第9話 ポケベルより(2007年4月) 9KB ☆

モノ

新聞記事に載っていたが、NTTドコモがポケベルから撤退するらしい。極めて高いシェアを誇っていたドコモが撤退する事で、ポケベルという我々の青春を支えてくれた通信機器がこの世から消えてなくなる事は間違いない。
首にぶら下げている携帯電話をチラリ見ながら青春時代を振り返ってみた。
私がポケベルを愛用していたのは17歳から18歳の凡そ2年である。
ポケベルには第一期と第二期があり、第一期が20字までの数字で伝えるタイプ、第二期が数字を文字に変換して伝えるタイプだったように記憶している。二つは似ているようで全く違い、私は第二期の複雑な送信操作に付いていけず前者を使い続けた経験がある。この時代、携帯電話はあるにはあったが高嶺の花で、PHSが「電波弱いがクリーンで安い」の謳い文句で登場した頃である。私は花の17歳、週末にはコンパ4回を義務的にこなしていた時期である。
私の通っていた学校は熊本電波高専という元はスパイや暗号解読員を養成していた学校で、その寮たるや軍隊でもやらないような古風な儀式、呼び出し、習慣に満ち満ちており、極めて硬派で昭和初期的なウィークデーを過ごさざる得ない学校であった。このせいで、とは言わないが自衛隊員にもその気があるように、週末は街へ繰り出しコンパに明け暮れた。
私がポケベルを持った時期は遅い。
「俺を縛るものは要らーん、男がそぎゃんとば持ってどぎゃんすっかー」
九州ご多分に洩れず、そのような事を言っていたからで、今でもそういった類のものは不要だと思っているのだが、毎週末コンパに出席していると段々そういう事は言われなくなる。コンパにもお決まりの流れというものがあり、終盤はベル番号交換という儀式があるのだ。ベルを持ってない私は論外と言わんばかりに、
「へぇ、持っとらんと、珍しい」
新種の昆虫でも見つけたかのようにビックリ反応で流されてしまう。これくらいなら肥後もっこすは耐えるのだが、親友のエロ顔はとてもじゃないが耐えられない。
「いやーん、この番号憶えやすかー」
「そぎゃんだろ、憶えてばーい、速攻ベル返すけーん」
そういう盛り上がりを見せていると、断腸の思いで、
「むぅ…、ベル…、必要かもしれない…」
そういう具合になってくる。
で、仕方なく買った。今でも憶えている九州ネットワークシステム、通称KNSというメーカーのもので、その売り子さんと懇ろな仲になったので忘れようにも忘れられない。
携帯はその日から使えるが、ポケベルは一定期間の修行を要す。私はその売り子との30日程度の付き合いで、手取り足取り使い方を教えてもらった。なにせ今思い出しても、送るのは簡単だが読むのが難しい。例えば「こんにちわ」は「50210」、「愛してる」は「14106」、「明日、パルコ前で会おう」は「1410 8650410 10-」、まさに暗号文であった。
通っている学校が元スパイ養成学校だけに、私はすぐポケベルにはまってしまい、コンパで知り合った女性と暗号文のやり取りをしまくった。
18歳も後半になるとポケベルも第二期に入り、文字で送れる代物が出てきたが、こちらは読むに易いが送るに難い。すぐに挫折し、皆が新ポケベルに切り替えているのを横目に、私は旧態依然の暗号文を送り続けた。
そんな中、私はあるコンパで22度目の恋をした。その人が好きでたまらず、ある晩、今すぐ思いを伝えたい衝動に駆られ、「103919」(今すぐ行く)そのベルを送った。彼女は家の人に私を見られたくなかったのだろう、先回りして外に出ており、私を近所の公園に導いた。思いを告げ、明日までに返事が欲しいとブランコに揺られながら熱っぽく叫んだ。
興奮状態で鼻歌を歌っている帰り道、ベルが鳴った。
「7110166 1071」
彼女からだった。しかし読めない。後半の「言わない」は何を言わないのか、その晩、この暗号解読のため、ほぼ徹夜した。
翌朝、彼女に会うため約20キロ自転車をこいだ。この時代、電話という選択肢はない。なぜなら親が出たらシドロモドロになってしまうからだ。電話をする場合はベルを打ち、必ず本人が出るように仕向け、更に話す内容の台本を作ってからかけた。そういう時代もあった。そうやってアポをとり、彼女指定の場所へ駆けつけた。バイクがあるのに自転車で行ったのは、単にエネルギーが有り余っていたからか、若かったからか。よく分からない。
そんな私へ彼女の第一声、
「何で来ると? 返事はしたたい」
これであった。
困惑する彼女、更に困惑する私。いつ返事を貰ったのか私に記憶はない。オロオロしていると、返事は公園を出た後すぐにしたと言う。つまり読めなかったベル、あれが返事なのだろう。解読困難であった旨を伝え、「その口で聞かせてくれ」と詰め寄った。
「言えんよー」
頑なに拒否し照れる彼女に、
「女の口から何を言わせるの?」
その甘い匂いを嗅ぎ取った。私はすぐさま鈍感な自分を恥じ、そして丁寧に丁寧に謝った後、場をスキップにて去った。恨めしそうに私を見る彼女の冷たい視線もその時は熱視線に感じられ、キュンときたものである。
さて、それから数日後、暗号解読名人と言われていた友人と飲む機会があり、彼女からの不明な一文を見せたところ、彼は一瞬の内にそれを解読した。申し訳なさそうに内容を告げる友人。泣き崩れる私。そして彼女の挙動を納得、自分の勘違いを発見、悲しいやら情けないやら・・・。
「7110166 1071」、これの後半は「言わない」と書いてない。前半との流れから「合わない」と読むべきだと友人は言った。そして、その前半は「絶対無理」と読む。
「つまり、絶対無理、合わないと書いてあり、彼女の返事はお前と二度と会いたくないという事だ」
友人はそう言い切った。そして、その読みは正しかった。当時ストーカーという言葉は流行ってなかったので、彼女は「勘違いした熱い男」と私を呼び、「それが付きまとって困る」と友人に漏らしていたらしい。その事が後に分かった。私は結婚する23歳までに20回強の失恋を経験してしまうが、この時期の私はそれを知らない。
「こんなに苦しいなら愛など要らぬ」
男なら誰もが知ってる北斗の拳、その中で聖帝サウザーが叫んだように、私はこの一件でベルを捨てた。しかしながら今思うに情報の伝達というのは困難であったり、不明な部分があった方が燃えるようだ。現に携帯を持たない時の方が何かと不便で燃えており、思い出深い行動をとっている。
最近では携帯を使ったメールまでもが普及してしまい(私は全くやらない)、短く確かな文章がピョンピョン飛び交う世の中になってしまったが、一昔前の手紙にかける思いは熱い。名曲「カナダからの手紙」では「息が詰まるような口付けを、どうぞ私に投げて下さい」と書いている。熱い。火傷しそうなほどに熱い。メールでこの文章は打てまい。
時代が手紙からポケベルに移った私たちの時代、名曲「ポケベルが鳴らなくて」はこう歌っている。
「ポケベルが鳴らなくて、恋が待ちぼうけしてーる♪ あなたは今どこで何をしてるのー♪」
ああ、分かる、その気持ち痛いほどに分かる。しかし、メールを打って待ちぼうけとは違い、相手が暗号文を解読できずに返事をしないという希望がある。この超プラス思考を働かせる余地があるところに、大半が想像力の産物である「恋」というものの醍醐味があるのではないか。
色々なところに思いを馳せながら時代を駆け足で振り返ると、情報伝達の世界は一気に便利になった。手軽に素早く確実に情報が伝わる時代、不便さが狂おしい程に愛しかった「あの思い」を子供たちの世代が持てるのか。たぶん、ベルに夢中だった我々を親の世代は「薄っぺらい付き合い」と感じていたろうから、その思いは繰り返しといえば繰り返しなのだろうが、いつもカッカしていたあの頃、その超多感な時期を子供たちにも熱く熱く過ごして欲しいという思いがある。それは、過ぎ去った過去を振り返る時、じわりと出てくる青春の余韻であろう。
熊本出身・村下孝蔵はこう歌っている。
「好きだよと言えずに初恋は♪ 振り子細工の心♪」
絵文字メールで「好きだよ」とは言って欲しくない、それが親心である。