第15話 田舎暮らしの一ヶ月(2007年11月)

南阿蘇村へ越してき、早一ヶ月が経とうとしている。
家は中古住宅を買った。前の持ち主は広島の方である。
裏山の斜面に皮膚病に効く事で有名な秘湯があり、そこへ通うための別荘として買われていたらしい。近所の人の証言によると実に素晴らしいご夫婦だったようで、家の隣に畑を設け、土と共にひっそり暮らしておられたそうな。
そこへ私ども慌しい五人組がやってきた。
やってくるや近所でも評判だった良い畑をぶっ潰し、そこへプレハブ事務所をほんの二週間でおっ建てた。
180坪もある広い庭には一年を通して花が枯れないようにと様々な木が植わっていたが、
「真ん中に立っとる木は邪魔だけん抜いて下さい」
ユンボで根っこから抜き、人に譲ってしまった。
工事現場には次から次に近所の老人が現れた。ある人は杖をついて現れ、ある人は旗付きの電動カーに乗って現れ、皆が皆、変わりゆく庭を嘆き悲しんだ。
「あれは立派な椿じゃった。今から紅い花が所狭しと咲くとこれ。雪の中に紅が映えるのを知らんとか」
「ここの土は評判で、去年はこの辺で一番立派な大根が取れた。ああ、それなのに、それなのに…」
気が付けば老人たちは断りもなく敷地内へ入っており、色々なところを物色しては重い溜息を吐いている。ある老人に至っては、
「記念に土ば頂戴」
と、バケツ持参で土を持ち帰る次第で、よほど良い土だったのだろう。
柿の木の評判もいい。
敷地内に柿の木が三本立っているが、それらは近所の人に言わせると全て種類が違うらしく、実る時期も違うため、かなり長い間いろいろな味が楽しめるらしい。とりわけ今は葉隠(はがくれ)という種類の柿がたわわに実っており、家族や通行人に言わせると実に良い味らしい。
ある通行人に至っては、菓子折を持ってこられ、
「前に頂いたのが本当に美味くて、嫁にたっぷりちぎってこいと言われました」
そう言ってバケツ二杯持って行かれたほどである。
私は柿とスイカとアンコが何よりも嫌いなため、その木を完璧に観賞用としているが、人によっては味覚からも楽しめる本当に良い庭のようだ。
ちなみに近所の老人率は極めて高い。
地方の高齢化が叫ばれて久しいが、この辺りはその代表格ではあるまいか。
幸運な事に気さくな方ばかりで良かったが、一つ難点を言えば目が合えば会話が始まるため、忙しい時は本当に困る。出勤しようと体半分を車に入れているのに、息子の自慢話が永延終わらなかった時は、このまま出勤を断念しようかと思ったほどである。
ただ、色々と面倒を見てくれるのはありがたい。
「家の隅っこ小さい畑を持ちたいと思っています」
嫁がそう宣言するや、全面的な農業指導を約束してくれたり、高菜の種をくれたりと、
「田舎に住んでるなぁ」
干渉の具合によって、その事を実感するに至るのである。
チビ三人と嫁が発する騒音に関しても(柳川では西の横綱と呼ばれていたので)心配していたのだが、
「聞こえるばい。ギャーギャー聞こえるばい。ばってん子供の声はよか。地域に元気の出る」
実に温かく受け入れてくれた。
生活のリズムも合う。
私、そして嫁も含めた家族のリズムが早寝早起き田舎型のため、今現在、何の違和感もなく六時半にはテレビ体操を行い、七時には朝食を食い終わっているのであるが、田舎の朝は更に早い。
裏は酪農家であるが、仕事をしようと四時半に起きた時、既に何かゴソゴソされており、コンスタントに四時起きの気配がある。その代わり夜十時くらいに外へ出ると辺りは真っ暗で、寝静まっておられる感じがある。
ちょっと一杯呑み屋へ行こうにも村内の飲食店は八時で閉まるし、それ以降に呑もうと思えば家から10キロ以上離れねばならない。更に熊本市で呑んだとしても終電は八時半で公共交通機関も全く使えない。
隣人が他人、夜型人間、父親が家に帰らないなどなど…、文明化・都市化の影響がマスコミを賑わしているが、そんなものどこ吹く風、文明に縁遠い、ちょっとズレた環境が南阿蘇にはあった。
「うーん、これだからいい!」
求めていた方向性が得られた事に興奮気味の私ではあるが、その中で文明によるところが大きい「ものづくり」で生活できるのか、正直さっぱり分からない。分からないが、
「できるだけ挑戦したい!」
愛すべき環境にしがみついていたいというのが一ヶ月目の所感である。
もう一点、近隣の子供たちにも惚れ込んだ。
この辺の子供は実に礼儀が良く、凄まじい挨拶をする。
自転車立ちこぎの中学生が急にドリフト気味で私の横で止まった。何かと思ったら、
「ざいあーす!」(おはようございますの体育会系挨拶)
深々と頭を下げて挨拶すると、また立ちこぎで去って行った。小学生にもその風向きがある。
更に長女が地元の保育園に通い始めたが、妻曰く、皆が皆、山猿の集団のようで落ち着きがなく、運動神経が並じゃないそうで、カリキュラムも授業らしい授業が全くないらしく、教育方針は「挨拶のできる子供を目指す」らしい。
「今までの感じとぜんぜん違うよー! 野放しだよー!」
うろたえているが、私はそれで良いと思っている。
小学校にも行かぬうちから英語を教える必要があるだろうか、習字をやる必要があるだろうか、広い庭で集団で遊ばせるだけで学べる事はたくさんあろう。
足し算、引き算、作文ができる人間よりも止まって挨拶のできる元気な人間の方が、今の、このご時世にあっては貴重で有益な人材ではなかろうかと、近辺の子供を眺めながらそう思うのである。
ちなみに長女は来年から小学校。つい先日、小学校の説明会があり、教育の重点方針は「挨拶」であると又も力強い説明を受けたそうな。嫁は不安げな表情を見せているが、私は村ぐるみの挨拶重点方針に村の人間造りへの関心が見て取れ、良い方向に受け取った。
さて…。
建ったばかりの事務所の前で、阿蘇五岳の外れに位置する夜峰山を眺めていると、
「ざいあーす!」
いつもの丸刈り中学生が元気な挨拶を投げてくれた。
夜峰山は事務所から見ると真ん丸な山で、根子岳みたいなインパクトはないが、この丸刈り少年みたいな爽やかさ、人懐っこさがある。挨拶を徹底的に教え込まれた子供たちが、この山を背に元気な挨拶をする様は実に絵になるが、一つだけ危惧される事がある。
この山は横から見ると薄っぺらい尖がり山で、何となく十円玉みたいな感じがする。
挨拶に集中するがあまり、薄っぺらな脳味噌になってもらっては困ると変な空想をしてしまったが、それは嫁の愚痴を受けた要らぬ空想であろう。
ああ…。
夜峰山から転げ落ちる風が冷たい。
そろそろ、この山も白い帽子をかぶるはずである。
生きる醍醐味(一覧)に戻る



越してきた時、土地の大半は畑でした。




畑を潰し、椿を抜き、事務所を作りました。




変わらないのは夜峰山。下田の屏風と呼ばれています。