第18話 鉄道ファンと私(2008年1月) 数日前、飲み会のお誘いを受けた。 夢挑戦プラザという熊本県が支援している歳若い企業連の新年会で、熊本市でやるという。 むろん承諾した。 飲む事に対する欲は減少の一途を辿っているが、飲み会へ欲は愛へと昇華し、その程度は増加の一途を辿っている。何か障害があろうとも、まずは「行く」と言うのが私の行動指針であり、約束であった。 二つ返事の後、最大の障害である「足」についてあれやこれやと考えた。 我家の自慢は交通の便がいいという事である。最寄の駅まで徒歩4分、阿蘇という広大なスケールで考えれば奇跡的環境といえるかもしれない。ただ、その電車の終電が早い。参考までに熊本市からの最終電車を調べてみた。 「20時31分」 飲み会は19時開始。これでは全く使えない。 熊本で飲む時の常として弟の家に泊まるという手もあるが、弟の出勤は早い。昨年も三度ほど世話になったが、どれもこれも深酒で転がり込み早朝出ていく格好なので酒の残りが気になる。 これだけ飲酒運転に対する圧力が強くなってしまっては翌日の事を気にするのもドライバーのマナーであろうと思うし、福岡で例の飲酒事故があった時、 「今後、二度と飲酒運転はしません」 強く反省したところであった。(死んだ子供三人とウチの子供の年齢が一緒) そういうわけで飲み会承諾後に弟へ「泊まる」という決定事項を伝え、その上で電車にて飲み会へ出かけた。 アクの強い経営者だらけの飲み会は意外に体力がいる。皆が皆イソイソと挨拶回りに励むため、中腰の運動会みたいな格好になってしまい疲れるのだ。 挨拶をしたいターゲットが絶えず移動するため追わねばならない。追ってると別の人に捕まりターゲットを見失う。これを繰り返すうちに酒が回ってターゲットが誰だったのかよく分からなくなるのである。 とりあえず飲み会が終わり、いつものように弟の家に泊まった。そして翌早朝には戻りの電車に乗ったわけだが、その中に今回の主役である「鉄道ファン」がいた。 鉄道ファンは二人組の男であった。熊本駅から私と一緒にJR九州に乗り込み、私と一緒に阿蘇の入口・立野駅で降りた。立野駅から先はJR線を離れ、超ローカル線・南阿蘇鉄道になる。 鉄道ファンはJRの改札をくぐると駆け足で南阿蘇鉄道のホームへ行き、 「ああ、これだよ、これ! ☆*#&%!」 よく分からぬ車両の型式を叫び、デジカメで列車を撮りまくった。列車だけかと思ったら、入口にある整理券ボックスを撮り、両替機を撮り、車内風景を撮った。 「列車なのに整理券だよー! これで両替するんだよー!」 「ああ、たまらないねー!」 「レトロだよー!」 「本当にたまらないよー!」 関東弁で感動に震える二人組を私はポカーンと眺めている。他にも地元の爺様が隅っこの方にちょこなんと座っていたが、その爺様もポカーン鉄道ファンを眺めている。 御歳八十は超えておられるであろう、その爺様が隣に座った私に問うてきた。 「ありゃ、なんじゃい?」 「鉄道ファンです」 歳をとるという事は驚きにくくなるという事らしいが、爺様は鉄道ファンという初めての生き物にそれはそれは驚いておられた。爺様は私と同じ駅で降りたが、最初から最後まで鉄道ファンに釘付けで、ポカーン開いた口は最後まで閉じる事がなかった。 「そうだっ!」 やっと席に座った鉄道ファンは忙しげにブ厚い時刻表を取り出すと荒い息遣いでページをめくり、 「後2分で出るよっ!」 これまた厚そうなメガネをクイッと持ち上げた。 「もうすぐ出る」と車内放送が流れているので時刻表を出す必要はなかろうにと思うが、それを出さずにはいられないのが鉄道ファンなのであろう。 片方の鉄道ファンに至っても落ちつきがない。 「凄い景色だね! 早く出ないかな! あー、もー、待ち遠しいっ!」 大興奮である。 むろん、私と爺様はこれをポカーン眺めている。 電車は定刻に出た。出た瞬間、彼らは最前列に飛び出した。 「ビデオ大丈夫?」 「大丈夫、大丈夫! あー、これ、これ! この加速だよっ!」 「ガタン、ガタタンだねっ!」 列車はワンマン運転である。 運転手は肩越しに鉄道ファンをチラリ見たが、その後は気にする素振りを全く見せない。たぶん鉄道ファンに慣れているのだろう。 列車はゆっくりと進む。そして、ビューポイントである鉄橋に差し掛かると更に減速し、鉄橋や景色に関する車内放送が流れた。 「むはっ! たまらないよー!」 「あはっ、はっ、ははっ、ふぃー!」 一人は時刻表を手に死んでしまうのではないかと思えるほどの大興奮。もう一人はビデオ片手に肩を震わせている。 正面から二人の様子を見たいが、車両の隅っこから最前列まで行き、 「泣いてますか、どうですか?」 そう聞くのも不自然な話で、引き続き後方より観察を続けた。 列車は二つの鉄橋を超え、最初の駅「長陽」に着いた。 着いた瞬間、 「駅っ!」 ビデオを持った方が叫んだ。すると時刻表を持った方が列車を飛び降り、デジカメで駅のホームとそこから見える風景などを撮り始めた。 何度も言うが、私と爺さんはポカーンである。 時刻表は理解不能な写真を撮りまくった挙句、「列車出ますよー」の声で列車に舞い戻ってきた。 「はぁ、はぁ、はぁ、ふぅー!」 彼の息は大きく乱れている。そして、ビデオを持っている方と目が合うやハツラツと親指を立てた。 列車が出た。 相変わらず乗客は四人である。一般客が一人になっては心細いので爺様にどこで降りるのか聞いてみた。 「加勢ですたい」 つまり次の駅で降りるらしい。その事で私も次の駅で降りる事を決意した。最寄の駅は「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」という次の次の駅であるが、一人で彼らの観察を続ける勇気が湧かなかった。 確かに「更に見たい」という好奇心はある。時刻表を持った男が終点の高森駅まで七駅のホームを撮り続ける体力があるのか、ビデオのバッテリーが切れた時、彼らはどういう反応をするのか、それら非常に気になるが、この雰囲気は何となくやばい。宗教活動の集会みたいな「世の常識を覆そうとする力」に満ち満ちている。たぶん、高森まで同席すれば私も明日から時刻表が手放せない男になってしまうであろう。 しばらくすると車窓から三脚を構えている写真家らしき男が見えた。 不意にビデオを持っている男が、 「同志っ!」 そう叫んだ。そして時刻表は写真家に向かって親指を立てた。写真家は敬礼らしき動作を返した。 「ど…、同志だそうですよ…」 爺様にそう呟くと、爺様は魂が抜けたように鉄道ファンを見つめ続けていた。 鉄道というものが「志」になっている事に驚きと奥深さを感じ、そしてコレを書き残そうと心に決めた。 私と爺様は加勢駅で降りた。同時に時刻表も降り、「はぁはぁ」言いながら写真を撮った。何を撮っているのかと見ていたら、駅舎の傷まで撮っていた。 「いいなぁ…」 ファンにあっては傷もご馳走らしい。 時刻表は前駅の時と同じように運転手に促されて列車に飛び乗った。 列車が出る時、私は時刻表とビデオに向かって敬礼をした。 彼らは私と目が合ったにも関わらず無反応であった。やはり同志でないと見抜かれたらしい。 爺様は弱っている足をかばいながら駅の先にある坂道を登っている。既に鉄道ファンへの興味を失っているのかどうなのか、よく分からぬが苦しそうであった。 私は走って老人の手助けをした。老人は「すまん、すまん」と頭を下げながら、 「今日はぬっかねぇ、よか日和ばい」 目を細め、そう呟いた。 ちなみに鉄道ファンの話の中で一つだけ間違いを発見した。 「南阿蘇鉄道は長い駅名が多いんだよ。阿蘇下田城ふれあい温泉駅だろぉ、それに南阿蘇水の生まれる白水高原駅、楽しみだねぇ」 「うんうん、日本一長い駅名だね」 私は鉄道ファンではないが、それでも新米の地元民であるため気付いてしまった。 彼らは「南阿蘇水の生まれる白水高原駅」と言ったが二文字抜けている。途中に「里」(さと)という字が入るのだ。しかし、これを指摘したらどうなるだろうか、たぶん猛烈な反論を受けるか彼らの旅行を台無しにしてしまうに違いない。 運休している南阿蘇鉄道のトロッコ列車は春に復活する。 電車好きな方は南阿蘇村へ是非…。 |
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