓迎はダメだと思った。島の中枢マリンプラザをロボで満たしたとしても多分これほど響かない。
「響くのは人の個性、ロボはその個性を誇張すればいい」
例えばKちゃんの背中に紅白の小林幸子みたいなド派手ギミックを付けて太鼓叩いてもらう。例えば役場の長は釣り竿を持たせ上下に動く筋斗雲に乗せ偉い感じを出す。オシャレ夫婦には巨大スマホの着ぐるみを、昨日一緒に呑んだ沖縄ぽいママには夜の衣装を、J女史には海外インテリ卒業式の服を着せ帽子を投げさせる。
昼だから光りものは使えない。人間の個を光らせるギミックが先、その上で予算があるならバックダンサーとして打ち合わせのロボットを作ればいい。
人間の迫力に感動した。
見えなくなるまで見送りの一団を追い、見えなくなると島はアッという間に手のひらサイズになった。

旅の楽しみは知らない土地に血が通い始める事だけど、離島の強みはその余韻があふれるほどに濃く強い。船が離れ島が小さくなるほどギューッて凝縮される感じ。
この最強ツールに嫉妬。
「連絡船めー!」
嫉妬で飛島が終わった。

尚、以下は出張報告書の余韻となるが旅の山場でもある。
この晩、酒田で泊まる宿は僕が見付けた。元遊郭の宿で、古いけど今もそういう造りらしい。
古い港町といえば遊郭だ。是が非にも泊まりたく探しに探し1軒だけ見付けた。が、電話するけど繋がらず、やっと繋がったと思ったら老婆が出、宿泊日だけ聞かれガチャンと切られた。僕の連絡先とか一切聞かないから予約できてるのか心配で何度か電話した。全く繋がらなかった。
まぁいい。そういう宿の方が何かおもしろい事があるだろう。
顧問はネットで宿をとってた。が、僕がそういう宿をとったと言ったら普通の宿をキャンセル、こっちにきた。
「そっちの方が何かおもしろそう」
顧問はそう言ったけど宿へ着いて絶句。古い暗い怖い、もし幽霊というものがこの世にいるなら必ずここに出るぞという雰囲気があった。後にそれは当たる。
予約は通じてた。
暗い玄関で何度か叫ぶと老婆が出てきた。
「予約の方ね」
そう言われ泊まる部屋に案内された。部屋は横綱の間、一番広い部屋で過去には巡業中の横綱が泊まった事もあるそう。

「宿を探検してもいいですか?」
老婆に聞いたら老婆の居住空間以外はOKと言われ、広い2階やたくさんある小部屋を全部見せてもらった。
2階の広間で「敬天愛人」酒田と言えばの西郷愛を発見した。

「やっぱり西郷隆盛お好きですか?」
老婆に聞いたけど「好きとか嫌いとかそういうんじゃなく敬天愛人」もう内容とか誰が書いたとかどうでもいい、そういうのは超越し、一時代前の酒田の旗になってる感じがした。
置物のセンスも抜群だった。
小部屋に一つは置物があり、それが夜中に暴れ出しそう、ロマンを感じた。

中庭もあった。
「遊郭づくりといえば中庭ですよね」
「はい、ありますけど荒れ放題で」

老婆とそういう話をした。実際荒れてて何も言えなかった。
とにかく昭和中期、赤線廃止まで貸座敷31軒、娼妓100人を抱え、大いに賑わった酒田の遊郭だ。周りを歩いたけどその名残は一切なく、この宿だけが、この老婆だけが、小さな名残を一生懸命守ってる。
「ありがたいです!」
顧問もこういうのを見るのは好きらしい。宿の探検をたっぷりやった後、別行動で街へ出た。

手帳に残した記録によると「15時半から17時半まで酒田の街を探索す」と書いてる。
どれぐらい歩いたろう。
これを書きつつ地図を見ながら追ってるけど2時間で8kmぐらい歩いてる。その道と写真を照らし合わせ、併せて記憶も追ってるけど長くなりそうだから史跡の事は書かない。呑み屋街の事を書く。
酒田も他の地方都市と同様、呑み屋街から先に廃ったようで「あなたの夜の寄港地」が潰れてた。

開いているなら是非寄りたい。噂で聞いた東北最後のキャバレー白ばらも2年前に潰れたそう。

呑み屋のママが言う「若者が減った」「皆ふところが貧しくなった」それもあろうけど娯楽の選択肢が増えアルコールが優位性をなくし、地元の人も観光客も出張者も部屋から出なくなった。
デジタル時代は夜の街にとって冬の時代だけど僕や顧問みたいな時代おくれもまだまだいる。静かな街に静かなエールを送った。

最後の夜だ。
17時半に顧問と合流し賑わってる居酒屋を選んで入った。
僕も歩いたけど顧問もたくさん歩いたそう。たくさん歩いて喉が渇いた上、飛島では毎晩9時に寝て体調バッチリ。顧問だけは絶好調、普段以上にピッチが速かった。
「次はどうする?」
僕は遊郭の名残を体感したく、せっかくなら遊郭の宿でチビチビ呑みたい。が、顧問はこの街で69歳以上の女性と是が非でも呑みたい。
とりあえず僕の見立てで次の店に入った。顧問は「よし」と唸ったろう。高齢のママが一人でやってる店だった。幸い他の客はおらずママの爆裂トークを二人占め、お世辞抜きでママのトークはおもしろかった。
十代から夜の酒田で働いてるそう。景気がよかった時代は大勢の人を抱え、複数の店を持ってたけど今は一人、小さな店で細々やってるそう。
店の名がよかった。古い歌に出てくる呑み屋の名前でそれをママに言うと手を叩いて喜んだ。そういう客を狙ったそうでまんまとはまってしまった。
ママは酒田という町の行政についても教えてくれた。
鶴岡と酒田が仲悪いのは初日呑んだ時も聞いたけど、やはりニューヨークとワシントンの関係で、鶴岡は重厚どんより行政の街、酒田は軽薄ハッピー商人の街らしい。
「明るいのはいいのよ、でもね、それをずっと引っ張って今も酒田は豪商の町、それって凄くなーい」
どういう事かと言うと有名な言葉がある。
「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」
本間様は豪商で、酒田の町では行政の長より豪商の長が偉い。で、今その豪商の長ってのが牧場経営者だそうで、経済だけでなく行政も教育も動かしてるそう。
「酒田らしくていいじゃないですか」
「いいんだけど今の時代よ、今の時代なのに凄くない?鶴岡の人には絶対理解できないわ」
自分の理解できない事を思想の対照的な隣町に言わせるという方法は人間社会の常套手段で、例えば東京と大阪、熊本と八代、宮地と内牧、どこにでもあって、それを酒田という東北の街で見れたのはほっこり、でも一つ気になったのは本間様は最終的に神になる。

さっき歩いてきたけど光丘神社というのがそれで「本間家を最高に盛り上げ、人に尽くして神になった」そういう事になってる。
本間様の跡を継いだ牧場経営者はプレッシャーに違いない。今の時代の民衆は全方位うるさい。

ママの話は尽きない。
年上女性の話し相手を得た顧問は寝そうにない。
僕はもう帰りたい。
年下は言っちゃいけない言葉だけど「先に帰っていいですか」やんわり聞いた。すると顧問、満面の笑顔でグーと言った。早く帰って欲しかったのだろう。早く帰ればよかった。
そういう訳で一人宿に帰ったけど、それから先が初体験、貴重な経験をした。
一寸先も見えない真っ暗闇の玄関で呼べど叫べど人が来ない。老婆は寝てしまったのか。補聴器を付けておられたから外されたのかもしれない。
玄関左の奥が漆黒の仏壇で、そこだけが小さな光に照らされ怪しく浮かび上がってる。
「ダメだ、行こう」
遊郭づくりを6時間前に探検したから間取りは何となく分かってる。壁伝いに突き当たりまで行けば部屋に着くはずだ。途中階段があった。
「そこは気を付けろ」
自分と対話しながら奥へ進んだ。ホントに何も見えない。
想像して欲しい。真っ暗闇、古い古い人んちを壁伝いに進み、突起物にぶつかるたび「これは何だ?」頭の地図と照合する。最後に部屋の電灯、そのコードに手が届いた時、なんだろう、ふるえるほど歓喜した。
顧問は1時間後タクシーで帰ってきた。
廊下の電灯を全部点けたから酔った顧問は部屋に辿り着けた。その顧問に暗くて壁伝いの話をしたら嘘だと言うから試しに廊下の電灯を消したら壁に激突、
「暗い!」
村田英雄ぽく唸った。
顧問はぐでんぐでんなのに風呂へ行った。壁にガンガンぶち当たりながら廊下を歩いた。電灯を点けても暗かった。

これが遊郭の廊下だ。100年前の酔客もこの廊下をこういう風にフラフラ歩いたに違いない。酔った顧問と暗い廊下が絵になった。
更に恐怖は続く。
午前3時。尿意で目覚めた。廊下の先、暗い厠へ行かねばならぬ。
行った。で、小便器による立ち小便が終わる頃、背後の大便小部屋が開いた。
キー…。
他に人がいるなんて知らない。顧問は寝てた。誰だ?ゴクン唾を飲み、スローモーションで振り向くと白装束(たぶん寝巻)の老婆がいた。
初めてだ。大人なのに「ギャー!」と叫んでしまった。
老婆は補聴器を外し耳が聞こえないのだろう。「おはようございます」小さな声でそう言って闇の奥へ消えた。
それから興奮して寝れなくなった。こんなに怖かったのは生まれて初めて。小便スッキリ、で、振り向いたら白装束の老婆「ギャー!」まるでドッキリじゃないか。
ドキドキついでに他にも何かないか探した。部屋の電気を点けたのに顧問はぐっすり。起きる気配もない。
戸棚を開けようと思った。見た感じ数年開いてない気がした。凄いの出るかもしれない。
「ドキドキよ、更なるドキドキで鎮まれ」
開けた。

23年前の少年雑誌が出てきた。触ると手が真っ黒になった。
戸棚を閉じたら落ちついた。
「アホらし寝よ」
独りごち、起きたら翌朝、出張が終わった。
これにて酒田飛島出張報告を終わる。