第38話 恋慕の人と芸術(2008年9月)7KB

南阿蘇

阿蘇の音楽家といえばビエントである。西原村に住んでいる二人組で美女と野獣の組み合わせがビジュアル的に何ともいえない。音もいい。情熱家の私にとって意味不明に鬼気迫るサビの部分は何かをやろうとしている時に具合が良く、仕事のBGMとしては打ってつけである。ただし、私は音楽に関し無知の極みにある。従って、ろくな感想が言えない。素人の発する好きか嫌いか、そのレベルであるため実際は己が耳で聴いてもらうのが一番よく、薦める事はできない。私は「断崖の翼」「戦人」という曲をその盛り上がりっぷりにおいて好んでおり、嫁子供は「名もなき草花たちの行進」「ありが10ぴき」、それらが軽妙で心地いいらしい。芸術というものは家族でも意見が分かれる。
ビエントとの出会いは四年ほど前である。当時、阿蘇市の会社へ山鹿から通っていて通勤に片道1時間半を要した。それが辛かったため、内牧のライダーハウスへ泊り込む生活を続けた。その時、管理人から薦められたのがビエントで、半ば強引にコンサートへ連れて行かれた。それ以来、近場でコンサートがあれば必ず見に行っている。が、ファンというには遠いような気がする。好きではあるが何が何でも見なきゃいけないという熱意はないし、真似しようとも思わない。ビエントがなくとも生きていける。
(そもそもファンとは何なのか?)
考えた事もなかったが、先日ある音楽家を見て、
(ああ、そういう事か)
漠然とではあるが、何となくファンというものを理解する事ができた。
今、長女が「孝女白菊の会」という舞踊の会に入っている。孝女白菊というのは明治に書かれた大衆文学で、西南戦争時代の阿蘇を舞台にしている。ストーリーに無理があり、登場人物は高飛車で、ハッキリ言って面白くないが、過去に教育文学として全国的認知を得た実績があり、今更ではあるが阿蘇観光の呼び水として期待されつつある。
長女はその一端を担うかたちで様々なイベントに呼ばれ、ステージに立ち、小さな体を揺すっている。踊りが好きな長女にとって村の思惑はどうでもいい事で、無邪気に和装と化粧を楽しみ、親も子の舞台を楽しんでいる。で、この日も村内でボランティア祭りというイベントがあり、長女はモジモジしながらステージに立ったわけだが、そこにビエント好きのバンドが出ていた。パンフレットによると「風夢」というバンドで、本来は三人組だが今日は一人が欠席し、二人でやるという。最初、中央に立っているおじ様が馴染みの赤帽さんにソックリで、
(あの人は酒以外にこういう趣味を持ってたのか!)
ビックリしたものだが、話を聞くと菊池の人らしく、瓜二つではあるが別人であった。もう一人の女性は光の森という県下最強の新興地から来たらしく、育ちの良い音楽家、そのゆとりある雰囲気を漂わせる正統派美人であった。
この二人、登場の段階から何となくビエント的芳香を放っており、美女と野獣の組み合わせ、取り出したオカリナ、そしてハーブに向かう女性の笑顔、全てがビエントを真似ているように思われ、
「このバンドはコピーバンドじゃなかろうか?」
「私もそう思う」
客席で嫁と話していたら、冒頭で「ビエントファンです」と告白された。というよりも、風夢というバンドの自己紹介より熱く、「ビエントに感動した」「ビエントになりたい」「ビエントの曲をお届けします」みたいな事を語られ、演奏が始まるとそれはビエントそのものであった。
ビエントそのものをアマチュアがやれば、ビエントを際立たせて終わってしまう。赤帽に似たおじ様もそれは分かっているようで、音が出なかったり間違えたりしながらも一生懸命にやってるそれは演奏をやっているというより「ビエントが好きだ」という心の開示であり、それは傍目に見て、熱意が真っ直ぐ伝わる心地よい演劇であった。
風夢の二人は冒頭からの数曲と終わりの数曲にビエントを入れ、半ばの数曲に本来のスタイルを挿入したと思われる。美人の女性がピアノを弾きながら奄美大島の歌を歌い、続いて赤帽に似たおじ様が「千の風になって」を素晴らしい声で歌い上げた。二人とも芯から上手い。それで飯が食えるような上手さであり、それこそが本来のスタイルなのだろう。が、ビエントの楽曲をやる事に風夢というバンドの主眼があったと思われる。
これは私の想像であるが、風夢は別の名を持っていたのではなかろうか。別の名を持っていたがビエントと出会った事で風夢と名乗ったのではなかろうか。
ビエントはスペイン語で風という意味らしい。風夢の数人はビエントと出会った瞬間、それになりたいという強い夢を持った。風夢は風を追いかけ、その片鱗を食す事でこの上ない満足感を得た。これは想像であるが確信に近い想像であり、その根拠として、ステージ上の風夢に隠しようのない笑みがこぼれていた。
私は今、ファンの真髄、そこに触れている。風夢は与えられた時間の大半をビエントに捧げた。風夢は客を喜ばせる力量を十二分に備えている。それを中盤に放出し、手応えを感じながらもあえてビエントにこだわった。それは心底惚れた者の弱みであり強みであり、風夢というバンドの存在意義であって、これぞまさしくファン、混じりっ気のない恋慕の情ではないか。
私は道具屋である。赤帽に似たおじ様が最後に取り出した笛は見るからに素人作りであった。が、そこに風を追う愛情が滲み出ていた。おじ様は膨大な時間を費やし、その笛を無我夢中で作ったに違いない。世界で一つだけの笛を握り締め、ビエントが愛して止まない阿蘇、そのステージに立っている。音が出ないところもある。はずれるところもある。が、おじ様は誇るべき時間をその笛と共有しただろう。
道具屋として、これ以上、幸せな笛はない。
そして生きる醍醐味を模索する身として、無我夢中に追われるビエントの幸せと苦悩がうらやましく思われた。芸術は人間の営み、その象徴であり、それぞれの喜びと苦しみが交錯せねば前に進めず、ぼんやりしてるといずれ他に飲み込まれてしまう。進み続けるしかないビエントの時間は他に替え難い人生の宝物であろう。
(近所にそういう人たちがいる…)
それが嬉しくて、恋慕の音は胸に沁みた。
一昔前、南外輪山寄りの山西村と長陽村は同じ手永・布田手永であった。手永とは江戸時代の肥後藩行政区であるが、私の住む長陽下田から南外輪山を越え、ビエントの住む山西村小森を通って大八車が行き来していた。行政区は変わり、道は変わり、流れる車も変わってしまったけれど、人の心はそう大して変わっていない。芸術の骨頂は変わっているようにも変わってないようにも見える「心」という厄介な抽象体をどう表現するかにある。
風夢が手作りの笛で吹く「ふるさと」に涙する婆様がいた。婆様は耳も遠く、目も霞んでいるらしい。白い割烹着を濡らす婆様に何が見えていたのか。
「一生懸命ちゅうもんは、見えんちゃ聞こえんちゃ伝わっとですたい」
婆様の言は恋慕の人を震わせ、芸術を震わせ、また新しい芸術を生むだろう。
生きる醍醐味もまた、その心の捉え方にある。